「発情? あのフランが? それ本当なのレミィ」
「ええ」
レミリアは友人であるパチュリー・ノーレッジとお茶をしていた。彼女達の傍らには咲夜が茶や菓子を振る舞っている。
レミリアはパチュリーと咲夜の二人に、現在フランが陥っている状況について説明していた。
「理由は分かっているわ。フランがあのブタの様な男の血を吸った事が全ての原因よ」
「興味深い話ね。貴方達はいろんな人間の血を吸っているのに、あんなあからさまに発情した様子は今までなかった。あの男には何かあるのかしら?」
興味深そうにレミリアに尋ねるパチュリーに対し、レミリアは少し気恥ずかしそうに答えた。
「たぶん……と言うか、間違いなくあの男――『童貞』ね」
「は? 童貞?」
「良く言われているでしょう? 吸血鬼は、処女の血を好むって。男の吸血鬼は処女の血だけど、私達の様な女の吸血鬼はね、『童貞』の血を吸うとその……ちょっと発情しちゃうのよ。破廉恥な話だけど」
「ど、童貞……ねぇ」
何と反応し良いのやら。三人ともほんのりと顔を紅潮させて俯いてしまった。しかしこれでは話が進まないので、こほんと小さく咳払いをしてレミリアは咲夜に尋ねた。
「ねぇ咲夜。貴女、フランに殺意を向けられたのよね。あのブタみたいな男を誘惑するなって」
「はい。美鈴の話によると、私が先に好きになった……と発言したそうです」
「そう……」
フランの心情の変化に、三者は共通の答えを見いだしていた。パチュリーが代表するかのように結論を口にした。
「それじゃ、フランはその男の血を吸ってしまったせいで、その男に恋をした……と?」
咲夜もその結論に達したようで、何も言わなかった。
高尚な吸血鬼が家畜であるはずの人間に恋をする。この由々しき事態にどう反応知ればよいのか――咲夜は無表情ながらも頭の中では酷く混乱していた。
パチュリーも事の重大さを理解してか、結論を口にはしたがそれ以上は続かなかった。別段、パチュリーは人間を見下していたわけではないが、『これはない』と断言できるほどの由々しき事態であった。
二人が、ブタオの処置についてどうしようかと思考を変えようとした時だった。
「――違うわ」
レミリアが、パチュリー達の結論を否定した。
「違う? 違うって何が?」
パチュリーが聞き返し、レミリアは己の考えを口にした。
「フランがあの男の血を吸って発情しているのは本当よ? そしてたぶん、その男に恋をしているのも事実なんだと思う。――違うのはフランが恋に落ちた理由が、血を吸ったからと言う所よ」
「吸血鬼は童貞の血を吸えば発情するんじゃないの?」
「発情と言っても、それは本当に小さな衝動よ? せいぜい体が熱くなったりする程度で、その……我慢できなくなっても自分の手で慰めるだけで充分に処理できる。少なくとも、人の感情を左右するほどの効果はない」
「それってつまり……」
「そうよ。フランは、出会ったばかりの名も知らぬ人間に一目惚れをしたと言う事になる。――ねぇ咲夜? 貴女は『一目惚れ』と言う現象が現実に起きると思う?」
レミリアの問いに咲夜は即答した。
「在り得ません。『好意』とは、ある一定以上の期間と相互理解を必要とします。他人を一目見て劣情を催すのは、単なる肉体的な欲求であり、『恋』とは全くの別物であると考えています」
「私もそう思う。幾らフランが『異性』と言う存在を知らなかったとしても、また血の力があったとしても、好意を抱くには余りにも早すぎる。あの子がこの紅魔館から出て行ってから一日しか経っていなかったのよ。たったの一日……。どう思うパチェ」
咲夜の即答とは反対に、パチュリーは思慮深く、言葉を選ぶように慎重に答えた。
「何かしらの『能力』が働いている――そう考えるのが妥当じゃないかしら」
レミリアも咲夜もパチュリーの回答に異を唱えない。おそらく二人も同じ事を思っていたのだろう。
パチュリーはこの時、『男の能力』との断言はなく『何かしらの能力』と答えをぼかした。状況的に、男がフランに何かしたと考えるのが妥当であるはずなのに、敢えてぼかした。
なぜなら、もしも自分の仮説が真実であり、男の能力がフランの感情を操って無理やり好意を抱かされているのだとしたら、それはすなわち、全てを支配する高等な種族である吸血鬼が、人間に支配されてしまったと言う事になってしまうからだ。
敢えて『男がフランに何かした』との断言ではなく、『何かしらの能力』と他の要因を思わせる答えを出したのはこの為だった。自分達の君主である吸血鬼が、人間に支配されたかもしれないと言う事実を誤魔化すために。
そんなパチュリーの意図を咲夜は読み取った。そして読み取ったと同時に、彼女の先ほどまでの瀟洒な余裕のある表情とは打って変わって、刃物を思わせる鋭い表情へと変わった。
『もしもフランに何かしたのならタダではおかない』
鋼の様な強い意志を持って咲夜は自身に誓ったのだった。そしてそれはパチュリーも同じことだった。もしも友人の妹を洗脳まがいな能力で従わせていたのならただではおかないと。
優雅で健やかなはずのお茶会は、一瞬にして軍議の様な緊張感を醸し出していた。
しかし、そんな中でたった一人だけは何も変わらなかった。優雅に紅茶を飲み、お菓子を口に運んでいた。レミリアである。
「ちょっと二人とも。殺人鬼の様な怖い顔になっているわよ?」
茶化す様にほくそ笑むレミリアに、パチュリーは怒気を込めながら静かに言った。
「貴女は今の状況が分かっているの? もしかしたら貴女の妹があの男に洗脳されているのかも知れないのよ? 貴女は何も思わないの? 誇り高き吸血鬼の貴女が……」
「いま上げている話は全て推測の域を出ていない。全部私たちの想像で、あの男が原因ではないのかもしれない」
「状況的に原因はあの男が何かしたとしか考えられないんだけど?」
レミリアは紅茶を飲み干し、静かに一息ついた。自分の妹が操られているのかもしれないと言うのに、この落ち着き様にパチュリーはイラつきを覚え、咲夜は深く心配した。しかしどこ吹く風か、レミリアの態度は変わらない。それどころか、とんでもない事を口にした。
「仮にフランの恋心が、あの男の能力によるものであったとしても、フランが恋をしていると言う事実に変わりはない。あの子が好意を示している限り――私はこの状況を好ましいものと思っている」
「な……」
「ッ……!?」
レミリアの発言に二人は絶句した。
立場上、咲夜は主人であるレミリアに物申すことなど出来るはずも無く、代わりにパチュリーが講義の言葉を口にした。
「レミィ。貴女、本気で言っているの?」
「本気よ。もしかしたらこれはフランにとっては初恋なのかもしれない。大切な妹だもの。あの子の恋路を応援してあげたいと思う」
「それは『恋』なんて優しい言葉じゃない。『洗脳』よ。偽りの感情よ」
「パチェ。貴女は少し悲観過ぎるわ。『偽物』だからなんなの? 始まりが偽りであったとしても、そこから真実の愛が育まれる事だってある。大切なのはきっかけなんかじゃない。今あるこの時を、どう未来へと持っていくかが重要なのよ」
「ッッ……」
パチュリーは、反論の言葉を吐き出したかったが、それを無理やりに呑み込んだ。もう何を言っても無駄なのだろうと、代わりに大きなため息をついた。
その様子にレミリアは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。パチェ。そして咲夜も……」
「レミィ?」
「お穣さま?」
どうした事かと頭をかしげる二人に、レミリアは言葉を続けた。
「たぶん、貴方達が正しいんだと思う。私は、妹を洗脳したかもしれない男に対して、憤慨すべきなんだと思う。でもね、私は……今のこの状況をとても楽しいと思っているの」
「楽しい?」
「ええ。へりくだるつもりはない。私は誇り高き吸血鬼。全てを支配する絶対の支配者。そしてフランにもその血が流れている。その支配者たる吸血鬼を虜にする力……。是非知りたい。一体、どうしてフランがそこまでの恋心を抱いたのか。一体、フランに何をしたのか、その男は何者なのか――興味が尽きない」
レミリアの危険な思想に、咲夜は立場を超えて主人であるレミリアに反抗した。
「お穣さま! それは余りにも危険な考えでございます! もしもあの男が紅魔館にとって害ある存在ならば……」
咲夜の反抗に、レミリアは静かに制した。
「ありがとう咲夜。でもね、私は退屈しているの」
「お穣さま……」
「ここの所、異変らしい異変も起きず、平和でのどかで……。それはとても素晴らしい事なんだと思う。だけど私はとても退屈で、何か変化が欲しいのよ」
「……」
「そんな心配な顔をしないで頂戴。大丈夫よ。何かあれば、その男を殺せばオシマイでしょ? 心配ないから」
傲慢にて不遜。そして慢心してこその絶対の支配者。レミリアが慢心する事はいつもの事だが、咲夜は一抹の不安を拭えずにいた。
そんな咲夜の心情をよそに、レミリアはブタオの容体について尋ねてきた。
「そう言えば、例のその男……名前はなんて言ったっけ?」
「確か、ブタオと言うそうです」
「ブタオ……ねぇ。名前は体を表すって良く言うけど、あそこまで似合っているのもそうはないわね。本当にブタみたいで、ふふ……。そいつは今どこに?」
「客室のベッドに寝かせております。今は美鈴にその者の介護を命じておりますわ」
「美鈴に?」
「はい。彼女は気を送ることでその者の快復を早める事が出来ますので。もし何かあっても、彼女なら対処が可能でしょうし」
「そう。それなら美鈴に伝えておいて頂戴。その男が目を覚ましたら私の方にあいさつに来させるようにと」
「かしこまりました」
良い感じに茶も菓子も無くなり、お茶会は終了した。
咲夜は片づけを開始し、パチュリーは図書館へと戻っていった。レミリアも自室に戻ろうとその場を後にした。
長い紅魔館の廊下を歩きながら、レミリアはふと妹のフランドールの事が頭に過った。
人間の男に恋をした愚かな妹。誰にも触れさせたくないと言う独占欲から味方にまで敵意をむき出しにさせるほどの激情。そんなフランを思いながらレミリアはふと呟くのであった。
「『恋』か……。誰かを好きになるって、どんな感じなんだろう?」
それは絶対の強者ゆえの宿命か、レミリアは誰かを好きになった事がない。フランもそれは同じはずだった。しかし彼女は恋に落ち、自身の心情の変化に戸惑いを見せていた。
レミリアが、『恋』と言う現象に興味を覚えた瞬間であった。