東方偏執狂~ブタオの幻想入り~   作:ファンネル

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第二十七話 自覚

 

 

 

「――そうして、吾輩は現在、紅魔館の従者としてレミリア殿に仕えているのでござる」

「あらあらまあまあ……。良き縁があってよかったわね」

 

 ブタオは、幽々子に幻想郷に来た時から紅魔館の従者になるに至った経緯を話していた。

 のほほんとした雰囲気の幽々子ではあったが、思いのほか聞き上手でありブタオもつい饒舌になっていた。

 

「これもみんな紫殿のおかげでござる。紫殿に出会わなかったら、吾輩は現代で一人さびしく最後を迎えていたでござる」

 

 ブタオは紫の方へ向かい、深々と礼と謝辞を述べる。

 

「紫殿。吾輩、紫殿のおかげで人として成長出来たと思うでござる。本当に……。紫殿には感謝してもしきれぬでござる。本当にありがとうでござる」

「い、いいえそんな……私は幻想郷のために……。礼を言われる様な事ではありませんわ」

 

 紫は恥ずかしいのか、少し顔を赤めながら対応していた。

 

「そして、吾輩……紫殿に一つだけ、背信している事があるのでござる」

「背信? 何をかしら?」

「当初、吾輩は、幻想郷の糧となるべく……吾輩を必要としてくださる御仁にこの身を捧げようとしていたのでござる。しかし……慧音殿や紅魔館の優しい方々に出会い――。吾輩の手のひらはどうもクルクルと簡単に回ってしまうようでござる。今は生きてる事が楽しくて……。これからもいろんな出会いを体験したく、この身を惜しく感じてしまっているのでござる」

 

 ブタオの告白に紫は面食らった様な顔をしたが、すぐににこやかにブタオを諭した。

 

「そんな事……。私は申しましてよ。貴方が伴侶となる女性を見つけ、子を成してくれれば幻想郷にとっても良き事だと。生きる事に幸せを感じているのなら言う事はありませんわ。後は素敵な伴侶を見つけるだけですわね」

「ははは……。吾輩の様な醜いブタを好いてくれる女性がいるのかどうか……」

 

 自虐的に笑うブタオに、紫は少し不貞腐れた。

 

「ブタオさん。御自分をそのように蔑むのはあまり関心しませんわ。今の貴方は、とても素敵な殿方ですわ。これはお世辞でも何でもなくて……。少なくても私はそう思います」

 

 自分の言っている事が恥ずかしいのか、少し照れたように言う紫に、ブタオも恥ずかしさと嬉しさがこみ上がって顔に熱が灯ってしまったようである。

 何ともボーイミーツガールな雰囲気である。

 そんな二人を見て、幽々子は妖しい笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 夕刻となり、外はすっかりと暗くなっていた。

 ブタオもそろそろ帰らなければと思ったのだが――。

 

「もう帰ってしまわれるの? まだ宵の口にもなってませんわよ? そんなせっかちにならず、今日はここに泊っていきません?」

 

 幽々子が、名残惜しそうにそう提案してきたのだった。

 それに対しブタオは、失礼にならぬよう丁重にお断りする。

 

「お気持ちは嬉しいでござるが、吾輩、明日は仕事があって――。名残惜しいでござるが帰らなければならないでござる」

「そんなぁ~」

 

 子供の様に不貞腐れる幽々子。しかしすぐに何か思いついたらしく、今度は紫に提案してきた。

 

「ねえ紫。貴方、レミリアにブタオさんの外泊の許可をもらってきなさいよ」

「え? わ、私……?」

「ええ。貴方ならすぐに済むでしょ? 紫だって、ブタオさんともう少し一緒に過ごしたいわよね?」

 

 いきなりの提案に面を喰らうブタオを差し置いて話が進んでいく。

 紫は、少し困った様な顔をしながら、仕方ないと頷いた。

 

「分かったわ……。でも、駄目だって言われたらブタオさんをちゃんと帰しますからね」

「大丈夫よ大丈夫♪」

 

 仕方がないと思いながら、紫は隙間を展開しその中へと入ってしまった。

 その場には、楽しそうな顔をしている幽々子と、あからさまに困った顔をブタオの二人だけが佇んでいた。

 

「あの幽々子殿……? 気持ちは嬉しいのでござるが、その……困るでござる。明日、やらなければならない事もあって……むぐッ」

 

 ブタオがそう言いかけた時、幽々子は人差し指でブタオの口に添えて言葉を紡いだ。

 紫にも勝るとも劣らない美貌の持ち主。大人の雰囲気を全身から出している幽々子の指の何と美しい事か。

 白魚の様な細くて綺麗な手が、汚い自分の口に触れている。

 その事実だけで、ブタオは顔を真っ赤に染め上げ、混乱状態に陥った。

 あたふたと慌てるブタオとは対照的に、幽々子は妖しい色気を醸し出しながら、ブタオの顔に触れるくらい近付き、小さく呟いた。

 

「――ブタオさん。自分で言うのもなんだけど、私も紫も幻想郷ではかなり高い地位にいるの。レミリアも無視できないくらいの。私たちと友好を深める事は、紅魔館にとっても益のある話になると思いますわよ?」

 

 そう言って幽々子はブタオの口から指を離す。

 まだドキドキしている。ブタオは、混乱しながら、幽々子の触れた唇を何度もさすっていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 スキマ空間内で、紫は頭を抱えながら悶絶していた。

 

(うわああぁッ! なによ、なによッ何なのよぉ! どうしちゃったの私ぃッ!?)

 

 誰も見てないと言う事で、ゴロゴロと紫はのたうち回っていた。

 心が穏やかじゃない。冷静でいられない。

 ブタオの礼と謝辞を受けてから、心に熱湯をかけられたかのような気分になっている。

 熱い。ひどく体が熱いのだ。

 ブタオが帰ると言いだした時、何か喪失感にも似た悲しい気持ちになった。そして幽々子が泊らないかと言いだした時は、内心で幽々子を褒め称えた。

 

(ブタオさん……)

 

 ブタオを想うと、どこか甘酸っぱい気分になる。心は穏やかにはならないが、決して苦しくなく――。

 心地いい痛みだ。手放したくないと思う痛み。

 

 この気持ちが何なのかは分からない。

 

 これが、『恋』だと言うのなら、自分は大層節操のない女だ。まだ二回しか出会ってないのに。

 

 だがいつも心にブタオが居る。何をするにしても目蓋を閉じればブタオの姿がある。

 

 この気持ちが何なのか分からない。

 

 紫は、特に意識せずスキマを展開した。

 その先は紅魔館ではなく――先ほどまで居た白玉楼だった。

 ブタオの姿を見れば、この混沌とした感情に整理がつくのではないかと思いながら、彼女はブタオを映し出した。

 

 

 しかし、映しだしたその先には――

 

 

 親友である幽々子と口づけしてるのではないかと思わせるほど、顔を近づけていた二人の姿があった。

 

 

「――ッ!」

 

 

 火照った顔に冷や水をかけられた様な衝撃だった。急に温かな感情が冷め始める。ドキドキとしてた心音は変わらないが、嫌な痛みを伴うものへと変わり――重ッ苦しい負の感情が背中を押しつぶそうとしているようだ。

 

(幽々子……? な、なんで? ブタオさん?)

 

 幽々子とブタオが顔を近づけたのは、ほんの数秒足らずだった。

 彼らは、すぐに離れたものの、紫はすぐさまスキマを展開し、白玉楼へ転移した。

 

 スキマが、ブタオ達の前に展開し、中から紫が姿を現した

 

「あら? 紫、早かったわね」

 

 とぼけた風に言う幽々子をそっちのけ、紫はブタオを見る。そこには顔を真っ赤に染めながら名残惜しそうに自分の唇に触れるブタオの姿があった。

 

「ねぇ紫。どうだった? レミリアは許可してくれたの?」

 

 呆けていたブタオも紫の姿に気付き、ブタオと顔が合う。

 その表情は、気恥ずかしさの中に確かな情愛のある表情だった。

 ブタオのそんな表情を見て、紫は歯ぎしりした。

 

「――紫? どうしたの? 駄目だった?」

 

 目の前の親友に対し、何か黒い感情が芽生えてしまう。

 『美しい』と言う概念をそのまま姿にしたような親友の幽々子。その美しい体をこの場で引き裂いてや――――

 

(――ッ! な、なに? 今、私は何を思った!?)

 

 はっと我に返った紫は、目の前でねえねえとせがむ幽々子を見る。

 自分は何を思っていたのか――。何か恐ろしい事を思っていた様な気がする。

 

「紫ってばッ。どうだったのッ?」

「あ、えと……」

 

 自分の気持ちも整理しきれてない紫は、混乱気味に答えた。

 

「だ、大丈夫だったわよッ。うん、おっけーだってッ」

 

 その言葉に幽々子は大層喜んだが、ブタオはどこか複雑な表情だった。

 

「は、ほんとでござるか紫殿。レミリア殿は本当に……」

「え、ええ。その……楽しんで来いって」

 

 明日は、自分が当番だったはずなのに……。でも紫が言うのだからきっと本当なのだろう。

 幽々子の言うとおり、交友を深める事で紅魔館の利益になると考えての事かもしれない。

 

(それなら、今日は楽しむ事にするでござる。――こんな美女たちとお泊まり会……ぶひひ。最高の一夜になりそうでござる)

 

 そう思ったブタオであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ブタオのお泊まりが決定したと言う事で、調子に乗った幽々子は急きょ宴会を計画した。

 しかし、何の準備もなく始まった宴会である。いきなり大量の料理が並べられる訳もなく、酒をメインにしながら一品ずつ料理が運び込まれてくる形式となっていた。

 

「ささ、ブタオさん。もう一献」

「おっとと。かたじけないでござる」

 

 幽々子は、御大臣様に酌をするかのような振る舞いでブタオを持て成していた。

 幽々子は思いのほか聞き上手であり、酒の力もあってブタオはかなり調子に乗っていたようだった。饒舌になり、幽々子を楽しませた。

 

 何とも楽しそうな雰囲気ではあるが、そんな二人を不愉快そうな目で見ている二人がいる。

 

 紫と妖夢の二人である。

 

 紫は、チビチビとコップ酒を舐め、ブタオと幽々子の話を尻目に聞いている。

 妖夢は、持ってきた料理をわざとらしく音を立てて乱暴に二人の前に置き、少し飲み過ぎだと幽々子に注意していた。

 幽々子は、聞いてるのか聞いていないのか――。のほほんとした返事しかせず、妖夢はズカズカと台所に戻っていくのであった。

 

「ねぇブタオさん。ブタオさんって紅魔館の使用人で、あの銀髪メイドのお弟子さんなのよね?」

「咲夜殿の事でござるか? 弟子だなんてそんな……。でも、咲夜殿には掃除から炊事まで、使用人として様々な技術を教わったでござるよ」

「あのメイドの作る料理は絶品だと評判で、一度食べてみたいと思っていたの。ブタオさんなら彼女の料理を作れるんじゃないかと思って。何か作ってくださらない?」

「ぶひッ!? わ、吾輩の料理を……でござるか! そんなッ咲夜殿の技巧を真似できるほど、吾輩は――」

「いいじゃない。私もたまには妖夢以外の人の手料理を食べてみたいなぁ――なんて」

 

 いきなり過ぎるオーダーではあるが、自分だけ楽しんで妖夢達だけを働かせる事に忌避感を感じていたブタオは、自分が何か作っている間は、彼女達に休憩をして貰おうかと思い、幽々子の期待に応えた。

 

「分かったでござる。咲夜殿には追い付かないでござるが――。学んだ技術の粋を集め、紅魔の味を堪能していただくでござる!」

「わーッ楽しみッ」

 

 酒の力も入ってか、調子に乗っているブタオであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 台所では、妖夢と藍が協力し合いながら、料理を作り続けていた。

 手慣れた手つきにリズミカルなまな板を叩く音が響き渡る。何とも楽しそうな音だ。

 しかし、二人の表情はあまり楽しそうなものではない。

 藍はどこか事務的な感情の無い顔で調理を続けていたが、妖夢に至っては明らかに不愉快そうなオーラが体からにじみ出ている。

 

 時折、藍は心配そうに横目に妖夢を見ていた。

 

 原因は分かっている。

 

 あのブタオと言う男だ。

 自分の主が、水商売の女の様に接待する姿は、見ていて気持ちの良いものではないだろう。

 時折、乱暴に包丁をまな板に叩きつける様子を見ては、藍も妖夢が怪我しないかと内心ハラハラとしていた。

 そんな不愉快な気分の中――。

 台所の暖簾から、件の男がやってきた。

 

「藍殿。妖夢殿――」

「ブタオ殿。どうされましたか?」

 

 妖夢は一瞥もせずに、調理を続け、藍がブタオの対応に回った。

 ブタオは、幽々子がブタオの手料理を食べたいと言い出した旨を説明し、その間に二人は休憩に入って欲しいと言った。

 藍は少し申し訳なさそうに

 

「そんな……。御客人であるブタオ殿にそのような事を……」

「良いのでござる。吾輩も、自分だけ楽しんで藍殿や妖夢殿だけに働かせる事に、少し罪悪感を覚えてしまって――。幽々子殿たってのお願いでござる。ここは吾輩の顔を立ててくださらぬか?」

 

 幽々子がやって欲しいと言ったのなら、ブタオに遠慮願う事は返って失礼になると思い、藍は素直にブタオにこの場を任せようとした。

 

「そう言う事でしたら遠慮なく我々は休憩に入らせていただきます。ここにある食材と調味料は好きに使ってくださって構いませんから」

「感謝するでござる」

「いいえ、こちらこそ。――妖夢、聞いての通りだ。ここはブタオ殿に任せて我々は休憩を……。妖夢?」

 

 妖夢は変わらず、こちらを見ない。

 しかしその背中は小刻みに震えており――。

 妖夢は、俯いたままブタオの前へとやってきた。

 一体、何事かとブタオも思った時、妖夢はその表情をブタオに見せた。

 

「よ、妖夢殿……?」

 

 妖夢の表情は、怒りも悲しみも混じってる様な――。今にも泣きそうな切ない表情をしていた。

 妖夢の気迫に当てられ、ブタオは少し気押された。

 

「……ブタオさん」

 

 妖夢の声は震えていた。

 

「わ、私……。貴方のその態度は、どうかと思います――ッ」

「――え?」

 

 ブタオにとっては、心当たりのない叱責である。

 一体、何事かと藍も妖夢を諌めた。

 

「妖夢ッ、いきなりどうした。ブタオ殿に失礼では――」

「藍さんは黙っててくださいッ!」

「――ッ!」

 

 それはヒステリックな声ではなかった。しかし体に響く様な凄身のある声であった。

 不覚にも藍も妖夢の凄身に気押され、言葉を詰まらせてしまった。

 

「妖夢……殿?」

「紫さまだけでは飽き足らず、幽々子さまにまでデレデレと……」

 

 彼女は、溜めこんだ鬱憤を晴らすかのようにブタオに負の言葉を吐き出す。

 

「あのお二方はですね……幻想郷でとても偉い方々なんですッ。や、やんごとない身分の方で――気高くて、綺麗で……とても立派な……」

 

 彼女は、喉の奥に詰まらせていた嗚咽をぶちまけた。

 

「あ、貴方の様な……貴方の様な醜い人が、そんな方々と釣り合うわけないんですッ! あまり調子に乗らないでッ!」

 

「――ッ!」

 

 妖夢の負の感情を乗せた悪態は、その場を凍りつかせた。

 妖夢の見せた事のない憤りの表情に、普段冷静な藍も何が起きたのか理解できずにいた。

 ブタオも、大人しそうな雰囲気を持った少女に、言われもない叱責を受けて体が動かなかった。

 

「妖夢ッ! お、お前……ッ なんて事を――」

 

 我に返った藍は、叱りつけるように妖夢に強く当たる。

しかし妖夢は、まだ言い足りないらしく、負の言葉を吐き出し続ける。

 

「幽々子様達のあの接待は、ただの戯れで……貴方は、ただ遊ばれてるだけなんです! そんな事にも気付けないのですかッ!」

「妖夢ッ!」

 

 今度は藍が、怒気を込めて声を荒げる。

藍の声に、妖夢はビクリと体を強張らせ、目に涙を浮かべながら顔をそむけて俯いた。

 

「ぅ……グス……」

「…………」

「…………」

 

 ぐつぐつと煮物の煮える音だけが、台所に響き渡っている。

 誰もかれもしゃべらない。今、台所の時間は凍りついているようだった。

 小さな嗚咽を出してすすり泣く妖夢。

 妖夢とブタオのそれぞれに何と声をかけていいのか分からず、かといってオロオロと取り乱す事も出来ず、藍はブタオの方を見る。さすがに人の良いブタオも憤りを感じているだろう。そんな事を思いながら――

 

 しかし、どうした事か……。

 

 藍は、ブタオの顔に魅入ってしまっていた。

 

「――妖夢殿」

 

 ブタオの声は、平静で静かなものだった。

 妖夢は、俯いたままブタオの言葉に返事を返す。

 

「何ですか……。自分が遊ばれてるだけだって……幽々子様たちとは釣り合わないって自覚したんですか?」

 

 ここまで来て、まだ憎まれ口を叩く妖夢に、ブタオは変わらず声をかける。

 その声は、変わらず静かで――。優しさを含んでいるものだった。

 妖夢は、顔を上げてブタオと対面する。様々な感情が入り乱れて、涙に濡れた視線をブタオにぶつける。

 

 そして、妖夢も――。

 ブタオの顔を見て、積もり積もった負の感情が――

 

 一気に消えた。

 

 

「――妖夢殿。そんな事は……誰よりも吾輩が一番よく理解しているでござるよ」

 

 

 ブタオの顔は憤りも悲観もなかった。

 酷い侮辱を受けたにも関わらず、ブタオの表情はとても穏やかなものだった。

 そのあまりの穏やかな表情は、この場に似つかわしくなく、藍も妖夢もその表情に魅入ってしまっていた。

 

「妖夢殿、すまなかったでござる……」

「――えッ?」

「吾輩は……妖夢殿の気持ちを慮っていなかったでござる。確かに、あの様な美しい御仁が、吾輩の様な醜男に水商売の女中のように接待する姿は、見ていて気分の良いものではなかったでござろう。妖夢殿のその憤りは……至極まっとうなものでござる」

 

 深々と頭を下げるブタオに、妖夢の憤りで凝り固まった感情は一気に冷め、完全に怒りをぶつける術を失った。

 憤りで埋め尽くされていた感情。その感情が抜けると、その隙間には“後悔”という感情が膿のように溢れだし――。

 

「あ……あ……」

 

 我に返った妖夢は、自分の行いを自覚してしまった。

 自分の主である幽々子が、正式に招待した客人に対しての無礼の数々。

 上りきっていた血の気は一気に下がり、顔が冷たくなっていくのが分かる。でも額からは嫌な汗があふれ出てくる。

 

「あ、わたし……私は……ッ!」

「妖夢ッ!?」

 

 妖夢は藍の停止の声を振り切り、脱兎のごとくその場から走り去った。

 その表情は、恐怖と後悔の念に捕らわれてる事が素人目にも分かるほど青ざめていた。

 

 ブタオは、顔を上げて藍と対峙する。そして少し羨ましそうにブタオは呟いた。

 

「妖夢殿は――。尊敬しているのでござるな、幽々子殿の事を」

「え、ええ。恐らく……幻想郷で一番……」

「そうでござるか……。やはり、吾輩の思慮が足りなかったでござるな。吾輩も、敬愛するレミリア殿が、吾輩の様な醜い者を甲斐甲斐しく接待している姿を想像すると……我慢ならないものがあるでござる」

 

 軽くため息をついて、ブタオは藍に言った。

 

「藍殿……。妖夢殿が気がかりでござる。藍殿は、彼女を追いかけてくだされ。そして少しでも気に病んでいるのなら、気に病む必要は何もないと彼女に伝えて欲しいでござる」

「ブタオ殿。彼女は、貴方に多大な非礼を……」

「非礼ではないでござる。妖夢殿の言っている事は何一つ間違っていない。全てが正論で……。――藍殿、吾輩の顔を見てくだされ」

「――ッ?」

 

 ブタオは、ズイっと藍に顔を近付ける。

 女慣れしておらず、自分の容姿にコンプレックスを抱いているブタオとは考えられない行動である。

 藍はブタオの視線から目が離せなかった。

 ブタオの目は、日本人らしく黒色の瞳をしている。黒く黒く……、とても深い黒色の――。

 

「醜い顔でござろう? まるでブタの様でござろう? 一体誰が……こんな醜い男を好いてくれると言うのでござるか!?」

 

 深淵を連想させるブタオの瞳。

 やけになっているのか、強気のブタオに気押され、藍はいつの間にか壁に追い詰められていた。

 逃げられない。目の前のブタオから――。あの目から――。

 ブタオの顔が近付いてくる。お互いの呼吸を感じられる距離まで。少しお酒臭い。藍はゴクリと生唾を飲み込む。頬に冷たい汗が流れ出る。

 

「――すまなかったでござるな、藍殿」

「あ……」

 

 ブタオは、藍から顔を離し、容姿を隠す様に俯きだす。

 

「吾輩の顔を間近で見て……。藍殿もさぞかし不快でござったろう」

「そ、そんな事は――ッ」

 

 不快――なのだろうか?

 藍は、自分の感情に戸惑っていた。

 心臓がバクバクと大きく脈打っている。ブタオと顔が接近した時の事を思い出すと顔が沸騰したのではないかと思うほど熱くなる。

 不快……ではない。

 少なくとも、今感じているこの感情は、決して悪いものじゃない。

 こそばゆく、言葉に出来ない何かが全身を駆け巡る。

 

「――藍殿。もう行ってくだされ。ここは、吾輩だけで十分でござるから……」

「しかしブタオ殿……」

「少し……一人にさせて欲しいでござる」

 

 それは強い拒絶の言葉だった。

 藍は、それ以上は何も言わなかった。

 しかし、言いたい事はまだ沢山あるのだ。

 藍は、伝えたい事を……。嘘偽りない自分の心をブタオに打ち明けた。

 

「分かりました。私は、妖夢を追いかけましょう。――しかしブタオ殿。これだけは言わせてください」

「……ぶひ?」

「私は……。貴方の事を見そこなっていた。初めて貴方に出会った時、現代での貴方のあり方は、ただの甘ったれで、自分の不幸を何でもかんでも人のせいにする様な、碌でもない人間だと思っていました」

「……慧眼でござるな」

「節穴もいいところでした。――確かに貴方の外見は醜い。それは否定しません。しかし貴方は、それを補って余りある美しい心を持っている。それは間違いなく貴方の美点だ。貴方のその誠実さを――私は尊敬します」

「……」

「言いたい事は言いました。――では、これにて」

 

 藍は、ブタオに背を向けて台所から出て行こうとする。

 暖簾をくぐった辺りで、ブタオは藍に声をかけた。

 

「――藍殿ッ」

「……」

 

 体は止まったが、返事はなく振り向きもしない。

 

 だけど、それで良い。たった一言、言いたいだけなのだから

 

「――ありがとう」

 

 それは小さな呟きだった。聞こえたのかどうか怪しいほどの。

 だけど、藍の耳にはしっかりと伝わったようだった。

 

「――どういたしまして」

 

 その台詞と同時に、藍はブタオの前から姿を消した。

 

 

 しばらく台所の静寂――

 ブタオは一人、佇んでいる。

 

「――さて、幽々子殿達をあんまり待たせるのは悪いでござる。早く作らなければ……」

 

 食材と包丁を手にした途端、ブタオの手に頬から伝わった何かが何かが落ちる。

 

「あ、あれ……? わ、吾輩、お、おかしいでござるな……。たいして動いていないのに、目から汗が、止まらんでござる……」

 

 妖夢に正論を諭されたためか。藍に慰めてもらえたためか。はたまた自分の状況を再確認してしまったためか。

 グチャグチャに入り乱れる感情。

 ブタオは、どうして涙があふれるのか、分からずにいた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 よもや台所で、ブタオ達の悶着があったとも知らず、幽々子と紫は酒を交わしていた。

 主に盛り上がっていたのは、幽々子だけだったが――。

 紫は、終始仏頂面で、コップ酒をあおっていた。かなりの量を飲んでいたらしく、左右に体が揺れるくらい平衡感覚が無くなっている。

 

 そんな仏頂面の紫をからかうように、幽々子は呟く。

 

「面白い方ねブタオさんって。私、気にいっちゃたわ」

 

 幽々子のその言葉に、紫はさらにコップ酒をあおる。そして深い息を吐きながら、幽々子に言った。

 

「ねぇ幽々子……。あなた、少しブタオさんにくっつき過ぎなんじゃない?」

「くっつき過ぎ?」

「そうよ。ブタオさんの腕に体を密着させて……はしたない。あれじゃブタオさんが迷惑に思うわよ……」

「そうかしら?」

「そうよ……きっと」

 

 紫の言葉に反省する様な幽々子ではない。

 

「ブタオさん……やはり殿方ね。彼の腕はとても逞しかったわ」

 

 彼女は盃をあおり、静かに息を吐く。その仕草は同じ女の紫ですら色を覚えるほどの優雅なものであった。

 酒が入っているためか、幽々子は顔を赤らめながら切なそうに言う。

 

「ここは、私と妖夢――女二人しかいないし。殿方の温もりに飢えているのかしら? もっと彼に触れたいわ。そして彼にも……私に触れて欲しい」

「――ッ!?」

 

 切なそうに、顔を赤らめてたそがれる幽々子に、紫の胸中にどす黒い何かが芽生えるのを感じた。

 とても嫌な感じの――。

 

(わ、悪酔いしたかしら……? 何だかとても気持ち悪い……)

 

 酷く落ち着かない。焦燥感にも似た言いようのない感情が、紫の体を支配する。

 紫は一息つけようかなと、席を立とうとしたが――

 

「あ、待って紫」

 

 幽々子が、それを遮る。

 

「ブタオさんの事で、あなたに聞きたい事があるのよ」

「聞きたい事?」

 

 何のことかと腰を戻す紫。また何かはしたない事でも言うのかと思ってはいたが、先ほどまでおちゃらけていた幽々子と打って変わって、彼女は真面目な表情になっていた。

 

「あなたがブタオさんに与えたっていう、【皆に愛される程度の能力】について」

 

 

 

 





今回、ずいぶんと筆が走ったなぁ(遠い目)

白玉楼に楔が撃ち込まれました(ピッコーン)

次回もよろしくです

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