水無月に入り雨が降ることも多くなったこの国の都、京は先日降った雨が平成の時代のようなアスファルトで舗装されず土が野ざらしになった道を濡らし、泥となって道行く者たちの足を取る。
暦の上では夏のころである故か強い太陽の日差しが地面に降り注ぎ、濡れた地面が蒸発し、この国の夏らしい高温多湿な蒸し暑い空気が熱のこもりやすいこの京の盆地を包み込む。
慶次は、堺にて用を済ませてから再びこの京の都へと今度は巫女装束の近衛篠を連れ立ってやってきた。
先日来た時とは大違いのこの蒸し暑い空気を肌で感じ不快感を感じながら京の大路を進んでいく。
前回は堺へと急ぐために明るい昼のうちには見られなかったその京の町の活気はこの戦国乱世の時代をしてさすがは都と言わしめるもので、堺の町とはまた違った雰囲気をもって栄えている。
「さすがだな。」
これが、何度も戦火に焼かれても立ち直ってきたこの日ノ本の都の姿なのだ。そう思うと、素直な気持ちが言葉となって出た。
「慶次殿は京に来るのは初めてではないですよね。」
「前回は早く堺に行こうと京の都では一泊した後朝には堺へと向かったからな。」
今回はこの都で存分に楽しめるだろう。
神殺しやまつろわぬ神の戦いの舞台になり、戦火に焼かれなければだが。
「ふむ。やはり来たな。」
ふいに掛けられた声は聞き覚えのある女性の声だった。
いや、三年間も彼女と過ごしてきたのだ。忘れるはずがない。
「なんで、京にいるんだ。桔梗。」
声をかけられた方向を見るとそこにいるのは伊吹山に隠れ住んでいるはずの桔梗だった。
いつも通り、飾り気のない白衣に黒の袴といった格好をしている。
彼女自身の容姿は非常に整っており、更に均整の取れた身体は彼女の美しさに磨きをかけているものの、言葉通り着飾らない彼女にはその服装はなんとももったいない。
とはいえ、慶次にとっては見慣れた姿であり、特に深くは考えていないのだが。
素材はピカ一の三人組。
一人は、公家の娘である故の気品の良さを醸し出しす巫女装束の女性。もう一人は、その素材の美しさゆえに白と黒に地味な恰好の目立つ女性。そして唯一の男性は巷で聞く所謂傾奇者といった風の様相の者。
この国の都であり、つまりはこの時代における文化の先進の地である京の都においても彼らの異様な様相とその雰囲気は都の者たちの目を引き付けてやまないものであった。
「まつろわぬ神が現れかねないほどの緊急事態と聞いて私の父がこの都に呼び出してな。
全くもって面倒だ。
まあ、慶次が関わるというのならば私は必要ないようだがな。」
そう言って桔梗は何処かへと去ろうとした。
「お待ち下さい。
あなたは前田家の桔梗殿ですね。」
「おや、誰かと思えばあなたは噂の近衛の媛巫女様ですか。そんなお方が私に何か用で?」
どうやら篠は随分と名の知れた媛巫女のようだ。それに、篠の話し方から読み取るにどうやら桔梗もそれなりに知られた呪術師のようだ。
まあ、幽世に住まう酒呑童子と知り合いであるという時点でただの呪術師などではないだろうが。
「今回の一件はそう簡単にはいかないでしょう。だから・・・」
「だから、この庶民の呪術師に働かせるつもりかな?
姫様はしっているんじゃないかな。ここにいる慶次のことを。」
羅刹王である慶次がいるんだ。ならば庶民の呪術師である自分がこの件に関わる義務はない。
そういうことなのだろう。
それでも渋る篠を見ていてついに桔梗は折れた。
「分かった。ならば取り敢えず前田家までは行こう。」
久しぶりの帰郷だからいいか。やはり面倒だ。出来るだけ早く帰ろう。
などと言いつつも桔梗を先頭にして三人は京の都を進んでいった。
とはいえ、気負うということを知らない慶次がそこらにある露天を見たり、小腹が空いたからと食べ歩きをしたり、更には遠慮を知らず賭場で大勝ちをして一騒動起こしたりと慶次は京の都を満喫し、桔梗はそれを見て他人事のように楽しんで、篠は早く行こうと急かすのだった。
やっとのことで桔梗の生家である京の前田邸に着いたのは日も暮れる前、空が赤く染まりゆくなかのことだった。
慶次と篠が京に着いたのが午前の内だと考えると随分と道草を食ったものだ。
しかし、慶次にとっては遊んで過ごし、金を博打でぶん取る生活はいつもの日常のようなものなのだからと、今にも神具が天竺の呪術師によられようとしているにも関わらず慶次には随分と余裕があった。
もしかしたら、この都をまつろわぬ神との戦闘による戦火に巻き込まれた際のことを考えての行動とも考えられなくもないが。
桔梗の生家である前田邸は京の都の上京に位置しており、寝殿造りとまではいかないものの恐らくは書院造りであろう随分と立派な建物がそこには建っていた。
「さあ、着いたよ。ここが私の生家だ。」
桔梗が先に門より入るとそこにはこの前田家に仕える女中がおり、桔梗の久しぶりの帰郷を喜び、見知らぬ男性を見て訝しみ、その男性の隣に控える巫女装束の女性の姿に困惑しと大忙しだった。
ある女中が簡単に挨拶を済ませそそくさと急ぐようにして屋敷へと向かっていった後は一人の女中の案内で屋敷のとある一部屋へと案内された。
「初めて自己紹介を受けたときはどこぞの名家の娘だということは分かっていたが、こんな風にして見せつけられると本当にお公家の姫様だったんだな。と、実感させられる。」
「そんな大層なことはないよ。前田家の位も呪術を認められただけの半家でそこの近衛の姫様の五摂家とは大違いの下の家格なんだ。」
公家の中でも家格は下だとは言うがこの屋敷を見るとそんな感じはしない。
慶次にとって平成の世でもこれほどまでの豪邸は見たことがないのだ。
確か、戦国時代というと公家は貧乏だと聞いたことがあったのだが、もしかしてこれが貧乏だとでもいうのか?
ならば、公家でも家格が上の五摂家はどれ程の豪邸に居を構えており、どれ程の裕福なのだろうかなどと思っていたが、慶次のその考えは間違いだ。
この時代、戦国乱世を生き抜くために大名たちは国人も含め自身の領地を拡げるために近くの領地を得るために幾度も近隣の領主たちを相手に戦を繰り返していた。
その近隣の領地の中には寺社の領地もあったし、そして、公家たちの荘園などもあった。
本来、足利幕府は足利尊氏が帝の名を借りて全国を統一せしめた。そのため、幕府は京の都の帝と公家たちを守るためという大義をもって足利家は将軍としてあり続けられたのだ。
つまり、この足利幕府があるうちは公家の領地も守られていたのだが、応仁の乱以降急速に権力は衰退していったのだ。
足利幕府は鎌倉幕府とは異なり守りにくい京の都に本拠を置くことで足利家は将軍を輩出する名家としてあれたものの、それが故に足利幕府は力を失い、公家もましてや帝の禁裏御領でさえも失われていったのだ。
故に現在京の公家は貧乏である。
しかし、何故前田家はそれほどに廃れていないのか。それは、前田家が荘園領地をあてにしない呪術師としての職で成り立っているからである。
出されたお茶を飲んでしばらくすると、遠くから足音がかすかに聞こえてきた。
その後、襖の向こうに人影が見えたかと思うと襖が開き、その人物が現れた。
その初老の域に入った白の紋様の入った狩衣に黒の指貫を着た落ち着いた雰囲気の男性であった。
その男性はなりよりもまず最初に篠に挨拶をした。
「お久しぶりでございます、篠姫様。此度はどのようなご用でしょうか。」
「お久しぶりです、利保殿。此度は桔梗殿の里帰りに付き合っただけにございます。」
「桔梗の、ですか。しかし、何故態態そのような・・・。
桔梗、お主が全て説明いたせ。その青年をたのこと含めてな。」
久しぶりにあった自身の娘にようやく話しかけたかと思うと随分と強気な言い方だった。
「京に戻ってこいと言ったのは父上だろう。それに、この子は私の養子みたいなものだ。
名前は前田慶次。この日ノ本初の羅刹王だ。」
まさか言うとは思わなかった。
確かに今まで育ててくれたようなものだし年齢的にも親子のような関係をもっていたのは事実だ。
しかし、桔梗が自分のことを養子だと言うとは思わなかった。
それに、慶次が羅刹王であるという事実をいきなりぶちまけるとは少しも思っていなかった。
慶次が羅刹王であるということは秘密にするというのがセオリーのはずだが・・・
まあ、桔梗が話すというのならば全然構わないのだ。話した相手は彼女の父親のようだし。
それに、話すべき時というものがある。
桔梗にとってそれが今だったのだろう。
何しろ桔梗は今回の一件をトンズラしようとしているのだ。慶次に全て任せてしまおうということなのだろう。
「養子?それに、羅刹王だと?!」
確かに久しぶりに帰って来た自分の娘にいきなり養子ができていたり、その義息が羅刹王つまり、存在だけでもこの日ノ本の呪術的中心でる京の都が混乱しかねない神殺しだというのだ。
それは、困惑もしよう。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻し聞いた情報を整理しだろうというところで彼は桔梗に話の続きを促した。
「それで、どういうことだ。」
これに対して桔梗は慶次に視線を送るのみだった。
自分で説明しろということだろう。
何時ものことだが何とも面倒臭がりだ。
「俺は旧姓菊池、前田慶次という。
三年前から桔梗には世話になっている。」
「私は藤原北家利仁流嫡流前田家当主利保という。」
随分と仰々しい名乗りだったが自己紹介も終わったところで本題に入る。
「俺はまつろわぬガルダを弑し、神か同類の権能で時空を超えて三年前にこの時代へとやってきた羅刹王だ。」
慶次はすべてを話した。
篠もいたことだしこれはちょうどいいと桔梗に初めて会った時に話したことを、羅刹王になったこともだが、異なる時代からやってきたことも、そしてこの三年間を伊吹山の桔梗の草庵で過ごしてきたということを二人に話した。
「お前たちのことはよくわかった。
今をもって慶次殿を桔梗の養子として前田家当主としてこの私が直々に認めよう。」
これは慶次が前田家に認められたということだ。この国の呪術界に混乱をもたらしかねない羅刹王である慶次をである。
確かに他国の呪術界においては神殺しというのは貴重な存在であり血筋を見ても王族同然の扱いを受けているというのだ。
しかし、それは他国の事。
千年以上もの時をこの国は呪術においても政治においても帝を中心に動いてきたのだ。それがいきなり呪術の王ともいえる羅刹王が誕生したと知れたらその存在は邪魔なもののとされるであろう。しかし、物理的に排除はできないだろう。
慶次は自身の存在がばれるとそのような微妙な位置に立たされることになる可能性が非常に高い。
その存在を前田利保は認めたのである。
死なばもろともとでもいうように。
それを理解できるからこそ慶次は礼を言った。
「さて、利保殿が呪術師として一流の実力を持つ桔梗殿をお呼びになられた理由である今回の一件ですが、慶次殿は協力してくださることになりました。
つきましては桔梗殿にもお願いしたいのですが・・・」
「さっきも言ったけど今回の一件は慶次がいるだけで十分。だから私は帰らせてもらうよ。」
「しかし、今回の相手方の狙いは皇家の神宝である八尺瓊勾玉。
内裏に入れない慶次殿では敵方にかの神宝を盗まれかねません。ですから、」
「慶次が内裏に入れるようにしたらいいじゃないか。」
篠の必死の願いを卒なく返す桔梗。
そして、
「八尺瓊勾玉ですと!?
それはどういうことですか!」
未だに詳しくは知らない利保が大声を上げる。
一応、桔梗にも話してはいないのだが特に驚いた様子を見せない。
まあ、本人は既にこの件に関わるつもりはないようだから何が盗まれようが興味はないといった様子だった。
「桔梗。お前ならば神宝を内裏の中に入り守ることも許されよう。だから、今からでも・・・」
「だから今から帝のもとへと行って許可をもらおうって?それこそ慶次が行けばいい。」
「慶次殿は無理だ。ぽっと出の者では内裏に入ることさえ許されまい。いくら慶次殿が羅刹王であるとはいえどもそれは宮中が混乱する今は言うべきではない。」
「はあ、これだから都は嫌なんだ。堅苦しくて仕方がない。
慶次も無理に協力する必要はないよ。」
そう言って桔梗はこの前田邸を去っていった。
「・・・申し訳ありません篠姫様。」
「いいえ、確かに帝に仕えると明確に示したわけではない桔梗殿です。無理強いするべきではないでしょう。
それに、慶次殿がいればもしまつろわぬ神が降臨しようともそれを抑えるだけの力を持つお方ですから。」
「・・・本当に申し訳ない。」
ひと段落ついたことで利保にも慶次と篠の考えた推測を話すこととなった。
天竺の呪術師がかの国の神殺しの命によりやってきて八尺瓊勾玉を盗むだろうこと。
天竺の呪術師には神殺しに従うものと八尺瓊勾玉の存在を伝え、恐らくは自らの力を得ようとしている神を信奉する狂信者がいるであろうこと。
そのため、いつ仲間割れが起きたとしてもおかしくないこと。
そして、最悪の場合はまつろわぬ神が顕現するであろうこと。
「なればどうにかして慶次殿には内裏内の警備にあたってものですな。」
「そうですね。慶次殿は実力を買われ桔梗殿の養子となり、御老公のお目にかかった人物であるとそう説明すれば大丈夫かもしれません。」
そのまま篠と利保の会話がその中心である慶次を置き去りにして進んだ。
そして、いつの間にか今回の一件におて慶次を内裏にて神宝を守護するという重要な役割を任せようということになっていた。
まあ、お偉方が慶次を内裏内に入れることを良しとすればではあるが。
◇◆◇◆◇◆◇◆
京の都の下京においてもはずれのほうにあるもう随分と寂れてしまったもののそれなりに広い敷地を持つ廃寺。
そこに六人の異国人の姿があった。
彼らはムガル帝国、この国で言うところの天竺から来た呪術師である。
事の始まりはムガル帝国の中でも西のはずれにあるとある神を信奉する集団の中において神託が下りたことから始まる。
その神託はまさしく彼らの信奉する神々の中でも主神級の神からのものだった。
この同じ信仰を持つ者たちの集まりである村は大騒ぎだった。何といっても彼らの神が自分たちを頼っているというのだ。
その神は水神にまで零落してしまいその状態でその水神が信仰されている東の小さな島国で顕現し、現在はメーノーグにてその力を取り戻すその時まではと隠れ住んでいるのだという。
もちろん彼らはかの神の頼りを無駄にしようとは思わなかった。
だから、その村のうち数人が海の向こうへと向かうために行動を起こした。
不安はあった。
海を越えて生きていられるのかは分からない。神の欲する神具を見知らぬ国にて探し出せるものか分からない。
そして、そもそも海を越えることのできる船を手配できるのかが分からなかった。
船が用意できなければこの国から出て目的の島国にまで行くことすらできない。
そんな時にかの王はその者たちに船を与えたのだ。
そう。このムガル帝国にいる神殺しラークシャサが自らの部下をよこし、更には西欧まで轟くその神殺しの畏怖をもってして異国の丈夫な南蛮船を手配してくれたのだ。
これは運がよかった。
まさかかの王が船を手配してくれるとは思わなかった。
しかし、それはただの王の気まぐれの善意などではなかった。
ラークシャサは欲しかったのだ。
神託を受けた者たちが知ったという遠く海の向こうの異国の神具を欲したのだ。
故に村の者たちは神具のことをよく知る二人に絞られ、そこに四人の精鋭のラークシャサの部下を交えて異国の神具を王のもとへと届ける民として国を出ることを余儀なくされた。
そして、村人の二人は異国の”堺”という港町に辿り着いて、そのうちの一人が前田慶次なる者と出会い、この国の呪術師の出会い、自分たちの探す神具の存在を知った。
そして、その神具が二人の手によって手に入れることのできないものであることを理解させられた。
今二人は神具の存在するこの国の都”京”に神具を盗むためにラークシャサの部下たちと共に潜んでいた。
「ここの呪術師を使い神具の在り処を聞き出した。場所は内裏内部、帝の住まう御殿の剣璽の間というところらしい。」
ラークシャサより今回の件を任されているサルマンが言う。
しかし、何とも不用心だ。
”八尺瓊勾玉”というものはこの国においては神宝のような扱いをされ、それは代々帝に継承され常に帝の寝所近くの”剣璽の間”という場所に安置されているのだという。
帝という存在はこの国において神のような存在として崇められている。そして、神仏を深く信じるこの国において帝のものを盗むなどということは神の怒りにふれ死を招くであろうというように思われているためかそのように堂々としており、普通ならば国の上層数人しか知らないはずの事柄を何百人という呪術師が知っているというのは不用心が過ぎる。
「この内裏にはこの国の一流の呪術師によって結界が張られ、そして一部の高位の呪術師によって帝の身辺と神具を守っているのだという。」
ここまでは予想通りだ。
この国の神具を学術的にも儀礼的にも何をおいても貴重な神具を盗み出そうというのだ。
その周囲が厳重で非常に守りが堅い。
しかし、これほどに守りが堅いとは思いもしなかった。どうやらこの国の高位の”媛巫女”なる者が霊視によってか我々のことを予知していたらしい。
「予想していたよりも守りは堅いかもしれん。しかし、我らにはラジェンドラ様から預かりし神の権能の一端を扱うことのできる我らだけの神具ともいえる強力な武器を持っている。
臆することなどない。」
ラジェンドラ。
それは我らムガル帝国にいる神殺しラークシャサの名だ。
サルマンは数は4つと少ないもののそのラークシャサの権能によって作り出された一度きりのしかし人の身で使える神具を持っているのだ。
その神具があればこの国最高峰の結界と呪術師たちの目を盗んで”八尺瓊勾玉”を盗み出すことは不可能ではないだろう。
今回の件は、神託を受けたて内容を知る我ら二人は神具の捜索を、そして、ラークシャサの部下は神具を持ち帰るつまり盗み出す。といったように役割がなっていた。
このままだと神具はラークシャサの部下の手によって盗み出されその神具はラークシャサの手に渡るであろう。
二人はあきらめてなどいない。
ラークシャサの部下のと共に行動することになろうともその時を逃さない。
神具を奪い、かの神へと届けることのできるその時を。