いちご100% IF 作:ぶどう
遥か昔の偉人が残した説話に胡蝶の夢というのがある。夢の世界で蝶となった男の物語だ。
男は夢の世界で蝶となっては、人間であることを忘れ喜々として優雅に舞っていた。やがて目覚めた男は自分は夢を見ていたのか。はたまた今の自分は蝶が見ている夢なのかと考える話。
まあ、考えるまでもなく男が蝶になる夢を見ていただけのことだが、その男の心境が今のオレにはなんとなくわかる。蝶となったわけではないが、ある意味それと同じぐらいの不思議体験だ。
まさか夢が二日目に突入するとは。最初からやけに現実感のある夢だとは思っていた。腹も減っては眠気も襲ってきたし、夢特有のぼんやりとした感覚もなかった。たまたま偶然、永い夢を見ているだけ。楽しい夢の中とあって深く考えない様にしていたが、一体どういうことだろうか。
「いや、二日ぐらいあるのかな。法螺かもしれんが夢の中で一週間過ごしたって話も…………」
首を傾げては思い悩む。でもまあ、次の瞬間にはもう夢から目覚めてるかもしれない状況だ。
長々と熟考を重ねた挙句、結局ただの夢でしたなんてオチは悲しい。それだと損をした気分になってしまうだろう。今日一日は様子見してもいいか。どうせ焦ったってどうしようもない。
「どうした内海。朝から元気ねえじゃん」
「おお、真中か。そうだよな。真中がいるんだもんな。オレなんで真中と喋ってんだろう?」
「おいおい、どういう意味だよ!」
昼休みになってようやく一つの結論を出した所で、真中が席へとやって来て声をかけてきた。
この内海という男は真中と仲が良いらしい。二日前に原作は全巻読み返したが、内海なんて男が居たような覚えはない。それとも読み飛ばしただけでモブAぐらいのポジションでいたのかな。
真中の中学時代の友人ポジションといえば強面の小宮山とイケメンの大草がいる。だが昨日今日と二人の姿は見えない。別に脇役なんで大して興味はないが、真中に尋ねても『そんなヤツいたっけ?』なんて真顔で返される有様。なんでだよと思いはしたが、居ないなら居ないで構わない。
「それより内海。例のアレを持ってきたぞ」
「なんだよアレって。アレじゃわかんねえよ」
「なに照れてんだよ。ほら周りにバレたらマズいからさ。こっそりカバンに入れとくぞ…………」
こそこそと真中は囁くと自分の背に手を回して一冊の本を取り出した。
そして周囲の様子を注意深く窺ってはその本をスッとオレのカバンへと投げいれる。仕事を終えたかのように一息つく真中。本が気になったオレはすぐカバンに手を入れては取り出してみる。
「お、グラビア雑誌か。良い趣味してんな」
「ば、馬鹿! ここで広げちゃヤバいって!」
立ち上がった真中がデカい声を出すもんだから、教室中の視線がオレと真中に注がれる。
オレは周囲をチラッと見ると、そのまま静かに本へと視線を戻した。一つ大きくアクビでもしながらパラパラとページをめくっていく。心なしか性欲が増えているような気がした。
──お、おい。内海の読んでるアレって。
──ああ。隠すどころか堂々と読んでやがるぜ。
──やっぱり男子ってスケベ―!
──ねー。でも内海くんぜんぜん物怖じしてないよね。ひょっとすると普通の本なんじゃない?
なんだか外野がやかましい。別にエロ本を読んでるってわけでもないってのに大袈裟だ。
グラビア雑誌のモデルも元の世界じゃ見たことがない女ばかりだった。知っているグラドルが載っていたらそれはそれで妙な感じもしそうだが、多分ここも原作漫画の基準なんだろう。
しばらく周囲の喧騒を耳にしながら雑誌を読み進めていると、ふとした瞬間に喧騒の質が変わったことに気付く。先生でも来たのかなと顔を起こして見れば、クラスメイト達の視線が教室の前扉へ向けられていた。つられてオレも視線を送れば、そこには学校のアイドル西野がいた。
本名は西野つかさ。道を歩けば誰もが振り返る程の美少女だ。珠のように綺麗な肌。ショートヘアの髪は金色に染まり、ぱっちり開いた瞳は宝石のように澄んだ輝きを放っている。西野の容姿を褒めるとキリがない。枚挙に暇がないとでも言っておけば、多分それで多くの人は頷くだろう。
「コラコラコラ! キミたちのことだね。教室で堂々とエッチな雑誌を見ている二人組は」
西野が教室へとやって来れば男子だろうが女子だろうが視線は西野に集まった。
スター性とでも表現するべきだろうか。真中は西野を見ると瞬時に顔を赤く染めては息を呑む。気持ちはわからなくもない。オレも中学時代にこんな子がいたら間違いなく一目惚れしている。
「デマじゃないか。これはエロ本じゃないし」
「ホント? それじゃあ見せてみて…………っ! やっぱりエッチな雑誌じゃないの! ばか!」
「見解の違いだ。R指定でもない。これは女子がボディービルダーの雑誌を見るようなもんだな」
「そんな女子いないわよ! それに学校に私物の持ち込みは禁止されてるの。知ってた?」
風紀委員みたいなことを言い出す西野。中学時代に風紀委員なんてあったっけな。
「若さを抑えきれなくてつい。ごめんなさい」
「え、いや、今の流れで謝られても困っちゃうじゃない。なんだかやらしい響きにも聞こえるし」
「ってかオレの私物じゃないぞ。なあ、真中?」
少し悪ノリをして西野に雑誌を見せてやると、初々しい反応が返ってきた。
その流れで真中にパスを送ってみるも、こちらは反応が鈍い。真中はボーっと顔を赤くしたまま西野に見惚れていた。原作ヒロインの一角だもんな。やっぱりインパクトが強いんだろう。
「これはキミのなの?」
「え? あ、ああ。どうだっけな。はははっ」
西野に声をかけられた真中はいくらか挙動不審に答える。ある意味これも初々しい反応だ。
オレも昔は可愛い子と話す時なんて無駄にカッコつけたりしたっけ。他にも必要以上に声を張ったり、早口になったり、普通にしているつもりでも目を合わせられなかったりしたもんだ。
「ならやっぱりキミのかな?」
「オレのでも別にいいぞ。その代わり持って帰るけど。まあ、どの道オレが持って帰るのかな」
「ふーん。そうなんだ。やっぱり男子ってエッチだね。っていうか、キミってなんだか…………」
そう言うと西野は一歩前へ出てはしゃがみ、椅子に座るオレの顔をその大きな瞳で覗き込む。
じゃがんだ拍子に西野の短い髪が僅かに靡けば、甘い香りが風に乗って運ばれ鼻腔をくすぐる。美少女はアップで見ても美少女だと思った。
「昨日が初めてかな。話しかけてくれた時も思ったけど、キミってちょっと変わってるよね」
「そうか?」
「うん。あたしと話す男子ってさ。顔を赤くしたり目が合わなかったりすることが多いんだ」
「まあ、そうだろうな。だって西野可愛いし」
オレの言葉に西野は驚いた表情を浮かべては、ほんの少しだけ頬を赤く染める。
こんな台詞なんて散々聞き飽きるぐらい言われてるはずなのに、どうしたのだろう。西野は自分の唇に指をあてると考える仕草をする。そして少し意地悪に微笑んではその口を開く。
「意表をつくアプローチは中々良かったかな。でも言葉足らずだから70点ってところだね」
「なんの話だ? ちなみに合格点は?」
「ふふっ。そんなの決まってるじゃん。あたしを口説き落とすんだったら100点取ってよね!」
今度は咲いた花のような華やかな笑顔を浮かべるとポンっと立ち上がる。
「それじゃあ昼休みも終わるから、あたしは自分の教室に戻るね。エッチなのもほどほどに!」
「ん? ああ、よくわからんが気をつけてな」
西野はウインクすると満足そうに去って行った。よくわからんが、やっぱり華やかだ。
外野も西野が去って行けばもうオレが読んでるグラビア雑誌の関心も無くなったようだ。みんなそそくさと午後の授業の準備を始めたので、オレも雑誌をカバンにしまって背筋を大きく伸ばす。
一先ずは余計なことは忘れて今日を楽しもう。そんなことを考えていると、まだ真中が席に戻らずに突っ立っていることに気づく。こいつはいつまで西野の残像に見惚れているのやら。
「おう、真中。そろそろ席に戻れよ」
「しかしスゲー良いモノ見ちゃったな…………」
「真中? どうでもいいけどヤバい顔してるぞ」
「なにスカしてんだよ内海。お前だって見たんだろ? ったく、隠さなくてもわかってるぞ!」
一体なんの話をしてるんだ、と尋ねるとニヤけた真中はオレに耳打ちをしてきた。
「お、おう。そりゃよかったな…………」
「本当だよな! それじゃ午後も頑張ろうぜ!」
どうやら西野がしゃがんだ拍子に、スカートの隙間からパンツが覗き見えていたらしい。
いちごパンツだったな、と真中は聞いてもいないのに詳しく教えてくれた。原作のタイトルにも入っているフレーズを、こんな嬉しくない形で耳にするとは思わなかった。
オレは下がったテンションのまま午後の授業を受けながら、ぼんやり窓の外を眺める。そして思い出す。真中は屋上で見たいちごパンツの美少女を西野と勘違いし、誤って告白したはずだと。
あの美少女は西野ではなく、もう一人のヒロインである東城だ。原作の開始を告げるそのイベントが何月何日に起こるのかは知らないが、もし真中が間違いに気づいていたら、歯車は変わるのだろうかとぼんやり空想に耽ってみる。