ホギャァ、ホギャァ、ホギャァ…。
一つの命が生まれた。
赤々と染まった手足を伸ばし、もがくように何かを求める赤子。
だが、求めに応える者は無い。
立ち会った産婆は、赤子を産湯に浸しながら、その子に呟く。
「不憫な子じゃ…」
その子は、多くの者に望まれない子供だった。
その子は、存在してはならない子供だった。
その子を望んだ者は、既に死んでいた。
とある貴族がいた。
貴族は、金と権力を元手に欲しいまま、望むがままに生きていた。
そして女がいた。
女は、貴族の家に奉公していた。
やがて女は、貴族の目に留まり、貴族は女を口説き、抱いた。
女は、貴族を愛し、求めた。
そして、子を宿した。
…だが、貴族とその周囲の人間にとって、宿った命は望ましい存在(もの)ではなかった。
「決して、誰の子なのかを明かしてはならない。もし明かせば、この国をも揺るがし、分かつ事に成りかねない。何よりも、お前達親子の安息すら奪うだろう。それはお前達も望まない、そうだろう?」
女は首を縦に振る。
そして、僅かな金とまだまだ小さな命だけを共に、女は暇を出された。
実家に帰った彼女達は、家族にさえも冷たく扱われていた。
彼女もまた、貴族の出ではあった。
尤も、奉公先とは比べものにならない程の身分ではあったが。
"誰の子かもわからない子を宿し、暇を出された"
口さがない者達は、彼女をそう蔑んだ。
そんな肩書がついた彼女は、実の家族でさえも持て余される存在だった。
だから、中絶を勧められたりもしたのだが、彼女はそれを拒み続けた。
堕胎の為の薬を盛られそうにもなったが、女のカンとも言うべき何かが、その悉くを見抜き、全てを退けた。
「大丈夫よ、私が貴方を護ってあげる…」
強く、優しい母の姿がそこにはあった。
そんな彼女にあてがわられたのは、日の当たらぬ庭の片隅の小さな小屋だった。
人目につかぬように、目立たぬように、静かに過ぎ行く日々を送る女。
それは、決して退屈などではなく、自らの希望や期待と向き合い、文字通り胸とお腹を膨らませながら過ごす日々は、幸せそのものだったのかも知れない。
そして、臨月がやってきた。
身動きもままならず、眠りも妨げる程に膨らんだ彼女の希望は、その身に大きな負担と期待を与えていた。
だが、それは唐突に訪れた。
激しい痛みと、"出よう、また、出そう"とする動きは、彼女の限界を超える負荷を与えるが、その苦しみにさえも彼女は抗い、戦う。
急いでやってきた産婆は、出て来た子供の一部を見て顔を蒼くする。
「…逆子じゃ」
大きな足が、産道から飛び出し、暴れるように動いていた。「いいか!?ワシが合図をしたら、必死にいきめ!!わかったな?」
産婆の声に、彼女は弱々しく頷いてみせるその顔には、脂汗を満面に噴き出していたが。
「…ヨシ、今じゃ!!」
歯を食いしばり、伸ばした手を爪が食い込む程に握り締める彼女。
それに合わせ、赤子を傷付けない最大限の力をもって、引き出す産婆。
「…オオ、ようやった、ようやったのぅ。お宝の付いた、立派な男の子じゃぁ…。ほーれ、母御じゃぞぅ…」
産声すら上げていない子供を彼女に差し出す産婆。
「…私の、…私の子…」
絶え絶えの声で、そう言いながら彼女は、我が子に手を差し出すが、その手がフッと遠退いていく。
パフッと、身を分け軽くなった身体が、布団へと倒れ込む。
「どうした?しっかりせぇ!!お前が母になったんじゃろ?」そんな産婆の声が、彼女に届く事はなかった。
彼女は、既にその息を止めていた。
それと引き換えるかのように、赤子は産声を上げた。
生まれた子供は、やはり厄介者でしかなかった。
残された彼女の親族は、子供を亡きものにする為に、山奥に乳飲み子を棄てた。
そして、二人を亡きものとした。
コレが、彼の生まれであった。