ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー 作:五河 緑
天使炎上編Ⅰ
二年前 アルディギア王国
建国以来、初めてとなる反乱を受けて王都は、各地で火の手を上げていた。
そんな、燃え盛る炎の中に彼は立っていた。
右手に持っている銀色の片刃刀が炎の緋色の光を反射して鈍い輝きを放っている。
足元には、赤い血を流す人の骸が転がっている。それも一人ではない。少なく見積もっても数十人の遺骸が、まだ生前の体温を保ったままそこら中に転がっていた。
皆、かつては王家に使えていた宮廷魔術師であり、今回のクーデターの中心になった者たちだった。
だが、今となっては身体を刃で斬り刻まれ、物言わぬ亡骸へと姿を変えていた。
「も、もう止せ!やめろっ!」
骸と炎に囲まれた場所の真ん中で一人の男が目の前の刀を携えた少年に向かって声を張り上げていた。
「我々は、王家に降服を宣言したっ!もう、戦いは終わったのだぞ!」
宮廷魔術師の証しでもある白いローブを纏った男は必死の形相で後ずさりながら叫ぶ。
だが、男の前に立つ少年は相変わらず冷めた表情で男の顔を見下ろしていた。
「……まだ終わっていない。お前達を全員消すまで終わることはない」
男を見下ろしたまま少年が静かに言い放つ。
その言葉に宮廷魔術師の男は絶望する。
「もう十分だろう!?十分殺しただろう!?我々は、もう既に報いを受けたっ!」
懇願するように涙を流して男は少年の足元にすがり付く。
だが、この言葉が少年の怒りと殺意を静めることはなかった。
「こんなもの、あいつが………ラ・フォリアが受けた痛みに程遠いっ!」
激昂したように刀を振り上げる少年。
「死をもって償え」
冷酷にそう言い放つと、少年は躊躇うことなく刀を降り下ろした。
グシャッ、と肉が裂ける音と共に泣き喚いていた男は沈黙した。
「……全員葬る。この手で」
血濡れた刀を死体から引き抜くと、少年は次の標的を探して歩き出す。
「……貴様がポリフォニアの造った人造の精霊遣いか」
少年の足を止めたのは女性の声だった。
この辺り一帯にいる人間は全員殺したと思っていた少年はその声に僅かに驚き、声の主の方向へと顔を向けた。
そこに立っていたのは、黒いフリルのついたドレスに身を包み日傘をさした少女だった。
外見から判断すれば少年よりも年下に見えた。
「………誰だ、お前?」
優雅に立つ黒装束の少女に少年は問いかける。
その問いに対する少女の言葉は短かった。
「貴様の敵だ」
その言葉に対する少年の決断もまた、早かった。
「ならば、殺す」
刀を振りかぶり、少女に向かって駆け出す。
「……やってみろ。小僧」
少女も殺意の籠った視線を少年に向ける。
次の瞬間、少女の背後に黄金の甲冑を纏った騎士が忽然と現れる。
「やれ〈輪環王〉。殺しても構わん」
少女の言葉で黄金の騎士は動き出す。
少年も突然現れた黄金の騎士に臆することもなく刀を構えて斬りかかっていく。
これが、〈聖剣遣い〉九重キリヲと〈空隙の魔女〉南宮那月の出会いだった。
***
絃神島 人工島西部
太陽の強烈な紫外線が降り注ぐ中、絃神島のメインフロートから僅かに離れた人工島西部の倉庫街に大勢の特区警備隊が集まっていた。
倉庫街は、事故でもあったかのように付近の建物は倒壊していて、倉庫街のすぐ側にある人工の防風林も攻撃の余波を受けて樹が数本ほど倒れていた。
「……また、随分と派手に暴れたな。これが、噂の〈仮面憑き〉の仕業か?」
倒壊した倉庫の数々に目を向けながら、キリヲは自分の契約相手に問いかける。
「そうだ。昨晩、同じ姿をした二体が潰し合い、その影響でここら一帯の倉庫が全部崩れた」
炎天下にあっても普段と同じ、黒いドレスに身を包んだ魔女ーー那月は、忌々しそうに表情を歪めながら返事をした。
今回の事件を調査するため、那月は国家攻魔師として現場に来ていた。そして、その助手として連れてきているのが自らが管理している刑務所から引き出してきた囚人二名、キリヲとジリオラだった。
「……犯人は、そこで寝ている子かしら?」
ジリオラが倒壊した倉庫のすぐそばに横たわっている少女に目を向けながら言った。
少女は白い仮面をつけており、着ている検査着のような服は腹部からの出血で一部が赤黒く染まっていて、特区警備隊の医療班に囲まれて応急措置を受けていた。
「そいつは、片割れだ。そいつと潰し合っていた、もう一匹がまだ捕まっていない」
「しかも、これで五件目だ。まったく同じ事件が既に四回も起きている」
那月の説明に被せるようにして一人の男が話に割り込んできた。
彩海学園の制服を着て、首にヘッドホンをかけている男子生徒ーー矢瀬基樹だ。
「……矢瀬?」
「よう、キリヲ」
普段クラスで会っている矢瀬が現れたことにキリヲが驚いたように目を細める。
そんなキリヲに那月が補足説明をした。
「貴様には紹介していなかったな。公社が暁を監視するために派遣した監視役だ。貴様らの事情も知っている」
「………………ただのクラスメイトだと思っていた」
那月の説明に結構本気で驚いていたキリヲだった。
「………演技がうまいな。本気で分からなかったぞ」
「まあ、それが仕事だからな」
キリヲの称賛の言葉に矢瀬が微笑を浮かべて返事をする。
「それで話を戻しますけど、どうやら一連の事件の犯人は魔族じゃなくて人間だ、て言うのが公社の見解なんですよ、那月ちゃん」
「教師をちゃん付けで呼ぶな」
自身をちゃん付けで呼ぶ矢瀬の言い草に不機嫌そうに眉をつり上げる那月だった。
「それと、現場に残されていた犯人の片割れの特徴に内臓の欠損がいくつが確認されていて、横隔膜と腎臓の周辺、いわゆる腹腔神経叢《マニプーラチャクラ》がゴッソリもっていかれてます」
「……喰われたのか」
矢瀬の言葉に那月が不快そうに顔をしかめ、周囲の半壊状態の倉庫に目を向けた。
「ただの人間が空を飛び回って建物を破壊するのか。悪い冗談にしか聞こえん。………まあ、人間でも建物を破壊できそうな奴ならここにもいるがな」
「……言っとくが、これをやったのは魔義化歩兵じゃないぞ」
自分の顔を見て言ってきた那月にキリヲが反論する。
「なぜ分かる?」
「魔義化歩兵は、魔族との一対一の戦闘を想定して作られている。吸血鬼戦を想定した対眷獣モデルの兵装でも使わない限り、建造物を短時間で大量に破壊なんてできない」
キリヲは人工皮膚に包まれた自分の右腕を那月に見せながら説明した。
「……その対眷獣の装備が使われた可能性は?」
「それもあり得ない。もし、対眷獣モデルの魔義化歩兵が戦っていたなら、この程度の被害じゃ済んでいない。ここら一帯吹き飛ばすくらいやっているはずだ。建物を崩す程度の中途半端な威力の兵装は魔義化歩兵には無かった」
キリヲの説明に一先ず納得したのか那月もそれ以上追求してくることはなかった。
だが、これで再び犯人の目星がつかなくなり振り出しに戻ってしまった。
那月が面倒くさそうに溜め息をつく。
「まったく、一番面倒くさいタイプだな。………アルディギアでどこかの馬鹿を捕まえた時を思い出すぞ」
「あの時の続きをここでしたいなら、素直にそう言えよ」
「……口数の減らない奴め」
挑発的な那月の台詞にキリヲが喧嘩腰に返答する。そんなキリヲに答える那月もどこか好戦的な顔をする。
「まあいい。ここは任せたぞ。貴様らで適当に犯人の手懸かりになりそうなものを探せ」
一方的にそう言い残すと那月は空間転移で姿を消した。
残されたキリヲとジリオラに矢瀬が苦笑混じりに声をかける。
「面倒な上司の下で働いてるな」
「……不本意だがな」
キリヲの無愛想な言い草に苦笑いしながら矢瀬も特区警備隊と合流すべく去っていった。
「さて、調べるか」
那月と矢瀬がいなくなった後、キリヲが周囲を見渡しながら呟いた。
「どこから調べるつもり?」
「それを今から考えーー」
答えようと口を開いたキリヲが不意に言葉を切った。
ジリオラの方に向き直ったキリヲの視界に、倉庫街のすぐ側にある林に入っていく一人の少女の姿が映ったのだ。
林に入っていく銀髪の少女の姿が。
「……悪いジリオラ。ここは任せた」
「はあ?なによ突然ーー」
ジリオラの返事を最後まで聞かずにキリヲは倉庫街の東側、すぐ側に隣接する林に向かって駆け出した。
***
絃神島 人工島西部 アデラード修道院跡
(………なんで、あいつがここにいるっ!)
倉庫街の各所にいる特区警備隊隊員を避けながらキリヲは倉庫街の外に向かう。
林の中に入り、木の根を飛び越えて少女が通ったと思わしき道を駆け抜けていく。
魔義化歩兵の機械の脚を持つキリヲは木の根で足場の悪くなった林道を難なく通り抜けていった。
林の中にある林道を一分足らずで走破したキリヲが林を抜けた先で見たのは焼け落ちた修道院だった。
「……こんな所に修道院なんてあったのか」
目の前に建つ旧い修道院を数秒ほど眺めた後、キリヲは修道院に入るべく足を進める。
かなり前に火災で崩れたと思われる修道院は、あちこち崩れていて入るのは難しくなかった。
(これは………動物の臭い?)
修道院の中に踏み込んでキリヲが最初に気になったのがそれだった。
修道院の内部に獣特有の臭いが充満していたのだ。よく見てみると、床のいたるところに毛が落ちていた。
修道院の中心、礼拝堂だった部屋に入ってキリヲはその正体を知ることになる。
「……猫か」
礼拝堂のいたるところから猫の鳴き声が聞こえてきた。そして、礼拝堂の奥に彼女はいた。猫達に囲われるようにして立っている彩海学園の中等部の制服に身を包んだ銀髪の少女だ。
「ラ・フォリア……!」
少女の銀色の髪を目にした瞬間、キリヲは我を忘れたようにかつて想いを寄せていた女性の名を呼びながら少女に駆け寄った。
「どうして、お前がここに……」
少女の目の前にまで近寄り、声を荒げた直後だった。すぐ側にまで近寄ったことでより細部まで見えるようになった少女の顔を覗き込み、キリヲは気付いた。
この少女は、彼女じゃない。
そう気付いた瞬間、キリヲは徐々に落ち着きを取り戻していった。
「あの………どちら様、でしたか?」
突然迫ってきたキリヲに怯えた様子で少女が訊ねる。
「ああ……えっと、キリヲだ。九重キリヲ」
我を忘れて自分がかなりデリカシーのないことをしていたことに今さら気付いたキリヲが気まずそうに答える。
「キリヲさん?………なにかご用でしたか?」
可愛らしく少女が首をかしげて訪ねてくる。
「……………すまん。人違いだった。……君が知り合いとよく似てたものだから」
素直に頭を下げて謝る。
謝罪をした後、キリヲは修道院の中の猫達に目を向けた。
「………これ全部、君が飼ってるのか?」
ここにいる猫の数はかなりのものだ。大雑把に数えてみたが、二十匹以上は普通にいる。
女子が一人で飼うには、少々多すぎる数だ。
「みんな、行くところがないんです。引き取り手が見つかるまで預かっているだけのつもりだったんですけど……」
足元に擦り寄ってきた猫の頭を撫でながら少女が答える。
「………そうか。優しいんだな」
慈しむような表情を浮かべて猫達に囲まれている少女を見て、キリヲも表情を和らげた。
そして、少女の足元にいる猫が警戒するようにキリヲに唸っているのを見て、キリヲは修道院を去るべくきびすを返した。
「悪い、邪魔したな。もう行くよ」
そう言って立ち去ろうとしたキリヲに今度は少女が後ろから呼び止めた。
「あ、あの、キリヲさん」
「ん?」
呼び止められたキリヲが振り返ると、そこでは少女が持っていたハンドバッグから丸い缶詰を取り出しているところだった。
「この子達にご飯あげるの、手伝ってもらえませんか?」
それは、猫の餌だった。
確かにここにいる猫全部に餌をやるのは結構な重労働だなとキリヲは思い、少女の方に歩み寄っていった。
「分かった、手伝うよ。……さっき、驚かせたお詫びだ」
少女から缶詰を受け取り、手際よく蓋を開けていった。よほど、腹が減っていたのか見慣れないキリヲが出した餌でも猫達は、警戒することなく食べていった。
「……そういえば君、名前は?」
まだ名前も聞いてなかったことを思い出したキリヲが猫に餌をやりながら聞いた。
「夏音です。叶瀬夏音と言います」
少女ーー夏音は、缶の蓋を開けながら答えた。
「夏音か。……いい名前だ」
見た目に反して日本人の名前であったことに少しばかり違和感を感じたが、それを表情には出さずキリヲは微笑んだ。
「あの……キリヲさん」
黙々と猫に餌をやっていると、夏音が遠慮気味に訊ねてきた。
「キリヲさんのお知り合いってわたしに似ているんですよね?……どんな人なのですか?」
夏音の質問にキリヲは数秒ほど考え込む。
「………俺の恩人だ。どうしようもない生き方をしていた俺を普通の人間にしてくれた。一生かけても返せない借りがある、俺が世界で一番敬愛している人だよ」
記憶の中の彼女の顔を思い出しながら、キリヲは言葉を紡いでいった。
「大切な………人だったんですね」
キリヲの言葉に夏音も優しく微笑む。
「……ああ、そうだ」
キリヲも静かに頷くのだった。
「そういえば………叶瀬も彩海学園の生徒なんだな」
夏音の服装を見て改めて気付いたキリヲが問いかけた。
「はい。中等部の三年生でした」
「暁妹や姫柊と同じか……」
猫の餌の缶を開けながら今度は夏音が訊ね返す。
「キリヲさんも……その服、彩海学園高等部のですよね」
「ああ、この前転校してきたばっかりだけど」
夏音の問に、この数週間のことを思い出しながら答えるキリヲ。
「……なあ、叶瀬。この猫達の引き取り手とかどうやって探してるんだ?」
目の前の餌を食べている猫を軽く撫でながらキリヲが聞く。
「学校とかで飼える人を探してました。……今度も友達と一緒に探しにいきます」
猫を撫でながら夏音の話を聞いていたキリヲは数秒ほど考えた後、口を開いた。
「……俺も手伝おうか?高等部でも飼える人を探したら結構見つかると思うぞ」
「いいんですか?」
「別にいいよ。学校じゃ特にやることないし」
那月の目の届く範囲にいるために学校に通っているキリヲは、学校で特にやることはなかった。
「じゃあ、今度お願いします」
「ああ、約束だ」
嬉しそうに微笑む夏音にキリヲも笑顔で言う。
その直後だった。
「仕事をサボって女子中学生と逢い引きか?随分と良いご身分だな?」
一番聞きたくない声が聞こえてきた。
恐る恐る顔を上げると、そこには予想した通りの人物がいる。
黒いドレスに身を包んだ魔女、幼い顔に浮かんでいるのは笑顔なのに目が笑ってない。
「仕事もしないでただ飯を食らうクズを世間でなんと言うか知っているか?」
右手に持つ扇子を振り上げる那月。
「穀潰しだ」
降り下ろされた扇子が思いっきりキリヲの脳天に突き刺さる。
「……部下を暴力で従える行為を世間で何て言うか知ってるか?……………パワハラだ」
鋭い痛みを訴える頭を押さえながらキリヲも唸りながら言い返す。
そんなキリヲを鼻で笑う那月。
「いいから、さっさと仕事に戻れ」
那月が問答無用でキリヲの襟首を掴んで修道院の外に引っ張っていく。
「叶瀬、悪い。また今度な」
突然現れた那月に困惑の表情を浮かべている夏音にキリヲが苦笑いしながら手を振った。
「………………」
修道院の外にまでキリヲを引っ張り出した那月が冷たい眼差しをキリヲに向ける。
「……随分と、あの娘に興味があるみたいだな」
「……別にそんなことはーー」
反論してくるキリヲの腹を扇子でどついて黙らせる那月。
「あの娘が腹黒王女に似ているからか?」
「…………」
那月の言葉にキリヲは答えない。
それに構わず那月は言葉を続ける。
「……九重キリヲ。あの娘を腹黒王女の代わりにするのはやめろ」
その言葉を聞いてキリヲの表情が厳しくなる。
「……代わりになんてしていない」
睨むような視線を向けてくるキリヲに那月は、疲れたように溜め息をつく。
「……あいつは、もう俺とは関係ない」
絞り出すように言うキリヲの頭を那月は、扇子で軽く叩く。
「そんな顔をするくらいなら一度本人に会ってみたらどうだ?」
那月の言葉に力なく首を横に振るキリヲ。
「……あんただって分かってるだろ?俺があいつに会いに行くなんて無理だ。……会わせる顔がない」
弱々しくそう言うキリヲの顔には悔恨の表情が浮かんでいた。
この時は、まだキリヲも知らなかった。これから起こることを。
かつて守ると誓ったアルディギアの王女のために再び剣をとることになる未来をキリヲは、まだ知らない。
***
都内某所 太史局本部
同じ国家機関である獅子王機関が高神の杜に本部をもうけているように、魔導災害対策を専門にする国家特務機関〈太史局〉も都内に本部を持っている。
獅子王機関と違うのは、高神の杜のような人目のない田舎にあるのではなく都内の中心に位置していることだろう。
本部自体は、人目につかないように地下に建造されている。
「〈六刃神官〉妃崎霧葉」
「はい」
太史局の本部、その最奥部で初老の男が目の前にかしずく黒髪の少女に声を投げ掛ける。
黒髪の少女ーー霧葉は、頭を下げたまま短く返事をする。
「先の任務、十和田湖に出現した大型水生魔獣〈八岐大蛇〉の討伐、ご苦労だった」
初老の男の称賛を黙って聞き入れる霧葉。
つい先日まで霧葉は任務で東北に行っていた。湖に出現した大型水生魔獣〈八岐大蛇〉、欧州では〈ヒュドラ〉と呼ばれている八つの頭部を持つ大蛇の討伐任務だった。
巨大な体躯と致死性の猛毒を持つこの魔獣を太史局は危険度の高いものと判断し、対魔獣のエキスパートである〈六刃神官〉を派遣したのだ。
霧葉は、派遣されておよそ一週間ほどで〈八岐大蛇〉を討伐。任務を達成して帰投していた。
同期の〈六刃神官〉の中でもずば抜けた才覚を持っている霧葉は通常なら三週間はかかる大型魔獣の討伐をその三分の一の時間で達成して見せたのだ。
その事を太史局の上層部は高く評価していて、初老の男も霧葉に惜しみ無い称賛を送ったのだ。
「……さて、本題に入ろうか」
初老の男がそう言うと、彼の手から一羽の白い鳥が飛び立ち霧葉の前に降り立った。
この鳥は、式神だった。霧葉の手元に来た式神は一枚の紙にその姿を変える。
「そこに記されている男の名に見覚えはあるかな?」
「…………」
初老の男の問に霧葉は答えない。
記されていた名前は『九重キリヲ』。つい先日、霧葉も太史局の諜報員を使って個人的に調べていた男の名だった。
「その男は今、極東魔族特区にいる。国家攻魔官南宮那月の管理下でな」
霧葉の返答を待たずに初老の男は話を進める。
「その男は、かつてアルディギア王国で大量虐殺を敢行した重罪人だ。たった一人であのアルディギアを傾けた男だ。……それが今、国家攻魔局の攻魔官の管理下にある。これは由々しき事態だ」
初老の男の言いたいことが何となく霧葉にも察しがついてきた。
「さらに面倒なことに、獅子王機関も魔族特区に出現した第四真祖に手を出している。すでに人員を送り込んで懐柔策に出ているそうだ」
初老の男が疲れたように溜め息をつく。
「一人でアルディギアと戦える重罪人と世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉を国家攻魔局と獅子王機関がそれぞれ手元に置いている。これは、我々太史局には看過できない問題だ」
初老の男が身を乗り出す。
(……要するにパワーバランスの問題ね)
初老の男の話を聞いて霧葉は内心で呆れたように呟いた。
初老の男が言いたいことは実にシンプルだった。今まで対等だった太史局、国家攻魔局、獅子王機関の三勢力の内、太史局を除く二つの勢力がそれぞれ強力な切り札を手に入れたことが気に食わないのだ。
確かに組織にとって場を覆す切り札という存在の価値は高い。これを持っているだけで発言権も大きくなるのは間違いないだろう。
「……以前から計画していた〈蛇〉はお使いにならないのでしょうか?」
霧葉は頭を下げたまま進言した。
だが、初老の男はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「〈レヴィアタン〉は現在、北海帝国付近の海域を潜航している。我々が手を出せるのは、まだ先の話だ」
初老の男が立ち上がり、側に置いてあった黒いアタッシュケースを手に取って霧葉の前まで歩いてくる。
「〈六刃神官〉妃崎霧葉、汝に任務を命ずる。これより極東の魔族特区〈絃神島〉に赴き、九重キリヲ及び〈第四真祖〉を抹殺せよ」
初老の男の言葉が終わると同時に手元のアタッシュケースが開かれる。
中に入っているのは、先端が音叉のように二つに分かれた槍。
「〈乙型呪装双叉槍〉……」
取り出された長槍を手にして霧葉が感嘆の声を漏らす。
「協力者もいる。絃神島では彼らと協力すると良いだろう」
初老の男が懐から一枚の紙を取り出す。
そこに書かれていたのは企業の名前だった。
『メイガスクラフト』。
「彼らの行っている研究が完成すれば真祖すら殺し得る兵器を生み出すそうだ。彼らを援護して、研究を完成させよ」
言い終わると初老の男は、霧葉に背を向ける。
「行け。目標を排除せよ」
初老の男の言葉に霧葉は、内心で笑みを浮かべる。
(……これは好都合。まさか、こんなに早くチャンスが回ってくるなんてね)
〈乙型呪装双叉槍〉をアタッシュケースに格納する霧葉。
「承りました」
そう言い放つと霧葉は立ち上がり、部屋の外に向けて歩き出す。
「……待っていてね、兄さん。今行くから」
誰にも聞かれることのない霧葉の呟きが虚空に溶けていった。
霧葉の出番を繰り上げることにしました。今回の天使炎上偏から出していきます。
今回は、敵キャラ強化として叶瀬賢生にオリジナル設定付けるつもりです。