Fate/ture L   作:麻婆ピザ

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ランサー 胎動

 四月十七日。金曜日。十九時三十分。

 春戸駅からほど近くにある、二階建ての木造アパート。部屋数は各階、三部屋ずつ。築二十年以上は経っており、みすぼらしい外見をしていた。そのアパートの間取りは全て1LDKとなっている。玄関、ダイニングキッチン、リビングルームが縦に連なっていた。

 そして、二階の三号室に住むパウラ・シュペーアという少女は気怠そうにベッドで横たわっていた。

 端整な顔立ちは芸術の域に達している。化粧をせずとも、すでに美しく完成されているのだ。重そうに半分だけ開いた目からは、ガラス細工を思わせるような青い瞳が覗いていた。彼女の美しさは顔の造形だけにとどまらない。雪を欺くほどの白い肌。極上の絹糸のような金色の長髪。年齢こそは少女だが、バランスの取れた女性的な肉体をしている。それは、世の男性の欲望を具現化させたかのような完璧さだった。白いTシャツとホットパンツという出で立ちが、その肉体美を惜しみなくさらけ出している。

 しかし、それに反して室内は汚い。物が散乱しており、整理整頓からは程遠い。彼女の美しさと部屋の乱雑さは、まるで似つかわしくない光景だ。

 彼女は体をごろりと転がす。金色の髪がさらさらと波打つ。仰向けになって天井を見つめた。

 遠くから、階段をのぼってくる音が聞こえた。

 頭だけを左へと動かす。視線の先にあるのは玄関だ。

 足音。軽い音。速度は並。急いではいない。

 音は玄関前でパタリと途切れた。

 パウラはすでに、誰が来たのかを悟っていた。

 感情を読み取らせない表情のまま、彼女はのそりと起き上がる。

 チャイムの音が鳴り響いた。

「おーい、パウラちゃーん」

 陽気な高めの声。次いで、ドアを叩く音。やっぱり七次澪が来た、とパウラは思った。

 チャイムを鳴らすだけで十分だろう? でかい声。ドアを叩く意味はあるのか? ああ、追い返すのが面倒だ。迷惑。帰れ。などと、パウラは心の中で悪態をつきながら物音ひとつ立てずに玄関まで歩いた。

 ドアをほんの少し押し開ける。顔と右肩だけを外にさらした。今日ばかりは絶対に部屋へ侵入させない、という意思表明がひしひしと伝わってくる。

「やっほーこんばんはー! パウラちゃん、病気は治った? 元気になった? ご飯、ちゃんと食べてる?」

 不機嫌そうに眉根を寄せているパウラに対して、七次澪は朗らかな笑顔で迎えた。

 黒髪のセミロング。目尻の下がった目つき。特徴的な部分と言えばそれくらいであり、身長は百六十センチ程度の標準的な体型をした少女。紺のブレザー。白のシャツに赤いリボン。緑を基調としたチェック柄のスカート。紺色のカバン。

 愛嬌のある笑顔が似合う、ごく普通の女子高生だ。

「……澪、悪いけど――」

「しゃべった!」

「当たり前だ」

「私さー、パウラちゃんが病欠って聞いてから、ずっと心配してたんだよー? 新学期が始まってすぐに休んじゃうんだもん。それも、一週間もだよ? パウラちゃんのことが気になっちゃってご飯が進まないわ、あんまり楽しく感じないわ。なんのために学校へ通ってるのか、わかんなくなってきたよ……」

「学ぶためだ」

「病気ってことだから、金曜日まで家に行くなーって先生に止められちゃったし。パウラちゃんは家事が苦手なんだから、余計に気がかりだったんだよねー」

「余計なお世話だ」

「でも元気そうで良かったー」

「…………で、用件は?」

「そうそう、そうだった。パウラちゃんにお届け物! プリント! しゅっくだーい! はい、どうぞ」

 澪はいくつかのクリアファイルをカバンから取り出した。パウラは受け取るために、ドアをさらに開いた。受け取ったクリアファイルに目を通していく。

「あー……ん?」

「あ、それね、提出日ごとに分けといたから! 付箋に書いてある日付が提出日ね! 科目はバラバラだから気を付けて?」

「あー……」

「あとねー、今日は委員会を決める日だったんだけど、パウラちゃんは図書委員会になっちゃった。大丈夫?」

「ああ……」

「さっすがパウラちゃん! 話が分かる! 進級して早々にやることいっぱいで参っちゃうよねー。いきなり宿題とか、先生たちは気合入り過ぎだよー」

 パウラの必要最低限な受け答えに対して、澪は余計な情報を交えつつ話を進めた。これでどうして会話が成立するのか不思議ではある。

 話を聞いている途中で、パウラはハッとなった。

 気付かぬうちに相手のペースに乗せられていることに気付いたのだ。

 コイツはいつもそうだ。人のプライベートにズカズカと入り込んでくる。喋り倒す。言いたいことを言ったら勝手に満足する。マイペース。空気を読まない。能天気。

 ――友達想い。

 パウラは苛立った。左手を強く握る。

 澪は無邪気な笑みを浮かべながら、パウラの部屋を覗き見ようとした。

「お部屋、散らかってない? 今日も、お掃除を手伝ってあげよっか?」

「……ダメ」

 強めの口調でパウラは返す。澪の笑顔に、少しだけ困った色合が加わる。

「ちょっとくらい、いーじゃーん……」

「病み上がりなの。今日は帰りなさい」

「えー……そんな硬いこと言わないでさー」

「帰れ」

「あ、はい……帰ります…………でもでも、明日は土曜日だから来てもいいよね? 予定ないよね?」

「病み上がり。来るな」

「あ、すみませんわかりました退散します……」

 トボトボと澪は来た道を辿っていく。ただし、一歩だけ進んではチラリチラリと振り向いていた。

 パウラは胸のあたりが締め付けられるような感覚を得た。知らず知らずの内に、「澪」と呼び止めてしまった。

 彼女はパァッと表情を明るくさせて振り返った。

「……アリガト……またね」

 パウラにそう言われただけでも嬉しかったのか、澪は手をブンブンと元気よく振った。

「まったねー!」

 澪は軽快なテンポで階段を駆け降りて行った。

 ドアを閉めたパウラは、その場でペタンと座り込む。

 余計なことをしてしまった。

 後悔が心をジワリと染め上げていく。

「今のが、貴様なりの友との別れか?」

 重低音の声が脳内に響いた。

 パウラは唇を強く噛んだ。少量の血が滴り落ちる。

「ランサー。私に友人はいません」

「では、あの小娘はなんだ?」

「あれは、ただの知人です」

 くつくつと笑う声がした。

 パウラ自身、苦しい言い訳だと感じた。笑われてしまっても仕方ないことだ。恥ずかしさが込み上げてくる。表情に出てこなかったことが彼女にとって救いだったかもしれない。

「まぁ、良い。そういうことにしてやろう。それよりも、今宵から動くのであろう? 昨夜、召喚されてから我等(オレ)は暇を持て余しているのでな」

 パウラは気持ちを切り替える。

 全ての感情を頭の隅へと追いやり、自らの使命だけを考え始めた。機械的に、意思など捨てて、淡々と。

「はい。心身共に万全です。動くのならば、今夜からが最適かと」

「よかろう、貴様の方針に従ってやる」

「ありがとうございます」

「さて、あとは強者と巡りあう幸運があればよいのだがな」

「ランサー。何度も言いますが我々の目的は、あくまで――」

「分かっておる。目的は承服している。必ず果たす」

 パウラは息を深く吐いた。全身の力を抜いて緊張を解く。そして、彼女は立ち上がった。

 すると、目の前に大柄の男が姿を現した。甲冑を着こんだ、赤い髭の男。

「やれやれ。聖杯戦争に呼び出されたかと思えば、マスターは人形の如き小娘。その目的が聖杯の破壊とはな。難儀なものよ」

 不服そうに彼は語るが、その目にはささやかな期待の色が見えた。

 聖杯という餌に群がる、極上の強者。

 英雄たちとの死闘を望む者が動き出そうとしていた。


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