POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

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第十九章 終丹の夜

そこは、豊かな自然に囲まれた教会の傍だった。ラグナ達がナインの工房から転移してきたのは、どういうわけかここだった。

 燃やされ消えたはずの、ラグナ達が住んでいた教会とそっくりなこの場所に人の気配はないが、まるで最近まで使われていたような様子だった。いつかの時間を切り取ってきたかのように。

 そして星々が煌めく夜空の下、ラグナ、ノエル、レイチェルの三人が集まっていた。

 ノエルは、ラグナに連れられてやって来ていた。

「それで……あの、どこへ行くんですか?」

 ノエルが尋ねたのは、事前にラグナから「一緒に来て欲しい場所がある」と頼まれたからだった。レイチェルが指先で指し示すのは、足元の地面。首を傾けるノエルに、レイチェルが唇を動かして答えた。

「すぐそこよ。すぐ……足元」

 足元、と言われて再び地面を見ても、草が生えているだけの何の変哲もない地しかなく。そんなノエルにレイチェルが仕方なく溜息を吐く。

「教会の地下へ行くのよ」

「地下……この教会に地下室なんてあったんですか!?」

 彼女はあくまでラグナの妹ではなく、そのクローンだ。ここに住んだことはないし、何より記憶も思い出していない。ならば知らなくても当然のはずだというのに、やけに驚いた様子でノエルは問う。

 それに違和感を覚えるラグナだったが、レイチェルが気にした様子がないのと、ここで変に突っ込んで話が長くなるのも面倒だと黙っていた。

「いいえ、少し違うわね。地下はあるけど、部屋はないわ。あるのは……過去の対戦で倒された厄災の残骸だけよ」

 倒された、残骸。その言葉に聞き覚えがあったのか「まさか」とノエルが漏らす。

 そう。この教会……ラグナ達がかつて暮らしていた教会の下には、約百年前に起きた戦争である『暗黒大戦』で人類が戦った敵、『黒き獣』の骸が埋まっている。そして、今から向かうのはそこだった。

 それを聞いて、ノエルがひどく慌てた様子で待って、と声をあげる。どうしてそんなところに向かうのか、理由が分からなかった。ノエルのそんな胸中を察してか、ラグナが口を開く。

「ナインの工房に向かう前、俺がお前を窯に連れてったのは覚えてるよな」

 問うラグナに、こくりと小さくノエルは頷く。覚えている。思い出すだけで怖い、あの感覚を。顔を強張らせる少女にラグナは少しだけ申し訳なさを覚えながら、けれど言葉を続けた。

「あの時と同じことを、もう一度……ここでやってみようと思ってる」

 その言葉を聞いて、驚いたようにノエルが目を見開く。そして、眉尻を下げて困ったような、悲しそうな表情を浮かべた。だってあのとき、ノエルは、もう一人の自分を拒絶したのだから。けれど目の前の男は受け入れて欲しかったのだろうことも分かる。

 あの感覚は今も鮮明に思い出せて、だから、できるならば拒否したかった。

「わ、私には……無理です……」

 ゆるゆると首を振りながら俯くノエル。そっと、それに語りかけるラグナ。聞いてくれ、と。そうしてラグナは、上目にラグナを見る彼女に聞かせた。

 ノエルが切り離した、もう一人の彼女……それが『神殺しの力』であること。それがあればイザナミに対抗できる『可能性』があることも、それに……。

「門だ。お前が……いや、お前ならアレが何か知ってるはずなんだ」

「私、『門』なんて……」

 門。単語を聞いた瞬間。知らないのに、知っているはずもないのに、何故だか胸がざわついて。ノエルが露骨に否定する。それにラグナは否定し返すことなく、寧ろ頷いた。

「そうだな。お前は知らねぇはずだ。多分、知ってるのはもう一人……いや」

 ノエルがそれについて知らないことは、ラグナも想像がついていた。ならばもう一人か、否、彼女らが一つになった本来の姿でなければ知ることはできないのではということも。

「お待ちなさい、ラグナ。『門』ですって?」

 今まで黙っていたレイチェルが、不意に口を開く。いつになく焦った口ぶりだった。まるで『門』について何か知っているように。そんな彼女が反応することを分かっていたかのようにラグナは頷き淡々と答えた。

「ああ。俺は『門』を探してる。『蒼』へと通じる門だ。そいつが、俺のやろうとしていることの大事な鍵なんだ」

 レイチェルが、黙り込む。何かを言おうとしたけれど、きっと彼には何を言っても無駄なことなどレイチェルは理解していた。だからこそ寂しく感じたけれど。ラグナは曖昧な表情を浮かべる彼女に少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げると、ノエルへと再び視線を戻す。

「嫌な話になるかもしれねぇ。いや、これは間違いなく俺の身勝手な話だが、聞いてくれ」

 突き放しても良かったはずだった。無理なものは無理だと押し通して、逃げてしまうことだってできたはずだ。それだけの隙はあった。けれど、ノエルは口腔に溢れる唾を飲み込んで、ラグナの目を見てしまった。

「お前は、ヤビコの地下でもう一人の自分を強く拒絶した……俺はあれを『異常』に感じた」

 異常だと言われ、ノエルが首を傾ける。恐怖ばかりを感じて、どうしてそう感じるのかなどの他のことには全く目を向けていなかったから、異常など考えたこともなかった。だから、そうなのかと問えば、ラグナは頷いた。

「そうだ。俺が知っている以前のお前は、奴を……もう一人の自分を、力を、受け入れる強さがあった」

 それは多分、彼女が苦しいことや辛いこと、悲しいこと。そういった様々な苦難を乗り越えて手に入れた『強さ』だ。だからこそ、それを彼女が今更切り離すなどラグナには考えられなかった。だから、彼女が何故その『強さ』を切り離したのか、それが何を意味しているのか、ラグナは知りたかった。

「お前にとってそれは、今までの何よりも『恐ろしい』ことなのかもしれない。だが俺は……このまま『世界』を終わりにはしたくねぇ」

 もしかしたら、やはり身勝手だと突き放されたかもしれない。けれど彼女にはそれをしない強さがあると信頼していたから、ラグナは語っていた。俯きかけた頭を支えて、ノエルのグリーンの瞳をしっかり見据えて、ラグナは言葉を紡ぐ。

「この話は、完全に俺の我儘(わがまま)だ。だが、頼む……協力してくれ」

 誰もが黙り込んでしまって、静けさが辺りに広がる。ゆるやかな風がそっと足元の草を撫でていって、僅かに葉同士がこすれ合う音が鳴るばかりだ。

「あのときの子……もう一人の私と、一緒になれたら。私は、記憶を取り戻せるんでしょうか?」

 それについて、確証があるとは言えない。ラグナだって、分からないことだらけだ。けれど、いいえと言い切ることもできなかった。このままでは、その『可能性』すら無いからだ。

「私、忘れてしまったことを思い出したいとは思っていませんでした。ごめんなさい、ヤビコの地下のときも、そうです……」

 けれど、今は亡きナインが最後までノエルという存在を憎んでいた理由が、マスターユニットがどうだとか、この世界のことだとか。他にも沢山ある知りたいことが。それが自身の失った記憶に隠されているのであれば……知りたい。今は、そう思っていた。

 正直に言うのであれば、凄く恐い。でも、それが目の前の男、そして大切な皆の『力』になるのであれば。もう一度やってみようと、彼女を受け入れてみようと思えた。

「……とりあえず、黒き獣の所までは、俺も一緒に行く。心配すんな」

 ノエルの言葉を受けて礼を述べ、そしてラグナが言う台詞。それにノエルが困ったような笑顔を一瞬だけ浮かべて、挑戦的な表情へ切り替える。

「大丈夫ですよ。だって、私は『強い』んですよね」

 先ほど言われた、受け入れることのできる強さ。まだ不安がないとは言い切れなかったけれど、自身は強いのだと言い聞かせてノエルは言い、首を傾けた。ラグナが思わず吹き出して、笑う。頷いて、そして彼はレイチェルへと視線を移す。

「ウサギ。『後』を頼む」

「……ええ。分かっているわ。骸とはいえ、気を付けなさい」

 そう彼女が言った瞬間、光が展開され、足元が沈むような感覚に襲われる。否、実際に沈んでいた。驚いたようにノエルが悲鳴を漏らす。レイチェルに見送られ、やがて彼女は地の中に……。

 

 ゆらゆらと、水面が揺れるようにして、意識がゆっくり覚醒していく。くぐもった声が口から漏れる。ここはどこだろう。瞼を持ち上げ、上体を起こして、辺りを見回す。

 洞穴のような場所だった。凹凸のある岩壁に囲まれ、そのところどころに淡く光る鉱石が生えて照明の代わりになっている。鉱石からは光る粒子のようなものが出ていて――。

 記憶が正しければ、ここは教会の地下……つまり、黒き獣の前のはずだ。空間を見回して、そして丁度正面にある何かに気付く。地を四つん這いで歩く姿のまま固められたような、巨大な生物の影。あるべきところに首はなく、まるで不自然に切り落とされたかのように平だった。

「これは……まさか」

「黒き獣だったもの……だろうな」

 聞き慣れた声がして横を見上げれば、鉱石の青い光に照らされた白髪と、赤いジャケット。ラグナが居た。彼はノエルより先に起きて、彼女が起きるのを待っていた。

 この黒い塊が、かつて人類の半数以上をも死に至らせた、黒き獣。異様な恐ろしさのようなものはそのフォルムから少し感じられたけれど、それが動き出すような気配はなく、まるで彫刻のようだとノエルは思った。

「黒き獣は尋常じゃない高密度の魔素の塊なんだそうだ。この場所自体に魔素を抑える力があって……そいつで、この膨大な魔素を地下に封じ込めてるんだとさ」

 ラグナ曰く、これだけの高密度な魔素があるのは『窯』とこの黒き獣くらいだと言う。

 ならばコレを『窯』の代用、つまり境界との接触に使うことだってできるはずだと。

「よし。……ちょっと待っててくれ」

 簡単に説明したあと頷いて、そして彼は一歩、前に出ると。

「ミュー! 居るか? もう一度、試しに来た」

 ラグナが黒き獣に向かってそう叫んだ瞬間、魔素が微かに揺らめく感覚を覚えた。現れるのは、ヤビコの時と同じ、ノエルとそっくりな顔をした少女。白い胸元までのケープに身を包み、頭には十二の文字が刻まれた青いヘッドギアを装着して。

 それを見てきちんと接触できていることを確認し、ラグナが胸を撫で下ろす。

「あ、あの……私……」

 けれど、ノエルはその姿を見た瞬間、分かってはいたけれどやはり怖くなって、そして言葉が出なくなって。そんな彼女に、ノエルとそっくりな――もう一人の彼女、ミューは静かに問う。

 どうしてあの時、自身を拒絶したのかと。一度は受け入れたはずなのに、また否定するのは何故なのかと。

 淡々と静かに言うのは責めるようでもあったけれど、そうされるのは仕方ないとノエルは思っていたし、それ以上に彼女もまた疑問が強いのだろうことはノエルも理解していた。

「私、恐くて……貴女を受け入れたら駄目だって、そんな気がして仕方なかった」

 でも、自身だけ何も知らないのも、今は恐い。だから、彼女を受け入れるのが本当に良いことなのかは分からないけれど、それでも、彼女と一緒になったら全部思い出せるかもしれない。何故、駄目だと思ったのか。そういったことも全て。

「私は私のことが知りたい。だから、貴女と一緒になりたいです。もう一度……お願いします」

「私も知りたい。私のことが。私は誰なのか。私は何なのか」

 私は何を知っていて……。

 私は何を忘れたのか。

 二人が歩み寄り、そして、身体が重なる。その感覚は、昔に聞いた海の中のようだと彼女らは思う。入ったことはないけれど、そう。温かくて、けれど冷たくて。だんだんと溶け合っていくような感覚。

 沢山の情報が、記憶が、流れ込んできて。最初はその情報量に逃げてしまいそうになったけれど、堪えて、見て、受け入れて――理解する。

 蒼い光と、門が見えた。それに触れては、門を開けては駄目だと直感的に思う。だから触れそうになったところで、慌てて引っ込める。

 これを自身は観測(み)たのだ。あのとき、以前あった世界で暴走したラグナに飲み込まれ、その中で……蒼に繋がる『門』を『観測』してしまった。

 そう。彼女は『蒼の継承者』。蒼自身の他に、彼女なら……この門を開くことができる。生も死も、全ての『可能性』を終わらせることができる、この門を。だから彼女は、自分で、自身を二つに分けた。この門を開きたくなかったから。

 決して開かないように、開けられないように。全ての可能性である『蒼』に繋がる『門』を誰にも認識されないために。そのために、蒼の力を切り離した。

 

 

 

 身体が揺れる。どうやら、誰かに揺さぶられているみたいだ。肩が痛い。多分、掴まれているのだろう。瞼を持ち上げてみれば、濃紺の空の端に見慣れた白髪。

「早々に戻ってきて正解だったわね。あのままで居たら、逆に境界に取り込まれていたかもしれないわ」

 ゆっくりと身を起こすノエルの耳に、バイオリンの声がそう紡ぐのが聞こえた。融合した直後、ノエルは倒れてしまったのだ。揺さぶっていたのはラグナで、ノエルが意識を取り戻したのを見ると安堵に溜息を漏らしていた。

「で、どうだった? ……融合は、できたのか?」

 ノエルが小さく頷く。できたと、思う。この世界では今までなかったはずの『神殺しの力』も、意識すれば自身の中に感じる。記憶も全部思い出した。多分、これで全部のはずだ。

 伝えれば、その言葉の曖昧さにラグナが心配そうに眉尻を下げるけれど、それでも「良かった」と言葉をかけてくれる。

「ノエル……本当に、全部なのね?」

 その傍で、バイオリンの声……レイチェルが、問いかける。頷き。そう、全部のはずだ。

「はい……私は『ノエル=ヴァーミリオン』であり『蒼の継承者』でもあり」

 それから『ミューテュエルブ』でもあり、それは『神殺しの剣』でもあり、そして……。

 冥王イザナミでもある。

 ノエルが紡ぐその言葉を聞いて、レイチェルが頷く。けれど、逆にラグナは今の発言にひどく驚いて、声をあげた。

「はぁ? ちょ、ちょっと待て、どういうことだ?」

 けれどノエルもレイチェルもそれについて説明しようとはせず。それどころか、次にイザナミを倒しに行くときは自身も着いて行くなどとノエルは言うのだから、ますます混乱してしまって。

 ノエル曰く、自身ならイザナミを消滅させるのではなく引き受けることができると思う、と。

「私の中には……ラグナさんの妹である『サヤ』さんの『魂』もあるみたいなんです」

 冥王イザナミ。サヤ。確かにノエルはラグナの妹『サヤ』のクローンだ。けれど、あくまで複製体であって、本人ではないはずなのに。

 だから、問いただそうとラグナが口を開く。

「レイチェルさぁ〰〰〰ん!」

「んん? 何だ」

 けれど、そんなラグナの言葉を遮るようにして遠くから声が響く。聞き覚えのあるその声はだんだんと近付いて来て、すぐ近くまでやってくると膝に手をつき肩を上下に動かす。

「た、大変……すぐ戻ってきて、お客さん……!」

 

 

 

   1

 

「どうやら……ココノエ博士達が、準備を終えられたそうですよ」

 ラグナ達とナインの決戦が終わってからある日のことだった。

 窯の前でハザマが口を開く。最初『準備』という単語に首を傾げるテルミであったが、すぐに理解する。準備とは、イザナミの元へ乗り込むための準備のこと。それが済んだということはつまり自身達の長年の目標を達成する時も間近に迫っている。

 ラグナ=ザ=ブラッドエッジにしてみれば、これは滅日を止める最後の機会。そしてイザナミにとっても、滅日を起こすための大事な鍵が揃う絶好の機会。テルミにとっても、欲しいものが全て揃うかもしれない、見逃しがたい好機に違いなかった。

「テルミさんの欲しいもの……ノエル=ヴァーミリオンでしたら、確実に居ると思いますよ」

 にこやかに微笑んで、ハザマは背後に浮かんで見えるテルミを振り返った。

 テルミもまたニンマリと笑みを貼りつける。けれど、すぐに首を振って、ハザマの言葉を否定してみせた。

「いんや、それ以外にもう一つ欲しいものがあるんだわ。でもソイツを手に入れるには……今のままじゃ駄目だ」

 何の話か、ハザマは理解できないと言うように首を傾げた。

 けれどそれにテルミは、ハザマには関係ない事だと言って……それからすぐに教えてやる、そう紡ぐと。

 悲鳴が上がる。それはハザマの口から漏れたものだった。痛みと、衝撃。傷はないはずだけれど、自身の中から何かが零れ落ちていくような感覚。残った虚無感は、まるでテルミと融合する前に感じていたそれと同じで――。

「な……何が……」

 目の前には、テルミが居た。けれど、いつものような、幽霊みたいな見た目はしていない。しっかりと存在がそこにあって、手には何かを持っていた。四角い、金属の塊のようなものだった。

「く、くく……ヒヒヒ、残念だったなぁ、ハザマ。融合して俺の力を自分のものにしたかったみてぇだが、そういうわけにはいかねぇんだよ」

 テルミが手に持っている金属の塊を、その目で見たことはなかったが、知識にはあった。この感覚は、自身の前の器……そう、カズマ=クヴァルが体験したものだろう。

 ヒヒイロカネ。精神を斬ることのできる不思議な金属であり、つまり精神体であるテルミを唯一殺すことのできる道具。それによる攻撃を、テルミは受けたことがあった。

 話に聞いたり、カズマの記憶を漁ったりして存在していた事は知っていたが、まさか現在に至るまで存在しているとは思っていなかったから、少しだけ驚いた。

「あぁ……テメェに色々見張らせてる間にちょいとユリシアと一緒にアルカード城まで行って、取って来たんだよ。融合したっつってもやっぱ上手く行かなかったみたいだからなぁ」

 ユリシアの頭を撫でながら、そう答えるテルミ。

 それで、その精神を切り裂く刃でハザマとの繋がりを完全に断ち切ったというわけだった。

 ハザマは別に使えない器というわけではなかったけれど、もっと使いやすくて良い器を見つけたためだ。

「貴方が何を狙っているかくらい、私にだって分かりますよ。そうですか……今の器を捨てるのにも、新しい器を手に入れるのにも『ヒヒイロカネ』は便利でしょうからね」

 それならば、自身はお役御免か。寂しいですね、などと紡ぐ割には、どちらかというと玩具を取り上げられた子供のような拗ねた表情という方が近かった。

「ほざけよ。自由の身にしてやるって言ってんだ、泣いて感謝してくれたっていいんだぜ?」

「感動のあまり、前が見えないくらいですよ」

 吐き捨てるように言うテルミへ、いつも通り目を細めたまま、ハザマはわざとらしく返す。

 いつになく空気のよくない二人の会話に、ユリシアは不安げに二人を見上げるしかできなくて。

「さて……『ヒヒイロカネ』。この俺を一度は殺しかけた、ムカつく刀だが……今度は俺を手伝ってもらうぜ」

 そう言って、彼は手にしたヒヒイロカネの塊を見下ろす。

自身の一部となって。付け足し、そして彼は咆哮する。と同時、ヒヒイロカネが光りだした。その光は手を伝ってテルミすらも覆って、それから金属はテルミの中に溶けていき――光も吸い込まれるようにして消えた。

「だ、だいじょうぶ……ですか、てるみさん」

「ああ。悪くねえ。吐き気がする」

 心配げなユリシアの言葉に頷き、ひどく顔を顰めたままテルミは紡ぐと。一歩、足を前に出す。そのまま歩き出すテルミに目を丸くして、慌てて追いかけるユリシア。ハザマの横を通り過ぎる際、テルミは彼を見遣ると静かに囁いた。

「俺は『あっち』に行ってくるとするわ。良い子で留守番してろよ、ハザマ」

「……お気をつけて」

 薄く双眸を見開いて、唇に三日月を刻みながらハザマがそう返すのを聞くと、テルミとユリシアは静かに去って行った。

 

 

 

   2

 

 ふわりと浮いた身体が、突然地につくような感覚に彼らは目を開ける。

 テイガーの話す低音と、目の前に立つココノエ達の姿が、転移が無事に完了したことを告げていた。胸をなでおろすラグナ達に、カグラが口を開く。

「ココノエから話は聞いた。よく無事だったな、お前ら」

「カグラさん、ココノエさん……。お二人とも、無事で何よりです」

 一歩、彼らの方へ進み出るカグラに、ノエルが頷き微笑む。その様子にカグラは目を瞬いた。ラグナやココノエ達を怖がる様子もなく、またカグラにも以前の世界のときのような柔らかい態度を取っている。まさか記憶が戻ったのか、と。問えば彼女はそれにまた首肯する。

「……なるほどな。イザナミを倒す『考え』とはノエル、お前自身を使うつもりか。確かに状況から考えてその可能性を持つのはお前だけだ」

 そんな彼女らに、不意にココノエが呟く。納得したような声は、先日ノエルが記憶を取り戻した後にココノエへ伝えたことに由来する。イザナミを倒す方法で『考え』がある。ノエルが記憶と神殺しの力を取り戻したのであれば、合点がいく。

 ココノエは静かに尾を揺らめかせ、ふむと顎に指先を添えた。

「そういえば、セリカはどうした」

 俯きがちに皆を見て、そこに見慣れた少女の姿がないことに気付く。ポニーテールを揺らし無邪気に笑う少女の姿が。それには誰もが黙り込む。暫しの間を置いて、やがてゆっくりとラグナが答えた。

「……セリカは『帰った』」

 目を伏せ短く告げる彼に、それでも、その一言だけで理解したのだろう。ココノエもまたゆっくりと目を瞬いて、最低限の言葉で理解したことを告げる。

 ナインの工房を脱出する際、ココノエの機械式転移では座標の固定ができず転移ができなかった。そのため使われたのはレイチェルの魔法による転移だ。しかし、レイチェルは魔力を失っていて、それを回復させ転移魔法を使わせたのはセリカであり。

 けれど、あの大人数を転移させるだけの魔力を譲れば、その分彼女の中の魔力は失われる。セリカの身体は既に限界に近かった。故に、彼女は消えてしまった。居ないはずの者は居ない者へ帰ったのだ。

 表情はいつものそれを崩さないまま、しかし深く溜息を吐く彼女を見つめラグナが言葉を紡ぐ。

「あんたの母ちゃんと、セリカと約束した。この世界を助ける、ってな。だからこの事態を何とかするのは俺の役目だ。早速だが、話を進めようぜ」 

「だがまぁ、ちょっと待て。すぐに『全員揃う』。話はあと二人来てからにしないか」

 けれどラグナの言葉とそれに頷くココノエは突き出されたカグラの手によって制される。あと二人とは誰のことなのか、首を傾けるラグナ。問おうとするよりも早く、遮るようにしてノックが三つ鳴らされる。

「カグラ様。お二人をお連れしました」

 告げるのは、ヒビキの声だ。噂をすれば影が差すなどとカグラが言って、それからヒビキに入るよう促せば扉が開かれる。ジンがそこに居た人物へ目を見開いた。

「ツバキ!? それに貴様は……」

 ヒビキに連れられてやって来ていたのは、紅い髪に青の瞳を持つ少女、ツバキ。そして大きな白い鎧、ハクメンだった。このエンブリオに来てから、ジンは彼と一度も会っていない。まさか生きて、しかもこんな所に来ていたとは思いもしなかった。

「その身体で、未だ生きていたか、ジン=キサラギ。トリニティ=グラスフィールの力を借りたとはいえ、存外しぶとい男だ」

 それどころか、こんな軽口まで叩くなど。少しだけ眉を顰めてジンはハクメンを睨み付けると、ツバキに視線を向けた。

「ジン兄様、ご無事で何よりです」

 視線がかち合えば、ツバキが静かに頭を一度垂れる。それに短く相槌を打つジンだったが、その目はひどく厳しいものだった。

 彼女が何故ここに居るのか、ジンには分からなかったし、何より今から向かう場所がどれだけ危険なのか、想像がつかないからこそ。想像がついたとしても、彼女にこの先の戦いを耐え抜く力があるとは思えず。ヤヨイ家へ戻れ、突き放すようにジンは告げた。けれど彼女は退くことなく、それどころか一歩前に出た。

「ジン兄様の命令でも、それは聞けません。私は私の信じる正義のために、貴方と共に行きたいのです」

 凛とした、芯のある声音。強い意思を感じる瞳。彼女は確かに強い。けれど、だからこそ弱いのだ。それでも駄目だと突き放そうとしたジンに、しかし言葉になるより早く声が届く。

「言っておくが、ツバキ=ヤヨイの説得は無駄だ。我が言葉も、彼女の信念を動かすには至らなかった」

 ハクメンの声に、ジンは目を見開き、彼の言葉を反芻して歯を噛み締めた。ハクメンに対して彼女が慕う気持ちの強さはジンだって分かっていた。その正体が別の世界の自身だったとしても、否定することはない。だから、彼の言葉が彼女にどれほど影響を与えるかも理解していたし、そのうえで彼女が動かないというのがどれほどのことかも、勿論知っていた。

「いいじゃねぇか。本人がこう言ってるんだし、それに『十六夜』は立派な戦力だろ。お前の都合で足手まといにしてやるな」

 悔しげな表情を浮かべるジンに一歩近寄って言うのはラグナだ。僅かに眉尻を下げ苦笑した彼の声を聞いて、ツバキが露骨に冷たい視線を向ける。

 彼女にとって、ラグナは敵だ。ジンをおかしくさせて、そして幾度も危険に巻き込んだ、世界の悪。けれど、フォローを受けたのだから何か言いたい気持ちを堪えてすぐにジンへ視線を移す。

「お願いします、ジン兄様」

 じっとジンの瞳を見つめれば、涼やかなグリーンの双眸はやがて伏せられる。溜息。そして舌を打つ。何を言われるのか不安を覚えながらも、それでもツバキはジンの言葉を待った。

「……勝手にしろ。だが、死ぬ事は許さない。絶対に生き延びろ」

 ツバキが目を見開く。まさか、彼が自身の意見を曲げ、同行を許してくれるとは思わず。けれどすぐに、大きく頷いて。彼女は微笑んでみせた。

「話のついでだ。受け取れ、ジン=キサラギ」

 頷くことも首を横に振ることもないジンへ、不意にハクメンが声をかけ手を差し出す。その手を一瞥して、ジンは眉根を寄せた。ハクメンの手にあるものは、金属の塊に見えた。

「猫からの預かり物だ」

「これは、まさか……ヒヒイロカネ!?」

 驚きに声を漏らすのは、トリニティ。

 ヒヒイロカネは、精神を斬ることのできる刀となる金属だ。そして、トリニティがジンに最初依頼した『ルナとセナを探し出すこと』の目的には、その金属の錬成のこともあった。

「無兆鈴によって具現化された『最後』の品だ。丁重に扱え」

 そのヒヒイロカネが、ハクメンの言う通り『雷轟・無兆鈴』により具現化されたのであれば、あの子達が具現化させたのだろう。そして、獣兵衛の代わりにハクメンが受け取った、と。

 ジンはしかしその金属を受け取らない。首を僅かばかり傾け、胡乱げな目でハクメンを見据えると、静かに問いかける。

「預かったのは貴様だろう。何故、これを僕に託す?」

 それだった。ハクメンほどの力ある者が使った方が、もっとその力を活かすことができるだろうに、何故。問うジンに、ハクメンは毅然とした態度のまま答えた。

「この世界の理から外れた者を屠るのは、この世界の理の中にある秩序だ」

 かつては自身もその力を持っていながら理から外れてしまった秩序は、自身と同じでありながら決定的に違うジン=キサラギだからこそ託すのだ。

「……分かった」

 言葉でこそ話さなくとも、先の台詞だけで十分に理解することができて、ジンはそっと手を伸ばし、ヒヒイロカネを受け取る。じんわりと熱のようなものをその金属から感じて、驚きに手を離しそうになるも堪えた。熱い、というよりは温かい。

「話は纏まったか? だったらそろそろ話してもらおうか」

 そんな彼らに、今まで黙って話を聞いていたココノエが声をかける。話が一段落ついたのであれば、ココノエは次の話に移りたかった。

 具体的に、どういった方法でイザナミを止めるのか。彼らが転移する前からずっと気になっていたことだ。問われれば、ノエルが視線をココノエに向け、口を開く。

「それは――」

 口を開いたまま、そこまでを紡いで彼女は視線を泳がせる。言って、彼女らがどんな反応をするかが少しだけ怖かったから。けれどすぐに頷いて、俯きかけた顔を持ち上げる。

「私……ノエル=ヴァーミリオンの中に、冥王イザナミを受け入れるんです」

 じっと彼らを見据えて答えるノエルに、カグラが目を見開き眉根を寄せる。確かに冥王イザナミの身体はノエルの元となった『サヤ』だ。けれど、それと受け入れることがどう繋がるのか、カグラには分からなかった。

「記憶が戻った時、同時に他の色々なことを思い出したんです。『本当の私』のことも……」

「本当のお前……って、俺たち『資格者』がマスターユニットの中に見たお前のことか?」

 カグラの問いに、ゆっくりと彼女は顎を引く。

 ノエル曰く、皆がマスターユニットの中に見たのは最初の接触体。全ての始まりとなった少女。その『彼女』が『神』……マスターユニットと接触した時から、この世界の方向性は定まったという。

 そしてノエル達、つまり素体は、第一接触体のクローンなのだ。けれど、誰もが個として成り立っているわけではない。それぞれが、一つの魂を別けた分身だった。

「だから私の魂は……ノエル=ヴァーミリオンでありながら、マスターユニットと接触した少女でもあり『サヤさん』でもあるんです」

 胸に手を置き、見下ろし、目を伏せる。そうして語る少女に、またしてもカグラが疑問をぶつけた。彼女の言葉をそのまま受け取るのであれば、ノエルとその『接触体』は同一人物ということになる。それは本当なのか、と。

「いえ、正確には……バラバラになった接触体の魂。その欠片が、私達なんです」

 首を振り、ノエルは否定し答える。その答えを聞いて、納得したような声音で――そういう事か、とココノエが呟く。皆の視線がココノエに集まる。彼女の台詞は、まるで知っていたかのようだったから。

「予想だ。境界内に残されたバックアップや情報を頼りに、この世界『エンブリオ』に起きているあらゆる事象をシミュレートしてみたが……」

 そう言って、彼女は一歩前に出る。ふん、と小さく鼻を鳴らして、ゆっくりと目を瞬く。

「その結果、全てが事象の異なる世界であるはずなのに『ある一点』だけ『必ず起きる』共通点が存在した」

 この世界にどれだけの事象が存在するのかで計算してみれば、確率的なもので言うと『それ』はもはや特異点だった。

 あらゆる事象において必ず起きるそれは『イカルガ内戦』と呼ばれていた。

 イカルガ内戦で必ずイブキドは『崩壊』し、そして崩壊したイブキドの炎の中で『ノエル=ヴァーミリオン』は誕生する。

 この世界がノエルの観ている夢なのであればノエルが生まれるために必要なイカルガ内戦が必ず起きるように出来ていても不思議ではない。けれど、ラグナが何かに気付いたように首を捻り、そして手を顔の高さまで掲げる。

「けどよ、皆が同じ魂を持ってるならなんでこの世界が『ノエル』一人の夢って事になるんだ?」

 他の素体達が同じ魂を持っているのであれば、彼女らの夢だって混ざってもおかしくはないはずだ。けれど、この世界はノエルの夢ということになっているのはどういうことか。普段は鈍い彼であったが、こういう時だけは頭が働くらしい。

 ノエルも言われて気付いたように目を丸くして、それから俯き顎に人差し指を添える。

「それは……直接彼女に会ってみないと分かりませんが、多分……姉妹の中でも、私の持つ魂の比率が大きかったんだと思います。だから私が一番、接触体に近いクローンなんだと……」

「ふっ……近い、だと?」

 言いかけるノエルの言葉に重ねるように、短く笑う声が響く。こもったような音は正しく鎧の男、ハクメンから発されていた。沈黙に徹していた彼が突然話し出したのに、皆が視線を向ける。

「私は、お前達の知っている世界と同じではあるが、別の時間軸から来た」

 それはつまり、彼は以前まであった世界の、彼らが居たのとは別の事象、違う時間軸から現れた存在ということで、彼もまた理から外れた、居るはずのない存在であると。

 そしてハクメン曰く、彼の居た事象に『ノエル=ヴァーミリオン』は存在しないのだという。

 その言葉を聞いて、ココノエが眉根を寄せる。信じられなかった。彼が嘘を吐く性格には思えず、ならば彼の言うことは本当なのだろう。それなら何故『必ず』イカルガ内戦は起きるのだ。

 それに返すハクメンの声は、極めて淡々としたものだった。

 ノエル=ヴァーミリオンが存在しなかったと言っただけである、と。

「化け猫……特異点は其処では無い。イカルガ内戦は『切っ掛け』だ」

 きっかけ。その言葉にココノエが首を傾けるのも気にせず、今度はハクメンが納得いったとでもいうように頷いた。

 内戦は起き、タケミカヅチの矢は『必ず』イブキドに放たれる。けれどノエルの存在する事象だけが『消滅』を免れ『崩壊』に留まる。タケミカヅチが放つ矢の高エネルギーを触媒にすれば特異点を発生させることも、『居ないはずの者(クロノファンタズマ)』を生み出すことも可能なはずだ。

 語り、そしてハクメンは目のない面の顔を、身体中についた赤い瞳を動かしノエルへ向ける。

「此れで全ての合点がいった……ノエル=ヴァーミリオン、何故貴様だけが『蒼の継承者』として選ばれるのか」

 何故、神殺しとなり得たのか。

 近いなんてものではない。ノエル=ヴァーミリオンは、正しく第一接触体の『分身』そのものだとハクメンは告げる。

 それに誰もが目を見開く。特に驚いていたのは、意外にもココノエだった。否、それがどういう意味なのか理解できる彼女だからこそだろう。

 ハクメンの説が正しければ、何故ノエルだけが特別だったのかも、何故今のノエルが構築した世界ではタケミカヅチの矢がイブキドに放たれなかったのかも説明がつく。

 小さく、金属音が鳴る。気付いた時には、ハクメンが背に担いだ大太刀を抜いていた。

「数々の事象を繰り返し、果てには自らの分身を作ったか、『第一接触体(ジ・オリジン)』!!」

 叫ぶハクメンが床を蹴り、ノエルに向けて剣を突き出す。

 強く目を瞑る。耳を劈く金属音。痛みや衝撃の類は、ない。

「っと、悪ぃ……口より先に手が出ちまった」

 声がして、目をあければ広い背中。カグラだ。

 ハクメンの手に大太刀はなく、カグラが構えた大剣はハクメンの喉元に突きつけられていた。

 大太刀――『斬魔・鳴神』は離れた床に突き刺さっている。カグラが咄嗟に弾いたのだろう。

「黒騎士……貴様」

 ハクメンは顔を顰めることこそしない――否、できないが。低く威圧するような声音でカグラの異名を呼んだ。それでも、彼なりに驚いているのだろう。いつもよりも声に覇気が欠けていた。

「コイツに手を出したら、ハクメン。お前でも……」

「やめてください、カグラさん。ハクメンさんの言ってることは、正しいと……思いますから」

 ひどく怒りを見せた表情で紡ぐカグラを止めて、ノエルは悲しげに目を伏せる。ハクメンの言い分は正しい、そう言う彼女に反応したのはジンだ。

「思います、だと? ……貴様、自覚していたと」

 頷くノエル。確信は持てなかったけれど、もしかしたら。そう思って、彼女はこの作戦を提案したのだと言う。それからゆっくりと頭を持ち上げ、ラグナへ視線を向けた。

「ラグナさん。ナインさんのお話……第一接触体の『願望』が何か、覚えていますか?」

「えっと……確か『一人の個』、人間として認めて欲しい……だったか」

 

 

 

 マスターユニット・アマテラスの中にいる少女、第一接触体(ジ・オリジン)とノエルは同じ願望(ゆめ)を持っていた。

 人として、一人の個として認めてもらいたい。認識にマスターユニットの『干渉』を受けない『理の外』の人物を除けば、ノエルというもう一人の第一接触体はこの世界で人として認められている。

 つまりこの世界は、第一接触体とノエルの願望が叶った状態にある。

「……『神殺し』。人の手で神を殺すのは難しい」

 語るのはテルミだ。普段は目深に被ったフードを後ろへ取り払い、鮮やかな緑の髪とその表情を惜し気もなく晒していた。

 マスターユニットに縛られた状態にあるスサノオも、たかだかブレイブルーの模造品程度の身体だって彼女を殺すことはできない。

「が……『同じ神』もしくはそれ以上の存在であれば、それも可能だ」

 故に、彼はノエル=ヴァーミリオン……第一接触体の片割れに固執していた。

 それでもユリシアという『蒼』の片割れそのものが力を目覚めさせれば、マスターユニットの比ではない力を手にすることができる。現に彼女は無意識にマスターユニットやタカマガハラの事象干渉を確率事象の間、跳ね除けていたのだから。

「それなら、わたしが、いれば……」

 全部とは言えなくても、思い出しているのだから。今なら事象干渉だってできるかもしれない。もしかしたら、神に死を認識させることだって。

「それじゃ駄目なんだよ、ユリシア。テメェの力は強大だ。テメェが居るなら何だってできるかもしれねぇ」

 けれど、それでは駄目なのだ。だって、ユリシアの力――つまり『蒼』はテルミの目的を達成するのに役立ちはしても、テルミがそれを成そうとする理由を踏まえると、テルミの『願望』を満たすには足りない。寧ろ目的だけ叶えてしまったら、テルミは一生満足することがないのだ。

 自身を散々縛りつけ、くだらない喜劇を繰り返すマスターユニットを倒すのは勿論だが、その片割れも同様に潰さなくてはならない。思いつく限りの苦しみを与えてから、壊し――。

 そうしてやっと、テルミは『自由』を得られる。何者にも縛られず、世界を生きられる。

 

 

 

「……話を続けるぞ。ノエル、それでイザナミを止める方法だが」

 イザナミを引き受け、受け入れる。そうする理由と、そうすることでイザナミがどうして止まるのか。話すようココノエが促せば、ノエルは頷いた。

「はい。『イザナミ』はアマテラスのドライブ能力です」

 ドライブとは、皆が持つ『魂』の力が具現化したもの。そして、ノエルは『イザナミ』というドライブを発動させた第一接触体と同じ魂を持っている。つまりは魂が同一であるノエルならば、第一接触体がするようにイザナミを受け入れる――元の形に還すことができる。

「そして融合が成功すれば……死であるイザナミに『生』……命が生まれて」

 死は否定され、滅日が止まる。

 誰もがノエルの作戦に納得の色を見せた。

「なるほど確かに可能性はあるな。……だが」

 口を開くカグラの表情は笑み。けれど目は笑っていないし、付け足された接続詞も前述の言葉否定するときに使われるものだから、思わずノエルは身構える。

「確証はないんだろ。なら、そいつは承認できねぇ」

 案の定、彼はノエルの案を否定した。何故、ノエルが問えば、カグラが人差し指を立てた。

 彼の考えでは、ノエルがイザナミを受け入れた際、彼女が無事でいられる保証がどこにあるか、そんな懸念があった。失敗したら、もしかしたら逆にイザナミに体を奪われる可能性だってある。そうなれば彼女の意識は消えて、ノエルは――カグラ達の敵になる。

「……そう、ですね。でも……聞いてください」

 それは確かにノエルも考えていたことだった。でも、それでも。彼女には彼女なりの考えがあって。俯きかける顔を必死に前へ向け、ノエルは唇を動かした。

「私の身体の中には、オリジナルである『第一接触体』の魂を共有している、イザナミの器となった『サヤさん』の記憶も混在しています」

 その発言に、サヤの兄である二人は少しだけ顔を顰めた。勿論、二人とも彼女の発言から薄々勘付いてはいたのだろう。けれど今までそれを認めて来なかった故に、少しだけ。

 ノエルは言葉を続ける。

「ですが、私が共有できているサヤさんの魂は『半分』だけなんです」

 その片割れ――残りの半分は、イザナミの中に。本来イザナミと身体が融合した時に切り離されるはずだった魂は、まだ残っている。それも相当混ざっている状態で。だって、からかうためだったのかもしれないけれど、確かにイザナミは何度もラグナを兄として話すことがあったから。

「そのサヤさんの『魂』があるのなら、大丈夫です」

 彼女は断言した。だってそれは、イザナミとサヤを救うのは、同じ魂を別けた彼女にしかできないことなのだから。

 だからこそ、ノエルは絶対に負けないと、イザナミに身体を奪われることもしないと宣言した。

 そして、この場所に必ず帰って来る。

 帰って来なくてはいけない理由が、彼女にはあったから。

「ッ……お前な、ずるいぞそいつは。そこまで言われちゃ……止められなくなっちまうだろうが」

 真剣なノエルの眼差しに。その言葉に。唾を飲み込んで、カグラが呟く。それから深く深く溜息を吐いて、額を手の平で覆う。ゆっくりと首を横に振り、それからやっと、口を動かした。言う言葉はノエルの作戦を承諾するものだ。

「ただし約束しろ。絶対にイザナミに負けないとな。これは衛士最高司令官でもある俺の命令だ」

「はい……! ありがとうございます、カグラさん!」

 渋々といった形ではあったが、カグラの言葉にノエルは笑顔を咲かせる。大きく頷き、礼を述べる少女。それに、また声をかける人物が居た。

「それでだ。全てが予定通りに運んだとする。その後は……どうするつもりだ」

 マスターユニットが存在する限り、この世界という問題そのものが解決したことにはならない。ならばどうにかして無力化し、エンブリオを……。

 ココノエの紡ぐ台詞に振り向くノエル。けれど答えるのはラグナだった。

「その辺は安心しろ。マスターユニットには本来居るべき場所へお帰り頂く」

「……私を安心させるような、策があるんだろうな」

 帰らせるなんて、そう簡単に事が運ぶはずがない。だから最初どうやるのだ、だとかを聞こうとして。じっと見つめるラグナに何も聞くことができなくなった。

 問いに、短い相槌で首肯するラグナ。きっと彼はとんでもない事を成そうとしているのだろう。が、それは多分話してはくれない。

 彼女は科学者だから、推論や憶測、そしてラグナが話すような根拠の無いモノを絶対に信用しない。けれど、叔母であるセリカと母であるナインがラグナに賭けた。ならばそれを根拠として彼を信用するまでだった。

「……任せたぞ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

「となると、あとはユウキ=テルミとあの子……ユリシアちゃんか」

 全ての元凶とも言える存在にして、滅日を完遂させようとする一人、テルミ。そして、その人物に付き従う少女――ユリシア。

「ユリシアちゃん……どうして、テルミに……」

 彼女は、何故『蒼』は、自身が世界を作る役目を与えたアマテラスを殺そうとするのだろう。何故、今になってこの世界を否定するのだろう。

 

 

 

   3

 

「う……ラグ、ナ……?」

 冷たく硬い感触。どうしてこんな所に自身は居るのだろう。痛む頭、虚ろな視界。瞬きを数度繰り返せば、映るのは黒い何か。誰かの脚だろうか。起こそうとした身体が痛み、まともに動くことができない。

 レイチェル=アルカードは、血のように赤い目だけを動かして上を見上げる。

「おや……ようやくお目覚めのようですねぇ」

 耳につく声が不快感を煽る。聞き覚えのある声。わざとらしく大げさな態度で、いつもより声の調子を少し上げたそれの正体は。

「テルミ!! 何故貴方がここに!?」

 ユウキ=テルミ。鮮やかな緑髪に黒いスーツを着込んだその男を、レイチェルはそう呼んだ。それに彼は首を振る。問いには答えずに。

「いえ、違いますよ。私は『ハザマ』です」

 でも、名前なんてどうでもいいので好きに呼んでください。などと付け足す男、ハザマ。確かに彼も人の神経を逆撫でする空気こそ持っていれど、あの精神体の気配はない。つまり彼はテルミと分離した器だけの状態ということか。

「……それで? 私に何か用事でもあるのかしら」

 テルミがレイチェルを嫌っていることは分かっている。勿論、彼女だって好いてなどいない。けれど、器であるハザマについてはレイチェルは殆ど何も知らない。

 彼が自身をどうこうする理由が思いつかず。問う。

「いやいや、たまたまですよ。たまたま貴女をお見かけしたので、こうして見張っているというわけです」

 あくまで偶然だと言って、にこやかにハザマが笑いかける。ちらりと悪意が見え隠れするのが神経を逆撫でた。もしかしたらテルミ以上に厄介で、苦手なタイプの人物かもしれない。

「偶然、ね……痛っ……」

 どうでもよさげを装って、彼女はゆっくりと身を起こす。再び走る痛みに麗しいその眉を顰めた。見れば、身体には無機質な光を放つ拘束の術式陣が纏わりついていて。痛みの原因はこれかとレイチェルはすぐに理解する。

「そうそう。お分かりかと思いますが、無理に動かない方が良いですよ。その拘束陣、動けば動くほどにキツく締め付けていきますから」

 ハザマの声がひどくうるさく感じた。

 立つのもやっとで、やっと地に足をつけたところで彼女はゆっくりと空間を見回す。どうやらここは窯のようだ。すぐ近く、見下ろせば穴が口をぽっかりと開けて、中が燃えていた。

 何のつもりなのか、何を考えているのか。あくまで人の好い笑みを浮かべてレイチェルを見つめるハザマからは読み取れない。苛立ちそうになって必死に自身を抑えた。

「それにしても……あの子は、今日は居ないのね」

 あの子というのは、いつもテルミ達の傍にいるあの少女のことだ。名前は確か、ユリシアと言ったか。どういうわけか、今日は見当たらない。以前の世界でも確かに別行動をすることはあったけれど、彼女の性格からして彼と離れることは望まないはずだ。

「あぁ、ユリシアでしたら……テルミさんの所に居ますよ」

「そう。貴方は一緒に居なくてもいいのかしら?」

 見定めるように、じっと。見つめるレイチェルに両手を掲げてハザマは首を振った。笑顔は絶えず貼り付けられたままだ。

「私はテルミさんにとってお役御免らしいので。ですから、私は私のやりたいことを、ここでやっているわけです」

 彼のやりたいこと。こうやってレイチェルを拘束することのどこに、彼のやりたいことが含まれているのか。レイチェルの眼差しが胡乱げなものに変わると、ハザマもまたレイチェルの疑問を察したのだろう。小さく笑い、静かに口にする。

「私は……『知りたい』んですよ。今まで感じられなかった痛みも苦しみも、全ても」

 それがハザマの願望。前の器は感じられたという痛みを、苦しみを。そうすれば、きっと。『可能性の地獄』から生まれたあの少女のことも、その少女に抱く、この得体の知れない感情も。

「知り……たい?」

 疑問符を浮かべ、身動ぎするだけで身体に走る激痛。呻きが漏れる。それを見て嬉しそうにハザマは口角を更に持ち上げる。

「痛いですか? 痛いですよねぇ? 痛いはずですよ。肉体的に激痛が走るようにしたのですから、普通なら耐えられない『痛み』だ」

 レイチェルを縛るこの拘束陣には細工がしてあった。レイチェルが目覚めると同時、少しずつレイチェルを締め上げて行き――最後には、レイチェルの存在そのものを細かく分断する。

 そして分断されたレイチェルを窯に捨てたら、死ぬことのできない不死者はどうなるのか。自分自身の存在を見失った時、不死者の『魂』はどうなるのだろう。その苦しみに恐怖に痛みに耐えられるのか。不死者の『魂』が死んだらそれは『死』なのか。

 全て、知りたかった。

「それと拘束陣ですが。外側からなら簡単に解除することができますので、貴女が『バラバラ』になる前に……『誰か』が助けに来るといいですね」

 

 

 

   4

 

「……やれやれ。待ちくたびれたぞ……兄様」

 言うのは少女、サヤ。否、冥王イザナミ。

 彼らは、この世界の上空に浮かぶエンブリオ……つまり、この世界を映す鏡を通して時間硬化空間内にやって来ていた。そこで一緒に行動していたはずの彼らは分断され、各々がイザナミが作り出した様々な『場』に飛ばされた。

 そしてイザナミを探すため彼らは行動を開始し――。

 真っ先にイザナミの元へ辿り着いたのは、ラグナ、ノエル、ミネルヴァの三人だった。

「……サヤ。なんで皆を別々にさせた? 俺達だけお前の所に呼べば済んだことだろ」

 何故、自身らをすぐに呼ばなかったのか。直接呼ぶことだって、彼女が作った空間の中なら容易のはずだ。問えば、少女はひどく退屈げに目を伏せて、呟くような声音で答える。

「僅かだが、考える時間を与えたまでだ」

 何度試しても無駄だという事実を。何度やったって、ラグナの傍にいる『人形』ノエル=ヴァーミリオンが全てを無に帰すことを。ならば、何を成すべきなのか。

 それを考えさせるためだと彼女は語る。

「資格者ではない兄様だからこそ……『ノエル=ヴァーミリオン』の干渉を受けない『兄様』だからこそ、理解できたはずだ」

 歪な微笑みを浮かべ、彼女は双眸を開く。じっとラグナを見つめ、そして彼女は告げた。

「其方なら、ノエル=ヴァーミリオンを殺し……真なる『蒼』を手に入れることが出来る」

 蒼が産み落とした片割れがテルミと共に世界を壊すよりも、完全な形となるよりも早く。彼ならばきっと、真なる『蒼炎の書(ブレイブルー)』を手に入れることができる。そうすれば神の観測は消えるのだ。

「さすれば其方の思い通りの世界を創造できるのだ。何を迷う? 何も難しいことはないぞ」

 ノエル=ヴァーミリオンを、そこに居る人形を殺すだけだ。そうすれば、正しい世界が目の前に広がるのに。けれどラグナは応えない。黙りこくったまま、一歩たりとも動きやしなくて、イザナミの湛えた笑みが歪む。

「……サヤ。前にも言ったはずだぜ」

 ラグナの言葉に、イザナミが首を傾ける。胡乱げに見つめれば、彼もまた左右で色の違う瞳で見つめ返した。

「俺は『誰も』殺さねぇ。お前も、ノエルも、誰もだ。だから……待ってろ、今度こそお前を『助けて』やる」

 見つめるイザナミの瞳が途端、暗い色を帯びる。助けるなど、未だそんな世迷言を言うのかという、一種の諦めに近いものだった。

「これが最後だ。俺がお前を助けるか、お前が俺を殺すか……」

 そんな表情の機微はラグナには感じ取れなかったようだ。紡がれる言葉に、イザナミが双眸を伏せる。無論、彼女の中で答えは決まっていた。この事象の末路は、死だと。そうでなければいけない。死が助けられるなどあってはならない。

「そう上手くいくか。だったら試してみろよ」

 けれどラグナもまた、世界が滅日を迎えるなどまっぴら御免だったし、彼女を助けることが自身の、兄の役目だと思っていたから。

 故にラグナは剣を構え、イザナミもまた光の刃を展開し――。

 

 

 

「ほう……見違えたぞ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 放たれる光線を、斬撃を。全て大剣を巧みに使って捌く。確かにあの時のやられるだけだった彼とは違うようだ。行動の一つ一つから、迷いが消えていた。

 しかし彼女はひどく退屈げな顔をして、その場から消える。次の瞬間には、ラグナの目の前に現れ、同時に魔素を纏った手刀を腹に叩き込む。その細い腕に釣り合わぬほど、その攻撃の威力は凄まじくラグナは目を見開き、身体をくの字に折った。

「この身体を斬らぬと決めた剣で、一体どうやって余を倒すつもりだ。それは迷いを乗り越えたのではなく、諦めというのだぞ」

 腹を抑える男をイザナミが見下ろし、告げる。掲げる手の先には、青白く光る火球が生み出されていた。ゆっくり、ゆっくりと大きさを増す火球。けれど、ラグナはそれでも挑発するように笑んで見せる。

「へっ……笑わせるなよ、イザナミ。俺が、何を諦めたって?」

 イザナミにはひどく不快な笑みだった。

 ラグナは尚も言葉を紡ぐ。

「俺がサヤの身体を斬らない? また前みたいに事象干渉を起こされるからか? それとも俺が『助ける』と決めたからか?」

 笑みながら、まるで全てを見透かすようなその瞳が煩わしくて。それにラグナが何を言いたいのかさっぱり分からず、それに嫌な予感がして、イザナミは遮るように「くだらない」と叫んだ。

「その不快な笑いを止めよ。其方の命を瞬時に消すことなど、容易いのだぞ」

「ならなんで殺さねぇ? 容易いんだろ? 答えは簡単だ」

 ぞわり、とイザナミの背筋を不快感が走る。理解などしてほしくない。救いなど求めていない。なのに、愚鈍だと思っていた彼はどうしてこういうときばかりは理解が早いのだろう。

 ラグナが紡ぐ、イザナミがラグナを殺さない理由。それは『イザナミが』この世界にラグナを呼んだから。

 黙れ、思わず口から飛び出る怒鳴り声。同時に火球を打ち込めば、ラグナは呻きをあげた。それでも尚、黙らないと言って立ち上がる彼にイザナミが悲しげに顔を顰める。

 彼がノエルを殺して新しい世界を作ること。それこそが……ラグナ=ザ=ブラッドエッジこそが、イザナミの『願望』だと、紡ぐラグナに刃から放たれる光線と斬撃が襲い掛かる。

「ッ……どうした、来いよ……まだ終わりじゃねぇぞ……」

「何を狙っておる?」

 イザナミによる攻撃を大剣で払いながら、ラグナは挑発するようにイザナミを誘う。けれど、それにイザナミは視線をひどく冷ややかなものに変えて、首を傾け問いかけた。何のことだ、とラグナが返しても、彼女はあくまでその態度を崩さぬまま。

「気付かぬとでも思うたか? 先ほどからの其方の動き、まるで余を抑え込もうとでもしているかのように……」

 先ほどから、ラグナはあくまで攻撃には転じていない。イザナミの攻撃を払ったり、躱すことこそあれど、それ以上に動いたりはしないのだ。けれどイザナミが消耗するのを狙ってか、見切れるような攻撃のフリだけはしている。それがとても不快だった。

「面白い。ならばその策とやらを見せてみよ。其方の命が尽きる、その前に――」

 言うイザナミに、ラグナの剣が振りかざされる。けれど、その目の前で彼女は再び消え、背後に現れる。ラグナの動きが止まる。まるで『時間』ごと止められたかのように。

 彼女が一歩踏み出て、ラグナの背に手刀をあてがう。

「決着だ」

 静かに、告げる言葉。

 ラグナの言う通りだ。ラグナは、イザナミの『願望』かも知れない。けれど、その『願望』もここで終わりだと。

「――さらばだ、兄様」

 イザナミが双眸を伏せ、ラグナを貫くために腕を引き――直後、布を、肉を裂く音が響く。

「何……?」

 けれど。それは、ラグナから発せられたわけではなかった。

 イザナミが目玉を動かして背後を見る。背中から貫かれる痛みと熱は、イザナミを襲っていた。

 そこに居たのは、ノエル――神輝を展開したクサナギ、ミュー・テュエルブ。彼女が光の剣でイザナミを貫き、離れないように強く抱きしめていた。

「ごめんなさい。貴方の意識の全てがラグナさんに向く、この瞬間を……待っていたの」

 掠れた声に憎悪をたっぷりと込めてイザナミが『貴様』と紡ぐ。けれどそれを聞いて尚、ミューは『眼』を開けた。

「――観測開始。次元境界接触用素体……対象を『同一体』と認識」

 抱きしめたまま、静かに紡ぐ言葉は呪文のようだ。

 ノエルもイザナミも、同じ『サヤ』という少女から生まれた分身。同じ魂を別けた存在。元々一つだったものが、再び同一体――一つに戻るだけだ。何も怖くはない。

「貴女が『サヤさん』なら怖がらないで。貴女のその魂を、全部私が受け止めるから……大丈夫、私達は一つになるの」

 少しずつ、イザナミから光が生まれる。その光はノエルへと回帰していき、少女はそれを受け止める。焦ったようにイザナミが目を見開いて、もがいた。

「貴様まさか、余の魂を奪うつもりか!? 汚らわしい人形ごときが、神と同義である余を!!」

 ノエルがイザナミを、サヤを受け入れるということ。それはイザナミからしたら、イザナミ達の主導権をノエルが奪うということになる。半分の神の魂を、自身という存在を、奪われてしまう。

「おのれぇぇぇぇえ……!!」

 これ以上ないほどの恨みを込めた声をあげるイザナミに、ノエルが腕に込めた力を強くする。

 けれど。途端、首だけを後ろに向けたイザナミの口角が持ち上がる。

「……と、余を奪えるなど本気で思うたか?」

 歪な笑みを湛えて、イザナミがそう告げる。ノエルは一瞬何が起きたか理解できなくて、目を見開き間抜けた声をあげた。

 イザナミは、ノエルがコソコソと機を見計らっていた事など最初から気付いていた。それでどのような手を使い自身を封じるつもりなのかと楽しみにしていたけれど、まさか正攻法だとは呆れてしまった。

「其方如きが、余を、神である冥王イザナミを『殺し』、『サヤ』の魂と一つになるのが狙いか?」

 途端、ノエルの中に流れ込んできていた力が、逆流し引っ張られてしまうような感覚がして。ノエルが苦しげに呻きをあげる。

「逆だ。その貧弱な魂を喰らい、余が神と一つになる」

 マスターユニットと、そのドライブであるイザナミが正しき姿に戻り――そこから漸く、正しき虚無が生まれる。語るイザナミにしがみついて、ノエルは尚も『サヤ』に語りかけた。けれどイザナミは静かに首を横に振る。冷たい言葉だったけれど、その表情はあまりに悲しげに見えて。

「もう終わりだ。塵と消えよ、神の魂を宿した少女よ――」

 そして、蒼の少女の加護を受け、自身らが……。

「ブレイブルー、起動!!」

 そんな、イザナミの耳に届く声。途端、胸に触れるのは大きな黒い手。前に立つのは声の主にしてブレイブルーの所有者、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。

 瞬間、イザナミの中から何かが零れ落ちていくような感覚があった。

「何……これは、まさかソウルイーター……!?」

 自身の魂が、奪われていくような。大切なものが流れ出してしまうような。これは、魂を喰らう、ラグナのソウルイーターによるものだ。

「テメェは強い。そりゃそうだ、『神』だもんな」

 イザナミを見据えて、ラグナが紡ぐ。その間にも、どんどんと彼女の中からは何かが出て行ってしまう。必死にそれが出て行かないように抑えようとしても、逆らえない。神であるはずの自身が何故こんな下等な人物達に逆らえないのか。困惑し、焦る様子のイザナミにラグナはそれでも言葉を続けた。

「俺が囮? 正解だ。神殺しのノエルが本命なのも正解だ。だが、テメェは殺さねぇ」

 語調の強さに対して、ラグナの瞳は悲しげな、そして申し訳なさそうな色を浮かべていた。何故そんな顔をするのか、イザナミには理解できなかった。

「悪いな。テメェの『願望』を利用するような真似をして……」

 何故謝るのだろう。何故。尽きぬ疑問を口にすることはできず、イザナミは揺れる目でラグナを見つめるしかできなかった。

 魂の綱引きなら、マスターユニットのドライブであるイザナミにノエルは勝つことができない。魂の強さであれば、イザナミの方が格上だった。けれど、彼女はラグナを殺す時に、ラグナという『願望』を諦めた。それが唯一の、イザナミの『弱さ』だ。

「それでも……二人がかりじゃねぇとお前には勝てねぇ。すまねぇな『サヤ』、そして『イザナミ』」

 止めろ、自身は『助け』など要らない、だから頼むから――。そんなイザナミの言葉に一度目を伏せ、ラグナは首を振る。イザナミが望んでいなくても、それでも、ラグナはイザナミを助けるしか方法がなかった。

「イデア機関、接続――――」

 反転。

 ラグナの喉からその言葉が溢れた瞬間。一際強く、イザナミの中が引っ張られるような感覚がして、呻く。ノエルはただ、それを受け止めるだけ。

 


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