東方偏執狂~ブタオの幻想入り~   作:ファンネル

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第三話 違和感

「紫殿! 吾輩、幻想郷へ行くでござる!」

 

 ブタオは袖で涙の跡を拭き取って、声高らかに宣言した。

 提案したはずの紫は呆気に取られていた。少し表情が硬くなっているのを察してか、ブタオは尋ねた。

 

「どうしたのでおじゃるか紫殿。吾輩、決めたでござるぞ? 幻想郷に行くのを」

「え? あ、申し訳ありませんわ。ただ意外に思えまして……」

「意外に、でござるか?」

「はい。先ほども申しました通り、私どもの願いは常軌を逸したものですわ。名前も知らない、ましてや貴方の住んでいた所と違う世界の為に命を差し出してほしいと言っているのですから。正直、ふざけるなと罵倒されるのを覚悟していたのですが……」

 

 正論だった。

 如何に捨てる予定の命とは言え、捨て方くらいは自分で決めさせてほしいものである。それに『誰かのために』と耳障りの良い言葉を使っているが、それはブタオの見知らぬ者だけではなく世界すら違うのだから。

 どんな善人であれ、ふざけるなと言うのがたぶん普通なのだろう。

 しかしブタオは紫の疑問に笑顔で答えた。

 

「吾輩も先ほどと同じ事を言うでござる。吾輩は誰にも必要とされなかった。でも、吾輩が死ぬ事で誰かが救われるのなら……。これほど嬉しい事は無いでござる。この命、好きに使ってくれて結構でござるぞ!」

「ブタオさん。貴方の誠意とても嬉しく思います。しかし、それでも改めて確認させてください。貴方は我々の為にその命を幻想郷へ捧げていただけるのですね?」

「無論でござる」

「幻想郷は魑魅魍魎が跋扈する世界。そして文化形態や科学技術の発達も、おおよそ明治時代程度のものでしかありません。現代で生きてきた貴方にとっては、まさに異世界と言っても差し支えない場所ですわ。それでも貴方は来ていただけるのですか?」

「無論!」

「このまま断れば楽に死ねますわよ? 化物に生きたまま喰われる。それは想像を絶する激痛をもたらします。それでも……」

「痛いのは嫌でござるが、それでも吾輩は決めたでござる! この命は幻想郷の為……いや、紫殿の為に捧げたいでござる!」

 

 自分を必要と言ってくれた人の為に。

 自分の心を救ってくれた人の為に。

 他意はなかった。下心も在りはしない。そこにあったのはただの感謝と報いたいと言う気持ちのみだった。

 決意の言葉。実際に口にしてみると決意がより堅固なものになる。人みしりで決意など口にした事がなかった自分が随分と饒舌に――。

 と、ブタオが自身の放った言葉をふと思い返した時だ。

 

(あれ? 吾輩、実はとんでもない事を言ったのではござらんか?)

 

 命を差し出すことではない。その命を特定の人のために――。しかも女性の紫に対して捧げると口にした。

 これではまるで愛の告白ではないか。

 

(い、いかんでござる! 吾輩の様なキモオタが紫殿の様な見目麗しい女性に対して、あのような……あまりにも不敬ッ! 気を悪くさせてしまったでござらんか?)

 

 しかしブタオの心情とは裏腹に、紫は嫌悪を露わにするどころか、その頬には赤みが帯びており、明らかな動揺を見せていた。

 その様相は、先ほどの妖艶な色気を醸し出していた女性ではなく――。まるで恋を覚えた少女の様なものであった。

 

「ぶ、ブタオさん……」

「は、はいでござる!」

「先ほどの、その……。私の、ためにですか?」

「う……。す、すまなないでござる! 気持ちの悪い事を言ってしまったでござる! 気を悪くさせて申し訳ないでござる!」

「そんな、気持ち悪いだなんて……。とても嬉しかったですわ、ブタオさん」

 

 紫は顔を赤く染めたまま、笑顔で答えてくれた。

 その様子に、ブタオもまた顔を真っ赤に染まった。余りにも可愛らしいその様子に、恋に似た感情がブタオの全身を駆け巡った。

 

「ブタオさん。貴方を幻想郷へと招待いたしますわ。でもブタオさん――」

「なんでござるか?」

「先ほど私は、『幻想郷の糧になってほしい』と申しましたが、無理に妖怪に喰われる事はありませんわ。幻想郷を見て、もしも死ぬ事が惜しくなったのなら、そのまま生きてくださっても構いません」

「そ、そうなのでござるか?」

 

 別に無理に死ぬことはない。生きたいなら生きていても良いという紫の言葉は、殉死の決意をしたばかりのブタオにとって、肩すかしする言葉だった。

 糧になって欲しい、という台詞とは真逆な台詞に対し、紫は事情を説明した。

 

「ええ。幻想郷で生き、そこで骨を埋めるのも、ある意味においては幻想郷の糧になるとも言えますから。貴方が将来、幻想郷で伴侶となる存在を見つけ、子をなすことがあれば幻想郷の人口は増えますわ。人を食糧とする妖怪にとって、人間が増えることは喜ばしいことです。それに――」

「それに?」

「貴方にしてみれば一生に一度あるかないかの異世界召喚。異世界を見ないまますぐに死んでしまっては勿体ないわ。その上で、生きるか死ぬかを選んでみてはどうかしら」

「確かにでござる。死ぬにしても異世界を堪能せずに死ぬなんて勿体ないでござる。まるで小説の主人公になった様な気分でござる!」

「貴方の国で流行しているライトノベルと言う物ですわね?」

「なんと!? 紫殿もラノベの御存じなのでござるか!?」

「ええ。少々嗜んでいますのよ。異世界に召喚された者が立身出世を果たす。王道ですわね」

「そうでござる! 王道でござる! その者も大概は吾輩の様な底辺の者で――」

 

 紫とブタオのラノベ談義はしばらく続いた。ブタオにとっては綺麗な女性と自分の趣味について語り合える幸福な時間ではあったが、宴もたけなわなわけで、とうとう幻想郷へと送られる時が来た。

 

「さて、これから貴方を幻想郷へと送りますわ。それに伴い、ブタオさん。私からのサービスですわ」

「サービスでござるか?」

「ええ。異世界召喚にはチート能力は付きものでしょう? 幻想郷に住む者はみな固有の能力を持っているんですの。貴方にも能力を差し上げようと思いまして」

「なんと! 吾輩にチート能力をッ!?」

「どんな能力が欲しいですか? さすがに私の力の範疇を超えるような強すぎる力は無理ですが」

「むむむ。悩むでござる」

 

 ブタオは腕を組んで悩んだ。

 過去に様々なラノベを読み漁り、自分が考えた最強の能力をいくつも編み出したものだ。

 悩むブタオではあったが、ふと身も蓋も無い事を考えてしまった。

 そんな力を手に入れてどうするのか、と。

 話を聞く限り、幻想郷は殺し合いを禁じ、弾幕勝負なる遊びで決着を付ける平和な世界。

 そんな世界で最強の能力を手に入れて何か意味があるのか? と。

 

「紫殿」

「決まったのかしら?」

「うむ。決まったでござる。とても抽象的なものなのでござるが吾輩……『皆に愛される』ような能力が欲しいでござる」

「『皆に愛される』能力ですか? それはまたなぜ? ラノベにある様な『闇の炎を操る程度の能力』とか『時空間を操れる程度の能力』とか。色々とあると思ったのですが……」

「そんな能力を持っていても吾輩には宝の持ち腐れでござる。吾輩、争い事は苦手でござるし……。強力な力を手にしてもそれを生かせるような頭も持ち合わせておらんでござる」

「それではなぜ、そのような能力を?」

「紫殿と話しているこの時は、吾輩の人生の中でも至高のものでござった。人と話す事がこんなにも楽しいものとは知らなかったでござる。吾輩は他の人達とも話をしてみたいでござる。だから――」

「『皆に愛される』能力が欲しい、と言うわけですわね」

「そうでござる。――何か良い案はないでござるか? 恥ずかしながら吾輩、人に好かれる様な能力とはどのようなものなのか、具体的なイメージが湧かないでござる。どんな能力ならば人に好かれるでござろうか?」

「それでしたら抽象的なままでよろしいと思いますわよ。――『皆に愛される程度の能力』。それが今から貴方が持つ能力の名前ですわ」

 

 紫は右手をかざし、小さく呟いた。

 途端、ブタオの体が光に包まれる。

その光は数瞬で消え、体も特に変わった様子は無かったが、何かが注ぎ込まれたと言う実感だけは残った。

 

「終わりましたわ。これで貴方も立派な能力持ち。『皆に愛される程度の能力』を手にしました」

「特段変わった様子は無いでござるが……。発動条件はなんでござるか?」

「そんなものはありませんわ。貴方の能力は能動的に発動させるものではなく、常時的に発動しているもの。実感は湧かないとは思いますが、これで貴方は誰からも愛される人になりました」

「そ、そうなのでござるか?」

 

 いまいち実感の湧かないブタオだが、紫の笑顔の前に照れてしまい、まぁいっかとひとまず置いた。

 

「それでは貴方を幻想郷へと送ります。ひとまず、人が多く住む『人里』へ貴方を送りましょう。そこに住む『上白沢 慧音』と言う人物を尋ねてください。事情を説明すれば最低限の衣食住は提供してくれると思いますわ」

「それはありがたいでござる! まずは拠点が必要でござるからな」

 

 紫が手をかざすと、目の前には人が通れるだけの『門』が開いた。

 

「この先が幻想郷になります。貴方が生きるにせよ死ぬにせよ――良き幻想郷ライフを過ごせる事を祈っておりますわ」

「この先が幻想郷でござるか。――紫殿」

「なんですか?」

「ま、また、その……会えるでござるか?」

「ええ。貴方が生きていたらきっとまた……」

「それが聞けて良かったでござる。では、行ってくるでござる」

 

 ブタオは門を潜り、幻想入りを果たした。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「気持ちの悪い男でしたね」

 

 ブタオが居なくなった隙間の空間で、藍は紫に対して言った。

 紫は返答しなかったが、藍は言葉を続ける。

 

「本当にブタみたいでしたね。聞きましたか? 所々に『ぶひぃ』とか言って。――なんでしょうかね、あのしゃべり方。『ござる』って。本当に気持ち悪い。キャラ作りですかね? 何かの創作物に触発されたのですかね? 聞いていて滑稽で不愉快でしたよ」

「……」

「しかも自分の事を『ブタオ』と呼んでほしい? 綺麗な女性にブタ呼ばわりされて嬉しい? はッ! とんだ変態ですね。背筋に鳥肌が立ちましたよ。本物のブタ対して失礼というものです」

「……」

「醜い嗚咽を聞かせられただけでなく、紫様のお召し物を汚すなんて……。帰ったらすぐに着替えを用意いたします。不快とは御思いでしょうが、しばらくお待ちください」

「……」

「それにしても紫様。今回は、少々サービスが過ぎるのではないでしょうか? 甘ったれで他人を不快にし、社会に何の利ももたらさない――あんな生きていてもどうしようもない人間に能力を与えるなど――」

「……」

「その上、幻想郷で生きても良いなんて……。紫様が慈悲深いのは良く分かりますが、奴の経歴を聞いても同情する点など微塵も在りはしません。ただの甘ったれです。――あの男が幻想郷で生きていてもきっと何の利益にもなりません。あのような者が番を見つけられる訳もありません。種を残す事も出来ず、糞をする以外に何の生産性もなく――。そんな男が紫様の作った美しい幻想郷に住むなんて……。ぞっとしませんね。死んで妖怪の餌になってくれる事が彼にとっても我々にとっても――」

 

 そこまで言いかけて、藍はそれ以上言葉が続かなかった。自らの意志ではない。物理的に藍はしゃべれなくなっていた。

 なぜなら、彼女の口には、彼女が――紫が普段から手にしている傘の先が押し込まれていたのだから。

 

「ごぼッ!? ごぇッ……!」

 

 口蓋垂に傘の先端が当たり、激しい激痛と吐き気が藍を襲った。物理的に口の中に異物を押し込まれ、まともな呼吸も出来ない。

 

「ぼぇッ! おぇッ!」

 

 喉を刺激する異物を吐き出そうと、藍の喉は小さな痙攣を何度も起こし、呼吸困難のためか顔色が蒼白になってきた。

 蒼白になり、涙すら浮かべている藍をよそに、紫は平然だった。平然と無表情のまま、藍の口に傘の先を押しこんでいる。

 

「ねぇ藍」

 

 紫が口を開いた。しかしその口調は余りにも静かで、酷く冷たいものだった。

 

「ブタオさんがなんですって?」

「むぐぅッ!? お、おぇッ!」

 

 紫の手に力が籠る。先の尖った傘の先端は藍の喉元を超え、胃に通ずる食道に達していた。

 

「気持ちが悪い? 滑稽で不愉快? 生きていてもどうしようもない? 死んでくれた方が助かる? 貴方は何を言っているの? どうしてそんな事を言うの?」

「か、かほぉ……お、おぇ……」

「彼は幻想郷の為にその命を差し出してくれたのよ? 誰とも知らず、世界すら違う私たちのために命を差し出してくれたのよ? そんな彼に対してなに? 『気持ちが悪い』ですって? よくもまぁそんな無礼な言葉が出せたものね」

「ぉ……ぉ……」

 

 藍の体から力が抜けていく。目からは涙が。鼻からは鼻水が。口からは大量の唾液が。藍の顔の穴と言う穴から体液が流れ出た。

 失神する寸前になって紫はようやく藍の口から傘を抜き出した。

 

「げ、げほぉッ! げほごほッ!」

 

 むせ返る藍をよそに、紫は藍の唾液の付いた傘を、事もあろうか藍の衣服に擦りつけて拭いていた。

 紫は藍の目の前に立ち、そして跪いて嗚咽を出している藍の髪の毛を引っ張り上げ、無理やりに視線を合わせた。

 

「次に同じ事を言ってみなさい。その首ねじ切って、豚の餌にしてやる」

「ひぃッ!?」

 

 情けない声が出た。

 自分は、主である紫と長い時間を共に過ごしてきた。互いに強い信頼関係を築き上げていたとすら自負している。口には出さずとも何を考えているのか分かる程の強い信頼関係を。

 だからこそ藍には嫌と言うほど理解できた。

 

 彼女は本気だと。

 

 次にブタオを侮辱する言葉を口にした瞬間、一切の躊躇いを見せる事も無く、本気で自分を殺す気だと。

 

 いつの間にか、生温かな感触が自身の下半身を濡らしていた。

 余りの痴態に、藍の顔は真っ赤に染まる。

 情けなさと恐怖感。二つの感情が入り乱れ、藍のコンピューターのごとき思考回路はショート寸前であった。

 

 紫は藍の濡れた下半身に目を落とすと、紫は苦笑した。

 

「あらあら。藍ったら、子供みたいにオネショなんてしちゃって。うふふ」

「え? は、え……?」

 

 その口調はとても優しげだった。

 いつもの、優しく慈悲深く包容力を持った紫の言葉だった。

 先ほどの殺意を露わにした冷たい表情はどこにもなく――。いつもの優しい顔に戻っていた。

 

「藍。二度と彼に対して失礼な事を言ってはいけないわよ。彼は幻想郷の糧になると言ってくれた人なんだから」

「え、は、はい……。申し訳ありませんでした」

「うふふ。よろしい。――さぁ、私たちも帰りましょうか」

 

(な、なんだ……この違和感は……?)

 

 藍は、先ほどの紫の言動や態度に対して違和感を感じていた。

 確かに非は自分にある。

 幻想郷のために命を投げ出そうとしてくれた御仁に対しての無礼極まる言動の数々。

 幻想郷を愛する紫が激昂するのは理解できる。

 

 しかしそれでも――。

 

(紫様は、あんなにも感情の起伏の激しい御方だったか?)

 

 長い間、紫の式神として傍にいた。時には自身の非で御叱りを受けた事も多々ある。体罰もあった。

 しかし――

 

 本気で殺意を向けられた事は一度たりとも無かった。

 

 どうして今回に限り、あれほどまでに激昂したのか。

 怒りの理由に対して矛盾はない。無いのだが……。藍は紫に対する違和感を拭えずにいた。

 

 




 


 能力持ちとなったブタオ。
 彼の幻想郷ライフはどのようなものなのか。

 第一章 幻想入りはこれにて終了。
 次からは第二章、幻想郷ライフです。ここまで読んでくださって感謝です。

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