あれから何度か人間を知りたいと思い、
彼らの目を欺く方法はないか、と考える。彼らは四六時中、私の傍にいるわけではない。ただ御殿から離れると、私の気を感じて寄ってくる。心配しての行動だろうが、はっきり言って鬱陶しい。
ならば、私の力が無くなれば……そう、例えば人間に――
そう考えたところで、それは名案ではないかと感じた。少しの間、人間を観察しても人間の気持ちなぞ分かるとは思えない。だが、自分も人間になれば分かるやもしれん。
そうして私は直ぐに行動に移した。
人間の姿に化け、力を抑え、下界に降り、記憶を失くした。
後は時がくれば全てを思い出し、天上へ帰ればいい。
完璧な策だと思った。しかし私は二つの誤算を犯した。
一つは人間の時間感覚を知らなかったことによるもので、自動的に記憶が戻るのは三百年先であったこと。
二つ目は人間としての姿――なにも耳や尻尾がそのままだったというわけではない。ただ――赤子の姿だったことだ。
「おや、川の真ん中に……子供か!? いま助ける!」
初老の男が川に飛び込み、赤子を助ける。
「川の真ん中にいたにも関わらず、藻が揺り籠のようになっていたとは奇跡だな。
しかし、どこの子だろうか? 恐らく、捨て子だと思うが……そうだな、儂の家に連れて帰るか」
男は赤子を抱き、川を出る。
「もしかしたら、子が出来ぬことを憐れんだ神様が、儂ら夫婦にこの子を授けてくれたのかもしれんな」
男もまさか抱いている赤子が神様であるとは思うまい。
「あいつも驚くだろうな。
そうだ、名前はどうしよう……」
男はしばし熟考する。
「藻により救われたのだから、
そして藻女と名付けられた、神様は老夫婦の元で健やかに、美しく成長した。
「頼む! 奏者を助けて欲しい!」
「ちょっと、何なのよいきなり!? 貴女、岸波くんのサーヴァントよね」
廊下でネロが凛に詰め寄り、先日の出来事を話す。
「なるほどね。それはきっと、岸波くんの身体から魔力が漏れ出ているのよ」
「どうすれば治すことができる?」
「呪術によって
でも、これには大きな問題があるわ」
「それは?」
「まず、孔を塞ぐ方法は術者以上の魔術を行使しなくてはいけないこと。セイバー、貴女に魔術の心得は?」
「余のスキルを使えば大抵のことは出来るが、繊細な治療は出来そうもない」
「まだ脱落していない、キャスターのサーヴァントに治療できる者もいるかもしれないけど、いずれ敵になるかもしれない相手に協力するお人好しは居ないでしょうし」
「そう言う嬢ちゃんも、とんだお人好しだがな。あの坊主もれっきとした敵だってこと忘れちゃいねぇか」
凛の背後から凛のサーヴァントが霊体化したまま話しかける。
「忘れてないわよ! ただ、あいつがユリウスを倒してくれたら残りの戦いが楽になるからって思って……ちょっと、なに笑ってるのよ!
そんなことより、貴方の魔術でなんとか出来ないの?」
「ん―ムリだな。オレの魔術は大雑把でよ、物を壊したり瀕死でも生き抜くみたいな戦闘全振りだからな。師匠なら大雑把でも治してみせるだろうが」
「となると、あのメイドを倒すしかないか」
「ええ。本来、『呪い』というのは術者を倒せば消えるものではないの。
でも、
ただ、それは厳しいでしょうね」
「なぜだ?」
「それは貴女自身がよく分かっているでしょう? 今、貴女は岸波くんから魔力供給を受けていない。彼にそんな余裕はないものね。
つまり、貴女は自前の魔力でなんとか現界している……そんな状態で倒せるなんて思っていないわよね」
「……だが、余は奏者を救わねばならない。たとえ十全の状態ではなくともな」
「まったく、貴方たちは無茶ばっかり……これを使いなさい」
凛は何かの端末をネロに渡す。
「それは
「なんと! 感謝するぞ、凛!」
ネロはそう言うとアリーナへ走って向かう。
「まったく、セイバーも岸波くんとそっくりね。自分のことより他者を優先するなんて……」
「そういう嬢ちゃんだって、顔も見たことないガキのために
なら、責めることはねーと思うぜ。いや、自己嫌悪の方かな?
その悪態は坊主に向けたものでなく、自分に言い聞かせてるのか。で、自分と似てるからピンチになったら、ついつい肩入れしちまう訳だ」
「うっさいわね。そんな口叩く余裕あるなら、さっさと次のサーヴァントに勝利なさいよ!」
「はいはい。ところで、今回の対戦相手って誰なんだ? サーヴァントどころかそのマスターさえアリーナで見かけてないんだが」
「恐らく、こっちに情報を与えないようにしているのでしょうね。
マスターの名前は……」
凛はまだ見ぬ対戦相手に想いを馳せながら答える。
「アトラス院の
「奏者、待っておれよ」
ネロは一度マイルームに戻り、白野に
その後、アリーナを走り回って魔力の多い場所を探している。
「む、あれか!」
魔力が溜まっている場所を視認し、そこへ向かう。
しかし――
「待てども勝ち名乗りがないと思えば、こういうことか」
魔力溜まりにつく手前にユリウスとそのサーヴァントが現れる。
「マスターを仕留めたはずなのに、そのサーヴァントが満足に動いているとはな。
……手心でも加えたか?」
「うむ! 真心を込めて
「そうか、では問題ないな。
では、今回は弱っているサーヴァントの首を獲れ」
「なるほど、狩りの時間か!」
「くっ!」
今のネロにサーヴァントと戦うだけの魔力はない。必死に逃げ道を模索するが見つからない。
「その前に……そこの赤いの、なぜ力もないまま
サバンナリタイヤを有言実行しに来た訳でもあるまい?」
「……奏者を救うためだ」
「ほう、ならば手を引こう。キャッチ&リリースというやつだ」
「なに?」
疑問を呈したのはユリウスだった。
「何を勝手に……」
「サーモンは脂がのった方が旨い。指チュパしながら待っていてやるから逃げるがいい、赤いの」
そう言うと、キャットは背を向け立ち去る。
「…………」
ユリウスも無言でキャットの後を追う。
「助かった、のか」
呆けている間にキャットとユリウスの姿はなくなった。
「まあよい。では、これをここに……」
ネロは魔力溜まりに
「よし! 奏者よ、いま戻るぞ!」
つづく
※
本来は白野の4回戦前に凛とラニが戦いますが、この話の中では5回戦で戦うようにしています。