いちご100% IF   作:ぶどう

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第三話

 

 人間は他の生物よりも環境に対する適応能力が高いという話を聞いたことがある。

 

 遺伝子がどうとか小難しい話は知らないが、それは事実だと思う。言い換えるなら慣れるということだろう。過酷な環境だろうが緩い環境だろうが、年月が経てば自然と慣れてしまうものだ。

 

 オレがこの世界に迷い込んで早一週間。未だに夢から覚めることはない。それでも一週間が経ってしまえば吹っ切れる。オレはもう一度、学生生活をやり直したいと思っていたじゃないかと。

 

 うだうだと思い悩んだところで状況が改善することもなければ、解決の糸口を掴めるわけでもない。オレは別に何が何でも元の世界へ帰りたいというわけでもなかった。仕事だって代わりはいくらでもいるし、首になったとしても年だってまだ若い。探せば他に働き口は見つかるだろう。

 

 一週間も経てばそんな風に思うようになっていた。これを慣れと言っていいのか達観したと言うべきかは難しいが、それでいいじゃないか。どう考えてたってこっちの世界の方が楽しいし。

 

「しかし内海家って未来に生きてるよな」

 

 学校が終わり家に帰っては呟く。人様の家庭事情に口を挟むのも憚られるが内海家はおかしい。

 

 この体の主の本名は内海翔平。家族構成は両親を含め三人。他に兄弟、姉妹はいない。要するに一人っ子だが、両親は海外出張に出ているらしい。つまりオレは現在一人で暮らしている。

 

 部屋にあった携帯電話のメール履歴や真中との会話で発覚した事実だが、中々楽しい環境だと思う。ぶっちゃけ親なんていたら話を合わせるのもいちいち面倒くさいだろうから助かる。

 

 通帳の帳簿を見るに、毎月決められた日付に纏まった金が振り込まれているようだ。家賃、光熱費諸々は別口で引き落とされているとのこと。至れり尽くせりもここに極まれな状況だ。安い三流ドラマみたいな環境だが満足だ。両親には色々と申し訳ないが、オレが知ったことじゃないし。

 

 そんなこんなで身辺事情をある程度しっかり把握できた。心のもやもやも多少晴れたところで翌朝を迎えれば、家までやって来てくれた真中に向かい軽くジョークの一つでも飛ばしてみる。

 

「────ってなわけでさ。金に余裕ができれば、そのうち家にデリヘルでも呼ぼうと思う」

「デ、デリヘルって内海お前。オレ達まだ中学生だぞ!? そんな金どこにあるんだよ!!」

「日々の生活を切り詰めて捻出する!」

「お、おお。無駄に男らしいな。でもやっぱりさ。初めては好きな相手と結ばれたい……的な?」

 

 快晴の空の下。差し込む朝日を体中に浴びながら真中と猥談に華を咲かせ通学路を歩く。

 

「…………童貞臭い台詞だな。真中」

「はあ!? お前だってそうだろ内海!」

「ああ、はいはい悪かったよ。しかし彼女、彼女か。若い子と話が合う気がしないな…………」

「お前は何をジジ臭いこと言ってんだよ」

 

 元の世界じゃ二十代も半ばに差し掛かっていた。今は中三だから十四か十五歳だろう。

 

 年が離れ過ぎていて彼女を作れるような気がしなかった。せめて高校生ぐらいにならないと対象として考えるのは難しいだろう。それよりも今は学生生活を心行くまで満喫したいと思う。

 

 今日は何があるだろうと考えながら校門を潜る。毎日がとても楽しかった。惜しむべくはもう季節は秋も深く、部活動は引退している時期だ。高校生になれば何かに挑戦したいと決意する。

 

 

 

 

 

 その日もあっという間に授業が終わってしまうと名残惜しくも放課後が訪れる。

 

 気の良いクラスメイト達と談笑を交わし合っては別れ、さあ今からどうしようと考える。真中は謎に『最高の風景を探してくる』と意識高いことを言い出してどこかに行ってしまった。

 

 真中はカメラが好きだからその繋がりなのかな。着いて行こうかとも考えたが、四六時中べたべたしてるのも変な話だ。オレは一人で教室に残り、図書室で借りた本を読みながら時間を潰す。

 

 教室ではなく家で本を読んでもよかったが、放課後の教室は雰囲気が心地良かった。何も書かれていない黒板をボケっと眺めたり、黒板隅にチョークの粉の塊を見つけたり、前の席の机の中に置き勉しているのを発見したり。あり触れた光景がどこか懐かしく、心を温かい気持ちにさせた。

 

 楽しく本を読み進めていたが、やがて秋の日は西に傾き、空は深い茜色に染まる。そうなると教室の電気を消していたせいか徐々に本を読むのが困難になってしまう。教室の電気をつければすぐに解決する些細な話だが、読書を止めるには悪くない切っ掛けだと思っては本を閉じる。

 

 そして大きく一つ背伸びをして立ち上がろうとした際、不意に教室のドアが開いた。

 

「あれ? キミはどうして残ってるの?」

 

 木製の渇いた音と共にドアが開いたかと思えば、その先には西野の姿があった。

 

「なんとなくボーっと本を読んでただけ。西野は何しに来たんだ。クラス違うだろ?」

「そうなんだ。あたしはまだ帰れないから戸締りの確認でもしようと思って回ってたの」

「まだ帰れない? 友達でも待ってるのか?」

 

 そう尋ねると西野は少し困った表情を浮かべながらオレの教室の中へ入ってきた。

 

「少し前にね。あたしのこと可愛いって言ってくれた人には、わかるかもしれないんだけどさ」

「うん」

「あたしってモテるんだ。それは嬉しくもあるんだけどね。良い事ばっかりじゃないんだよ」

 

 そしてオレの前の席に腰掛けると、手に持つカバンをオレの机に乗せては不満気に眉を顰める。

 

 西野の話を聞くに、どうやら他校の男子生徒が西野をお目当てに校門の前まで来ているらしい。流石は学校のアイドルってとこか。そういや高校編ではファンクラブなんてのもあったっけ。

 

「可愛いって言ってくれたのに、ぜんぜんアプローチしてこない人に話しても仕方ないけどさ」

「うん」

「しつこい人って断ってもまた来るから困るんだ。だから校門の前にいる人達が諦めて帰るまで、図書室で勉強してたの。普段は友達と一緒に帰るんだけど今日は友達休みだったから…………」

 

 そう話す西野の瞳は愁いを帯びていた。モテる人にも苦労があるということだろうか。

 

「西野も大変なんだな」

「ホントだよ。ところでキミはなんの本を読んでたの? なんか難しそうな本だけど?」

「昨日、図書室で借りた本だ。論集って言うとお高く感じるが、要はことわざ集みたいなもん」

 

 社会の教師の趣味か。または地域の本好きが図書室に寄与してくれて並んでいたんだと思う。

 

 中学生が好んで読みそうな本ではなかった。その証拠にいつから置かれている本かは知らないが、貸し出されたのはオレが一番始めだった。そのオレも適当に手に取ったに過ぎない。

 

「へえ、ちょっと見せてみて…………って、難しい漢字ばっかりじゃない。こんなの面白いの?」

「面白いってかタメになるな」

「ふーん。そうなんだ。ことわざ集だったね。なら傷心のあたしにタメになる話を聞かせてよ」

「ああ、いいぞ。西野は【塞翁が馬】って話を知ってるか。オレも中々考えさせられたんだけど」

 

 塞翁が馬。有名な故事成語の一つだ。要約して説明するならこんな話である。

 

 要塞の近くに住む老人は息子と暮らしていた。ある時、老人が飼っていた馬が逃げ出してしまい、周囲の人々は不幸を慰めたが、老人はこの不幸は幸福に変わるかもしれないと言った。

 

 それからしばらく後のこと。逃げ出した馬が駿馬を引き連れて老人の下へ帰ってくる。周囲の人々は感心して老人を称えたが、老人はこの幸福は不幸に変わるかもしれないとまた言った。

 

 その言葉が正しかったのか。老人の家は良馬に恵まれ生活も潤ったがある日、老人の息子が乗馬中に事故に遭い足が不自由になってしまう。周囲の人々はこれに同情したが老人はこれが幸福を呼ぶかもしれないと平然と答える。

 

 その後、要塞を巡って戦争が起き、老人の住む村からも兵隊が駆り出され多くの死者を出す結果に終わったが、足が不自由な老人の息子はその戦争へ行かなくてすんだという話である。

 

「昔の偉人はホントに良い事いうよな」

「う、うーん。話が古臭くてピンとこないなあ」

「え、古臭い? ジェネレーションギャップってあるのかな。タメになると思ったが…………」

「ふふっ。なんかその言葉ってオジサンみたい。キミって他の男子よりずっと大人っぽいね」

 

 オジサンと言われると流石にしょ気る。

 

 オレの今の容姿は年相応だと思う。アバウトだが中学生から高校生ぐらいに見えるだろう。それでも言葉の端々にはオジサン臭さが混じっているのだろうか。真中にもジジ臭いって言われたな。

 

「いや、オレはぜんぜんヤングだから。肌もピッチピチで髭だってまだ生えてないし!」

「その言葉もオジサンっぽい!」

 

 なんとか反論しようとしてみるも、再びオジサンと言われしまい頭を抱えて消沈してしまう。

 

 まあ、別にいいけどさ。どうせみんな何れは爺さん婆さんになるんだし。そんな自己弁護の言葉を頭の中で反芻させながら西野を見る。もう西野はいくらか元気を取り戻したようだ。

 

 それなら無駄話をした甲斐もあっただろう。若者が元気を取り戻してくれるなら安いもんだ。そう半ば自虐的に思ったオレは最後に西野へ一声かけてから、そろそろ家に帰ることにした。

 

「追っかけくん達は煩わしいだろうけど、後々それが良い事を引き起こすかもしれない。目先の吉凶に囚われることなく、長い目で見た方が気持ちも楽だと思うぞ。ま、そんなとこかな」

 

 オレは在り来たりな故事成語を話してみたが、もっと良い例え話だってあったかもしれない。

 

 それでもそんなに悪くもなかったんだろう。西野はオレの言葉に小さく数回頷いてくれた。

 

「うん。あたしもそう思うな」

「だろ? 凄くタメになっただろ?」

「放課後、学校に残ったから良い事があったよ。キミと話せて楽しかった。本当にありがとう」

 

 得意気なオレの姿を見て西野は人懐っこい笑みを頬に浮かべては、楽しそうに口を開いた。

 

「いいってことよ。元気になってよかったな」

「うん。今更だけどあたしの名前は西野つかさ。お礼にキミの好きに呼んでくれていいよ」

「よろしく西野。オレは内海……翔平。好きに呼んでもいいけど、名前じゃ反応鈍いかもしれん」

「ぶー。内海くんって大人っぽいけど、女の子の扱いは下手だよね。なんていうかさ─────」

 

 いくらか西野と話し込んでいたせいか、外はもうすっかり日が落ち暗くなっていた。

 

 過激な追っかけの話を聞いた以上、こんな暗さを西野一人で帰らすのは不味いだろう。中学だし家は学校から近いはずだが、少なくとも家が見える場所までは送るのがマナーだと思う。

 

「そろそろ帰るか。暗いし家まで送っていくよ」

「内海くんはそもそも─────。って、送ってくれるの? 嬉しいけど……ホント急だね」

「ん? まあ、話の続きは帰りながらするか」

「そ、そうだね。それじゃ……帰ろうっか」

 

 なんだか途端に慎ましくなる西野。送ってもらうともなると遠慮深くもなるものか。

 

 その後は西野と一緒に帰宅路につく。校門を潜る際には少し気になったが、もう追っかけ連中も帰ったようだ。秋も深まれば夜の風も冷たく、それは冬が近づきつつあることを示唆していた。

 

 西野と他愛の無い話をしながら歩く。話をしながらオレは夕飯の献立を適当に考えたり、原作の始まりはいつなんだろうと真剣に考えたりしていた。原作の始まりを告げる真中の勘違い告白は止めるべきだろうか。それとも水の低きに就く如く、当然のこととして見届けるべきなんだろうか。

 

「…………ねえ。内海くんって携帯持ってる?」

「おう、持ってるぞ」

「中学生で持ってる人ってレアだよね。それで……さ。内緒だけどあたしも携帯持ってるんだ」

「ふーん。なら西野もレアなんだな」

 

 勘違いは止めるべきだと思う。それでも躊躇っているのは物語の結末を知っているから。

 

 幸いなことにまだ時間はある。勘違いを止められるかどうかは別としても、どうしたいかぐらいは当日までに決めておくべきだろう。その前に東城とも一度、話をしてみたいと思う。

 

 なんだか突然機嫌が悪くなった西野を家まで送った後で、土地勘の無い場所をさ迷い歩きながらオレはそんなことを考えた。秋という季節は短く、夜の間でさえも四季は移り変わっていく。

 

 


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