Fate/ture L   作:麻婆ピザ

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キャスター 召喚

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。それとともに、七次 澪(ななつぎ みお)は大きな伸びをした。

 彼女は春風のように爽やかで温かみのある笑顔を浮かべて、呟いた。

「はー……今日もつまんなかったー」

 迂闊が過ぎるその一言は、教師からの怒りを買った。小言で時間を費やしたせいで、クラスメイトからもささやかな怒りを買った。ホームルームのあとに掃除当番を買ってでることで事なきを得た。

「これは最悪の一日だね」

 掃除を終えると、今度はそう呟いた。

 彼女はとにかく不満で退屈だった。その原因は、パウラ・シュペーアの欠席にある。

 澪の友人の数は多い。クラスメイトどころか、同学年の大半とは良好な関係だ。

 マイペースな八方美人。少しお調子者な面があり、気さくに誰とでも話せて、どこか憎めない存在。それゆえに、彼女はだれからも嫌われる理由のない人物だが、格別に人気のある人物というわけではない。交友関係が広くて浅い、ごく普通の子だ。

 そんな澪にとって特別な存在が一人だけいる。パウラ・シュペーアだ。彼女とは中学の時に知り合った。特別な出会いとは言えない。何気ない会話がキッカケで、一方的に仲良くなった。それからは親友として振る舞っている。パウラへの信頼や友愛が一方通行であったとしても、それで良し。ほんの一瞬でもパウラが笑顔になってくれさえすれば、それで良し、なのだった。

 澪は片付けと帰り支度を済ませると足早に昇降口に向かった。

 階段を軽快に降りて行く。一階に降り立つと、視界の端にノロノロと歩く一人の教師を捉えた。

「あー! しば先生ー!」

 あだ名で呼ばれた神々廻誠は立ち止まると、ゆっくり振り返った。

「こら、七次。『しば』じゃなくて、『ししば』だろ?」

「略してシバセンでしょ? 知ってる知ってる」

「まったく……なんだって皆、たった一文字だけを略すんだろうな……」

 誠は困ったように頭を掻いた。澪は彼の元へパタパタと駆け寄る。

「しば先生、今日は一回も見かけてなかったけど何してたの? ホームルームにもいなかったし。てか、顔色悪いね?」

「……まぁ、色々あってな……簡単に言えば、その……ぇぉぅ……」

「ん? なんて?」

「……寝坊です」

「えー、寝坊したのー? 先生、正直なのは良いことだけど、あんまり生徒にそういう情報を与えちゃダメだよ? 他の先生たちの面子が台無しになって先生としての威厳がなくなっちゃうんだから、気を付けたほうがいーよー?」

「ご、ごもっともです……」

 痛いところを突かれたのか、誠はさらに顔色を悪くさせた。一応、反省しているようだった。

「そうだ、しば先生! パウラちゃんのこと、なにか知らない?」

「シュペーアか……そういえば、最近は休んでたな……いや、すまん。俺もさっき来たばかりで把握してないんだ」

「もー、副担のくせにー! 職務怠慢だー! しば先生、さようならー!」

 誠の返事を待たずに澪は昇降口の方へと駆けだす。

 だがしかし、ほんの数メートル先でピタッと立ち止まった。クルリと体を反転させる。

「せんせー! 理由はわかんないけど、帰りにバナナを買うといーよー! きっと運気が上がるよ! じゃ、さよならー」

 澪は一方的にそう告げてから、再び駆けだした。

 校舎から出ると、いつもの通学路とは違う道を辿る。向かう先はパウラのアパートだった。

 彼女のことが気がかりだった。とにかく嫌な予感がする。昨日、パウラの顔を見た瞬間から胸騒ぎがしていた。いつも通りに明るく振る舞うことで気のせいだと思い込もうとした。

 しかし、澪の勘はよく当たる。外す方が難しいくらいに怖いほど当ててしまう。

 玄関先で話している際、いつもと違った雰囲気を感じてはいた。形容しがたい不安。それをパウラから聞き出したかったが、その時は言葉が見つからなかった。結局、パウラに押し返される形であっさりと引いてしまった。パウラの放つ言葉の端々に、普段とは異なる凄味が混じっていることもあって、食いつくことができなかった。

 ただ、去り際にパウラが「またね」という言葉を口にしてくれた時、これ以上にないほど安堵した。おそらくそれが、その時の澪にとって一番『欲しい言葉』だったのだ。

 またパウラの声を聞きたい。その一心で澪は彼女が住むアパートまでやってきた。

 階段をのぼり切り、ドアの前に立った。

 チャイムを鳴らす。反応はない。

「おーい、パウラちゃーん」

 声をかける。やはり反応はない。澪は確信した。今、パウラが部屋にいないことを。

「あ、鍵かかってない……」

 澪自身も気付かぬうちにドアノブを回していた。玄関で靴を脱ぐと、そのまま上がってしまった。電気のスイッチを押す。物で散らかった室内が照らされた。見慣れた光景だ。どこにどんな物があるのかは、ほとんど把握している。

 寝室へと足を踏み入れた時、初めて違和感を覚えた。直感を頼りに顔を左へと向ける。

 見覚えのない服が壁にかかっていた。

 白くてゆったりとした長袖の衣服。ワンピースのようにも見える形をしており、少々くたびれていた。パウラが着るには一回りほど大きいように見えた。古びた異国の衣装、という印象が頭から離れない。

 澪は衣服へと手を伸ばし、触れた。

 途端に目頭が熱くなった。鼻の奥がツンとする。感情が徐々に昂ってゆく。

「あれ? なんでだろ? 涙、止まんない、よぉ……」

 澪は衣装を抱き寄せた。足の力が急に抜けてしまい、膝が床へと落ちる。そのまま澪は泣き崩れてしまっていた。

 どうして、こんなにも悲しいの? 澪は抑えのきかない悲しみに困惑するばかりだった。理由を知りたい。理由が欲しい。この涙が流れる先を、澪は求めた。それほどまでに理不尽な悲哀だと、澪は思った。まるでこの先で味わう悲しみが一気に押し寄せて来たかのような、理不尽さだと。

 不意に、澪は背後で物音が聞こえたような気がした。そっと振り向く。

「誰? パウラちゃん……?」

 人影は見えない。だが、そう声をかけたくなった。不安だったのだ。

 しばらく沈黙が続いた。澪は何もない空間を見続けていた。

「俺の気配に気付いたのか。それとも、ただの勘によるものか……」

 声が返ってきた。男の声だ。澪の鼓動が早まる。冷や汗が背中を伝っていく。

「貴様は誰だ? この部屋の主ではあるまい? 偶然、居合わせてしまっただけの者か? ならば、そうだな」

 男に返答することも、質問することもできなかった。いや、姿も見えない男が、それをさせないだけの圧力を放っていたのだ。澪は一言も発せないどころか、呼吸すら忘れるほどに圧倒されていた。

 声の主が唐突に澪の前へと姿を現す。緑がかった黒のマントとシルクハット。礼装服を着こなした男の姿だ。整った顔立ちに感情は見られない。長めの白髪から覗く双眸に、恐怖を植え付けられた。

「俺との遭逢を恨め。己の不幸を呪え。貴様の宿業を悔め」

 男が腕を振り上げた。黒い炎が手を包む。

 振り降ろされれば死ぬ。それを理解することだけが、この瞬間の澪に許された。体は震えあがり、抵抗する素振りすら見せられない。あまりに無力。ただ屠殺される時を大人しく待つ、家畜のように。

 澪は悟っていた。自分はなにもできない。状況を覆せるような奇蹟も持ち合わせていない。

 だがそれでも、誰かがなんとかしてくるような、奇妙な予感だけはあった。

 黒い炎が振り降ろされた。命を絶つ一撃。澪は自分の身に降りかかる脅威を認識できていなかった。その一撃をまともに受けていれば、死んだことにすら気付かなかったことだろう。

 しかし、それは標的に当たることはなかった。熱が床と壁を焦がした。

 男の表情が強張る。瞳の虹彩に驚きの色がたしかに加わった。

「なに……?」

 白髪の男は振り返る。

 一メートルほどの距離を置いて、黒いフード付きのローブを羽織った青年が立っていた。澪を小脇に抱えている。対峙する二人の男の身長はそう変わらない。視線が交わると、ローブの男の表情が緩んだ。

「その黒い炎、怖いね。魔力によるものなんだろうけど、色々と混ざっている感じがするなぁ。君のクラスは何かな? 武器を携帯していないのは室内だからかな? それとも、武器を用いるほどの相手ではなかったから? もしや、いつも素手で戦ってるのかい? 私の推測では暗殺者だと思うんだけど、どうかな? とりあえず、アサシンと呼んでもいいかい?」

 ローブの青年には緊張感がまるでない。世間話でもするかのように、気楽に話しかけていた。対して、アサシンと呼ばれた白髪の紳士は身構えている。警戒しているのだ。

「……貴様は何者だ?」

 自らのクラスへの指摘に、肯定も否定もせずにアサシンは問うた。

「サーヴァント、キャスターさ。おそらくは、この子が私のマスターだね」

 キャスターと名乗ったローブの男は敵対する相手から目を逸らし、右脇に抱えている澪へと視線を向けた。澪は顔を涙でぐしゃぐしゃにしたまま、ポカンと口を開けているのみだった。

 黒い炎が揺らいだ。アサシンが今、動かんとした、その時だった。

「おっと、待ってくれ。始まる前に言っておくことがある」

 左の手の平を見せつけるように、キャスターが制した。

「私は肉弾戦が苦手だ。かと言って、知略を巡らせた戦術もそんなに好きではない。魔術を極めたというわけではないし、特別な魔術の才を持っているわけでもない。強い宝具もこれと言ってないなぁ。好きなものは勉学というか、読書だね。異文化交流には特に興味を持っているよ。君はどこの生まれかな? ああ、真名がバレない程度で構わないよ? 真名を教え合うのは、もっと仲良くなってからでも遅くはないさ。ちなみに、私の生まれはイスラム圏内だからね。それと……」

「……待て」

「うん? なんだい?」

 少し嬉しそうにキャスターは返事をした。

 アサシンは面倒そうに、かつ、呆れた様子で言葉を繋げる。

「貴様は何をしたい?」

「自己紹介さ」

「何のために?」

「……お互い、やることは理解しているはずだ。これは聖杯戦争。異なる願いを持っている以上、必ず殺し合いが起きる。敗者が生まれる。勝者は限られている。そのうえで、私はあえて、こう言おう」

 キャスターは左手を差し伸べた。

 彼は握手を求めて、告げる。

「友達になろう? 同盟ではない。対等な立場。気の置けない関係。完全なる友好だ。この聖杯戦争を私と共に、勝利者のみで終わらせよう」

 そこに害意はない。裏も表もなく、心に思ったことをそのまま述べている。誠実なまでに、キャスターは友を求めているのだ。

 黒い炎が空間を引き裂いた。寸でのところでキャスターは回避する。しかし、その動きを読んでいたかのようにアサシンは追撃を行った。黒炎を纏った右手がキャスターに迫る。

 硬質な音が響いた。

「硬いね。まるで鋼だ」

 キャスターはぼやくように言った。彼の左手には、いつのまにかダガーが握られている。刃渡りはおよそ三十センチ。なんの変哲もない武器だ。それでアサシンの拳を受け止めていた。

 さほど驚きも見せず、アサシンは冷徹な目を向けたままだ。追撃の拳を繰り出す。キャスターはそれに合わせて刃を重ねる。一瞬の内で十を超える攻防が行われた。常人では視認すら不可能な領域だ。

「武術や技術ではなく、単純な膂力による攻撃。特殊な魔力の投射。この黒炎は毒と呼ぶべきかな?」

 高速で行われる戦闘の中で、キャスターは分析したことを口にする。アサシンからの反応はない。構わずに攻撃を続けている。

「まいったな」

 劣勢なのはキャスターだ。毒炎によるダメージが徐々に増えている。アサシンの猛攻は左腕一本で抑え切れるものではない。無抵抗なマスターを庇いながらでは尚のこと不利だ。ただし、それだけが原因ではない。

 キャスターの能力そのものが、アサシンに劣っていたのだ。

「私が君に勝てる要素が見当たらないね」

 ニコリと爽やかな笑顔をキャスターは見せた。

 慈悲なき拳がキャスターの腹部を貫く。悲鳴も苦悶の声も漏らさず、キャスターの体はマスターである澪ごと霧散した。

 さすがのアサシンも驚きを隠せずにいた。

「幻覚……? いや、手応えは本物だった……ならば、実体を伴った分身か……? しかし、いつ本物と偽物で別れた?」

 アサシンはぐるりと周囲を見渡した。周辺にサーヴァントの気配は一切感じない。それどころか、逃走した痕跡はまるで見当たらない。鮮やかなまでの撤退。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 室内は静穏に包まれた。アサシンはひとしきり佇んだあと、もうこの場には用がないのか消えるようにして立ち去った。

 黒炎で焦がされた部屋。闘いの痕跡だけが、この場に取り残された。


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