東方偏執狂~ブタオの幻想入り~   作:ファンネル

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第二章 人里にて
第四話 「幻想郷にようこそ」


「おお! ここが幻想郷でござるか!?」

 

 ブタオは人里のど真ん中で佇んでおり、周りの景観を見渡しながら感嘆の声を上げていた。

 過去に教科書の中で見た、江戸時代の町並みのようではないか。

 町並みばかりじゃない。行き来する町の人達もそうだ。みんな簡素な和服を着ている。ブタオは、ここは本当に現代ではないのだと改めて実感した。

 大きく深呼吸してみると、現代の空気とは違った味がする。とても澄んでいるのだ。

 

「空気も随分と澄んでいるでござる。現代はとても汚れていたのでござるな」

 

 ブタオが、田舎から都会に出てきた子供の様にはしゃぎ、キョロキョロと落ち着きも無く辺りを見渡していると、ある事に気が付いた。周りの者が一堂にブタオの事を見ているのだ。

 

(うッ……。皆、吾輩の事を見てコソコソ話しているでござる)

 

 古い着物姿がデフォの幻想郷にあって、ブタオの現代的な格好は余りにも目立っていた。しかもキョロキョロと落ち着きも無い様子も合わさって完全な不審者である。

 ブタオは、コソコソと陰口を叩かれている事でトラウマが刺激されたようだ。

 あては無いが、とりあえずここから早く立ち去ろうと足早に離れようとした時だ。

 

「おい! そこのお前! 待て」

 

 自分を呼びとめる者の声がする。ブタオは振り返ると、そこには青い帽子と胸元を大きく開けた上下が一体となっている青色の服を着た女性が立っていた。

 

「ぶ、ぶひぃッ!? な、なんでござるか!?」

「『何か』とはこっちの台詞だ。あまりにも挙動不審過ぎるから声をかけた。お前は誰だ? この辺りじゃ見かけないが……。それにその格好、外来の者か?」

 

 女性はおもむろに近付き、品定めするかのようにブタオの事をジロジロと観察していた。

 しかしその仕草は、身長差のあるためか、睨まれていると言うよりは、下から上目づかいをされているかのように錯覚させる。

 

(ひ、ひぃッ! ち、近いでござる! それにこのおにゃのこ、すごくオッパイが大きいでござる! はぅッ! あ、甘い香りが――ぶふおぉぉッ!)

 

 元々、胸元の開けた格好のためか、上からの視線だと非常に目のやり場に困る。

 視線をそらすブタオではあったが、女性はあからさまに視線をそらしたブタオにカチンと来たようで、よりブタオの顔に近付いて言った。

 

「こら。人と話すときは、きちんと相手の目を見て話せ。あからさまに視線をそらすなど失礼だぞ」

(さ、さっきよりも近い……ッ! ち、違うでござるッ! 別に無礼を働きたかったわけでは……ッ!)

 

 元々、コミュ症に近い人身知りのブタオが、自身の想いを口に出すことなど出来るはずも無く、混乱の極みにあったブタオは、自分でも良く分からないまま言った。

 

「わ、吾輩は、ブタオと申す者でござる」

「ブタオ? 君の名前か?」

「そうでござる。吾輩、紫殿に幻想郷へ招待されたでござる」

「紫……。八雲紫の事か?」

「う、うむ……」

 

 ジト目でブタオを見ていた女性は、ようやくブタオの体から離れ、ブタオはほっとする半面、少し惜しい気分になっていた。

 

「八雲の者が関わっているのか。と言うと、やはりお前は外来人か。幻想入りしたのか?」

「外来人?」

「なんだ。八雲紫から聞いていなかったのか? この幻想郷では、現代から来たものを『外来人』と呼称しているのだ」

「そうなのでござるか」

「なるほど。外来人ならば幻想郷の風景は珍しいものか。――自己紹介がまだだったな。私の名前は慧音。上白沢慧音と言う。この人里で教鞭をとっている者だ」

「学校の先生でござったか」

 

(こんな若そうなのに先生とは……。こんな美しい先生がいたら、子供たちも勉強に身が入らぬのではなかろうか)

 

 そんな事を目の前に居る慧音を見て率直に思った。

 しかしそんな下世話な思考もすぐに払拭される。なぜなら上白沢慧音と言う名前には聞き覚えがあったからだ。

 

「そう言えば、紫殿が言っていたでござる。人里に着いたら慧音殿を頼れと。この幻想郷での生活に付いて色々と教えてくれると言っていたでござる。貴官のことでござったか」

「ん? ああ、まぁな。私は人里までやってこれた外来人の保護も行っているからな。――どれ、立ち話もなんだ。付いてきてくれないか、色々と君の話を聞きたい」

「了解でござる」

 

 慧音はブタオを連れて、一軒家の中へと招待した。

 

「ここは私の住まいだ。何もない所ではあるが、楽にしてくれ」

「お邪魔します、でござる」

 

 何もないと言っているが、中へ入ってみると大量の書物が山の様に積み重なっている。

 慧音は、ブタオを家の中へ上げると手慣れた手つきでお茶の用意をし始めた。少し待っていてくれと言う慧音を外に、ブタオは慧音がお茶を入れている間、物珍しそうに辺りを見渡していた。

 コンクリートや鉄筋等は一切使用していない、完全な木造仕立ての一軒家。現代の建築技術とは一線を画した造りに、ブタオはとても興奮した。

 

「そんなに珍しいか? 幻想郷の住居は」

 

 慧音がお茶を淹れながら尋ねた。

 

「とても興味深いでござる。吾輩が住んでいた家とは全く違う、趣のある家でござる」

「はは。素直にボロいと言っても良いのだぞ。事実だしな」

「そんな事思ってないでござる! 本当に良い家だと思ったでござる!」

「そうか。ありがとう」

 

 他愛もない会話ではあったが、慧音の子供を見る様な温かな笑顔に、ブタオは少し恥ずかしくなってしまった。

 慧音は、茶の入った湯呑をブタオに差し出た。お互いに一口すすり、ほっと一息ついた所で慧音はブタオに問いただした。

 

「さて、色々と聞かせてもらえるな。幻想入りした理由とか」

「分かったでござる。説明するでござる」

 

 ブタオは事の経緯を説明した。

 現代で自殺を図ろうとした事。八雲紫に死ぬくらいなら幻想郷へ来ないかと誘われた事。妖怪の食糧となってもらえないかと言われた事等。

 ブタオが饒舌に話をしているうちに、いつの間にか慧音は口が開きっぱなしになっていた。時々、眉間に皺を寄せたり、こめかみを押さえたりもした。

 

「なんともまぁ……」

 

 呆れた。

 それが慧音のブタオに対する初見であった。

 

「君はその……それでいいのか?」

 

 慧音も思う所がなかったわけではない。幻想郷の維持には、ブタオの様な妖怪の食糧となってくれる存在が必要不可欠である事を。可能な限り内側の人間を守るために外の世界の人間を犠牲にするというこのサイクルに対する意義を。仕方がない事と割り切ってはいたが、何も思わなかったわけではないのだ。

 にもかかわらず、目の前のブタオと言う男はどうだ。

 彼の表情は実に爽やかなものであった。

 慧音はその立場上、幾人も幻想入りをした人間を見てきたが、そのほとんどは生きる気力を失った抜け殻の様な存在であった。彼らも紫に諭されたのだろうが、半場“どうでもいい”と言うやけくそに近い感情であったに違いない。

 しかし、ブタオは違う。

 

「良いのでござる。吾輩は紫殿によって救われたのでござる。元より価値のないこの命。紫殿の理想の一助になるのならば、吾輩は本望でござる」

「まるで洗脳だな。ただ同情されただけでそうも盲信出来るものなのか? 八雲紫にとってお前は数ある餌の一つに過ぎないのだぞ。ただ利用されているだけだと思わなかったのか?」

 

 慧音の厳しい正論に、ブタオは自身でも驚くほどに冷静だった。

 

「……慧音殿は正道を歩むものなのでござるな」

「正道?」

「そうでござる。正しい光の道を歩む者でござる。誰からも愛されず必要とされず。自分から変わろうとする気概も無く。ただ喰って寝て、目に見えない不安感を抱きながら無為に時間を浪費し、勝手に絶望しながら自殺を望む様な――。吾輩の様な日陰者の気持ちは決して理解できぬでござる」

「……」

「紫殿に出会い、吾輩は救われたでござる。何も持ちえない吾輩を必要と言ってくださったのでござる。紫殿の思惑がどうであれ、その言葉で吾輩が報われた事に違いは無く――吾輩は、吾輩を救ってくれた紫殿に報いたいでござる」

 

 ブタオは、やはり驚いていた。こんなにも自分は自分の意思を話せるものであったかと。

 本当に不思議なものだ。かつては人と対面すること自体に強い忌避感を感じていたと言うのに。『人間死ぬ気になれば何でもできる』と言う言葉があるが、この言葉は事実なのかもしれない。死という最も忌避すべき事象に向かい合える事が出来れば、その他は全てが小事に思えてくる。

 

「そうか。お前がそう言うのならばこれ以上は私から言う事は何もない」

 

 ブタオの信念を聞いてか、慧音はそれ以上は何も言わなかった。

 互いに少し温くなったお茶を飲み干す。微妙に気まずい空気が辺りに漂ったためか、慧音は建設的な会話に切り替えた。

 

「それで、お前はこれからどうするんだ?」

 

 これからの予定に付いて慧音が尋ねたところ、ブタオは目を子供の様に目を輝かせて言った。

 

「とりあえずは、この幻想郷と言う世界を観光したいでござる」

「か、観光?」

「そうでござる。吾輩にしてみれば、この幻想郷は夢にまで見た異世界。いろんな所を見てみたいでござる。――最後の思い出作りでござる」

「最後の思い出?」

「吾輩は当初の目的の通り、妖怪の贄となるつもりでござる」

「……八雲紫は無理に死ぬ事は無いと――命が惜しくなったらこの幻想郷で生きても良いと言ったのではないか?」

「確かに紫殿はそう言ったでござる。しかし、死ぬ以外に紫殿に報いる方法が見つからないのでござる。紫殿は、吾輩が将来的に伴侶を見つけて子を成せば嬉しいと言ってくださったのでござるが……。吾輩の伴侶となってくれる女性など居るとは思えぬでござるし」

「これはまた……。ブタオ、歳は幾つだ?」

「歳でござるか? 今年で三十五になったでござる」

 

(まだ、子供じゃないか。私の何分の一も生きていない……。容姿もそこまでブサイクなものか? 肉つきの良い体をしていると思うが……)

 

 蛇足ではあるが、二人の会話には微妙な食い違いがあった。

 ブタオは、慧音が半分妖怪の血が流れている半妖である事を知らないため、慧音の事を若くて美人のオッパイが大きい女教師程度にしか思っていなかったし、慧音もまた妖怪のいない現代で三十台と言う年齢とブタオの容姿の価値観に付いて気付いていない。世界が違えば価値観も違うと言う当たり前の事をこの時の二人は把握していなかった。

 

「妖怪の食糧になる。これに変更は無いでござる。無いでござるのだが……」

「何か気になる事でもあるのか?」

「そうでござる。吾輩、紫殿に救われ、人と関わる悦びを知ってしまったためか、少し欲張りになってしまったみたいでござる。価値無き命には違いないでござるが、決して無駄にはしたくないのでござる。吾輩のこの命は、吾輩を必要とする者に捧げたいのでござる」

「必要としてくれる者……か。と言うと、君は家畜の様にただ消費される様な存在にはなりたくないと言う事か」

「そうでござる。ただ喰われるだけでなく、その者に――ほんの僅かな間だけでも良いのでござる。『貴方が居て良かった』と、そう思われたまま喰われたいのでござる。――やはり、欲張りでござるかな?」

「……」

 

 幸せそうに。はにかんで言うブタオに対し、慧音が抱いたのは哀れみの感情であった。

 こいつは、今までどんな人生を歩んできたのか。

 本来『死』と言うのは究極の不幸であるはずなのだ。にも拘わらず、それに救いを求めている。この二律背反な思想はまるで――

 

(まるで、彼女の様な……)

 

 不老不死の能力を持ち、死にたくても死ねず――ブタオの様に『死』に対して救いを求めている親友の姿が、一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

 

「――君のその在り方は、決して欲張りなんかじゃない。自分の最後を自分で決めたいという想いは、人として当たり前の事だ」

「そう言ってもらえると嬉しいでござる」

「なるほどな。自分の命を差し出すにふさわしい相手を探すための観光か。――良き出会いがあると良いな」

「ぶひぃ」

 

 慧音は身を乗り出し、ブタオの横に座った。そしてブタオの手を取って言ったのだ。

 

「これも何かの縁だろう。私に出来る事があれば何でも言ってくれ」

「ぶひぃッ!? け、慧音殿!?」

 

 突然、慧音に手を握られた事にブタオは驚愕した。今まで女性に触れられたことなど在りはしなかった。

 温かく柔らかな感触。ブタオのすぐ横に座っているから彼女の芳香が感じられる。何と心地よい事か。女性の手の温もりと言う物がこれほど心地よいものとは知りも得なかった。

 とても心地よい感触である。出来る事ならばずっと感じていたいものではあるが、生憎とブタオは女性経験が皆無であり、この時は恥じらいの感情が上回っていたようだ。

 

「け、慧音殿……。吾輩、恥ずかしいでござる」

「ん? ああ、すまない。突然手を握るなんてどうかしていたな。嫌だったか?」

「そそそそんな事は無いでござる! と、とても温かくて、良い匂いで……ッ! 慧音殿の様なきれいな女性に握られて、すごく嬉しかったでござる!」

「ふふ。なんだ突然に。私を口説いているのか?」

「ちちち、ちがッ……ぶふぅッ!」

「嬉しいよ。私も綺麗と言ってもらえたのは初めてだ」

 

 顔を真っ赤に染めながら狼狽するブタオに対し、慧音は笑いながらブタオをからかっていた。

 しかし、きれいと言われたのが思いのほか嬉しかったのか、彼女もブタオほどではないにしろ、ほんのりと顔を紅潮させていた。

 何とも良い感じの空気ではあるが、女性経験皆無のブタオにとっては、この空気は居心地が悪い事この上なく、すぐさま話題を変えた。

 

「そ、そうだ慧音殿。吾輩、慧音殿にお願いがるのでござった!」

「お願い? なんだ?」

「幻想郷を観光するにあたって、しばらくはこの人里を拠点としようと思っているのでござるが、生憎と寝泊まり出来る場所が分からず……。宿を紹介してもらえないでござらんか?」

「ああ。なるほどな」

 

 上手い具合に話題が逸れたかとブタオは思ったが――。ブタオの思惑とは裏腹に、慧音は何を思ったのか、突然とんでもない事を言いだした。

 

「ならば暫くの間、この家に住むと良い」

「ぶひぃ……? 今、何と言ったでござるか?」

「暫くここに住んで良いと言ったのだ。家賃いらず、食事も付いているぞ」

「いやいやいやいや――。ここは慧音殿の家でござろう!? 吾輩に住めというのは……。はっ!? もしや慧音殿は所帯持ちでござるか?」

「いや。独身で一人暮らしだが?」

「ますます駄目でござろうッ! 吾輩は男でござるぞッ! 慧音殿の様な妙齢な女性が、男を連れ込むなどッ! 警戒心が無さ過ぎるでござるッ! もっと自分の身を大切にするでござる!」

「大丈夫だ。空き部屋はあるし。それともなんだ? お前は私の事を襲うつもりなのか?」

「そんな事しないでござるッ! 吾輩とて腐っても大和男子ッ! 女子を無理やり手篭めにしようなどと――! 襲う襲わないの問題ではないでござる! 吾輩はモラルの話をしているのでござる!」

 

 ギャーギャーと興奮気味に騒ぐブタオを前に、慧音は冷静な物言いで言った。

 

「まあ、少しは落ち着いたらどうだ? 私も現実的に考えて、お前の事を誘っているのだが?」

「現実的、でござるか?」

「ああ。だってお前――お金持っているのか?」

「あ……」

 

 ここにきて、ブタオの熱は一気に冷めた。

 金がない。現実にして何と切実な問題か。金の無い状態で宿を紹介してくれと言った自分が余りにも恥ずかしい。

 

「も、持っていないでござる……」

「だろうな。外来人と言うのは大概は身一つで幻想入りするものだからな。それでどうだ? 暫くの間、私と一緒に住まないか?」

「け、慧音殿はそれで良いのでござるか? 吾輩、男で、その上お金も持ってないでござるぞ?」

「さっきも言ったがこれも何かの縁だ。気まぐれだと思ってくれても構わない。それに……いや、何でもない。どうだろうか?」

「そ、そう言う事でござったら……よ、よろしくお願いしますでござる」

「ああ。よろしく。そして改めて――幻想郷へようこそ。ブタオ」

 

 慧音は右手を差し出し、ブタオに握手を求めた。

 ブタオは慧音の右手を握りしめ、ひとえに慧音の優しさに心を強く打たれていた。

 

「それではブタオ。私は夕食の買い物に出かけてくる。本当だったら人里をお前に案内してやりたいのだが、今日はもう遅い。案内は明日で良いか?」

「もちろんでござる。慧音殿の予定に合わせるでござるぞ」

「そうか。それじゃ行ってくる。暫く留守を頼むぞ。今日は軽いお祝いだな」

「分かったでござる。――あ、ところで慧音殿」

「ん? どうした?」

「先ほどは何を言いかけたのでござるか? 吾輩を泊めてくれた理由に」

「……何でもないさ。何を言いかけようとしたのか、自分でも忘れてしまった」

「そうでござるか。いや、吾輩も経験あるでござる。直前まで言おうとしていた事が突然頭から抜け落ちてしまう事が。ぶふふ」

「ふふ。それじゃ留守を頼むぞ」

 

 慧音はブタオに見送られながら、玄関の引き戸を閉じた。

 慧音はしばらく玄関前で佇み、物思いにふけっていた。

 自分が言いかけた事。

 ブタオに尋ねられた時にとっさに誤魔化したが、あの時、自分はこう言おうとしたのだ。

 

「ブタオ。私は――お前の事が知りたい」

 

 





まだ狂気の部分に入れない。
 次回こそ……

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