POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

4 / 23
第三章 緋壮の夕暮

「……転移・完了」

 バイザー越しに瞳に映る世界が先ほどの歪んだ景色と打って変わって建物の並ぶ場所に変わって安定したことでラムダは自身が転移を完了したのだと知る。

 事前にインプットされていた『街』の景色にそっくりであることから、ここはどこかの街なのだろう。自身の転移の手引きをした主に聞こえるようにポツリと漏らした。

 彼女、マスターが言うには近くに自身と所属を同じとするあの人物が居るはず、そう思ったそばから彼女は見つけた。

 周囲から浮いた筋骨隆々の真っ赤な巨体は二メートルほどあって、その容姿から確か赤鬼と呼ばれている。

 これだけ発展した街だというのに辺りに見られる人の人数は少ない。

 きっと、彼――テイガーやそれと対峙する人物のこともあって危険だと判断したのだろう、野次というものすら居なかった。

 彼女の視線はそうして、赤い巨体の男・テイガーから、それと対峙する人物へ視線を移した。バイザーの赤い単眼が僅かに横に動く。

 そこに居たのは、黄色いフードを被った男と――少女だった。

 ラムダは、フードの男よりも少女に目を引かれた。データベースに、一致する情報が一切見当たらない。そして、何よりも。

「対象・認識……あ、あ……」

「おい、どうしたラムダ」

 甘美な感覚。その存在を意識する度、どうしようもなく愛しい記憶の外の存在に似た感覚が溢れて来るのだ。

 テイガーに近付こうとして、彼女は途中で移動を停止する。

 疑問に思った主が問うが応答できずにいた。テイガーに向けて男から伸びる事象兵器。

「チィッ……! 聞こえるか、ラムダ。テイガーを援護しろ!」

 マスターからの命令にハッとし、了解――そう告げ彼女は移動を再開する。近付き、剣を召喚し射出する。

 背後から飛んで男を狙うそれにテイガーがその巨体を振り向かせ、丁度良かったと。

「チッ……素体か! 第七機関が何故ソレを持ってやがる……ッ」

 男が忌々しげに叫ぶ。飛び退いたところを追うように最大出力で近付き、背後に浮いた八本の剣を振り下ろす。

 ――キィン、と高い金属音が鳴り響いた。

「……あ」

 

 

 

「えへへ、こんかいは、ぶあつい本が、たくさんですね」

「薄い児童書ばっかだとすぐ読んじまうだろ」

 本を胸に抱えながら彼女らは街を歩いていた。

 行き交う人々は笑顔に溢れ、道化師が道端で芸を披露していたり、レモンのいい香りがする香水を付けた美人とすれ違ったり。

 そうやって街を歩いていると――ふと、頭上に影ができる。

 不審に思ってテルミが見上げると。

「……マジかよ」

 巨体が、空から落ちて来ていた。

 慌てて本を抱くユリシアの腕を引いて彼は走った。

 そして、低い轟音が響き、地が振動する。間一髪、その巨体に押し潰されるという事故は免れた。

 ゆっくりと上体を起こしたそれは、真っ赤だった。赤い肌、筋の浮いた大きな筋肉、飛び出た牙、巨体。

 ――第七機関の赤鬼。テルミが理解した時には人々は悲鳴をあげて逃げ始めていた。

「見つけたぞ。上司の命令でな、貴様を拘束させてもら……と、なんだ、この子供は。反応には……む、これは」

「ひっ……」

 赤鬼の視線が一度テルミに向き――その下の少女へ移る。途端、彼女は悲鳴を漏らす。

 赤鬼がそんな少女の態度に目もくれず、反応に気を取られた隙に。彼は、口を開いた。

「聞こえてますかー? こんな奴を寄越して自身は引きこもりの化け猫ぉ」

 赤鬼に、否、彼はその向こうの安全な場所で傍観に徹した娘に向けて話していた。

 案の定、彼女は通信に出た。

「テルミ……今度こそ、お前を……」

 憎々しげに言う声に、テルミはくつくつと喉の奥を鳴らして嗤う。

 無駄だ、無理だ。そう言って彼は、ユリシアを引き寄せる。

 抱いていた本はとっくに落ちて、散らばっていた。

 少女はしかし、そんなテルミに疑問を抱くことも、嫌がることもなく。目の前の赤鬼の存在に、カタカタと震えていた。

「ココノエか。すまないが、この少女は……」

「少女? ……待て、何だソイツは、私も知らん。今からそっちにラムダを送る、それまでテルミとその少女を其処に留めておけ」

 テルミが引き寄せた少女を、ココノエと呼ばれた女はテイガーに言われてやっと認知する。確かにそこに居たはずなのに、今までそこに誰も居なかったかのように。

 何故、と問おうとするが命令を下されれば赤鬼――テイガーは口を噤み一言了解したと答えるしかなかった。

「はいはい、会議は終わりですか~?」

 テルミがひどく挑発的な声で問いかけ、テイガーがそれに視線を移す。

 留めておけ、とココノエに言われた。ならば、実行するまでだ。

「上司の願いでな。貴様らはここに居てもらおう」

「はぁ? 嫌に決まってんだろ」

「貴様の意思は関係ない」

 そう言って、テイガーは身体を折り曲げる。空中の磁力を操り、リニアモーターカーの要領で射出されるかのようにして突進した。舞う砂煙。

 危ない、と言いながらもユリシアを咄嗟に抱えながら横にひらりと身を翻して躱すテルミに、それでも充分距離を縮めた彼は上体を起こし腕を突き出す。

 それを後退してテルミはまた避ける。トン、と地に足が着いたところで彼は怒鳴った。

「うぜぇんだよ!」

「そう言われてもな」

 困ったようにそう漏らしながらテイガーは大地を響かせながらテルミに歩み寄る。

 面倒臭そうに自身を睨んでくるその男を掴もうとしたところで彼はまた後ろに跳び、

「ウロボロス!」

 彼が叫ぶと、彼の後ろの空間がぐにゃりと歪む。穴が開き、そこから現れるのは蛇頭の彫刻がついた鎖だ。

 それは高速で射出される。重い巨体で素早く動けるはずもなく、テイガーの腹にその先端が直撃。鮮血が飛び散る。

「あ……」

 そこで初めて、少女は血というものを見た。漏れる声。なんて、赤くて綺麗なんだろうか。突き刺さった蛇の頭が引き抜かれる。

「ぐっ……」

 テイガーが呻き、地に膝をつけそうになったところで、視線を横に逸らしたユリシアの視界に捉えられるのは、モノアイのバイザーを付けた――少女だった。

 周りの人が何故か逃げていたのに、その少女はそこに佇んだままだ。

 どうしたのだろう、とユリシアは思う。不思議と、知らぬ人物への恐怖というのがこの時だけは浮かばなかった。

 しかし、首を傾けそうになったのも束の間。自身を抱えた大切な人――テルミに向けて、彼女が指差す。途端、少女の前の空間が先ほどテルミが鎖を召喚した時のように歪む。現れるのは刃だ。

 射出されるそれ、振り向くテイガーと、自身を横に突き放して躱すテルミ。

 そんなテルミを追うかのように少女が高速で近付き、背後に浮かんだ剣を持ち上げ、前に振り下ろす。

 危ない、だとか、今更だけれどまた怖いのに絡まれただとか、そんな思いがユリシアの中を渦巻き――気付いた時には、金属音が鳴り響いて。

 その小さく白い両手には、身の丈ほどもある大鎌が握られていて、それで彼女が振り下ろした剣を防いでいた。

「なっ……ラムダの攻撃を、塞いだ……?」

 通信機についたカメラの映像を見て、ココノエが漏らす。一体どこからそれが出てきたのか、あの少女は何者なのか。一瞬、言葉を失った。

 あ、と声を漏らしてラムダは咄嗟に身を引く。と同時、ユリシアが突然支えるものが無くなった反動で体勢を崩す。突然現れた鎌の重みもあったのだろう。よろけ、鎌の柄を杖代わりに地面につくことで倒れることは免れた。

「……あ、あ」

 少女がぶつぶつと言葉にならない声を漏らし、テイガーがそれを心配しつつも唐突に鎌を現したユリシアに驚きを隠せないでいたり、テルミが目を見開いていたり。

 手に持ったそれを見下ろす。持ったのは初めてのはずなのに、やけに手に馴染んだ。

 柄の尻から伸びる鎖の先は、近くにできた空間の歪みに繋がっていた。

「……」

 どうしよう、どうしよう。周りを見回して、少女は眉尻を垂れた。

 震える手、沈黙の中、ぱっと鎌から手を離す。消えて欲しくて、目をぎゅっと瞑って。重力に従って鎌は手から落下し――地面に当たる直前。カァンと音が鳴るのを想像していた彼らの予想は大きく外れ、いつまで経ってもその音は鳴らない。

 目を開けて、地面を見る。そんなものは最初からなかったかのように消えていて、空間にも歪んだところはもうない。そうしてユリシアはあの少女を見つめる。少女は身体を前に降り、腕をだらりと垂らして――とても、苦しそうに見えた。

「えと、てるみさ」

「『アイツら』は敵だから気にすんじゃねぇよ」

 だから、たいせつな人であるテルミに聞こうとして。そう言われれば、口を噤む他に何もできなかった。

「待て、テルミ。その少女は何なんだ、鎌を出したり貴様をやけに気にしていたり……」

 しかしココノエがテルミの台詞を聞き、怪訝そうに問うた。先の事もある。一体何者なのだ、その少女は……と。その問いを受けてテルミは一瞬きょとりと目を丸くした後、ユリシアを見下ろし、ふむと息を漏らすと、ニィと口角を上げてテルミは口を開く。

「鎌の事は俺も今初めて見たんだけどよぉ……テメェらには分かんねぇか」

「どういう意味だ」

 ニィ、と口元を笑みに歪ませてテルミは笑う。それの意味を理解することのできないココノエが、問う。

「テメェらが、俺にだけは絶対に渡したくない存在だよ」

 その言葉を聞いた途端――嫌な考えが過って、慌てて口を開く。

「テイガー、動けるか、その少女を拘束しろ。ラムダも手伝え!」

 膝をついたテイガーと、動かないラムダに彼女は命令をする。しかし、彼の方は一度立とうとして、傷が深かったのだろう。また、地に膝をつけた。

 ラムダは応答しない。

「んじゃ、俺様達は帰るとするわ、じゃあな~」

 それを嘲笑うかのように踵を返し、片手をひらりと掲げてテルミは歩き出す。勿論、ユリシアを連れてなのだが。彼らに『所有物』として見せつけるかのようにテルミは彼女の腰に手を回していた。

「待てテルミ! クソッ、応答しろ二人とも! 一旦帰還しろ、転移だ」

 ハッとしたように、ラムダが身体を起こす。そこに、あの少女と男の姿はなくて。

 マスターの命令を聞けなかったことへの申し訳なさと、何故あの少女が鎌を出した時引いてしまったのかという疑問がラムダの中を渦巻きながらも、彼女は一言「了解」と答えて、テイガーの元へ移動する。

「すまない、ココノエ……転移を開始する」

 ラムダが近く、転移の範囲内に収まったのを確認すると、ゆっくりとテイガーは傷を負った身体に鞭を打って立ち上がり――転移を開始した。

 ラムダが来た時と同じように膨大なエネルギーの流れが二人を包み込む。だんだんと二人が薄くなり、消えていく。

 視界が歪み、高速でその歪んだ世界が後ろへと吸い込まれていく。

 そうして暫くして――彼らは、元居たココノエの研究所へと戻ってきた。

「おかえり、二人とも。――テイガーは手当てをしてやるから着いて来い。ラムダは後で調整とデータの確認をしてやる」

 彼女は淡々と、冷静に事に対処し始めた。そこに、先ほどの焦りや怒りといった表情はどこにも、微塵にも感じられない。

「あぁ、頼む。……少女の件だが、何故突然拘束を命じたんだ」

「それは……嫌な予感がしたからだ。そして、それは当たったらしい」

 テイガーの身体をくまなく検査しながら、彼女はそう語る。表情こそ変えていないが、声音はどこか悔しそうなものだった。

 それはさておき、テイガーの手当ては基本的にココノエがやっている。それはテイガーの体を一番理解しているのがココノエだからなのだが。するすると丁寧に巻かれていく白い包帯を見ながらテイガーは小柄な猫の半獣人を見つめた。

「ま、この程度なら……お前の体であれば、一日か二日で治るだろ」

 傷は確かに深かったしその場じゃあまり動けないほどだったけれど、テイガーの肉体は鬼の遺伝子を組み込まれている上にココノエの改造があり、故に傷の治りも早いのだ。

「そうか。それなら良かった」

 結構な量があった包帯を全てその巨体に巻き付け終えると、ココノエはパンパンと手を払って、くるりと踵を返す。

「よし、もういいぞ。ただ、暫くは安静にしておけ」

 と言っても、彼女がテイガーをこき使うため安静にできる保証はないが。少しだけ気を付けようと思っていたのは秘密だ。そして彼女は傍らに佇む少女――ラムダを見遣る。

 突然応答しなくなったり、何を見たのか理解できない反応をしたり。

「ところで……あれからお前らが戻ってくる間に探知機系のログを漁ってみたところだな。見事に引っかかった。その中でも特に興味深い反応があってだな」

「というと?」

 テイガーが問うと、そこで彼女は今まで動かなかった表情を、苦虫を嚙み潰したようなものに変えた。周囲の音を窺うように、くるくると彼女の小さな猫耳が向きを変える。

 苛立ちを含んでいるのか、その尻尾が揺れる速度はいつもより早い。

「テルミが言っただろう。私……否、私達がテルミにだけは渡したくないものだと」

 きっとここから先は、テイガー達はあまり理解できない内容になるかもしれない。

 そう思いながらも、ココノエはキーボードを両手の指で叩き始める。カタカタ、と心地良いタイプ音が続き、やがて手を止める。目的のものが見つかったのだろう。

 じっくりと画面を見て、そして彼女は溜息を吐く。事実が変わるわけでもないのにだ。

「……ラグナ=ザ=ブラッドエッジや、ノエル=ヴァ―ミリオンを検知するためのレーダーのログだ」

 くるり、と画面をテイガー達に向けると彼女はある一点を指差す。反応が一点に色濃く出たそこは、テイガー達が先ほどまで居た場所だった。そしてそれは、あの少女がラムダの攻撃を防ぐ瞬間にもっとも反応が強くなっていた。

「……そこに、ラグナもノエルも居なかっただろう。それにお前には同じものを搭載していて気付いているはずだ。要は、そういうことだ」

 突然の話に理解の追い付かない二人、それも仕方ないと思いながら彼女は頭を抱えた。まさか、そんなものを手にしているだなんて。

 それじゃあ、何故すぐに行動を起こさないのか、彼女も何故あんなのについているのか。そればかりが疑問だった。

「――ラムダ。調整してやるからこっちへ来い」

「了解。マスター」

 ゆるりと首を横に振り、考えても今は答えが出ないことだとして彼女はラムダに声をかける。ココノエに命令されたラムダは先ほどのように動かなくなったり命令を聞かなかったりなんてこともなく、彼女の言葉に素直に従う。

 ラグナ達に近い気配を持つ少女に対して、ラムダがあんな反応を返したことを思い返し、ココノエは、

「まさか……な」

 ポツリ、と誰にも聞こえぬようそう零した。

 きっと、否、絶対、境界に触れるため生まれた素体として反応してしまっただけで。まさか、彼女に組み込んだニュー・サーティーンの魂の記憶や彼女の記憶が残っているわけではないと彼女は結論付けた。

 そして彼女はラムダの内に残されていた『不要』と判断したデータを削除し、調整を始めるのだった。

 

 

 

   1

 

 西の空は美しいオレンジ色に染まり、東はだんだんと紫紺に変わっていく夕暮れ時。逢魔時(おうまがとき)とも呼ばれるその時間、彼女らは夕食を摂っていた。

 その間、彼女らは最低限での会話こそあれど、まともに話すということがなかった。それも、先の彼女のことが原因だった。

「あの」

「なあ」

 今日の夕飯は第七階層都市・カザモツから取り寄せた名物の一つ、ヒメマスを使用した、魚料理が中心だ。メインは刺身で汁ものにはあら汁を。ほうれん草のおひたしを副菜に添えて。ほこほこと湯気を上げる白米を食べる手が進む。最近の技術により魚も鮮度を保ったまま運ぶことができるようになったから、こういうものも、食べようと思えばこっちでも食べられるのは少し嬉しい。

 そういえば、和食なんて、いつぶりに食べただろうか。

 彼女の腕はテルミが久しく食べていないそれを見事再現してみせて、あっという間に皿の上は空となる。

 それで皿を片付けようとする前に一度迷って、口を開いてみれば丁度そこで二人の声が重なったのだ。

「あ、さきに、どうぞ」

「いや、ユリシアからでいい」

 そう促されて、彼女は黙り込む。言うべきか、悩んでいた。

 けれど、言わなければ話は進まない。意を決したように少女は噤んでいた口を開く。

「きょうの、おひるのことですが」

 それは、テルミも話そうと思っていたことだった。けれど、まさか彼女の方から話すだなんて思っていなかったこと。だが、その驚きを表情には出さず、テルミは平静を装って短く相槌を打った。

「とつぜん、でてきた、あの……なんていうんでしょう。おどろきませんでしたか」

 彼女自身はすごく驚いていたし、テルミも目を見開いていたからきっと驚いていたのだろう。『鎌』という名称を知らぬ彼女は、しかしたどたどしいながらに思っていたことを伝える。

 素直にテルミが驚いた、と伝えれば、彼女はやはりかと言いたげな顔をして、そうですよね、と漏らす。そして彼女は大きく息を吸うと、

「あれは、わたしにも、よくわからなくて。てるみさんを、まもりたいとおもったら、いつのまにか、でてきたんです」

 訥々、そう語る口ぶりに嘘は見えないし、寧ろ戸惑いさえ見えた。彼女も、突然出てきた物に対する驚きや、テルミにどんな風に思われたかという不安に苛まれていたのだ。

 そう分かると次にテルミが考えるのはあの鎌の正体だ。術式が展開される気配はしなかったから彼女が術式を無意識下で展開したという手は考えられない。明日、また考えるかとテルミは思う。まだ、滅日の時まで時間はあるのだから。

 だけれど、彼女が口を開くことでその思いは切り替わる。

「でも、でも、ふしぎ、なんです」

「はぁ?」

 彼女が、曖昧ながらに語る内容にテルミは首を傾げた。ゆるゆる、と首を横に振って少女は語る。あれが消えた瞬間、パズルの最後のピースをはめたような、温かなものが自身の中に広がるような、何とも言えない心地良い感覚があったのだと。

「……ふぅん?」

 語る内容は、かつての器『カズマ』がテルミを受け入れた時の感覚によく似ている。もしかしたら、彼女の体に関係あるのかもしれない。けれど、少しだけ納得のいかないといった表情でテルミはしかし、この時は特に何か意見を言うこともできなかった。

 二人分の皿を運んで、洗って、食器乾燥機にかける。テルミも手伝うようになったのは昨日の昼から気まぐれでだ。隣に並ぶ彼にユリシアはへらり、と柔く笑う。

 彼らは今日も飽き飽きするほど平和な時を過ごしていた。

「えと、それで」

「んだよ」

 今度は何を言い出すのか。テルミは問う。濡れた手を拭いて、さっさと風呂に浸かって眠ろうと思ったときのことだった。

 彼女はうーん、と一度考えるような素振りを見せたあと、テルミを見つめて、

「やっぱり、でかけるたびに、いろんなこわいひとに、からまれてしまいましたですし」

 そこで言葉を切って、至極言いづらそうにテルミの目と、床を交互に見つめること数回。テルミが痺れを切らして何が言いたいのか聞こうと、息を吸った直後だった。

「わたしも、その、てるみさんの、じゃまにならないていどに、とれーにんぐ……でしたっけ。したい、とおもったんです」

 それは、少し前から思っていたことだ。体力が足りなければ絡んできた人物に対応するだけの話力も戦闘力の類もない。だから、少しでもそれに抵抗できるだけの力が欲しいと。その目は真剣だった。

「……はぁ」

 なるほど、と納得する反面、彼女はそんなことまで気にしていたのかと考える。

 ぱっとこの事象に現れた少女が、この他人と話せないような臆病な少女が。そこまで考えるようになるだなんて、テルミは少しばかり驚いていた。

 この時テルミはまだ、彼女の『能力』についても彼女のことについてだって、まだまだ理解していないことが多かった。

 

 

 

 彼女はふと目を覚ました。夜中の二時半だった。普段なら目が覚めることもなく、夢を見ることもなく朝まで眠りにつけるのに。何故か今日は違った。

 眠気は少しだけある。けれど、眠りに再度戻れるほどじゃなくて、瞼をごしごしと手の甲で擦る。

 ぼやけた視界がだんだんと鮮明になっていく。常夜灯を一つだけ灯した部屋は真っ暗で、ベッド周り以外は闇に包まれていた。

 隣に寝るハザマを起こさないように、ゆっくり身体を起こしてシーツを脱ぎ、ユリシアはベッドの横にある窓のカーテンをさっと開けた。

 彼女の視界に映る月は黄金でなく、銀色の三日月だった。統制機構内から見る空は街灯に邪魔されず煌めく美しい星々が見えて。その景色を大切な人と見たくて。でも、起こすことができなくて――ちらりちらり、何度か彼の頭部を見遣る。月明かりに艶やかな緑の髪が照らされる。

 その日、それから彼女は眠れなくて。立てた膝を抱えて顔を伏せ、暫くそうしているとやがて空が白くなり始め、だんだんと光が差しだす。ゆっくりと顔を上げ隣を見れば、すぅ、すぅ、と穏やかな寝息を立てて彼はまだ眠っていた。

 普段、常に柔和な――しかし貼り付けたような笑みの絶えない彼、ハザマの寝顔を覗き込めば、その寝顔はとても安らかで、まだ幼い人間のそれのような、純朴そうな寝顔がそこにあった。子供らしいかどうかは彼女には分からなかったけれど、可愛らしいとどこかでそう思うユリシアが居た。

 鼻梁に引っかかっていた長い前髪がさらり、と下に流れ落ちる。時計を見れば六時半。彼女はそっと、彼を起こさないようにベッドの隅へ移動すると腰かけ、ぶらりと脚をベッドから出した後に傍らに置いてある靴を履いて立ち上がる。クローゼットを開ける。

 ベビードールを、リボンを解いて脱ぎ捨て、ハザマから与えられたいつもの服を着る。壁にかけられた姿見を見た。勿論、くるりと回って背面も。よし、どこにも変なところはない。次に蜂蜜色の髪の毛を三つの房に分けて編んで、腕にはめていたゴムで留める。なんとなしに顔を見た。眠れなかったからか隈(くま)が僅かばかり浮かんでいた。

 あまり気にならない程度だけれど、隈という存在を知らない彼女は得体の分からないそれに首を傾けた。それでもすぐにキッチンへ向かったのだが。

 フライパンを棚から取って、術式で熱を出す構造のコンロにかける。弱火に調整して、暫し温めてから冷蔵庫の中のベーコンと卵を取り、まずはベーコンの方を三枚投入。

 油を引かなくても、ベーコンの中にある分で足りるというのは料理本に書いてあった知識だ。それからシステムキッチンの角に卵を打ち付け、片手でぱかりと割って中身を落とせば、ふんふん、意味のない音を繋ぎ合わせた即興の鼻歌を歌いつつ蓋をする。

 暫し待って、白身が真っ白になった頃合いで火を止める。あとは余熱で熱してから蓋を開ければ湯気が立ち上った。ふわり、香ばしい香りと程よく焼けたベーコンエッグ。ステップに乗って食器棚から皿を二枚。

 フライ返しを上手く使って片方の皿にできあがったものを。それをもう一つ作って、残りの皿にも。あとは野菜室からレタスとミニトマト、キュウリを取って、洗って、レタスは千切ってキュウリは輪切り。ミニトマトはそのままでサラダボウルに盛り付ける。ドレッシングをよく振り、かけて。

 丁度そこでハザマ、否、テルミが起きたらしい。んん、とくぐもった声が微かに背後から聞こえて振り返れば、上体を起こした彼が居た。

 両腕をぐぐっと伸ばして伸びを一つ。眠たげな眼を擦ればふと隣を見て、誰も居ないのを確認するとゆっくりとした動作でキッチンの方をテルミは見遣る。視線がぱちりと合って、ユリシアが微笑むのを無表情で彼は見つめていた。

「おはようございます、です」

「ぁふ……ああ、おはようさん」

 ぷわりと出てきた欠伸を、手で口を覆って噛み殺す。体にかかったシーツを剥いで、くるりと体を九十度横に回せばベッドのすぐ近くに置いてあった靴を履いて立ち上がり、彼女が先ほど服を出したのと同じクローゼットからシャツを取り出す。何も纏っていない上半身にシャツを羽織り、袖に腕を通して第二ボタンまでを開ける。

 スラックスを取る。黒いそれは新品で、その穴に躊躇なく足を入れた。二段になっているベルトを締め、黒のネクタイを首へ無造作にかければ朝の彼のスタイルが完成する。

 ハザマならその恰好をだらしないなどと指摘するはずだけれど、生憎と今日は何故かまだ起きていないらしい。

 運ばれた朝食はテーブルの上。先に彼女がテーブルの前に座って、テルミも準備が整えば歩み寄り椅子を引く。

「じゃ、たべましょう、です」

「あぁ、そうだな」

 腰かけてそんな言葉を交わせばフォークを手に、簡単なサラダを一口。瑞々しい野菜の味がドレッシングと飽和する。飲み込み、カップのコーヒーに口をつければ次はベーコンエッグ。フォークを刺して丁寧に切っていく。一口分の大きさにカットして、口へ運ぶ。まず最初に広がるのは塩気と香ばしい香り。噛めばぷつりと膜が破れてホロホロと現れる黄身の甘みが先の塩気と混じり、全てが合わさって口腔を支配する。美味だ。

 食べ進めること数分。ユリシアはまだ三分の一ほど残っていたが、テルミの方は全て平らげてしまって、皿とカップを持ち立ち上がる。ギィと椅子を引くチープな音が鳴れば足を使って椅子を椅子を元の位置に戻してやって、それからキッチンへ。シンクへ置くだけ置けば、あとはユリシアの朝の仕事だ。

 少しして彼女も食べ終わり、立ち上がり、椅子を手で押してから皿を持って同じようにキッチンに移動して。

 シンクに置けば蛇口を捻る。流れる水、スポンジを手にして洗剤をかけ、数度揉めば柑橘系の匂いがする泡が沢山。それで皿や先程使ったフライパンを洗って拭いて、干す。

「えへへ……てるみさん、おいしかったですか?」

 振り返り、ぱたぱたと黒いブーツを鳴らして駆け寄り彼女は問う。間抜けた声をあげて聞き返すテルミだったが、すぐに頷いてみせれば彼女はぱぁと幸せそうに顔を輝かせ笑うのだ。面白いほどに。

 朝食が済めば歯を磨いて、顔を洗って。タオルで濡れた肌を優しく拭えばハザマの時間が始まる。まずはやらなければいけない書類からだ。

 執務机とセットになった椅子へ腰かけ、机の引き出しを引っ張れば茶色い封筒がお目見えして、そっと取り出し中に手を突っ込み引っ張りだしたのは白地に黒い文字がびっしりと書かれた書類の束だ。なかなかに量がある。と見つめて思う。一日で終わる量ではあるのだが、それでもだ。

 書類を机に置いて、閉め忘れていたボタンを閉めればネクタイを結ぶ。続いて立ち上がり、クローゼットまで歩み寄って黒のベストを取ればそれを着用。

 今度こそ、と机に戻って書類に向かう。羽ペンを片手に、書面の文字を目で追った。

 ペン先にインクをたっぷりと付けてサインを。記入欄に必要事項を。報告書には簡潔に先の任務の事を。

 そういえば、任務で外に出る時も彼女には着いて来てもらっている。偵察なんかはそのまんま。――子供を連れて行けないような時は、流石に留守番してもらっているけれど。滅日なんて起きなくても、この狂った世界はある事象が起きるまでこうやってずっと回っているのだ。

 いくつかの戦争を通り、時には名乗る名も変えて、騙って、ここまで生きてきた彼は。繰り返しの記憶を境界に触れて知った彼はテルミほどではなくてもこの狂った世界を少なからず『くだらない』と思っていた。

 初めて見るはずなのに知っている景色、それら全てを隣で新鮮だと感じる少女が、初めての感覚を彼らに与える。だって、彼女はこの事象で初めて出会った存在なのだから。

 何故、彼女は現れたのだろう。何故、こんなにも自身達を慕うのだろう。何故――。

 ぼたり、とインクの垂れる音でハザマはハッとした。いけない、何を浸っているのだろうか。こんな時は、コーヒーを飲むに限る。

「コーヒーを、淹れてくれませんか」

 買ったばかりの本とにらめっこをする少女に声をかける。こうやってコーヒーやお茶を頼むのも慣れてしまった。来たばかりの時は、自分で淹れようとして彼女が手持無沙汰を寂しがることも多かったのに。

 ――また、そんな過去の事を思い出す。今日は駄目だ。ティッシュでインクを抑え、吸い取ったけれど汚れで文字の一部が隠れてしまっている。後で新しく書類を作り直してもらわないと。

 書類を横にずらして他の書類を取り敢えずは片付け始めるハザマ。やがて香ばしい香りを引き連れて、彼女がコーヒーを持ってくる。礼を一つ、熱いそれに息を吹きかけて一口。美味しい、けれど、思っていた以上に熱くて思わず目を見開く。当たり前だ、淹れたてなのだから。舌を少しばかり火傷してしまって、ザラザラした感じがする。

 表情の変化に心配するユリシアに大丈夫だと告げ、コトリとカップを近くに置く。書類とまた向き合って、書き込んで――。

 彼女が昨日『トレーニングをしたい』と言ったことを思い出す。時間が空いた時に、他の衛士に頼んでみるか。そうだ、マコトに頼めば話は早い。同じ部の部下なんだから。

 でもせっかくなら自分が相手をした方が彼女の能力を把握するにも都合が良いか。顎に手を添えふむ、と声を漏らしたあと彼はコーヒーをまた啜る。――駄目だ。何故彼女のことばかり考えるのだろう。確かに彼女の事は知らないといけないことが多いけれど。

 こんなに一緒に居たのに。一向に何も起こさなかった彼女が、最近やっと見せてくれたことを。もっとすぐにでも進めなければいけなかったことを。

 思い出しながら書き進め、ふと手が止まる。他のくだらない書類に交じっていた、諜報部の近況報告の書類だった。意外に書くことが少なかったため終わらせてしまった方の書類らを見つめて、はぁと短く溜息を吐く。

 近況。彼女と居ることが多い彼は、最近の記憶全てに彼女が居たことを思い出す。

 どうにも筆が進まない。こういう時は身体を動かすのが良いとどこかで聞いたことがある。それを信じるわけではないし、それ以前にこの作られた身体はあまり運動には向いていないけれど。羽ペンをペン立てに戻してインクのボトルを閉め彼は立ち上がる。

 書き上げた書類を別の封筒に入れ、その他は元の茶封筒に戻して。頷き、彼は丁度ページをめくろうとしているユリシアを見た。

「――たまには、運動しませんか」

 人差し指を立ててのその提案に、ユリシアは大きく頷いた。

 

 

 

 久々にトレーニングルームに訪れた。隣には小さな少女を引き連れて、片手には真っ白なタオルを。服装は動きやすいようにストレッチパンツとティーシャツといったラフな格好で、普段頭上に置かれている帽子がないのに違和感を覚える。

 なかなかに広いそこには沢山の人が居たのだが、異様な人物の登場に今まで各々ストレッチなどをしていた衛士達はこぞってその人物らを見た。

 そこには大きな尻尾が特徴的な、リス系亜人種のマコトも居た。

「あれっ、ユリシアちゃ……げ、ハザマ大尉」

 足を伸ばした状態で床にぺたりと座り込み、前に体を思い切り倒しながら彼女は、見かけた少女の名前を呼びかけ、上を見上げる。そこには案の定あまり好きではない上司も居るわけで、思わず嫌そうな声を漏らした。

 ひそひそと話し声が聞こえる中、ユリシアが彼女に駆け寄りハザマもそれを追う形でゆっくりと近づく。

「げ、だなんて随分と悲しい態度ですねぇ? ナナヤ少尉」

 細めていた目を僅かに開き、ハザマはマコトを見下ろして言葉を並べた。

 顔を引き攣らせながらマコトは謝り立ち上がる。腰に手を当てながらハザマを見上げると彼女は、

「どうしてここに? 大尉がここに来てるの見たことないんですが。それにユリシアちゃんも連れて……」

 胡乱げな目で問う彼女にハザマは動じず、にこやかな微笑みを湛えていた。

「そりゃあ、あまりここには来ていませんし。ユリシアを連れて来たのは……そうですね、多少は彼女にも護身術を身に着けてもらいたくて、ですね」

 後者は半分が本当で、半分はそれ以上の理由があった。彼女の力を見たいという目的もあるのだ。そんなハザマの言い分に彼女は眉を顰める。

 何故なら、彼女は保護対象ということで通っているのに、そんな少女を連れ回した挙句危険なことにも触れさせるかもしれないということなのだから。

「な、護身術って……保護するのがハザマ大尉の役目ですよね?」

「私だって戦闘は専門外ですし、もしものためですよ。滅多にそんな事が起こらないと信じた上で、です」

 マコトの反論にも彼は首を横に振ってそう語る。そこに表情の変化はなかった。むっと、ハザマを見上げるマコトの横を通りすぎてハザマは一度振り返った。追いかけるユリシアが隣に来たのを見てから彼は口を開く。

「ま、貴女には関係のないことですよ。ということで私達はあちらに行きますので」

 そう言って彼が指差すのはトレーニングルームから繋がる個室だ。個室といってもそちらも広く、主に慣れていない術式を扱ったり少人数での模擬戦闘などに使われている。

「えっ、あ、はい」

 思わず頷いた時には既に彼らはそっちに向かっていて、溜息を吐くしかマコトはできなかった。ぶんぶんと首を横に振ってマコトは体操を再開した。後でツバキと約束しているのだ。彼女が来るまでにたっぷりとストレッチしておかないと。額に貼りつく前髪を片手で払いながら。

 一方で、個室の方でハザマは少しばかり悩んでいた。思い立っていざ来てみたは良いが、彼女の能力の事を全くもって把握していないのだ。どうやって鎌(あれ)を出現させたかも、そもそも何故彼女がそれを現せたかも分かっていないのに、どうやってその力を確かめようというのだ。

 考えても仕方ない、色々試してみればいいのだ。その前にまずは。頭(かぶり)を振ってハザマはユリシアを見る。

「まずは準備運動から、ですね」

 焦らなくてもいい、彼女の能力のこともあるけれど、彼女がトレーニングをしたいと言ったのだ。ならそれに合わせてまずは身体を動かすべきだろう、と結論付けて。

 そんなハザマの言葉にユリシアは首を傾ける。

「じゅんび、うんどう……?」

「ああ。突然身体を動かしたら節々を痛めんだよ。だから色んなところを伸ばすんだ」

 ほほう、と興味深そうに頷いていつの間にか出てきたテルミの説明を真面目に聞く彼女。その健気な姿勢を微笑ましく思いつつ、そういう訳で、と前置きをしてテルミが、

「まずは屈伸からな」

 後に続け、そう言って膝に手を添え曲げ伸ばし。慌てて隣に立ったユリシアがそれを真似して。一通りそれが済めば腰を捻ったり伸ばしたり、座り込んで脚を大きく広げ上体を倒したりと。

 そこそこに汗を掻いた頃合いで終了、ふにゃりと笑うユリシアにテルミは、

「――んでよぉ。アレ……あぁ、鎌を出した時の事思い浮かべてみろ」

「おもいうかべる、ですか」

 まだ準備運動が終わっただけだから、本当はもう少し運動をさせた方が良いのかも知れない。けれど、彼にとっての一番の目的は彼女の能力の把握だ。

 まずはその時の状態を再現するのが良い。あの時は驚きばかりでまともに見ることすらできなかったし、改めて見てみよう――。だからテルミは思い浮かべろと、声をかけた。ふむ、と彼女は少し考えるように俯いてから首肯して、

「ん……」

 目をぎゅっと瞑って、その時の光景を思い出す。テルミが危険にさらされて、怖くて、傷ついて欲しくなくて。彼を守るのは、どんな形がいいだろう。傷つけるものを根こそぎ奪ってしまうような――。

 気付けば口は開き一言、呟いていた。

 すっと、瞼を持ち上げればそこには目を見開いたテルミが居た。思わず、手を確認する。そこには鎌があった。上手くいった。ならば、彼は何故そんな顔をしているのだ。

「な、なにか、よくないことでも」

 やってしまったのだろうか。問おうとして、テルミが首を横に振った。何でもない、と彼は言う。不安げに眉の尻を垂れ下げて首を傾ける少女。その頭に何かが乗る感触がして目を丸くする。テルミがポンと手を置いたのだ。くしゃり、彼女の前髪が少しだけ崩れる。

「――え、あ」

 人に、そうされる感触なんて。この短い記憶の中で初めてで、でも懐かしい感覚もないからきっと初めてなのだろう。

 その手が思ったより大きくて。それ以上に、何故彼がそんなことをしたのかが不思議で。彼はそっぽを向いていたからその表情は見えなかったけれど。でも、彼が何でもないと言うのならなんでもないのだろう、と彼女は結論付けてふわりと笑み、頷いた。

 テルミはちろり、と彼女を見て、それからそこに乗る自身の手を見て少しだけ驚いていた。慌てて手を引っ込めようとして、それじゃ不自然だと思いゆっくりと、平静を装い戻す。彼女の開かれる瞳には特に疑問の色は見えなくて、そこで動揺が気付かれていないことを知り安堵した。

 そして、彼女の手にある鎌を見つめながら、彼女がそれを顕現させた瞬間のことを思い出す。

 彼女の体が美しい蒼の光に覆われた。かと思えば、光は一点に集まり彼女の背後へ。それが吸い込まれるように消えた途端、そこの空間が歪み――鎖が現れる。それは彼女の近くまで作り上げられると、柄尻、柄、そして刃と生み出され、大鎌になったのだ。

 勿論彼女の手を通って。そこに、元からあったかのように収まった。目を瞠らざるを得ない光景だった。

「……創造か? あるいは……」

 ぽつぽつと呟くのは今の段階で予測でき得(う)る彼女の能力(チカラ)の正体だ。

 何もないところからそれを生み出すなんて、一体。長い時の中を生きて、初めて見るその力は何なのか。彼女は、本当に『――』なのだろうか。

 考えたって仕方無い。今答えを出そうとしても、出たものは全て憶測にしかならない。

「まぁいい。そうだな、取り敢えずは」

 せっかく武器を召喚させたのだ。なら、それを使ったトレーニングでもしてみるべきだろうか。彼女の目的は、テルミらに突っかかる敵へ対抗できるだけの力なのだから。

 でも、術式以外を他人に教えることなんてやったことがない。しかし素人である彼女の振りを捌ききれるだけの自信は――ある。それであれば。

「ユリシア」

 ――その鎌で、俺を攻撃してみろ。

 使えなければ意味はない。だから彼はそう語る。彼女の戸惑う顔が見えた。それもそうなのだろう。彼女は最初に、『テルミを守りたいと思ったら現れた』と言ったのだから。けれど、だからこそ彼女には割り切ってもらわなければいけない。

 大丈夫、自身は傷付くことなんてない。そう言ってやれば彼女は暫く悩んだ様子を見せた後――決心した。大きく頷き、

「わかりました、です」

 彼女は数歩、ゆっくりと後退る。地を蹴り、そして彼へと駆け、鎌を思い切り振り上げた。正直振りは遅く、避けることも可能だったがテルミは敢えてそれを避けずに抜いたナイフで受け止める。かかる力を横に流し――彼女の喉元に、突きつけた。

「もういっちょやってみろ」

 至極乱暴な教え方だとは、思う。でもそれしかテルミは知らなかったし、彼女も人に学ぶということが無かったから指摘することもなかった。

 ごくり、とユリシアが唾を飲み込む。そろりそろりとナイフからから離れ、もう一度。

 キィン、と音が鳴り響く。結果は同じだった。

 ――そうして攻防のようなものが繰り返され、へとへとになるほど動いて、汗で貼りつく服が鬱陶しい。多少攻撃の仕方を変えることができる程度にはなったが、全ての攻撃はやはり見切られ、テルミに弾かれていた。

 振り下ろせば引っかけ、横に流され。薙げば力で負けて弾かれるか後退されて掠めることすらできない。柄で突こうとしても、足を払おうとしても、何をしても。

 テルミを傷つけたくないが故に手加減しているわけではない。彼女は従順に、その持てる限りの力でテルミを攻撃していたのだけれど――。

「はっ、はぁ、はあ……っ」

 がくん、と上体を前に折って、膝に手を付く。取り落とした鎌は床に当たる直前で光の粒子になって消えた。まるであの時のように、そこには最初から何もなかったかというように。それと同時、やはり自身の中に何かが戻ってきたかのような満足感があった。

 扱いの上達は感じる。手の平を見つめた。

 ぎゅうと強く握りしめていたためか、汗ばんだ手は少しだけ白くなっていた。じわじわと血が戻ってきて、なんだかくすぐったい。だらりと垂れていた上体を起こした。

「――今日はこのくらいにしとくか」

 明日も、時間が取れたら。そう言ってぽん、とまたテルミはユリシアの頭に軽く手を乗せる。手汗をごしごしと服に擦りつけ拭って、彼女はその手に触れた。温かく、ふにりと柔らかい手の平だった。

 少女の手に比べ骨ばった大きな手に、小さなその手が添えられれば彼は目を見開く。

 別に気遣いだとかそういった念は含まれていないけれど、まぁ一回目と違ってそうすれば彼女は喜ぶかと少しだけ思って、そうした。そこまではいい。だが、彼女の手の感触は想定外で。

 柔なそれに包み込まれるのは、なんだか慣れなくて。今はまだ受け入れ難くて、テルミはその手をゆるく払って手を戻した。

 ユリシアが少しだけ困ったように笑うけれど、そんなことはお構いなしだ。

「戻んぞ」

 そう言って、彼は逆立った髪を撫でつける。途端、どういう仕組みなのかその鮮やかな緑色はさらりと下を向く。ハザマのお目見えだ。

「ああ、早く更衣室に戻って新しいシャツに着替えないと」

 汗臭い身体もシャワーで流して――。少しばかり顔を顰めながらハザマは隅に置いていたタオルで軽く身体を拭うと、ユリシアにぽいと投げつけた。

「わわっ」

 慌てながらもそれを受け取り、ユリシアはそのタオルで自身も汗を拭う。顔や、露出された背中、腕と順々に拭い、最後にそれを持ってへらり。

 それをしっかり見届ければ、彼は踵を返し部屋の外へ向けて歩きだす。たた、とその背を追いかけるユリシアがやがて隣に並ぶのを、そこに収まるのを意識する度に、未だ何をしているんだろうという思いがハザマとテルミを苛んだ。

 部屋を出れば、丁度マコトとツバキが隣の部屋から出てくるところだった。彼女らも一緒にスパーリングでもしていたのだろうか。談笑する少女らはハザマに気付くと、少しだけ驚いたように目を丸くした後、少しばかり顔を引き攣らせる。しかし、そこにユリシアが駆け寄れば二人はふっと微笑んだ。

「あら、ユリシア達も来ていたの」

「うん、そうなんだよね。んで、ユリシアちゃんたちも丁度終わったとこって感じ?」

「はいっ、そうです。まことさんと、つばきさんも……ですか?」

 首にかけたタオルで火照った顔を仰ぎながら、マコトが問えばユリシアは答え、問いをさらに返す。首肯するマコトの丸い耳がぴくり、と震えた。

 ユリシアの背後からハザマが悠々とした足取りで近付いてくるのが見えたからだ。

「おや、偶然ですねぇ。それで、結果の方は?」

「……いい運動になりましたよ、ハザマ大尉」

 マコトが少しだけむっとしているのは、ハザマが纏う嫌な雰囲気のせいだ。

 この上司はいつだって胡散臭くて、薄く見開いた金の瞳が少しだけ恐怖を煽るのだ。

 目を逸らして言うマコトにツバキとユリシアが眉尻を垂れさせながら首を傾けるが、どちらかが何かを言う前にハザマが開いていた目をいつも通り細めて、

「おやおや、随分と嫌われてますねぇ、私」

 と、両手を掲げてやれやれというようにハザマが口を開いた途端、皆が口を噤んだ。

 数秒の沈黙。それは何分にも何時間にも感じられた。確かに周りは話し声や動く音なんかで賑やかなはずなのに。

「おや、もうこんな時間ですか」

 その沈黙は、それを生み出した張本人であるハザマにより破られた。

 腕時計を確認してわざとらしく漏らされる声、行きますよとユリシアの手を引いてハザマは歩き出した。

「あ、えと、それじゃまた……ですっ」

 突然引っ張られてバランスを崩しつつもその体勢を立て直して、彼女は会釈をしながらハザマに着いていった。

 苦笑し手を振る二人は、ユリシアがハザマの方を向くと同時に顔を見合わせ、溜息を吐いた後笑い合った。

 

 

 

 廊下に光が落ちる。橙色の仄明るい光だ。床は光と窓枠の影で四角く切り取られて、その上を並んで踏み歩くユリシアとハザマは執務室に向かっていた。

 まだ諜報部のエリアまでは距離があるため人もまばらではあるが確かに居て、時折すれ違う度視線が刺さるのが少しだけ鬱陶しい。

 心なしか足取りは早くなるが、それでも健気に着いてくるユリシアを、立ち止まりちらりと振り返る。突然足を止める彼を見上げて首を傾ける少女だったが、見つめられていればやがてへにゃりと笑うのだ。

「今日、色々とやりましたが……どうでした?」

 少しばかり目的語を曖昧にして問う。きょとん、笑みからコロリと変わる彼女の表情は年相応の子供のようだ。そんな彼女があんな武器を取り出して、振って、と似合わない行いをした今日。その感想はどうなのだろうと気になったのだ。

「うーん、てるみさんが、すごーくつよくて。まだまだだなって、おもいました、です」

 すると彼女はそんなことを語る。そういうことを聞いたのではなかったけれど、彼女がそう語るならそれが彼女の感じた全てなのだろう。笑い、それがどうしたのかと問う少女。

「いえ、なんでもありませんよ。ただ、聞いてみただけです」

 くるり、また正面を向いて彼は言う。その表情は窺えなかったけれど、そこにある表情は無だけだったから見えなくて正解だったかもしれない。目深に黒い帽子を被って、ジャケットの裾を翻し彼はまた歩き出す。

 ――執務室に辿り着くと、彼は深く溜息を吐いてソファに座り込む。その長い脚を組んで、ポンポン、と自身の隣を叩いた。

 駆け寄るユリシアはぴょんと尻からソファに飛び乗って、子供らしく笑う。そんな彼女に特別感情を抱くわけでもなくて。ただ、初めて会った時から彼女は不思議だった。

 一緒に居ると、テルミと居るだけでは満たせなかったはずのものが消えるのだ。どうしようもない未知への興味が、足りない情報への興味が満たされる。

 レリウスが未知の領域に手を出したがるのも理解できる。それだけじゃない、これは最近になって気付いたが、彼女と居ると他人の気持ちが少しだけ分かる気がするのだ。

 だから彼女の事は嫌いではないし、寧ろ好きな方だけれど。きっと誰が見ても可愛いと思うのだろう彼女のことを、見た目以上に可愛らしいと思うことはなかった。

 ユリシアはにこにこと何が楽しいのか笑んだままハザマを見つめていた。

「はざまさん。てるみさんも。きょうは、ありがとうございました、です」

 改まって彼女が礼を述べる。そういえば礼を言っていなかったことを思い出したからだ。その笑顔と礼に適当に返事をして、また気が向いたら明日も。先ほども言ったその台詞を吐いてやれば彼女は頷いた。

 余程勝てないのが悔しかった――というわけではなさそうで、寧ろ楽しそうに見えたのは、テルミらとの時間だったからなのか、それとも自身が大切な人を『護れる』日に近付くと信じて止まないからか。

「シャワー、浴びるか」

 ぽつり、テルミがそう零せば彼女は従順に頷いた。汗を拭くだけじゃ気持ち悪いから。

 

 彼女は安らかな寝息を立てていた。シャワーを浴びて、ベビードールを着て髪を一生懸命ドライヤーで乾かして、そこで今日の疲れがどっしり出てきたのだろう。すぐにベッドへ向かい眠ってしまった。

 普段ならどんなにハザマの仕事が残っていようとハザマかテルミが来るまで待っていて、消灯してやっと眠るのに。

 だけれど彼女は今日ばかりはすぐに寝てしまって、広がる金髪は照明にキラキラと照らされていた。部屋はまだ明るい。ユリシアに合わせてテルミも寝る――なんてことはなく、結局残していた書類を片付けていた。

 空は少しだけ暗くなり始めたが、未だ明るい。まだ夕飯も摂っていないのに、彼女は。

 暫しして、溜息と共に羽ペンをペン立てに戻して、立ち上がる。書類が全て終わったのだ。彼は封筒に書類を全て纏めて入れるとユリシアをちらりと見遣った。

「……今日の夕飯は抜きですか」

 自身で作る気力も起きない。昔は飯を抜くこともよくあったから別に一食程度構わない。けれど、何故だか彼女の作る夕飯を楽しみにしている自身が居たことに気付いてしまって、また、深く溜息を吐いた。

 引き出しに封筒を仕舞って、ベストとシャツを脱いだ。シャツをごみ箱に放り捨てて、彼はスラックスを脱ぐとベストと共にクローゼットの中に仕舞った。

 そうして下着だけになって、やっと彼はベッドに寝る。シーツを被り、目を伏せた。

 

 

 

 夢を見ていた。意識ははっきりとしているけれど、彼女が見ているのは夢だった。

 蒼い光がぼんやりと、しかし確かに目の前に存在するのだ。ふわりふわりと浮くそれは同じ蒼色の光で出来た粒子や薄絹(うすぎぬ)のようなものを纏い空中に鎮座している。

 その周りは、闇だ。

 とても幻想的で、触れたくなって――でも、近くにあるはずなのに手を伸ばそうとしてもまだ届かない気がして。だからといって、それ以上に歩み寄って近付いても今は絶対に届かない気もして。

 それに、なんだかまだ触れてはいけない気持ちになって……伸ばそうとした手を引っ込めた。青白い光を受ける白い腕と、手を見つめる。力なんてものは一切感じられない、小さくて細い手。再度、目の前に鎮座する大きな光を見つめた。けれど、それは本来より小さいような気になった。そんなの、見たのは初めてなのに。

 蒼い光が、彼女の双眸に映り込む。そういえば、彼はどうしているだろう。

 ご飯を作り忘れたのを怒っていないだろうか、ちゃんと眠っているだろうか。

 帰らなくては、そう思って彼女は光に背を向けた。一度だけ振り返った後、歩き出す。帰る方法なんて分からないけれど、きっとこっちな気がして。

 暫く歩き進め、振り返る。先ほどの光は随分と小さく見えるから、結構歩いたのだろう。疲れて一度立ち止まり、目を伏せる。

 あぁ、呼ばれている気がする。

「――」

 名前を、あの人がつけてくれた愛しい名前を。

「――シア」

 呼ばれている、行かなくては。

 最後にそう思った途端、ずるりと水底から引き上げられるような感覚がして――。

「ユリシア、起きろ」

「ぁ、おはようございます、です」

 ユリシアの意識は浮上する。寝ぼけ眼を擦って横を見れば肩に触れるテルミ。長いこと眠ってしまっていたのだろうか、呆れとも怒りとも見える釈然としない表情をテルミは浮かべていた。苦笑する。

「おはようじゃねぇよ、何時だと思ってんだ。珍しく起きなくてどれだけ困ったと思ってんだ」

 そんな呑気に笑う彼女に余計苛立ったのか、テルミは元から目つきの悪い目を更に吊り上げて言い放つ。しかし謝れば、まぁいいとテルミは立ち上がり彼女に背を向けて、

「さっさと着替えて準備しろ。今日もやるんだろ。の前に昼飯な」

「あ、はい、です」

 やる、というのは昨日と同じ模擬戦のようなもの……だろう。シーツの端を握って身体から剥ぎながら上半身を起こす。

 くるり、と身体を回転させ靴に足をはめ込み立ち上がる。そのまま服を着替えてネグリジェを洗濯機の方へ。タタタ、と駆けて戻れば急いで冷蔵庫の中身を確認して調理を始めて。

 昼飯ということはもう昼かと時計を見遣れば針は丁度天を指しているのだから、やってしまったと彼女は苦い顔をした。

 それにしても、不思議な夢を見た気がする。今まで夢というものを見たことがない彼女にとっては、それはもう。

 だから彼女は炊飯器を開けてちょっとだけ驚きながら、テルミの方を見た。

「てるみさん」

「んだよ」

「ごはん、たいてくれた、ですね。ありがとうございますです」

 へらりと笑って彼女が言えば足を組んで座っていたテルミがそっぽを向いて別に、だなんてぼそぼそと零すのだ。それに小首を傾げながらも彼女は本題を切り出す。

「その、ねてるときに、たしかにねてるはずなのに、いしきがあったんです。あれって、なんていうんでしょう」

「――夢、かね」

 テルミは一人で飯を作ることもできた。一人暮らしの経験なら暗黒大戦時代に散々経験したし、簡単な料理なら作られるし、ご飯を炊くのだってなんのその。

 だけれど米を炊くだけで後は何もしなかったのは彼女の飯を楽しみにしている自分が居たからだ。今日は何を作るんだろうか、美味いといい、だとか。

 そんな自身をらしくないとハザマにからかわれていたのを無視しながら、問いに答える彼。その『夢』という言葉を彼女は復唱して、ふむむ、と声を漏らす。

 バターをひと欠片、火にかけたフライパンに落とす。じゅわりと溶ける黄色い塊を、フライパンを傾けて広げていって。そこに小さくちぎったレタスを投入して、ジュウジュウと弾ける音を楽しみながら軽く炒める。玉子をボウルに割って解きほぐし、大きめの器に入れたご飯へ半分ほど。それを混ぜてやると、炒める時にパラパラになるのだ。

「そう、夢。脳が見た記憶を整理しているときに見るとか、まぁそんな感じだ」

 人差し指を立ててテルミが語れば彼女はそれに興味深そうに頷きながら、彼女は卵を混ぜたご飯をフライパンに投入して。さらに音が強くなるが構わず炒め続ける。

「でも、わたし、あんなけしき、みたことない、はずです」

「……さぁ、忘れる以前の記憶なんじゃねえの」

 適当に言ってのけるテルミ、その顔をちらりと振り向いた後ユリシアはちょっとだけ間を開けて、ぽつりと漏らした。

「まっくらななか、あおーいひかりが、ういてるだなんて。みたことないです」

 いい感じにご飯が炒められたら残りの卵を投入。かき混ぜ、塩コショウ。さらに軽く混ぜて、炒飯の完成だ。

「できました、です」

「あぁ。――んなことより、夢の話。もっと詳しく聞かせろ」

 まさか、そんなはずは。と思いながらもテルミは彼女の語る夢が気になってそう言わずにはいられなかった。平静は装っていたけれど。

 二人分の皿に炒飯を盛り付けながら彼女はテルミの台詞に逆らうでもなく、ただちょっとだけ不思議そうに眼をぱちくりと瞬いてから首肯すると。

「えぇと、くわしく、といっても、さっき言ったのがほとんど……ですが」

 その蒼い光に吸い込まれるような感じがして、触れそうになった。だけれど、それに触れたら一生もうテルミさん達に会えないような気がして触れずにひたすら背を向けて歩いていたのだと。

 テルミが、はぁ、と声を漏らす。

「ふーん……蒼い光、ね」

 暗い闇の中に鎮座する蒼い光。吸い込まれそうな感じがした、だなんて。もしかしたら、本当に彼女が言う通り、触れてしまえば彼女は消えてしまったような気がして。

 それであればせっかく考えた彼女を組み込む『計画』が台無しだ。否、彼女の存在すら忘れてしまったのかもしれない。そんな気になって、

「ま、よく分からねぇが、触れなくて良かったんじゃねぇの」

 と返す他できなかった。運ばれ、目の前に置かれる遅めの昼食を食べながら彼は、改めて彼女の正体を知りたがった。

 蒼に、どんな関係があるのか、と。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。