POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

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第十四章 紫者の夜

 

 

「また揺れた……敵は一体、どこまで侵攻しているの……?」

 震える声で、ノエルは呟く。

 敵の目的は、やはり窯なのだろうかと。そうであれば大変だ。

 窯についてノエルは詳しく知っているわけではないが、統制機構の地下にある窯が、階層都市の環境維持に使われていることくらいは知っていた。もしそれが破壊されれば、前に死神が窯を破壊した階層都市のように、人が住める環境ではなくなってしまう。

 そんなことはさせないと、彼女は走り出そうと足に力を入れ――違和感に、視線を落とす。

「え、嘘……」

 そして、目を見開く。

 自身の周りの床に罅が入り、今にも床が抜けそうだった。否、抜けそうではなく。――抜ける。

 彼女が呟いた直後、床に一際大きな罅がはしり――鈍く割れる音を立てて、彼女ごと床が落ちた。響く悲鳴。落下する速度はだんだんと増していく。

 そして最後、ノエルの身体が強く打ち付けられると共に、その意識はぷつりと途切れた。

 

 

 

 時折やって来る地面の揺れにぎゅっと目を瞑り、少女は目の前の彼らにゆっくりと着いて行く。

 向かう先は統制機構の機密区域――地下の窯だ。

 人の出払った支部内を歩き、階段を少しだけ急ぎ足に駆け下りる。

「こっちだ」

 案内されるままに進み扉を開ければ、見下ろす先に閉じた窯。高めに作られた柵に手をかけ、ハザマは後ろを着いて来た少女が扉を閉めるのを見届けると、自身の手首に視線を移す。

「そろそろ、来る頃でしょうか」

 聞いていた話では間もなく。腕時計を見つめ呟く。針の動きを見つめ、ニィと笑みを浮かべた。

 砲撃の音は既に止んでいた。侵入者が『彼』であるなら、衛士達が倒れたのだろう。足音がして、男は静かに窯を見下ろした。

 響く、男の声と足音。見下ろす彼らには聞き慣れた声だった。

「……上と違って、この辺は随分と静かだな」

 辺りを見回すように首を振りながら進む男。白髪に赤いジャケット、腰には大剣を携えたその人物は、正しく『死神』ラグナ=ザ=ブラッドエッジだった。

 やがて少し進んだところで、ラグナは驚きに声をあげる。彼の視線の先には、窯。翼のような彫像が幾重にも重なることで蓋となり、閉じた『繭』のような窯。

 最初、ラグナはそれが何か分からなかった。ただ、嫌な感覚がして、その後にここが地下であることと、先の衛士の言葉を思い出し、答えを出す。

「まさか……これが『窯』とかいうやつか……?」

 口にした途端、頭にノイズ混じりの記憶が流れる。そうだ、ここは。ここで自身は――。

 思い出す前に、視界の端に何かを捉えて、ラグナは思わずそちらを見、また目を瞠る。そこには、先の女衛士が倒れていたのだから。呻く声が聞こえ、まだ息はあることが窺えるが、何故こんな所で寝ているのか。馬鹿なのだろうか。胸の内でそう呟きながら、心配に近寄ろうとするラグナ。

「――――ッ!?」

 けれど、その前に立ち塞がる人物が居た。

 白い鎧を纏った、背の高い人物だ。顔は目の穴すらない面に覆われ表情は分からないが、肩など身体中についた赤い目のいくつかが、ぎょろりとラグナを睨み付けていた。

「来たか……黒き者よ」

 突然現れたというのに、まるで待っていたかのような台詞。それに疑問を覚えながらも、ラグナは自身の呼び名の方が気になって、眉根を寄せる。

 黒き者。蒼と何度も呼ばれてきたのに、今度は黒か。もうそういうのはうんざりだった。

 よくは分からないが、この鎧も、統制機構か第七機関なのだろうか。それとも、先ほど騒がれていた侵入者なのだろうか。

 一体何なのだと問えば、鎧は静かに声を放つ。

「……我が名はハクメン」

 ハクメン。やけに聞き覚えのある名だとラグナは思う。どこかで聞いたはずなのだけれど、どこだっただろうか。思えば、頭の中にまた流れてくる記憶。けれど前と同じく霞がかったみたいになかなか肝心なところまで辿り着けない。

「ぐ……おい、お面野郎。テメェも俺を知ってるのか?」

 先ほど知ったふうな口を利いていたから、知っているのだろう。

 もしかしたら時折流れ込む記憶より、明確かつ的確に自身のことを教えてもらえるかもしれない。そう思ってラグナは問いかけた。戦意は見せず、ただ純粋に乞う。けれど、目の前のハクメンは応えない。黙り込む白の鎧に眉根を寄せ、舌を打つ。

「無視かよ。何とか言ったらどうなん――」

「如何した。震えている様に見えるぞ……『死神』」

 ラグナは間抜けた声をあげる。震えてなどいなかったのに、応えないと思えばハクメンはそう言うのだから。ラグナには訳が分からなかった。

 けれど、記憶がラグナに告げている。この言葉は、彼の名と同じようにどこかで聞いたことがあると。どこであったか思い出そうとすれば、またも記憶が流れ出す。これで何度目だろう。鈍く痛む頭を抑えて、どうなっているのだと呻く。

「其れが恐怖だ『死神』。貴様の中に眠る『モノ』が、私に戦慄する」

 ラグナの言葉には一向に反応を示さぬまま、尚もハクメンは言葉を紡ぐ。

 話を聞かぬ彼に、だんだんとラグナは苛立ちを覚えていった。『死神』だとか『蒼』だとか、分からぬ言葉ばかりを押し付けられるのも、ラグナはもううんざりだった。

 相手が自身を死神と呼ぶなら、上等だ。だったら暴れてやろう。訳も分からぬうちに殺されてたまるものか。

 吐き捨て、ラグナは大剣の柄を握り締める。

 そんな彼の頭の中に、声が響く。それは、目の前に立つハクメンのそれと同じものでありながら、纏う空気は別物だった。

「記憶をなぞる……成程、予定調和か。黒き者よ、己が産み出し恐怖に打ち勝ち、現在の貴様の力、其の存在を証明して見せよ」

 雰囲気の違いに、思わず誰だと叫ぶ。振り向く先には誰も居ない。前方には、ハクメンが立つのみ。

「如何した? 黒き者よ、参るぞ……」

「待てよ、どういう事だ。今の声……テメェは」

 言うハクメンの声。しかし先の声が気になってラグナは制止を呼びかける。けれどやはり人の話は聞かず、ハクメンは大太刀を構え、地を蹴り、大太刀を振り下ろした。

 咄嗟に大剣で受け止めるが、ひどく重い。

 押され、引き摺るように足が下がる。

「貴様の剣はその程度か、『死神』」

 ぎり、と歯を噛み締めるラグナを煽るように、ハクメンが囁く。

 その程度か。ならば終わりだと。

 一度身を引き、再度駆けるハクメンを躱し、ラグナは後ずさる。それを肩の目で見て、ハクメンは静かに問う。逃げるつもりかと。

 逃がさない、そう言う彼に、ラグナは眉を持ち上げる。逃げるために来たのではない。ふざけるな、と。

「俺は、逃げるためにここに来たんじゃ……ねぇんだよ!!」

 振られるハクメンの剣を剣で押さえ、叫んだ瞬間だった。ラグナは思わず驚く。

 身体から、力が湧いてくるのだ。ハクメンもまた驚愕したように声をあげる。

 ――『蒼の魔道書』。

 その名を聞いて、これがそうなのか、と思いながら――ラグナは確信する。これならば、いけると。目の前の鎧に打ち勝つことができると。

「ふっ……面白い。為らば来るが良い、黒き者よ」

 そうして、ハクメンは笑い、誘う。名乗りを上げ、叫ぶラグナを前に剣を握り直し――。

 互いに、駆けた。

 

 

 

「う……んん……」

 鈍い身体の痛みに、ノエルはやがて目を覚ました。

 ひんやりとした床に手をついて上体を起こしながら、何をしていたのかと思い出す。

 侵入者を追っていたら、突然床が抜け、それで――。

 思い出し、目を見開く。首を振って辺りを見回した。見知らぬ場所だったからだ。そして、視線の先にある『もの』を見て、彼女は顔を強張らせる。

 窯であった。

「何、これ……支部の地下にこんなものがあるなんて」

 最初、ノエルはそれが何か分からなかった。けれど何だか寒気がして、腕を抱く。もしかして、これが侵入者の目的と言われていた窯なのだろうか。考えると同時に、カグツチに向かっていたときと同じ既視感が浮上してきて、彼女は眉尻を垂れた。見たことはあるはずなのに、どこで見たのかが思い出せなかった。

 不意に、少し離れた場所で金属音が鳴り響く。

 何事だと視線を向けた先に居たのは――。

「あれは……死神!? そんな、牢に居たはずなのに。どうしてこんなところで……それに、死神と戦ってるのは、白い鎧……?」

 目の前で繰り広げられる戦いは凄まじく、目で追うのがやっと。

 切り結ぶ刃の数々。その一撃はどれも重く、しかしそれらを捌きながら、彼らは何度も地を蹴った。

 その光景を見て、ノエルは信じられないといった様子で声をあげた。

 死神は多重拘束陣により動けなかったはずだ。しかしここに居るという事実に混乱する。

 それに、死神と対峙する白い鎧の人物。その太刀筋には迷いがなく、一目で強者だと分かる。けれど見たことも聞いたこともない人物だ。

 あの鎧が、侵入者なのだろうか。ならば何故死神は、同じ賊であるはずの侵入者と戦っているのだろうか。分からないことばかりでノエルはどうすればいいのか悩んだけれど、すぐにハッとして首を振る。

 とにかく、あの二人を捕まえなければならない。

「……え?」

 決意し、立ち上がった矢先。地面が、空気が、魔素が揺れる。

 閉じていた窯が、ゆっくりと動き出すのが見えた。いくつもの扉が開くと同時に、暖色の光が頬を照らす。そして、光の中から、何かが現れる。

 悠々とした速度で出てくるのは――少女だった。

 長い銀髪を三つ編みにしたその少女は、ゆっくりと降下し、ノエルの前でひたりと足をつける。

 目を伏せた少女の顔はまるで人形のように愛らしく精巧な作りをしていた。が、その姿に言い知れない恐怖をノエルは感じて、気付けば問いかけていた。

「な……何? 誰、なの……?」

 赤い眼帯と、白いケープを装着した少女。彼女は瞼を伏せたまま、静かに口にする。

「起動・起動・起動……」

 まるで機械じみた台詞を紡ぐ声は見た目相応の幼さがあるのに、同時に氷のような冷ややかさを含んでいて、それ以上に、聞き慣れたもののようにノエルの耳に馴染む。

 銀の睫毛に縁どられた瞼が持ち上がり、覗く瞳は暗い紅玉の色。

「……対象を確認」

 銀髪の少女はノエルの存在を認識すると、見据え、またふっくらとした唇を動かす。

「対象・照合。対象を次元境界接触用素体と認識……存在の説明を求む」

「次元境界……? 貴女、何の話を――」

 少女の言葉はノエルに向けられたものだ。けれどノエルには何の話か分からなくて、問い返そうとして――。

 痛む頭に、知らないはずの記憶が流れ込む。

「あ……あ、あぁぁぁあ……」

 知らない。知っていていいはずがない。なのに、思い出せと脳が告げてくる。

 知っている。彼女を、ノエルは知っていた。

「嘘、でも……そんなはず。貴女は、誰……なの?」

 頭が割れそうだった。頭を抱えて、少女は首を振る記憶が、映像が次々と流れ込み、彼女の頬を涙が伝う。流れてくる記憶全てを認識した瞬間。意識がふわふわとして、情報に掻き消える。

「……対象を確認。休止状態を解除。準戦闘モードへ移行」

 ぼうっと佇むノエルの瞳に光はなかった。

 紡ぐ声は、銀髪の少女と同じどこか機械的なものだった。

「存在……私・私。次元境界接触用素体ナンバーテュエルブ。対三輝神用コアユニット『ミュー』」

「対象、照合。同一体と認識。存在・次元境界接触用素体ナンバーサーティーン。対三輝神用コアユニット『ニュー』」

 ノエル――否、ミュー・テュエルブと、ニュー・サーティーンは同じモデルをベースとした素体だ。彼女達は違う個体でありながら、同一体でもある。

「貴女は私……そう、私は貴女……」

「エラー。対象を不正同一存在と認識。速やかな自壊を勧告する」

 けれど、それをニューは認めなかったのだろう。眉根を微かに寄せ、彼女が消えることを望んだ。首を振る代わりに、ミューは告げる。

「勧告を拒否。存在の存続を最優先させる」

 ミューは自身が壊れることを認めない。自身の存在を守ることを優先すると告げた彼女を見て、ニューは口を開く。

「ムラクモ・起動」

 告げた瞬間、ニューの後ろには巨大な剣が光を纏って現れる。ニューが纏ったケープを取り払い、腕を広げ浮かび上がる。少女は一瞬だけ白い光に包まれた。

 直後、少女に吸い込まれるようにして光が消え去った瞬間。そこに浮かぶ少女は、白い装甲に身を包んでいた。

 背後に浮かんだ八本の光の剣が、翼のように広がり、鎌首を擡げる。

「敵対行動を確認、防衛プログラム起動……」

 見据えるミューもまた、白い双銃を両手に取り告げ、彼女らは口にする。

 ――対象の殲滅を開始します。

「やれやれ……ようやく始まりましたか」

 黒いハットを被った頭に手を当て、彼女らを見下ろすハザマが呟く。ここまでは聞いていた通りですねと、話しかける先に居るのはフードを目深に被った男、テルミだ。

 テルミからの返事はなく、問いかけるも舌を打つのみ。

 彼らを見て、ユリシアは何か、大事なことを忘れている気がすると――首を傾けた。

 

 

 

「対象の戦闘能力低下を確認。存在を破壊し…………あ、れ?」

 射出される剣と、狙った空間を確実に捉える魔銃。

 戦闘に勝利したのは、ミューであった。彼女は静かに、撃たれ伏す少女を見下ろし、銃を向けようとして、そこでハッと正気付く。瞳に光が宿り、不安に眉尻が垂れる。

 ノエルとしての意識が戻ったのだ。

「私……今、何を言って……。これ、私がやったの……?」

 装甲は微かに焦げ付き、身体を覆うスーツは破れ。地面に倒れるニューを見下ろし、彼女は信じられない様子で確かめるように呟く。応える声こそないが、その光景と、自身が手に持った銃、そして身体が覚えている戦闘の記憶がそうなのだと告げていた。

「そんな……貴女は、誰なの」

 何度目かの同じ問い。

 自身があんな風になった原因とも言える少女を見て、彼女は悲しげに問いかけた。

 あるはずのない別の世界の記憶が、かつてのニューの言葉を、ノエルに告げる。貴女は、自身だと。

「違う……!!」

 大きく首を横に振る。

 ノエルは俯くと、自身に言い聞かせるように、声を絞り出した。

 自身は『ノエル=ヴァーミリオン』であり、『ノエル』の周りにはツバキやマコトがいて、他にも友と呼べる存在がいて。血は繋がっていなくても父と母がいて、皆と一緒にいる。それが『ノエル』なのだと。

「……そう。私はこんな風に、普通の『ノエル』でいたかった」

 普通でいることが叶わなくても、自身は自身だと。

「私は『私』。『貴女』じゃない」

 言い聞かせるように、そして彼女に語りかけるように彼女は囁き、目を伏せる。

 だから、ノエルはこれ以上の戦いを望まないと。

 けれど、ゆっくりと身を起こす少女は地を見つめながら紡ぐ声には、凄まじい憎悪が籠められていた。

「対象、危険・危険・危険。不正同一体の排除を最優先する……!」

 彼女を、自身と近いのに全くの考えを持つ偽物を消すために、ニューは腕を掲げ、振り下ろす。

 追従するように、光の剣が彼女に向けて射出される。間一髪で躱して、ノエルは腕を抱き制止を呼びかけた。

「お願い、やめて……! 貴女は私じゃない、だからもう、戦わなくていいの!」

 ニューの心が、迷いのない剣から伝わってくるようだ。

 懇願するようなノエルの言葉を、心を、ニューは否定する。

「対象内部のエラー増大。攻撃続行。攻撃・攻撃……」

「お願い、話を聞いて……っ」

 尚も攻撃を続行するニュー。その声は冷たくありながらも、身を焦がすほどの憎しみの熱が存在していた。射出される複数の剣を次々に打ち落とすも捌ききれず、数本が僅かに身体を掠める。痛みと熱さがはしって、銃を握ったまま傷口を押さえた。

 呻く少女をバイザー越しに見つめて、彼女は両腕を掲げる。

「対象を、破壊します」

 両手の上に魔素が集まり、みるみるうちに巨大な剣を形作っていく。

 それを見てノエルは痛みを覚悟し、強く目を瞑った。

 

 

 

「危ねぇ……何とか間に合ったか」

「……え?」

 金属音が鳴り響く。痛みは襲って来ない。恐る恐る、ノエルが目を開ける。赤い背中が見えた。

 この光景は二度目だ。前は確か下層の下水処理施設で――。

「ったく、あのお面野郎はいきなり消えちまうし、こっちはいつの間にか死にかけてるし……どうなってんだ」

「貴方……『死神』なの? どうして……」

 死神。彼が何故自身を助けるのかノエルには分からなかった。

 けれど死神はノエルの疑問には答えず、代わりに彼は眼球だけを動かしてノエルを見ると、どこか苛立ったような声で言葉を紡いだ。

「つーかテメェ、今死んでも仕方ねぇって思っただろ」

「え……あ……わた、私……」

 グリーンの左目に睨まれて、同じ色の両目で彼を戸惑いに見つめる。

 どうして助けてくれたのだろう。どうして分かったのだろう。どうして、こんな自分を。

 返事のできないノエルに曖昧な声をあげて、ラグナは頭を掻く。そして前に顔を向けると、ノエルを庇うように剣を構えた。

「まぁいいわ。……あとは俺がやるから、下がっててくれ」

「は……はいっ」

 意外だった。てっきり自分も戦うものだとばかり思っていたから、彼の台詞に少しだけ迷って、それから大きく頷くと彼女はくるりと体を回して逃げるように駆けて行く。

 響く足音がだんだん離れていくのを聞いて、ラグナは目の前の少女を改めて睨み付ける。

 少女はノエルが逃げるのを待っていたわけではない。ただ乱入者の気配に、ぶつぶつと何かを呟いていた。けれどやっと顔を上げて、ラグナを認識する。

「……誰かと思ったら、ラグナだぁ~。アハハ、久しぶりだね! ――四回目、だっけ?」

 先ほどまでの唸るように低く冷たい声とは一変し、甘く媚びるような歓喜の声。それが同じ人物の声帯から出たものだと理解するのに、彼らは少しだけ時間を要した。

「四回目? いや、三回目……違うな、最後は確か――……『最後』だと?」

 ラグナには、笑む少女の言葉が指すところを理解できなかった。けれど、自然と口はその言葉を紡いでいた。

 思わず眉根を寄せる。ラグナは、自分でも何を言っているのか分からなかった。なのに何故このやり取りを知っていて、口にしていたのか。何故、どこでそれを知ったのだろう。ラグナはその顔を俯かせ、片手を顎に添え呟いた。

「ん? ラグナ……? 俺の名前は『ラグナ』なのか? おい、お前……」

 が、もう一つ気になることがあって、すぐに顔を持ち上げる。だらりと剣を下げ問うのは自身の名についてだ。

 その名を聞くのは二度目のはず。彼を『ラグナ』と呼ぶ少女に、確かめるように尋ねるけれど、少女はまるで別の音を聞いたかのように、にっこりと口許に三日月を描いた。

「ラグナぁ、どうしたの? ねぇねぇ、ほら前みたいに殺し合おう、やり合おう! そして融け合うの……」

 まるで抱擁でも求めるかのように両腕を大きく広げ、彼女は誘うように言葉を紡ぐ。

 蜂蜜のようにどろりと粘っこく甘い声は、ラグナと何度もそうしたことがあるとでも言うのだろうか『前のように』などと言う。

「嬉しいな。ラグナなら、きっとまたニューを殺しに来てくれると思った!」

 弾む声と、単眼のバイザー下から覗く紅潮した頬。自身が殺されるのを楽しみにしているとでも言うかのように紡がれる台詞。

 それに驚きと苛立ちと悲しみの三つがない混ぜになったような釈然としない気持ちを抱えて、ラグナは黙り込んでしまう。自身の誘いに乗らない彼に、どうして向かって来ないの、と少女は問いかける。

「ラグナはニューを殺しに来たんでしょ? そのためにここに来たんでしょ? その剣でニューを殺すために……」

「うるせぇ! その顔で……って、俺は……」

 ニューの言葉を遮るようにして、ラグナは溢れるままに声を荒げる。頭の中にまた流れてくる映像は、今度は目の前の少女と――。

 そこに映るニューは幸せそうに笑っていたけれど、同時に苦しそうであったから。

「……テメェを殺しにだと? いや……違う……」

 首を振り、ラグナは真っ直ぐにニューを見つめる。少女はラグナの視線に首を傾け、言葉を待つ。その口許に刻まれていた笑みは、今や真一文字となっていた。

「殺しにじゃねえ。壊しにでもねえ。俺はテメェを……『助ける』ために来たんだ」

「……なにそれ。つまんない」

 顔を俯けて、呟く。興味のないおもちゃを与えられた子供のように、ひどく退屈そうに呟いて、ニューは溜息を吐く。

「くだらない。どいつもこいつも……」

「あぁ?」

 思わず問い返すと、ゆっくりとニューは顔を持ち上げだしながら、尚も言葉を繰り返した。

 くだらない。くだらない。くだらない。――くだらない。

 静かで悲しげに、それでいて叩き付けるように強い語調でニューはラグナを糾弾した。

 揺らめく翼のような八本の刃が、俯くニューと対照的に鎌首を擡げ、ラグナに照準を定める。

「どうして。どうしてニューを殺さないの? 本当にくだらない、何も理解してない!!」

 反抗期の子供のような素振りで、首を大きく横に振り分かっていないと叫ぶ少女にラグナは首を僅かばかり傾ける。自身が何を理解していないと言われているのかすら、ラグナには分からなかった。

「俺が何を理解してねぇって?」

 思わずその疑問を口にすれば、顔を俯けたまま少女は上目にラグナを見る。

 けれどいつまで経っても話し始めることのない彼女。何か返事を返せと呼びかけようとして、その声が紡がれることはなかった。

 ラグナが口を開くのを遮るようにして、ふっくらとした唇を開き彼女は語り出す。

「人が如何に不完全か――」

 そう前置いて、少女はラグナを冷たく見つめる。

「自分以外の全ての存在は『自己の認める基準』に過ぎない。人は他者を壊し、殺し、奪う。自己を認識するために、他の存在を否定する。不完全だからこそ……人は奪い、憎しみ、争う」

 先までラグナに向けていた蜂蜜のようなそれの代わりに、訥々と語る声はガラスでできた刃のように冷たかった。

 黙り込んでその言葉を聞き、ラグナはやっとニューの言わんとしていることを理解し始める。

「ニューには分かるの。だって、ニューは『兵器』として造られたから。……ラグナもそうでしょ? ニューと同じだもの。だからラグナも、ニューを否定す……」

「違うな」

 今度は、ラグナがニューの言葉を遮る。語るにつれてまた笑みを浮かべていったニューの唇は、再び真一文字に結ばれた。

「テメェの言うことも分からなくはねぇ。だけど、それは絶対に人の本質じゃねぇよ」

 ラグナが自身の言葉を否定するなんてニューは考えていなかったし、ましてや自身の言葉を剣ではなく言葉で遮るなんて思っていなくて。表情こそ無表情だったけれど、内部ではひどく困惑していた。

 黙り込むニューに、ラグナは続ける。

「人間ってやつは確かに不完全だ。誰もがどこか欠けてるし、それを補い合うために他人がいる。そこはお前の言った通りだろう」

 自身の欠けた部分はここなのだと主張し、誰かに理解して欲しくて、乞い、願う。

 その欠けて補い合った部分は必ずしも合うとは限らない。だから衝突することだってある。

 だけれど、そこにあるのは憎しみとも否定とも違う。拒絶ではなく、願望。少しばかり誤解が生まれただけの、願望だ。

「……それは『助けを求めている』今のお前と同じだ。だから俺は、お前を否定しない」

 一通り語られたラグナの言葉。

 暫しの沈黙が、ごうごうと燃える窯に照らされながら浮き上がる。互いの息の音だけが、静寂を支配していた。それも、すぐに終わることとなったが。

「……『アンタ』誰?」

 ニューがラグナに問いかける。

 先ほどまで彼の名を愛しそうに呼んでいた少女は、警戒するように一歩足を後ろに退いて。

 問いに、ラグナは短く息を吐いて剣を握り締めた。

「誰でもいいよ。俺は俺だ。……ったく、ぎゃーぎゃー喚きながら殺すだの殺さねぇだの……」

 少しばかり呆れたようにそう言って、ラグナは握った剣を手前に引き寄せ、真っ直ぐに構える。胸を張り真っ直ぐにニューを見つめ、彼は告げる。

「テメェが殺し合いをしたいんなら、全力でかかってきやがれ。……俺が『助けてやる』よ」

「ッ……ラグ、ナアアァァ!!」

 挑発するかのような声音の彼に、一瞬言葉に詰まって、すぐに彼女はその名を叫んだ。

 愛しいはずなのに、憎しみを抱いたかのように。歯を剥いて声を張り上げた。掲げる手、その真上には、再び光の刃が現れる。

 射出。それをラグナが剣で弾いているうちに飛びかかり、背に浮かべた刃の半分を前に押し出し攻撃、剣を翻し防御。押し合い、その状態でもう半分の刃をラグナの頭めがけ射出。

 一瞬、驚いた顔をするもラグナは慣れたように右手を構え、吹き出す魔素を握った大剣に纏わせる。それは大きな闇色の刃を大剣から作り出し、まるで死神の大鎌のようなフォルムを生み出す。ラグナが、射出された剣を少女ごと振り払う。

 飛ばされるニューの身体は向こう側の壁に叩き付けられ、濁った悲鳴がニューの口から吐き出された。砂塵が舞う。

 倒したか、と思えばそうではなく、収まりかけた砂煙の中からニューは現れる。

 ――一瞬、消える。気付けばすぐ頭上に現れ、鋭利な装甲がついた脚を真っ直ぐに伸ばし、頭めがけて蹴りを落とす。横に跳躍し、躱(かわ)す。

 対象を失ったニューの足は地に叩き付けられ、地面に罅を作るも、すぐにニューもまた飛び、背後に赤い光の術式陣を無数に浮かべる。次々に現れ、弾丸のように射出される光の剣。

「すごい……」

 そう漏らしたのはノエルであったか、上から見つめるユリシアであったか。

 飛び、切り結び、攻撃を弾き、攻めに転じる。最初から最後まで互角、どっちつかずの戦闘に終止符を打ったのは、向かって来た彼女の隙をついたラグナの大剣による攻撃だった。

 腰に剣を叩き付けられ、地に伏せる彼女。

「ぁぐ……っ」

「……聞いていた話と、違いません?」

 見下ろしながら、ハザマがふと後ろに向けて問いかける。そこに居るのは無言で佇むテルミだ。問いを受けて尚、彼は反応を示さない。柔和な笑みを顔に貼りつけたまま、ハザマはまぁいいだろうと頷き、視線を下へと戻す。

「嘘だ……」

 地に伏せたまま呟き、ゆっくりと身を起こしだす。信じられないと言った様子で、何度も「嘘だ」と呟き、彼女は地を見つめていた。

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……こんなはず、ラグナがこんなに強いはず……有り得ない……これが本当の、ラグナの力なの……?」

 誰に向けるわけでもなく、膝をついたまま疑問を並べる彼女の元へ『彼』は歩み寄る。

 悲しげな、そして驚いたような、ひどく曖昧な表情を浮かべる彼女へ。

「……ったく、このじゃじゃ馬が」

「ッ!? ラグ――」

 聞き慣れた男の声に、勢いよく顔を上げる。何か言おうとした彼女の言葉は、最後まで紡がれない。代わりに間抜けた声だけが漏れる。片膝をつき手を差し伸べる男の姿が目の前にあって、その意外性に言葉を失ったのだ。

「……立てるか?」

「どう、して……ラグナ?」

 どうして。どうして、自身を助けるのか。

 問う少女。装着していたバイザーが、カシャンと音を立てて床に転がる。床につけていた手は、まるで逃げるように引っ込められた。

「……さぁな。俺もよく分からねぇよ」

 問いにラグナはぶっきらぼうに答える。それから視線を落としたり、横に泳がしたりして、言葉に詰まった。けれどニューは待っていたのか、それとも放心していたのか口を挟むことはなく。

 やがて言葉を見つけたらしいラグナが、へらっと覇気のない笑みを浮かべて眉尻を下げ、

「けど、テメェとは初めて会った気がしねぇ。放っておけない……そう思ったんだよ」

「……意味分かんない」

「分からなくて結構。俺もよくは分かってねぇしな。とりあえず、ここから離れるぞ」

 ラグナの左右色違いの瞳を見据え、冷たく一蹴する少女。苦笑し、ラグナは尚も手を差し伸べたまま気遣うようにそう言うけれど。

「……どうして」

 再度、問うニュー。

 またかと思いながらラグナが言葉を紡ぐより先に、間髪入れずにニューは言葉を続けた。

「どうして、何のために『助ける』の? ……『ラグナ』。貴方は何を望むの?」

 やけに、彼女の唇の動きが遅く見えた気がした。

 その声が最後まで言葉を紡いだ瞬間だった。

 地面が、揺れる。ぐにゃぐにゃと揺らめき、その揺れはやがて壁までも浸蝕する。まるで、空間が歪んだみたいだ。否、その景色の歪みは正しく空間の歪みであった。

「なん――」

 驚きに目を見開くのは、何もラグナだけではなかった。

 ノエルも、ユリシアも、その景色に目を瞠っていたし、どうなっているのか理解が追い付いていなかった。

 ニューが嗤う声が耳に障る。絶対に諦めない、そう言う彼女へラグナが何かを言おうとして、突如揺れが収まる。けれど、身体は動かない。声が、ラグナの頭の中に直接響く。

「……『また』助けるの? 無駄なことを何度も何度も……全く、本当にくだらない」

 声がそう言った瞬間、まるで空間が弾けたような錯覚を覚え――。

 

 

 

   1

 

 落下するような感覚に気付いたときには遅く、受け身が間に合わない。

 思い切り体が地に叩き付けられ、野太い悲鳴がラグナの口から溢れ出る。

「……無様ね。呆れを通り越して、いっそ哀れだわ」

「んな……誰だ、テメェ!」

 小気味よい靴音と共に先ほど聞こえた声が告げて、思わずラグナはその身を起こす。

 驚きに噛みつくような声で誰何するラグナであったが『彼女』はその問いに答えない。

 ただ見下ろし蔑むような声で、実際に蔑み彼女はラグナを罵った。

「助ける? あんたが? 誰を? そうやって気安く手を差し伸べて、本当に誰かを助けられるとでも思ってるの? 貴方……本当に、どうしようもない馬鹿ね」

 そう言ってゆっくりと瞬きを一つして、それだけなのに――彼女の瞳は、鋭いナイフのように変わる。思わず唾を飲み込むラグナに笑いかけ、彼女は語りかける。

「相変わらず……と言うべきかしら? ねぇ、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 確かにその表情は笑っているのだけれど、ひどく背筋が寒くなる感覚をラグナは覚えた。一体、彼女は――。

 頭痛が走り、膝から下の力が抜ける。この感覚は何度目だろう。もう慣れてしまった感覚を受け入れれば、押さえた頭に記憶が映像となって流れ込む。

「そうか……テメェ……『ナイン』か!」

 いつにも増して鮮明な記憶は、彼女の名すらも知らせてくれた。

 ナイン。それは、およそ百年前にあった大戦で活躍した女の名であり、目の前の人物の名でもあった。けれど、何故そんな人物がここに居るのかだとか、何故その人物を自分は知っているのだとかは、はっきりとは思い出せない。

 自身の頭髪を握り締め、床に膝をつけたまま、彼はナインを睨み付ける。

 当のナインは、睨まれても臆することはなく。ラグナが自身の名を言い当てたことにその目を丸くしていた。

「あら、驚いた。この世界で失くした『記憶』を取り戻すなんて凄いじゃない」

 もっとも、まだ不完全のようだけれど。そう付け足すと彼女は肩にかかった桃色の髪を払い、背中に流す。床に手をつき、ゆっくりと立ち上がろうとするラグナに向けて強い語調で告げる。

「流石は、世界に『選ばれなかった』男なだけはあるわね。資格者ですらないくせに、世界にしぶとく焦げ付いた燃えカス。無力なゴミのあがきってわけ?」

「はぁ……はぁっ……テメェこそ、相変わらず言いたい放題だな。資格者? 何の話だよ」

 立ち上がり、腰に携えた剣へそっと手を伸ばしながら、ラグナは問う。

 一体彼女が何の話をしているのか、ラグナには分からなかった。資格者なんて、何の資格なのか。世界に選ばれないとはどういうことなのか。

 ラグナの問いを受け、彼女は腕を組むとゆるりと首を振る。

 そしてまたにこやかな笑みを浮かべると、彼女は小さく笑い声を零し言う。

「貴方には関係のない話よ。『彼女ら』に選ばれなかった貴方には、ね。だけど、本当に凄いことだわ。そのしぶとさだけは賞賛に値するわよ……ねぇ、ラグナ」

 そこまで言って、すっと彼女は笑みを消し俯く。口から小さく漏れる声も、彼女の表情の変化にも気付かず、ラグナは尚も問う。何の話なのだと。先ほどから、さっぱり彼女の言いたいことが見えてこないのだ。

「……でも、残念ね。せっかく記憶の一部を取り戻したっていうのに、私に見つかるなんて」

 言葉の通りひどく残念そうな表情と声音で、問いには答えず彼女は告げる。

「私にとって、貴方はいつだって邪魔者。昔そうだったように、今だってそう。資格者でもない貴方に、この世界をウロウロされると迷惑なのよ」

 それに何より、付け足し俯いていた顔を上げる。再度睨み付け、口角を歪に持ち上げた。

「あんたが『居る』という事実が私を苛つかせるのよ」

 何が言いたいか分かるか、そう問いかけて彼女は小首を傾ける。

 今まで彼女の言っていることがさっぱり分からなかったラグナではあったけれど、流石に一つだけ分かることができた。これほどまでの殺気を向けられれば。

 背の大剣にまた手を伸ばし、握り締め、抜き取る。

「いいわ、それでこそ……『死神』だったかしら? 無抵抗の相手を一方的に消すなんて、流石の私でも気が引けるもの」

 剣を構えるラグナに、ナインは挑戦的な笑みを浮かべると、その手を持ち上げる。その指先には炎が灯り、そして――。

「だから精一杯、抗ってみなさい。その上で……無力で無価値なその存在を、私が燃やし尽くしてあげるわ!」

 

 

 

 駆け、剣を叩きつけた先に居た女は当たる直前で消える。踏鞴を踏むラグナの後ろにナインが現れ、手を払うような動作でラグナめがけて炎のムチを飛ばす。

 間一髪で大剣で振り払い、裂けた炎に隠して腕に纏わせた魔素を凝縮させ、ナインめがけて飛ばす。

「これならどうだ!」

「ふふっ……遅いわよ」

 獣の頭のような魔素の塊はもう少しでナインの腕に喰らいつくかと思われたが、魔素濃度の変異を肌で感じ取ったナインが躱す方が早かった。

 彼の後ろに再び回り込み、火球を叩き付ける。反応が遅れたラグナは仰け反り、バランスを崩し地にまた倒れ込んだ。苦痛に塗れた声が漏れる。

 そのうなじを勢いよくナインは踏みつける。とがったヒールが肌にめり込む感覚。

「流石に限界と言ったところかしら?」

 この戦いを始めてからどれくらい経っただろうか。体感ではそれなりに経っているはずだが、彼女には傷一つ付けられていない。

「畜生が……テメェの魔法は、相変わらずとんでもねぇな……」

 逃げるように首をぎこちなく動かし、視界の隅にナインを見とめながら声を漏らす。

 顔を引き攣らせたラグナの賞賛の言葉を聞いて、けれど苛立ちにナインは眉根を寄せることで顔を歪めた。

「……生意気な顔ね。まだ戦えるっていうその顔、本当むかつくわ」

 踏む足にますます力を込めるナイン。今度はラグナが痛みに顔を顰め、それに機嫌を直して彼女はふんと鼻を鳴らし微かな笑みを見せた。

「でも凄いじゃない。そこまでして抗おうとするなんて。資格者でもない貴方が、この世界でここまで戦えるなんて、正直なことを言うと予想してなかったわ」

 資格者たる器がなければ、この世界には存在し得ないというのに。

 ラグナを見つめながら、どこか信じられないといった様子でナインは語る。踏んだ脚は退けないままだが。

「それなら……まさか『あの子』が……『蒼』が、望んでいるというの?」

「あの子って誰だよ……つか、また蒼か……うぅぐっ!?」

 呻きがラグナの口から漏れる。ここに来てからでもすでに二度目となった記憶の奔流がラグナを襲う。先ほどから色んなものが流れ込んできて、意識を保つのがやっとだ。思わず舌を打ち、歯を噛み締めるラグナ。

 ――レイチェル。ジン。シスター……サヤ。

 ゆっくりと、襲ってくる情報の一つ一つを整理すれば、やがて思い出してくる。

「確か……俺はサヤに、獣の力を暴走させられて……」

 口にし、ラグナは目を見開く。

 地に着いた腕に力を込めながら、ナインに叫んだ。

「そうだ! アイツは、サヤはどこだ!? あれからどれだけ経った!? くそ、早くアイツを見つけねぇと……」

「だいぶ混乱しているようね。これも窯に近付いた影響かしら? それともこのフィールドに触発されて? まぁ、どうでもいいけれど」

 ラグナの問いに答えず好き勝手に語るのも定形となりつつある。

 その胸を強調するように胸を張り腕を組むナインを、目玉だけを動かし縋るように見た。

「おい……アンタなら知ってんだろ? サヤ……冥王イザナミが何処にいるのか」

 しつこく問うラグナに、ナインは溜息を吐く。ゆるゆると首を横に振って、金の瞳で静かにラグナを伏し目がちに見つめる。白目の部分が黒い、異様な雰囲気を持った目だった。

「そんなことを知ってどうするの? まさか貴方程度に、イザナミが倒せるだなんて思ってるのかしら? 無駄な野心は抱えないことね。貴方にはどうあがいても無理よ」

 ナインが言い終えるとほぼ同時、ラグナがその身に力を入れ、身体を回転させる。握った大剣をその回転に乗せ振り回せば、ナインは咄嗟に足を退かす。バネのようにして身を跳ね起こす彼を睨み付けるナイン。

「うるせぇ。無理かどうか、テメェに決められたくはねぇよ」

 ラグナもまたそれを見据え言い返す。

 それに、ラグナは何も倒しに行こうと思っているわけではなかった。

「助けに行くんだ。もういちいち面倒臭ぇ。ノエルもサヤもニューも、皆纏めて助けてやる。俺は誰も殺さねぇよ」

 ラグナの言葉に、ナインが俯き歯を噛み締める。

 声にならない声をあげて、それから肩先を震わせ出す。やがて口から漏れる声は、笑いだった。何か思い出したような、納得したような言葉と共に小さく頷く。

「ふ、ふふ……そう、そうよね。あんたってそういう奴だったわ。どこまでも諦めが悪い……。自分の分も弁(わきま)えないで、その諦めの悪さがどれだけの人を巻き込むかも考えないで」

 ――あの子まで、巻き込んで。

 ラグナのその諦めの悪さが、ラグナのそういうところが、憎らしくて憎らしくてたまらない。勿論『あの子』が笑ってラグナを許すことも。ナインは笑いながら怒りに満ちた声で言う。ナインの指すあの子というのは、彼女が亡霊になってからもずっと想い続けていた少女――彼女の妹だ。ラグナはその人物をよく知っていた。

 まだ曖昧な記憶しか戻ってきていないが、彼女が溺愛していたことも、とても優しかったことも思い出した。セリカという名の、笑顔がよく似合う少女だ。

 ナインがどれだけ彼女のことを思っているかも、それ故に自身に向ける感情がどれほどのものなのかも何となく分かっていながら、それでもラグナは吐き捨てる

「はっ、テメェが俺をどう思おうが知るかよ。俺は俺が望むように動く。人の気なんざ……考えてやる余裕はねぇんだよ」

「望み、ね……『助ける』。それが貴方の『願望』なのね」

 ラグナは最初、それにナインが憤慨するかと思っていた。けれど、意外にもあっさりと認める目の前の女に、胡乱げに眉根を寄せる。

「なら、その『願望』を叶える方法を教えてあげるわ」

 笑いを収め、彼女は人差し指を立てる。口角を持ち上げ笑みを形作ると、静かに――告げる。

「貴方の『願望』を『現実』にしたいのなら……帝を、いえ……『冥王イザナミ』を倒しなさい。それが、貴方の『願望』を叶える唯一の方法よ」

 どう、とでも言わんばかりに小首をまた傾げるナイン。

 ラグナが発した言葉は「ふざけるな」であった。

 誰も殺さないと言ったはずなのに、目の前の女は何を言っているのか、理解できなかった。問えば、彼女は愉快なものを聞いたというようにクスクスと笑いを零し、

「えぇ、そうね。助けたいんでしょう? それが貴方の願望……。だからこそ『倒す』の。貴方のその『願望』を形にするために」

 どういうことだ。何度聞いてもやはり理解できないその言葉に、再び問おうとした瞬間だった。

 身体が動かない。時間が止まる。目を見開こうとするラグナ。

 ナインは、溜息を吐くと不意に手を持ち上げる。頭に乗せた三角帽子の、広いツバを摘みながら振り返る。ピンク色の長髪と、たっぷりとした袖が翻る。

 途端、空間が揺れ――歪む。驚きに目を瞠るラグナであったが、すぐに理解する。

 事象干渉だ。

(クソが……またこれかよ……っ)

 そうされてしまえば、ラグナには対抗する術がなかった。まだ聞きたいことはあったのに、と思い出す。

 内臓を揺さぶられるような感覚に腹を押さえたくともできない。呻き、そしてラグナはふと違和感に気付く。この尋常じゃない何かが動く気配は、この規模は。

「馬鹿な、この規模……テメェ『何かして』やがるな!?」

「ふふ……しっかり憶えておくのよ『死神』」

 いつの間にかナインはラグナを見つめていた。ラグナの問いにはまた答えないまま。

 願望を叶えるために、冥王イザナミを倒せ。世界が完全なる滅日を迎える前に。

 告げる彼女、滅日という言葉の不穏さに一体何のことだと問おうとするも声が肝心なところで出ない。

「……ラグナ=ザ=ブラッドエッジ。私はね、貴方の手で冥王イザナミが殺されることを……心より願うわ」

 耳につく女の笑い声が響くと同時、ラグナの意識はぷつりと途切れた。

 ラグナがその場から消え去り、空間の歪みが突如として、終わる。

 

 

 

   2

 

 揺れる水面。ちゃぷちゃぷと音を立てる湯の中で、イザナミはゆっくりと瞼を押し上げる。

 暗い赤の瞳が天井を見つめる。広い空間にぽつりと用意された浴槽に浸かり、静かに彼女は唇を開く。

「ナインめ……どうやら事を始めたか……」

 呟き、彼女は浴槽のふちに手をかけ、寝かせていた上体を起こす。浴槽から出る少女の身体を、湯が伝い滴り落ちる。

「エンブリオが動き出す。余も赴かねばなるまいな……来たるべき瞬間(とき)のために」

 ゆるりと伸ばした手が手拭いを掴み、身体を拭い始める。

 そんな裸の少女に、かけられる声があった。

「……帝……いや、もう『冥王イザナミ』と呼ぶべきか。忠告しておくが、その器はそろそろ限界だ……」

 さほど驚いた様子はなく、声をかけられれば彼女は自然とその方向へ顔を向ける。

 限界というのは、つまり彼女の器――その肉体が完全に使い物にならなくなることを指す。それを薄々彼女も察していたのだろう、納得したように頷く。

「そうか……良き身体であったが。其方の作ったものにしては存外脆いな」

 吐息が漏れる。思ったより早く限界が訪れた原因は、彼女も何となく分かっていた。声の主である仮面の男、レリウスがそれでも告げる。

 このところ、無茶を重ね過ぎたのだ。いくら彼女の器――サヤが優秀で丈夫な器であろうと限度がある。タカマガハラを使っての干渉、タケミカヅチの召喚、エンブリオの起動など、彼女は並外れた術式を行使し過ぎた。故に、消耗も自然と激しくなる。

「替えの器は?」

 彼女は『死』そのものという概念的な存在だ。その存在こそ強く、大きいものであるが、この世界に個として顕現するには別に器が必要になる。

 水分を含んで重くなった長髪を払えば、球体をはめ込んだ人形のような腋(わき)が覗く。脚の付け根も同様の処置が施されている。これも、その器が壊れかけ故に補強する目的でつけられたものだ。

「通常の器ならば、冥王が『入った』時点で、二日も保たずに自壊する。それほど、その器の存在は『奇跡』に近いということだ」

「クハハ……其方が奇跡を謳うか。これは貴重な体験をしたな」

 レリウスの言葉に、イザナミが愉快げに高く笑う。

 それほどまでに、レリウスの言葉はレリウスらしさに欠けていた。彼の作ったものは基本的に彼の想定通りの存在にしかならない。彼の作ったもので彼が『奇跡』と呼ぶものなど存在しないと思っていたのだから。

 イザナミの笑いにしかしレリウスはその表情を少したりとも変えない。

「奇跡に相違ない。その器の雛形となった『ナンバーファイブ』は存在自体がイレギュラー中のイレギュラーだ……」

 もう少し解析したいところであったが、ある人物の手により塵も残さず破壊されてしまったため、同じものを創造するのは不可能だとレリウスは語る。それにますます面白い事を聞いたとイザナミは笑い声をあげ、どこか艶めかしい視線でレリウスを見つめた。

「其方にしても『不可能』なことがあるのだな」

「生憎と、私は『神』ではないのでな」

「ほぉ……それは初耳だ」

 言いながら、彼女は思い出したように手にしていた手拭いを放り、服を代わりに取る。幾重もの服を纏い、髪を結いあげると目を伏せ、問う。

「ナンバーファイブか。イレギュラーなどと申しておったが……それはどういう意味だ?」

「そうだな。『アレ』は私の制作物ではない。私の研究を元に、別の人間が作ったものだ」

 イザナミの問いに答えるレリウス。答えを聞いて、イザナミは却って合点がいく、と思ってしまった。彼の創造物にイレギュラーなど、そう起こるものではない。

「とはいえ……『ナンバーファイブ』に関しては、未知の部分が多すぎる」

 そうして語られるのは、数百年以上前の話だ。

 かつて、その『イザナミの器』となった少女と同じ器の形を持った少女がいた。

 無尽蔵に魔素を増幅し、人々の魂を食い漁り、己が力を持て余す。少女はまさに化け物と呼ぶに相応しかった。

 そして、その『化け物』の結末はと言えば。

 実の兄――黒き獣によって、倒されたのだ。正確に言えば『喰われた』という言い方が適切か。

 その光景は、今思い出しても美しいと感じると、レリウスは微笑みすら浮かべながら語る。

「……『ナンバーファイブ』はその化け物の複製体……いや『実物』と言っても良いだろう。どのように制作したか実に興味深かったが……今となってはそれも叶わない」

 レリウスの声を聞き相槌を打って、彼女は一歩足を踏み出す。それを見たレリウスが自然に問いをかけた。

「向かうつもりか?」

「……悠長にもしていられまい。ナインが動き出したということは、資格者らが余を倒さんとやってくる」

 二、三歩進んだところでぴたりと足を止めて語る少女の声は、幽玄にして甘やか。しかし寂しさと諦めを含んだような声でもあった。

「余は彼の地で、そのような『哀れな資格者』どもを迎えてやらねばならん。この器も、その時まで保てば十分だ」

 そうして首だけでイザナミは振り返ると、レリウスを見つめ告げる。

 彼――レリウスもまた資格者なのだ。それを忘れるな、と。

 レリウスはそれに小さく声を漏らすと、顎に手を添える。

「……時間があれば参上しよう。私は『そんなこと』よりも気にかかることがあるのでな」

 それは、このエンブリオに『蒼の男』――ラグナ=ザ=ブラッドエッジがいる理由。まずはそれを確認しに行きたいのだと言う。

 彼もまたラグナなのかとイザナミが笑うのに頷いて、レリウスは続けた。

「……ああ。もしも『蒼の男』が真書である『蒼炎の書』を覚醒させられるのなら……是非とも彼が『冥王』を倒すところを見てみたい」

 それに、蒼そのものを身に宿す彼女が、『蒼の男』をこれからどうするのかだって気になる。他にも興味を引くものは尽きない。

「好きにしろ……」

 どこか呆れたように紡ぐイザナミの言葉に首肯する。

「では……失礼する」

「相分かった。後にイカルガの地で会おうぞ」

 レリウスが部屋を去ると、彼女は天井をぼんやりと仰ぎ見る。

 静かに、静かに、紡ぐ。

「……『化け物』は……救われることのない夢を観続ける。兄さま……もう全てが、全てが手遅れなのです……」

 彼がどう足掻こうと『彼女』は救われない。

 望みがあるとすれば、あの少女が――。


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