POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

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第十五章 残黒な暁

 世界が歪む。酔いそうなほどの歪みに飲み込まれ、必死に意識を保とうとするけれど、やはり意識は途切れてしまう。そして気が付き、目を開けた瞬間。視界に映るのは先まで居たはずの場所とは別の景色だった。

 ――連合階層都市・イカルガ。

 どうして理解できたのかは分からなかった。けれど、確かにこの場所はイカルガだと確信する。

 夢を見ていたのでなければカグツチに居たはずの自身が何故イカルガへ。疑問を覚えた次の瞬間、知るはずのない記憶が頭痛と共に頭の中に流れ込み、そして――声が響く。

「――世界の繭は動き出し、今、世界は切り開かれた。全ての資格者達よ、聞きなさい」

 貴方達の『願望』、かけがえのない『願望』。何にも譲れない、大切な『願望』。

 叶える方法はただ一つ。

 自らのその手で……。

 ――『冥王イザナミ』を殺し、『蒼』を手に入れなさい。

 

 

 

「今の声は……」

 頭に直接響く声。それは、今しがた呟いた彼、ジンの傍らに浮かび上がる女にとって聞き覚えのあるものだった。

「ナイン……っ」

 かつて六英雄として戦った一人、大魔道師ナイン。トリニティが信じた男によって殺された女。そして、少し前まで『ファントム』としてイザナミ達と行動していた人物。悲しげに声をあげる半透明の女――トリニティ=グラスフィールの、大切な親友。

 どうやら彼女の起こした事象干渉によって、彼らはカグツチからこのイカルガへと飛ばされたようだ。何回か干渉を受けたことがあったからその感覚は知っていたし、事象干渉でもなければどうやって移動したか説明がつかない。

「……あの口ぶりからすると、ナイン達が『資格者』と呼ぶ人達、全員が声を聞いていると思います。……そして、その全員が」

 トリニティの言わんとしていることがすぐに理解できて、ジンは繋げるように続きを口にした。

 自身と同じように、事象干渉によってイカルガへ飛ばされたのだろう、と。

 誰が資格者に含まれるのか、全員の顔を把握しているわけではない。けれど、この世界が記憶をなぞるのならば、もしかしたら……という憶測に過ぎなかったけれど。

 そして、そこまでを考えてふとジンは疑問を抱く。

「しかし……これは本当にただの事象干渉なのか? 人物や物事個々へ向けて仕掛けられた干渉ではない。今のは……」

 世界そのものに対する干渉だった。

 あの感覚は、その規模は、まるで神が起こすそれだ。

 ジンの言葉に同意を示すように、トリニティは首肯する。

「ええ……通常では考えられない規模です」

 でも、あの声も、先ほどの事象干渉も、虚像などではなく正しくナインのものだったとトリニティは告げ、白い瞼を伏せる。マシュマロのように白い両手の指先を胸の前で絡ませる彼女からジンは目を逸らすと、ならばと問いかけた。

「ならば……ファントムという輩は、六英雄の『情報』を元に構築されたものではなく『大魔道師ナイン』本人ということか」

「はい……間違いないと思います」

 ですが、付け足し彼女は瞼を持ち上げると、ジンの横顔を見つめる。

 いくらナインがよほどの大魔道士であろうと、こんな規模の事象干渉を起こせるとは到底信じられない。本来ならできないはずだ。言うトリニティの言葉にジンが返す。

 しかし、実際に起きた……と。

「タカマガハラシステムがあれば、利用することもできるだろうが……今はそれもない」

「ええ……」

「本当に、ナインによる事象干渉なのか?」

 頷くトリニティに、ジンはまた問いを投げかける。本当にこの事象干渉がナインによるものなのか、ジンには信じられなかった。死そのものという大きな概念的存在であるイザナミならばまだ分からなくもないのだけれど。

 トリニティは首肯し、同意を示す。彼女だって、信じられなかった。自身の親友である彼女がいくら強く、魔法に長けていようと、一人でこんな業を成せるだなんて。けれど、感じた魔力の気配は本物だった。それが何よりも分かりやすく、ナインがそうしたのだと告げていたから、そのまま答えた。

 トリニティの答えに、疑っていても何も生まれないと踏んだのだろう、ジンはその話題を一旦置いて、顎に手を添え別のことを考えだす。

 ――事象干渉は、対象の状態に干渉、改竄するのに等しい。しかし、記憶や情報には何かをされたような感覚がない。ならば先のは『状況』に対する事象干渉だろうか。否、むしろ閉じていた『記憶や情報』を閉じたのか。

 どちらにせよ不可解だった。

 事象干渉を起こした人物――あの声の主が本物の『ナイン』であるなら、何故こんなに回りくどいことをするのか。

「貴様に何か心当たりはないのか。同じ六英雄だろう」

 眉根を寄せ、トリニティの顔を改めて見る。けれど彼女も特に思い当たるところはないらしく、首を振る。

「申し訳ありません……ですが、何だか胸騒ぎがします……」

「……憂いていても仕方がない。とにかくここでは何も状況が分からない。街中へ行くぞ」

 振り向く先には都市が見渡せる。小高い山の上だった。

 歩き出そうとするジンに、トリニティが実体のない手を伸ばす。呼び止めた。

「あの、ジンさん」

 声がかけられれば立ち止まり、振り向かずにジンは用件を尋ねる。

 トリニティは一瞬だけ逡巡(しゅんじゅん)した。話すべきなのだろうけれど、躊躇(ためら)ってしまった。それでも意を決して口を開く。

「――ココノエさんを、探してはもらえないでしょうか」

「ココノエだと?」

 出された名前が意外だったのか、その声には僅かな驚きが含まれていた。

 けれど、すぐに声を低くして、ジンは再び疑問をぶつける。

「先ほどの話と、関係があるのか?」

「それは……分かりません」

 トリニティの答えに、ジンは何かを考えるような間も置かずに返した。

 拒否だった。

 食い下がるように何かを言おうとするトリニティの言葉を遮り、ジンは続ける。

「言っておくが、貴様との契約は『ルナとセナを助ける』ということだけだ。それ以外の指示を受けるつもりはない」

 自身の身体に制限時間があると言ったのは貴様だろう。と、トリニティの言葉を責めるように付け加える。

 それは勿論、トリニティだって痛いほど分かっていた。

 彼に身体を与えたのはトリニティだったし、これまで自分の勝手な考えで悪いことが起きたときだってあったから。だから、なるべく必要以上の口出しは控えようと思っていたけれど。

「……でもこれは、貴方の目的にも関わってくる可能性がありそうなのです」

「僕の目的に?」

 トリニティの言葉を聞いて、ジンが眉を持ち上げる。どういうことか確かめるように振り向くジンへ、トリニティはどこか悲しげに眉を下げながら尋ねた。

「ラグナさんを、倒すおつもりなのでしょう?」

「それとココノエと、どんな関係がある」

 ジンがラグナを倒そうとしているのは事実だ。実の兄ではあったけれど、『あの日』からジンはラグナを殺すことを目標にしていた。腰に携えた剣――アークエネミー『氷剣・ユキアネサ』を手にした日から。

 けれど、それとココノエに一体どんな関係があるというのか。問えば、また申し訳なさそうに彼女はゆるゆると首を横に振る。

「すみません……まだ、はっきりとは。ただ、貴方や私の目的を遂げるために『あってはならない物』がないか、確かめておきたいのです」

 トリニティが指すものがどういった存在なのかは分からないけれど、それでも彼女の考えが何となく察せて、ジンは頷いた。

「その『あってはならない物』が、あの大規模な事象干渉にも関係があると考えているわけか」

 トリニティがジンの言葉に首肯したのを見て、くだらない、とジンは吐き捨てた。

 彼女の話は、確証のないものだ。それを信じることなど簡単にはできないし、そんなものを確かめている時間があれば、彼女の最初の依頼を片付けてしまいたい。

「お願いします……今は、どうか私を信じてください」

 けれど……それでも尚、縋るようなトリニティ。

 その表情を見据え、やがてジンは目を伏せ溜息を吐く。

「……貴様の『勘』とやらに付き合わされることになるとはな」

「ジンさん……」

 彼女の表情がやけに真剣だったから。六英雄たる人物がそんな表情をするのだ、よほどのことなのだろう。自身にも関わってくるとなれば、それを拒否するわけにはいかないと思ったのだ。

 どこか冷たい態度のジンではあったけれど、トリニティは思わず目元を緩め、微かに微笑んだ。

 そんな彼女にふいと背を向け、彼はまた一歩、足を踏み出すと告げる。

「……ここがイカルガで、『今』がこれまでの事象を辿っているのであれば……ココノエはおそらくカグラのところに居るだろう」

 勿論、これも確証のない話だが。

 付け足すジンに、トリニティは小さく笑いを零す。

「ふふっ……では、私も貴方の『勘』を信じることにしますね」

 それにジンは返事を返すことなくた、ただ道を急いだ。

 

 

 

   1

 

 ――『氷剣・ユキアネサ』『魔銃(まじゅう)・ベルヴェルク』『機神(きしん)・ニルヴァーナ』『無刀・六三四(むじん・むさし)』『雷轟・無兆鈴』『蛇双(じゃそう)・ウロボロス』『鳳翼・烈天上』。

 厳かな声で紡がれるのは、事象兵器(アークエネミー)の名。

 女は俯いたまま、三角帽子の広いツバ越しに前を見つめる。

 そこに立つのは、仮面に顔の半分を覆った男だ。

「……事象兵器に使ったタケミカヅチのコアは、それで全部か?」

 薄い唇を動かして、男、レリウスは尋ねる。それに名を挙げていた女、ナインは静かに首肯してみせる。

 黒き獣との戦いで活躍した六英雄の一人であり、最高の魔法使い『十聖』に名を連ねた人物。そして事象兵器の開発者である彼女。

 そのナインが最初に作った事象兵器が『巨人(ハイランダー)・タケミカヅチ』。

 しかし黒き獣と似た存在であるタケミカヅチの危険性を知ったことから、そのコアを分割して造りあげたのが、他の事象兵器だった。

 だから、それらのコアを集めて再びひとつのコアに戻せば、本来の出力を持った完成体のタケミカヅチを複製することができると彼女は語る。

 本来のタケミカヅチなら、マスターユニットを破壊するには十分なはずだ。

 絶対防御であるツクヨミユニットも、貫くことこそ難しくても、弾くことくらいはできるかもしれない。

 そんなナインの台詞に、表情をぴくりとも変えないまま、けれどレリウスは声音だけは関心を持った様子で言葉を紡ぐ。

「ツクヨミユニットにどこまで通用するかは興味深いところではあるが……未完成時の出力から見ても、手段としては実にシンプルで効果的だろうな」

「あら、お褒めいただけるの? 光栄だわ」

 肩にかかったピンク色の長髪を背中に流して、彼女は僅かな微笑みを浮かべる。レリウスほどの人物にその技術を褒められるというのは純粋に光栄だった。けれどそのすぐ後に笑みを消し、鋭い眼光でレリウスを射抜く。

「……でも、お気に召したとしても、アレはあげないわよ。マスターユニットの破壊に成功したら、タケミカヅチは今度こそ解体するわ」

 その声に込められた感情は、怒り。どうしようもない憤怒に声を震わせて、彼女は瞼を伏せる。

 アレが二度と、大事な人を傷付けないように。愚かな人間の誰もが、それを使うことのないように。何より、その存在が憎くて仕方がなかった。

 けれど、レリウスは尚も無感情な声で構わないと言う。

「既に観せてもらったのでな。必要になれば、そのとき自分で用意する」

「……嫌な男」

 閉じた双眸はそのままに、ナインが告げる。

 それに僅かに口角を持ち上げて、寧ろその言葉を賞賛のそれのように感じながら、レリウスは返す。

「光栄だ」

「……それで? タケミカヅチが必要なのは、貴方達も同じでしょう? 勿論、手伝ってくれるのよね」

 呆れて物も言えないというか、言い返す労力が勿体ないと感じたのか。ナインは息を吐き出すと、レリウスを改めて黄金の瞳で見つめ、尋ねた。

 彼女ら目的は理由こそ違えど同じ、世界の『滅日』だ。何度も何度も繰り返した、くだらなくて醜悪なこの世界を終焉に導く。そのために、この世界を創りあげた神『アマテラスユニット』を破壊する。

 目的が一致しているならば、勿論手伝うのだろう。

「そのつもりだ。……策は常に複数確保しておきたいからな」

「複数? タケミカヅチの他にも、マスターユニットを排除する手段があると言うの?」

 レリウスの言葉が引っ掛かり、眉を寄せた険しい顔を浮かべる。けれど、その問いにはレリウスは答えない。けれど、沈黙は肯定だ。手段こそ分からずとも、それだけで彼女には十分だった。

「……はん、いいわ。利用されてあげる。その代わり、私も利用させてもらえばいいことだわ」

 一歩歩み出て、レリウスを睨み付けると彼女はそう告げる。

 くるり、マントを翻し踵を返す彼女の背に、レリウスが声をかける。

「……ナンバーサーティーンを使って、事象兵器を捜索させるとしよう。現状のアレを事象兵器に近付けて、どんな反応があるかのテストもできる」

「ナンバーサーティーン。ムラクモね。あれも一応、事象兵器ってことになってるのよね」

 レリウスの淡々と紡がれる言葉に、ナインもまた同じような口ぶりで問う。

 首肯し、しかし他と違ってタケミカヅチのコアを使用してはいない、とレリウスは答える。

 化け物という点では同じだ、とナインは思う。腕を抱き、彼の話の続きを促した。

「それから、丁度よくテルミと分断されているハザマにも通達しておこう。することもなく、暇を持て余しているだろうしな」

「私はただの開発者よ。協力者の選別はお好きになさって……ねぇ?」

 

 

 

 

   2

 

 地に叩き付けられ、呻きをあげる。先も似たようなことがあった気がする――そう思いながら、ラグナは眼球だけを動かして辺りを見る。

「どこだ、ここ……。まさか、イカルガ!? 俺はどうなって……」

 はっきりとは分からないけれど、何となく知っている気がする景色。老朽化し、立っているのが不思議なほどの廃城が遠目に映る。

 記憶が告げる名を口に出せば、やけにしっくりくる。ここがイカルガならば、自身はアレからどうなったのか――。

 状況を確認するべく立ち上がろうと、手を動かそうとする。途端、全身に痛みがはしり悲鳴を漏らす。そこで、身体がまともに動かせないほどに自身が負傷していることを、やっとラグナは理解する。

「クソ……ブレイブルーでも、これを治すのは時間がかかりそうだな」

 ブレイブルー。蒼の魔道書。その名を口にして、ラグナはハッとする。

 やっと、ラグナは思い出した。記憶を失う前、自身が何をしていたのか、何が起きていたのか。 そうだ。何故、今まで自身は忘れていたのだろう。

 否、思い返してみればノエルもカグラも、皆の様子はおかしかった。

 まるで時間が巻き戻ったみたいだったけれど、記憶と違うことが沢山起きたし、何より聞いた情報が正しいのであれば、一部の歴史が書き変わっているらしいのだから。

「つーか、今は何年の何月何日なんだよ……畜生、頭の中がゴチャゴチャしてやがる」

 考えても色んな情報が頭の中をぐるぐると回って、どうにも整理ができない。こんなところでもたついている場合ではないのに。

 他の人物は大丈夫なのだろうか。それに、ナインは教えてくれなかったけれど、サヤはどうなっているのだろう。

「そうだ、早くサヤを見つけねぇと……っぐ……」

 焦り、再度立ち上がろうと試みるラグナであったが、しかし負った傷はひどく、動くこともままならない。まだ回復しないのか。

 思いながら、ラグナはふと寄ってくる足音に気付き身体を跳ね起こす。

 動けない身体を無理に使ったことで、痛みによろめきながらもラグナは音の方向を見た。

 また咎追いとかいう人物だろうか。また、狙われるのだろうか。そうでないことを祈りながら、警戒に剣に手を伸ばそうとするラグナ。物陰から現れたのは――。

「……ぬ? お主は……」

 聞き慣れた声に、ラグナは相手の足元に遣っていた視線を持ち上げる。目を見開く。

「やはり! 『死神』でござったか! お主、こんな場所で何をしておる!?」

 どこかやかましい大きな声、額には二重の傷跡、特徴的な口調。

 その名をラグナが呼ぶより早く、その人物がラグナを呼んだ。

 敵ではないと分かれば思わず気が抜ける。と同時に、気を張っていたことで多少紛れていた痛みがまた主張し始め、剣を地面に突き立てて身体を支える。

 どうしてこんなところに、などと問われた気がしたが、それに答えるだけの元気はない。

「なんと……その有様、どうしたのでござる!? 以前にもまして酷い傷ではないか!」

 そんなラグナの様子を訝しげに見て、彼――バングは、ラグナの容体に気付き声をあげる。以前会ったときも重傷を負っていたというのに、更に酷くなっているのだから、心配せずにはいられない。

「何か治療が施せれば良いのだが……とにかく、こんな場所に居ては傷にも良くない。どこか安静にできる場所へ移動するでござるよ!」

 

 

 

 炎の弾ける音、フクロウの鳴く声、木々の微かなざわめき。それらに耳を傾けながら、ラグナは空を仰ぐ。街灯のない夜の森から見上げる空は星々が美しく輝いていた。

「傷の具合はどうでござるか、死神殿」

 正面から、ラグナにかけられる声。釣られるように上に向けていた顔を前へ戻して、それから言葉の意味を理解すると、あぁ、と頷く。

 あれから暫し経ち、焚き火を挟んで前に座る男――バングの手当てと『蒼の魔道書』による治癒能力によって、だいぶマシになった。それを伝えれば、バングは安心したように破顔して見せた後、ラグナの右腕を見る。

「しかし、ふーむ……。蒼の魔道書……では、やはり『あの時』もその魔道書が傷を修復していたのでござるか」

 不思議なものを見るように、顎に手を添えて問うバング。

 あの時、という単語に首を傾けるラグナであったが、思い当たるところがあったのか、手を打って大きく頷く。

「あぁ~! あの時か、そうそう、おっさんに助けられるのはこれで二回目だったな」

 前回は腹に大穴を開けられたとき。偶然見かけたバングがライチの診療所まで運んでくれた。

 今回もまた、重傷を負っているところをバングに助けられた。

 色んな記憶を取り戻したせいで随分と前のことのように感じる。

「ぬ……確かにその通りだが。死神殿、お主どこか変わったでござるか?」

 へらっと笑って言うラグナを見て、バングはまたも不思議そうな表情を浮かべる。

 上手くは言えないけれど、前に会ったときは常に焦り、苛立っているように見えたのに対し、今のラグナはまるで別人のように気が和らいだように感じた。

「……さぁな。俺からすれば、アンタこそ俺の知ってるおっさんとは随分違うみてぇだけどな」

「何? それはどういう意味でござるか」

 なんとなしに零した言葉。それにバングが反応すれば、なんでもないと返してラグナは話題を変える。

「それより、さっきからその『死神殿』っていうの勘弁してくれねぇかな」

 死神という呼び名は好いているわけでもないし、名前を思い出した今、何だかその呼び方はどうにも落ち着かない。

「む、しかしお主には名前が……」

 けれど、バングはまだラグナが名前を思い出したことを知らないし、ラグナの名は統制機構でも知っている人物が限られるほどの極秘情報だ。手配書でも『死神』としか発表されていない。

 眉尻を下げ悩む様子のバングに、ラグナは少しだけ躊躇いつつも名を口にする。

「ラグナ……で頼むわ」

「……ラグナ? お主もしや、自分の名前を思い出したでござるか!?」

 彼の言葉にバングは驚いたように目を見開き、確かめる。その瞳にはほんの少し喜びも混じっていて、それにラグナは頷いた後、火を見つめる。

「とはいえ……まだこの世界は俺の知らないことでいっぱいらしいけどな」

「そうか……しかし、名を思い出したのであれば、全ての記憶が戻るのも、遠くはないであろう。良かったでござるな、死……ラグナ殿」

 ふっとバングが苦笑する。けれどすぐに笑顔を咲かせ、励ましの言葉をかける。

 そんな彼に視線を移し、じぃと見つめ、そしてラグナは黙り込む。何か不味いことを言ったかと気まずさを覚えるバングに、やがて彼は神妙な面持ちで問いかけた。

「なぁ、おっさん。聞いても良いか?」

「無論、構わぬでござるよ。何でも聞かれよ」

 何を問うのかは分からなかったけれど、聞く前から断る理由もない。それに、記憶のない彼の手助けになればと思って、バングは任せろと言わんばかりに頷いた。

「あの女医の姉ちゃんが言ってたんだが、ここじゃカグラ=ムツキは『イカルガの英雄』と呼ばれてるって……それ、本当か?」

「カグラ、でござるか。拙者は断じて認めんが、確かにあの者は世間でそのように呼ばれておる」

 ラグナが尋ねた言葉。その名前が出た瞬間、僅かに眉根を寄せながらバングはそう言う。話の続きを促すように黙るラグナへ、今度は逆にバングが訊く。

「お主、カグラを知っておるのか?」

「あ~、まぁ色々な。それより、イカルガ内戦ってどうして起こったんだ?」

 それには曖昧な返事を返すラグナ。それにバングは少しだけ疑いの眼差しを向けながらも、今の話には関係ないし、彼が語りたがるまで触れないでおこうと思う。

 そしてラグナが続けた言葉を、復唱する。

「イカルガ内戦……でござるか」

「あぁ。カグラがイカルガの英雄と呼ばれるようになるまでの経緯を知りたい。一体その戦争で何があった?」

 身を乗り出すようにして問うラグナ。暫しの沈黙。

 そして、バングはいつになく静かな声で、返事を返した。

「……相分かった。拙者の知る限りを教えてしんぜよう」

 

 

 

 イカルガ連邦。複数の階層都市を総称し、そう呼ばれていた。

 それに含まれるのは第五階層都市『イブキド』を始めとして、第六階層都市『ヤビコ』と第七の『カザモツ』、第八の『ワダツミ』、そして第九、第十の姉妹都市『アキツ』の六つだ。

 戦争の爪痕は酷く、特に中心となっていたイブキドとワダツミは復興も手つかずの状態だった。

 事の発端は、その六つの階層都市が『イカルガ連邦』を名乗り、統制機構からの独立を掲げたときから始まった。イカルガ連邦は、統制機構の帝である『テンジョウ』の子、『ホムラ』を人質に取り戦火を拡大させていったという。

「その頃、拙者は帝直属の近衛兵でござった」

「何? おっさん、図書館だったのかよ!?」

 ラグナが驚きに声をあげれば、苦笑しバングは顔の前で片手をひらひらと振る。あくまで『元』に過ぎない、そう言って彼は話を再開した。

「最初から戦争に反対していた拙者は、密かにホムラ殿下をお助けするため、イカルガ忍軍に志願したのでござる」

 そして六年もの間、戦争は続いた。多くの犠牲者を出した酷い戦いだったとバングは語る。

 統制機構の攻撃によって、イカルガの首都であったイブキドは壊滅したが、同じ頃に帝が崩御した。

「死んじまったのか。戦争で?」

「理由は公にはされておらぬ故、謎のままでござる」

 今度の問いにはゆるりと首を振って答え、そしてバングは続ける。

 お互いに痛み分けという形で、イカルガと統制機構は和解を進め……その和解の道を実現させたのがカグラ=ムツキというわけだ、と。

「それでカグラがイカルガの英雄ってわけか」

「左様。だが、奴が帝を守れなかったのは、紛(まご)うことなき事実。拙者はカグラ=ムツキを許すことは出来ぬ……」

 そして、殿下であるホムラのためとはいえ、帝の身に何かが起きたその場に居なかった自身も許せない。ひどく悔しそうに眉根を寄せて、強く歯を噛み締める。

「と、話が逸れてしまったな。……その後、統制機構とイカルガ連邦は協力関係を築き、ホムラ殿下が新たな帝として即位することで、イカルガ内戦は終結したのでござる」

 語り終え、バングは思う。ずっと、考えてきたことだった。

 未だにあの戦争が何だったのか、どんな意味を持っていたのか。何故、帝や多くの民が死ななければならなかったのか。バングには分からないことだらけだ。

 黙り込む二人。

「なぁ、おっさん」

 ずっと続くかと思われた沈黙を早々に切り上げたのは、ラグナの方だった。

 何だと問うバングに、意味のない音を幾度か漏らし言葉を選び、ラグナはそして尋ねる。

「イブキドの崩壊は、統制機構の攻撃によるものだと言ったが、一体何があったんだ?」

 ラグナの問いにさして驚く様子もなく、ただバングはそれに少しだけ顔を俯ける。

 正確なことは、バングも知らなかった。

 あの攻撃――爆発は、統制機構の新兵器によるものだと言われているけれど事実はどうなのか。

「拙者は『あの時』ワダツミに居たが、爆発の衝撃はこちらにまで伝わってきたでござる」

 だから、バングは出来ることならばあの戦争を止めたかった。あの声の言った通り、冥王イザナミという人物を倒し『蒼』を手に入れることができれば、その願望は叶うかもしれない。

「イザナミを倒すだと? それにその話……おいおい、あんたもかよ」

 バングの話に出てきた、イザナミを倒すという話は、ナインにラグナも言われていた。まさかバングもなのか。問いに、きょとりと目を丸くしてバングは首を傾ける。

「拙者『も』? やはりラグナ殿、お主も『あの声』を聞いておったか」

 今度はラグナが首を傾ける。バングの言う『声』というのに、ラグナは思い当たるものがなかった。バングが説明しても、だ。知らないと首を振るラグナに、バングは苦笑する。

「……そうでござったか。それは失敬した。妙な話をしてしまったでござるな」

 軽く謝るバングに首を振ることで平気だと言って、その次にはすぐラグナは別のことを考えだす。頭の中は、イザナミがどうとかそういう話ではなくて、先ほどバングが話した歴史のことについてだった。

 相当『ズレ』ているのだ。ラグナの取り戻した記憶と、歴史が。これも事象干渉の影響なのだろうか、と考えるけれど、それにしては何かが妙だ。まさか、ナインの仕業なのか。

「どうしたでござる? 先ほどから妙に深刻な顔をしておるが……」

「いや……」

 ラグナの表情を見て、バングが心配するように眉を垂れる。それに首を振って、ラグナは何気なくを装いバングの背に視線を投げる。

「なぁ、おっさんの背中のそれ……ちょっと見させてもらってもいいか?」

「ぬ……拙者の五十五寸釘をでござるか? しかしこれは、昔帝から頂いた大切なもの故……」

 彼の背には、銀色に輝く巨大な釘があった。

 それはラグナの記憶が正しければ『クシナダの楔』のコアとして使われ、ここにはないはずのものだ。ならば、それが本物なのかも確かめておきたかった。

 少しばかり躊躇う様子のバングも、ラグナの真剣な目を見て、頷く。

「……杞憂でござったな。ラグナ殿は信用できる方。少しであれば構わぬでござるよ」

「悪ぃな」

 ニッと人好きのする笑みを浮かべるバングに短く断って、ラグナはゆっくりと立ち上がるとバグの後ろへ回った。

 そして、五十五寸釘……アークエネミー『鳳翼・烈天上(ほうよく・れってんじょう)』に手を伸ばし、触れる。

「――ッ」

 途端、流れ込むのは記憶。ラグナはその光景を知らない。ならば、五十五寸釘の記憶か。

 呻き、よろめくラグナに驚いてバングが振り返る。

「なっ、ど、どうしたのでござる!? 無事でござるか、ラグナ殿!」

「あ、あぁ……平気だ、何でもねぇ」

 大袈裟に心配してみせるバングへ首をゆるゆると振り、背を向ける。だけれど、と尚も食い下がるバングを無視してラグナは俯いた。

 今の感覚はやはり本物の烈天上だ。だけれど、ますます疑問に思う。烈天上はあの時、イブキドにそびえ立った巨大な塔に刺したはずだったのに、何故『ここ』に存在していたのか。

 否、記憶と記憶の食い違いや、バングの様子もおかしい。多分他の人物らもそうなのだろう。そういえば、ナインも何か……『このフィールド』などと言っていたはずだ。ならば、この世界そのものが特殊な場だということなのか。

 考えても答えは出ず、険しい顔を浮かべるラグナ。その背に、優しくかけられる声。

「ラグナ殿、夜更かしは身体に障る。そろそろ休むべきではござらんか」

 記憶を失ったり、重傷を負ったり、追いかけ回されたり、色々なことがありすぎた。そんなラグナを気遣っての言葉だった。

 それに少しだけ考える素振りを見せた後、ラグナは首肯する。確かに、今日は疲れた。

「……そうだな。おっさん、悪ぃが先に休ませてもらうぜ」

「気にする必要はないでござるよ。明日は遠出する予定故、今の内にしっかりと休まれよ」

「あぁ、それなんだが……ここはイカルガなんだよな? おっさんに、案内して欲しい場所があるんだ」

 

 

 

   3

 

 ――連合階層都市イカルガ。某階層都市、窯。

 脈動を続ける窯を見下ろし、ハザマは口を開く。

「『願望』を叶えたければ冥王イザナミを殺せ。『蒼』を手に入れろ……ですか」

 振り向く先には、男。目深に被ったフードから自身とよく似た顔を覗かせるその人物を見て、ハザマは首を傾ける。

「『蒼』……それがあれば、貴方の言う『融合』ができるんですよね」

「あぁ、そうだ。その『蒼』をイザナミが持ってる」

 気怠げに首肯し告げる彼、テルミに相槌を打って、ハザマが言葉を返す。

「……なるほど。でも、今度こそ大丈夫なんでしょうね? カグツチの地下のときは想定外の出来事の連続で、結局融合なんて出来なかったんですから」

 ハクメンの襲撃、ニュー・サーティーンとラグナの戦闘が思ったより長引いたうえにラグナが勝利。それに加え、突然の事象干渉が起きたりして、融合なんてしている暇がなかった。今度こそ大丈夫なのか、問うハザマにテルミが笑って吐き捨てる。

「はっ、どうだかなぁ。今のこの世界じゃ、どんな滅茶苦茶なことでも起こり得る。この世界が特殊なうえに、コイツも居るんだからな」

 テルミでさえ初めて経験することばかりだというのだから。ニィと笑うテルミ。

 コイツ、と指されたユリシアは不思議そうに、テルミ達を交互に見て首を傾げる。そんな彼女を横目に、ハザマは指を一本立てた。

「そこです。そう、気になっていたんですが。ユリシアという存在がありながら、何故わざわざイザナミを倒しに行かないといけないんですか?」

 ユリシアが『蒼』そのものの片割れであることはテルミから聞かされていた。ならば、わざわざどこに居るかも分からないイザナミとやらを探し、倒すよりも、彼女の中から直接分けてもらった方が早いのではないか。

 純粋な疑問を告げるハザマに、テルミは黙り込む。

「……ま、いいでしょう」

 そう言って溜息を吐き首を振ると、ハザマは帽子のツバを摘み、被り直した。

 テルミがこの様子ではどうにも不安が残るが、これはこれで仕方ない。自身は言われた通りに動くまでだ。

「ですが……随分とご執心なんですね」

 にこやかに微笑み、吐いたのは紛れもないハザマだった。

 テルミはもっと、使えるものは何でも使う性質だと思っていたけれど、そうではなかったのだなとでも言うように。

 驚いたようにテルミが目を見開くのが見えた気がしたが、それに気付かなかったフリをして、ハザマは「そうそう」と別の話題を切り出す。睨まれても見なければどうってことはない。

「気になっていたんですが……この、私の胸のところに派手な傷痕があったんですけれど……これ何の傷です?」

 首を傾けて問う。指を差された胸はスーツに隠れて見えないけれど、かつて融合していたテルミはその傷のことを知っていたし、ユリシアも後でその傷を見ていたから知っている。

 けれど、ユリシアは首を傾ける。

 何故なら、テルミに聞いた話では『この世界』は特殊らしいうえに、時間もアマテラスを召喚した時とは違う。世界の時間は巻き戻っていて、ならば、ハザマの肉体には――。

「一体、いつ、どこで、どうしてついた傷なのか気になりまして」

 常に細められたその双眸を薄らを開け、言いながらハザマはユリシアを見る。途端、彼女が首を振る。そこから視線をテルミに移せば、沈黙していたテルミがやがて息を吸う音が聞こえた。実際にはそんな器官など存在しないはずだけれど。

「……俺とテメェが分離したときについたモンだ。早い話、その傷のせいで俺とテメェの融合が上手く行かねぇ」

 なるほど、とハザマは頷いた。

 テルミの話が確かなのであれば、それで元々融合していたというのに『蒼』が必要になったというわけだ。

 納得した様子でそう紡ぐハザマに、テルミは尚も面倒臭いと言わんばかりに声をあげつつも肯定する。

「あー、はいはい、そうですよ。事情なんざどうだっていいだろうが。どの道、テメェには境界に接触して『蒼』に触れる以外、選択肢はねぇ」

 ――『取り戻したいのだろう、本来あるべき自身の形を。

 問うテルミに少しの間を開け、ハザマは首肯し答える。

 だから今もこうして、一生懸命『蒼』を探しているのではないかと。

「『蒼』……な」

 にこやかに微笑むハザマへ背を向け、テルミはフードを被り直す。

 切れ長の目を伏せて、テルミは静かに告げた。

「その前に『ノエル=ヴァーミリオン』を確保するぞ。面倒なことにならないための保険だ」

「……私には、あのヴァーミリオン家のご令嬢が、それほど重要な存在には見えないんですがね」

 テルミの言葉へそう返しながらも、ハザマは再び頷く。

 二人を見比べるユリシアの頭にぽんと手を置いて、ハザマは小さく笑いの声を零した。

「せいぜい働きますよ。来たるべき『融合』のためにね」

 そう言って、ハザマはするりと滑るようにユリシアの頭から手を離すと、一人歩き出した。

 追いかけるべきか悩んで、ユリシアは――。

 

「どうも臭(にお)うんだよなぁ、ハザマちゃん」

 ハザマの足音が影に飲み込まれ聞こえなくなったところで、テルミは小さく呟く。

 どうにも『今回』のハザマには、怪しさがあるのだ。

「あいつより便利な器を、さっさと手に入れた方がいいかもしれねぇな……」

 考え込むように顎に手を添え、テルミはそう零した。

 気になることは多々あって、先の会話を振り返れば『ご執心』と言われたのを思い出す。そんなことを言われるとは思っていなくて、苛立ちにテルミは頭を掻いた。

 

 

 

   4

 

「感じる……ジン兄様を。きっとジン兄様も、このイカルガに来ているんだわ。でも……」

 土を踏みしめ、彼女は遠くのイブキド跡地を見ながら静かに呟く。

 翼のようなシルエットのマントがついた白い兵装に身を包み、腕には分厚い本を模したような盾を持つ。そして何より目を引くのが、頭に乗った帽子だ。不気味とも取れる目玉の模様がついた、白い羽帽子。

「あの『声』は、冥王イザナミを倒し、蒼を手に入れろと言った……それが、願望を叶える方法だと……。蒼、それが真実なら、おそらく願いを叶えられるのは一人だけのはず……」

 考えを纏めるように呟きながら、紅色の髪が美しい彼女――ツバキは立ち止まる。

 自身に、できるのだろうか。その時が来たとき。願いを叶えるため、自身が慕うあの人物と事を構えることが。できるのだろうか。

「……いいえ、何を馬鹿な事を。ジン兄様の存在は、私の全て。答えは最初から決まっていたわ」

 首を振り、彼女は自嘲するように笑った。

 もし、彼と遭遇したその時は――。

「――ッ!!」

 近付く足音と気配に、思わず彼女は背後を振り向く。

 少しだけあんなことを考えていたせいか、それとも先ほど起こったことを振り返ってか、警戒を露わにしながらも彼女はそちらを見て、目を皿にする。

「あれ? もしかして、ツバキ?」

「マコト……!?」

 そこに居たのは、ぴんと立った丸い耳と、腰から生えた大きな尻尾が特徴的なリス系亜人種の少女、マコト=ナナヤであった。彼女もまた驚いたように、どんぐりのような目を大きく見開いてツバキを見つめていた。

「うわぁ、偶然だねぇ。どうしてこんなとこに……って、そっか。ツバキも転移させられたんだね。もしかして、あの『声』も聞いた?」

 どうしてこんな場所に居るのか。先まで自身らと同じようにカグツチに居たはずじゃなかったのか、問おうとして、納得したようにマコトは頷く。

 そして、思い出したのは『声』のこと。それを代わりに尋ねれば、ツバキは肩を揺らした。

「それじゃあマコト、貴女も……?」

 聞いたのか。その問いに、マコトは首肯し、そして眉をひそめる。

 あの声は絶対普通ではないし、それにカグツチからイカルガまで強制転移させるなど、並の術者ではない。ツバキはどう思うのか、判断を仰ごうとしたマコトは、目の前の少女の行動に、間抜けた声をあげる。

「……え?」

「貴女も、イザナミを目指すのね。願望を叶えるために」

 握った紅の刀身はマコトへと突きつけられる。彼女のそれはつまり、戦闘の意思があるということ。説明されなくとも、彼女の表情と刃の鋭さが物語っていた。

「ちょ……どうしたのさ、ツバキ。そりゃ確かに叶えたい願いはあるよ? だけどあたし達には任務もあるし、今はそんなことよりも――」

「『そんなこと』じゃないのよマコト。私にとっては」

 持ち上げた両手の平を相手に向けて、マコトは焦りながらも彼女に制止を呼びかける。落ち着けと言うようなマコトの言葉を遮って、ツバキは首を振った。

 ツバキには、何故だか分からなかった。分からないけれど、あの声の主、あの言葉には信ずるに足る何か、そういった説得性を持っているように感じたのだ。まるで、もう一人の自身がそれを知っているような、不思議な感覚が。

 それを聞いてマコトは眉尻を下げた。

「おかしいよ、ツバキ……本当にどうしちゃったの?」

「……おかしい? おかしいのは何もかもだわ。十六夜を通じて、ずっと違和感を感じていた」

 マコトの言葉をまたも拾って、ツバキはそう言った。

 気が付いたときからずっと、違和感を感じていた。それが何に対するものなのか、どうしてなのかは分からないけれど、何かが違う気がして。

「それが、蒼を手にすることでハッキリするのなら。蒼を手にすることで、あの方の望む世界が形になるのなら。……私はイザナミを倒す。例えマコト……貴女を押し退けてもね」

 刃が紅く光る。それを見て、マコトは身構えた。

 ツバキが悲しげな色を瞳に宿しながらも、静かにマコトを睨み付ける。

「貴女が『資格者』なら、私にとっては障害よ。ごめんなさい、マコト。悪く思わないで」

 言うや否や、ツバキは地を蹴り駆けた。

 光る紅の刀身から蛇腹状の刃が展開され、広がる。鋭い鞭のようなそれは一直線にマコトへと振るわれ、それをマコトは腕に装着した十字のトンファーに当てるようにして庇う。

 しかし衝撃は重く、地面を引き摺るようにマコトの身体が僅かに後ろへ下がる。庇いきれなかった部分には、微かに血が滲(にじ)んでいた。

「ぅ……ツバキ、やめて! あたしはツバキとこんな形で戦いたくなんかないよ!」

「黙りなさい! ジン兄様のために、私は……ッ」

 ツバキの口から出たのは、本人が思っていたよりも強く、厳しい言葉だった。

 慕うあの人のために、自身は。そこまでを口にして、彼女は突如襲ってくる頭痛に、彼女は短剣を取り落とす。頭に乗せた羽帽子を握り締め、地面に吸い込まれそうな身体を必死に支えた。

 流れ込むのは知らないはずの記憶。あってはならないはずの記憶。

「わ、私は、以前にもマコトに剣を向けた事がある? いえ、そんな記憶はないはずだわ……」

 そんなはずはない。

 なのに何故、こんなに既視感があるのだろう。何故、こんな感情を抱くのだろう。

 ツバキの様子がおかしいことにマコトが気付く。駆け寄り、どうしたのと聞きたい気持ちに溢れたけれど、もしまた攻撃されたら。何だかこれ以上戦ってはいけない気がして、マコトは頷く。

「ごめんね、あたしは退かせてもらうよ」

「なっ……待ちなさい、マコト!」

 マコトの台詞に驚き、手を伸ばすツバキ。行かないで、そう言う彼女にしかし、マコトは一度だけ小さく首を横に振ると、告げた。

「ううん。あたしはツバキと戦いたくないし。でも……先に行くなら気を付けてね」

 なんだか嫌な予感がする。

 最後までツバキを案じるような言葉をかけて、彼女は動けぬツバキを置き駆けて行った。

「マコト……!!」

 悲しげな声で名を呼び、そしてまた痛む頭を押さえた。

 自身の中から何かが抜け落ちているみたいだ。

 一体、何が起きているというのだろう。何故、自身はあの声をやけに信じられるのだろう。

 何故、こんなことになってしまったのだろう。

 ふらふらと彼女はおぼつかない足取りで歩き出す。

 

 

 

   5

 

 連合階層都市イカルガ、第六階層都市『ヤビコ』の街。

 様々な人々が行き交い賑わうそこを、身の丈より大きな杖を抱えながらも、子猫のように器用な足取りですり抜け歩いていた。

 身長は随分と低い。小柄というよりは、子供の動きだ。

 歩く度に、頭の上の方で結い上げたピンク混じりのプラチナブロンドがふわふわと揺れる。首元に付けられた大きな鈴の飾りを手で弄びながら口を開いた。

「はぁ~、イカルガってひっろいな……もう足が棒になっちゃいそうだよ。ったく……」

「ねぇルナ、本当にいるのかな~。『冥王イザナミ』なんて人……」

 虚空に向けて文句を垂れる少女。言葉こそ気怠げなものだが、声の調子は年相応の元気な声音であった。それに答えるのは彼女自身。しかし不思議なことに声音と口調を変えて、今度は自分自身に語りかけるようにして話す。

 どこか気弱な少年を思わせる声と、間延びした口調で話すのはセナ。話しかけられたのはルナ。くるくると一人の少女が声音と口調を変えて話す様は異様だが、一つの肉体に二つの魂を宿している故のそれだった。

 彼女らを総称した呼び名は『プラチナ=ザ=トリニティ』。

「実際に居たとしても、向こうも僕たちみたいに歩き回ってたら、この広いイカルガで見つけるなんて、無理があると思うんだけど~」

「そりゃルナも馬鹿馬鹿しい子供だましみたいだって思うけどさ。本当だったら、欲しいじゃん。願いを叶えてくれる『蒼』」

 もう止めようとでも言いたげなセナに、ルナも疑う部分については同意しながらも歩みは止めない。彼女らは彼女らで叶えたい願いがあったから。

「お願い、かぁ……『蒼』を手に入れたら、ずーっと獣兵衛様と一緒にいられるかなぁ」

 ルナの言葉につられるように、セナがそう言う。想像した世界の幸せさに頬を緩める彼へ、当たり前だとルナが言う。

「美味しいご飯も、たくさん食べられるかなぁ」

「当然だろ! 何でもだぞ! 豪華なお屋敷建てて、召使いに美味しいものた~くさん作らせて、そんでそんで毎日さ、獣兵衛様と一緒にのんびり暮らすんだ~」

 そんな世界が実現すればどんなに幸せだろう。子供らしい願いを口にし、そしてニッと口角を持ち上げる。

「そのためにも! 絶対見つけるぞ、イザナミとかっていう奴と『蒼』を!」

 ぐっと拳を握りしめ、高らかに宣言するルナ。それにのんびりと首肯し、だけど……とセナはまたも心配そうに眉尻を下げた。

 今度は何だと問いかけるルナに、セナは何か変じゃないか、と尋ね足を止めた。

「この街に飛ばされる前から感じてたんだけど……何となく、周りの雰囲気が、妙だなぁって」

 肉体を共有すれば、ある程度感情の変化なども流れ込んでくる。

 それはつまり、ルナがそれを薄々感じ取っていたことも、セナには分かっていた。

 ずっと、街に居る誰もが自身らを見ない。まるで自身らだけがこの世界から切り離されたかのように。それによる不安感はひどく、だからこそルナは考えないようにしていた。

「そんなの、た、たまたまだ。大体、こんなでかい街なんだから。知らない子供がひとりでうろついてたって、いちいち気に留めないって」

「そ、それはそうだけど……う~ん」

 イマイチ納得できない様子のセナに、考えていても埒(らち)が明かないし、それに今やるべきこととは関係ないからと無理矢理足を動かしだす。

 そうして人がまばらになってきた辺りで、ひと休みしようとした瞬間――。

 何かが、一直線に飛んでくる。それは見えた限りじゃ刃の形をしていて、高速で向かって来るそれに危機感を感じ、慌てて横に跳び躱す。

「うわぁぁあ!? な、何だいきなり!!」

「対象・確認……検索……照合。事象兵器『雷轟・無兆鈴』を所持。……事象兵器、見つけた」

 目の前に現れたのは、長い銀髪を三つ編みにした、少女だった。

 年はプラチナよりも上だろう。白いスーツに身を包み、腕や脚には硬い装甲を纏っている。

 顔には同じ白の単眼バイザー。機械的な台詞で話すその少女に、ルナが食ってかかった。

「おい、突然攻撃してきたのはお前か!」

「今、この子……『雷轟・無兆鈴』って言ってたよ? もしかして、僕達の杖が目的なんじゃないかなぁ」

 怒鳴るルナからくるりと一変、セナが落ち着いた口調で語りかけるも、逆にその内容はルナの怒りの火に油を注いだらしく、ふざけるなとルナが叫ぶ。

「これはルナ達が獣兵衛様からお預かりした大切なものなんだぞ! 誰がお前なんかに渡すもんか! ばーかばーか!!」

 煽るように罵倒の言葉を入れてそう言うルナに、俯き、肩を震わせる、少女は唇を動かす。

「……ニューの、邪魔するんだ」

 ニューというのは少女の名前だろう。

 自らを名で呼び、呟く言葉は短い。しかし、彼女らはその震えた声音から得体の知れない恐怖を感じ取り、微かに慌てた様子でセナがルナを宥めるように声をかける。

「る、ルナぁ~、この子なんだか怖いよ。アブナイ感じがするからあんまり関わらない方が……」

「知るか! 喧嘩売られて黙ってられるかっての! いいかセナ、舐められたら終わりだぞ」

 カッと目を見開いて、セナの制止を遮りルナが声をあげる。

 舐める舐めないなど、そんな理屈が通じる相手だとは到底思えなかったけれど、気の弱いセナはそれ以上の言葉を返せなかった。が。

「邪魔する奴は……死んで!!」

「うわわわわっ!? いきなり容赦なしかよ! あいつヤバイ、あいつヤッバイ!」

 無数の光の刃が射出され、プラチナを襲う。飛び、屈み、躱し、慌てるルナに、セナが「だから言ったじゃないか」と文句を垂れる。

「に、逃げるぞセナ!!」

 自身らが相手をできるとは思えないと踏んだのか、ルナが叫び、彼女らは踵を返して走り出す。

 その背を負うように、剣を射出しながらもニューが追いかける。

「逃がさな……」

 けれど。ふと立ち止まり、ニューは辺りを見回す。

 見失うような距離ではないはずだけれど、まるでプラチナが見えていないかのような素振りで、彼女は言葉を口にする。

「検索……検索、検索……反応、消失(ロスト)……どこに行ったの?」

 歯を噛み締め、彼女がひどく怒りを込めた声で呟き、そして次の瞬間には消える。

 その光景を見て、プラチナはそのグリーンの丸い目を尚更丸くした。

「あ、あれ? あいつどっか行っちゃったぞ?」

「僕達のこと、見失ったのかな? そんな距離でもなかったと思うんだけど……」

 若干の不安を覚えながら、彼女らは口々にそう言って、先までニューの居た方向を見つめ――。

 まぁいいか、と言ったのはルナだ。あんな危険そうな人物を相手にしていたら『蒼』どころではないのだから、とポジティブに考えて、進みだそうとする。

「さーて、気を取り直していくぞ! セ……あれ?」

 けれど。立ち止まり、彼女は首を傾ける。

 何かを、言おうとしたはずだった。多分それは大事なもので、当たり前に口にできたはずのものだった気がするのだけれど、それが何か思い出せなくて、彼女は眉根を寄せる。

 彼がそのおかしさに気付いてどうしたのかと問いかければ、彼女は僅かに震えた声音で――。

「いや……その、えっと……な、なあ、お前の名前って何だっけ」

 多分、自身の中のもう一人に話しかけたのは確実だった。思い出せないのは、その人物の名。尋ねる。間抜けな少年声が口から漏れた。

「僕の名前、忘れちゃったの? 冗談やめてよ~。僕は……」

 当たり前に呼ばれていたはずの名。忘れるわけがない。自身らは二人で一つ、ずっとここまでやってきたのだから、冗談だろうと思いながら、なのに、僕は……そう口にして、彼は言葉に詰まる。

「何だよ、さっさと教えろよ! 自分の名前だろ、まさか忘れちゃったなんてことないだろ!?」

「そ、そう言うそっちはどうなのさ! 自分の名前……覚えてるんだよね?」

 名前が出てこない事実を考えないように、問い詰める少女へと彼は話題の中心を逸らす。

 当たり前だ、と出した声は思ったよりもか細い。

「あ、あの……えっと……」

 嘘だろ、と彼女は呟いた。

 何故、何故自身は、思い出せないのだろう。

「僕の……名前……ひっ」

 それでも思い出そうとして、ふと彼が悲鳴をあげる。

 今度は何だ、不安から叫ぶ彼女に、恐怖に彩られた少年の声音が、ゆっくりと、紡ぐ。

「ねぇ……見て、僕達の身体……透けてない?」

 言われるままに、自身の身体を見下ろして、彼女は瞠目し声をあげた。彼の言葉通り、自身達の身体の向こう側が透けて見えるのだ。

 幽霊みたいだ、と彼女は思う。

「どうしよう……このまま僕達、消えちゃうのかな?」

 彼の悲しげな呟き。

 そんなのは嫌だ。まだ消えたくはない。やりたいことが沢山あるんだから、そんなことになってたまるものか、声を張り上げ、そして、彼女は行き交う誰の視線も感じぬまま、ふと思いついたものを口に出した。

「……そうだ『蒼』だ! 『蒼』はどんな願いでも叶えてくれるんだろ。だったらこの状況も、どうにかしてくれるんじゃないか!?」

「そ……そうだよね!」

 それは、先ほど聞いた『声』が言っていたものだ。それに僅かな希望を抱いて、彼女らは頷く。

 と同時、丁度よく身体が元に戻る。もう、向こう側が透けて見えることもない。

 それに少しだけ顔を明るくして、涙を目尻に滲ませながらも彼女らは今のうちだと、走りだす。

 

 

 

   6

 

「ここが第九階層都市『アキツ』か……」

 バングに案内されラグナが訪れたのは、旧イカルガ連邦、第九階層都市『アキツ』だった。

 一面の銀世界で、降り積もる雪を踏みしめ、彼らは進んで行く。

 階層都市は基本的に『窯』を使った環境維持施設により人の暮らしやすい気候を維持している。しかし、この都市はその窯が破壊されているため環境の維持がままならぬ状態のまま一年以上も経過している。

 そして、その窯を破壊したのは以前の『死神』ラグナ=ザ=ブラッドエッジだ。

(確か、あの時レリウスは世界中の窯を同時に開いたはずだ……だが、ここの窯からは何も感じない……)

 身体を抱き擦っていた腕を緩め、顎に親指と人差し指を添える。黒いグローブの冷たさも気にせず、ラグナはアキツの景色を見据え考え込む。

 何も感じないといえば、あのときは記憶がなかったとはいえ、カグツチのときもニューが出てくるまで同じだった。クシナダの楔により魔素が止められているというわけでもない。ならば、一体どういうことなのか。

「……ラグナ殿?」

 黙り込むラグナを不審に思って、バングが顔を覗きこもうとした瞬間だった。

「悪ぃ、ちょっと確かめたい事ができた。ここからは別行動にさせてもらうぜ」

「ら、ラグナ殿!?」

 顔を上げ、言うや否やラグナは駆けて行く。

 驚き、そして理解したバングが呼び止めようとしたときには既にラグナの背は遠く見えていた。

「……行ってしまわれたか。あの傷で無茶をしなければ良いのだが……」

 

 

 

 

 思い出したばかりの記憶を辿り、ラグナは窯へと着く。

 破壊され、動く様子のない窯を見て、ラグナはやはりか、と頷いた。

「……やっぱり、起動した形跡はねぇか。魔素の流れも感じねぇし……ナインの仕業か」

 面倒なことをして、とラグナは舌を打った。それから辺りを改めて見回し、すっと目を細める。

「……しかし、ここは懐かしいな。俺が破壊した時のまま、か」

 ここだけではない。他の場所でも彼は、窯を破壊した。境界に繋がる窯の中で精錬される『あれ』を破壊するために。

 自身の行動を悔いるつもりはない。自身は自身の目的があり、そうしたのだ。それが世界にどう影響しようと、多少申し訳なさこそあれど、構わないと思っていた。

 彼が師匠と呼ぶ人物の元で修業を終えた後も、師匠と同様に窯を破壊することを続けてきた。

 窯があれば、あれが――素体が精錬される。

 大切な妹であり『あの日』攫われたサヤのクローンが作り続けられる。

 だから破壊した。そこに眠る『成り損ない』と一緒に。

「あの頃は、あいつのことを助けられると思ってた。けど、やっぱりサヤは倒すしかないのか?」

「ほう……先客か」

 ラグナが呟いた直後だった。誰かの声が部屋に木霊(こだま)する。

 目を見開いて、ラグナは勢いよく振り向く。

「それも、客が貴様だとはな……『蒼の男』」

「テメェは……レリウス=クローバー!」

 名を呼べば、その人物――レリウスは、興味深そうに声を漏らす。

 レリウスには、ラグナの反応がとても意外だった。

 瞬時に自身を判別できるというのが、とても。

「何故だ? 何故、貴様は私が解る?」

 資格者でない彼が何故、この世界で自我を、それも、非常に判然とした形で保つことができるのか。

 彼、ラグナの『観測者』であるレイチェル=アルカードは既に傍観者としての力を失いつつある。これほど因果律の重い者を、その状態で観測し続けるのは不可能に近く、ならば何か別の要因があるのか。

 顎に手を添えるレリウスを見て、やけに冷静に、けれど胡乱げな目で見つめラグナは問う。

「テメェこそ、他の連中とは違うんだな」

 記憶も意識もはっきりしているし、それに……『この世界』のことが自身よりもずっと見えているようだ。

「テメェ、ここの事情に詳しそうじゃねぇか。何がどうなってんのか、説明してもら……」

「マスターユニットの望みか……? あるいはイザナミが無意識に具現化させているのか。それとも……否、その可能性は。ともかく、だとすればこの男をどこまで本物と定義するべきか」

「おいテメェ、相変わらず人の話聞かねぇな!?」

 自身が興味のあること以外、全く人の話を聞かない、そんな自己中心的な部分が全く変わっていないレリウスに、思わずラグナは声をあげていた。

「これだけのイレギュラーを引き起こしながらも、精神状態は悪くない。ふむ……現状では判断材料が足りないか。少し検証が必要だな……」

 レリウスの物言いに、ラグナは露骨に眉を顰めた。

 誰も彼も、全てが実験の道具だとでも思っているような口ぶりが胸糞悪く、ひどくラグナを苛立たせたのだ。

「チッ……ふざけんな!」

 怒りのままに、ラグナが剣を抜き駆け、構える動作もなく無茶苦茶に剣を振り下ろす。

 攻撃は重い。しかし、大振りの攻撃は見切りやすく、レリウスが指を鳴らした途端現れる、赤紫の機械人形が腕で受け止めた。

 攻撃が止められたことを理解すればすぐさま飛び退き、ラグナはレリウスを睨み付ける。

「もしもこれが本物なら……無駄にはなるまい。試してみるとしよう」

「んの野郎……っ」

 レリウスは全くもってその攻撃に脅威を感じていない様子で、ただただ観察するようにラグナを見据える。それが気に食わず、ラグナが再び駆けた。

「うおらぁ!」

「……行け、イグニス」

 剣を振りかざすラグナに向けてレリウスが指を差し命じれば、機械人形――イグニスはラグナへと突進する。

 硬く長い爪を伸ばし、刺突しようとしたイグニスに、ラグナは咄嗟のところで横に飛んで躱す。少しだけ間に合わず、腕を掠め熱と赤色が滲む。

 しかし破れた服の隙間から覗く肌はすぐに再生を開始する。魔道書による力だ。

「反応も十分。魔道書にも異常はなさそうだ……ふむ、やはり」

「その観察するような態度をやめろって言ってんだよ!!」

 レリウスの口角が、微かに持ち上がる。

 彼の態度がいつまで経ってもその調子なのにラグナが怒鳴るも、それをレリウスはどうでもいいもののように無視して、口を開く。

「……模倣品かと思ったが……もしかしたら本当に、貴様は『蒼炎の書』となり得るかもしれない。『あの少女』がいるこの世界で、それがどうなるのか……」

「俺が、何だって?」

 自身が、何だと言ったのか。

 レリウスの言葉は、ラグナには理解ができなかった。

「だとしたら……ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。貴様がイザナミを倒せ」

 問いへの答えはない。代わりに言われた一言は、冥王イザナミ……彼の妹、サヤを倒せというもの。

 言われなくてもそのつもりだった。

 けれど、言われればそれに何か理由があるのではと疑うのは自然なことだった。

 ナインも、レリウスも。一体何なのだろう、とラグナは思う。

 自身は『資格者』というものではないはずなのに、どうして自身にイザナミを倒せと言うのか。

「俺がイザナミを倒したらなんだって言うんだよ」

 問いかける。黙り込むレリウスに、ますます眉根を寄せて、ラグナが再び言葉を紡ごうと口を開きかけた瞬間だった。

「倒せば分かる。寧ろ、倒さねば分かるまい。私は……できればその瞬間を『観測』したい」

 答えになっているのか、よく分からない答えだった。

 けれど、勝手な要求であるということだけは分かって、ラグナは舌を打った。

「イザナミはイブキド跡地……アマテラスの袂にいる」

 期待していると、そう付け足してレリウスはくるりと踵を返す。歩きだす彼に続くようにしてイグニスも去って行く。赤紫のマントを翻すその背中に、ラグナが待てと声をかけるも、やはり待つことはない。

「……それにしても、何だ、だいぶ思い出してきたってのに……まだ、何か肝心なことを思い出せてねぇ気がする」

 頭の中が霞がかったように、上手く思い出せない。

 冥王イザナミ。それを倒すために、何かが必要だった気がするのだけれど――。

「今は動くしかねぇな。じっとしてたって、誰かが教えてくれるわけじゃねぇ……」


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