ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー   作:五河 緑

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蒼き魔女の迷宮編Ⅵ

 〈監獄結界〉 最奥部

 

 現世とは乖離した異なる次元に建設された刑務所〈監獄結界〉。石造りのその刑務所に窓はなく、内部には照明として松明が壁に設置されているが炎は灯っておらず、使われた形跡も殆どない。昼夜を問わず暗闇が支配するこの刑務所に明かりが灯るのは、主である〈空隙の魔女〉が訪れた時である。

 しかし、本来の主ではない〈蒼の魔女〉――仙都木優麻の手によって半ば強引に顕現させられた〈監獄結界〉は、その軋轢によって壁や天井の要所が崩れ落ちていた。

 崩れた天井の隙間から差し込む月明りを頼りに〈監獄結界〉の最奥部へ向けて歩みを進めているのは、二人の人物だった。

 黒い外套を纏う〈第四真祖〉暁古城の姿をした魔女――仙都木優麻と白狐の仮面を被った黒髪の少女――妃崎霧葉だ。 

 

 「分かっていたけど、やはり凄まじいね〈第四真祖〉の魔力は。………おかげで、十万人の贄を用意しなくて済んだよ」

 

 自らの顔を優しく撫でながら呟く優麻。その声音は、純粋に多くの無辜の命を奪わなくて済んだことを喜んでいるようだった。

 

 「………優しいのね」

 

 並ぶようにして横を歩いていた霧葉が優し気な表情を浮かべる優麻を見て、そう呟く。すると、霧葉の言葉が意外だったのか優麻は目を丸くして霧葉の仮面を被った顔を見つめた。

 

 「ひょっとして、ボクは褒められたのかな?」

 

 「………犯罪組織の指導者には向いていないという意味で言ったのだけれど」

 

 呆れたように言う霧葉に優麻も思わず苦笑いを浮かべていた。

 

 「なるほど、確かにボクには向いていないだろうね。………でも、その心配もすぐに無用になる。母様が出てくれば〈図書館〉を指揮するのは、あの人だ」

 

 「………貴女は、用済みってことかしら?」

 

 茶化すように言う優麻に冷たく霧葉が告げる。

 

 「………酷いことを言うね。確かに普通とは違うけどボクはあの人の娘だよ?」

 

 少し期待しているんだ、とまだ見ぬ肉親との絆を語る優麻に霧葉は仮面の下で表情を歪ませた。

 

 「………馬鹿馬鹿しい。たかが血が繋がっているだけの存在によくそこまで拘れるわね。理解できないわ」

 

 吐き捨てるように口にする霧葉に、優麻は不敵な笑みを浮かべる。

 

 「拘る………ね。それは、君も同じじゃないかな?」

 

 「あ?」

 

 試すような口調で告げてくる優麻に不快感を感じたのか、ドスの効いた声で返事を返す霧葉。

 

 「さっきの彼………九重キリヲ、だったかな?彼は君が拘っている存在……………『家族』なんじゃないのかな?」

 

 軽い調子で優麻が言い終わると、数秒ほどの沈黙が二人の間に流れた。

 仮面の奥から優麻の顔をじっと眺めた後、霧葉はゆっくりと口を開いて言葉を紡ぐ。

 

 「………………なんのことかしら?」

 

 明らかに動揺したような声で霧葉が告げたのは、そんな話をはぐらかす様な言葉だった。

 そんな霧葉に優麻は、苦笑いを浮かべながら話を続ける。

 

 「君は、もう少し視線に気を使った方がいい。さっき彼を睨んでいた君の目は、ボクに『家族』の無意味さを説く時と同じものだったよ。仮面越しにでも分かるほど、暗い情念に満ちた目だ」

 

 「…………………忠告どうも。気を付けるようにするわ」

 

 確信を持っているように言い切る優麻に霧葉も観念したのか、肩の力を抜いて嘆息するのだった。

 そして優麻から視線を外して口を開く。

 

 「………わたしが兄さんに拘るのは復讐のためよ。期待なんかじゃない」

 

 脳裏に憎き肉親を刺し殺す光景でも思い浮かべているのか、霧葉が手にしている二股の霊槍から強く握りしめるような音が聞こえてくる。

 

 「わたしが受けたものと同じ苦痛を味わせてやる」

 

 「……………」

 

 呪詛を吐くかの如く憎悪の念のこもった言葉を口にする霧葉。優麻は、ただ静かにその言葉に耳を傾けていた。

 やがて、胸の内に溜まっていた蟠りを吐き出して落ち着いたのか霧葉が口を閉ざす。

 

 「………君と彼の間に何があったのかは知らないけど、君の目論見が上手くいくように陰ながら祈っているよ」

 

 それまで口を閉ざしていた優麻は表情を変えることもなく、ただ静かにそう告げるのだった。

 

 「………そろそろ最奥部だ。ここに彼女がいる」

 

 狭い通路からドーム状の広い部屋に出たところで優麻は足を止めて部屋の中央に鎮座する存在に目を向けた。その隣では、霧葉も足を止めて優麻の視線の先にあるものに目を奪われていた。

 

 「彼女は………なぜ、ここに……」

 

 信じられないと言った様子で霧葉が呟く。

 その直後。

 

 「………どうやら彼らも来たみたいだ」

 

 背後から聞こえてくる数人分の足音を耳にした優麻が視線を動かさずに静かに告げる。

 足音の主を確認しようと霧葉が背後を振り返る。それと同時に二人を追ってきていた三人の人物がこの部屋に到着する。

 

 「追いついたぞ、優麻………!」

 

 先頭に立つのは優麻の本来の姿をした体を持つ〈第四真祖〉――暁古城。その後ろには銀槍〈雪霞狼〉を携えた雪菜と金属の義肢を持つキリヲが控えている。

 優麻達に追いつき、即座に臨戦態勢を取る三人。しかし、彼らの視線はすぐに別のものに移ることになる。

 優麻と霧葉と同様に、部屋の中央に佇む存在に。

 

 「馬鹿な……」

 

 「なんで、あんたが………」 

 

 キリヲと古城が同時に掠れた声を漏らす。

 

 「この世ならざる異界に造られた牢獄、それを顕現させる真祖の魔力………そして、檻を守る番人であると同時に檻を開く唯一の鍵。…………ようやく全てが揃った」

 

 周囲の崩れつつある石壁、自らが操る古城の体。そして部屋の中央に位置する存在。

 それぞれに視線を映しながら優麻は言葉を紡ぐ。

 そして片膝を折り、首を垂れる。

 

 「探しましたよ……………〈空隙の魔女〉」

 

 部屋の中央に置かれた黄金の玉座に座り、眠り続ける幼き少女――南宮那月に。

 

 「おい………どういうことだ。なんで、そいつがここにいる」

 

 驚愕に目を見開いたキリヲが数歩前に出ながら優麻に問い掛ける。

 

 「………どうやら、君もこの事は知らなかったみたいだね。南宮那月が守護者と交わした契約、そしてその代償として生まれた〈監獄結界〉の秘密を」

 

 自らの背後に守護者である〈蒼〉を顕現させながら優麻が言う。

 

 「今こそ、ボクはボクに課せられた使命を果たして運命を全うする」

 

 「優麻………お前は………一体……」

 

 揺るぎない信念を感じさせる声音で決意を口にする優麻に古城が弱々しく手を伸ばす。

 

 「ボクは、そのために造られて今日まで生きてきたんだ。………君と出会う、あの日よりずっと前から」

 

 振り返り、古城の瞳を真っすぐ見つめ返しながら優麻は自らが持って生まれた使命に縛られ続けた日々を語るべく口を開いた。

 

 

 

 それは、古城には想像もできないほどに冷たく、救いのない孤独の日々だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーストーンゲート 屋上

 

 

 「ああ、もう!きりがないんだけど!?」

 

 暗雲が覆う空の下、〈絃神島〉の中央に聳え立つキーストーンゲートの屋上にて紗耶香は得物である〈煌華麟〉を振り下ろしながら声を張り上げる。

 周囲には、醜く肥大化した赤黒い触手の群れが紗耶香の身体を圧し潰そうと蠢いている。

 

 「触手自体は大して強くありませんが………この数は厄介ですね」

 

 「術者の魔女共を狙おうにも、触手が邪魔で難しそうね」

 

 単発式拳銃〈アラード〉から呪式弾を放ちながらラ・フォリアが呟き、鞭型の眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉を振るいながらジリオラも同意するように頷く。

 

 「あらあら、お姉さま。小娘どもは、そろそろ限界のようですよ」

 

 「大口叩いてた割には大したこと無かったわね。まあ、世間を知らない小娘なんて所詮この程度かしら」

 

 触手の群れの向こう側で魔導書を手に、挑発するように嘲笑を上げるエマとオクタヴィア。

 その言葉にジリオラの顔に憤りの表情が浮かぶ。

 

 「………今のセリフ、そのままあいつ等に返してやりたいんだけど。三、四十年程度しか生きていないガキが調子に乗りやがって」

 

 全身から瘴気にも似た高密度の魔力を大量放出して周囲の触手を消し飛ばしながら言うジリオラ。その言葉にエマとオクタヴィアの表情が怪訝そうに歪む。

 

 「ねえ、お姉さま。あの女、妙なことを言っていますわ」

 

 「そうね、オクタヴィア。わたし達をガキ呼ばわりするなんてね。………どういうつもりかしら?」

 

 二十代半ばと外見年齢が明らかに自分より下のジリオラにガキ呼ばわりされたのが気に食わなかったのか、オクタヴィアは不快そうに触手の攻撃目標をジリオラに集中させる。

 一方でジリオラも対抗すべく全身から血霧を放出させて空中に大量の紅い蜂の群れを出現させる。

 ジリオラの操る眷獣〈毒針たち〉である。

 そして、押し寄せる大量の触手を更に膨大な量の蜂の群れで押し返していく。

 

 「吸血鬼、舐めるんじゃないわよ。最低限、百年くらい生きてから出直しなさい!」

 

 闘志を滾らせるようにジリオラが叫び、その言葉にエマとオクタヴィアの表情が凍り付く。

 

 「百年………?」

 

 「あの見た目で………」

 

 よく勘違いされがちな話ではあるが、魔女は不老不死という特性を本来は持ち合わせていない。才に溢れ、その中でも高位の存在と呼ばれる一部の魔女だけが体の老化を止めるという芸当ができるだけである。

 エマとオクタヴィアは、決して実力のない魔女というわけではないが、南宮那月のような体の老化を止めるような事はできないため、外見年齢は実年齢と同じ三十代半ばまで進んでしまっている。

 その一方で、ジリオラは吸血鬼である。生まれ持つ才覚に関係なく、彼女の中に宿る血が尽きることのない寿命と老いることのない体を与えている。

 とは言え、種として異なる吸血鬼と魔女を比較すること自体が本来ならナンセンスなことであり、こればっかりは仕方のないことなのだが………。 

 

 「あの淫売がぁ………黙って、枝の餌食になりなさいよ!」

 

 「その顔、絶対に磨り潰してやる………」

 

 ………女として、なんか負けたような気がしてならないエマとオクタヴィアだった。

 

 「上等よ、掛かってきなさい」

 

 年下に小娘扱いされて憤るジリオラと肉体年齢の進行の差に劣等感を抱くエマとオクタヴィアが互いに感情任せに魔力を高めていき、宙でぶつけ合う。

 そして、それを数歩後ろに下がったところで傍観しているラ・フォリアと紗耶香。

 

 「年は取りたくないものですね、紗耶香」

 

 「………はあ」

 

 まだまだ(年齢に)余裕のあるラ・フォリアが面白いものを見るような笑みを浮かべたまま言い、紗耶香は関わりたくないと言わんばかりに視線を逸らして曖昧な返事を返す。

 

 「………それで、紗耶香。この状況を打開する策はなにかありますか?」

 

 表情を真剣なものに戻して、ラ・フォリアが紗耶香に問い掛ける。

 〈メイヤー姉妹〉の眷属である触手の攻撃がジリオラに集中したことで、ラ・フォリアと紗耶香にはある程度の余裕が生まれていた。

 この隙に打開策を練るというのがラ・フォリアの狙いだった。

 

 「この使い魔………いくらなんでも量が多すぎます。魔女とは言え、この量を生成し続ける魔力は無いはずです。つまり、この使い魔は元々これほどの巨体と大量の触手を持つ生物なんでしょうけど………」

 

 「………そんな生物が果たして存在するのか、ですか。ベースがどんな生物なのか分からなければ対策が練れませんね」

 

 冷静に〈アッシュダウンの守護者〉を分析していく紗耶香とラ・フォリア。

 目の前の膨大な質量を持つ使い魔が何を媒介に生み出された存在なのか二人で考察を深めていく。

 

 「あっ」

 

 そこで何か思い当たることがあったのか、ラ・フォリアが声を上げる。

 

 「王女、なにか?」

 

 「紗耶香、さきほど〈メイヤー姉妹〉が口にした言葉を覚えていますか?」

 

 ラ・フォリアは、目の前で〈アッシュダウンの守護者〉と一進一退の攻防を演じているジリオラに視線を向けながら言葉を続ける。

 

 「『枝の餌食になれ』さきほどジリオラに向かってそう言っていました。『触手』ではなく、『枝』と」

 

 「………つまり、軟体動物の類じゃなくて植物」

 

 ラ・フォリアの言葉に心当たりがあったのか紗耶香も顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。

 そして、紗耶香も思いついたように口を開く。

 

 「確か〈メイヤー姉妹〉の起こした事件で森一つを消滅させたものがありましたよね?」

 

 「〈アッシュダウンの惨劇〉………なるほど、合点がいきました」

 

 ジリオラの〈毒針たち〉と鬩ぎ合っている触手の群れに目を向けてラ・フォリアは笑みを深める。

 

 「森の木々を全て使い魔に換えたと言うのならば、この圧倒的な質量にも納得がいきます。確かに強力な使い魔なのでしょうけど………」

 

 「相手の正体さえ分かれば、手の打ちようはいくらでもあります。〈煌華麟〉!」

 

 手に握っている〈煌華麟〉を刀剣形態から洋弓型の広域殲滅形態に変形させながら足のホルスターに収納してあるダーツ型の伸縮式鏑矢を取り出す紗耶香。

 

 「全て焼き払います」

 

 「………では、わたくしは時間稼ぎを」

 

 詠唱に入ろうとする紗耶香を背に、〈アラード〉を構えて前方に駆け出すラ・フォリア。

 呪式弾を薬室に装填し、触手の群れの真ん中に照準を合わせて引き金を引く。

 

 「ジリオラ、遅くなりました」

 

 「大丈夫よ。こっちは、こっちで楽しんでいたから」

 

 依然として〈アッシュダウンの守護者〉の前に立ちはだかり、獰猛な笑みを顔に浮かべながら眷獣を召喚し続けているジリオラの隣に肩を並べるように立ち、ラ・フォリアも呪式銃で触手の群れを牽制する。

 

 「で、何かいい作戦でも浮かんだの?」

 

 「紗耶香がこの使い魔を全て焼き払います。紗耶香の攻撃が終わったら、〈メイヤー姉妹〉が新たに使い魔を召喚する前に仕留めましょう。わたくしは、エマ・メイヤーを始末します。貴女はオクタヴィア・メイヤーを」

 

 視線を前に向けたまま聞いてくるジリオラにラ・フォリアも簡潔に作戦を伝える。

 そして、ラ・フォリアの言葉が終わると同時に後方から紗耶香の祝詞が響き渡った。

 

 「獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る!極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり!」

 

 祝詞と共に鏑矢が上空に放たれ、慟哭にも似た人の声帯では発せられない呪詛を奏でる。キーストーンゲートの屋上に放射状に拡散した呪詛は、青い炎となって〈アッシュダウンの守護者〉に降り注ぐ。

 

 『――――――――!』

 

 本来、声を持たない筈の悪魔と化した森の断末魔が響き渡る。

 

 「そんなっ………!」

 

 「わたし達の〈アッシュダウンの守護者〉が………」

 

 自分たちの最大の武器が焼き払われ、絶望に表情を暗くするエマとオクタヴィア。しかし、流石は歴戦の魔女と言ったところか、即座に呪文を唱え始めて次の手を打とうとする。

 だが、それを見逃すラ・フォリアとジリオラではない。

 

 「我が身に宿れ、神々の娘。豊穣の象徴。二匹の猫の戦車。勝利をもたらし、死を運ぶものよ!」

 

 「万象変化と千変万化を司りし女王〈混沌の皇女〉の血脈を継ぎし者、ジリオラ・ギラルティが汝に命ず。顕現せよ、万物を刺し貫く紅き呪槍よ!」

 

 自らの体の内側に高位の精霊を召喚したことにより、ラ・フォリアの〈アラード〉に着装された銃剣が刃渡り二メートルに達する巨大な光の剣へと姿を変える。

 そして、ジリオラの右手からは噴き出た血霧が一振りの禍々しい生物的な外装を持つ槍へと姿を変えて、ジリオラの手に収まる。先月、T種の若い世代の吸血鬼ベアトリス・バスラーから奪い取った槍型の眷獣〈蛇紅羅〉である。

 

 「これで」

 

 「とどめよ」

 

 ラ・フォリアとジリオラが同時にそれぞれエマとオクタヴィアに肉薄して得物を振るう。

 ラ・フォリアのこの全ての不浄なる存在を滅する精霊の加護を受けた疑似聖剣が黒いライダースーツに包まれたエマの体に癒えることのない一太刀を刻み込む。

 ジリオラの持つ魔槍の矛先が生きた軟体動物のように枝分かれして、複数の方向から標的であるオクタヴィアに殺到し、オクタヴィアの赤い外套をより深い紅に染めていく。

 

 

 

 

 

 長きに渡り大勢の無辜の命を蹂躙してきた魔女〈メイヤー姉妹〉討伐が成された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈監獄結界〉 最奥部

 

 〈監獄結界〉の奥深くに位置する薄暗い聖堂にも似たドーム状の広間。常に静寂が支配するこの部屋に今、七つの人影が存在していた。

 暁古城の体を乗っ取った仙都木優麻、彼女の背後に佇む蒼い騎士の姿をした守護者〈蒼〉、狐の仮面で顔を隠した〈白狐〉。

 それに相対するように立つのは、優麻の本来の体に捕らわれた〈第四真祖〉――暁古城と彼の背後に控えている〈剣巫〉の姫柊雪菜と剣を持たない〈聖剣遣い〉――九重キリヲだ。

 そして部屋の中央に置かれた玉座に座り、深い眠りについているのは黒髪の少女――〈空隙の魔女〉の魔女こと南宮那月である。

 

 「なんだよ……それ………」

 

幼いころからの親友である優麻の口から語られたのは、古城には到底理解しがたく、また受け入れられないようなものだった。

 世界最大の魔女による犯罪組織〈図書館〉の総記、仙都木阿夜が〈監獄結界〉から脱獄するために単為生殖によって造った試験管ベビー。生まれた瞬間から生き方を決められており、文字通り道具としてこの世に生を授かった存在。

 それが仙都木優麻という少女の正体だった。

 

 「そんなの、あんまりだろ………」

 

 長い時間を共有してきたにも関わらず、親友の背負っている悲しき業に気付くことすらできなかった事実に悲痛そうな表情を浮かべて弱々しく呟く古城。

 そんな古城に哀愁を孕んだ眼差しを向けながら優麻は言葉を続ける。

 

 「ボクに自由なんてなかった。ボクには文字通り何もなかった。………君と過ごした時間以外はね。でも、それも終わるんだ。ここにいる〈空隙の魔女〉――南宮那月の本体を滅ぼして母様を解放する。それでボクも解放される」

 

 依然として玉座の上で眠り続ける那月に視線を向けながら優麻が言う。

 那月の本体、その言葉は即ち今までキリヲや古城が顔を合わせてきたのは那月本人でなかったことを意味していた。那月がこの〈監獄結界〉の中から夢を通して操っていた魔力によって構成された精巧な人形。人形を介してしか現実の世界や他者と触れ合うことすら叶わない悲しき魔女。それが南宮那月だった。

 

 「やめろっ!優麻!」

 

 優麻の命令と共に〈蒼〉が鎧を鳴らしながら剣を振りかぶって那月に狙いを定める。

 このままでは那月が殺される。そう理解した途端、古城たちの体は動いていた。まっさきに動いたのは雪菜だ。得物である〈雪霞狼〉を構えて優麻目掛けて猛スピードで駆け出す。

 しかし、この場には〈蒼〉以外にも優麻に与する存在がいる。

 

 「させないわよ」

 

 「っ!貴女は………!」

 

 今まで優麻の側に控えて沈黙を守っていた〈白狐〉が矛先が二股に分かれた霊槍〈乙型呪装双叉槍〉で雪菜の〈雪霞狼〉を打ち払ったのだ。

 甲高い金属音が広場に響き渡り、雪菜は数歩下がって歩みを止められる。

 

 「〈太史局〉………また、犯罪者の肩を持つつもりですか?」

 

 「悪いわね。上の指示よ」

 

 雪菜の向けてくる殺気の籠った視線を涼し気な様子で受け流す〈白狐〉。

 全身に霊気を纏って臨戦態勢を整え、優麻を守るように三人の前に立ちはだかる。

 

 「残念だけど、ここは通さな――」

 

 「……なら、力尽くで押し通るまでだ」

 

 〈白狐〉が最後まで言い終わる前に行動を起こしたのはキリヲだった。両足の義足と右腕の力を開放したことにより人工皮膚が剥がれ落ちちて義肢の金属部分が露出しており、義足の力を使って空気を震わすほどの爆音を立てながら〈白狐〉の元まで駆けていき、右手の義手で右ストレートを叩き込む。

 

 ギイイイイィンッ

 

 咄嗟の判断で〈白狐〉が盾にした〈乙型呪装双叉槍〉とキリヲの義手が激突し、眩い火花と甲高い金属音が周囲に巻き散らかされる。

 

 「行け、姫柊」

 

 キリヲが告げると同時に雪菜はキリヲと〈白狐〉の横を通り抜けて優麻の元へと駆けていく。

 

 「くっ………よくもっ!」

 

 キリヲに妨害を受けた〈白狐〉は、大きく後方にバックステップして距離を取りながら悪態をつく。

 仮面の奥からキリヲを睨む瞳は暗く冷たい殺意に満ちており、キリヲですら薄ら寒さを感じるようなものだった。

 

 「………姫柊の時とモチベーション違いすぎだろ。俺になんか恨みでもあるのか?」

 

 あまりの変貌ぶりに思わず尋ねるキリヲ。

 それを聞いた瞬間、凍り付いたかのように〈白狐〉の動きが止まる。

 

 「恨みが………あるか………ですって?」

 

 湧き上がる怒りを抑えられないのか、肩を細かく震わせながら霧葉が掠れるような声で言う。

 

 「………逆に聞くけれど、貴方の方こそ心当たりはないのかしら?」

 

 尋ねてくる〈白狐〉にキリヲも数秒ほど考える素振りを見せるが、やがて首を横に振る。

 

 「まったく無いわけじゃないが、多すぎてどれのことか判断しかねるな」

 

 「…………………………そう」

 

 キリヲの答えを聞いた〈白狐〉は、落胆したようにそう呟くと肩の力を抜いたように槍を持ったまま両腕を地面に向かって垂らした。

 〈白狐〉の見せる無防備な態勢にキリヲが怪訝そうな表情を浮かべる。

 その次の瞬間だった。

 

 「もう……………いいわ」

 

 周囲の空気を歪ませるほどの強力な霊力を〈白狐〉が全身から放出させる。

 ありったけの霊力を注ぎ込んで発動した呪術的身体能力強化により、地面を踏みしめる〈白狐〉の靴底から床を削るような音が響いてくる。

 身体への負荷や反動を無視した無理やりな肉体強化により〈白狐〉の纏う闘気は獣のそれと錯覚するほどに荒々しいものへと変貌していた。

 

 「………ここで、殺す」

 

 「ぐっ!」

 

 呪術で身体能力を大幅に底上げした〈白狐〉が〈乙型呪装双叉槍〉を目にも留まらぬ速さで連続で突きだしてくる。

 巨獣の爪牙にも等しい重さを持つ〈白狐〉の槍さばきにキリヲは、右手の義手を盾のようにして防ぐ。

 〈乙型呪装双叉槍〉の矛先が突き刺さるたびに義手の外装が欠けていくが、ナラクヴェーラの生体金属により補強されているキリヲの義手は周囲の瓦礫を元素返還によって吸収し、即座に再生させていた。

 

 「クソッ………!」

 

 しかし、いくら〈白狐〉の攻撃を防げても所詮は防戦一方。タイミングを伺っていた〈白狐〉の強力な一突きをもろに受けてしまい、キリヲは後方に大きく吹き飛ばされていった。

 それと同時に雪菜も〈蒼〉の攻撃を受けて後方に退避したようで、図らずも二人は並ぶように立って態勢を整えることとなった。

 

 「大丈夫か、姫柊?」

 

 「………なんとか」

 

 荒い息をつきながら〈雪霞狼〉を構えなおす雪菜。着ている〈波隴院フェスタ〉用の衣装であるエプロンドレスは、〈蒼〉の剣による切り傷なのか所々が破れており、雪菜の奮闘ぶりが伺えた。

 

 「………南宮那月は?」

 

 依然として眼前で臨戦態勢を取っている〈白狐〉からは視線を逸らさずにキリヲが問い掛ける。

 

「姫柊が引き付けてくれてる間にバッチリ回収しといたぜ」

 

 雪菜のいる場所より半歩下がった所に古城が得意気な笑みを浮かべて意識のない那月を抱えていた。さすがは、元バスケット部。本来の身体でなくとも運動神経には自信があるようで、混戦の隙をついて上手く立ち回ったらしい。

 

 「………よしナイスだ、古城。下っていろ。後は俺と姫柊で相手をする」

 

 「………なにか策があるんですか?」

 

 那月を保護したことにより少しは心の余裕が生まれたのか落ち着いたような口調で口にするキリヲに雪菜も油断なく構えを維持しながら問い掛ける。

 

 「………向こうの狙いは南宮那月だ。俺が古城と南宮那月を守る。その隙に仙都木優麻を仕留めてくれ…………姫柊の〈七式突撃降魔槍〉で古城本体を貫けば、奴の魔術も無効にできるはずだ」

 

 義足の金属部分を剥き出しにした両足を前後に開き、右腕の義手の拳を握り締めて戦闘態勢を取りながらキリヲが小声で告げる。

 雪菜も険しい表情を浮かべながら口を開く。

 

 「………どれくらい持ちこたえられますか?」

 

 「………………五分、いや十分までなら……抑えて見せる」

 

 愛用の得物である〈フラガラッハ〉を持ち合わせていないことを悔いるように言うキリヲに雪菜も忌々しそうに眼前の敵を睨みつける。

 魔力を高める優麻と霊力を得物の槍に集中させる〈白狐〉、そして不気味に佇む騎士の姿をした守護者〈蒼〉。三者とも形や手段は違えど確かな殺意と闘気を身に纏っていた。

 

 「…………………来るぞ」

 

 瞬き一つせずに相手を睨みつけていたキリヲが、そう言い終わると同時に〈白狐〉が動いた。

 

 「ッ!」

 

 身体能力強化の呪術により爆発的加速力を持って駆け出した〈白狐〉は、一息の間に肉薄してキリヲを〈乙型呪装双叉槍〉の間合いに収める。

 次の瞬間に襲い掛かるであろう槍の一突きを防ぐべく右手の義手を顔の前に構えるキリヲ。

 この後の〈白狐〉の槍の一撃を防ぎ、その隙を義足による人外の脚力を伴った回し蹴りで〈白狐〉を仕留める。それがキリヲが咄嗟に考えたこの場における戦略だった。

 しかし、キリヲの予想していた展開は大きく裏切られることになる。

 

 「なっ!?」

 

 〈白狐〉の槍を防ごうとキリヲが身構えた瞬間、目の前にまで迫っていた〈白狐〉の姿が煙のように消え失せたのだ。

 そして、入れ替わるようにキリヲの目の前に出現したのは優麻の契約した守護者〈蒼〉だった。

 

 「これはーー」

 

 〈蒼〉と入れ替わるようにして姿を消した〈白狐〉は、キリヲの隣にいた雪菜の頭上に姿を表して雪菜の頭部目掛けて蹴りを放つ体勢を取っている。

 〈蒼〉は、陽炎のような魔力を纏わせた拳をキリヲに振り下ろそうと掲げている。

 そして、〈蒼〉の後ろには魔術を発動させている優麻の姿が見て取れた。

 

 「ーー空間転移魔術か!」

 

 優麻の姿を見た瞬間、キリヲは何が起こったのかを理解した。

 優麻は後方から空間転移魔術を発動し、キリヲの目の前にいた〈白狐〉を雪菜の側に転送し、それと同時にキリヲの真正面に〈蒼〉を空間転移させたのだ。

 次の瞬間、〈蒼〉と〈白狐〉が同時に攻撃を放った。

 

 「ぐっ……………!」

 

 「あぁっ…………………!?」

 

 〈蒼〉の拳を受けたキリヲは、衝撃波を伴う程の強力な一撃に吹き飛ばされそうになりながらも、なんとか両足の義足を地面に突き刺すようにして持ちこたえる。

 しかし、雪菜は奇をてらった〈白狐〉の攻撃に対応しきれなかったようだ。

 呪術で強化された〈白狐〉の膝蹴りをもろに頭に受けた雪菜が後方に吹っ飛んでいく。雪菜も身体能力強化の呪術が使えるため、あの程度で死ぬようなことは無いだろうが脳震盪は避けられない。しばらくは、まともに動くとも叶わないだろう。

 

 「くそっ……………!」

 

 キリヲの予想を超えた敵の奇襲と雪菜の脱落に思わず悪態を零すキリヲ。

 

 「ふざけるなっ!」

 

 〈蒼〉の拳を防いだキリヲは、当初の予定通りに右足の義足を蹴り上げて、〈蒼〉の頭部を狙った上段回し蹴りを放つ。

 

 ガアァンッ

 

 金属同士が激しくぶつかり合ったことにより、火花と衝突音、そして空気を震わす衝撃波が周囲に巻き散らかされる。

 先ほどの雪菜と同様に蹴りを頭部に食らった〈蒼〉は、勢いよく部屋の隅に向かって吹っ飛んでいった。

 取り合えずは、〈蒼〉を退ける事ができた。しかし、まだ戦いが終わった訳ではない。

 即座に戦闘体勢を整えて、〈白狐〉へと向き直る。

 視線の先では、〈白狐〉もキリヲ目掛けて〈乙型呪装双叉槍〉を振り上げていた。

 

 「ハアァッ!」

 

 「食らえ、霧豹双月!」

 

 〈白狐〉の身体から溢れ出した霊力を纏う霊槍〈乙型呪装双叉槍〉が振り下ろされ、それを迎え撃つようにキリヲも右手の義手でアッパーカットを放つ。

 〈乙型呪装双叉槍〉を構成する霊鉄とキリヲの義手の外装であるナラクヴェーラの生体金属が激突し、再び室内に衝撃波とインパクト音が響き渡る。

 

 「流石ね‥………」

 

 「くっ…………………」

 

 槍と義手が互いに相手を仕留めようと押し合い、接触部分からはギチギチと音を立てながら火花が散っていた。

 そんな中、余裕そうに言う〈白狐〉にキリヲは忌々しそうに表情を歪める。

 

 「でも、いいのかしら?早くわたしを倒さないと………………南宮那月が死ぬわよ」

 

 「なに……………!?」

 

 〈白狐〉の言葉にキリヲは、驚愕に目を見開いて那月と古城のいる方向に視線を向ける。

 そこには、空間転移魔術を使って音も立てずに移動を終えた優麻が古城と那月の前に立ちはだかっていた。

 

 「よせっ!やめろっ、優麻!」

 

 古城は、那月を庇うようにしながら悲痛そうな表情で声を張り上げていた。

 

 「ごめんよ、古城。ボクも君の身体でこんな事はしたくない。でも‥………」

 

 優麻も哀愁の漂う表情を浮かべているが、殺意を納めることなく右手を振り上げる。

 

 「まずいっ……………!」

 

 「…………………よそ見してる余裕があるのかしら?」

 

 古城に迫る危機に焦ったような表情を浮かべるキリヲ。

 その一瞬の隙を〈白狐〉は見逃さず、膝蹴りをキリヲの胴体目掛けて放つ。

 

 「ぐっ……………」

 

 「油断し過ぎよ」

 

 体勢を崩して後方に蹴り飛ばされていくキリヲに冷徹な視線を向けて呟く〈白狐〉。

 腹部に蹴りを受けて荒い息をつくキリヲが最後に見たのは、那月に目掛けて右手の手刀を振り下ろす優麻の姿だった。

 

 「やめてくれ!優麻!」

 

 「……………………………これで、ボクも自由だ」

 

 古城の叫びが響く中、無情にも振り下ろされた優麻の手刀は那月の胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よウやクダ…………………トきガきたゾ。……………那月」

 

 その光景を目にして枯れた声で嗤い声を上げるのは、壁に背を預けてカタカタと兜を震わせる蒼き鎧を纏う騎士の姿をした悪魔ーー〈蒼〉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これで、蒼き魔女の迷宮編は終わりです。この後、観測者たちの宴編に入る前に二、三話くらいの短いオリジナル編を挟もうかなと考えております。そこで、キリヲと〈白狐〉こと霧葉の過去などについて書きたいと思っています。
 よろしければ、お付き合いくださいませ。

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