ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー   作:五河 緑

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 お待たせしました!


天使炎上編Ⅴ

 金魚鉢

 

 波が周期的な音を立て、水平線の向こう側から昇ってきた太陽によって照らされた浜辺。そんな場所にキリヲはいた。銀色に輝く髪を持つ少女、かつて命に換えてでも守ると誓ったこの世で最も敬愛する女性と共に。

 

 「久しぶりですね、キリヲ」

 

 浜辺に流れ着いた白い救命ポットの側に腰を下ろして銀髪の少女ーーラ・フォリアは隣に座る黒髪の少年に声をかける。

 

 「……ああ、そうだな」

 

 朝日に照らされるラ・フォリアの横顔を見つめながらキリヲは優しく微笑み、そう口にする。

 

 「……もう、会えないと思っていた」

 

 キリヲがそう言うとラ・フォリアは、キリヲの左手に自分の両手を重ねて口を開く。

 

 「わたくしは信じていましたよ。………絶対にまた会えると」

 

 そう断言するラ・フォリアにキリヲも思わず苦笑する。

 

 「……………なんだか、夢を見ている気がしてきた」

 

 東の方角から射し込んでくる陽光に照らされるラ・フォリアの顔は、その美貌と相まってとても幻想的に映った。

 まるで、自分が最も望んでいる光景を幻覚として見ているような気さえしてくるほど浮世離れした美しさだった。

 

 「夢ではありません。わたくしは、ここにいます」

 

 ラ・フォリアは、そう言うとキリヲの人工皮膚が剥がれて金属部分が露出した右手を手に取って自分の頬に当てた。

 自分はここいる。触れることのできる現実として。そうキリヲに伝えるために。

 

 「右手は止せ。……固くて嫌だろ?」

 

 体温を持たない冷たい義手に顔を当てるラ・フォリアにキリヲが顔をしかめて手を引こうとする。

 だが、ラ・フォリアはキリヲの右手を放さない。

 

 「わたくしは好きですよ。キリヲの右手。………わたくしを守ってくれる手です」

 

 ラ・フォリアの言葉にキリヲは首を横に振る。

 

 「……人殺しの手だ」

 「違います。多くの命を救った英雄の手です」

 

 自嘲気味に言うキリヲの言葉をラ・フォリアが金属製の手を握りしめながら否定する。

 厳しい顔つきをして断言するラ・フォリアにキリヲも反論することなく力無く笑った。

 

 「…………剣、ありがとうな。助かったよ」

 

 側に置いてあった竹刀袋から白いメタリックな外装の鞘に納められた〈フラガラッハ〉を取り出してキリヲは言う。

 

 「礼にはおよびません。貴方の力になれたのなら、それはわたくしにとっても嬉しいことですから」

 

 そう言ってニッコリと微笑むラ・フォリア。

 いつものことだった。キリヲが助けを必要とすればラ・フォリアは嫌な顔一つせずに必ず助けてくれる。助けてもらったのはこちらなのに、いつもラ・フォリアはキリヲを助けること自体を喜んでやっている。

 

 「………その銃は?」

 

 ラ・フォリアの太股の革製ベルトに付いた拳銃用ホルスターに納められている拳銃に目を向けてキリヲが訊ねた。

 先程ラ・フォリアがキリヲに向けてきた拳銃であり、黒く光る銃身に金の装飾が施された豪華な造りのものだ。現代では滅多に見ない単発式の拳銃で銃身の先端に銃剣も装着されている代物だった。

 

 「〈アラード〉です。壁に飾って腐らせておくのは勿体ないと思ったので、お祖父様の書斎から拝借してきました」

 

 ホルスターから〈アラード〉を抜いて悪びれもなく笑みを浮かべるラ・フォリア。

 祖父の貴重なコレクションの一つであっただろう〈アラード〉を握るラ・フォリアを見てキリヲも、相変わらずお転婆だな、と苦笑いしながら呟く。

 

 「手入れも自分で出来ますし、問題なく使えるんですよ?」

 

 片目を閉じて〈アラード〉を構えて側にあったヤシの木に標準を合わせながらラ・フォリアが言う。

 

 「昔から射撃の腕は悪くなかったよな」

 

 素人がふざけて実銃を持っていたりしたらキリヲも文句の一つでも言っているが、昔からの付き合いでラ・フォリアの腕の良さを知っているキリヲは、特に気にしなかった。

 

 「わたくしに射撃を仕込んだのは貴方ですよ、キリヲ?」

 「俺が教えたのは基礎だけだ」

 

 キリヲがラ・フォリアに教えたのは、戦王領域でガルドシュに習った基本的な銃の撃ち方と銃の手入れの仕方だけだった。

 

 「あんなに上達するとは思ってなかったよ」

 

 そう言ってキリヲは、生身である左手でラ・フォリアの頭を優しく撫でた。

 

 「………変わりませんね。いつも貴方は、こんな風に撫でてくれた」

 「……髪の触り心地がいいからな」

 

 感慨深く言うラ・フォリアに茶化すようにキリヲが返事をする。

 そんなキリヲにラ・フォリアも悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

 「好きなだけ触っていいんですよ?………わたくしの全ては貴方のものです」

 

 這うようにキリヲに身を寄せて、熱を帯びた目でキリヲを上目遣いに見つめるラ・フォリア。

 二人の顔は、唇が触れ合いそうなくらい近かった。

 その体勢のまま、数秒ほど二人とも身動き一つしなかったが、やがてーー。

 

 「………気持ちは嬉しいが、今は遠慮しておくよ」

 

 曖昧な笑みを浮かべてキリヲは、両手でラ・フォリアの肩を優しく押し返した。

 ラ・フォリアを宥めているように見えるが、この時のキリヲはどこかラ・フォリアに触ることを恐れているようにもラ・フォリアには見えた。

 

 「………それは残念です」

 

 距離を取られたラ・フォリアが不満そうに頬を膨らませるが、その表情すらキリヲには可愛らしく映った。

 そんなラ・フォリアの表情を少しばかり堪能した後、キリヲは表情を真剣なものに改めて口を開く。

 

 「………ラ・フォリア、そろそろ教えてくれ。なぜ、お前がここにいる?一体なにが起こっているんだ?」

 

 声音を変えて訊ねてくるキリヲにラ・フォリアも表情を切り替える。今までの甘えた表情ではなく、人の上に立つ一国の王女としての顔に変貌を遂げる。

 

 「……………分かりました、話しましょう。わたくしがこの島に流れ着いた訳を。………そして、メイガスクラフト、叶瀬賢生とその娘、叶瀬夏音………〈模造天使〉のことを」

 

 

  

 

 

 ***

 

 メイガスクラフト 本社

 

 「203号室の叶瀬夏音さんをお願いします」

 

 企業保有のビルが建ち並ぶ商業区画の一角にあるメイガスクラフト社のオフィスビル、その受付で古城は受付係の役割を担っている人型オートマタに訊ねた。

 

 「現在外出中です」

 「では、保護者の叶瀬賢生氏は?」

 

 無機質な合成音声で返答するオートマタに雪菜が間髪入れずに聞き返す。

 

 「……失礼ですがお客様は?」

 「獅子王機関の姫柊です」

 

 オートマタの問に雪菜が躊躇うことなく答える。

 

 「少々お待ちください」

 

 雪菜の返答に数秒ほど沈黙を示した後、再びオートマタが合成音声で返事をする。

 

 「……良かったの?身元明かしたりして?」

 

 一連のやり取りを見ていたジリオラが雪菜に訊ねる。

 

 「………良くはないです。でも、おかげで何か出てくるみたいですよ」

 

 少し顔を強張らせた雪菜が受付奥の自動ドアに目を向ける。つられるようにして古城とジリオラもドアに目を向けた。

 そこには、ちょうど奥から出てきたと思われる金髪の女性がこちらに向かって歩いてきていた。

 

 「………登録魔族ですね」

 

 歩み寄ってくる金髪の女が手首につけている銀色の腕輪を見て、雪菜が警戒するように言う。

 

 「ベアトリス・バスラーです。叶瀬賢生の秘書のようなものをやらせていただいています」

 

 赤いスーツに身を包み眼鏡をかけたベアトリスが腰を折ってお辞儀をしながら自らの名前を名乗った。

 

 「そちらは、獅子王機関の攻魔師と他のお二人は………………はぁ!!?」

 

 お辞儀をして頭を上げたベアトリスが左の古城から順に三人の顔を見ていき、一番右端にいるジリオラの顔が目に入った瞬間、間の抜けたような顔を晒して驚きの声を上げた。 

 

 「………なにかしら?」

 「い、いえ、何でもありません!………失礼しました」

 

 ジリオラが訊ね返すとベアトリスは、慌てた様子で頭を下げてきた。

 

 「そ、それで叶瀬にどのようなご用でしょうか?」

 

 未だに動揺を抑えきれてないベアトリスが気を取り直して訊ねた。

 

 「申し訳ありませんが本人に直接伝えますので」

 「……困りましたね。叶瀬は現在島の外におりますの。弊社は魔族特区の外に独自の実験施設を持っておりまして」

 

 強めの口調で言う雪菜にベアトリスが困ったように目を伏せて首を横に振って賢生の不在を告げた。

 

 「………その実験施設に行く手筈を整えて貰うことはできないかしら?」

 

 ジリオラが声を発するとベアトリスは肩をビクッと震わせて反応する。

 

 「か、可能ですよ。もし、お急ぎなら手配しますけど……」

 「じゃあ、お願いさせてもらうわ」

 

 肯定するベアトリスにジリオラが短くそう伝えるとベアトリスは、逃げるように背を向けてこの場を後にした。

 

 「……なんか、随分と様子が変だったな」

 「そうですね。ジリオラ先生を知っているようでしたけど………」

 

 古城の言葉に同意するように雪菜も頷きながら隣に立つジリオラに視線を向けた。

 

 「別に知り合いじゃないわよ?……………まあ、向こうはわたしの顔を知っているみたいね。一応遠い親戚だったし」

 

 ジリオラはベアトリスが通っていった受付奥のドアを眺めながらつまらなそうに言った。

 

 「親戚?」

 

 古城が疑問そうに首をかしげると雪菜が細く説明をするべく口を開いた。

 

 「先輩、先程の方はジリオラ先生と同じT種……つまり、第三真祖の血に連なる吸血鬼です。世代は違うでしょうけど血筋を辿っていけば同じ真祖に行き着くんですよ」

 

 雪菜が説明すると古城が感心したように声を上げる。

 

 「へえ、そうなのか」

 「………先輩も真祖なんですから、それくらい知っていてくださいよ」

 

 古城の様子に雪菜が呆れたように溜め息をつく。

 

 「でも、遠い親戚なのに顔を知ってるなんてジリオラ先生って結構有名なのか?」

 「……まあ、手配書が回ったこともあるし。混沌界域にいた頃は、あの人のお気に入りだったからそれなりに名前も売れていたしね」

 

 古城の言葉にジリオラが面倒くさそうに溜め息をつきながら答える。

 

 「あの人……?」

 「ジャーダ・ククルカン…………第三真祖よ」

 

 中央アメリカに広がる第三真祖が支配する夜の帝国〈混沌界域〉。〈混沌の皇女〉の異名を持つ真祖が統治する国であり、ジリオラもかつてはその国に所属していた。

 第三真祖ジャーダ・ククルカンは、自らの血筋をを受け継ぐ吸血鬼達を娘と呼び、中でも自分の血を色濃く受け継ぐ旧き世代の吸血鬼達を侍らせて可愛がっていることで知られている。

 

 「……もっとも、今では追放された身だけれどね」

 

 僅かに哀愁を孕んだ表情を浮かべるジリオラに古城もそれ以上追求しようとは思わなかった。

 

 「……先輩、ジリオラ先生。そろそろ準備ができたみたいです。……………行きましょう」

 

 受付奥から再びこちらに向かってくるベアトリスを視界に入れた雪菜が緊張を含んだ声でそう呟く。

 

 「ああ。……叶瀬、今行くぞ」

 

 決意を秘めた瞳を前に向け、古城は前に足を踏み出した。

 

 ***

 

 メイガスクラフト 仮設空港

 

 「俺は、ロウ・キリシマ。俺があんた達を島まで運ぶ。よろしくな」

 

 空港の滑走路で待機していた小型飛行機に乗り込んだ古城達を待っていたのは、アジア系の顔つきをした男だった。

 

 「そっちは、学生二人に………おっ、そこの姉ちゃんはいい格好してるな」

 

 下着の上にコート一枚と言う露出過多な格好をしているジリオラを見てロウが嬉しそうに笑みを浮かべる。

 男が機器の確認した後にエンジンをかけるとプロペラの回る音が鳴り響き、機体が振動を発し始めた。

 

 「見ての通り、こいつはかなりの年代物だ。結構揺れるから覚悟してくれ」

 

 笑いながらロウがそう言うと小型機は滑走路を走り始め、離陸準備の体勢に入った。

 

 「……大丈夫か、姫柊?なんか、顔色が紙みたいな色になってるぞ」

 

 小型機が動き出すと、後部座席にいた雪菜の顔色がどんどん悪くなっていった。普段から色白ではあるが、今では血の気が失せて本当に真っ白だった。

 

 「だ、大丈夫ですっ!な、なんの問題もありませんっ!」

 「飛行機苦手なのか………」

 

 小型機が離陸して絃神島を離れ始めると雪菜の顔は、もう真っ青になっていた。

 

 「気持ちは分かるわ。わたしも始めて動力付き飛行機に乗った時は怖かったわよ」

 

 ジリオラが昔を思い出すように遠い目をしながら言った。

 

 「………それいつの話ですか?」

 「たしか、1900年代初頭ね」

 「大戦前かよ………」

 

 しれっと歴史の教科書に載っていそうな事柄を見てきたように言うジリオラに古城は苦笑を禁じ得なかった。

 

 「……そろそろ着くぜ、三人とも」

 

 ロウの言葉が終わると同時に小型機がガクンと揺れて高度を下げていく。

 飛行高度を維持していた時以上にガタガタと機体を揺らして、メイガスクラフトの小型機は小さな無人島の草地に着陸した。

 ちゃんと整備された滑走路でない場所に着陸したせいで機体を酷く揺れて、雪菜の顔には絶望と恐怖の表情が張り付いていた。

 古城ですら少し気分が悪くなるほどの揺れを発生させた後、小型機は動きを止めて扉を開いた。

 

 「………ここが実験施設か?何もないな」 

 

 一番に小型機から降りた古城が辺りを見渡してポツリと呟いた。

 続いて雪菜に肩を貸しながら降りてきたジリオラも人工物が一切ない周囲の光景を見て怪訝そうに顔をしかめた。

 

 「本当にこんな場所に叶瀬賢生がいるのかしら?」

 

 ジリオラが振り返って尋ねるとロウは、小型機のハッチを閉めて愉快そうに笑った。

 

 「さあな、その内会えるんじゃないか?」

 

 その言葉の真意を古城達が察するより早くロウは、小型機を発進させる。徐々に加速をつけて小型機が空に向けて地面を離れ始める。

 

 「野郎っ!」

 「悪いな、恨むならBBを恨んでくれ」

 

 無論、古城も黙って見送るつもりもない。全速力で走って小型機が手の届かなくなる高さに上がる前に追い付こうとするが、努力むなしく小型機は古城の手が届く前に上昇を始めた。

 ジリオラも霧化して小型機を追うが、五メートルほど上昇したところで諦めたらしく地上に引き返してきた。

 

 「……やられたわね」

 「………まさか、こんな方法で第四真祖を絃神島から排除するなんて。……不覚でした」

 

 小型機が飛び去っていった雲一つない空を見上げて三人揃って溜め息をつくのだった。

 

 

 ***

 

 メイガスクラフト 本社

 

 「なんであの女がいるのよっ!?」

 

 オフィスビルの最奥部にある研究室のドアを開けると同時にベアトリスが声を張り上げる。

 

 「………今度は何だ?」

 

 研究室の奥の手術台に向かっていた白衣の男ーー叶瀬賢生が昨夜と同じ様子で喚き散らしているベアトリスにうんざりしたような声で言う。

 

 「あの女よっ!ジリオラ・ギラルティ!あの淫乱がなんで魔族特区にいるのよっ!?」

 

 相変わらず甲高い声で喚きながらベアトリスが髪をかきむしる。

 そんなベアトリスを尻目に賢生が静かに口を開く。

 

 「………わたしの記憶が正しければ、ジリオラ・ギラルティは第一級魔導犯罪者として拘束、隔離されている吸血鬼のはずだが?」

 

 賢生の言葉に更に激情を露にするベアトリス。

 

 「ええ、そうよ。だから、謎なのよ!なんで、檻の外にあの女が出てきてるのよ!?昨日の魔義化歩兵と言い、どれだけ面倒な奴らが出てくるのよっ!」

 「………心配には及ばん。全て最終実験……いや、進化の触媒だと思えばいい。むしろ好都合だ」

 

 醜く顔を歪めて喚くベアトリスから視線を目の前の手術台に戻した賢生が冷静に言い放つ。

 

 「………ねえ、本当に大丈夫なんでしょうね?昨日来た魔義化歩兵もその天使と同じ〈例の計画〉が造った兵器なんでしょう?」

 

 手術台の上に横たわる白銀の髪を持つ少女に目を向けてベアトリスが目を細目ながら言う。

 

 「………それも心配する必要はない。小型聖霊炉は中途半端な欠陥兵器だ。一種の完成形にまで至った〈模造天使〉の敵ではない。それに……」

 

 言葉を途中で切った賢生は、手術台の側を離れて近くにあったデスクに向かう。

 簡素なスチール製のデスクの上に置かれていた細長い金属質な光沢を放つものを手に取り再び口を開く。

 

 「……もし、脅威に成り得るならばわたしが相手をしよう」

 「…………それが例の秘蔵兵器?」

 

 賢生が手に取ったのは、銀色の装飾が施された純白の銃身を持つマスケット銃だった。

 賢生は、ベアトリスの言葉に答えることなく、デスクの上に並べてあった金色の薬莢を一つ一つ白衣のポケットに入れていった。

 

 「高速艇の準備が整ったわ。そろそろ出発しても?」

 

 研究室のドアを開けて、白い狐の仮面を被った黒髪の少女が賢生とベアトリスに伝えた。

 

 (………待っていろ、夏音。もうすぐ、お前は完璧になれる)

 

 報告を聞いた賢生は、無言のまま研究室の出入り口であるドアの方に足を進める。

 

 「へえ……」

 

 マスケット銃を肩に担いだ賢生が目の前を通るのを見てベアトリスは僅かに驚いたように感嘆の声を上げた。

 今まで行動を共にしてきて、賢生は膨大な知識を有する賢人であり技術も高いレベルのものを会得している優秀な魔術師ではあったが、荒事とは無縁の人間だとベアトリスは考えていた。

 だが、今の賢生の立ち姿、一つ一つの挙動、そして刃物の様に鋭い気配は決して少なくない死線を越えてきた者が持ち合わせているものだった。

 そして何より賢生から、どんなに洗っても決して落とせない死臭をベアトリスは嗅いだような気がした。

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 「〈焔光の夜伯〉の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ!疾く在れ〈獅子の黄金〉!」

 

 白いパーカーに身を包み、瞳を深紅に染めた世界最強の吸血鬼、暁古城が右手を掲げて自らの血に巣食う眷獣を召喚する。

 呼び出された雷の獅子は、猛々しく吠えながら主が発する次の命令を待っていた。

 

 「いいか、そっとだぞ。そっと……」

 

 遠慮気味に古城が命じると〈獅子の黄金〉は、普段の暴虐ぶりからは想像もできないほど大人しくゆっくりと前足を目の前の海面に触れさせた。

 これで、僅かな電流が海水に流れて目的を達成できると古城がガッツポーズをしようとした瞬間ーー。

 

 ドオォン!

 

 〈獅子の黄金〉が纏う高圧電流が一気に海水に流れていき急激に温度が上昇した結果、水蒸気爆発を起こして轟音と共に上に吹き上げられた海水が雨のように古城に降り注いできた。

 

 「………何をやっているんですか、先輩?」

 

 そして、辺りに飛散した海水の被害を受けたのは古城だけではなかった。

 古城の背後から、全身を海水で濡らした雪菜が冷ややかな視線を古城に向けていた。

 

 「………ジリオラ先生も一人だけ霧化して避けないでください」

 「悪いわねぇ」

 

 雪菜の言葉に降り注ぐ海水を避けるために霧化していたジリオラが雪菜の隣に実体化して姿を現した。悪びれる様子もなく。

 

 「いや、本当に悪かったって。水場は姫柊が見つけてきてくれたし、せめて食料でも、と思って……………ほら、電気ショックで魚を獲る漁法とかあったなーって……」

 

 長期間、島に監禁されることを想定して食料を確保しに来たことを上擦った声で言い訳にする古城。だが、そんなことで雪菜が納得するはずもなかった。

 

 「……それで?」

 「………………はい、すいません」

 

 〈獅子の黄金〉の高圧電流のせいでゴボゴボと沸騰している海水と焦げ臭い臭いを漂わせて浮いている魚の死骸を見て古城も素直に頭を下げた。

 

 「……はあ、食事の用意ができたのでお誘いに来ました」

 

 溜め息をついてそう告げる雪菜。雪菜に案内された先で古城が見たのは、浜辺に並ぶ大量のヤシの実とそれを素材にした料理の数々だった。

 

 「あら、これ全部貴女が作ったの?」

 「はい、お代わりもありますよ」

 

 ジリオラの言葉に勢いよく返事した雪菜は、〈雪霞狼〉を短く持って包丁のように扱ってヤシの実を刻んでいった。

 

 「………随分と独創的なメニューだな」

 「他にも食材が見つかれば色々作れたんですけど……」

 「いや、十分だ。頂くよ」

 

 雪菜にそう返事すると古城は、一番側にあった海水とヤシの実で作られたスープに手を伸ばした。

 続いてジリオラも薄く千切りにされたヤシの実を手に取った。

 

 「………お味はどうですか?」

 

 それぞれ料理に手をつける古城とジリオラに雪菜が僅かに緊張したように声をかける。

 その問いに対して、二人は数秒ほど沈黙を示した後………。

 

 「……そう言えば昔、凪沙のままごとに付き合わされて腹を壊したことがあったっけ」

 「……南米の内戦の時に食べた野戦食の味を思い出すわぁ。……吐きそうになりながら食べたのよねぇ」

 

 二人揃って遠い目をしてそう言うのだった。

 

 「………なぜ、お二人がその様なエピソードを思い出したか気になりますが聞いたら不愉快な思いをすると思うので止めておきます」

 

 雪菜も味についてはそれ以上追求することもなく、二人の側に腰を下ろした。

 

 「……いつまで、ここにいる事になるのかしら」

 「……さあ、見当もつきません」

 

 ジリオラの呟きに雪菜が力無く答える。

 

 「勘弁してくれ………」

 

 橙色に染まり、水平線の向こうに沈もうとしている夕日を見ながら古城も疲れたように呟くのだった。

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 日が沈み、夜空に昇った丸い月が水面に映っているのを見ながらキリヲは、羽織っていたシャツのボタンを外し始めた。

 小さな無人島である金魚鉢は外縁が浜辺になっていて、中央を中心に島の面積の大半をおおっているのは、林だった。その林の中に岩場に囲まれた湧き水が出ている場所があり、キリヲはそこにいた。

 数日前からこの島にいるラ・フォリアが見つけた唯一の水源だった。

 脱いだシャツを側にあった木の枝にかけ、ズボンと下着も脱ぐとキリヲは水浴びをするために水場に体を浸けた。

 膝が水に浸かる深さまで来ると、キリヲは立ち止まって水面に映っている自分の体を見下ろした。

 全身傷だらけの体と義手の右腕。

 人工皮膚が破れて露出した金属製の右腕は、服を脱いだ状態では更に目だっている気がした。

 

 「………〈模造天使〉か」

 

 先程、ラ・フォリアの口から聞いた内容が頭の中で反響していた。

 あの後、仮眠や軽食を挟みながら日が沈むまでラ・フォリアに語られたのは今回の騒動の全貌だった。

 メイガスクラフト、叶瀬夏音の出自、そして襲撃を受けた飛空艇から脱出してきたラ・フォリア。

 全てのピースが揃い始めていた。

 

 「…………絶対に阻止してやる」

 

 今回の事件に巻き込まれた夏音の顔が脳裏に浮かび、キリヲは決意を強固にするために小さくそう呟いた。

 その直後だった。

 

 「……キリヲ」

 

 チャプンと誰かが水場に足を踏み入れた音と自らの名前を呼ぶ声が同時に聞こえた。

 声の主は、キリヲにもすぐに分かる。ラ・フォリアだ。

 

 「お、おい。今水浴びしているからこっちには来なーー」

 

 少し慌てた様子でラ・フォリアを追い返そうとして振り返ったキリヲは、思わず言葉半ばで口を閉ざして自分の目を疑った。

 

 「ご一緒してもよろしいですか?」

 

 背後にいたのは、予想通りラ・フォリアだ。だが、格好までは予想できていなかった。

 水浴びをするためか、ラ・フォリアも服を着てはいなかった。

 月光に照らされて雪のように白い柔肌を露にしたラ・フォリアの肢体に一瞬目を奪われたキリヲだが、すぐに我を取り戻したように顔を背けて背中をラ・フォリアに向けた。

 

 「………なに考えてんだ。ダメに決まってるだろ」

 「昔は、一緒にお風呂に入っていたではありませんか」

 「年齢考えろっ!」

 

 悪びれる様子もなく言うラ・フォリアにキリヲも声を張り上げる。

 だが、ラ・フォリアに退く気はないらしく、構わずこちらに近づいて来ているのが水の音で分かった。

 

 「こっちを向いてください」

 「断る」

 

 ラ・フォリアの言葉にハッキリと返事を返すキリヲ。

 

 「ならば、仕方がありませんね。こうしましょう」

 

 キリヲが絶対に振り向かない意思を示すと、ラ・フォリアは今度は自分からキリヲの正面に回ってきた。

 

 「お前な………」

 

 呆れ果てたようにキリヲが呟く。

 目の前のラ・フォリアは、大事な部分はそれぞれ両手で隠しているが、それでもかなり際どい状態だった。

 

 「………キリヲ」

 

 最初はふざけているのかとキリヲは思っていたが、今ラ・フォリアが浮かべている表情は真剣そのものだった。

 

 「………貴方は、なにを恐れているのですか?」

 

 ラ・フォリアの口から出た言葉にキリヲは僅かに目を見開いた。

 

 「………仮釈放を受けた時から連絡をくれませんでしたし、なにより今も貴方はわたくしに触れることを恐れているように見受けられます」

 

 ラ・フォリアの言葉に一歩下がるキリヲ。だが、空いた距離を詰めるようにラ・フォリアも二歩前に出る。

 

 「………なにか、わたくしがお気に召さないことをしましたか?」

 

 不安そうに目を瞑るラ・フォリアにキリヲは少し慌てた様子で口を開く。

 

 「そんなことは……ない」

 「ならば、なぜ距離を取るのですか?一体なにが貴方をわたくしから遠ざけるのですか?」

 

 無意識に更に一歩下がっていたキリヲにラ・フォリアが詰め寄る。

 眼前で見上げるように自分の瞳を覗き込んでくるラ・フォリアに数秒ほどキリヲも口を閉ざしていたが、やがて諦めたように話し始めた。

 

 「……ずっと怖かった。お前に会うのが」

 

 自分の顔を見つめてくるラ・フォリアから目をそらしてキリヲは話を続ける。

 

 「………俺は罪を犯した。南宮那月に檻に入れられて俺も考えたんだ、自分の犯した過ちを。どんな糾弾も裁きも受けるつもりでいた。その覚悟はできていた。でも………」

 

 悲痛そうな表情を浮かべてキリヲは、ラ・フォリアの顔を見つめる。

 

 「………お前に拒絶される未来だけは、どうしても想像できなかった」

 

 震える声でキリヲは言う。

 

 「……お前に糾弾されて、拒絶されることを考えると怖くて堪らなかった。お前に見放されたら、もうなんのために生きていけばいいか分からなくなる」

 

 そこまでキリヲが言ったところで、ラ・フォリアはキリヲの背中に両手を回して抱き締めていた。

 

 「………そんなことは、絶対にあり得ません。世界中の誰もが貴方を責め立ててもわたくしだけは、貴方の味方で在り続けます」

 

 謡うように言葉を紡いでいくラ・フォリア。

 

 「貴方が望むなら、わたくしが貴方の生きる理由になります。幾億もの声が貴方を糾弾してもわたくしだけは………」

 

 ラ・フォリアはキリヲの耳に顔を近づけ、囁くように言う。

 

 「貴方の罪を赦します」

 

 赦す、その一言を聞いた瞬間キリヲは大きく心臓が脈打つのを感じた。

 もしかしたら、それはキリヲが心の奥底でずっと待ち望んでいた言葉なのかもしれない。

 

 「ラ・フォリア………」

 

 胸の奥から湧き上がってくる形容しがたい感情を抑え込むように、キリヲはラ・フォリアを抱き締め返した。

 細くて艶やかなその身体は、とても儚く思えて無性に保護欲を駆り立てられる。

 

 「俺はーー」

 

 キリヲが自らの想いを伝えようと口を開いたその時だった。

 

 ガサッ。

 

 誰かが茂みを掻き分ける音が水場に響いた。

 驚いたようにキリヲが音のした方向に視線を向けた。

 そこにはーー。

 

 「き、キリヲ………?」

 

 白いパーカーを来た少年、キリヲにとっても馴染み深い顔がそこにあった。

 世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉暁古城が引き攣った表情を浮かべてこちらを見ていた。

 

 「古城………?」

 

 なぜここに、と言おうとして現在自分がどういう状態にあるのかを思い出した。

 親しい仲のクラスメイトが裸で同じく服を着ていない銀髪の少女と抱き合っている。

 古城から見たらこの場の状況はそんな感じだった。

 

 「…………お、お邪魔したみたいだな」

 

 震える声でそう言いながらバックしていく古城。

 

 「待て、古城。お前がなにを考えているか大体想像つくがそいつは誤解だ」

 

 キリヲが弁解しようと口を開く。

 だが、状況は更に悪い方向へと転がっていく。

 

 「先輩!こんなところで何してるんですか!?」

 

 古城の背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。

 

 「ひ、姫柊か?いや、実はそこにキリヲがーー」

 「振り向かないでください!水浴びしてたから今服着てないんです!こっち向いたら本気で刺しますよ!どうせ生き返るのは分かってーー」

 

 古城の言葉を遮って〈雪霞狼〉を構えながら茂みから出てきた雪菜も古城の視線の先にあったものを見て思わず言葉を失った。

 

 「こ、九重先輩?あの……ここでなにを?……そちらの方は……」

 

 脳で処理しきれない光景をを目にしてパクパクと口を動かす雪菜。だが、すぐさま気を取り直して自分がどういう状態だったか思い出す。

 お互いに服を着ていない状態でキリヲと雪菜の視線が交差した。

 

 「……っ!何見てるんですかっ!?」

 

 声を張り上げた雪菜は、持っていた〈雪霞狼〉を投げ槍の要領で振りかぶって思いっきりキリヲ目掛けて投げつけた。

 

 「危ねっ!殺す気か!?」

 

 風を切って直進してくる〈雪霞狼〉を首を捻って避けてキリヲが抗議の声を上げる。

 

 「だから、こっち見ないでください!」

 

 雪菜は雪菜で自分の体を両手で抱き締めて隠しながら叫んでいた。

 間に挟まれた古城は、どう動いていいか分からずに右往左往していた。

 

 「どういう状況なのかしら、コレ?」

 

 騒ぎを聞き付けて駆けつけたジリオラが目の前に広がる混沌の坩堝と化した光景を見てなんとも言えない表情をする。

 

 「……勘弁してくれ」

 

 天を仰ぐキリヲの呟きが星の散りばめられた夜空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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