フロンティアを駆け抜けて   作:じゅぺっと

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5VS6!ZワザVSメガシンカ(2)

「あ、れ……?私……」

 

 漆黒の腕に包まれ、しばらく何も見えなくなっていたジェムが目を覚ますと、いつの間にか見慣れたおくりび山にいた。自分の傍にいたポケモン達も、あのシンボルハンターもいない。

 

「なんで?私、確かにさっきまでポケモンバトルを……してた、よね?」

 

 あれ、そうだったっけ?とジェムは思う。まるで夢から覚めた時のように、さっきまではっきりしていたはずの記憶がぼやけて、曖昧になっていく。シンボルハンター、というのがどういう存在だったかも思い出せない。自分はバトルフロンティアにいて、誰かと戦っていたことははっきりしているのだが。

 

「うーん……大事なことのはずだったのに、なんではっきりしてないんだろ」

 

 周りを見渡してみる。霧がうっすらと周りを覆っていて、草花が静かに咲いている。草むらにはカゲボウズやロコンの姿が見えた。自分のよく知るおくりび山の景色だ。変わったことと言えば、自分が何か魔法陣のようなものの中心に座っていることと、体がおくりび山の天辺から一番下まで往復した後のように疲れていることか。

 ぐったりした体を起こそうとすると、何やらひどく険しい顔をした大人たちがやって来た。

 

――貴様、この程度の術をまた失敗したのか!?

 

 

――本気でやりなさい!!

 

 二人の大人は、口々に激しい叱責をジェムに浴びせる。何のことかわからず、また他人に激しく責められたこともないジェムはただ戸惑いの表情で大人たちを見ることしかできない。

 

「え?お爺様に、お婆様……?」

 

 そのうち二人の顔は、少し自分の祖父母に似ていた。尤もジェムの知るそれよりは一回り若かったが。ぽかんとしているジェムに苛立ったのかその二人は魔法陣の中に入ると、ジェムの腕を無理やりつかんで思い切り引っ張った。ジェムは思わず抗議する。

 

「い、痛い!何するの!」

 

――出来損ないのくせに、親に向かって偉そうな口を利くな!

 

――意識を乗っ取られた影響がまだ残ってるのかい?どこまでも愚図な娘だね!教育しなきゃいけない私たちの身にもなってほしいよ!

 

 祖父に似た男は、無理やりジェムを魔法陣から引きはがし一旦腕を引きずるのをやめる。ジェムは思わず疑問を口にした。してしまった。

 

「な、なんでこんなことするの……?」

 

 困惑の表情を浮かべるジェムを見て、憤怒の表情を浮かべる男は、ジェムを掴む腕を離し、座り込むジェムの体を蹴り飛ばした。

 

「あぐっ……!やあああああ!!」

 

 仰け反って悲鳴を上げ、涙を流すジェム。だがそれに反響するように何度も何度も足蹴にする。周りの大人たちは止めるそぶりすらなく、むしろジェムをゴミを見るような眼で見ていた。声を上げることすら出来なくなると、ようやく留飲が下がったのか足を止める。

 

――なんでこんなことをするかだと?忘れたなら教えてやる。お前をおくりび山の後継者にしなければならないからだ。俺とて、わざわざこんなことはしたくない。

 

 それを聞いて、ジェムはこの男の人も本当は暴力なんて振るいたくないけど無理やりやらされているのかと思った。全身の痛みのせいでそれを口にすることは出来なかったが。だが、それは根本から誤っている。

 

――そうよ、本当なら誰があなたみたいな能無しをわざわざ育てようなんて思うもんですか。シリアがいてくれればあなたなんて跡継ぎさえ産んでくれればいいだけの道具だったのに……

 

 二人はジェムの事を娘だと言う。だがそこには温かさなど微塵もなかった。ただ、後継者にするために育てているだけ。本当はそのつもりさえなかったと本人の前で平然と口にしている。

 

「わ、私……あなたたちの娘じゃない。私のお父様とお母様は、こんなこと言わない……」

 

 震える声で否定する。こんな人たちが自分の両親だなんて、認められない。これではあまりにもひどすぎる。また蹴り飛ばされると思っても、口にせずにはいられなかった。それを聞いた二人は舌打ちして、男の方がまた無理やり腕を掴んでジェムの体を引きずった。ジェムの服が土で汚れていくことも、なんら気にしていない。ジェムの住んでいたはずの家の中に入り、部屋の一つへ連れていく。

 

――もういい。意識がはっきりするまでここにいろ。自分が俺たちにふざけた口を利いたことを理解するまで飯は抜きだ。

 

――明日もう一度この術を試すからね。今度失敗したら承知しないよ!

 

 そう言ってジェムを放り出し、耳をつんざくような音で襖を閉める。一人きりになったジェムは、しばらくあまりの理不尽に涙を零すことしか出来ない。

 

「なんで……?なんであんなひどいことが、自分の子供に出来るの……?」

 

 怖かった。あんな悪意と侮蔑を誰かに向けられるなんて初めてだった。ダイバでも、何か言えばとりあえず手は止めてくれた。譲歩してくれた。だがあの二人にはその素振りすらなかった。確かにジェムの事を娘だと認識していたのに。それが信じられなかった。

 

「ここ、本当におくりび山なのかな……それに、なんであの人たちは私のことを娘だと思ったんだろ」

 

 暫く恐怖感が収まるまで泣き続けた後、自分の状況を確かめるためジェムは部屋の中を見渡す。時計がないためどれくらい泣いていたかはわからない。部屋は数ヶ月は掃除をしていないように汚く、周りにはお菓子の袋が散乱していた。ぬいぐるみや遊び道具は全くなく、布団は敷きっぱなしで萎れている。家の外観は自分の知るものと同じだったし、この部屋もジェムの記憶では自分の部屋だし広さは同じだが、明らかに様相が違っている。

 

「やっぱり、私の知ってる場所じゃないのかな……?」

 

 だけど、確かに二人はここをおくりび山だと言っていた。ジェムは後継者だとも。山の景色も家も一緒というのはさすがに別の場所とは考えにくい。頭を悩ませていると、突然眩暈がして、一瞬意識が途切れる。目を開けると、ジェムは同じ部屋でおかしの袋を抱えて座っていた。襖が大きな音を立てて開かれる。ジェムはまたさっきの二人が自分を怒鳴りに来たのかと思った。

 

――くそがっ!!なんで俺がこんなことしなきゃなんねーんだ!!なんでてめえはぬくぬくと菓子食ってんだよ!おかしいだろうが!!ああ!?

 

 だが、現れたのは大人ではなくジェムより少し年上の少年だった。真っ黒な髪に、鋭い夜叉のような眼。それが自分を憎悪の目で見ている。少年はジェムの髪を無理やりつかむと、わざと引っ張るように持ち上げる。

 

「ぐ……」

 

 はっきり抵抗することも出来ず、無理やり正面に向かい合わされる。少年はジェムに向かってはっきりこう言った。

 

――俺はこんなところで一生を終えるつもりはねえ……ここの管理はルビー、テメエがやってろ。

 

「え……?」

 

――はっ、自分には関係ありませんってか。でもスペアはスペアらしく、俺の代用品として生きてりゃいいんだよ。じゃあな!!

 

 少年は、ジェムの事をはっきりルビー、つまりジェムの母親の名前で呼んだ。ジェムの体を突き飛ばし、少年は部屋から出ていく。しばらくぽかんとしていたが、何となく自分の状態がわかってきた。

 

「これってもしかして……お母様が、子供の時の記憶?」

 

 ジェムの母親であるルビーはおくりび山の後継者で、優れた才能のある兄がいなくなってしまったので自分が継ぐことになった聞いている。昔は両親に『意地悪』されていたこともあると。それはこの状況と一致する。二人の大人も、あの少年も、たまたまその時だけあんな態度を取っていたとは思えない。ずっとこんな日々を母親は過ごしていたのだろうかと思うと、すごく胸が苦しい気持ちになった。

 

「でも、じゃあお母様は毎日毎日こんな目にあってたの?」

 

 自分がそんな日々を過ごしていたらと思うだけで恐ろしかった。考えたくもない想像に支配されていると、また視界と景色が歪んでいく。

 

 

「……あれ、外に、いる?」

 

 一瞬意識が消え、目を覚ますと家の玄関にいた。ドアを開けているのでおくりび山の景色が見える。でも見え方に違和感があった。いつもより目線が高くなったせいだと気づくのに、数秒かかった。それを意識すると、突然お腹が痛くなったのとは違う吐き気に襲われる。

 

(う……なに、これ)

 

 やはりジェムの感じたことのない苦しみだ。それにさっきと違って今度は声に出ることはなかった。勝手に口元を抑える自分を、一人の青年が心配そうに声をかける。

 

――大丈夫か、ルビー?やっぱり家の中に戻ったほうがいいんじゃないか。

 

 それは、ジェムの父親の声だった。傍によって体を支え、優しくルビーを労わる態度は紛れもなく本物だと確信する。すると、ジェムの体が勝手に言葉を発した。

 

――いいんだ、不安になったときは、ここに来ると少しマシになるからね。

 

 自分の口から出た声は、やはりというべきか母親のルビーで間違いない。さっきはルビーの子供の時の記憶だったが、今は20くらいの大人になっているようだ。

 

――やっぱり、怖いか?

 

 ジェムの父親であるサファイアは、ルビーの背をさすりながら聞く。するとルビーは、自分のお腹に手をあてて自嘲した。

 

――情けないよね。ボク……いや、私が自分で決めて臨んだことなのにこの子が生まれた後のことが怖くて、仕方ないよ。

 

 サファイアもルビーのお腹の方を見る。ジェムがそちらに意識をやると、ルビーのお腹は少し膨らんでいるのがわかった。

 

(ということは、まだ私がお母様のお腹の中にいた時の記憶?)

 

 ジェムは一人っ子なのでそういうことになる。そうなると気になるのは、母親がジェムが生まれた後のことが怖いと言っていることだ。

 

――私は、サファイア君……いや、あなたにこの場所で好きだと言ってもらえてから、ようやく愛情っていうモノを信じることが出来た。私があなたを好きな気持ちも本物だって誓える。でも、自分の子供のことはどう思うのか、わからないんだ。気持ち悪くなるたびに、本当は私も両親と同じように、この子を疎んじているんじゃないかって思ってしまうんだよ。

 

 ルビーは自分のお腹を、そこにいる自分の子供を思いつめた瞳で見つめる。そこには、ジェムの無条件に信じていた愛情は感じられず、ただ戸惑いだけがあった。

 

――大丈夫だ。ルビーは少し不安になってるだけで、疎んじてなんかいない。

 

――そうなのかな。私はあなたみたいに両親に愛されて育ったわけじゃない。私は結局、自分を愛してくれるあなたの事しか好きになれない出来損ないかもしれない。今お腹にいる子の事なんて、これっぽっちも好きじゃないんじゃないかな?

 

 ジェムの、ルビーの瞳が潤んで視界が滲む。俯いて肩を震わせる。

 

(お母様は……私のこと、怖がってた?好きじゃ、なかった?)

 

 お前は母親に愛されてなんかいない。それ言われた記憶が蘇る。誰に言われたかは思い出せないが、それはただ聞いただけの時よりもずっと信ぴょう性を持って胸に突き刺さる。

 

――――。

 

――――。

 

 両親の声が聞こえなくなる。サファイアは、必死にルビーを励ましているようだった。ルビーは少しだけ笑ったが、やはり明るいものではなかった。信じていたものを覆されていくことに淀んだ感情がジェムの心を覆っていく。するとまた、視界が歪んで意識が消えた。

 

 

 

 

「……」

 

 意識が戻り、目に映ったのはやはりおくりび山の景色だった。ジェムは何か自分の立っていた足場が崩れていくような感覚に襲われながら、周りを見る。視線の先には、フロンティアに行くよりもっと前、手持ちももらっていないころの小さな自分と、師匠であり兄であり友人であるジャックがいた。ジェム自身が覚えているように、いつも通りジャックに遊んでもらっているようだ。自分の体が勝手に洗濯物を干すために動いているが、間違いなくそれはこの時のルビーがそうしているからだろう。

 

――あのね、今日はおとうさまがぼうえいせんをやってるところをテレビで見たの!

 

 幼い自分が、無邪気に父親のことをジャックに語る。ジェムの普段の楽しみはジャックに遊んでもらうことやルビーにたまに本を読んでもらうことなど色々あったが、一番は父親でありチャンピオンのバトルを見ることだった。それを見ると、ジェムは数日はずっと笑っているくらい楽しくなれた。

 

――ジェムは相変わらず彼が大好きだねえ。

 

――うん!わたしもおとうさまみたいにみんなを笑顔にするポケモンバトルが出来るようになりたい!

 

――僕も、それを楽しみにしてるよ。じゃあ今日は何しよっか?

 

――アルプス一万尺がいい!

 

 ジェムは元気よく掛け声を出し、ジャックと手遊びをする。時折父親のバトルの話を交え、ジャックもサファイアの昔話をする。それを自分は、いやルビーは寂しそうな目で見ている。

 

――私は、あんな風にあの子と遊んであげることが出来ない。

 

 びくりとした。この時自分はもう生まれているはずなのに、ジェムが聞いたことのないほど冷たくて悲しい声だった。

 

――あの人のようにポケモンバトルで楽しませてあげることも、ジャックのように色んな遊びを教えて一緒に笑ってあげることも、私には出来ない。毎日なんとか家事をこなして、寝る前に少し話をしたり本を読んであげるくらいしか出来ない。

 

 その声はとても苦しんでいた。ジェムの事で、苦しんでいた。ジェムが、ルビーを苦しめていた。

 

――お父様は、やっぱりすごいね!子供の時からお母様やいろんな人を助けて、笑わせてあげてたんだ!

 

 視線の先の小さなジェムは、無邪気に、残酷にサファイアだけを褒め称える。勿論ジェムは母親のルビーの事も大好きだ。でも、父親のような尊敬の対象とはまた違った。どちらかといえば、父親が助けた人間の一人であり、むしろ強い人ではないと思っていた。大きくなったら自分も母親を助けてあげたいと、無自覚に見下げていたとも言えるのかもしれない。

 

――ねえ、サファイア君。やっぱり、ボクは間違っていたのかな。親が子に向けるべき優しさも、子供の遊びの楽しさもわからないボクは、こんなもの求めるべきじゃなかったのかな?

 

 視界が滲む。ルビーは泣いているようだった。視線の遠く先にいるジェムは、気づきもせずに父親のことを話している。

 

――あの子の笑顔が、苦しい。あの子に、どんな顔を向ければいいのかが、いまだにわからない。あの子を産まないほうが……ボクは、幸せだったかもしれない。

 

(――――――!!)

 

 決定的な一言だった。さっき男や少年に蹴られたり突き飛ばされた時とは比べ物にならないほどの、鈍器で頭を何度も殴られたような強烈な眩暈と苦痛が襲った。自分の心が、ルビーの身体から離れていくのを感じる。

 

(そう、なんだ……お母さま、私のことなんて……)

 

 胸が張り裂けそうだったけど、夢の中をふわふわ浮いているようなジェムの意識は泣くことが出来なかった。ただひたすら、自分の信じていたものが木っ端微塵に砕けたことだけを考えていた。どう考えても、自分が見てきた母親の顔と今見た母親の一連の記憶からは一つの結論しか浮かばなかった。

 

(好きじゃ、なかった。お母様は、私なんていないほうがよかったんだ)

 

 意識は薄れ、再び目の前が真っ暗になる。ジェムの意識は、現実に引き戻されていった。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 ジェムの意識が、現実に帰る。夜の墓場、視線の席にいるフードを被ったシンボルハンターを見て、自分が何をしていたか思い出した。闇に覆われ、体を黒く染められながらもメガヤミラミとメガクチートは自分を守っていてくれた。

 

「ようやくお目覚めか。真実を知った感想はどうだよ?」

「……」

 

 シンボルハンターはジェムを嘲笑うように言葉を放つ。あの技に取り込まれる前の自分なら食って掛かり、許せないと思って戦ったはずだ。だけど、ジェムは動けない。彼は嘘なんてついていなかった。騙されていたのは……いや、勝手にジェムが勘違いしていただけだったのだ。どう接していいかわからず本心を隠していた母親の態度を、勝手に愛されていると思い込んでいただけだった。ダイバにあなただってお母様に愛されているなんて言ったことも、ただ妄想を押し付けているにすぎなかった。

 

「打ちのめされたかよ。だったらもう降参するか?続けるってんなら容赦はしねえ。だがそんな状態で俺と戦ったところでお前の負けだ。せめて自分のポケモンが傷つく前に諦めるのが優しさってやつじゃねえのか?」

「あなたの言うことは、間違ってなかった……でも、私はポケモンバトルをやめたりなんてできない。お父様みたいに……」

「お父様がそんなに偉いかよ。自分の妻と娘がこんな歪な関係だって知っててもみんなを笑顔にするっていう仕事を優先するチャンピオン様がよぉ!」

「……ッ!!」

 

 否定したかった。自分の父親まで否定されたらもうジェムを支えるものはなくなってしまうから。でもできなかった。だってさっき見た記憶の中の父親は、少なくともルビーの苦悩を知っていたのだから。そしてチャンピオンとしての仕事を全うし続けたことは、ジェム自身がはっきり覚えているのだから。

 

「お前の父親はバトルを見に来た客みんなを笑顔にした。お前の母親に愛情を与え、お前の師匠の絶望を抑えた。……でもな、それですべてが解決したわけじゃねえんだよ。お前が両親に見てた進化の光なんて虚構なんだよ、全貌の闇の前にはな!」

「う……うう…………」

 

 ジェムは戦うとも降参するとも言えず、ただ泣きじゃくる。何か言いたいのに頭が真っ白になって、嗚咽が引きづって、何も言葉を発することが出来ない。今見た映像なんてあなたが作った嘘っぱちだって叫びたかった。でも、墓場まで追いかけられた時の声なんて比べ物にならないほど、一連の記憶には真実味があって、自分の知らない母親の感情が伝わってきて。あの胸の痛みが嘘だなんて言えなかった。

 

「……んで?てめえはやってきたと思ったら背後霊みたいに見てるだけかよ?」

 

 泣きじゃくるジェムの方を見たまま、シンボルハンターは舌打ちした。蹲って泣きじゃくるジェムの後ろには、いつの間にか一人の子供が立っていた。涙でほとんど機能しない目で後ろを見ると、そこにはぼんやりと白い塊があった。

 

「君は相変わらず言い方はあれだけど……いずれは知らなきゃいけないことだったからね。それは、僕が助けるべきことじゃない」

「チッ、相変わらず弟子にも残酷なのは変わらねえな」

 

 後ろの声の主は、ジェムの師匠であるジャックに他ならなかった。ジェムの両親を知っている彼でさえ、ジェムの感じたものを嘘だとは言わなかった。そのことがまたショックで、ジェムは声を上げて泣いた。どれくらいたてばこの気持ちが収まるのかもわからなかった。

 

「……そのままでいいから、落ち着いて聞いて」

 

 ジャックは昔のように、優しい声でジェムに語り掛ける。無理に泣き止ませようとはしない。ジェムも涙を流しながら、意識だけを向ける。

 

「彼の言う通り、今まで君はあの二人に夢を見ていた。僕は直接確認してはいないけど、君の見たものは事実で間違いないと思う」

 

 ジャックの言葉は、ジェムに受け入れてもらおうとしているのが感じ取れた。残酷で、厳しい優しさだった。

 

「君は自分の父親の力は無限で、全てを幸せに出来ると思っていたよね。でもそれは夢幻に過ぎない。20年頂点を守るリーグチャンピオンだって、人間である以上その力は幽玄で有限なんだ」

 

 そっと、ジャックはジェムの肩に手を置いた。ジェムの肩が怯えて跳ねる。

 

「君自身だってそうだよ。ジェムは自分の事を偉大なチャンピオンの娘だから、それに負けない凄いことが出来る、出来なきゃいけないって思ってた。だから必要以上に父親の事だけ見てた。でも、そんな風に気負わなくたって、ジェムは自分のしたいことをしてよかったんだよ」

 

 これらの言葉は、他ならぬジェムの父親に命を拾われたジャックには言う権利のなかったこと。誰かがジェムの抱いている幻想を壊してくれなければ、ジェムの心には響かなかったことだ。

 

「だけ、ど、私……どうす、ればいいの……?」

 

 ジェムはすすり泣きながら、ジャックに聞いた。ジェムが今まで頑張ってきたのは全部父親に近づくためだから、それを否定されてしまえばフロンティアにいる理由さえなくなってしまう。

 

「残念だけど……それは僕には答えられない。僕だって、昔唯一の生きる理由であるバトルが楽しめなくなって自殺しようとした人間だからね」

 

 突き放したとも言えるような答え。ジャックはすぐに続ける。

 

「君の父親は僕の自殺を止めた。僕に生きていてほしいし、楽しいこともあるはずだってね。事実彼とのバトルや彼のバトルを見るのは楽しかった。でもそれは、あくまで理由をなんとか思い出させてくれただけだった」

 

 シンボルハンターが言った、全てを解決したわけではないという言葉を肯定するジャック。肩を震わせて怯えるジェムに、ジャックは穏やかに言う。

 

「だけどね、ジェム。僕は君の言葉でようやく本当に救われた気がしたんだよ」

「え……?」

 

 ジェムが顔を上げる。ジャックは優しい顔……まるで泣き虫な妹を見つめる兄のような顔でジェムを見ていた。

 

「バトルピラミッドで僕と戦った後、ジェムは僕のことを家族だと言ってくれた。それを聞いて、僕はもう3000年前に失った家族に抱いていた気持ちを君たちに見れるようになったんだ。ポケモンバトル以外で生きていたいって思う理由を作ったのは間違いなく君なんだよ。君は父親を超える行いを僕にしてくれたんだ」

 

 ジャックは彼の着ている白い服の布で、ジェムの涙を拭いていく。突き付けられた事実とジャックの父親を超えたという言葉にとめどなく涙はあふれ出たけど、構わず涙を拭ってくれた。

 

「最後にもう一つ。君が見たルビーの想いは確かに本物だけど……彼女は、あの嘘吐きが言うような人じゃないと思うよ?」

 

 ジャックはそこで、シンボルハンターを見た。ジャックが話している間ずっと黙っていた彼は、舌打ちして口を開く。

 

「……何を言うかと思えば。お前も俺の力は知ってるはずだぜ。そこのガキに見せたことは紛れもない真実だ」

「見せたものは……ね。でも人間の心は夢のように単純じゃない。さあ、ジェムはどう思う。結局のところ、親が子供のことを愛していたかどうかなんて子供が決めることだからね。幸いあの嘘吐きは君が結論を出すまで手を出すつもりはないようだし、ゆっくり考えていいんだよ?」

 

 何故か、あれだけ激しく厳しく言葉と真実をぶつけてきたシンボルハンターはジェムが記憶を見ている間、いや見た後泣きじゃくる間もこちらを攻撃しなかった。

 

「……うん、わかった。考えて、みる」

 

 ジャックの言葉で少しだけ冷静になれたジェムは、瞳を閉じて、考える。母親が自分をどう思っているのかを。そして、自分がどうしたいのかを――

 

 

 

 

 

 


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