POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

21 / 23
第二十章 彩後の暁

「いざなみさん、まけちゃいました、です」

 少女は、よくしてくれた人物の敗北、消滅を告げるにしては淡々と、けれどどうでもいい人物のそれを言うにしてはひどく寂しげな面持ちで呟いた。分かるのか、問うテルミに彼女は「観えたから」とだけ答え、俯いた。

「……そうか。ところでだ、ユリシア」

 それにテルミは短く返すと、不意に話題を変えるように言葉を紡ぐ。何を話すのだろう、ユリシアは不思議そうに上げた顔を斜めに傾けると、テルミは指を一本立て同じように首を傾ける。

「前に、俺の願望について聞きてぇとか言ってたの覚えてるか」

 問いに、ユリシアが首肯する。確かに聞いたことは覚えている。それで、いつかテルミが話してくれるのを楽しみにしていたけれど、その『いつか』はもっと、ずーっと先、色んな事が終わってから話してくれるのだとばかり思っていたから、そこで聞かれたことに少しだけ驚きながら。

「気が向いた。丁度暇だから話してやるよ。聞きたくねぇってんならいいけどな」

「き、ききたいです。きかせてください、です」

 少しだけ意地悪く笑むテルミに慌ててユリシアが聞かせるように言う。眠る前のおとぎ話をねだる子供のように、少しだけ急かすみたいに。

 満足げにテルミがふっと鼻で笑って、仕方ないという体で、口を開いた。

 ――テルミは、ただただ自由が欲しかった。

 アマテラスのお守りをする矛でも、アマテラスの創り上げる物を破壊し尽くすための破壊神でもない。誰にも邪魔されず、誰にも縛られない、勝手な神の意思で可能性を潰されない。そんな個としての自由が欲しかった。それが、己の自我が芽生えた時から、ずっと焦がれたもの。

 ――誰にも縛られない『ユウキ=テルミ』という一人の人間になることが、彼の目標であり願望だった。そのためにも、自身を縛るアマテラスという存在を破壊してしまいたかった。

 無論、アマテラスの『眼』であり分身である『ノエル=ヴァーミリオン』諸共。このくだらない世界を何度も何度も繰り返したその存在を、自身を縛るその存在を苦しめて壊して殺して、それからやっと新しい世界を作ることができる。

「……そのために、ブレイブルーも……つくった、ですか?」

 蒼の魔道書について『ユリシア』はよく理解していなかった。自身のことすら曖昧にしか分からないのだから、当然といえばそうなのだけれど。でも、その名の通り『蒼』に接続し、その力を引き出す魔道書なのだとしたら。

 テルミの話が正しければ破壊神であるはずのスサノオが『創造する』ことで『蒼』という願いを叶える可能性に近付こうとしたのであれば。

 首肯し、短い声でユリシアの問いに返すテルミ。やはり彼は、凄く一生懸命だと思うし、それは凄く興味深くて――。

「あ……」

 思わず声を漏らす少女に、テルミが視線を遣る。どうした、と問う声。

 理解、してしまったのだ。思っていたより、あっさりと。自身が生まれた理由について。

 いつか自分の生まれた理由だとかが本当に分かるのでは、とは思っていたし、ずっと知りたかったけれど。

 大切な人があれほど求める存在の行動なのだから、何か凄い理由で自身を産み落としたに違いない。その目的を果たすことができるかは分からないけれど、きっと大切な人の役に立つような、素晴らしいものだろうと。期待していなかったと言えば嘘になる。

 だから、今、知ることができて良かったはずなのに。

 けれど……答えは、あの日ハザマに告げたのと同じ答えだった。別にそれが好ましくないものというわけではないけれど。

 興味があった。好奇心がそそられた。それだけだったから、少し驚いたというか、寂しいというか、拍子抜けしたというか。

 最初は破壊神が創造しようとしたことに。あの躯(からだ)を捨てたことに。何より、理の外に居ながら、憎悪するマスターユニットの世界に自ら縛られに行くことへ。否、それについてはそうすることでしか変えられなかったのかもしれないけれど。そして世界に対するその感情に。

 何故世界を壊そうと思ったのか、分からないわけではない。理由はいくらでも思いつく。けれど、それはあまりに『神』らしくないから……。

 だからもっと近くで、色々なことを知るために。自分は作り出されたのだ。

 思い出してしまった。窯を通らずとも、蒼そのものである自身はどこかにその情報を持っていたのだ。何故今更、ここに来て、このタイミングで、それを理解してしまうのだろう。

 大切な人の役に立つどころか、自分勝手で気まぐれな蒼の好奇心を満たすために生まれただなんて。少女は俯いてしまう。どう、伝えればいいのだろう。否、伝えるなんてできない。

「何かあったのか」

「いえ……だいじょうぶ、です。だからきにしないで、ください……です」

 それでも、テルミ達が大切なことに代わりはない。だから彼女は心配させないように笑みを作ってみせた。ぎこちなくて下手くそな笑みだったし、それにテルミは気付いていたけれど。何も聞くことはなく、短く相槌を打って空を仰いだ。

 

 

 

   1

 

「どういうことだよ、それは……!?」

 意図せず声は大きくなってしまう。ラグナはひどく狼狽した様子で、通信越しにココノエへと叫んだ。

 ラグナ達はイザナミを倒し、ノエルとイザナミは融合を果たした。確かに成功したはずで、滅日の核である『死』のイザナミが消えたことにより滅日は止まるはずだった。けれど、カグラ達が居た空間が真っ白で何も映っていないこと、彼らが魔素化し消滅したこと。何より、ココノエが直接的に語った事実がラグナ達を驚愕させた。

「滅日が、止まっていない……?」

「ああ、そうだ」

 目を伏せ顎を引くことで肯定するココノエに、ラグナは混乱してしまう。どうして滅日は止まらないのか、考えてみても思いつきやしなくて。

「……私の所に『調停者』が来たよ」

 調停者。聞き慣れぬ言葉を復唱しラグナが首を傾ける。

 エンブリオストレージ。通称エス。それが彼女の名前だった。

 イザナミが消滅したことを確認し、それでも尚、カグラ達が消滅した理由を必死に考えるココノエの元に、突如として現れた存在。

 彼女は語った。

 資格者が蒼を得るための『資格』を失い、消滅したのだと。

 彼女は蒼の意思に従い、それを実行する調停者だ。

 滅日が止まっていないことを彼女が告げると、ココノエが狼狽える。薄々勘付いてはいたが、どうして滅日が止まらないのか。

 エスは告げる。冥王イザナミが言っていたはずだ、と。

 マスターユニットがこの世界に出現した時点で、たとえイザナミを排除したとしても滅日を止めることは不可能。『意思』を持つマスターユニット・アマテラスが『滅日』を認識した時点で、冥王イザナミの存在の有無に関わらず、滅日は進行する。

 アマテラスをどうにかしない限り。蒼の片割れが滅日を邪魔しないのであれば、尚更。

「……んで、そのエスって奴はどうしたんだよ」

「言いたいことだけ言って消えたよ。それよりもこれからの事だ」

 エスについては多分敵ではないはずだ。ならば邪魔をしてくるわけでもないだろう。それならやることに変わりはない。

「お前たちは、とにかくマスターユニットを何とかしろ」

 マスターユニットを境界へと還し、世界を『正しい』形に再構築すれば、もしかしたら魔素化した人達も同時に再構築されるはずだ。そう語るココノエに、ラグナは頷いてみせる。

「おう、任せておけ。取り敢えず、状況に何か変化があったら連絡してくれ。俺らはマスターユニットの所へ向かう」

 言うラグナにココノエもまた首肯し了解を告げる。それから少しの間を開けて、再び彼女は口を開いた。じっと、ラグナ達を見据える。実際には彼女はカメラを見ていたが、その向こうのラグナ達を見るつもりで……。

「ラグナ=ザ=ブラッドエッジ、ノエル=ヴァーミリオン」

 改まって名前を呼んでくるココノエに、二人が返事を返す。何か、と問われればココノエは溜息を吐いて、やけに真剣な面持ちで言葉を紡いだ。

「何が何でもこの世界を救え。約束しろ、必ず救うと。それが……私の『願望』だ」

 それだけ言うと、ラグナ達の返事も待たずにココノエは通信を切った。

 椅子の背凭れに体重を預けてココノエは、ぽつりと呟く。

「……蒼が、自身の片割れに興味を持つ、か。神は随分と自分勝手なのだな」

 それは、あの少女――ユリシアのことであり、その少女を生み出した存在のことでもあり。

 ココノエは、エスが消える直前に問いかけていた。何故『蒼』は突然あのような存在を生んだのか。それどころか、世界を壊そうと企むテルミ達の味方をさせるような真似をして。

 エスは振り向き、語った。それを聞いたココノエは、ひどく自分勝手だと思ってしまう。

 蒼は彼らの味方をする気はないが、かといって世界を守るココノエらの味方をする気もない。

 エスは静かにそう語ると、用件が済んだのか、消えた。

 

 

 

 元々は、テルミという存在に対する興味から。もっと近くで色んな面を観察してみたい、という形で。そのために蒼の力を持たせた少女を置いた。そうすれば彼は真っ先に見つけて回収しに行くだろう。だって蒼に近付こうとしたのだから、求めないわけがない。そう考えて、そのために、誰よりも先に見つけられるよう少し干渉をして。

 少女に記憶や、蒼であるという意識を持たせなかったのは、あくまで蒼とは別のことであるからと、その方が彼女が純粋にテルミに聞くことができる。また、テルミも少しは子供相手だと油断してくれるだろう。彼女がテルミにある程度の好意や関心を持つように多少感情を『弄り』もした。

 そして、イレギュラーを排除しようとしても、タカマガハラ、それどころかマスターユニットでさえも干渉力は『蒼』には劣るから、彼女は消えることがなく。

 繰り返す世界に少し飽き飽きしていた時には、それが伝わったのか無意識に干渉を跳ね除けるようにもなった。それどころか、思った以上にテルミ達を好いた彼女は、自身で力を使えるようになって、テルミに導かれる形で物語を、世界を進める。ある意味、蒼の意思通りに物事が進んでいることになった。

 それでも、そろそろ戻って来てもらうため、テルミを使い世界の記憶を一部だけ思い出させた。

 しかし彼女は帰らない。それほどの強い個を持ち、テルミらに付き従う、自身の『子』とも呼べる存在に、蒼は興味を持った。勿論、彼女がそれほどに好いたテルミ達への興味もそのままに。

 もっとも、興味の矛先が変わったのは最近だから彼女は知らなかっただろうけれど。

 

 そんな、ただの自分勝手な興味のためだけに。わざわざ自身を二つに分けて、こんな子供を創り上げただなんて。

 ユリシアの口から紡がれる、ユリシアの声帯から出される声はいつもより少し大人びて聞こえて、幼いはずなのに、レイチェルやイザナミのそれともまた違った、人ならざる尊厳さを持っていた。少女の双眸が細められる。

「これを聞いて、どう思いましたか? 『てるみさん』」

 最後、付け足すように名を呼ぶ声だけは、いつもの少女のような可愛らしい舌足らずな響きをしていた。けれど、どこか作られたもののような違和感に、テルミの首筋を、ざわ、と感情が撫で上げる。

 テルミは、最初こそ表情を浮かべなかった。けれど、だんだんと、浮かべる表情は笑みだ。くつくつと喉を鳴らした笑いは、やがて高く、大きく、笑い声となって。

「く、くく。ヒ、ヒャハハ……!! 面白ぇじゃねぇか。んで? 『ユリシア』はどうすんだよ」

「それは……最後まで見届けますよ。あなたと『私』の片割れがどんな結末を迎えるのか」

 小さく微笑んで、少女の身体で喋る『蒼』は答えた。

 本当は、どんな結末になるかくらい知ることができた。世界の記憶や情報の回帰するところにして、可能性を可能にする力である蒼ならば。

 けれど、蒼は『知っていた』いわけじゃない。直接見ることで『知りたい』のだ。

 観察される対象になることをテルミは良くは思わないけれど、邪魔をされるわけでないなら。

「ところで……えっと、その」

 少女が口を開いたタイミングは、些か唐突だった。

 ころりと口調が変わるのは、かつて自身とハザマが入れ替わることでよく起きていたが、やはり他人のそれを見ると違和感に眉根を寄せてしまう。姿は同じであるというのに、全く別人のように空気が変わる。目の前の少女は人ならざる尊厳さも、尊大さもない。

 ただの幼い無垢な少女。テルミが名付けた『ユリシア=オービニエ』という人物だ。

「何だよ、ユリシア」

「その、わたしがはじめて、てるみさんと会ったときは……まだ『コンティニュアムシフト』のさいちゅう……でしたよね」

 恐る恐る、息を多く含んだ小さな声で問う少女に、それがどうしたのだとテルミは尋ねた。

 彼女曰く、コンティニュアムシフトの真っ最中で、しかも自身という新しい可能性が生まれたせいで観ていない事象は増えたはずなのに、何故テルミはタカマガハラの無効化に出たのか。

 色々なことを思い出していくにつれ、疑問がいくつか浮上してくる。純粋な疑問だった。

「……それか」

 ユリシアが必死に、拙いなりに並べた言葉を聞いて、テルミは頷く。

 言いづらいわけではない。けれど、少しだけ間を開けてテルミは口を動かす。何と言えば分かりやすいのか、少し言葉を探してから。

「テメェはノエル=ヴァーミリオンが観ることで生まれた可能性じゃねぇ。アイツ自体はイレギュラーだが……アイツに『こんな』イレギュラーを生む力も、考えられる精神もねぇ」

 どちらかと言えば、ユリシアは蒼が無理矢理捻じ込んだイレギュラーだ。であれば、それが他の事象でも再び現れる可能性は少なく。それに、タカマガハラやアマテラスがイレギュラーを排除しようとしないわけがない。つまり彼女は、アマテラスの干渉すらも跳ね除ける力があるのだと分かれば、彼女を手元に置いておける内に行動してしまいたかった。

「なるほど……ありがとうございます、です」

 やはり下手な敬語で礼を述べると微笑んで、彼女は小首を僅かに傾ける。その表情に、テルミはやはり顔を逸らして短く相槌を打つだけだ。

 目を伏せ、少女は再び彼らの同行を観測する。

「つばきさんと、白のよろい……はくめんさん、でしたか。あまてらすのところに、たどりつきました……ですよ」

 

 

 

   2

 

「……マスターユニット。アレさえ還せば、魔素化した者達も救えるやもしれんな」

 眼前に浮かぶ『神』を見て、静かにハクメンは紡ぐ。一歩踏み出て、その隣に立つのはツバキ。

「いえ、必ず救います……!」

 ツバキの紅い髪が緩やかな風に揺れる。けれど揺らぐことのない青い瞳で、しっかりとマスターユニットを見据える彼女にハクメンは小さく笑い首肯した。

「ノエル達はまだのようですが……」

 そしてツバキは辺りを見ながらそう言って、息を飲む。ハクメン様、あれを……言い、指先す彼女の声にハクメンの身体についた目玉も、ツバキの見る方向を見遣った。

「まだだぁぁ!!」

 咆哮と、金属音。剣を振るう猫と、召喚した光の刃であしらう少女。銀髪が揺れる。彼女の射出した刃を剣で庇いながらも、圧され、飛び、ボールのように弾んで転がり、ハクメン達の足元で止まる。

「猫か……! 無事だったか」

「遅いぞ、ハクメン!」

 声をかければ獣兵衛は二人を一瞥すると、すぐに前を見て「それよりも」と付け足す。

 目の前の少女、ニュー・サーティーンと、時間硬化が解けてから今まで戦っていたのだ。獣兵衛は強いが、それでも疲弊し傷付いていた。

「うざいよ……オジサン。それにスサノオユニットと十六夜かぁ……ほんと、マジでうざい」

 ひどく煩わしげに、チリチリと焦げ付くような怒りを見せながら少女は三人を視界に捉えるとそう紡ぎ、手を掲げる。その上の空間が闇色に歪み、そこから刃が再び生まれだす。

 彼女の狙いはマスターユニットであると、獣兵衛が告げた。彼女のような存在にマスターユニットを奪われてはならない、言う彼にハクメンは分かっていると頷き、大太刀を抜いて構えた。

 ツバキもまた同様に短剣と大きな本のような盾を構え、それを見て獣兵衛も再び剣を握った。

「無理をするな、猫。下がっていろ」

 けれど、ハクメンがそれを制する。首を振り、まだやれると言う獣兵衛。

「本来の貴様なら、あの程度の者など軽く切り捨てられたはず。其れが出来ぬほどに弱っているのだ。良いから休んでいろ」

 突き放すように冷たく言うハクメン。それもまた事実だ。しかし獣兵衛はそれでも、自身の心配など無用だと怒鳴る。が、それよりも更に声を張り上げてハクメンが怒鳴り返した。ハクメンらしからぬ激しい怒りの声は、かつて共に戦った仲間が相手だからこそだ。

「其の怪我では足手纏いだと言っている!」

「何だと、貴様……」

 足手纏いだと言われれば目を見開き、獣兵衛もまた怒りを見せる。が、そこに割って入るようにして凛とした声が静かに告げた。ツバキの声だ。諭すように、ゆっくりと……しかし真剣な声音で彼女は、

「獣兵衛様。今までムラクモを止めて頂き感謝します。後は私達にお任せください」

 冷静に言われれば、獣兵衛は落ち着かざるを得なくなって。それで自身の身体を顧みると、仕方なく頷くことしかできなかった。

「ツバキ=ヤヨイ。貴様もだ」

「いえ、私は戦います。そのためにここまで来たのですから」

 ハクメンがツバキを見て、彼女が戦うことも止めるように言葉を紡げば、しかし彼女は首を振った。けれど先の獣兵衛のように必死に言うのではなく、やはり落ち着いた声で。

 そして彼女が命令するように自身の兵装へ向けて呪文のような言葉を吐けば、十六夜は光に包まれる。光が消えた時、そこにあったのは封印兵装・十六夜の、真の姿……零式・十六夜。

 盾と短剣は消え、また服も形を変える。形の変わった剣を手に持って、纏うコスチュームは少し露出が増えた。けれど感じられる力は先よりも強い。

「……好きにしろ」

 ムラクモユニットのプロトタイプであるその兵装に身を包む彼女に、止めたハクメンも彼女がその力を間違えることなく使えるようになったことに気付いて、仕方なく頷いた。

 退屈げにそれを見ていたニューは、再び彼らが向かって来ようとすることに気付いて、眉根を寄せる。

「あ~もう、なんでニューの邪魔をするの? うざい、うざいよアンタ達。いいから死んで」

 焦げ付く怒りの感情が掲げる手の上に無数の刃を生み、射出させる。二人に襲い掛かる刃は鋭く速く、そして重く。その合間を縫うようにして、ニューは大剣のような脚を地に滑らせ向かってくる。

 背後に連れる八枚の剣を一つの刃のようにして前に出して足元を斬り払い、そこから振り上げ、かと思えば両腕の刃を交互に突き出したりと連撃を叩き込む。それをかろうじて大太刀で捌きながら、かつての彼女の力を知るハクメンは理解する。明らかに、彼女は強くなっていると。

「成程……猫が手古摺(てこず)る訳だ……ゼィア!!」

 ツバキもまた剣を使って攻撃を弾いたり、身を翻して躱していたが、なかなか攻撃に転じることができない。それどころか一歩間違えば殺されかねない状況だった。焦りを見せながらも、それでも彼らは殺されるわけにはいかなかったし、彼女を倒さねばならなかった。

「強い……」

 小さく、ツバキが呟く。額に浮かぶ冷や汗を拭うこともしないまま、射出される刃を、振りかざされる剣を、ブレードのついた四肢を躱し続ける。

「『対観測者用兵装』……『零式・十六夜』。不死者殺し(イモータルブレイカー)」

 それを目に留めると、ニューはツバキの兵装を見て呟いた。ツバキの肌が、得体の知れない不安感に粟立つ。

「アンタの力もニューに頂戴……。でも、貴女は邪魔。だから……殲滅する」

 言いながら、暗く歪んだ空間から刃を幾本も射出する。かと思えば消え、現れた時には足払いをかける少女。後ろに跳び退くツバキ。それに再び一瞬で接近、大剣の脚を突き出し、間髪入れずに再び背に現れていた八枚の剣を連続で射出する。

 再び後ろに滑るようにして跳び、躱す。隙ができたところに刃を射出しながら、ツバキは紡ぐ。

「ッ……この程度で、やられるものですか! ノエルが来るまで、ここは私が必ず守る……ッ」

「そういうの。うっとうしい、うっとうしい!! あなたはいらない。あなたは嫌い!」

 仲間だとか、守るだとか、そういうのが堪らなく煩わしくて、ムカついて、ニュ―が叫ぶ。その次の瞬間に、ハクメンが声を張り上げた。

「ツバキ=ヤヨイ、後ろだ!」

 言われるがままに振り向いたツバキ。その時には遅く、光の刃がツバキのすぐ近くまで迫っていた。咄嗟に剣で防御するも、そこで入る力などたかが知れており、吹き飛ばされる。悲鳴があがる。地に叩き付けられる少女。瞬時に目の間にやって来たニューが、ガラスの刃のような冷やかさで、しかし燃え盛る炎のような憎悪を込めて告げた。

 痛みと恐怖で、動けない。

「……残念。もう、死んで」

 八枚の剣が、召喚された光の刃が、一斉にツバキへ向けられる。

「……ペタル展開。放射」

 死を覚悟し、ツバキがぎゅっと目を瞑った。

 しかし、肉を裂く音は聞こえない。代わりに、高い金属音が鳴り響く。痛みはいつまで経ってもやって来ない。不思議に声を漏らし、恐る恐る目を開ける少女に、愛しい声が届いた。

「迂闊だぞ、ツバキ」

 目の前に居たのは、短い金髪を揺らす青年だった。息を切らした彼は、氷の剣――ユキアネサで攻撃を弾いていた。

「ジン兄様……!!」

 驚きに目を見開き名前を呼ぶ彼女の耳に、今度は違う声が届く。いつも優しくて少しおっちょこちょいなところがある、大好きな親友。ノエルの声だ。

「ツバキ、大丈夫!?」

 嬉しさと安心に、彼女の名前を呼ぶ。涙が出そうになるのを必死に堪えて、ツバキは立ち上がる。そこに、三人目の声が届いて……その声から思い当たる人物に、彼女は微笑みそうになった口許を「へ」の字に歪ませ、蔑むような目で振り返る。

「居たのですか。ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 ラグナは、彼女が慕う人物――ジンの実の兄だ。けれどそれ以上に、彼女にとっては消し去るべき『悪』なのだ。秩序であるジンを執着でおかしくさせるどころか、世界すらも脅かす悪。憎むべき存在。

 故のその扱いに、ラグナは苦笑するしかできなかった。

「あ~、ラグナだぁ~! ラグナ~、ラグナぁ~!」

「奴には歓迎されているようだぞ、黒き者よ」

 けれど、先まで怒りと苛立ちに刃を振るっていた少女だけは、ラグナの姿を認識すると嬉しそうに声のトーンを高くして、甘やかなソプラノでラグナの名を呼んだ。弾む声。手を振り、更には少し跳ねていたかもしれない。

「……ふん。ムラクモだが、手強いぞ」

 その様子を見ると、ハクメンは静かにラグナの方に視線を移し告げる。いくらハクメンが境界からサルベージされた本気でない状態だとしても、それに関係なく彼女は強くなっていた。ラグナもまた、ニューの纏う空気と、先までの彼らの戦闘を見て理解していた。

「取り敢えず、お前らは下がってろ。アイツは俺が何とかする」

 そう言って、ラグナは一歩前に出る。後ろに手を突き出し、他の面々に下がるように指示した。

「ハッ、冗談も大概にしろ。既に奴は、貴様が如何(どう)にか出来る相手では無いぞ」

 けれど、それを小馬鹿にするようにハクメンは笑う。この男一人でどうにかできるわけがないと思ったからだ。そして、ラグナの言葉に逆らうようにハクメンが前に出ようとする――が、その前に腕を突き出して、止める人物が居た。

「何のつもりだ? ジン=キサラギ」

 まさか、彼がラグナの意見を尊重するなど。信じられず、また自身の意見を否定されたのが気に喰わず、ハクメンは問いかけた。声は地を這うように低い。けれど、それに臆することもなくジンは凛とした声で告げた。

「貴様のやり方では、アレを倒しても意味が無い……分かるだろ? ここは兄さんに任せろ」

 かつてのハクメンと同じで、自身の中の秩序のおかげで兄を殺すことに囚われた存在だと思っていたが。どうやら彼はハクメンと同じ存在でありながら、ハクメンよりも成長した存在だったらしい。自身と同じだった存在の言葉だからこそ、ハクメンは仕方なく退いた。

「今は従ってやる。だが、無理だと判断したら、其の時は制止を聞かぬ。良いな?」

「ああ。その時は好きにしろ」

 その一言に、どれだけの信頼が込められていたことだろう。

 ハクメンはそれに返事を返すことなく、対峙する二人を見据えた。

「ラグナ、やぁ~っとニューの所に来てくれたんだね」

「あぁ……悪い。随分と待たせたみてぇだな」

 頬を僅かに紅潮させ、興奮を隠すことなく、少女は甘い声でラグナに話しかける。恋人を見るソレか、または大事な兄に対しての幼い妹のように。ラグナがさして表情を変えることなく謝罪すれば、それでも少女は大きく首を振って謝ることはないと言うのだ。

「ううん、大丈夫! ラグナはきっと、ニューの所に来てくれるって信じてたから。ラグナと一つになれるって……信じてたから」

 胸に手を当てて、先の攻撃的だった少女と同一人物だとは思えぬほど穏やかな声で……少女は微笑みながら、紡ぐ。夢見る少女の面持ちで言う彼女は、ずっと、ずっと待ち焦がれていた。大嫌いな世界で唯一大好きな彼が、自身の所に来てくれるのを。

 一人だけ窯に落とされて、境界の中で独りぼっちで揺られていたときも、再びこの世界に舞い降りた時も、ただただ待っていた。

 寂しげに、だけど幸せそうに語る少女の唇の端が、突然大きく持ち上がる。歪な笑みを浮かべ手、少女は勢いよく腕を広げた。空を、世界を指すように。

「そして世界を壊すの! 壊し続けるの!! このくだらない世界を壊し続けるの!! それがニューの『願望』!!」

 大好きな彼を待っていたのは、彼と一つに溶け合うため。一緒になって、そして、大嫌いで憎い世界を壊して破壊しつくして、やっと彼女の怒りは、憎しみは、悲しみは消えて……幸せになれる。そう信じて止まなかった。

 だからそれが彼女の願望だった。

 先までの穏やかな声とは一変して激しく叫ぶように語って、彼女は高く笑う。高く、大きく、狂ったように……。

 息を荒くして、笑いを収めて……ころころと表情を変えてきた少女は、ここに来て頬を膨らませる。唇を尖らせ、拗ねたような顔をして、俯く。

「でもね、邪魔ばっかりされるんだよ。皆してニューのことを邪魔するの。ほんと、酷いよねっ」

 当たり前だろう、とこの場に居た面々は思う。こんな少女に力を与え、世界を壊されてはたまらない。

 少女は同意を求めるように言いながら再び赤い瞳でラグナを見ると、今度はまた笑みを刻む。

「だからね。『事象兵器』を手に入れたの。それでね、それでね。あとはそこの『マスターユニット』さえ手に入れれば完璧だよ!」

 そうすれば、もう誰にも邪魔されない。褒めて、と言わんばかりに語って再び笑う少女に、ラグナはやはり表情を変えぬまま、冷静に呟いた。

「事象兵器、ねぇ。俺の知る限り全部は手に入れてねぇはずだ。なのにテメェは異常な力を発揮している……暴走しかかってる程にな」

 ノエルの魔銃や、ハクメンの鳴神、獣兵衛の六三四、トリニティの無兆鈴、ジンのユキアネサ。恐らくテルミ達の持つウロボロスも無事だろう。バングの烈天上などは知らないが、十器の内それだけ無事なのだ。なのに彼女は異常な力を発揮している。

 普段は愚鈍で、お世辞にも頭の良いとは言えないラグナだったけれど、この時ばかりは頭が回る。少ない数の事象兵器で、それほどの力を集めるとしたら。

 導き出される答えは、一つだった。

「テメェ……『タケミカヅチ』を取り込んだろ?」

 眉根を寄せて、ラグナは問う。ニューとラグナ以外の面々が、驚きに息を飲む。ニューは問いを受けて勿論だと言うように大きく頷いた。ラグナの中に、呆れと怒りがない混ぜになったような釈然としない感情が湧き上がる。

「ったく、この馬鹿が……!!」

 思わず、ラグナは怒鳴る。けれど、その声を向けられたニューは肩を跳ねさせることも怯えることも、怒ることもなく……ただ、微笑みを貼り付けていた。頷く。

「うん。馬鹿にだってなるよ……ラグナ」

 単眼のバイザー越しにラグナを見つめて、それから後ろを振り向く。その先に居るのはマスターユニット、アマテラス。浮かぶ神を見上げて、少女は笑った。

「だって、私達は……この世界を、この世界である『コイツ』を。マスターユニットを『殺す』ために作られたんだから。馬鹿になって、当然だよね!! きゃはははははっ」

 殺す、殺す、殺す、殺す。アイツも、コイツも、この世界も、マスターユニットも。全て殺す。殺し尽くす。愉快げに叫び、少女は再び笑い声をあげる。

 けれど、ラグナはその声を聞いて再び表情を消した。

「……いや、殺しは終わりだ。そして、このくだらねぇ戦いもここまでだ」

 ニューが、その言葉に笑いを止める。表情は無だ。

 ラグナが腰に携えた剣を抜いて、真っ直ぐに構える。

「来いよニュー……お前も『助けて』やる」

 

 

 

 飛び道具や刃の四肢を自由自在に使うニューに対して、ラグナは大剣と己の身一つ。戦い方ではラグナの方が不利であるはずなのにお互い一歩も引かない……否、寧ろニューが圧されていた。

 懐に飛び込むニューを剣で弾き、右腕に纏った魔素の顎を喰らい付かせる。

 ニューも明らかに強くなっていたけれど、それを上回るほどにラグナも強くなっていた。

「ッあぁ……!!」

 痛みに濁った悲鳴を漏らしながら、ニューは地に叩き付けられ、転がりながら弾み、そして止まる。展開したムラクモユニットの装甲は光を纏って、そして霧散した。

 そこにゆっくりと歩み寄るラグナを、悲しげにニューは見上げる。震える声で、尋ねる。

「なんで……どうして。ラグナは、ニューのことが嫌いなの?」

 どうして受け入れてくれないのか、どうしてこんなに自分を傷つけるのか。分からなくて、ニューはただそう尋ねるしかできなかった。

 ニューがどれほどラグナのことが大好きで、ずっと想っていたのか。その声だけでひしひしと伝わってしまう。痛いほどに。だからラグナは少しだけ申し訳なさそうに表情を歪めて答えた。別に、ニューのことが嫌いなわけではないと。

「でも、お前に対する気持ちは哀れみと『償い』だ。今までお前だけに苦しい思いをさせてきた」

 見下ろしてくるラグナの言葉を聞いて、ニューがぎゅっと目を瞑る。嫌々をする子供のように首を横に振って、否定した。

「哀れみなんて……いらない、いらない……っ」

 そんなニューの声には、ラグナは何も言わない。言えなかった。

 そこから視線を逸らすようにしてノエルを見遣る彼。どこか不安げに見つめ返す少女に、ラグナはゆっくりと口を開く。

「ノエル。悪いが……もう一回、確かめてくれないか」

 目的語を抜かした言葉ではあったけれど、何のことかすぐにノエルは理解する。同じ『サヤ』の魂を別けた素体である彼女が、再びサヤの中に戻ることが出来るか。

 一歩前に出て、ノエルがニューの魂を観測(み)る。そして静かに首を振った。

「……ごめんなさい。この子はもうラムダと同じで、この子の『魂』として独立しています」

 つまり、それはノエル『達』とは融合できないということ。それを聞いて、ラグナは短く相槌を打って、再びニューへと向き直る。ならば、融合はできなくても。

「ニュー……悪いが、お前の『記憶』だけを持っていく」

「ラグ……ナ……? ニューはラグナと、一つになれるの?」

 やはりどこか申し訳なさそうな表情で告げるラグナに、未だ地に寝そべったままの少女は尋ねる。ラグナは応えることなく、謝るだけだった。

 起動されるブレイブルー。ゆっくりと、ニューの中から何かが抜けていく。静かに少女は瞼を伏せた。ラグナが抱き上げる。

「黒き者が勝ったか……」

「あぁ……強くなったな。もしかしたら、今のお前より強いかもしれんぞ」

 ハクメンの呟きを拾って、獣兵衛が頷きからかうような口調で言う。けれどハクメンは至極真面目な声で肯定した。そして、歩き出す。

 どこへ向かうのかツバキが問うけれど、それに答えず向かう先はラグナの元だ。大太刀を抜き、静かに突き付ける。ラグナが振り向き、眉根を寄せ問う。

「……私が貴様を滅するのに理由が必要か?」

 問いで返すハクメンだったが、その言葉はもはや問いになってすらいない。じっとハクメンを見つめ、それからノエルを再び見遣った。

「ノエル、ニューを頼む」

 そう言ってニューを差し出す彼に、ノエルは「でも」と躊躇う。けれど、ラグナに強く言われれば、肩を揺らし……仕方なく頷いた。ニューを受け取り、距離を取る彼女を見ると再びラグナはハクメンの方を向く。

「この状況だ。時間がねぇのはお前も知ってるよな? 一応、理由を聞かせろ」

 先ほどハクメンが言ったような、単純な問題ではないはずだ。ならば何故この状況で剣を向けるのか。眉根を寄せたまま尋ねるラグナに、少しの間を置いてハクメンは答えた。

「……確かにムラクモの強さは異常だった。だが、貴様の強さの方が『異常』と言って良い」

 つまり、ラグナはどこでその強さを得たのか。問う声はいつにも増して低く、答えによってはすぐに斬り捨てかねない空気を持っていた。

 問いを受け、言いづらそうにラグナが顔を顰める。

「あー……答えなきゃ駄目か?」

「無論だ。貴様は悪の『集点』。これ以上の覚醒を許せば、黒き獣以上の厄災と成る。其れを見逃す訳にはいかぬ」

 ハクメンの答えを聞いて、ラグナは暫し考え込む。答えを急かすほどハクメンは野暮ではなく、ただラグナがどう答えるかを待っていた。

「まぁ時間もねぇし、いちいち説明するのも面倒くせぇ。確かにこの方法が一番手っ取り早いな」

 それは、戦うということ。仕方なくではあったけれど、ラグナは挑発するようにニッと笑って手を招いた。

「いいぜ、来いよ。戦ってやる」

「……我は空、我は鋼、我は刃。我は一振りの剣にて悪を滅する! 我が名はハクメン……」

 推して参る。

 ラグナの言葉を受け、ハクメンは大太刀を構え直した。

 駆ける。

 

 

 

   3

 

 真っ白な空間だった。ハクメンとラグナの戦いを観測(み)ながら、テルミは退屈げに溜息を吐く。

「……どうして、らぐなさん……は、こんなに、つよくなった、ですか?」

 マシュマロか蜂蜜のような、幼い甘さと柔らかさを持った声が問う。ユリシアだ。それを受けて、テルミが彼女の方に気怠く目玉を動かして、テルミは唇を動かした。

「違ぇよ。ラグナちゃんが『強い』んじゃねぇ。他の連中が『弱くなった』だけだ」

 人差し指を立て、横に振りながらテルミが答える。その指を最初こそ目で追っていたユリシアだったが、すぐにテルミの顔を見上げて、首を傾ける。どうして、とでも言いたげな表情にテルミは顔を逸らして……。

「滅日の影響だ。たとえ『理の外』の奴らでも関係ねぇ。『資格者』は全員、魂が『境界』へと吸われる。資格者じゃねぇラグナちゃんを除いてな」

 個々の持つ能力『ドライブ』の強さは、つまり魂の強さだ。自分では気付かない程度にしか削られていなくともそれで十分、力は失われる。

 境界からサルベージされたハクメンは全盛期の二十パーセントほどしか力を出せていないことから、魂が境界に持って行かれるとどれだけ力を失うのかは想像に難くない。

「だからドライブのねぇ『ナイン』は、あんな強さを誇っていたわけだ」

 語り、そしてテルミはゆっくりと立ち上がる。払う必要はなかったけれどコートを軽く叩いて、それから見上げてくるユリシアを一瞥して、テルミはそういえば、と何かを思い出したように呟く。首を傾ける少女の顔をまじまじと見て、テルミは問う。

「そういや、ユリシア……テメェの願望は何だ?」

 テルミの願望を聞くのだ。蒼がユリシアを生み出した理由、つまり蒼の願望については聞いたけれど、そういえば彼女自身はどうなのだろうと疑問に思って。

 彼女自身の願望もまた、蒼と同じそれなのではと少しだけ不安に思うところはあったけれど。

「……わたしの、ですか?」

 ユリシアが聞き返せば、テルミは顎を引く。それを見て彼女は握った指の付け根を下唇に添え俯いた。考え込み、うーんと唸って、それから。

「よくわからない、ですが……えっと、てるみさんとか、たいせつなひとたちがいれば、うれしいです。それで、いろんなことを、おしえてもらって、いろんなけしきをみて……」

 そうしたら、とても素敵で、とっても世界がきらきら輝いて見えると思う。だからそんな世界が来たら、一生懸命守りたい。はにかむように双眸を細めて笑い、テルミを見上げながら彼女は語る。

 それを聞いて、テルミは目をぱちくりと瞬いた。思っていたよりも、子供らしくて、けれど思った以上に大きくて、綺麗すぎて……やはり彼女は蒼から生まれていながら、蒼ではないのだ。けれど、だからこそ蒼を手に入れ世界を作る資格があるのだと、テルミは理解する。

 可愛らしく笑みを浮かべたままの彼女の頭にぽんと手を置いて、そしてテルミはニィっと口角を吊り上げる。凶悪にも思える顔だったけれど、ユリシアにはそれも大切な人の大好きな表情で。

 だから、彼が成そうとしていることはきっと正しいのだ。

「さて、と。そろそろ人形には起きてもらうか」

 

 

 

 ハクメンとラグナの戦いは、ラグナの圧勝に終わる。後はマスターユニットを何とかするだけとなり、未だニューを見ていたノエルにラグナが声をかける。

「さて、ノエル……後はマスターユニットだけだ。頼めるか?」

「はい、任せてください!」

 大きく頷いて、頼もしい返事をしてみせるノエル。けれどすぐに、あっと何かを思い出したように声をあげて、自身の腕を見下ろした。そこには今だニューが抱えられたままだ。彼女を連れて行くわけにはいかず、どうしようかと悩んだ様子の彼女を見て、ラグナはその傍に佇む赤髪の少女を見た。

「……ツバキ、すまねぇが頼めるか?」

「何故貴方に命令されなければいけないのですか、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 今まで黙っていた少女は、ラグナに声をかけられると歯を噛み締める。悪である彼に話しかけられ、ましてや命令されるなど。そんな怒りを必死に抑え、しかし露骨に睨み付けながら彼女は問いかける。それは暗に拒否の色を示していた。

 ラグナは彼女の言葉に少し困ったように眉尻を下げる。

「命令って……悪いけど、ちょとだけこいつの面倒を見てて欲しいんだ」

 別に命令するつもりはなくて、ただちょっとだけ頼みたいだけなのだ。その言葉を聞いてツバキはノエルを見遣る。彼女も少し困ったように苦笑していて、それを受けて……深く、溜息を吐くと。仕方なさげに彼女はノエルに手を差し出す。

「分かりました。ノエル、その子を」

「あ、ありがとう、ツバキ」

 そう言って、ノエルがニューを受け渡そうとした瞬間――。

 そこに居た面々を耳鳴りが襲う。ただの耳鳴りではない、得体の知れない違和感にジンが声をあげる。次いで響く声は乱暴で暴力性に満ちた、怒鳴りつけるような声だった。

「……人形、おい『人形』! 寝てんじゃねぇよ第十三素体!! 愛しのラグナちゃんは目の前だぞ!」

 四方八方から聞こえるその声に、ニューが瞼を持ち上げる。

「殺(や)れ、殺るんだ人形! 殺せ!」

 叫びに合わせて、少女の身体が震えだす。まるで、何か抑えつけようとしているものが出てこようとしているかのように。悲鳴が耳を劈く。

「ころす……殺す、殺す殺す殺す!!」

 脱力していた体に力が入り、少女は立ち上がる。俯き、叫び、ムラクモを展開し、そして皆を見据え叫ぶ。殺す。

 ニューを目覚めさせ、けしかけた声――テルミは、彼女の様を見て愉快げに笑う。

「これは……強制拘束(マインドイーター)です……!!」

 強制拘束。魂を無理矢理縛りつけ、洗脳し、命令を聞かせるもの。かつてテルミがナインに、そしてツバキやナインが帝……イザナミから受けたのと同じものだ。

 けれど、この特殊な空間では遠距離からの操作は不可能なはずだ。ならば、テルミは近くに居るはずだとトリニティが叫ぶ。急がないと、ニューの魂が壊れてしまう。彼女の声に、姿を見せないテルミはやはり乱暴に怒鳴りつけた。

「うるせぇぞクソメガネ。もうぶっ壊れの魂でガタガタ抜かすんじゃねぇよ!」

 その声に、思わずトリニティは顔を顰め黙り込んでしまった。悲しさと、何も言えなくて、何もできない自分への悔しさに。

「クソッ、どこだ、どこに居やがる!?」

 テルミの声を頼りに探そうとしても、広い空間の中にテルミの姿は見つけられない。それどころかテルミの声は四方八方から聞こえてきて、どの方向に居るのかすら見当がつかない。

 落ち着いて、というノエルの呼びかけも聞かず、彼女は壊れた機械のように言葉を繰り返し、ノエルに向けて光の剣を射出する。咄嗟にベルヴェルクの銃身に当てるようにして弾くも、ニューの力に彼女は弾き飛ばされてしまう。悲鳴があがった。

 ツバキがノエルを庇うようにして前に出れば、少女は「邪魔するな」と声を荒げながら、今度はツバキに向けて無数の光の刃を射出する。それらを必死に剣を使って捌く彼女であったけれど、その内の一本が――。

 皆の声がやけにゆっくり聞こえた。肉を裂く音が響いて、けれど、痛みはない。

「っぐ……無事か、ツバキ=ヤヨイ」

「……ハクメン様? ハクメン様!!」

 代わりに、その刃を受けたのはハクメンだった。刀を振るには間に合わず、その身で受け止めた。裂傷を作って、光の刃は霧散する。痛みに膝をつきながら、ハクメンが何かを呟いた。

「……やっとか」

 やっと、この者の刃から『護れた』。そう言って呟く言葉は何か……否、ツバキに向けての謝罪だった。けれど、ここで謝る意味が分からなくてツバキは瞳を揺らす。

「何を……それよりハクメン様、お怪我を……!!」

「あ、ああ……此の程度、如何という事は……無い」

 声にはいつものような覇気がなく、明らかに彼は傷付いているというのに。彼はそれでも、止めるツバキに首を振って、ゆっくりと立ち上がる。

「此の『少女』との縁も……此処までだ」

 未だ殺す、と繰り返す少女の元へ、歩み寄る。苦しげに叫ぶ少女はもう壊れかけているのか、ハクメンが近付いても反応することすらできずにいた。けれど縛られたままの精神が言葉だけを吐かせ続けている。

 彼女に、剣を向けるハクメン。ラグナが手を伸ばし制止を呼びかける。けれど。

「哀れな……少女よ、今……楽にしてやる」

 大太刀を薙いだ。

 少女の身体は人間のような肉感がありながら、鋭い大太刀を受けても血を流さない。纏うコスチュームは傷付き破れていたけれど。それでも抵抗できない状態で攻撃を受ければ呻きをあげて、彼女の身体は剣を叩きつけられるまま吹き飛ばされた。

 転がる彼女の元へ歩み寄り、大太刀の切っ先を突きつける。

「此れで……終いだ」

 剣を握った腕を引き絞る。……そして、突きを放とうとした、その瞬間だった。

 微かな金属音がハクメンの背後から鳴り響く。けれど、その音に気付いた時には既に遅く。蛇頭が、ハクメンを貫く。

「なっ……貴様……!!」

 振り向き、蛇頭に繋がる鎖の先を追って……ハクメンは、声をあげる。動揺していた。

 そこに居たのは、金髪の少女ユリシアを傍らに連れたテルミだった。

 テルミはニィ口角を吊り上げ笑むと、蛇頭のついた鎖――ウロボロスを勢いよく引っ張った。ずるずると、ハクメンを貫いたウロボロスがテルミの方へ引き抜かれていく。呻きながらも、ハクメンはそれを抵抗することができない。留めておくことも、ましてや自分で引き抜くことも。

 蛇頭がすっかり抜けきった時、ハクメンの身体にはウロボロスが刺さっていたような傷は見えず。けれど、魂までもが抜けてしまったかのように……ハクメンの身体は、力を失い地に膝をつき倒れ伏す。

 コツ、コツと靴音を響かせて、ズボンのポケットに手を引っかけたテルミは悠々と歩み寄り、ハクメンだったものを見下ろして嗤う。

「ハッ、ざまぁねぇな、ハクメンちゃんよ……」

 言いながら、腰を折ってハクメンだったもの、白の鎧……スサノオユニットに手を伸ばす。掴み、持ち上げればいとも簡単に持ち上がる鎧は動き出す様子がない。その光景が信じられなくて、思わず口を覆う者も居た。

「俺の『躯』……返してもらうぜ」

 囁いた瞬間、彼の足元に光の術式陣が浮かび上がる。蛇を模ったような紋章の術式陣から、闇が吹き出て、途端にテルミとスサノオを包んだ。

 ――いけない。ぞわりと嫌な予感がして、ラグナが再び剣を抜いて駆けた。

「うぉぉおおおっ!!」

 けれど、ラグナ一人が剣を振るったところで暴風のような闇に弾かれるだけ。ラグナの身体が弾んで、鈍い音を立てた。濁った悲鳴が漏れる。

 そうして闇が晴れた瞬間、そこに立っていたのは。

 三輝神、オリジナルユニットの一つ。ユウキ=テルミの本来の姿であり、彼が一度捨てた姿。

 アマテラスを護る矛にして、破壊の神。ハクメンと似て非なる姿。

 漆黒の……スサノオだった。

「これが……てるみさんの、ほんらいの、すがた……」

 胸の前で指を組み呟く少女の声に宿る感情は、少しの驚きと、不思議さだった。それにスサノオは返事をすることもなく。

「懐かしい……懐かしいぞ、この感覚……全くもってクソムカつく感覚だ……」

 空気が、その存在に恐怖するかのように戦慄(わなな)く。皆が目を見開いて、視線の先に立つスサノオはひどく苛立った様子で、けれど込み上げる笑いを抑えながら言葉を叫んだ。

「この『檻(おり)』に囚われた感覚……これだ、これだ! どいつもコイツもぶっ殺してぇ、この感覚だ……苛つくんだよ畜生……!!」

 彼が声を張り上げて叫ぶ。その圧だけで吹き飛ばされてしまいそうなほどの咆哮に、空気が余計に震えて、皆の身体にも自然と力が入る。ぎゅっと目を瞑り、吹き飛ばされないよう必死に耐えて、そして――。

 揺れが収まり、彼らが目を開けると同時。

「……さて。誰から我に殺されてくれるのだ?」

 低く響く厳粛な声は、圧倒的な力を感じさせた。先までの粗暴な声とは別物の声。けれど、それは確かにテルミ……否、スサノオから放たれていたし、横暴極まりないその台詞は正しく彼のものだった。

 それが、彼がとうとう手の届かない所まで行ってしまった気にさせて、ラグナは焦るように剣を持ち再びスサノオへ駆けた。

「っ、ぐぁあ……!!」

 けれど向かうラグナの目の前まで逆に一瞬で迫ると、目を見開く彼の鳩尾(みぞおち)に拳を一つ叩きこんだ。瞬間的に呼吸ができなくなる。力が入らなくなって、ラグナは膝をついた。骨をやられたわけではない、内臓もかろうじて無事だ。けれど痛みは尋常でなく、呻きをあげた。

 それを蔑むように見下ろして、漆黒のスサノオは言葉を紡いだ。

「……気をつけろ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。手加減するのが難しい……誤って殺してしまうだろうが」

 粗暴な口調のまま言う彼にラグナが何か言うより早く、スサノオがラグナに蹴りを叩き込めば、ラグナは再び呻いて身体を宙に放り出す。そのまま地に叩き付けられ、弾みながら転がって。

「く、そ……アズラエルの比じゃねぇぞ……っ」

 掠れる声で呟く。あの日闘技場で戦ったアズラエルですら人間離れした力を持っていて、正に化け物と呼ぶべきだったのに。その何倍も、スサノオの力は強く。

「貴様は最後だ。最後に、じっくりと甚振(いたぶ)って殺してやる……それまで待っていろ」

 そう言って、スサノオは興味がなくなったとでも言うような素振りでラグナから視線を外すと、他の面々を見て……。

 爆破音が、連続して響く。

「……邪魔をするな、人形」

 ノエルの魔銃・ベルヴェルクが発砲した事による音だ。狙った空間を撃つその銃による攻撃は、全て確かにスサノオに命中した。けれど、それにダメージを負った様子もなく、しかしその攻撃に気分を害したのだろうスサノオが、地を這うような声音でノエルにそう言った。視線は向けないままだ。

 その声だけで怯えたように肩を跳ねさせるノエルだったが、しかし震えを必死に抑えて叫ぶ。

「ラグナさん達には、これ以上触らせません!」

 ノエルの言葉を聞いて、スサノオがやっと彼女に視線を向ける。不思議な言葉を聞いたように首を傾けて、彼が問う。

「触らせない……? 誰が、何に触らせない、だと?」

 淡々とした声の割には、ひどく嫌な予感がして。ラグナが制止を呼びかける。けれどノエルはラグナの声に逆らった。ハクメンを助けないと、そう言って。

「聞いている。神を模した程度の貴様が、真なる神である我に何だと? 何と言った?」

「だ、黙りなさい!!」

 答えないで、しかも自身からハクメンを助けられると本気で信じているのであろう少女にますますスサノオは苛立ちを見せ、再び問いかける。その声にひどく怯えて、まるで威嚇する犬のように彼女は再び銃を撃つ。

「……無駄だ」

 が、スサノオにはやはり魔銃など効かず。ラグナにしたときのように、瞬きの一瞬だけでノエルの目の前にやって来る。転移したかのような素早さでやって来る彼にノエルが対抗できるはずもなく……その首を、掴まれた。

 そのまま腕を持ち上げれば、抵抗もできず、ぶらりとノエルの身体がぶら下がる。

 ぎりぎりと、その白く細い首に指が食い込んでいき、苦しさに思わず息を一気に吐き出した。

「もう一度言え人形……貴様ごときが我に『何を』させぬと言った? 言え、言ってみせろ……言いやがれ!!」

 スサノオが怒鳴るだけで、ノエルの髪が揺れる。呼吸ができなくなって、ゆっくりと、ノエルの目から光が失われていく。返事のできない彼女を見て、ユリシアがスサノオの元へ駆け寄った。

「てるみさん、それじゃ……へんじが、できません、ですよ」

「ああ、それもそうだったな……」

 かつて、短い間だったけれど友として関わった相手を、気遣うような言葉はそこにはない。だって彼女が世界をこうしたんだし、嫌いではないし、寧ろ好きな方ではあったけれど……新しい世界を作って、彼女が神から降りるまでの間は。

 そうして少し困ったように眉尻を下げる彼女に、さして彼は苛立つ様子もなく。

 寧ろ母親に窘められ拗ねた子供のように、素直にノエルの首にかける力を緩めた。それでもノエルは目を伏せ、気を失ってしまうのだが。自身よりも上位の存在。概念であり、全てである蒼の前には彼も素直だった。何より、彼女には居てもらわないと困るのだから。

「ノエル=ヴァーミリオン。貴様は人形であり『道具』だ。ならば……道具は道具としての役目を果たせ」

 そう言って、冷やかにノエルを見つめながらスサノオは紡ぐ。ふと、スサノオが疑問に声を漏らした。彼の身体の中に、微かにテルミの影が見えた気がした。融合がまだ完全ではないのだ。

「……まぁいいか。とりあえず今はこれで十分だ……」

 呟き、そして彼は止める面々など気にも留めずにユリシアを振り返ると。

「さて、世界を終わらせるのは止めだ。この世界の『破壊』を始める……あぁ、どちらも同義か」

 冗談めかすような笑いを僅かに含めながらも、言葉は本気だった。ユリシアは、それに迷うことなく頷いた。だって、世界を壊したあとは、きっと。

「行くぞ、ユリシア」

 ノエルを掴んだままに、スサノオの形をしたテルミがそう告げる。頷いて、彼に一歩、更に近付くと。空間が歪み始める。

「ざけんな、テメェ……!!」

「うるっせぇな、用件なら後にしやがれ」

 行かせまいと、ラグナが跳ね起きて剣を振るう。それに再びあの粗暴な声でテルミが怒鳴り、再び拳を振るえば、やはり力負けして後退りこそしたが、今度は大剣で自身を庇う。

「ほう。やるな……一応は『蒼の男』という事か。ならば『向こう』で待っていてやる」

 それを見て関心したように声を漏らすと、マスターユニットをスサノオは見上げた。

 再び大剣を振りかざす彼を片腕でいなしながら。

「聞こえているか、マスターユニット。否、『ジ・オリジン』。貴様の『片割れ』はここだ。我に『壊されたく』なければ、ついて来い」

 宙に鎮座するマスターユニットに向けて、そう告げると。空間の歪みが、ひどくなる。

 まるで事象干渉を起こすときの、それだった。

「おい待て、何処に行く!?」

 ラグナが手を伸ばし、止めるようにして聞くけれど。『向こう側』とだけしか答えず……次の瞬間には、ノエルとユリシア諸共、消えた。

「最高の絶望を用意して待っているぞ……ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 ここに来て何度目かの悪寒がして、何だか何かが足りない違和感があって……ラグナは、アマテラスを見上げる。否、先までそれが居た場所を見上げた。

 そこには、何もない空間だけが広がっていた。

 

 

 

   4

 

「あれが、てるみさんの、ほんらいのすがた……なんですね」

 白い、白い空間だった。世界の外側であり、そこに空間があったという概念でしか存在しない場所。そこに佇む影は二つ。黄色いフードを目深に被った男テルミと、金髪を三つ編みにした蒼い目の少女ユリシア。その足元に転がるのは、ノエル=ヴァーミリオン。

 先のスサノオの姿を見ても、纏う空気を感じても。彼女はあくまで『テルミ』として彼を扱っていた。

「ああ、そうだ。あの姿で居るのはクソムカつくんだが……俺様の目的を成し遂げるためには、力が必要だからな」

 スサノオの力であっても、マスターユニットを破壊することは不可能だけれど。邪魔してくる者を退けて、蒼を手に入れるための力というのなら、十分だ。

 ユリシアの頭では、よく理解できなかったけれど。納得したように少女は頷く。

「んで、これが蒼の門ってやつか……『存在』は知ってたが、実物を見るのは初めてだ」

 そう言ってテルミは、何もない空間に唯一存在する『それ』を見上げる。それは、白銀の巨大な『門』だった。一度ユリシアを生むときに開いて、それからまた閉ざされた門。この向こうには、全ての可能性を『可能』にする、『蒼』が眠っている。

 それをユリシアが手に入れれば彼女は完全になるし、逆にテルミが手に入れれば、テルミの思う世界が創造し放題だ。

「これを、わたしが……ひらけば」

「いや、その必要はねぇ。じきに奴らが来て……開けてくれるからな」

 ふ、と。靄がふわりと解けて消えるように軽く、彼女の中で疑問が浮上する。今まで、何故意識しなかったのかと思うほどの疑問だ。けれど、その疑問の意味を理解した瞬間、彼女は何故だか恐くなって――表情に出さないよう、口をきゅっと真一文字に結んだ。

 けれど、その表情の機微はテルミという存在には容易に分かってしまったらしい。首を傾げ、どうしたのかと問うテルミに少し目を見開いて、ユリシアは肩を跳ねさせる。それから視線を右往左往させ、どう言ったものかと迷ってしまう。

「……あ、あとで、その、はなします……です」

 だから、思わずそう言ってしまった。話していいものなのか、今じゃなくていいのか。後から話す時間なんてあるのか。そんな思いはあったけれど、そうとしか言えなくて。

 テルミもまた胡乱げな視線を向けるのだけれど、幼い彼女の考えることだから、さして重要でもないだろうと油断していた。

「にしても、いつまでこの人形は寝てるんだか。ほんと、マジで役に立たねぇ人形だなぁおい」

 テルミが苛立ちに足を持ち上げ、踏みつけようとする。それを少女が名を呼ぶだけで止めて、テルミは仕方なしに舌を打って、足を戻す。彼女に従うわけではない。けれど、下手に乱暴に扱って、ここで壊してしまっては意味がないからだ。

「んま、役立たずの『人形』がもう一匹いるみてぇだが……」

 呟き、辺りを見回せば。空気の動く感覚。静かな、けれど激しい大振りな攻撃だった。それをウロボロスで弾けば金属音が鳴って、攻撃の主は反動を使って後退し、淑やかに着地する。静かに現れたその人物は、少女だった。

「……あなたは……えす」

 甘く幼いユリシアの声が、彼女の名を紡ぐ。青と白を基調としたミニドレスに身を包み、片手には白銀に煌めく、身の丈ほどもある大剣を握り締めて。少女、エスは静かに二人を見つめた。

「ユウキ=テルミ。その言い方は侮辱と捉えます。それに、ここは貴方のような者が来る場所ではありません。たとえ、そこの方が許したとしても。早急の退去を勧告します」

 エスの言葉を聞いて、テルミは大袈裟な溜息を吐く。煩わしげに首を振り再び舌を打つと、彼女を睨み付けた。

「はぁ~……ウゼェなぁ。誰にモノ言ってんだ。テメェこそ失せろっつの、この『蒼の木偶人形』」

「繰り返します。ここは神聖なる蒼の聖域です。そこの方を置いて、至急退去してください『ユウキ=テルミ』」

 さもなくば……そう言って、大剣を再び構えるエス。それと対峙するのは……ユリシアだった。

 彼女は目の前の少女を見つめ、両腕を広げる。それを見たテルミは口角を吊り上げるだけだ。

「……退いてください。いくら蒼である『あなた』の意思であっても……」

「どきません。だって『わたしたち』は、あたらしいせかいを、しあわせなせかいを、つくるだけ……ですから」

 どこか理解していたように、けれどやはり悲しそうにエスは目を伏せ告げる。けれどユリシアは首を横に振った。ユリシア達は、マスターユニットが繰り返す悲劇を終わらせ、幸せな世界を作るだけ。それでも大切な人を傷つけるというのなら……そう言って、彼女が出現させるのは銀色の大鎌だった。それをしっかりと両手で握り構える彼女を、真っ直ぐにエスは見つめ、やはり悲しそうな顔で……。

「……分かりました、そう言うのでしたら」

 

 

 

   5

 

「っと……ここが境界か? いや、この感覚は……外の世界ってやつか」

 あれからラグナ達は、ハザマに拷問されていたレイチェルを助け出し、彼女の導きによりテルミ達が居るであろう世界の『外側』にやって来ていた。そこにその世界があったという概念だけで成り立った場所だ。ハザマは……ラグナに助けられるのだけは勘弁だと言って逃げた。その後の行方は誰も知らない。

「どうやら無事に突入はできたみてぇだが……あいつらとは、はぐれちまったみたいだな」

 辺りを見回しても、一緒に来たはずの彼らの姿が見えない。門の方向は、なんとなく検討がついたけれど。彼女が導いたにしては、やけに正確性に欠ける。彼女への愚痴を呟き、彼は進みだす。

 暫く、歩いた頃だった。小さな影が見えて……彼は足を止める。

「……なんでウサギがここにいるんだ」

「凄いわね。迷いなくここまで来るなんて」

 彼女は外から彼らを導いていたはずだ。なのに、何故この場所に居るのか。彼の問いには答えず、レイチェルは静かにそう呟くと。真っ直ぐに、ラグナを見据えた。

「話があるわ」

 その言葉を聞いて、ラグナは眉根を寄せ、胡乱げにレイチェルを見つめ返す。

 やはり、彼女は『わざと』バラバラに飛ばしたのだと理解したから。

「貴方……ノエルを救ったあと、どうするつもり?」

「へ? どうって、何をだよ」

 間抜けた声が、ラグナからあがる。問い。けれどそれに彼女はやはり答えない。だって、ラグナは分かっていて聞いているのだと知っていたからだ。

「聞いているのは私よ。『貴方はこの世界を』どうするつもりなの?」

 再び問われれば、ラグナは悪戯っぽく笑んだ。答えなくては駄目か、と。勿論彼女は頷くのだから、彼は少し困ったように眉尻を下げた。

「……皆の『願望』を喰い続けているうちに、色々見えてきたんだよ。お前が何を『望んで』いたのかもな」

 ラグナの言葉に、彼女がひどく驚いた様子で目を見開く。けれど、ラグナは言葉を止めやしない。彼の望みは……。

「俺の望みは……『神の観る夢(セントラルフィクション)』を終わらせることだ」

 だから、彼は前に進まなければならない。そのためにここまで来たのだから。

 ラグナはそう言って、静かに歩き出す。レイチェルの横を通って、二、三歩進んで……途中で、ふと彼は足を止めた。振り向くレイチェルに、ラグナもまた向き直る。

「……今までありがとうな、ウサギ」

 微笑むラグナに、レイチェルは一瞬だけ驚いたように再び目を丸くすると……彼女もまた、優しく笑うことしかできなかった。

「そして……さよならだ」

 

   6

 

「悪い、待たせた」

 聞き慣れた声がようやく聞こえたことで、ジンとトリニティは振り向いた。遅さを咎めるようなジンの言葉に軽く謝って、そしてラグナは目の前に鎮座するそれを見上げる。

 門と、マスターユニットが……そこにはあった。

 彼らが探しているユウキ=テルミとユリシア=オービニエ、ノエル=ヴァーミリオンの姿は見えなかったけれど。でも、気配も視線も、吐き気がするような胸糞悪い感じもして、ラグナは虚空に怒鳴りつける。

「隠れてねぇで出てこいよ、テルミ!!」

 瞬間、ラグナの背に嫌な汗が吹き出て、ラグナは振り向きざまに大剣を振るう。金属音が耳を劈く。ウロボロスが、伸ばされていたのだ。くつくつと笑う声が響いて、ラグナは再び前を見る。

「くく……威勢がいいねぇ、ラグナちゃ~ん」

 居たのは、やはりテルミ。そしてユリシアだった。ラグナはその姿を見て、いつもであれば冷静さを欠き怒りと憎悪で向かうところを、至極冷静に……言葉を紡いだ。

「ノエルを……俺達の妹を返してもらうぞ」

 その言葉を聞いて、テルミはひどくつまらないことを聞いたとでも言うように顔を顰めた。

「ノエル? あ~はいはい、そんなに返してほしいのか、この『ガラクタ』を……」

 面倒臭そうに適当な返事をして、指差す先に居るのはマスターユニットだ。それの頭の部分、棺にも見えるそこが……テルミの声に合わせて、ゆっくりと開き。

「――ノエルッ!!」

 ラグナが、思わず叫ぶ。そこに居たのは、金髪の少女だった。遠目にしか見えないはずなのに、やけにハッキリと見えるのは彼女が観せているのだろう。そして、その姿は……彼らの知るノエルそっくりだった。肌はツギハギだらけで、身体中をチューブに繋がれてはいたけれど。

「これが、お前らの探している『本物』のノエル=ヴァーミリオンだよ。健気で可哀想で……残虐非道なこの世界の神様。『第一接触体(ジ・オリジン)』だ」

 聞いた瞬間、ラグナは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。分かってはいたけれど、やはり彼女がこの世界の神様であるというのは。一方、ジンは唇を震わせ、何かを紡ごうとしていた。

「貴様……まさか、ノエルを『第一接触体』と融合させたのか? 何ということを……」

 けれど、それにテルミは肯定することも否定することもしない。ただ、勘違いするな……そう言って、再びマスターユニット・アマテラスを見上げる。

「勘違いすんなよ。このガラクタを作ったのは俺じゃねえ……これを『創造し(つくっ)た』のはテメェら人間だろうが」

 どこか苛立ったような声でそう言って、彼は語る。このくだらない世界の始まりは『あいつ』なのだと。そして、ラグナ=ザ=ブラッドエッジが救わなかった最初の怪物。本物のノエル=ヴァーミリオン……否、『サヤ』とでも言った方が正しいか。

「どうよ、感動の対面だぜ? 涙流しながら抱き付くか?」

「ッ……どこまで腐ってやがんだ、この屑(くず)が」

 からかうような、蔑むような。そんなテルミの言葉に眉を動かして、ラグナは小さく漏らした。歯を剥きそうになって、堪える。ここで怒っては意味がないから。

「はぁ? 屑はテメェらだろうが、この『人間』。神の力欲しさにいくつ世界を潰してきたよ。まぁテメェらに言うことでもねぇけどな」

 ラグナの『屑』という言葉を受けて、テルミが首を傾げ逆に罵った。けれど、ラグナからしてみればその力を教えたのはテルミで、つまりテルミが全ての元凶なのだ。が、それがラグナから見た感想に過ぎないように、テルミからすればそれを『選択』したのは人間なのだから、自身のせいにされてはたまったものではない。

「都合のいい可能性だけを集めて自分達だけの未来を作る。逆に『可能性』を奪われた世界は黒き獣という『滅日』を迎える」

 それだけの死を自分達で生産しているのだから、『冥王イザナミ』などという化け物が生まれても不思議ではない。

「それで? 今度はテメェが蒼を手に入れて、神様にでもなるつもりかよ」

「俺は元々、テメェらが言う『神様』だよ」

 皮肉るように問い、テルミの斜め後ろに佇む少女を一瞥するラグナにテルミは、呆れたような声で答える。それに反応するのはジンだ。彼はテルミが『神』であるという言葉に顔を顰め、くだらない戯(ざ)れ言だとそれを否定する。彼のような神を誰が崇(あが)めるものかと。

「テメェら『人間(ごみくず)』共に崇められたって、なんにも嬉しくないね。むしろ踏み潰したいくらいだ」

 嘲るようにそう高らかに語って、鼻を鳴らすテルミ。それにジンはますます眉根を寄せるのだけれど、それを制するかのようにジンの肩を軽く叩いて、ラグナがテルミの目的を問う。

「だ~か~ら、言ったろ? 破壊だよ、は・か・い」

 子供が遊びを提案するような気軽さで、彼は告げる。厭(いや)らしい笑みを浮かべて、彼はそして再び語りだす。

 真の蒼を手に入れて、マスターユニットすらをも超えた存在になる。そして、アマテラスが創造する世界を全て……破壊する。そうやってマスターユニットの全てを踏みにじって、苦しめ、アマテラスの干渉すら関係なくなった、何にも縛られない真の『自由』。

「そんな……そんな事のために、こんな……こんな事まで」

「するね!! 俺は、俺を縛りつける全ての鎖を引きちぎる! タカマガハラにもアマテラスにも、誰にも『干渉』はさせねぇ」

 自身は、自身のモノだ。故に好きに行動して、好きに生活して。それが彼の望みだった。

 けれど、そんな事情も理由も、ラグナ達が知ったことではなかった。

 イザナミの居ない今、滅日が終わればまた新しい世界が創造される。それはテルミも同じで、つまり門を守りきれば、最悪でも彼らは負けはしない。

 たとえ、ユリシア=オービニエという『蒼』が……彼女が加勢したとしても。

 語る面々。テルミはそれを聞くと、目をぱちくりと瞬いた。そして、肩先を震わせる。胡乱げに見つめるラグナの目の前、彼は堪え切れず、失笑した。

「っぷくく、ヒ、ヒャ~ハハハ!! テメェらそれ、マジで言ってんのか? やっべ、ウケるわ」

 状況はテルミにとって確かに『最悪』かもしれない。けれどそれは既に、彼らにとっても同様なのだ。そして、テルミがその最悪のために取った対策が、これまでの行動だ。何のためにスサノオを、ノエルを手に入れたのか。

「――武神(たけがみ)、召喚」

 腕を広げ紡ぐテルミの言葉に呼応するようにして、テルミの背後の空間が歪む。現れるのは白の鎧。ハクメン……否、ハクメンが使っていた『躯』、スサノオユニットだ。

「テメェになら見えるかもな……トリニティ=グラスフィール」

 彼に名指しされ、トリニティが不思議そうにスサノオユニットを見て――目を、見開く。そこに見えたのは、今まで探していた少女の姿。ノエルが、そこに居たのだ。思わず名前を叫べば、ジンとラグナが驚きに声をあげる。

「スサノオユニット……憑鎧」

 そう言って、テルミはニンマリと口角を持ち上げる。途端、テルミとスサノオユニットを闇が包む。そして、闇が晴れた時には『テルミ』の姿はなく、漆黒のスサノオが佇んでいた。

「既にノエル=ヴァーミリオンは我が内に取り込み済みだ……この意味、分かるな?」

 ノエルが取り込まれているということは、ノエルの力を有するということだ。つまり滅日が完成しようとしまいと、彼の存在はもはやその影響を受けない。

「……が、それもどうでも良くなりそうだ」

 鼻を鳴らして笑い、スサノオが紡ぐ。未だ眼を覚まさないノエル……否『第一接触体』を、彼らの命を触媒にして覚醒させ、真なる蒼である『蒼炎の書(ブレイブルー)』を手に入れる。そして門より外へ至り、自由となる。このユニットの力をもってすれば、それも可能だと言うようにスサノオは朗々と語った。

 けれど、ラグナはそれを聞いて挑発するように吐き捨てる。舐めるな、と。

「下らん。我に勝てるとでも思っているのか?」

「思ってるね。だからここまで来たんだ!!」

 返る言葉を聞いて、スサノオは興味深そうに声を漏らす。そして鋭い牙の目立つ口を歪めて、凶悪に笑う。

「……ならば、自身の愚かさを悔いて死ね……『人間』!!」

 叫び、スサノオが拳を構える。それを見て、ラグナが呼ぶ名はジン。それだけでジンは分かっていると頷いて、ユキアネサを抜いた。

 

 

 

 剛腕と、闇色の剣を振りかざし向かうスサノオに、ジンもまた氷の刀で応戦する。金属音と肉のぶつかる鈍い音が連続して響く。かつてのジンであればここまで戦えなかっただろう。きっと、躱すことに精一杯で、とてもではないけれど攻撃なんて。

 けれど、今のジンは違った。ユキアネサを振ることで急速に空気を冷却し、生んだ氷の壁でスサノオの拳を弾く。破壊された時には既にスサノオの裏に周り、斬撃を仕掛けていた。

 それでもスサノオの身体には傷一つ付かず、ジンに返る感覚は僅かな手の痺れ。

 スサノオが振り向き、その隙に拳を叩きこむ。けれどそれを一歩退くことでジンは躱す。が、拳の利点はその連続性と軽さにある。右が避けられれば左、左が避けられれば右。いつまでも躱し続けるわけにはいかず、ジンが切り返すために剣を振る。

 けれど、それをスサノオは身を翻して尾で弾いて、そのまま再びジンの方を向くと、再びその手に自身と同じ漆黒の剣を生み出し、振りかざす。

 刀を弾かれたジンに、それは直接ぶち当たって……。

「ジン! 大丈夫か……!?」

「クッ……『認識』出来たぞ、兄さん……」

 駆け寄るラグナに、痛む身体を押さえながらもジンは掠れた声で告げる。後は任せた、そう言うジンにラグナは頷いてスサノオを睨み付けた。

「スサノオ……テメェもここで『終わらせて』やる!!」

 叫ぶラグナに、スサノオもまた返す。「面白い」と。ならばやってみろ、言うスサノオに反応するかのようにしてラグナは右腕を構えた。湧き上がるままに、本能のままに、けれど確実に自身で制御してラグナは紡ぐ。

「第六六六拘束機関解放……次元干渉虚数方陣展開!!」

 イデア機関接続……解除。

 途端、膨大な魔素の噴出に空間が耐え切れず揺れ出す。何かの呻きのような音を立てるそれに、スサノオがひどく驚いたような声をあげた。

 彼は、ラグナは……自ら魔道書を暴走させたのだ。つまりそれは、ラグナの身体の崩壊も意味する。確かに力の出力は上がるだろうが、それだけ危険なことだ。

「見せてやるよ……これが蒼の、そして俺の力だ!!」

 蒼の力であり、そして自身の全力。ブレイブルーを起動し、彼は『獣』のような咆哮をあげた。

 

 

 

「まだだぁぁあっ!!」

 倒れかけるも、手をついて咄嗟に跳ね起きラグナが魔素を纏った拳を突き出す。それを腕でガードされれば一度引いて、再び駆けて剣を振り下ろす。その鳩尾にスサノオの拳が入り込み、ラグナは息を吐きだし倒れ込む。再び立ち上がり……。繰り返される攻防、ブレイブルーを起動して尚、ラグナが僅かに不利だったけれど、それでもラグナは何度だって立ち上がる。

「うおおおぉぉぉおお!!」

 咆哮をあげ、スサノオに飛び込むラグナ。再び突き出される拳を、スサノオが握り込んで止めた。捻れば嫌な音が響く。尋常でない痛みが襲うだろうに、それでもラグナは止まらない。僅かに驚きを見せるスサノオの頭を引っ掴み、飛び込んだ勢いのまま押し付ける。

「んな……っ」

 スサノオの身体から、強制的に引き剥がされるテルミ。頭を掴まれたまま目を見開く彼から視線を外して、ラグナは背後のスサノオユニットを見遣る。「やれ」。一言そう命じれば、スサノオユニットは歪な金属の刀――ヒヒイロカネを手にして、言葉を紡ぐ。

 彼は、スサノオユニットを纏ったジン=キサラギだ。

「全ての者よ……目に焼き付けろ。我が名は――」

 スサノオ。高らかに告げて、スサノオユニットはヒヒイロカネを握り締め、二人めがけて駆けた。瞬間、周囲が光に包まれて――。

 

 

 

   7

 

 気が付いた時、そこは先までとは対照的な暗い、闇に包まれた空間だった。目を伏せているのか、開けているのか、そもそも目というものが今の自身に存在しているのかすら分からなくなるほどの、闇がそこにあった。

 浮かぶような、沈んでいくような不思議な感覚は、水中に似ている。冷たくも温かくもない優しく無慈悲な水の中だ。

 自身は、あの人物は、どうなったのだろう。思い出してみれば、案外あっさりと理解できた。

 それと同時、水の中から引き揚げられるように、ずるりと引っ張られるように――意識が、浮上する。物に触れることの許されない精神体(かげ)の自身の手に触れて、引っ張ってくる正体はなんだろう。見遣れば蜂蜜のような淡い金の糸が、堪らなく欲しがっていた『蒼』の色が、見えた。

 名前を呼ぼうとして、それを遮るように声が響くから、彼、テルミから声は発せられなかった。

「ここは……何だ……?」

 代わりに『彼女』を引き寄せ、その小さな手を握りしめた。いつもなら驚いたような、間抜けな声が届くのだけれどそうはならず。そしてテルミの聴覚に届くのは、聞き慣れた男の声。彼もまた、ここに辿り着いたのだ。

「やってくれたじゃねぇかよ……『ラグナ=ザ=ブラッドエッジ』」

 そう声をかけてやっとテルミを認識する彼……ラグナに、テルミは語って聞かせた。

 勝負では、ラグナの勝ちだ。実際、スサノオユニットを使って負けるとはテルミ自身考えてもいなかった。そう、テルミは負けたのだ。ラグナは大した人物なのだ。だが……付け足すテルミは、あまりのおかしさに、堪え切れず笑った。

「テメェは『頑張りすぎた』みてぇだな、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ!!」

 テルミの声に反応するようにして、どくん、と鼓動が聞こえた気がした。

 辺りが一気に明るくなる。変わらず闇色の世界だが、それでも確かに明るく感じるその場所に。大きな、蒼の光が見えた。影が人型をとったようなテルミの姿も、かつての人間の姿に戻っていた。目を見開くラグナに、ひどく愉快げに声を弾ませてテルミは言葉を続ける。

「ここがどこか分かるか? 分かる? 分かるよなぁ! やっべ、超~ご機嫌だぜ俺様ちゃん」

 蒼い光を見つめて、ラグナが瞳を揺らす。まさか……そう口から洩れた声に大きく頷いて、テルミはその思考を肯定する。

「そうだ。テメェは門を開いたんだよ!」

 高らかに告げて、そして拍手。

 信じられないという表情を見せるラグナがこれまた滑稽に見えて、テルミは再び笑い出しそうになるのを抑えながら言葉を紡いだ。

「いやぁ、おめでとうラグナ君。誰もが求め、それでも尚、辿り着けない場所に……お前は辿り着いたんだぜ」

 旧知の友を讃えるかのように語って、そしてテルミは両腕を広げる。この場を示すように。

「ここは『蒼の境界線』。蒼に選ばれし者のみが到達できる世界だ」

 けれど、ここにはラグナの他に『ユウキ=テルミ』が居る。

「そして……コイツ、ユリシアも辿り着いた。つまり、どういうことか分かるよな?」

 その言葉を聞いて、ラグナはテルミの傍らに少女が居ることに、ここでやっと気付く。目を見開く彼が答えないのを見て、元から答えなど期待していなかったのだろう、彼は口を開く。

 それは『ラグナ』か『テルミ』、そして蒼の片割れである『ユリシア』のいずれかが、真なる『蒼』を、蒼炎の書を……手に入れることを意味しているのだと。

 ユリシアはそれを聞くと、テルミを見上げた。そんな少女の頭に、いつものように手を置いてテルミは厭らしく笑う。これも蒼の『意思』だというのか、問うラグナにテルミは告げる。

「不思議はねぇだろ。蒼の力に『善悪』はねぇ。俺様にすら蒼であるコイツが付くんだ。それに、そもそも善悪なんざテメェら人間が決めた価値基準に過ぎねぇだろ?」

 純粋な『力』である蒼には人間の善悪など関係ない。蒼はただ、求める者に応える、それだけ。

 黙り込むラグナを見て、未だ笑みを浮かべたままテルミは首を傾げる。

「どうしたラグナ君、ショックで声も出ねぇか?」

 煽り、挑発するような彼に、しかしラグナは何も返さない。俯く彼に、テルミが痺れを切らしそうになったとき、だった。

「そうか……ここなのか。蒼は『全ての可能性を可能にする』力……純粋な力であるなら……いや、それならなんでコイツが……」

 ラグナが言葉を呟く。その言葉を聞き、テルミが眉根を寄せ首を再び、僅かばかり傾けた。

 ここへ至る門を開けられるのは、ノエルだけだとラグナは思っていた。けれど、それならば何故、ここに来る必要のない彼女までがこの場所に居るのか、何のためにこの場所に居るのか。

 その答えは、あっさりと……ユリシアの口から紡がれる。

「わたしが、じぶんで、あけて……おいかけてきました、ですよ」

 蒼の力をもって、閉まりきる前の門を再び開け、そこに飛び込んだのだ。けれど、何故そんなことをしたのか。答えは簡単だ。彼女は、テルミの傍にいるために生まれたのだから。いくら元々が彼を観察するためだったとしても、それなら……否、それ以前に。大好きなテルミの傍にいるのが彼女の望みだ。

 そして彼が求めるなら、自身という『蒼』を捧げる覚悟で。

「でも、てるみさんは、わたしをもとめない。だから……せめて、たいせつなひとを、まもりに」

 テルミが、目を見開く。

 彼女は、テルミがそうしようとすればいくらでも殺されて、力を奪われたって構わないほどだった。けれどテルミはその選択肢を無意識のうちに自身の中から排除していた。それを、ここに来て気付かされたのだ。

 何故テルミが彼女から蒼を奪わないのか。それは彼女自身には分からなかったけれど、ならば彼の傍に居ることができる。そんな願望を叶えられるなら、叶えないわけがない。

「わたしは、てるみさんのおそばで、てるみさんを、まもりたいんです」

 それだけだった。かつてラグナに問われた時も、彼女は『護りたい』と、そう答えた。

「いくら、のえるさんが……あのひとたちが、あなたに、かけたとしても」

 何故ラグナがここに立っているのか。それは彼らが、ラグナが『神』であるスサノオ、テルミを消し去る『可能性』に賭けたからだ。

 アマテラスの下で、テルミが使っていた『スサノオユニット』に、ラグナとテルミは斬られた。

「……らぐなさんという、くろきけものから……すさのおは、せかいをすくいました」

 そして、そのスサノオは継承され、テルミこそが世界を救った英雄となっている。その事実を唐突に語られたテルミは、ひどく驚きながらも何も言葉を発せない。彼女がそこまで理解していることも、自身がそんな状況にあることも予想外だったけれど、言葉を口にする隙を彼女は与えない。

「らぐなさんは、それを、ねらっていた……ですよね」

 スサノオが継承され、誰もテルミに恐怖しなくなることを。そのためにわざわざ『スサノオユニット』に斬らせた。ぎこちなく首肯するラグナにテルミは目を丸くする。

 テルミはてっきり、ラグナに拘束され動けない自身を、ラグナごとヒヒイロカネで倒させようとしただけだと思っていたのだから、テルミすら想像できなかったラグナの狙いを悟った少女にただ驚いていた。

「でも……ラグナ=ザ=ブラッドエッジさん」

 いつもの舌っ足らずさが抜けて、一瞬、彼女でない蒼が再び乗り移ったのかと、テルミは思う。それほどまでに、幼い声の中には凛としたものがあって、名を呼ばれた彼が唾を飲む。

 けれど、ユリシア=オービニエはあくまでユリシアとして話していた。

「あなたが、テルミさんを、けしさる『可能性』だというのなら」

 紡ぎ、そして彼女は目を伏せる。間を開ける。それは数秒だったけれど、やけに長い数秒間だった。彼女は再び目を開ける。吸い込まれそうなほど澄んだ蒼の瞳で、ラグナを真っ直ぐに見つめると、彼女は告げる。

「てるみさんは、あおを……『蒼炎の書(ブレイブルー)』を手に入れ、世界を作り直す『可能性』です」

 小首を傾けて、可愛らしく無邪気な微笑みを見せる。彼女は相変わらず無垢だった。けれど、かつての何も知らない彼女はどこにもいない。

 世界中の誰もがラグナに賭けていたとしても、彼女だけはテルミに賭けていた。最初からずっと、見て、慕ってきた大切な人だから。それに彼女は、『可能性を可能にする力』なのだから。絶対に諦めない。

 自身の力を与えることは許さない。だって、彼はそんな事を求めていない。彼は自身の力で手に入れたいのだと分かっているから。自身を生んだ蒼だって、実際に目で見て知ることを望んだのだから、それくらい理解できなければいけない。

「おぼえていて、くださいです。……らぐなさん、てるみさん。これが、さいご、です」

 再び子供らしい舌っ足らずさを取り戻して告げる彼女に向けて、ラグナは勿論、名前を呼ばれたテルミすらも少し驚き困惑してしまう。でも、それも一瞬に終わった。どちらも負ける訳にはいかず。そして……ここが、彼女、蒼の少女が言うように、終末のときだと判断したからだ。

 身構えるラグナを見て、テルミが腕を横に突き出す。ユリシアに告げる言葉。

「ユリシア、下がってろ。手出しはすんなよ」

 小さく頷いて、少女は一歩、身を退いた。

 それを受けて彼らは再び睨み合う。

「……死して絶望しろ。ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 ラグナは何も返さない。大剣を構えるラグナに、テルミもまたナイフを懐から取り出し握り締め……駆ける。

 

 

 

 走るラグナに喰らいつこうと迫るのは、テルミの放つ蛇頭の鎖……ウロボロスだ。最低限の動きのみで横に避けながら、テルミに向かって一直線に駆ける。そんな彼の脚をウロボロスが追いかけ、噛み付こうと蛇頭が口を開けた。

 それを小さな掛け声と共に跳躍し逃げる。追いかけるウロボロスはどこまでも伸びるが、その前に落下し始めたラグナが振り下ろす大剣がテルミに直撃しそうだと見れば減速し、すぐさまもう一本の鎖が空間を食い破って現れ、大剣からテルミを庇う。甲高い金属音が鳴り響いて、火花を散らし膠着(こうちゃく)する。

 しばらく押し合っていたが、テルミが斬り払うように腕を横に振れば、先までラグナを追いかけていたもう一本が再び目の前に現れて、その二本の鎖でラグナを押し返した。

 と同時に、テルミの手から銀色が投げられた。細身のナイフだ。後ろに跳ぶラグナを追いかけて、投げられたナイフが肩を穿って服を裂く。痛みを訴える肩に思わず呻いた。

「ぐっ……ぁ……」

 けれどそれを無理矢理に、片手で引っこ抜いて放り捨てれば、地で跳ねる金属が実にチープな音を立てる。ラグナが大剣を両手に握り直し、真っ直ぐ前に跳んで大剣を横薙ぎに振るう。

「おおっとぉ……!」

 しかし大剣がテルミに触れるより早く、テルミは上空に向けて放ったウロボロスに運ばれ高く逃げる。けれどテルミは、目標を失い踏鞴を踏むラグナの元へ、再び放った鎖に引っ張られすぐさま舞い戻る。着地の低い姿勢から、見上げるテルミがにやりと笑みを浮かべる。そこからラグナの懐に突っ込み、片手のナイフを突き出した。

 それを大剣で防げば、テルミは両手を地について、代わりに持ち上げた長い脚を鞭のようにしならせ、蹴りを繰り出した。身体を後ろに反らしてそれも躱すけれど一歩遅く、ラグナの頬に、テルミの靴に仕込まれた刃が掠り傷を作った。

 痛みと、視界の端に一滴、赤が跳ねる。一瞬だけ片目を瞑った隙に、再びテルミの腕が突き出された。刃の切っ先が眼前まで迫り、まずい、そう思って咄嗟に大剣の刃を当てる。

 押し合い、お互いに退く。それからテルミが大きく跳ぶと、両手に纏うのは、ラグナのそれとはまた違った闇色だ。影を集めて固めたようなエネルギーの塊は、テルミが腕を振るうと二つの顎となってラグナに一直線に向かってくる。

 一歩飛び退いて躱し、いつの間にか着地したテルミが手に闇色を纏ったまま迫れば、それもまた大剣の腹で防いで、互いに剣を引き、ほぼ同時にまた斬り合う。

 互いに譲らず、いつまでも終わらないと思われる戦い。

 暫く互いに剣を振り合っていた時、テルミの脇でウロボロスが再び現れ、ラグナに迫る。危機感を覚え、ラグナが大きく身を引けば、それを追いかける、いい加減に見慣れた蛇頭。

 鎖が交差して、ラグナの大剣と押し合い、ラグナが斜めに剣を無理に振り下ろし鎖を押し退ければ、そこに迫るもう一つの蛇頭。再び剣を振り上げたラグナの手を叩いて、剣を弾き飛ばす。

「っぐ……」

 痛みを訴える手に顔を顰めるラグナ。それを見て嘲笑するように笑みを浮かべるテルミ。

「オラオラどうしたよ、そんなんじゃ俺様を倒せねぇぞラグナちゃん!」

「まだだ……!!」

 己を奮わせるように声をあげ、ラグナは再び駆ける。落下し地に突き刺さる大剣を引(ひ)っ手繰(たく)るように取り戻して両手で握り、眼前に掲げる。と、その大剣は軽い音を立てて歪な鎌へと変形した。どす黒い闇色の魔素を鎌にも纏わせて、彼は駆ける。

 その姿は、正に死神だ。僅かにテルミが笑む顔を引き攣らせた。

「さっさと死ね!」

 叫び、テルミの背後には闇が……集められた多量の魔素が膨れ上がる。それはみるみるうちにいくつもの大蛇(だいじゃ)を造り出して、振るうテルミの腕に従いラグナに襲いかかる。けれどそれらを鍛えた腕と握った鎌で順番に潰していって、そして、鎌を大剣へと戻しながら――いつの間にかテルミの眼前まで迫ったラグナが、突き出す。

 回避は間に合わない。ニィと痩せ我慢に口角を持ち上げて、テルミは目を見開き、ラグナを見据えた。迫る刃が、やけにスローモーションに見えて……テルミの視界に、蜂蜜色と青色が捉えられて。

 甲高い金属音が響いた。火花が弾けて、視界の端で、何かが跳ねる。

「……手を出すな、つっただろうが……」

 下がっていろ、と言ったのに彼女が出てくるのは。彼女に庇われるのは、初めて彼女がラグナに会ったとき以来だ。眉根を寄せ、低い声でテルミが少女の背に言葉をかける。

 銀色の大鎌を握った少女は、肩越しにテルミを見つめた。澄んだ蒼の瞳が、テルミを捉える。

「……ごめんなさい、です」

 その声は、掠れて、今にも泣きだしそうなほどか細く、震えていた。それだけで、彼女の思考が読み取れてしまって……。

「テメェ……」

 小さく漏らすのはラグナだ。剣を拾った彼に睨み付けられても、彼女はかつてのように怯えることはない。泣きそうな瞳ではあったけれど、ラグナに向き直った彼女はしっかりと彼を見つめ、言葉を紡ぐ。

 彼女はテルミに死んでほしくなどない。誰も、誰にも傷付けられたくないし、傷付いて欲しくもない。彼女はただ、大切で大好きな人と一緒に居たくて、それが彼女の願望で。

 彼女は確かに蒼だ。

 彼女は確かに『可能性を可能にする力』だ。

 けれど、彼女は確かに……一人の幼い少女であって、強い願望を持つ純粋な子供なのだ。

「だから、だから……! わたしは、てるみさんを、まもりたい、です」

 蒼だとか力だとか可能性だとかは関係なくて、自分の願望を叶えたいのだ。大切な人と居られる幸せな世界を作りたいだけ。

「わたしは……ユリシア=オービニエは、蒼から生まれた『可能にされた可能性(ポッシブルドリーム)』です」

 だから、夢は夢らしく、願望の世界を求めるだけだ。

「……それは、いけないこと、ですか」

 そう紡ぐ言葉に、ラグナもテルミも黙り込んでしまう。少女の瞳が揺れる。

 息を吸う音が響いて、ラグナが口を開いた。

「前にも言っただろ。相手が悪ぃんだって。コイツは……ユウキ=テルミは……」

「じゃあ、なんでてるみさんは、わたしを……わたしを、ころさなかった、ですか……っ」

 バツが悪そうに、けれどきっぱりと突き放すように。僅かな怒りと悲しみを両目に宿して、ラグナが紡ぐ。けれどその言葉を遮って、彼女は声を張り上げた。怒ることにも、泣くことにも慣れていないのだろう。叫んだ声に自分自身で驚いたように、彼女はハッと目を丸くした。その目尻に浮かぶのは、涙。

 ぎゅっと力を込めた拳から力を失わせ、やがてだらりと身体の横に垂らす。荒い呼吸音がうるさいけれど、どうすることもできない。

 ラグナが、テルミが、揃って目を見開いていた。

 先も言ったそれ。テルミはいつだって、彼女を、ユリシアを殺し蒼の力を奪うことができた。一度ハザマにもそんな事を言われた気がする。けれど彼は何だかんだ理由を付けて、よく分からない感情のままそうしなかった。

 いつの間にか、彼女が居ることが当たり前になっていて、彼女と共に新しい世界を作る気でいた。何千、何億年と抱いたアマテラスへの憎しみは消えなかったし、彼女を利用する気は確かにあったけれど、だんだんと目標の形が変わっていっていた。

「……知らねぇよ、そんなこと。俺が聞きてぇよ。俺が知るユウキ=テルミは、残虐非道で、人の大事なモンを全部無理矢理に奪って行って、容易に壊すようなクズ野郎だ」

「それでも……いまのてるみさんは、じゆうを、もとめているだけの『ひと』です!」

 反論し叫ぶ言葉に、ラグナが一歩、足を引く。

 気弱で、思考停止してテルミについているだけの愚かな少女だと思っていたのに、今、目の前に立つこの人物は……とてもではないけれど。

 思わずラグナが、ぎゅっと剣を握り締める。

「そのけんで、わたしをきりますか。わたしをさしますか。わたしを……ころしますか?」

 ラグナの大剣を指して、彼の目を見つめて彼女は淡々とした声で問う。

 ラグナの剣に斬られようとも、刺されようとも、殺されようとも。彼女は絶対に屈しない。彼女はテルミを、大切な人を守る。『可能にされた可能性(ポッシブルドリーム)』は自身の夢も『可能』にしようと。

「これは『わたし』の、いしです。わたしは、てるみさんを、まもります……です」

 蒼が興味を持ったから、だとかそういうのじゃなくて、ユリシアの意思だった。

 そのためだったら、ラグナを倒して、自分が蒼を手に入れて、新しい世界を作ることだって。ラグナに視線を移した彼女はしっかりとラグナを見据え、紡ぐ。

「いや……その必要はねぇよ」

 ユリシアの背後で声がして、彼女は振り向いた。声の主は、彼女の大好きな人物、ユウキ=テルミだった。彼は口角を持ち上げて、ナイフを握った片手を突き出した。ラグナに向けられる切っ先を見て、ラグナが身構える。

「……てるみ、さん」

 悲しげに少女は、テルミの名を呼ぶ。愛しくて大切で大好きな彼が、どうして未だそんなことをするのか、ユリシアには分からなかった。

「もう、おわりに、しませんか。てるみさんは、そんなこと、のぞんでいない、ですよね」

「うるせぇな……」

 テルミは短く言ってあしらうだけで、ユリシアの言葉には応えない。けれど憂いを帯びたその金の瞳を見上げて、見つめてしまったら、それだけで……今までの彼の発言を、行動理念を思い出して、理解してしまう。

 テルミは、全て、自分で背負っているのだ。そして、それを他者と共有することは絶対にないし、したくもないのだろう。だって、背負ってきた苦しみも悲しみも辛さも痛みも全てが自分のものだと思っていて。それらに最後まで縛られながら自由を求めているのだから。

 同情も共感も彼女にはできないけれど、そんなの悲しすぎる、そう思って。

 背負わなくていいとも、苦しまなくていいとも言えない。きっと新しい世界でも辛いことはあるはずだ。けれど、でも、大切な人には楽しく笑っていてほしいから。

「……ここが、さいご……なんですよ」

 だからこそ、テルミはラグナという人物を甚振り、最後に殺そうとしているのかもしれない。それでも、最後は楽しく終わって、新しい世界へその楽しさを繋げるべきだと思うのだ。

「てるみさん。もう……いいんです。いいんですよ」

 彼女の慈愛の眼差しは、かつて獣と戦った時代に生きた一人の女を思わせたけれど、それとはまた違う。彼女は、閉じた可能性の地獄を全て思い出して、背負っていて、テルミのことも全て理解して、それでも尚、彼を一人の人間として慕って……。

 本当はまだ、自分の中で彼を倒す欲はあったけれど。それでも自身と同じだけのものを、その小さな身体に背負っているのを見て、少しだけ応えたくなって。『興味』が湧いて。

 沈黙が流れて、そして……溜息の音が響いた。

「……一度だけ聞く。お前は、どんな『世界』を望むんだ?」

 問うのはラグナだ。それを受けて、彼女は再び視線をラグナへ向ける。

 どんな世界を望むか。そんなの決まりきっている。彼女が、息を吸った。

「わたしは、このせかいが、だいすきです」

 それは大切な人が居るからだけれど、その大好きな世界には、他にも一度は自身を温かく迎え入れてくれた人達が居たから。だから、優しくて、幸せなこの世界が大好きだった。

 けれど、そこにはやはり悲しみも溢れていて、可能性が閉じていて。だから。

 皆が幸せなんていうのは無理かもしれない。完璧な大団円なんて無理かもしれない。けれど、でも、考え得る限りの幸せを抱いた世界で、大切な人達と一緒に居られたら、それより良いことなんてないと思って。

 甘い考えなのも、子供らしい部分があるのも分かっているけれど。

 そんな、温かで幸せな世界を望んでいた。

「……そうか」

 ユリシアの言葉を聞いて、ラグナは短く頷いた。ならば、答えは一つだ。

「俺を殺して、蒼を手に入れろ」

 テルミの味方をする彼女の願いを叶えるだなんて癪(しゃく)だったし、テルミのことは絶対に許せない。でも、彼女に世界を壊す願望はないらしい。それに彼女は自身が蒼だとかは興味ないかもしれないけれど、彼女が『蒼』だから、というのも理由にあったかもしれない。だから、彼女になら……委ねても、いいかもしれないと。

 けれど、彼女は首を横に振った。何故、驚く彼に、彼女は自身の唇に人差し指を当てる。

「らぐなさんを、そうする、ひつようは……ありません、ですよ」

 だって今、蒼に一番近い存在になっているのは、その力を求めているのは、ユリシアだけなのだから。

 テルミを振り向き、微笑んだ表情そのままに同意を求めるように小首を傾ければ、テルミは少しの間を置いて、その間は視線を右往左往させて……首肯する。あれほどに蒼を欲しがっていて、しかも先ほどまでラグナを殺そうとしていたテルミが、だ。

 テルミは既に負けを認めて『認識』していたし、ラグナは蒼を譲ることを選んだ。それに、蒼を手に入れなくても彼女は元から『蒼』の半分なのだから。テルミが世界を作るわけじゃないことは、とても残念だけれど。

「だから……だれも、ころしたりなんか、しません、です」

 最初こそ殺すことの意味について理解できていなかったし、別にテルミが選ぶなら誰かをそうすることだって構わないけれど。必要以上にそうする必要が無い、というのが彼女の思いだ。

 お人好しで、純粋で、子供で、甘い……彼女の思考。でも、その穢れのない願望は、テルミ達も心の底でいつしか願いだしていたことだ。

 溜息を吐く。苦笑した。

「……それを先に言えよ。まぁ、それも蒼の意思だってんなら……好きにしろ」

 そんなラグナに、ユリシアもつられるように苦笑する。彼が怖くないわけではない。テルミを倒そうとしていた彼は未だに許せないところがある。彼なりに色々あったことも理解して、それでも怖い部分はあったけれど。

 新しい世界を、夢見た。そこではきっと皆が仲良しで。

「……それじゃあ、てるみさん。らぐなさん。いきましょう、です」

 短い相槌が重なって、お互いに顔を見合わせて、彼女の頭に視線を落とす。かつての無知で臆病な彼女は居ないけれど、無垢さは変わらずそこにあった。

 新しい世界を『夢』から『現実』にするため、彼女は蒼を見上げた。祈りを捧げるように手を組む少女の身体が、微かに青白く光って……。

 途中でテルミがラグナを挑発するように言葉を紡いで、それにラグナが噛み付いて、そして。闇が開けて、マスターユニットが目の前に現れる。

 ジン達の姿も、そこにあった。ノエルも、スサノオの中から引き剥がされたらしい。眠っているようだった。

 

 

 

   8

 

 ラグナ達が戻って来てから、色々なことがあった。

 ラグナと戦っていたはずの『敵』であるテルミ達までもが戻って来たわけだし、当然だが警戒もされた。スサノオの身体から引き剥がされたノエルが起き上がった時にはひどく怯えられた。

 ジンには剣を向けられかけたり、少し口論にもなったりもして。途中でテルミが挑発をかけたりするものだから、余計に事態がややこしくなって。でも、一応は理解してもらえた。完全に納得するまでには至らなかった……否、至ることができなかったが。

 それからノエル=ヴァーミリオンが、マスターユニットの中の少女『第一接触体(ジ・オリジン)』と融合し、そして……ジンとノエルの願望は『死神』によって喰らわれた。勿論反発はあったけれど、最終的には納得されて、だ。

 そして今、マスターユニットの前に居るのは――ラグナと、ユリシアだけ。離れたところにはテルミも居たけれど、他はトリニティに導かれ、先に世界へ戻った。

「悪いな……付き合わせちまって」

「いえ、だいじな、ようじ、ですから」

 少女は、首を振って微笑んだ。そして静かに、目の前のマスターユニットの一部を見つめる。

 ラグナもまたその横顔を見下ろして、それから彼女と同じ方向を見て……呟く。

「悪いが、少し離れていてくれ」

 二人で、話したいのだ。流石にこの空間から出て行けとは言わないし、言えないけれど。それに小さく頷いて、少女は少しだけ後ろに下がった。彼女の気配が僅かに遠のいたのを感じて、ラグナは静かに、マスターユニット……否、その『中』に居る人物に、話しかけた。

「――『やっと』会えたな」

 サヤ。優しくその名を呼ぶ。ラグナとユリシア以外の人影はない。けれど、確かに『彼女』はそこに居た。ラグナがそっとマスターユニットに触れる。

「……兄さま」

 響くのは、ユリシアではない少女の声。ラグナを兄と呼ぶ声だけの彼女こそサヤだった。かつての世界で兄に『救われなかった』少女は、ラグナを認識すると……寂しげな、けれど愛しげな声で告げた。

 やっと、来てくれた。彼女はずっと、ずっと待っていた。一人ぼっちで、怖くてたまらなくて。けれどきっと、愛しい兄が助けてくれると信じて。助けてほしくて、待っていた。

「ねえ、どうして。どうして私を捨てたの? どうして……」

 私を殺そうとしたの、と彼女は問う。あんな黒い化け物……そう、黒き獣にまでなって。彼女はずっと兄のことを……。

 問い詰めるような少女に、ラグナは眉尻を下げ、ただ申し訳なさそうに苦笑する。

「すまねぇ。多分その時の『俺』は、それ以外にお前を止める方法が分からなかったんだと思う」

 彼女は一度終わった世界の住人であり、この世界を作り出した存在だ。そして……ここに居るラグナは、彼女が知るラグナを再現した存在であって。かつての世界の記憶は、ラグナには殆ど無かったから、曖昧な答えになってしまったけれど。そんなことを彼女は気にすることもなく、それよりも不思議そうに問う。

「止める? どうして? 私は『言われた』通り世界を壊しただけなのに。それなのに……」

 それなのに。言われた通りにしたのに、同じ『姉妹』達の、痛みや苦しみや悲しみが、全部全部、自分の中に入って来て……。

 だから、あんな世界はいらない。あんな世界は嫌い。大嫌い。全部なくなればいいのに。

 蒼だとか、世界だとか、他の人類だとか、もうそんなのはどうでも良い。彼女は、大好きで大切な兄が居れば、それで良かった。

「悪かった。全部……お前に、背負わせちまって。ずっと一人にしていて」

 苦しかったときに、守ってあげられなくて。

 奥歯を噛み締め、言葉を絞り出す。彼なりの、精一杯の謝罪だった。それを受けて、彼女は『兄さま』と呼ぶことしかできない。

「だが『悪夢』もここで終わりだ。俺は、お前を……『助けに』来た」

「助けて、くれるの……?」

「あぁ。これからは一緒だ……だから、お前はもう……もう、休め」

 期待するような少女の声に頷いて、ラグナはふっと微笑む。サヤは暫く黙り込んで……そして声に笑みを含んで返す。

「はい、兄さま」

 これからは、ずっと、一緒に居るのだ。彼女がもう待ち続ける必要はない。だから彼は申し訳なさと、精一杯の感謝を言葉で伝える。

「サヤ。俺を待っていてくれて……ありがとう」

「……信じていました」

 そう紡いで、『サヤ』の魂は光となり、ラグナの中へ……。

 じんわりと、熱を感じる。熱いというよりは、温かい。確かに彼女はそこに居るのだと主張するような熱は、やがて自分の体温と混ざってしまう。落とさないように胸に片手を当てて、目を伏せる。

「マスターユニット・アマテラス、起動しろ」

 再び瞼を持ち上げ、左右で色の違う双眸でマスターユニットを再び見つめる。起動を命令し触れれば、光を帯び、起動したことを示すマスターユニット。それを見てラグナが命令しようと口を開き――。

「らぐなさんが、そんなこと、するひつようは……ない、ですよ」

 そっと、マスターユニットに触れるラグナの手に、重なる手があった。小さく白い、少女の手。隣から聞こえる声。ユリシアだった。

 ラグナは応えない。黙り込み俯く彼に、ユリシアは苦笑すると、そっと両の手で彼の片手を包み込み、アマテラスから離す。

「……分かってんだろ。俺がどういう存在なのか」

 ラグナという存在は、つまり『神の観る夢』だ。神の分身であるノエルが居なくても世界は成り立つが、彼が死を迎えた途端に世界はリセットされる。そして再び同じ世界を神は作り出す。こんなに世界を歪めてしまったのは、彼の存在があったからだ。

 だからこそ彼の願望は話していて、それを納得させてジン達から願望を喰らい……今に至っているのに、何故彼女が止めるのだろう。

「俺の願望が何か、俺が居ることでこの世界がどうなるのか、分かっていないわけじゃないだろ」

「……はい。らぐなさんの、ねがいも、ぜんぶ……わかっています、です」

 問うラグナに彼女は頷いて答える。ならば、何故……ラグナが問おうとするのを遮るように、彼女は困ったような微笑みを浮かべたまま頭を横に緩く振った。

 曰く、何もラグナの存在そのものを消滅させることだけが『神の観る夢(セントラルフィクション)』を終わらせる方法じゃない。彼女は、ユリシアという存在は『可能にされた可能性(ポッシブルドリーム)』だし、それに彼女は、神に至ることのできる存在だ。そこまで聞けば、ラグナは理解する。

 ユリシアの顔をまじまじと見つめて、沈黙。じっと見つめ返す少女に、やがて耐え切れずラグナが吹き出し、破顔する。まるでにらめっこだ。

「……そういうことは、先に言えっての」

「ごめんなさい、です」

 少女は小さく謝ると、握ったままだった手を思い出したようにゆっくりと放す。

「じゃあ、らぐなさん。あっちで、まっていてください、です」

 言って、少女がすっと腕を持ち上げる。手を差し出すようにして示す先には、テルミがポケットに指を引っかけて佇んでいた。ラグナはテルミの姿を見とめると、苦虫を噛み潰したような顔になりながらも首肯し、歩き出す。

 彼女はアマテラスに触れ、そして……願う。

 

 

 

 幸せな世界を。温かな世界を。

 皆の願望を集めた世界を。

 アマテラスにも、タカマガハラにも干渉を受けない、彼らだけの世界を。

 彼の『神の観る夢』としての情報を消して。

 今まで一人で頑張ってきた彼らが、せめて穏やかに過ごせるように。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。