「ふぅ。こんなもんかな」
美鈴は、まだ目を覚まさないブタオを看護していた。時折ブタオの体に触れて気を送り込む。そうすることでブタオの体力の快復を促進させていた。
気を送り込むにあたり、美鈴はブタオの素肌に直接手で触れていたわけだが、ブタオの放つ『男の匂い』に断続的にクラクラとさせられていた。
顔をほんのりと紅潮させながら美鈴は思う。
(この人本当になんだろう……。なんで私、こんなにドキドキしてるんだろうか)
別段、男性の裸体を見た事がないわけではない。妖怪としてそれなりの長い時を生きてきた。子供ではないのだ。今更異性の裸を見ただけで取り乱したりするはずもない。
しかし美鈴は自身の内にある感情に戸惑っていた。
ふと美鈴はブタオの頬に触れた。特に意味はない。治療の為ではなく、単に触れてみたくなっただけだ。
ぷにぷにとだらしのない脂肪を蓄えた柔らかな頬。しかしどうしてこんなに愛おしく思うのだろうか?
次第に高まる心臓の鼓動。熱を帯びる体。荒い息遣い――。
美鈴は、ブタオのベッドに腰かけ、静かにブタオと顔を近づけ始めた。自分の髪がブタオにかからないよう掻きあげてじっくりと観察する。ブタオの体から発せられる強い男の匂いに酔いしれる。
愛嬌はあるのかもしれないが、お世辞にも整った容姿をしているとは思えない。そう自覚しているにもかかわらず、とても目の前の男が愛おしいと感じてしまう。
美鈴の唇がブタオの唇に近付きつつあった。そしてブタオの口元から漏れる吐息が美鈴の唇に触れたその時であった。
コンコン
「――ッ!?」
突然、部屋のドアがノックされた。美鈴は飛び上るほど驚き、ブタオと顔を離した。
「美鈴。入るわよ」
咲夜であった。お茶と菓子が乗ったおぼんを持ちながら、室内に入ってきた。
「御苦労さま美鈴。どう? その後に何か変化は……って貴女どうしたの?」
「はッ……え……? い、いいえ! な、何でも無いですよッ!あ、あはははッ!」
「……?」
顔を真っ赤に染めて、脂汗をかいている美鈴に対し、咲夜はかなり不審に思った様だった。
美鈴もさすがにあからさまに怪し過ぎると自覚していたが、余りにも恥ずかしいので目を合わせる事が出来ずにいた。
「そう? ――お茶を持ってきたの。少し休憩しましょう」
「あ、はい! うれしいです」
しかし咲夜は、美鈴に特に何も問いたださなかった。それはブタオがまだ眠っていたため油断してしまったのか。もしくは美鈴なら何の心配も無いとの信頼の証か。もしくはその両方か。
咲夜はテーブルに紅茶と菓子を置いて美鈴に振る舞った。そして自分も休憩しようと美鈴の前に座った。
「――お嬢様たちは、彼に対して何か言ってましたか?」
「ええ。まぁ……」
お茶をすすりながら、レミリア達の会話を尋ねる美鈴。咲夜はレミリア達の会話を美鈴に伝えた。
案の定と言うべきか、レミリアの話を聞いた時の美鈴も、咲夜と同じように信じられないと言った表情をした。
「マジですか……それ」
「マジよ。妹様の恋心が偽物であっても構わないって……。まぁ、本当に妹様がこの男に洗脳されているかどうかは分からないけど……」
「……」
洗脳に近い何かしらの能力。
パチュリー達の仮説の話を聞いて、美鈴はブタオを横目に先ほどの自分を思い返していた。何を思ったのか、急に劣情を催し、男に口づけをしようとした自分を。
(洗脳に近い能力……。パチュリー様の仮説は正しいのかも知れない。あの時、私は確かに……)
ブタオに触れたいと思った。胸を焼き焦がすかのような情動。しかし性的な欲望とは少し違う。言い様のない暖かみのある感情――。
(私は確かに――彼にときめいていた)
口づけしようとした自分を思い返し、美鈴は顔に熱がともるのを感じた。羞恥心で心が落ち着かない。
しかし――
それは決して不快な感情ではなく――。むしろずっと感じていたいと思う心地よいものであった。
(どうしよう……。伝えるべきか。しかし……)
美鈴は確信していた。自分はおかしくなっている、と。
ブタオに触れ、ブタオの匂いを嗅いだ時から、恋に近い感情を抱いてしまっている。出会ってから数時間も経っていない男にときめいている。
とてもじゃないが普通の状態ではない。洗脳なんて生易しいものではない。もっと強い何かが体と心を支配している。
実に恐ろしい事だ。しかし何よりも恐ろしいのは、おかしくなっていると自覚していながら、その事に甘酸っぱい心地よさを感じてしまっている事だ。優しく包まれるかのような安心感を感じている事だ。
不安をまるで感じない。自身の置かれている状況と目の前の眠っている男の危険性を把握しながら、まるで危機感を持てないのだ。
美鈴は思う。もしも、今この場で自分の現状を洗いざらい咲夜に話したらどうなるのだろうか、と。
いつからおかしくなったのかは定かではない。
ブタオに触れた時か。
ブタオの匂いを嗅いだ時か。
はたまたブタオを一目見た時からか――。
何がきっかけとなってこんな感情を持ったのかは分からない。しかし確実に言えるのは、自分の現状を話したら、咲夜は何のためらいも無く目の前で寝ている男を殺してしまうだろう、と言う事だ。
洗脳に近い力を有するブタオの能力。意識的にか無意識的にかは分からない。しかしどちらにしろ、危険極まりない能力である事に違いはない。
咲夜はきっと殺す。
主人であるレミリアに意にそぐわなくてもきっと殺す。
レミリアはそんな彼女に罰を与えるだろう。命令を聞かないコマ等必要無いとして。
しかし彼女は傀儡でなく真の忠臣。主人を守るためなら喜んでその身を犠牲にするだろう。
故に美鈴は話せずにいる。
目の前の同僚の愚行を阻止せんとするため――
違う。
(――いや違う。咲夜さんの為じゃない。かといってお嬢様の命令の為でもない。話せないのは、話したくないのは……ッ)
咲夜の為。レミリアの命令を遵守する為。
そんなものは全て建前であった。美鈴が話したくないのは――。
(私は、彼を知りたいッ。彼と話をしてみたいッ。好きな食べ物は何か。趣味は。どんなタイプの女の子が好みか……。話してみたい。彼と触れ合いたいッ)
ブタオの為。そして自分の為であった。
ブタオを失いたくない。まだ言葉を交わした事も無い男に対して、美鈴は確実に恋心を抱いてしまっていた。
確実におかしくなっていると言う自覚を持ちつつも、美鈴はこの感情を愛おしいと思ってしまっていた。
ブタオと話をしてみたい。まだ眠っている彼を見ているだけでこんなにも胸がときめいているのだ。実際に会って話をしたら、この激情はどうなるのだろうか?
「――そう言えば、美鈴。貴女ずっとこの人と一緒にいたけど大丈夫だった? 何か変な事が起きたりとか……」
目の前で茶をすすりながら尋ねる咲夜に対し、美鈴は――
「いいえ。何にもありませんでしたよ」
自分でも驚くほど、静かに嘘をついていた。
その後、咲夜は美鈴にブタオが起きたら、レミリアの元へ挨拶に行かせる事を告げて部屋から出て行った。
客室は再びブタオの美鈴の二人だけの空間になった。
美鈴はブタオの顔にそっと手で触れた。温かく柔らかな感触に美鈴はブタオを愛しく思った。
彼を滅茶苦茶にしたい。
そんな衝動に駆られながらも彼女は自制する。
「――私は、この人に魅了されている。これが洗脳されると言う事なのか」
美鈴はそっと呟いた。その呟きは、ブタオか。はたまた自分自身への呟きか。
「これが洗脳なのだとしたら、存外に悪くないですよ?」
そのどちらでも無い。彼女の意識は、自分の主――レミリア・スカーレットへと向けられていた。
「レミリアお嬢様。この人なら、貴女の退屈をきっと癒やしてくれます。最高ですよ?恋をするという気持ちは。ふ、ふふふ……」
ハーレムには協力者が必要不可欠ですよね?(ゲス顔)