POSSIBLE DREAM   作:鈴河鳴

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第十一章 再灰の朝

「なっ……今度はなんだ!?」

 空間が揺れる。地響きとともにパラパラと天井から礫(れき)が降り、砂埃が舞う。突然のことにラグナが思わず声をあげた。応える、仮面の声。

「……『初期化』が始まったのだよ」

 低い男の声が言う『初期化』の意味が分からず、問いかけようとするラグナ……であったが、その問いを口にする前にラグナに向けて怒鳴りつける声が響く。ココノエだ。

 ディスプレイに映し出されるココノエの映像には乱れが生じており、音声のノイズも酷い。後にしろ、とあしらうラグナにしかしココノエは続けた。

「聞こえるか! ツバキとマコトが今そっちに向かっている。楔とセリカを何が何でも死守しろ、いいな!」

 ココノエの命令は言われなくても分かっているものだった。思わず苛ついて声を荒げるラグナ。それに、そんなことよりも今はノエルが危機に陥っているのだ。叫ぶラグナに、ココノエは目を丸くする。ノエルがだと。大きくなるココノエの声のノイズは更に強くなり、耳障りだから騒ぐなとラグナは返した。

 その間にも、ニューはノエルと見つめ合ったままだ。『同化』を開始する、といった言葉が聞こえた気がした。それに何だか不穏な気配を感じてノエルに呼びかけるも返事はない。きっとニューが何かをしているのだろう。そう思い、そこを退けと叫びながらラグナは再度地を蹴り、彼女らを引き離そうとするのだが――。

「――創造主。『ノエル=ヴァーミリオン』との同化が完了しました」

 それよりも早く、ニューがノエルから離れる方が早かった。空を切り、踏鞴を踏むラグナの近くで彼女は静かにそう告げる。その後ろには、ぼんやりとノエル――否、ミュー・テュエルブの姿が影のように映し出されていた。それを見て、ラグナが目を瞠った。

「な……何で、ノエルが」

 ニューの後ろに居るのか。ぼんやりとしたそれの近くには、しかしノエルがきちんと居て。機械人形イグニスがノエルを解放すれば、力が入らない彼女は地に吸い込まれるようにしてドサリと床に倒れた。

「ナンバーサーティーン」

 それを見下ろして、ふとレリウスが口を開く。冷たく、無機質な声だった。

 ナンバーテュエルブは不要だ。削除しろ。

 その一言に、ニューはやはり無感情な声で一つ「了解」と告げると、動き出す。背に浮かぶ八本の翼のような刃が一斉に向けられ、ノエルに向けて射出される。

「ノエルちゃん、危ない!」

「馬鹿、止めろセリカ!」

 それにいち早く気付いたセリカが駆け寄り、そこでハッと正気付いたラグナが制止の声をかける。が、動き出したセリカは止まらない。ノエルを庇うように間に飛び込んで、痛みを覚悟し目を瞑るセリカを――ニューの剣が貫く。

 かと思われた。

「あれ……?」

 しかしいつまで経っても覚悟した痛みは襲って来ず、不思議になってセリカが目を開ける。白い、何かが見えた。

「ミネルヴァ、最優先だ。セリカを護れ」

「白い……ニルヴァーナ?」

 通信越しに、ココノエがその白い『何か』へと指令をくだす。ミネルヴァ、それが『彼女』の名前なのだろう。よくよく見れば、それは白いボディの機械人形であった。かつて暗黒大戦時代に自身を守ってくれたものや、仮面の男が連れているそれに似ているけれど、どこか違う。

 けれど、この人形である彼女もまた、自身を守ってくれたのだろうと理解して、彼女は礼を述べた。機械人形は無言で表情一つ変えることはなかったけれど、彼女には頼もしい返事をしてくれたように思えた。

 そして、振り返れば未だ倒れているノエルが居た。慌ててしゃがみ込み、声をかける。

「待ってて、今すぐ治すから!」

 掴まれていたところから赤く血が滲んでいたし、よほど強い力だったのだろうか、ひどく弱っているノエル。呻き声をあげる少女に手をかざせば、光がノエルを包み込み、少しずつ傷が消え去っていく。やがて、ある程度傷が消えたところでゆっくりとノエルが目を開く。

「あ……セリカ、ちゃん」

 目を覚ました彼女に安心して、セリカが頷く。と同時に、通信からココノエがまた話しかける。曰く『ミネルヴァ』にセリカ達を任せて、闘いに集中すればいいと。突然の人形の登場で混乱していたラグナにはよく分からなかったが、けれど任せていいと言われれば素直に頷いて応じた。

「ナンバーサーティーン。至急、ハザマの所へ向かえ」

「……了解」

 しかし、だ。一度状況を整理しようと辺りを見回したとき。近くでレリウスがニューに命じる声が聞こえた。ハザマの所へ行けという一言に頷き、この場を去ろうとする少女。ノエルと『同化』したという彼女が、どうしてそこに行くのかは分からなくても、何かに利用するのだろうことや、不穏な気配は感じ取れたから慌ててラグナは追いかけようとする。

「――どこに行く、蒼の男」

 しかし、それを阻むようにしてレリウスが立つ。ラグナは舌を打った。

 この男は中年であり、しかも殆どを近くの機械人形に任せているように見えて、強さがあることは先の時点で何となく分かっていた。

 だからこそ邪魔するなと吠えるラグナに、ふんと鼻を鳴らしてレリウスの機械腕についた刃が向かって行く。それを弾き攻撃に移ろうにも、次の瞬間には他の腕がマントの内から伸びており、またそれを弾くことしかできない。機械腕の一つ一つだって、ひどく重い攻撃を放ってくるのだ。

 ラグナに、セリカの心配したような声がかかる。それに背中を押されて、ラグナがレリウスに駆けようとする。しかしだ。

 セリカが呻くような声をあげ、思わず振り向いた。と同時に、自身の胸も苦しくなって咳き込む。胸を重い空気に支配されるようなこの不快感は、階層都市の下層を通ったときと似ているが、それ以上に苦しい。――魔素が濃すぎるのだ。

 ミネルヴァから離れるな、というセリカへ向けてのココノエの指示を聞き流しながら、ラグナは何をしたと、咳を抑えながらレリウスに問う。

「全ての窯を解放しただけだが」

 尋ねられたレリウスといえば隠すつもりもないのか簡単にそう言ってのけるが、その内容にラグナは耳を疑った。窯とは階層都市の最下層に位置するものであり、常に魔素を吐き出し続けるものだ。それらは全て管理され、魔素の排出量も制御されているのだが。

 それを解放したということはフルで魔素が排出されることとなる。なるほど、そうすれば確かに世界に満ちる魔素の量は濃くなるかもしれない。しかし、何故そんなことをするのか。

「……窯より溢れ出る魔素が、階層都市に住む全ての『魂』を吸収し、このイカルガにあるモノリスへと集約する。窯の『触媒』としてな……」

「窯の触媒……!?」

 いとも容易く告げられる内容の不穏さに、ラグナは思わず復唱していた。頷き、レリウスが続ける。

 イカルガに来てからラグナが気になっていたものがあった。――イブキドの方に建っていた、黒い巨大な塔だ。レリウス曰く、それが『モノリス』であり、あの巨大さであれば集められる『魂』の数も違い、充分な窯を精錬できると。

「モノリスに、窯……。まさか……!」

 レリウスの言葉に、ノエルが目を見開く。思い当たるものがあったのだ。そして、レリウスもそれを察してかノエルに視線を向けながら口を再度開いた。

「思い出したか、ナンバーテュエルブ。クサナギを精錬した窯にはカグツチの統制機構衛士の魂を使ったが……今度は『全世界』の魂を使う」

 静かに語られるその内容を理解した途端、ノエルが口を覆う。恐ろしくて、そんな内容を簡単に言ってのける彼らが酷くおぞましく感じて、身体が震える。

「その『魂』が作る窯、そして『蒼』の少女………祭壇に神を降臨させるには充分な『儀式』だ」

 微笑すら湛えてレリウスが語る内容はつまり、全人類の魂を生贄にしてマスターユニットを召喚するということ。理解した瞬間、怒りのようなものが込み上げてきて、ラグナは叫ぶ。

「そんな事させるか!」

 何故それだけのことをするのか、何となくでは分かってもラグナは理解したくなかった。けれど、男は何故分からぬのかとでも言いたげに首を振って、溜息を吐いた。

「……全ては『再構成』のためだ」

 再構成という単語に、ライチと未だ戦闘を続けるバング以外のメンバーは一斉に首を傾ける。それに答えるかのようにして、レリウスは続けた。

 世界を一度『初期化』し、再構成するのだと。そのために、全ての命を『蒼』へと回帰させるのだ。境界を越えた先の奥深く、深淵で眠る『蒼』へと――。

 ふと、そこで疑問に思う者が居た。

「……『蒼』の少女、ユリシアといったか? 奴が居れば召喚には充分なはずだが、何故ニュー・サーティーンを行かせた」

 そんなことを考えている場合ではないが、何故わざわざ彼女をここに連れて来て、同化までさせたのか。蒼の継承者が居なくとも、彼ら曰く『蒼』そのものだという少女が居れば十分なのではないか。現に、彼だって蒼の継承者が必要だとは言っていなかった。

「そんなことか……ただの保険だ」

「保険……だと?」

 その言い回しに、眉根を寄せたのはラグナだ。ただの保険のために彼女の魂をサルベージして、また危ない場所に身を投じさせたのか。口には出さずとも、自然とそう思う。

 ラグナの復唱して尋ねる声にレリウスが首肯して、語る。

「マスターユニットを召喚するだけであれば……ユリシアとモノリスに集める魂だけで十分だろう……。だが、破壊はどうする?」

 力であれば充分持ち合わせているとは聞いているが、私達はまだあの少女の力を全ては理解していない。静かに、彼はそう語った。

「それだけなら同化についてはどう説明する……!」

「あぁ、それなら……『蒼の継承者』の存在は大きい……我々の脅威になるソレを排除しつつも、その力を手にしたかったのでな。もっとも、ナンバーテュエルブの消去こそ失敗したが……」

 

 

 

 渦巻く雲はあのときの『繭』のよう。イブキドの塔の上に鎮座する窯、蒼い紋章の浮かび上がるそこを見上げながら、彼女はテルミの声を聞いていた。

 モノリスに集まる蒼い光はとても美しいのに、そこからは常人なら耳を覆いたくなるほどの悲鳴や呪詛のような民の声が聞こえる気がして、テルミは気分が高揚するような感覚をおぼえた。腕を広げる。

「ヒヒ……ッ、こりゃ凄ぇ! もっとだ、もっと悲鳴を聞かせろ!!」

 高く笑う男の姿を一度盗み見た後、ユリシアはただ足元を見下ろしていた。やがて興奮も落ち着いたのかテルミが見下ろす先には少女の後頭部。表情は見えず、声をかけようとテルミが口をゆっくりと開く。同時に、彼女の頭へ手が伸ばされ――。

「……ハザマ大尉、参りました」

「あぁ、やっと来たか」

 無機質な少女の声音に顔を上げる。手はだらりと胴体の横に垂らされていた。

 何か、情を抱いたわけではない。ただ、未だに納得せずに上手く行かないなんてことがないようにと思っただけだ。少女の名を呼べば、彼女は顔を上げ笑みを浮かべる。問題などない。テルミは頷き、もう一度モノリスを見た後――ゆっくりと、口を開いた。高ぶる気持ちは抑えずに。

「観測を開始しろ……天の岩戸を開け! そして」

 ――マスターユニットを、引きずり出せ。

 小さな返事があった。少女は目を伏せ『願う』。

 

 

 

「何だ……ありゃ……」

 顔を強張らせて、カグラ達が見据える方角はちょうど、イザナミ達の真後ろで開いた大きな窓の向こう――イブキドの方角に見える、巨大な塔。並びに、そこへ集まる無数の光だ。

 何か分からない、けれど嫌な感じがして思わず零すカグラに、先ほどまで『帝』であった彼女は吐息を漏らすと、口をゆっくりと開いた。

「生きとし生ける者、その魂が『蒼』に回帰する光。見るのもおぞましい、不快な命の光だ……」

 後ろを振り向き、静かにそう紡ぐと、彼女は首を後ろに向けて彼らを見遣る。ほう、と声が漏れた。興味深そうに、しかし理解していたかのように彼女は目を細める。

「お主達は『回帰』せぬか……やはり『資格を持つ者』のようだ」

 何もかも分かっているかのような口ぶりで言う彼女に、その言葉の意味を理解できぬままカグラは剣を振りかざす。ふざけるな、と怒りに任せて。しかしファントムが展開した重力陣の影響で、いつもより遅く――弱い。

 当たる寸前のところで、イザナミの姿が一瞬だけ消える。剣は空を切り、目を瞠るカグラの後ろに少女はまた姿を現す。

「ファントムの重力陣を受けて尚も動くか」

 ならばこれは……そう言いながらイザナミが手を掲げかけたところで、ふとファントムがイザナミの近くに寄り、それを受けて彼女はそちらに顔を向けると、目を細める。

「……そうか。彼女が。それに余の剣も。彼の悲鳴も今しばらく聞いていたいが、致し方あるまい……参るぞ、ファントム」

「なっ、待て!」

 目を伏せると、小さな声でファントムにイザナミは命じる。命じられるまま、呼応するようにしてファントムの影のような身体が揺れ、そして魔法陣が足下に展開され――この空間から消える。慌て、カグラが手を伸ばしたときには、そこに彼女らの姿はもうなかった。

「チィッ……おいジン、帝を追え……早く!!」

「……分かっている」

 珍しく放心していたジンに、舌を打ったカグラの声が叩き付けられる。彼が声を荒げるのもまた珍しく、肩を震わせるジン。平静を装い、彼は一度静かに頷き――部屋を後にした。

 

 

 

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「アマテラスを破壊したら、再構成なんてできないんじゃ……っ」

 再構成をすると、レリウスは確かにそう言った。けれどこの世界を作り上げたアマテラスを破壊すれば、再構成は誰がするのか。ノエルの焦ったようなその言葉に、レリウスは自然とノエルへ顔を向ける。仮面の奥の表情は窺い知れず、ただ僅かな微笑みを口元に浮かべて、レリウスは語った。

「それについては問題ない、ナンバーテュエルブ。……再構築は『私』がする」

「え……?」

 レリウスの言葉に、ノエルは思わず戸惑いの声を漏らした。てっきり、アマテラスだけができるものだと思っていたそれを、さも当然のように彼は「する」と公言したのだ。

「……完全なる人形の創造。私が創造主となる世界。そこには『マスターユニットアマテラス』も『帝』すら……無用だ」

 今度はラグナが目を見開く。驚きだった。

 あれだけ行動を共にしている帝すら無用だと告げる彼曰く、契約は『滅日』の発動までであり、彼の創造する世界に帝は無用、消えてもらうと。

「狂ってやがる……っ」

 ラグナは思う。どこまで自分勝手で、他者を物としてしか見ていないのか。彼を見ていると冷たいものが胸の内を侵してくるようで、彼がひどく異常に思えて、ラグナは思わず零した。

 けれど、言われ慣れているのか、それともよほど自分が正常だと信じて疑わないのか。彼は鼻を鳴らし、首を振る。

「私は至って正常だが。寧ろ、狂っているのはこの『世界』の方だ」

 冷ややかな声が紡ぐ言葉に、ラグナは首を傾げた。眉根を寄せる。この世界が狂っているなど。ラグナの表情に、あぁと頷いてレリウスは尚も続けた。

 ――この世界にある全ての『モノ』は『マスターユニットアマテラス』の『記憶』で構成されている。閉じたこの『箱庭』にある情報は決して更新、改善、修正されることはない。つまり『情報』を超える進化は起こり得ず、全ての可能性が閉じた世界。繰り返される予定調和。刻の幻影も全ては過去の情報を引っ張り出して来たに過ぎず。

 唯一現れた新たな『情報』の『可能性』に縋りやっと世界を正せるかもしれない程度。そんなこの世界を『狂っている』と言わずに何と言うのか。

(その話、どこかで……)

 レリウスが淡々と語るその内容は聞き覚えがあり、首を傾け――思い出す。レイチェルだ。随分と前に感じるけれど、ラグナが牢屋に閉じ込められていたとき彼女が語った話。

 一冊の本と、少女の話。まさか、彼女が言っていたのは、これのことなのだろうか。

「レリウス=クローバー、貴方は神にでもなるつもりですか!?」

 ラグナの思考を他所に、ノエルは思わずそう問うていた。再構築をするだなんて、まさか神にでもなるつもりなのでは。そんな彼女に、レリウスはまた頭を振った。

「馬鹿を言うな。私とてそこまで傲慢ではない……。ただこの『狂った世界』を正しい形へ『再構築』するだけだ……私は『創造主』だからな」

 独善的にもほどがある。これが冗談であればどんなに良かったか。笑えないその言葉にラグナは剣を振り上げる。多少の攻撃は与えているはずなのに、ダメージが通っていないのか尚も簡単にその攻撃は弾かれた。ラグナは舌を打つ。

「ラグナ、クシナダの楔の起動はまだか!? 帝達が『マスターユニット』の召喚を開始した!」

 そんなラグナの元にまたも通信が入る。その内容は最悪なもので、顔を顰めた。

「こっちも最悪だ、さっきから全然刃が立たねぇ! オッサンはボロボロだし、もう少し時間をくれ」

 正直、召喚が開始されたということはもう時間の余裕なんてないのは分かりきっていた。けれど、それでも時間がなければどうにもできないのも事実だった。

「ラグナ、転移装置はもう設置したか」

「それは終わってるが……」

 ラグナの言葉を聞いて、ふとココノエが尋ねる。勿論、それはさっきの時点でとうに終わっているため、何故そんな事を聞いたのか、首を傾げながらもラグナは答える。

「そうか……ならば、何が何でも起動しろ。起動してしまえば奴らは楔には触れられない。そうすれば……私に考えがある」

「考えだと?」

 ココノエの言葉に、ますますラグナは疑問をおぼえて、首を傾げる。考え。彼女の考えついたことで、ロクな目にあった試しがない。眉をしかめながら、ラグナは尋ねる。一瞬の沈黙の後、彼女は溜息を吐く。

「ここで隠しても時間の無駄か。……クシナダの楔を窯に打ち込み、魔素の流れを止める」

 語られた内容に、薄々察していたのかラグナはさして驚いた様子もなくただ舌を打って、やはりかと漏らした。そんなことをしたら、世界がどうなるのか、彼女は分かって言っているのだろう。だからこそ、苛ついた。

「このまま、世界が魔素に飲み込まれるのを見ているよりはマシだろう。それこそ世界の終わりだからな」

 ラグナの苛立つ気持ちを声で聞けずとも、表情が見えずとも、察したのだろう。ココノエは静かにそう言った。

「いいか、これは『賭け』だ。打ち込むのはイブキド跡地の窯。あの『塔』の頂上に打ち込む。あの塔の大きさから計算すると、運がよければ窯の入り口で――楔は、ギリギリ止まる」

 上手くいけば塔がクシナダの楔の伝導体として境界に刺さり、全ての窯の活動を止め、魔素の流出を防ぐことができるはずだ。

 語る言葉は、珍しく運任せな内容。計算が第一である彼女らしくない台詞だ。それほどの状況なのだろう、とラグナは唾を飲む。

「だが……一つ問題がある。塔の基部を破壊せねば、楔が突き刺さった瞬間に塔を粉砕してしまう。それに、あの塔には今『魂』が集約されている。それを破壊してしまったら、どうなるかは分かるだろう?」

 ココノエの言葉に、ラグナなりに何かを考えようとした。沈黙。けれど、彼の頭で何か考えられるはずもなく、全てを後回しにしてラグナは代わりに強く頷いた。

「ややこしいことはよく分からねぇが、そうするしかないんだろ。なんとかやってみる」

「なんとかじゃない、必ずやれ」

 ラグナの声に、厳しくココノエがそう言う。一方的に言うだけ言って、ココノエは通信を切った。ぶつり、というノイズが耳に障る。

 無茶苦茶を言う……そう、ラグナが零して、また空間を見回したときだった。

「……駄目、お願い、駄目だよ……来ないで」

 震える声が、辺りに響く。高めの少女の声は、ノエルのものだ。腕を抱き、首を何度も横に振る少女に、ラグナとセリカが一斉に視線を向ける。どうした、と様子を窺う声にすら彼女は答えず、ただ――叫んだ。今、すぐそこまで来ようとしているその存在に。

「駄目……『来ちゃ駄目』!!」

 

 

 

「……『蒼』として『願う』。魂の帰する場所にして根源、全にして一である我が前に世を照らせしその光を示せ」

 ――マスターユニット『アマテラス』。

 溢れるままに、本能が紡ぐままにそれをなぞり、彼女は告げ、願う。胸の前で組んだ両の手は祈りを捧げるようで――。

 いつものたどたどしく幼い口ぶりを思わせぬはっきりとした声は凛と響き、その願いが届いたかのように、天に浮かぶ窯がゆっくりとその口を開ける。そこから零れだす強い光が、どんよりと曇った世界に降り注ぎ、彼女の蜂蜜色の髪を濡らすように温かく照らす。そうして、そこから現れるのは。

 禍々しくも神々しい――機械であった。宙に浮くその機械は、なんとなく人の形に見えなくもない。窯の中に潜って一瞬見たのと同じ形をしたそれに、ユリシアはどこか懐かしさをおぼえた。

 晴れていく空の下で、彼は目を見開き、その姿を眼窩に灼きつけ、口角を持ち上げた。

 そこに先の少女への怒りなどはとうになく。

「クク……ヒ、ヒャッハハハ!! やっと会えたなぁ……『マスターユニットアマテラス』! 久しぶりじゃねぇか……なぁ?」

 笑いは堪え切れず、高く、響く。声は、物理的には届いていないはずだ。けれどそれをお構いなしにテルミは、何年も、何百年だって待ち焦がれたその存在に言葉をかけた。

 タカマガハラの言う通りであれば突然干渉できなくなったこの事象にひどく焦っただろう。触れることでその力を与えてくれた『蒼』と同じ反応の少女に慌てたことだろう。その少女が、この世界に存在する者が、やっと自身を必要だと呼んでくれたことはさぞ嬉しかったことだろう。

 けれどそれももう終わる。

 この狂った物語は、可能性の閉じた世界は、縛られた終わりは、自由のないあの予定調和は。今、破り捨てられる。舞台は整った。今度こそ息を止めてやる。

 テルミは勢いよく腕を広げ、滑稽な『それ』にただただ笑った。テルミの歓喜の声に、ユリシアは微笑む。――その眉尻が僅かに下がっていたのに、誰が気付いただろうか。

 やがてテルミはユリシアに視線を向ける。

「よくやったなぁ、ユリシア。……良い子だ」

 褒め言葉。今まで、これほど素直な賞賛の言葉を聞いたことがあっただろうか。ユリシアは、ただ目を細めて笑みを深くする。その頭髪をくしゃりと撫でるテルミの手が心地良くて、ただユリシアは高揚感と幸福感に包まれた。

 ふと、空気が動く。テルミは振り向かず、ユリシアだけがその気配に後ろを見ると、そこに居たのは、幼さの残る見た目以上の色香を放つ少女と、ツバの広い帽子を被った影のような人物であった。

「……来たか、マスターユニットアマテラス。幾星霜……この時を待ちわびたことか……」

 囁くように、静かで落ち着き払った声はそう紡ぐ。どれだけこの時を待ったことだろう。ドライブでありながらその持ち主たる『アレ』に出会うまで、どれだけの時間を費やしたか。やっと再会のときが来た。ならば――最高のもてなしで迎えよう。

 微笑みを浮かべ、イザナミはその隻手を、真っ直ぐ天に向けて掲げた。

「来い……『死の盃』よ」

 

 

 

   2

 

 突如として襲ってくる感覚に、セリカは身を強張らせた。

 白い機械人形ミネルヴァと共に佇み見ているだけだった彼女は、背筋を撫で上げるようなぞくりとした寒気に一瞬息すら忘れ、次の瞬間には咄嗟に自分の腕を抱いた。それに合わせて自然と身体が震えだし、血の気が一気に下がって、膝から力が抜けてしまいそうになる。まるで地面に吸い込まれるみたいだ。

 そのまま崩れ落ちそうになる身体を支えてくれたのはミネルヴァの力強い機械の腕だ。冷たく硬い腕に身を預けながら、セリカは思う。この寒気も、支えられるこの感覚も『あのとき』とよく似ている。否、似ているというよりは……あのときと同じだった。

 黒き獣に似たあの存在が現れたとき。周りの魂を吸い取って、容赦のない攻撃を繰り出すあのアークエネミー、ハイランダータケミカヅチ。それが現れたときと同じだ。意識を奪われたりこそしないが、襲う脱力感が嫌というほど伝えてくる。

 まさか、とは思う。けれど通信越しにココノエが叫ぶのが聞こえてセリカは察した。ココノエも何かしらで『アレ』の出現を理解したのだろう。やがて、荒い息と共にココノエの声がかけられる。落ち着けようとしているが、その声には苛立ちと興奮が滲み出ていた。

「セリカ、聞こえるか? 私の予想していた『最悪』が来る」

 その言葉に、セリカは一度目を丸くした後、やはりこの感覚はそうなのか、と俯く。この感覚は、ここに来る前に感じて以来の久しいその感覚は、正しくそれの出現を現していた。

「……働いてもらうぞ、セリカ。今すぐマスターユニットの所に行け」

「でも、クシナダの楔の起動がまだ……」

 ココノエの言葉に、セリカが躊躇うように眉尻を下げる。元々の予定であるクシナダの楔は起動されていないのに、どうすれば良いと言うのだろうか。それにココノエは苦虫を噛み潰したような顔をして、口をもごもごと動かしながら低く唸るように話す。

「悔しいが、あのレイチェルが言ったのだ。楔は烈天上で起動するはずだ。それより今は『マスターユニット』を失う方が不味い……」

 俯きそう語った後、ホログラムのディスプレイに映る彼女は顔を上げる。瞬き一つで瞳を刃のように鋭く真剣なものに変えると、

「良いか、よく聞け」

 彼女はやけに落ち着いた声で話の口を切る。そして、暫しココノエの話を聞くと、強く頷いてセリカは応えた。

「分かった。ココノエさんの言う通りにする」

 そう言う彼女に眉尻を下げ、ふっと寂しげに笑うココノエ。すまないな、と漏らされる言葉にセリカは首を横に振って、寧ろ礼すら述べた。

 ココノエにセリカを任されたミネルヴァもまた無言のまま頼もしく頷き、二人は出口に向けて走り出す。しかし、勿論引き留める声があった。ラグナだ。

「ちょっと待てセリカ! どこに行く……っ」

「……っ、ラグナ……」

 その声に足を止めて、彼女は振り向く。けれど言葉が形になる前に全てをぐっと飲み込んで、彼女はくるりとまた出口に身体を向けた。見つめてくるミネルヴァに困ったように笑って手を差し出し、握られれば彼女は足を動かすのを再開する。振り向かないまま、彼女はラグナにやっと応える。

「ごめんね、ちょっと行ってきます!」

「なっ……ごめんねって、お前!」

 セリカの声にラグナは目を見開く。嫌な感じが背中を駆け巡り、彼女がそんな行動をする理由として思い当たる人物――ココノエの名を叫んだ。何かさせるつもりなのだろう、と。けれど彼女は沈黙していて、それがラグナの苛立ちを煽る。

 この状況を何とかしようと、何をするのか知ろうと、何度も返事をしろと叫ぶラグナにやがてココノエが口を開く。けれど、その言葉は、

「……ラグナ。お前はクシナダの楔の起動に全力を尽くすんだ」

 ラグナの聞きたかった答えと違う。ただ、分かりきっている自身への命令。そうじゃない、何をさせる気かを聞いているのだ。叩き付けるように叫ぶラグナに対する彼女は、しかしそれでも尚落ち着いた声で一蹴する。説明するだけ時間の無駄だ、お前には関係ない、と。

「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと楔を起動しろ」

 クソ、と思わずラグナは吐き捨てた。どうすることもできないのかと俯くラグナ。そんなラグナにかかる声があった。その声の主はずっとライチと戦っていたバングだ。身の丈ほどもある棒を使った攻撃や、長い脚を鞭のようにして繰り出す蹴りなどを必死に避け、弾きながらその言葉は紡がれる。

「セリカ殿を追うでござる、ラグナ=ザ=ブラッドエッジ! 楔の起動は拙者が必ずや成し遂げてみせるでござるゆえ……!」

 バングが告げたその言葉は、ラグナにはとても助かる内容であった。だから一瞬頷きかけるけれど、でも、とすぐに踏みとどまる。起動ができたところでラグナが居なければ転移装置の術式に魔素を供給することができない――ということを思い出したのだ。

 ならばどうすれば。

「心配しないで、それは私がするわ」

 不意に空気が動く。コツリと小気味よい硬質な音、次いで薔薇のような高貴さのある少女声が空間に響き、それが発生した方向へと一斉に視線が集まる。

「レイチェル!?」

 ラグナの声が空間に木霊する。それほどまでに、彼女の登場は意外だった。彼女はカグラの執務室で待機していたはずだし、それに彼女は世界へ干渉することを避けていたはずなのに。何故、ここで姿を現したうえに、楔を転移する役まで買って出たのか。

 ココノエも同じことを思ったのだろう、その声は驚きに満ちていた。

「そこまで『干渉』するつもりか……!?」

「……もう十分、取り返しのつかないところまで踏み込んでいるわ」

 けれどココノエの言葉にレイチェルは首を横に振り、少しだけ寂しそうに笑ってそう答えた。数秒の沈黙。否、もっと短かったかもしれない。ココノエが再度、口を開く。問いだった。

「レイチェル……お前『転移魔法』は使えるのか」

 どういう意味だ。ココノエの台詞にラグナは眉根を寄せる。けれどそれに応える者はおらず、レイチェルはただ静かに俯いた。しかしそれも一瞬、顔を上げて彼女はふっといつものような余裕たっぷりの笑みを浮かべる。

「流石に気付いているのね……。でも大丈夫。貴女の転移装置があれば、あと一回くらいなら転移可能よ。……赤鬼さんも居るみたいだし」

 レイチェルの言葉に、ふんとココノエが鼻を鳴らす。何かを言いかけそれを飲み込むココノエがホログラムに映るのを見て、やっとレイチェルはラグナに視線を向ける。

「ラグナ。貴方はセリカを追いなさい」

 いつものように上から物を言う彼女へ何か文句を言うこともなく、ただラグナは真剣にその紅い瞳を見つめた。

「任せたぞ」

 彼女が何か、裏切るような事をするとは思えなかったし、疑っている時間も惜しい。ただ信頼だけを瞳に映して彼は頷き、セリカ達が出て行った方向に急いで駆けていく。

「ノエル、貴女も一緒に行きなさい。貴女の力が必要になるから」

 そんな背を心配げに見つめるノエルへ、レイチェルが声をかける。驚くノエルではあったが、そのために『力』を求めたのだろう、言われればハッと正気付いたように頷く。けれど。

 自身まで行ってしまえば、バングだけでレリウスとライチの両方を相手せねばならない。彼は確かに強いが、二人も同様に――否、それ以上に強く、相手をできるとは思えなかった。

「それについても問題ないわ。もうすぐ……ほら」

 心配そうな彼女に、レイチェルがそう言って入口を見遣る。その次の瞬間、暗い部屋に光が差し込む。入り口が開いたのだ。ノエルも自然とそちらを見遣ると、

「ノエル……!!」

 重なる二つの声。現れる、二人の少女。それは、ノエルの大好きで大切な親友で、とっても強い味方。マコトとツバキだ。両方ともに息を切らし、マコトは肩と同時に尻尾を上下させ、ツバキは最初とは異なった姿の十六夜を展開していた。

 ほう、と漏れる声はレリウスのもの。それを無視して、ノエルはレイチェルを見た。彼女らが来るのを知っていたのか。言いたげな彼女に、レイチェルは頷き――さぁ、行きなさい。静かにそう告げた。だから彼女もまた頷いて、入り口へと駆けていく。

「ツバキ、マコト、ごめん! 来てもらえて嬉しいけど、私、行かなきゃ」

 二人の前で立ち止まり、言うノエルにツバキらは目を丸くする。どういうことだ、とツバキが言いかける。しかしそれを制するのは隣に居たマコトだ。

「なんだかよくわかんないけど、大事な用なんだよね。分かった、行っておいで」

 にへっと笑って、マコトはそう言う。咎めようとするツバキにもまた笑って、マコトは首を横に振った。ピンチだと駆けつけたら本人が行くと言いだすのだ、追いつけないツバキのことも分かる。それにこうやって何も聞かずに送り出すのが本当に良いことなのかも分からない。でもそれ以上に、

「ノエルが無事でよかった。だからさ」

 今は彼女が無事に戻って来れることを祈って、彼女の代わりにここで闘うのが自分たちの役目だろうと、パッと辺りを見ただけで、マコトはそう思ったのだ。

「……そうね。行ってらっしゃい、どうか無事で、ノエル」

「ツバキ……! うん、行ってきますっ」

 マコトの言葉にツバキも頷き、ふっと苦笑する。そうしてツバキにも行くことを促されたノエルもまた頷いて、先に行ったラグナを追いかけるように駆けて行った。

 

 

 

「アレが……そう、なのか?」

「ええ、間違いありません……私もはっきりと認識できます。あれが『マスターユニットアマテラス』です」

 途中でラグナに追いついたノエルは、ラグナと共に走っていた。そうして森を抜けた辺りで、イブキドの方角に見えていた塔はより濃く鮮明に見えるようになる。同時に、その上に浮かぶものもはっきりと見えた。

「……クソッ、急ぐぞ!」

 このイカルガの階層都市は距離が近く、その身一つで渡れないことはない。とはいえなかなかの距離があるため、急がなければいけない。奴らが何かをしでかす前に、早く辿り着かなければ。

「ラグナさん、あれ……!」

 ノエルが不意に立ち止まってラグナに声をかけ、上を指を差す。今度は何だ。自然とラグナもその方向を見て、驚きに目を見開き、止まる。いつの間にか晴れ渡った空の一部が、異様に輝いていた。輝きはだんだんと強くなり、やがて輝きは降ってきた。

 イブキド跡地の方向へ落下するそれは、地に近付くにつれてその速度を増し、最後、着地する瞬間に凄まじい衝撃と巻き上がる煙を連れて――辺りに破壊を齎し、巨大な棺がそこに降り立った。

「……嫌」

「ノエル……?」

 遠くからそれを見て、放心していたラグナはノエルの声に首を傾げる。見遣れば腕を抱き彼女は震えていた。

「嫌、嫌、嫌嫌嫌嫌……!」

 ラグナの声にも応えず、彼女はただ首を横にぶんぶんと振って叫んだ。何故、アレが――小さく、ぽつりと零す。

 

 

 

   3

 

「いでよ……『巨人・タケミカヅチ』よ」

 片手を掲げるイザナミの声に呼応するかのように、突如大地が震えだす。

 それは聲だった。

 空を、大地を、重力を、空気を、魔素を、舞い上がる砂塵を劈き揺るがすほどの、巨大な獣の咆哮であった。

 かつて世界中を脅かした蛇頭の怪物と似た恐ろしい聲。齎される絶望は遠くに立つ少女の足を恐怖に折って、その場に縫い付けるほどの。

 アークエネミー、巨人(ハイランダー)・タケミカヅチ。それが今しがた眠りから目覚め咆哮をあげた存在の名だ。封印されてから長い年月を眠り過ごした『それ』は、先ほど地に落ち、浮かび上がる巨大な棺の中から顔をゆっくりと覗かせる。

 小高い山ほどはあろうかという大きな棺が開き切って現れるのは、二本の腕。頭が出る。胴が出る。その大きさは棺に収まっていたとは思えないほど大きく、その肌色は黒という色をかき集め凝縮したような黒。そこには皮膚を割る罅か、皮膚の下を這う血管のようにして赤黒い光がはしっているのが遠目ですら窺える。

 その巨人が地に両腕をつければそこら一帯が罅割れ、沈む。四つん這いのような姿勢を取った。

「……『蒼の継承者』にして『獣の心臓』よ。……融合せよ」

 彼女が一歩、歩み出れば自然と身体が浮かぶ。そっと、巨人の傍へ寄り微笑みすら浮かべながら、彼女は一緒に来た少女へと声をかけた。無機質な声が「了解」とたった一言告げ、ふわりと浮かび上がる。

 そのまま飛んで向かう先は、欠伸をするように身体を伸ばし頭を持ち上げる巨人の、胸にある赤いコアだ。見た目の硬質さに反し、少女、ニュー・サーティーンが触れた途端そこは沈む。そしてゆっくりと少女を受け入れると、とぷんと揺れて、元の丸い形に戻った。

 すると、くりぬいたような赤い瞳が、皮膚にはしる赤黒い光が一際強く輝き、巨人はまた叫び声をあげた。見届け、イザナミは静かに歪な微笑みを浮かべると口を開く。

「ククッ……忌まわしき巨人よ。その業火で、全てを灼き払え」

 イザナミの声に従うようにして巨人は、天高く浮かぶマスターユニットを見上げ大きく口を開く。と、影を穿(うが)ったようにぽっかりと開く口腔からは、黄金色をした魔法陣が浮かび上がった。照準を定めるかのように魔法陣は回転しだし、やがて巨人は口腔へ光を蓄え始める。

 ――射出。

 数秒の時を経て、最大まで蓄えられた光が一筋の矢となって射出される。それは真っ直ぐマスターユニットを貫き、破壊する……そう思われた。

 が、光線の矢の先が当たる寸前のことだった。金色をした紋章が矢とマスターユニットの間を隔てるように浮かび上がり――光が弾かれて砕け散る。

 絶対防御、ツクヨミユニット。その光景を目にしたイザナミの脳裏に過る名だった。そして、それを展開した人物の名を呼ぶ。

「……レイチェル=アルカードか。無駄な事をする。……今の其方で、あと何度『ツクヨミ』を展開できるというのだ?」

 彼女が虚空へ話しかけると、虚空から声が返る。少女のものだ。

「ご心配には及ばなくてよ。私がツクヨミを展開できなくなるより先に、この子には退場してもらうから」

 余裕たっぷりの声はそう言って、小さく笑いすら零す。

 けれど、彼女一人でいつまでタケミカヅチの攻撃を防御できるのか、それはレイチェル本人すら分からず、青白い額には透明な汗の粒が浮かぶ。レイチェルの言葉を笑い飛ばしてイザナミは、沈黙していた巨人に再度、攻撃を命じようと手を掲げた。

 

 

 

「何だよ、あの化け物は……!」

 巨人の出現にラグナが思わず声を荒げて叫んだ。山のように大きな赤黒いそれは、過去に渡って見た黒き獣にどことなく似た雰囲気を纏っているものの、明らかに形が違う。

 身体を抱き震えるノエルは膝を地につけ、静かに嫌だ、嫌だと呟く。それを見て、何かを知っているのだろうとラグナが問いかける。アレは一体なんなのだ。

 その問いに応えるのに数秒を要して、やがて震えながらもノエルは口を開く。

「あれは……あれは」

「アークエネミー、巨人・ハイランダー。暗黒大戦での最悪の遺物だ」

 躊躇うノエルの言葉に続けるようにして、背後から声がかかる。振り向く先に居たのは、金髪を揺らす青年。ラグナの弟、ジンであった。何故彼が居るのか、疑問に思いながらもラグナはノエルを一瞥する。その顔は青白く、額にはいくつも汗が浮かび、ひどい顔色だ。

 それに心配の声をかけながらも、今度は遠くの巨人を見る。何故だか、アレを見ていると気分が悪くなる。眉根を顰めながら、咳をこぼす。

「アレの近くに、帝が居るはずだ」

 そんなラグナに、やはりジンもまた顔色を少し悪くしながら、静かに告げる。

 ジンがどこでその情報を得たのかといえば、ジンも憶測でしかなかった。けれど自身の中の『秩序』が告げているのだ。

 ジンの言葉を聞いて、思わず汚い言葉がラグナの口をついて出る。突然の巨人の襲来に最悪だと思っていたのに、まさかそれが奴の仕業だと分かれば、尚更最悪だと思えて。

 でも、やはりか、とも思う。あんなものを持ちだす相手が今のところそれくらいしか思いつかないのだ。

「……やっぱりアレも帝の仕業かよ。あいつを止めねぇと……お前ら、手伝え」

 それなら尚のこと彼女を止めなければいけない。けれど、自分一人では到底できる気がしないから、協力を仰ぐ。ノエルは勿論だと頷きかけて――それを遮る声があった。

「兄さんは必要ない。アレは僕が止める」

「ジン!!」

 彼の言葉に、気付けば声を荒げて肩を掴んでいた。驚きにジンの緑の瞳が見開かれる。それをお構いなしにラグナは叩き付けるように叫んでいた。

「つまんねぇ意地張ってんじゃねぇぞクソガキ! どう見てもテメェ一人の手に負えるモンじゃねえだろうが!!」

 あんな強大なもの、いくらジンが昔と違い強くなったからと言って一人で倒せるはずがないのだ。だから、自身が気に入らないならそれでいいけれど、今だけは手を貸してくれと。

 ノエルも一緒になって頭を下げる。それらを見て、ジンは暫し黙り込み――。

「……協力するのは、今回だけだ。全てが終われば……殺す」

 渋々と、承諾する。最後に毒を挟むのはいつものことだとして多少言い返すことこそあれどラグナは少しだけ笑みを浮かべた。あの幼かった頃と違った生意気な態度すら可愛らしく思えた。

「んで、どうやって止めるんだ、アレ」

「今すぐ殺すよ兄さん」

 走りだして、ふとラグナがそう零す。手伝えだのと言っておいての間抜けた台詞に、思わずジンは青筋を立てる。けれど、ノエルの方が何か思いついたように声を漏らせば自然と視線をそちらに向けた。

「何だ、屑のくせに何か思いついたのか」

「……いえ、ただ、あの巨人の狙いはマスターユニットだと思うんです。なら、クシナダの楔が起動するまで守ればいいんじゃないかって。マスターユニットさえ無事なら、魔素にされた人も事象干渉で助けられるかもしれないですし……」

 屑、その言葉に眉尻を垂れながらもノエルはそう語る。魔素にされた人を本当に助けられるかと言われれば確証こそないけれど、可能性を潰すよりはマシだ。それに、自分の中の『蒼』の力がこれを告げているのであれば、マスターユニットを守れば救える確率は高いはずだ。

「……うっし、そうと決まれば……あのバケモンをぶっ倒しに行くか!」

 どう倒すのかは分からない。けれどいつも通り殴って斬れば良いはずだと軽く考えニッと笑っい、ラグナはその足を速める。

「はい! ……って、あれ? ラグナさん、見てください」

 それに元気よく返し、続けるようにして走り出すノエルであったが――ふと、タケミカヅチが居る前方に見慣れたものが見えた気がして、彼女は指を差す。

 

 

 

「セリカ、こんな所で何してやがる!!」

「あ……ラグナ」

 かけられる声に気付いて振り向くのはセリカだ。硬質なミネルヴァの肩をそっと撫でていた少女は、少しの驚きとバツが悪そうなのとをない混ぜにした表情を浮かべた。

 ラグナはそれを見た瞬間、やはり何か無茶をするのではと思って、口を開こうとする。けれどその息を吸う瞬間に通信越しにココノエが声をあげた。

「ラグナ、セリカの邪魔をするな」

「ココノエか! テメェ、セリカに何させるつもりだ!」

 頭に直接響くような声にももう慣れた。何度も聞いた声に驚くこともなく、ラグナは通信を繋げてきた彼女に乱暴な口調で問うた。何故彼女がこんな危ない場所に居るのか、何をさせるつもりだったのか。

「いいの、もしもの時は……って私がココノエさんにお願いしたの!」

 声を荒げるラグナに、セリカはココノエを責めないでと止めるように声をかける――が、目的語のないそれは逆にラグナを苛立たせた。だから何をだ、ますます声を大きくするラグナ。怒りと混乱で脳が焦げ付いてしまいそうだった。

 そんなラグナに、やがてココノエが口を開く。

「……セリカのリミッターを解除する」

 話さねば邪魔をされる、そう思って彼女は短くそう言う。解除という言葉に、ラグナが眉をひそめる。意味が分からないわけではない。ただ、リミッターを外す危険性を知っているはずのココノエが、何故わざわざそんなことをさせるのか。

「クシナダの楔が未だに起動されていない。このままだとあの『タケミカヅチ』にマスターユニットは破壊されるだろう。そうなれば、全てが終わりだ」

 ココノエの言葉は途中から聞こえなくなっていた。

 ただラグナの意思に反しココノエが行動を起こす理由に挙がった『クシナダの楔が起動できていない』という事実が、ひどく歯痒く思えて。

「クソッ、オッサン、まだなのかよ……!」

 そう言っても状況が変わらないことも、ラグナが起動を任せた彼だって一生懸命に闘ってくれていたことも、それで少し時間が足りなかっただけなのもラグナは理解していた。

 ココノエだって考えた上での決断なのだろう。これ以上好転を期待して待つだけの余裕はないのだから。

「そこに居る機械人形『ミネルヴァ』はセリカの力を増幅する、謂わば『アンプ』だ。ここでセリカの力を全て解放し、ミネルヴァによって増幅させれば。タケミカヅチの活動を抑制することができる」

 あの巨人――タケミカヅチは黒き獣に近い存在であり、周囲に魔素を必要とする。ならばセリカのリミッターを解除してやれば止められるはずだ。それでも駄目なら、彼女を弾頭としてタケミカヅチにぶつけると、ココノエは語る。

 ラグナは耳を疑った。そして次の瞬間には、ふざけるな――そう叫んでいた。

 そんなことを許すわけがない。リミッターを解除するまでは良い。けれど、弾頭にするだなんて、そんなことをしたら彼女が無事で済むはずがない。

 ラグナの声を聞き、彼女は溜息を吐く。彼がそう言うことを理解していたのだろう。

「ならば十分だ。十分以内にクシナダの楔を起動させろ。できなければ……セリカは消滅する」

「消滅……!?」

 言葉の不穏さとは裏腹に、至って冷静な彼女の声が逆にラグナを驚かせる。何故消滅するのか、何となく前に聞いた言葉で察してはいたが、信じたくなかった。ココノエが何か説明していた気がするけれど、それすらラグナの頭には入ってこない。

「……以上だ。他に妙案があれば教えてくれ」

 それだけを言うと、ノイズ混じりのココノエの声が聞こえなくなる。通信が切られたのだ。それを確認すると、セリカは微かに困ったような微笑みを浮かべて、ラグナにゆっくりと騙りかける。お願い、私にやらせて、と。

「自分にできることやらないで、それで全部駄目にしちゃったら……私、すごく後悔すると思う」

 セリカの言葉に、呻く。ラグナだって、ココノエ達の言葉に一理あることも理解していた。どうしてもそうしたくないというのは、自分の我儘であることも。けれど、何かをしなければ。

 そう思い、ラグナは虚空に話しかける。

「オイ、ココノエ。オッサンに繋げるか」

「……可能だ。ノイズが激しいが、気にするな」

 声をかければ、すぐにココノエは応答する。依然として表情は冷たいままだが、彼のあがきを最後まで見届けるつもりなのだろう。ココノエはそれに異を唱えることなく頷く。

 コンピューターのキーを叩く音が響き、やがてココノエが合図する。通信が繋がったのだろう。

「オッサン! 聞こえるか?」

「こ、この声はラグナ=ザ=ブラッドエッジでござるか?」

 突如頭の中に声が響いたことで、バングは驚いたような野太い悲鳴をあげる。ラグナも最初は慣れなかったのだから、当然だ。けれどすぐにバングは確かめるように話しかけてくる。

「オッサン、悪いが時間がねぇから用件だけ言うぞ。あと十分以内に何が何でも楔を起動させてくれ! 世界の運命とセリカの命がオッサンにかかってる!!」

 バングの声に応える言葉はなく、代わりにまくしたてるようにしてラグナは言う。無茶だとか、本当か、だとかバングが言うけれど、無茶でも何でも起動してもらわなければ困るし、ここで嘘を言ってどうするのだ。

 ラグナの言葉にやがてバングは力強く頷く。見えはしないが、相分かったという声がそれを伝えていた。そこで通信は途絶える。

「マジで頼んだぞ、オッサン。あとは……」

 祈るように、まだ向こうにいるバングへそう呟くと、ラグナは辺りを改めて見回した。少し先ではタケミカヅチがまた攻撃をしようと構えているし、他は崩れた歩道橋や信号、瓦礫。

 ラグナが考えていたのは、もう一人の味方の存在だ。楔を起動して転移させるにしても、自身らがタケミカヅチを抑えている間、誰が塔の基部を破壊するのか。

「……業腹だが、貴様達に加勢してやろう」

「お面野郎……!!」

 不意に、空気が動く。ラグナ達の背後で声がし、振り向いた先に居たのは白い鎧と面に身を包んだ人物――ハクメンだ。それは、ラグナを倒す事を目的としており何度か刃を交えた相手でもあった。が、身構えるよりも先に耳に届いた声が、その警戒を解く。

「丁度いいところに来た、頼みがある……!」

「貴様が私に頼みなど……まぁ良い。言ってみろ」

 ラグナの言葉を軽く一蹴しようとするハクメン。しかし、彼にも彼なりの事情があるのだろう。言いかけ、止め、素直にラグナが用件を言うのを促した。

「あの『塔』の根本の基部を破壊してくれ。テメェならできるだろ?」

 ハクメンの強さは、ラグナは身に染みて分かっていた。そして、それを見込んでの頼みだった。彼ならできる、と確信していた。そしてハクメンも同様に可能だと思ったのだろう。頷き、そして首を傾ける。破壊してどうするのだ、と。身体中についた赤い目が、ラグナをしっかりと見据えていた。

「アレを楔が……あぁ、そうだ。アレを楔の伝導体っつーのにして、窯に打ち込むんだよ。それで魔素が止まるっつー賭けみてぇな作戦だよ」

「……賭け、か。下らん事を思いつくものだ」

 よく覚えていた、とラグナは自身に感心する。

 そしてハクメンもまた、下らない、そう言いながらもそれ以上の言葉を言わないということは関心を持っているのだろうし、納得もしたのだろう。

「基部を破壊すれば良いのだな」

 静かにそう言って、ラグナが強く頷いたのを見ると、ハクメンもまた頷き走って行った。

 見送り、ラグナは虚空にまた声をかける。

「ココノエ、要はマスターユニットが破壊されなきゃいいんだよな」

「そうだ」

 応答するピンク色が首肯すれば、ニッとラグナは口角を持ち上げ、ならばとセリカに向き直る。

 リミッターを解除しろ、ただし、十分経ったら切れ。言う表情は、決意に満ちていた。

「話は簡単だ。セリカがタケミカヅチの動きを抑えてる間に、俺らがあの化け物をぶっ倒せばいいわけだ!」

 見上げる先には、自身らの何倍もある巨人。それに立ち向かうことを高らかに宣言し――ラグナは、ノエル達にも笑いかけた。立てた親指は頼もしく、ジンは馬鹿だと言いながらもふっと笑いを零した。彼はいつだって無茶ぶりをするけれど、何だかんだ困難を乗り越えてきたのだから。

「セリカ、俺達を信じろ」

「うん……!」

 セリカが頷くと同時に、三人はタケミカヅチへと駆けて行った。その背を見つめながら、セリカは祈るように胸の前で手を組み――目を伏せた。その姿を走りながら一度振り返った三人は皆、ある人物の面影を感じて――。

「セリカ、始めろ」

「うん。私も負けてられないもんね。ミネルヴァ、傍にいてね」

 そう言って、彼女は静かに口を開き――リミッターを解除した。魔素の流れが、止まる。

 イザナミはそれすら余興だとして、立ちはだかる三人に笑いかけた。

 

 

 

   4

 

「……此処か」

 イブキドの窯。いくつもの棺が乱雑に積み上げられたそこは、かつて十二素体を精錬するための実験を行っていた場所だ。魔素の濃度が高い。あの男が好みそうだと、ハクメンは思う。

「よぉ……てめぇが来たか」

 見回そうとしたところで声と足音が響き、見遣れば奥から見慣れた男が現れた。

 ユウキ=テルミ。

 ハクメンの身体についた十六の赤い瞳がテルミを睨み付けた。ハクメンの顔にこそ目はなかったけれど、『悪』へ至る筋――そして、悪そのものを見分ける十六の目が全身にあった。

「……テルミか。何者かは居るだろうと思ったが、また『残滓』の相手をすることになるとはな。否……この流れは」

 残滓。それは、ハクメンの身体である鎧『スサノオユニット』が本来別の人物の所有物だったことにある。記憶や、感情、それらが僅かに残ったものが、時折ハクメンを苛み苦しめたが。目の前の男はその残滓に似ていながら、それとは流れが違う。

 テルミは気怠く頷き、吐き捨てるようにして肯定した。

「ケッ、そうだよ、残滓じゃねぇよ……」

 残滓でないが、しかしその魂は不安定。

 それに、確かテルミはかつて共に戦った『彼女』に――。

「つまり、二重の者(ドッペルゲンガー)か……。その割には流暢に口を利く」

 皮肉るようにハクメンが言うと、テルミはひどく苛立たしげに舌を打った。あのトリニティさえ、あるいは入れ知恵をした吸血鬼さえ居なければ、こんなことにはならなかったのだ。

 テルミとして表を自由に動けるのは良いが、認識は飛びまくりでさっきから別の景色がチラつき、ウザったくて仕方がなかった。

「もういっそのことさぁ。てめぇに『躯』を返してもらうかって少し思ってたりしてな」

 冗談めかして笑いながら言うテルミに、ハクメンはしかし静かに応じた。

 返せるものなら、とうに返していると。

「だが……今は未だ、此の忌まわしい『力』に頼らねばならぬ使命が有る。貴様の全てを滅すると謂う『使命』がな」

 言った途端、ハクメンは空気が凍りつくような凄まじい殺気を帯びる。揺れる長い白の髪、背負った大太刀、アークエネミー『斬魔・鳴神(ざんまおおかみ)』を抜き真っ直ぐと構えた。

 それを見て、テルミの口角がますます持ち上がる。凶悪な笑みを連れて彼は口を開いた。

「ハザマに頼まれてこんなところに居たけどよぉ、なかなか面白い展開になってきたじゃねぇか。俺を滅するだぁ? 調子に乗ってんじゃねぇぞ馬鹿が!!」

 嘲るように、貶すように彼はそう吐き捨て、ハクメンを――ハクメンとなる前のその過去を知っている彼は『弱虫』だと称し、手を掲げる。空間を食い破り、ウロボロスが顔を覗かせた。

 それを見ても尚、ハクメンは剣を構えたまま。

「成らば我が『弱き』心も此処で『滅する』迄!!」

 高らかに声をあげ、彼は片足を引きずるように引いた。

「我は空(くう)、我は鋼(こう)、我は刃(じん)……我は一振りの剣にて全ての罪を刈取り、悪を滅する! 我が名はハクメン、推して参る!!」

 口上を口にし、ハクメンは地を蹴った。駆け、大太刀を突き出す。金属音が鳴って、じゃらりと伸びた鎖が弾いた。もう一本を掴み、テルミが射出させた先はハクメンの肩。物理的な攻撃よりも精神汚染に特化したそれはハクメンの肩に入り込み、噛みつく。

 噛みつかせたままに鎖を握り直せば、テルミの身体がハクメンの元へと運ばれ、隙を見せたハクメンに蹴りを一つ。

「ぐっ……」

「オラオラ、どうしたよ、えぇ?」

 技を練る時間さえあればウロボロスをその大太刀で引き千切ることも可能だっただろう。しかし手に纏った闇色の魔素の塊を叩き付けられれば思わず呻き、よろめいた。

 ウロボロスを引き抜き、また射出し刺突。絡みつかせ、床に引きずり倒し、技を練る時間のない彼を存分に弄んだ。テルミの後ろでは少女がそれを見つめていて、笑みを貼りつけたまま何気なくテルミは一瞥する。

「戦闘の最中に余所見とはな……っ」

「うるっせぇな弱虫が!」

 テルミが意識を逸らした一瞬でウロボロスを振り解き、すぐさま飛びかかるハクメンの刃が振り下ろされる。それを振り向きざまに抜いたバタフライナイフでテルミは受け止め、押し合う。両手で握った大太刀と、片手で持った細身のナイフでは圧倒的にナイフが不利だ。しかし軋む音を立て震えながらに大太刀を受け止めていた。親指の腹が鋭利な大太刀の刃に触れ、鮮血が滲む。

 ――もうひと押しだ、そう思った次の瞬間、テルミが消えた。否、数メートル離れた場所に気配はあった。理解はしたけれど、体重をかけていたハクメンは対象が離れたことにより踏鞴を踏むが、すぐに体勢を立て直す。

 隙を見つけて、早く倒さねば。しかし相手は素早く、対処しているだけでは技を練る時間を稼げない。黙り込みテルミを睨み付けるだけのハクメンに、眉根を寄せながらテルミは首を傾げた。

「何だよ、考え事かぁ? それとも降参しましたーってか、つまんねぇな。まぁ、そろそろ終いにしようと思ってたところだし良いっちゃ良いんだけどよぉ、ハクメンちゃん。ってわけで……さっさとくたばれや!」

 ぺらぺらと話す口が、弄ぶようにして振り回される鎖が、ひどく癇に障る。

 声を張り上げるテルミに、ハクメンが身構えた瞬間だった。

「……てるみ、さん?」

「な……んだ、と……」

 頭の中に声が響く。遠くから聞こえているはずなのに近く聞こえるのは、自身でありながら自身でない人物の感覚をそのまま引っ張ってきたからだ。

 テルミが声をあげるよりも前に、何かを察知したのだろう。名を呼ぶユリシアの声は震えていた。胸へ、違和感があった。まるで何かが突きつけられるような。

「テルミさん……ここまでです」

「クソ、眼鏡……ッ」

 トリニティだった。

 テルミらはトリニティを殺しはしなかった。ただ、一段落ついたら思う存分絶望を味わわせてやるため、気絶させるに留めていたのだ。しかし、それが間違いだった。

 ハクメンとの戦闘ともなれば、意識は自然と戦闘の方に集中する。そうすれば分離が完全でないハザマの肉体は無防備になるのだ。融合が残った状態でハザマが傷付けられれば、当然だがテルミにもダメージが通る。

 トリニティが目覚めたのは、誤算でしかなかった。

「……ごめんなさい。私は、こんな卑怯な手でしか貴方には近付けない……」

 静かに目を瞑って、トリニティが胸に突きつけたナイフに力を込める。

 ここまで来て謝るなんて、どんなお人好しなのだろう。思いながら、ハザマもテルミも咄嗟には動けなかった。突き刺さる刃は冷たいはずなのに、やけに熱を感じた。

 吸った息は肺で潰れ、代わりに液体が口をついて勢いよく溢れ出し、頬を、顎を伝う。

 痛みを、このときハザマは初めて感じた。それは物理的な痛みもあったけれど、それ以上に刺された胸の奥がズキズキと痛むのだ。

「……や」

 蚊の鳴くような声だったけれど、やけにその声が響いた。顔を上げ、ハクメンは声のした方向を見遣る。それは、とても蒼い色をしていた。

「な……」

 何故『それ』がここに居るのか、ハクメンは一瞬戸惑った。けれど、

「ハクメンさん、今です!」

「トリニティ=グラスフィールか!」

 頭に響くトリニティの声、およそ魔法による通信だろうそれにハッと正気付いて、ハクメンはテルミを静かに見据えた。

「……明鏡止水……我心よ。一振りの刃と化せ」

 トリニティが、情けない自身の代わりに隙を作ってくれたのだ。ならば、応えるまで。

 大太刀を構え、静かにそう紡ぐ。テルミは動けず、意識はここにないというように佇み、ただ息を切らしていた。

「劫魔滅殺……虚空陣奥義」

 ――『刻殺』。

 その刃は、一直線にテルミをとらえるかと思われた。

 視界の端を、甘い金色が掠める。

 甲高い金属音。

 散る赤い火花。

「……なん、だと!?」

「てるみさん、は……きずつけ、させません、です……っ」

 銀色に輝くそれは、鎌だった。こんな細い腕のどこにそんな力があるのか、少女の握った鎌の峰がハクメンの刃を間一髪で防ぎ、押し合う。

 驚きに、ハクメンは思わず飛び退いた。睨むというには程遠い、怯えが殆どを占めるその目でハクメンを見つめながら、彼女は後ろに立つテルミへ声をかけた。

「てるみさん、だいじょうぶですか……っ」

「……ああ」

 テルミはそこでやっとこちら側に認識が戻ったようで、ひどく驚きながらも返事を返す。

 それを聞くとほっとしたようにユリシアは胸を撫で下ろすけれど、それ以上に気になることがあって、振り向いた。

「てるみさん、はやく、はやくもどりましょう、です。じゃないと、はざまさんが」

 彼が、心配だった。テルミと身体を共にする彼が。冷たいところもあるけれど、何を考えているか分からないところもあるけれど、それでも大事な彼が。胸のざわつきはやがて痛みになって、まるで何かを警告しているかのようだ。

 しかしテルミは静かに相槌こそ打ったけれど、先ほどまでの彼とは打って変わって静かで。

「てるみ、さん?」

「……何故」

 ユリシアが疑問にテルミの顔を覗きこもうとするよりも先に、低い声が問う。それは、問うたというよりも、ただ漏らしてしまったに近い声だったけれど。それに思わずユリシアがハクメンに視線を戻すと。

 彼は、先ほどのように襲ってくる気配はなく佇んでいた。

「何故、貴様が此処に」

「……え?」

 思わず、聞き返した。何故、自身がここに居るかだなんて。そんなの、決まっている。

 ただ、大切なひとと一緒に居るために、着いて来ただけだ。

 けれど、彼の言葉は単純にそれだけじゃない気がして。

「随分と厄介な者が現れた」

 どういう意味だ、と問い返すより前に、ハクメンは静かにそう紡ぐ。

 ますますわけが分からなくなって、ユリシアが眉根を寄せ、口を開こうとしたが。

「退け。其処の男は我が使命により倒すべきだが……善悪のない『神』を相手するよりも、今はやらねばならぬ事があるのでな。次に会った時は、仕留める」

 追い払われる。神とは、誰のことなのだろう。分からないし気になったけれど、それよりも襲って来ないのならば、言われた通り退くのがいいだろう。大切なひとを守る方が先決だ。

 だから、ぺこりと頭を下げテルミに駆け寄る。放心していた彼を正気付かせて、引っ張る。

 するとテルミは、意外にも一つ返事で素直に従うのだ。

 ハクメンすら意外に思った。自身の判断に茶化すような一言でも言われると思っていたからだ。

 無言で去って行く彼らを見ながら――彼は、改めて窯の中央を見た。

 そこには、黒々とした―――しかし蒼い光のはしる巨大な塔の基部が立っており。

 

 

 

「英雄さんが、基部を破壊したわ」

「良し、オッサンはまだか!」

 頭に響くレイチェルの声が、上手く行ったことを告げる。ならば後はバングが楔を起動するのを待つしかない。彼はまだなのだろうか。襲ってくるタケミカヅチの攻撃を必死に躱し、ときに刃を打ちつけながら彼はそれ以上ができない自身を恨んだ。

 一方、バングの方はといえば未だに行く手を阻む二人によって起動にこぎつけられずにいた。

「行かせないわ!」

 ライチの萬天棒による攻撃が、離れようとするバングの背を打つ。

 痛みに呻き、よろめく。しかしそれでもバングは必死に立った。世界のため、否、助けたいものを助けるために。

「ぬおぉ……まだだ、まだでござる……! 殿よ、拙者に力を!」

 己を奮い立たせるように、拳を握り叫ぶバング。

 殿と呼びずっと慕ってきた、師であるテンジョウが、釘の中から自身を見守ってくれているような気がして、彼の力があればきっとこの窮地も乗り越えられる気がして。

「他に頼るか。実に無駄な魂だ。それが『人』の弱さだと、何故気付かん……」

 しかし、それを見てレリウスはつまらないものを見るように、冷たく『無駄』だと吐き捨てた。

 彼の目指すは孤高にして最高の魂。孤独こそが強さを生むと信じて疑わない彼の『眼』に、バングのそれはあまりにも憐れに映った。

「違う、それが『人』の強さだと知れ!」

「ぐっ……!?」

 突如、背後から声が響く。老いた声ではあったが、芯のある、よく通る声だった。

 ヴァルケンハイン。現れると同時、脚を爪を剥きだしにした狼のものにして振り向こうとしたレリウスの横腹に蹴りを入れた。足が沈み、爪が食い込む。

 奇襲とも呼べるその攻撃によろめいて地に倒れ込むレリウスを、ヴァルケンハインは冷たく見下ろした。

「行け、シシガミ=バング!!」

 しかし、その光景にバングもまた呆気にとられており、立ち尽くす彼に視線だけを向けて彼は叫ぶ。ハッとして、かたじけない、そう言えば強く地を蹴り、跳んだ。

 ライチが飛ばす棒が掠りながらも、拘束された楔の上に降り立つ。ライチがひどく悲しげな顔をするのが見えて、バングは顔を逸らした。

「レイチェル様、シシガミ=バングが楔に取り付きました!」

 バングが楔に乗ったのを確認すると、すかさずヴァルケンハインが叫ぶ。告げる先は自身の主であり、楔を転移させる役割を担うレイチェル=アルカードだ。通信を受け取ると、レイチェルはヴァルケンハインを短い言葉で評価して、すぐさま意識を集中させる。

 空間が歪み、薔薇の香りを仄かに残して楔がその場から消えさる。拘束していた鎖は、突如対象物がなくなりだらりと垂れさがり――起き上がったレリウスが、溜息を吐いた。

 

 

 

「なっ、転移……? ここは!? テイガー殿は!?」

 湾曲し、歪み、揺れる景色に思わず口許を覆う。しかしそれも一瞬のことで、突然に景色が鮮明になる。辺りは暗い空、空、下に瓦礫たちと――大きな、塔。

 しかし聞いていた話ではテイガーという男が居るはずだが、それが見当たらない。困惑の表情を浮かべ、辺りを見回すバングの耳に、低い叫び声が聞こえた。

「跳べ、シシガミ=バング!!」

 驚き。辺りに声の主の姿は見えないが、はっきりと聞こえる声にバングは目を見開く。

 どうやら自身はどんどん降下しているようだが――。

「バング、その釘でクシナダの楔を思いっきり打ちなさい! 早く!!」

 動けずにいたバングの耳に、またしても声が届く。今度はあの少女――レイチェルのものだ。

 その言葉を聞いて、やっと己がどういう状況にあり、何をせねばならないのかバングは理解した。急かすようなレイチェルの声に促され、強く頷き、全身に力を込める。

 金色の光を纏って、バングは脚をバネのようにして――足元を、蹴った。

 高く、高く跳躍する。光は筋を描き、天高く上昇し。

「殿……拙者の『願い』聞き遂げて欲しいでござる」

 静かに目を伏せ、背後に話しかけるようにしてそう呟いた後、バングは大きく目を開く。眼下に楔を見据え、今、楔を起動する。

「轟け! 拙者の魂よ!」

 背に担いだ『鳳翼・烈天上』を手に掴み、抜き取る。その先を真下に向けて、バングは叫んだ。

「……起動するでござる、鳳翼・烈天上ぉぉお!!」

 言うや否や、凄まじいスピードで落下し始めるバング。しっかりと、真っ直ぐ釘を支え、向かうは楔。

 轟音と共に、クシナダの楔のコアである烈天上が、白銀色のそれに突き刺さる。

 その瞬間、刻み込まれた紋様と文字が紅く光り――ゆっくりと、落下の速度を速めた。

 やがてそれは塔の頂上に突き刺さり、煙を上げて、基部を斬られた黒色の塔は深く、深く沈み始めた。

 だんだんと頂上の高度が下がっていき、イブキドの中央にある窯へ突き刺さる。

「上手くいったか!?」

 やがて、塔が見えなくなり、音も止まった時。ラグナがそう叫ぶ。

 タケミカヅチが呻き、動きが鈍くなる。魔素の活動が止まったと、ノエルが漏らす。すなわち、賭けのようなその作戦が成功したことを示していた。

「……レリウスめ。しくじったか」

 ノエル達の術式が起動しなくなったが、同時にタケミカヅチも隙だらけだ。

 双眸を冷たくすぅっと細めて、イザナミが呟く。

「ラグナ、今よ! 蒼の魔道書を起動なさい、タケミカヅチを倒すのよ!!」

「つっても、術式が使えねぇんじゃ……」

 レイチェルの声が頭の中に響く。しかし起動しろと言われても、クシナダの楔が起動し術式が使えない今、どうやって起動しろと言うのだろう。

「言っただろ、『その時が来たら働いてもらう』と! クシナダの楔はセリカと同じ波長だ、キャンセラーの力が働く。『蒼の魔道書』ならば、この状況でも動ける!!」

 躊躇うラグナの頭に、またしても声が響く。今度はココノエのものだ。人の頭の中で好き勝手に叫んでくれる、と痛む頭を押さえながら思いつつ、ラグナはそれなら……と頷いた。

 後ろで、セリカがラグナを呼んだ。何を言うでもなく、ただ、頑張れと背中を押すように。

 振り向き、笑いかけ首肯するラグナ。それを見て、静かにイザナミは毒を吐いた。

「ならばタケミカヅチ……余が力を貸してやろうぞ」

 腕を広げ、魔素の結晶である彼女は悠々と口にした。タケミカヅチの身体にはしる赤黒い光がいっそう強くなり、咆哮をあげる。

 それを受けてラグナもまたタケミカヅチを睨み付けると、高らかに、溢れ出るままに口にした。

「第六六六拘束機関解放、次元干渉虚数方陣展開! ブレイブルー、起動!!」

 蒼の魔道書を起動させたことにより闇色の魔素を腕から吹き出しながら、大剣を握りしめ、ラグナはタケミカヅチに、そしてその傍らに浮かび佇むイザナミに――声を張り上げ叫んだ。

 それが届いたのか、それともその姿にただ思っただけなのか――イザナミは、その姿を見て漏らした。

「死ね……。ラグナ=ザ=ブラッドエッジ」

 

 

 

 ラグナは単身でタケミカヅチに対峙した。先ほどまで共に闘っていたジン達は置いてきたのだ。射出される細い光線を大剣の広い側面で弾き返し、駆ける。

 タケミカヅチが地を殴りつければ地震のように足下がぐらつくが、その瞬間前に飛ぶことで衝撃を回避。地に足がつくとまた前進、すぐ目の前まで巨人が迫れば、その鼻っ面に剣を叩きこんだ。低い悲鳴をあげる巨人に、飛びかかり、追撃。腕に纏った闇色の魔素が獣の頭の形になって巨人に喰らいつく。

 そんなことを繰り返していくうちに少しずつダメージも蓄積されていったのだろう。上半身を持ち上げて逃げようとする巨人。その胸がさらけ出される。赤いコアのついた胸が。

「そこに居るのは、分かってんだよ……!!」

「な……」

 巨人からは、知った感覚があった。

 迷わずそのコアに剣を叩き付ければ沈む感覚と共に、露骨に声をあげる巨人。ここが、巨人の弱点なのだろう。そして、そこに彼女が――。

 だからだろうか、イザナミも驚いたように目を丸くしていた。

「行くぞ、この野郎!!」

「ラグナ、待って!」

 だからそこに侵入するべく、ラグナが声をかける――も、その後ろから制止の声がかかる。

 振り向く先には、セリカ。置いてきたはずの彼女は意外と近くに来ていて、傍に居るミネルヴァへ何かを話しかけた後、こちらへと迫って来た。

 来るな、と言おうとしたときには遅く、ラグナは迫ってくるセリカ達と共に巨人の胸へと突っ込んでいた。ミネルヴァに引っ掴まれて。後ろでノエルが声をあげた気がした。

「……」

 

 

 

「……いや、いやです」

 ユリシアが戻って来たとき、そこにハザマ達の姿はなかった。

 あるのは先からあった池と、ぽたぽたと垂れた血痕だけ。

 飛び散った水と、テルミがそこを見ていることからして、きっと、彼は。

「……ここに、おちた……ですか?」

「あぁ。あの女に刺されて、一緒に」

 否定して欲しかった。信じたくなかったけれど、首肯するテルミに、彼女は目を伏せる。

 また、彼を守れなかった。テルミと同じくらい大切なハザマを、今度は自分の手ではないにしろ、前回は望まれたことにしろ。また、助けられなかった。

「……っ」

 たまらず、目を開け水面を見つめる。

 気付けば、飛び込んでいた。

 

 

 

「いたた……」

 全身を打ったような鈍い痛みに目を覚ます。

 ゆっくりと身体を起こし見回す辺りはどこまでも広がる黒。暗い黒一色。けれど自分や隣に居る少女は鮮明に見えるのが不思議だ。

「って、セリカ、この馬鹿!! なんで着いて来た!」

 思わず、叫んだ。

 そうだ、何故この少女はこんな危険な所にまで着いて来たのだ。危険なことは、無茶なことはするなとあれほど念を押したというのに。

「だって、ラグナ一人で行っちゃうから」

 ラグナの怒声を受けて、びくりと肩を震わせたあと、彼女がそう言い返す。

 ぷっくりと頬を膨らませて唇を尖らせた様は、まるで言い訳をする子供のようだ。

 実際、理由にもなっていないような理由を並べる彼女。ラグナは溜息を吐いて、額を押さえた。それから、セリカの横を見て尚更頭が痛むのをおぼえて。

「お前も来たのかよ……あぁ、確か俺のこと掴んでたな。セリカを護れって言っただろ、頼むよマジで……。取り敢えず、コイツ連れて先にここから逃げて……」

「やだ」

 どうやら人の命令が理解できるらしいその機械人形、ミネルヴァに話しかけるラグナであったが、言い切る前にセリカが首を横に振る。

 たった二文字で拒否を示す少女はやはり子供っぽく見えて、そうでないと分かっていても、遊びに来たのと勘違いしているのではと思わずにはいられなかった。

 ミネルヴァも、護る対象であるセリカの意思を尊重したがっているのか動こうとしない。ここがどこか分かっているはずなのに、だ。

「にしても……今、何時なんだろ」

 渋々彼女らが帰るのをラグナが諦めたところで、ラグナの頭痛など露ほども知らず、セリカが口から零す。出てきたのはお昼ほどだったと思うけれど、あれからどれくらい経ったのだろう。なんだかここに居ると時間の感覚が曖昧になる気がした。

「さぁな。この中は時間の流れがおかしい。遅いのか早いのかまるで分からねぇ……『境界』の中と同じだ」

 どうやらその感覚は正解のようで、頷くラグナに相槌を打とうとしたときだった。

「その子が居るから、この中は『加速』しています」

「ニューか。居たな、やっぱり」

 先ほど感じた、知った感覚はやはり彼女であったか。

 過去に行って、黒き獣の中で会ったのと同じ。似た存在であるこの巨人の中にも、彼女はやはり居たのだ。

「ずっと待っていたんですよ。でも、なかなか来ないから心配しました。『ラグナ』さん……」

 青白い頬に優しげな笑みを貼りつけて、彼女はラグナを呼んだ。

 いつもの呼び方と違ったそれに、そしてその話し方に、ラグナは一種の苛立たしさと気分の悪さをおぼえた。今のニューの話し方は、ノエルのものだったからだ。

 先ほど同化したと言っていたが、きっとそれに関係があるのだろう。

「酷いですね……私は『ノエル=ヴァーミリオン』でもあるんですよ」

「違う……。テメェは『ニュー』だ」

 現に、彼女だって自身はノエルでもあると主張したことからそうなのだろう。

 けれど、やはり彼女はノエルではない。その姿だけじゃない。纏う雰囲気も、本質も、いたずらっぽい性格も、結局はニュー・サーティーンなのだ。だからこそ、わざわざこんな話し方をしたのだろう。

「知っていますか、ラグナさん。私は『ノエル=ヴァーミリオン』と同化して知ったのですが」

 ラグナの言葉を無視して、話を変えるようにニューが問う。

 何を、という目的語がないせいでラグナは首を傾けた。

「ここイブキドはですね、本当は私が『消えていた』はずの場所なんですよ」

 正確にはノエルが。そう訂正して、彼女は語った。

 その表情こそただの少女だったけれど、発言の節々は自身がノエルだと疑わないところがあって、本当に同化してしまったのか、とラグナは思う。

 けれど、それよりも気になったのは、彼女の発言の内容だった。

「ノエルが消えたはずの……場所?」

 ラグナの言葉に頷いて、ニューは目を僅かに伏せる。その瞳には暗い色が宿っていた。

「はい、そうです。あのイブキド消滅の日、ノエル=ヴァーミリオンは黒き獣として精錬されていたんです。……ところで、ラグナさん。『黒き獣』がどうやって生まれるか、知っていますか?」

 黒き獣。それは、人類が生み出し、人類を、魂を食い散らかした怪物。

 その暴れっぷりと、黒色を圧縮したようなその姿から、黒き獣と名付けられ恐れられたその怪物は。ニューたち素体が持つ『ムラクモユニット』と『蒼の魔道書』が必要になる。

 心臓であるムラクモユニットと、身体である蒼の魔道書が窯で融合し溶け合うことで、黒き獣が生まれる。ニューが黒き獣になるためラグナを求めたのもそれが理由だ。

 そして、イブキドが消滅した日、精錬されていたのは第十二素体であるノエル=ヴァーミリオン。そのために使われた『蒼の魔道書』は誰か。ニューは問う。

 ラグナではない。ならば、ラグナに思い当たる人物は一人。

「そう、ラグナさんが心に描いた人ですよ。ノエル=ヴァーミリオンは、あの男と融合するはずだったんですよ。だから失敗したのかもしれませんけど……」

 だってそうだろう、彼女は言う。

 寂しげに、悲しげに、そして憎しみを込めて、彼女は呟いた。

「私から、大事な家族を……全てを奪って。心をめちゃくちゃに壊したあの男の心臓になるなんて……『私』だったら死んでも嫌です」

 低く、地を這うような声はぞっとするほどの憎しみに満ちていた。

 しかし、すぐにニューは顔を上げるとぱっと笑った。

「でも良かったです。この『タケミカヅチ』が全てを吹き飛ばしてくれましたから」

 その台詞は、あまりにもその口調には合わない。やはり、彼女はどこまで行ってもニューなのだ、とラグナは思ってしまった。

 世界を、全てを憎む彼女だからこそ、簡単にそれが良かったと言えるのだ。

 が、ラグナはふとニューの言葉を思い出して――首を傾ける。

(今『家族』を奪ったとか言ったか、コイツ。素体に『家族』だと?)

 素体は作られた存在のはずだ。ならば、家族と呼べる存在も居ないはず。だというのに、何故彼女は家族、なんて言葉を口走ったのか。まさか、彼女達が自身の妹にそっくりなのと、何か理由があるのか。まさか、ノエルは、ニューは。

「さて、私の話は終わりです。ラグナさん。……貴方は、この可哀想な『ノエル=ヴァーミリオン』を殺しに来たんでしょう? ねぇ、『ラグナ』……ククク、アッハハハハハ!!」

 だんだんと、声の調子が変わっていく。

 それは、ラグナのよく知るニューのものだ。

 媚びつくような甘い声は、焦げてしまいそうなほど熱い熱情に満ちていた。 

「フフ、おいでラグナ。また抱きしめてあげる」

 彼女は抱擁を求めるように両の腕を広げ、あどけなくも歪な微笑みを湛えた。

 自然と腰に携えた大剣に手をかける。ギリ、と握りしめる手を見れば、ますますニューは歓喜に青白い頬を赤らめる。ラグナの右目と同じ赤い瞳は、先ほどの暗い色をそのままに輝いていた。

「ニュー。俺はテメェを殺しに来たわけじゃねぇ。ぶっちゃけ、お前殺しても死なねぇし……」

「ラグナとライフリンクで繋がってるからね。一緒に死なないと。なんか、運命の糸みたいだね」

 睨みつけるラグナに対して、ニューは表情を変えずただラグナだけを見つめて、腕を下ろし小首を傾ける。

 運命の糸。そう言う少女には、勘弁してくれとラグナは思う。

 そして、改めてラグナは思った。

 ここで、彼女との長く続いてきた腐れ縁に決着をつけなければと。そうしなければ、全ては進まない。この少女のことだって助けられない、助けたいものを助けられない。テルミのことだって、それと一緒に居るあの少女のことだって何一つ分からないまま解決しない気がした。それに。

「え~、ニューは永遠にラグナと殺し合っていたいな」

「いや、終わりだ。たった今、お前は俺に『助けて』って言ったからな」

 恐ろしいことに、ずっと殺し合っていたいと甘い声で告げる少女にも彼は動じない。ただ静かに告げるラグナに、露骨にニューは眉を持ち上げた。

「ニュー、そんなこと言ってないよ」

「言ったね。今の話を俺にしたこと自体、『助けて』って言ったようなもんだ」

 訝しげにラグナを見つめるニューに、しかしラグナは首を振って言う。眉根を寄せるニュー。

「ラグナ、あんまりふざけてると本当に殺すよ」

 低く、早口でニューが紡ぐ。ラグナに怒りのような感情を込めて『殺す』と告げたのは、これが初めてだった気がした。

「殺せるもんなら殺してみろ。御託はもういらねぇ、かかって来いよ『小娘』。悪ぃが、俺の助け方は少々荒っぽいぞ」

 ラグナが大剣を前に構える。それを見て溜息を吐き、ニューが両腕を広げた。

 纏っていた白いケープを取り払いながら宙に浮かび上がる少女。いつもの甲高い笑いはなく、彼女は静かに口を動かした。

「ムラクモ起動」

 背後に巨大な剣が現れる。ケープが地に着く直前、彼女は剣と共に光に包まれ――。

 足をつけた少女は、アークエネミー、『輝神(きしん)・ムラクモユニット』に身を包んでいた。

 背に浮かぶ八本の翼のような剣、足や腕に纏った硬い装甲、身体はラインの出るスーツに覆われ、顔には単眼のバイザー。

「……ニュー」

 

 

 

 ――どれくらい経っただろう。

 体感では結構な時間が経った気がするしお互いボロボロだけれど、果たして外はどうなっているのだろう。皆は大丈夫なのだろうか。自身らが内部で闘っていること、そしてクシナダの楔が起動されたことにより手出しできないとは思うけれど。

「うおっ……」

 考えている余裕はなく、飛びかかる少女。盾のように押し出された四本の剣を、大剣で押さえればもう四本の剣が鎌首を擡げ、光を纏いラグナに向けられる。見上げて見た先の剣がこちらに射出される直前に屈んで前に転がって避け、跳ね起き、振り返ろうとする彼女に剣を叩き付ける。

 飛び、彼女の身体は壁に叩き付けられた――かと思えば、砂塵の間からするりと現れる。

 踊るように、滑るように空を駆け近寄る少女。

 近寄る少女が両手を掲げれば光の剣が生まれ、前に腕を振り下ろすことで射出される。

 横に身体を動かしながら、射出された剣を自身の大剣でいなす。

「おらぁっ!!」

 そのまま剣が通り過ぎた瞬間剣を回し、握り直したところで駆ける。途中、腕を構える。

 蒼の魔道書を起動させ、剣に魔素を纏わせながら、強く、向かって来た少女に大剣を振り下ろす。咄嗟にニューは浮かべた剣で自身を守るも、力負けして敢え無く床に叩き付けられた。

 悲痛に濁った悲鳴が彼女の喉から溢れ出る。

 信じられないというように、彼女はその上体を起こしても尚、動けなかった。

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!! ニューが力負けするなんて、ラグナがこんなに強いはずがない! なんで、どうして……っ」

 顔を上げ、近くに佇んでいた銀髪を見上げる。

 確かに彼女は強かった。いつもいつも、何度闘っても、ラグナはまともに勝てた試しがなかった。なんとかして破壊した素体は居たけれど『ニュー』に勝てたことはない。

 だが、ここではどうだ。

 いつもの彼女に比べて動きは鈍く、今だって充分ラグナに隙はあるのにもう闘おうとしない。

 それに気付けば、もう彼女の装甲は傷だらけで、彼女もどこか弱っていた。

「……俺が強いんじゃねぇよ。テメェが弱いだけだ。この『最凶』が」

「っ……うそ、だ……」

 見下ろし告げられた言葉に、尚も信じないと少女は呟きながら――目を伏せる。

 今回の彼女は弱かった。原因は分からないけれど。

 倒れる身体を慌てて支え、ラグナはそっと抱き上げた。

「ラグナ!」

 戦闘が終わったのを察して、セリカがタッタと駆け寄る。

 ポニーテールにした茶髪を揺らしながら走る彼女にやっと安堵する。

「は――っ、やっぱコイツ、洒落になんねぇくらい強いわ……」

「大丈夫?」

 眉尻を下げながらけらりと笑ってラグナが吐き出す。

 心配げに顔を覗きこむ少女に頷いて、それからラグナは抱えた少女の顔に視線を落とした。

「だけどコイツ、眠ってる顔は本当ノエルそっくりだな」

 前々からそっくりだと思っていたけれど、落ち着いてしっかり見てみれば尚更そっくりに思えて。顔にかかった前髪をそっと払ってやる。同意を示すセリカ。暫しその寝顔を見つめた後、ラグナは顔を上げた。見据える先は先ほどまで気付かなかった、自身らが入って来たのだろう場所。

 一部だけ、黒の中にぽっかりと赤が大きく鎮座し、そこからは微かに空が透けて見える。

「おし、戻るぞ。コイツを出せば、タケミカヅチは完全に止まるはずだ」

「うん、戻ろう!」

 

 

 

 黒い巨人の胸にある赤いコアが水面のように揺れる。

 ゆっくりとそこから現れるのは、茶髪の少女と、もう一人の少女を抱える一人の男。ふわりと落下し、足をつけた彼らを出迎えるのは先ほど置いてきたジンとノエルだ。

「ラグナさん! 大丈夫ですか?」

 心配するようにラグナを見上げるノエルに、ラグナは頷く。それから状況を把握するべく問うた。自身らが居なくなってからどれくらい経った、と。

「えっと……ほんの、数秒だと思います」

 答える少女に少し驚く。あの長い戦いは、彼らにとって数秒のできごとだったのか。

 けれど、それもあの巨人の中なら有り得ることだとして、ラグナはできるだけ平静を装い相槌を打つ。そんなラグナの腕の中にノエルが視線を落として、あっと声をあげた。

「その子……」

「あぁ。巨人の中で拾ってきた。悪いがセリカ、治してやってくれ」

 ラグナもまた抱いた少女を見下ろし答えると、セリカに視線を向ける。

 分かった、と頷く少女の前にそっと寝かせ、差し出せば彼女が治療を始め、ニューの身体はセリカの手から溢れる温かな光に包まれる。

 それを横目にラグナとノエル、ジンは向かい合い――。

「愚かな。何故それを殺さぬ。それは厄の元凶だぞ……」

 ラグナが振り向き、ノエル達もまたその方向を見た。

 白い長髪に、白い面。白い鎧、背には大太刀を。ハクメンだった。

「うるっせぇな、俺が殺したくねぇんだよ」

 塔の基部を破壊してから戻ってきた彼の出現は唐突だった。今まで気配を感じさせなかった彼にしかし、さしてラグナが驚いた様子はない。

 乱暴に言う彼に、ほう、とハクメンは漏らす。あれだけ素体と窯を破壊して回っていた彼が、ニューがどれだけ恐ろしい存在か分かっているはずの彼が、殺したくないと言うのだから。

「ならば、私が代わりに止めを刺してやろう。退け、セリカ=A=マーキュリー」

 すっと担いだ大太刀を抜き、寝かせたニューに切っ先を向ける。

 治療する少女を言葉で退かそうとするが、しかし顔を上げた少女は首を横に振った。

「駄目。殺さないで、ハクメンさん」

「……聞けぬ願いだ、セリカ=A=マーキュリー。それは必ず、この世界に厄を齎す」

 悲しげな目で必死に、殺さないで、と頼むセリカ。けれど、それにはハクメンもまた首を横に振る。彼には見えるのだ。凶(まがと)に至る線が。そして、その線はニュー・サーティーンからも出ていることが。

 ならば、殺さなければいけない。それが彼の使命なのだから。

 だが、ラグナも同様に殺したくはない。故に、剣を構え阻止しようとした矢先。

「……宴も終焉のようだの」

 幽玄な声が響く。降下してくる少女は、先までタケミカヅチの傍らに浮いていた人物。イザナミだ。たっぷりとした幾重もの着物に身を包んだ少女は、暗い紅の瞳でラグナ達を見つめる。

 おぞましい気配だった。見ているだけで魂を抜き取られそうなその空気は『死』という大きな存在に相応しい。

「サヤ……!!」

 ラグナがその名を呼び、腰に戻していた剣の柄をまた握って勢いよく引き抜く。

「ここまでだ、テメェは俺が終わらせてやる!!」

 終わらせなければならない。彼女らの企みも、こんな形に成り果ててしまった彼女のことも、全ても。

 大剣を構え、ラグナはそう叫ぶけれど、それに彼女は笑むことも眉を寄せることもせず、ただ無言、無表情でラグナを見据えていた。

 それに一度剣を振り上げようとするラグナであったが、ぴくりと動かしただけで動けずじまい。震えだす手が彼女の赤い瞳に映り込む。

「どうした。余は抵抗せぬぞ。それとも、余が欲しいのか? 『兄さま』は」

 わざとらしく兄と呼んで、少女は目を微かに伏せる。あからさまに、その呼び方に反応し、瞳に怒りを宿すラグナ。それを上目に見て、彼女は視線を落とす。

「……『兄さま』は『また』私を拒むのね……」

 地を見つめ呟く声は小さく、ラグナは聞き取れなかったのか眉根を寄せ首を傾ける。

 しかし、彼が何かを言いかけるより早く、彼女は顔を上げた。

「其方では、余は救えぬ……永遠に、な」

 ラグナを静かに見つめ、悠然と彼女がそう紡いだ瞬間だった。ラグナの身体に、衝撃がはしる。痛みだった。突っ張る身体。身体を前に折り曲げ、口から呻きが漏れる。

 ゆっくりと、痛みがはしった方向――自身の腹を、見下ろす。そこには見慣れた光の剣が突き刺さっていた。

 どくどくと脈打つのを感じるそこからは夥しい量の鮮血が流れ出て、黒いインナーや赤いジャケットに赤黒い染みを作り上げていく。

「『助ける』なんて……悲しいこと言わないでよ、ラグナ」

 剣はニューのものだ。

 甘くもどこか冷ややかなものを感じる声でニューがそう囁く。ラグナの息は荒く、首に脂汗の玉が浮かぶ。テメェ、と漏らした声は存外掠れており、笑みを浮かべる少女を睨み付けるも覇気はない。

「ゼィア!」

 ハクメンが疾(はし)り、大太刀を薙ぐ。触れた感触はあった。けれど、ハクメンはひどく驚いた様子で声をあげる。何故ならば、気が付けば彼女は後ろに立っていたからだ。

「……『刻』を殺す剣か。しかし残念であるな。余の『刻』は既に死んでおる」

 彼女を止めるべく、終わらせるべく。剣を振ったハクメンの後ろで、少女の唇が紡ぐ。

 ゆえに、其方の剣は、余には届かぬ――と。

 彼女が手を掲げる。瞬間、ハクメンが声をあげ、途端消える。いつの間にか、イザナミの隣には、ツバの広い帽子を被った『誰か』が居た。

「戻ったか、ファントム」

「……嘘、でしょ?」

 セリカが、信じられないといった表情で、ぽつりと零す。ファントムと呼ばれたそれを見る瞳が揺れる。それは、それが纏う気配は、正しく――。

「セリカちゃん、キサラギ少佐。私の後ろに……」

 ノエルが一歩前に歩み出て、ジン達を守るように腕を広げた。

 眉根を寄せるジンの前で、ノエルは目を伏せ、そして一言、声をあげる。途端、彼女は光に包まれ――。

「神輝・召喚」

 そこには、肌の露出が多い装甲に身を纏った、ミュー・テュエルブが立っていた。

 これ以上好きにはさせない、叫ぶ少女の目は澄んだ蒼だ。それを見て、愉快げにイザナミが目を細める。

「ほう、神殺しの剣クサナギか……これは恐ろしい。ならば、対抗せねばならぬな」

 そう言って、笑いすら含んで、彼女は静かに紡ぐ。

 目覚めよ、獣。

 言った瞬間、近くで苦痛に満ちた悲鳴があがる。ラグナのものだ。腹を押さえていたはずの彼は今度は身体を弓なりに反らせて、腕から夥しい量の闇色の魔素を吹き出す。そこに、ジンはいくつもの首を擡げた黒き獣の影を見た気がした。

「ぐあぁあぁぁ……! ジン、ノエル……セリカを連れて、ここから逃げろ……っ」

 悲痛な声をあげながら必死に暴走しそうになる身体を抑え、ラグナは途切れながらも伝える。

 すぐにまた悲鳴をあげるラグナの痛々しい様を見て、ジンは舌を打った。

「ミネルヴァ、セリカちゃんを連れて逃げて……っ」

 ノエルもまた、困惑しながらも振り返り、セリカの傍らに居る機械人形へ声をかけた。

 セリカが危険だとその人形も判断したのだろう。声をあげ、抵抗する少女の腹を抱きかかえ、走りだす。ラグナ、叫ぶ少女を見送り、ノエル達は改めてラグナを見た。

「逃げろ、つったろ……この、馬鹿が……」

 ラグナの言葉に反して、逃げずに残る彼らを馬鹿だと言う。多少理性は残っているラグナであったが、気を緩めればすぐに飲み込まれてしまいそうだった。

「……ハザマもレリウスもおらぬか。まぁよい。彼らとの契約もこの『宴』まで。行くぞ、ファントム」

 ふと、イザナミが動く。

 浮かび上がり、足元に魔法陣を浮かべる少女らに、ノエルがいち早く気付き追おうとするも遅く、彼女らは消え、踏鞴を踏む。

「ノエル、逃げろ……っ」

「……ラグナさん」

 

 

 

「マスターユニット、アマテラス。何度この下らない悪夢を繰り返せば気が済むのだ」

 静かに、少女は目の前の巨大な機械に、その中の『何か』に話しかける。

 悲しむように、憎しむように、優しくも冷たく。

「其方を破壊できなかったのは残念だが……余興は終わりだ。神儀を始める」

 告げ、彼女は見下ろす。そこにあるのは、ニューが中から居なくなったことにより動きを止めた巨人だ。

「本来の役目を果たせ、巨人よ」

 言われ、咆哮をあげる巨人。

 それは、突如形を変える。小高い山ほどもあるその黒い影はぐにゃりと歪み――浮かび上がる。それは、球体と呼ぶのが相応しい形状だった。

 上昇を始めたそれは、手を掲げるイザナミの頭上にまで来ると、静止。

「人が創りし『罪』。忌むべき巨人を依代として、古き『世界』を集め……新しき『世界』を生む器となれ……『蒼の繭』よ」

 

 滅日は神還りと成った。蒼に選ばれし『資格者』のみが世界に残る。

 

 告げ、彼女は目を伏せた。

「ツクヨミよ、選択の刻だ。汝の役目を果たせ」

 厳かな声で告げる少女の声を受けて、応えるのは――。

「ツクヨミユニット。マスターユニットを護りなさい」

 レイチェルの声に呼応するように、金の紋章が浮かび上がり、マスターユニットに吸収される。

 ツクヨミを受け継ぎし少女の選択はそれであった。

「……それがお主の選択か」

「当然でしょう。『彼女』さえ残っていれば、記憶から世界を再構築できる。彼女を救うことこそが、この狂った世界で『私達』に残された唯一の『希望』よ」

 イザナミの目の前に現れるのは、金髪を二つに纏めた少女だ。たっぷりとしたドレスを纏う彼女が微笑み、肩にかかった髪を払う。

「これほど繰り返して、まだ懲りぬか」

 呆れたようにイザナミが言うが、それでも尚、レイチェルは挑戦的に笑ったまま。

「私はね、退屈で退屈で、本当に度し難いほど醜いけれど、この世界を『愛して』いるの」

「其方ほどの存在が『愛』を語るか。呆れて言葉も出ぬわ。ならば、求めるが良い」

 そこに在る『エンブリオ』を、そこより生まれ出でる『蒼』を。

 真なる『蒼炎の書』を。

「さぁ……終焉を始めよう」

 

 

 

   5

 

 帝達は消え、ハザマもレリウスも消息不明。

 魔素も消失し、現在術式による都市の維持は困難。

 各階層都市には第七機関からの電力を回すことで何とか保っているがそれも十分とはいえず、いつまで持つかわからない。

 淡々とココノエが語る現状。

 続くようにヒビキがそれに付け足すように語り、カグラが皮肉を口にする。

「そのうえ人間の魔素化は止まらない。魔素となった者は全てあの『黒球』に吸い込まれていく」

「何なんだ、アレは」

「正直私にも分からん。レイチェルはエンブリオと呼んでいたが、質量が限りなくゼロに近い何かとしか言えんよ」

 溜息を吐いて、ココノエが眉間を揉む。このところ、立て続けに色々なことがありすぎた。

「ですが、僅かに各地で『術式』の使用者を確認しています」

 ヒビキが手に持った書類に視線を落としながら語る。

 魔素が消えたはずなのに術式とはこれまたおかしな話だが、事実だ。

 曰く、それが『資格者』らしく、現にカグラも術式を使用できるようだった。

「んで、例の神様はどうしたよ」

「マスターユニットは黒球と共に現在もイブキド跡地上空に停滞中です」

 それはココノエにもどうにかできる問題ではない。

 レイチェルの絶対防御『ツクヨミユニット』により護られたそれは、何者の干渉も受け付けない、らしい。

「そうか。……ノエルちゃんとジンの容体はどうだ」

「ノエルさんは軽傷ですが、キサラギ少佐は重体です。今、全力でセリカさんが治癒に当たっています」

 そして、その重体にさせたラグナも、今も見つかっていないという。観測機にも反応はなく、テイガーに探させてはいるがお手上げだ。

 死んだのでは、と冗談を言うココノエに、カグラは机に拳を叩き付けた。

 あの男が簡単に死ぬはずがない。一体、どこに行ったのか。

「あと、テルミ達と一緒に居たユリシアちゃんも見つからないのか」

 彼女はできればこちら側について欲しかったが、無理であっても回収くらいはしておくべきであった。カグラには彼女がどんな力を持っているか分からなかったけれど、ココノエが表情を曇らせるということは相当なのだろう。

「あぁ。クソッ、こんな事になるのであれば無理矢理にでも回収していれば……」

「今更嘆いても遅ぇよ。……そっちも探しといてくれ」

「言われずとも、同様に探しているさ」

 




なんとなく書いていたらすごく長くなりました。

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