Fate/ture L   作:麻婆ピザ

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セイバー 召喚

 

 春戸(はるど)市。その都市は、日本の関東に存在する。

 春戸駅近郊は栄えており、人口も多い方だ。都心への交通の便が良いのでベッドタウンとして最適地と謳っている。だが、駅近郊から離れてしまうと畑や田園、雑木林などが目立ってくる。自然と文明。両極端な性質が混在しているその都市は、『異物』が紛れ込みやすい地でもあった。

 春戸駅の近くにある、小さな喫茶店内。年季の入ったこげ茶色のテーブルやカウンター、椅子。どこかで見たことのあるような、スタンダードとも模範的だとも呼べる喫茶店だ。入ってすぐ右手側にテーブル席が二つある。その奥にはカウンター席。左手側には、店の奥までテーブル席が並んでいた。

 客は男性が二人のみだ。一番奥の席で神妙に語り合っていた。

「聖杯戦争?」

 黒髪で眼鏡をかけた青年が聞き返した。痩せ型であまり日の光を浴びていないような肌。三白眼気味の目の下のくまがより一層、不健康さを漂わせていた。

 一方、白髪の眉目秀麗な青年はコーヒーを一口に飲んでから、朗らかに返答した。

「そう、聖杯戦争。五十年ほど前にフユキという場所で行われた、七人の英雄によるバトルロワイヤル。勝利した者には、どんな願いでも叶える願望機――聖杯が与えられるそうだ。すごくない? どんな願いもだよ? しかもそれが、この春戸市で行われるって噂だ。(まこと)くんも元魔術師だったよね? 興味はない?」

 誠と呼ばれた青年はため息を漏らした。彼は手元のカップを持ち上げると、コーヒーを口につけた。気持ちを落ち着けて、味を吟味するかのように思考を巡らせる。カップをテーブルの上に置いてから、言葉を繋げた。

「それって、根も葉もない噂ですよね? 興味あるなし以前の問題ですよ」

「ホントだったら、どうする?」

「……神々廻(ししば)家が魔術師だったのは祖父までの代です。両親は引き継いだと言っていましたが、あくまで形だけ。俺なんかは魔術なんて使えないし、教えてもらってません。親が亡くなったと同時に、魔術師としての神々廻家は完全に途絶えました。つまり俺は魔術の知識がほんのわずかにあること以外、どこにでもいる普通の一般市民です」

「でもさ、魔術回路は持っているんだろう? なら、参加資格はあるわけだ」

「参加資格が仮にあったとしても、そんな面倒ごとに自分から首を突っ込むほど若くないし、暇もないです。高校教師って大変なんですよ?」

 白髪の青年はやれやれといった風にため息を吐くと、コーヒーを一息に飲み干して立ち上がった。

「まぁ、興味があったら相談してよ。万が一、参加するようなことがあったのならば報告しておくれ。僕にとってすごく有益なことなんだから」

「……まさか、創作のネタにでもするつもりですか?」

「そんなまさか。まさかそんな……ねぇ?」

 するつもりだ。

 神々廻誠(ししばまこと)は確信した。彼は自分を利用して新しい小説のネタを手に入れようとしていることがひしひしと伝わってきた。

「……ローランド先生の次回作は俺次第ってことですか? 作家って人種は抜け目がないというか、なんというか……」

「新作のネタ、大歓迎。お待ちしておりまーす」

 宮崎ローランド。白髪の男性の名前だ。彼は近頃、人気が出てきている小説家だ。本屋に行けば彼の作品の特集コーナーがある。小説に限らず、映画の脚本や漫画の原作にも手を出している。やり手で注目度の高いクリエイターだ。

 神々廻誠と宮崎ローランドの出会いのきっかけは数年前。ローランドが高校の取材をアポなしで求めてきたところから始まる。第一印象はいい加減という言葉だけではすまされないレベルで失礼な人間。学校とはまったくの無関係な人間で、ましてや当時はクリエイターとして彼は有名ではなかった。そんな得体の知れない人物を易々と見学させられるわけにもいかず、何度も断った。しかし、なかなか彼は引き下がらない。学校側はしかたなく、監視付きで学校の見学を許されたのだ。その時の担当が神々廻誠だ。嫌々ながらもローランドと接するうちに、作品作りに対する情熱が並々ならぬものであるということが分かった。

 第一印象で得た評価が変わることはなかったが、悪い奴ではない。そう思える間柄となり、現在のように多少の付き合いが生まれたのだった。

 噂話や都市伝説などの真偽不明かつ不確かな情報を追いながらも、それらを糧に文章を書いて食い扶持にしている。逞しく図太く生き抜く姿に尊敬とまではいかないが、神々廻誠は評価していた。

 ――しかし、まさか……聖杯戦争という言葉が出てくるとはね……

 さきほどのローランドとのやり取りをぼんやりと思い浮かべていた。会計を済ませた彼がニッコリと笑って喫茶店を出て行ったのが妙に印象的だった。

 だが、聖杯戦争など、今の彼にとってはもはや関係のないことだ。夜は明日の仕事の準備。それを済ませたら夕飯。あとは寝るだけ。また一週間、高校教師として頑張る――つもりだった。

 自宅である、二階建ての一軒家に着いた頃合い。夕暮れ時に異変に気付いたのだ。

 ふと、右手の甲に違和感を覚え、見遣る。するとそこには、見たことのない紋様が浮き出ていた。

 ――嘘だ。

 彼の心臓が高鳴る。気付けば家中を駆け回り、とある資料をかき集めていた。一階と二階はもちろん、両親が亡くなってから入ったことのない地下室まで。

 聖杯戦争に関する資料をかき集めたのだ。

 時間も空腹も忘れて読み耽り、必要な知識をあらかた詰め込んだ。右手の紋様は聖杯戦争の参加資格とでも言える、令呪であることがわかった。サーヴァントを召喚し、それを使役するマスターたる証。そして、ルールも知り得た。形式上ではあるが、聖杯戦争という儀式を円滑に遂行するための監督役がいるようだ。戦闘によって引き起こされた事件の隠蔽、サーヴァントを失ったマスターの保護などを行うために必要な存在のようだった。この聖杯戦争にも監督役がいるのであれば、闘争から降りて保護してもらうことも可能だ。

 だが、神々廻誠はそうしようとは考えなかった。

 ――どんな願いでも叶える。勝利者に与えられる聖杯は、どんな願いでも。

 抗えなかった。抗いようがなかった。ほんのわずかな期待であっても。浅はかな夢だったとしても。淡い希望を抱く限りは。普段はどこか無気力で、感情的になるようなことは一切なかった。いかなる時であっても、全力という言葉から二歩も三歩も遠ざかる性質を持っていた。そんな彼を願望機という代物が変えようとしていた。

 そこに願いがある。理由はそれで十分だ。神々廻誠は躊躇い、惑い、悩みはしたけれど、導かれるようにして歩んでしまった。結果がどうなろうと。過程がどうなろうと。『至りたい場所』を目指すべく。

 地下室にて、誠は資料を片手に魔法陣を描いた。

 必要な物は全て揃っていた。

 魔法陣を描くための媒体。描き方。詠唱の呪文。

 そして、触媒。半分に折れた弓の片割れだ。

 どの英霊が召喚され、どのクラスで現界される可能性が高いかも、全て資料に記されていた。

 なぜここまでの準備が為されていたのか。答えは簡単だった。かつて神々廻家は冬木で行われた聖杯戦争に参加したからだ。当時の神々廻の当主――誠の曽祖父にあたる人物はマスターとしてサーヴァントを召喚し、争った。その結果、当主は死亡した。戦争の決着やその後、聖杯がどうなったかまでは誠は知らなかった。

 準備が整う。

 誠は深呼吸をした。紡ぐ言葉は少しだけ震えていた。

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公――――

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。

 閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する。

 ――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――――!」

 次の瞬間、燦々たる白光が室内を包んだ。目がくらむと同時に、誠は片膝をついた。立ち続けることが厳しいほどの疲労感に襲われたからだ。息が乱れ、知らず知らずのうちに汗をかいていた。

 発光が収まった。

 煙を伴って現れたのは、少年の姿だった。

 燃えるような赤い髪。揺らめくさまはまさしく炎のようだった。白を基調とした装束が、その赤髪をより際立たせる。地面にまで及ぶ腰布は上半分が黒、下半分は橙色となっていた。裏地も同じ橙色となっている。その風貌からして、貫禄や高貴さが伝わってくる。呼び出した者の偉大さが容易に想像できてしまうほどに。

 しかしながら、顔立ちは中性的で整ってはいるものの幼さが目立っていた。

 目を瞑っており、まだ反応はない。眠っているかのように静かに佇んでいる。

 身長は百七十センチほどだろう。背丈や顔立ちから判断しても、やはり十代半ばくらいの年齢にしか見えない。

「汝が余のマスターだな?」

 サーヴァントである少年はそう言いながら、ゆっくりと目を開いた。

 薔薇色の瞳。威圧感、いや、存在感とでもいうべきか。見た者を圧倒する、王たる資質を感じさせる力。それでいながら、傲慢や軽侮といった色は一切ない。真っ直ぐで濁り気のない瞳に、誠は眩しささえ覚えた。

 反応のないマスターに、サーヴァントは微笑みながら歩みよった。

「心配するな。余は偉大なるコサラの王、ラーマだ。出会ったばかりの者をいきなり襲うようなことはしない。それと、汝が余のマスターであるならば畏まることもない。ただ、余と共に並び立ってくれれば、それで良い」

 ラーマは手を差し伸べる。

 やや堅苦しさはあるものの、相手を気づかうような声と態度だった。誠は、そこでようやく安心感を覚えた。驚異的な存在でありながら、敵意や害意は一切ない。むしろ、優しさすら感じるのだ。不安、疑念、緊張……そういった心を圧迫するものが取り除かれた。それだけの力を、ラーマは持ち合わせていたのだ。

 ――これが、英雄。

 深く安堵した誠はコクリと頷いた。

「よし、肯定だな? ならば契約は成立だ」

 足に力を入れる。

 そして、伸ばされた手を掴もうとして――倒れた。

 突然のことに呆気にとられたラーマだったが、すぐさまマスターの異常に気がついた。

「マスター? おい、大丈夫か、マスター! しっかりしろ!」

 誠が倒れたのは必然だ。

 時刻は朝の四時を過ぎていた。家に帰宅したのが夕刻くらいであり、そこから休憩も挟まずに動き続けていたのだ。蓄積された疲労と睡魔は相当なものだ。おまけに慣れない魔術の行使。疲労は計り知れない。

 それを退け、意識を保てていた要因が極度の緊張感だった。だが、今やその緊張感は取り除かれた。安心で満たされてしまった誠の精神には抗う術がなかった。

 ラーマは慌てふためいていた。彼がマスターの倒れた原因など知る由もない。そのため、どのようにして対処するべきなのか、咄嗟に判断できなかったのだろう。焦っているのが伝わってくる。とにかく心配そうに声をかけてくれていたことを、誠はぼんやりと記憶していた。

 ――ああ、歴史に名を残すような大英雄であっても、表情は豊かに変わるんだな。それなら普通の人間とそう大差はないのかもしれない。

 と、そんなことをのんびりと思いながら、誠の意識は遠のいていった。

 

 

 ※

 

 

 マスターが倒れるというのは、ラーマにとっては予期せぬ事態だった。狼狽してしまい、どのように対処すべきか困ってしまった。しかし、すぐに安らかな寝息が聞こえてきたことによって、ひとまずは安堵した。

 疲れ果てて眠っているだけ。そのことに気付いた。

「やれやれ、人騒がせなマスターだな」

 ラーマが微笑んだのも束の間。彼の表情が険しくなった。

 殺気だ。尋常ならざる威圧を孕んでいる。相手との距離も掴めておらず、おおよその方角を察知できる程度だ。

「気取られたか……!」

 おそらく相手はサーヴァントだ。この殺気は自分に向けられているもののはず。

 呼ばれて早々に戦闘。そのことにラーマは不満を感じなかった。

 人生の一番大切な時を戦いの中で過ごした彼にとって、戦うこととは当たり前のことなのだろう。

「さて、行くか!」

 気を引き締め直したラーマは、家の屋上へと向かう。

 切なる願いをその心に宿して。


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