TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第七十五話 漆黒の翼、再び

 武器を失ったエッジへ兄の剣が振り下ろされようとしている最中、彼はそれを少しも見ていなかった。

 クロウの叫びも耳に入らない。

 ただその目は一度破壊に失敗した兄の『刻印術式』だけを見据えていた。

(まだコレクトバーストは発動してる、剣が無くてもディープスは使える!この一撃だけ、この一回だけで良いんだ……!)

 エッジは右手を、宙に舞っている自身の剣に向けて伸ばした。

「来い!――ライトニング!」

 使えた事など一度も無い「詠唱破棄」、唯一の勝機をかけてエッジは空気中のディープスに命ずる。

 天空からエッジの剣へ、雷が落ちる。

 そしてその剣先から更に細い電流が、ブレイドの『刻印術式』へと走った。

 刻印の禍々しい赤い光が強くなり、中心点を焦がした紫電の光とぶつかり合って兄弟二人の視界を奪う。

 助けに入ろうとしていたクロウも、その目も眩む輝きに立ち止まった。

 

 

 

 

「……何故、一度剣を止めた」

 振り下ろされたブレイドの剣は、エッジの頭のすぐ上で停止していた。

 兄の肩に埋め込まれ、彼にジェイン・リュウゲンの命令を強制していた刻印は光を失い唯の黒い跡になっていた。

「あのまま突きを放っていれば、俺の『刻印術式』が作動してお前の勝ちだった」

「言っただろ、『誰も殺させない』って。どんなに僅かでも殺さずに済む方法がある限り、俺は人は死なせる選択肢は選ばない」

「死を目前にしても変わらぬ覚悟、か……」

 ブレイドは剣を納めた。

 その目が真っ直ぐに、優しく弟を見据える。

「お前の覚悟、見せて貰った。忘れるな今の戦い方を、お前に出来る全部を」

 兄の手が、弟の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 エッジもそれに応えて笑い、それから力が抜けた様に地に膝を着いた。

 慣れないまま彼がずっと使い続けたコレクトバーストの虹色の光が霧散する。

「エッジ、大丈夫!?」

 崩れ落ちた彼を、クロウが抱き止める。

「怪我は?あったら隠さないで、私でもファーストエイドで応急処置位できるから」

「君が、クロウか」

 ブレイドに声をかけられ、エッジを抱いたままクロウは鋭い目で睨み返す。

「あんた、レーシアで戦った騎士の……」

「クロウ、大丈夫ブレイドは俺の兄さんだ」

 その言葉に彼女は微かに驚きを見せたが、しかし今の今までエッジと戦っていた彼をすぐには信用出来ない様でブレイドへの厳しい視線は緩めない。

「それでもアクシズ=ワンドの人間である事に変わりは無いでしょ、もしまだ私達を捕まえるっていうなら今度は私が相手になる」

 言いながら今にも倒れこみそうなエッジを守る様に、クロウはその腕に力を込めた。

 そんな彼女の一挙手一投足をブレイドは静かに観察する。

「良いパートナーを持ったな、エッジ……」

 ブレイドはクロウに警戒されるのも構わずエッジに近付く。

「ちょっと――」

「仲間の所まで肩を貸そう、立てるか?」

 

 ―――――――――――

 

「あ、おかえり、エッジ、クロ――」

 戻ってきた二人に気付いて声をかけようとしたリアトリスが絶句する。

「久しぶりだな、リアトリス」

「ブッ、ぶぶブレイド!?『命令刻印術式』のせいで敵の筈じゃ、あれ、でも壊れてる……?何で?」

 敵であった彼の登場に幼なじみの彼女以外もざわついたが、ブレイドはそれを意に介す様子もなくエッジを休めるところまで歩かせる。

「そこの岩まで行くぞ、エッジ」

「ああ」

 ブレイドは手近な岩まで歩き、エッジをそこに座らせた。

 仲間達もそのやり取りから彼に戦意が無いのを見てとり一先ず警戒を緩める。

 一息ついた二人にラークが尋ねた。

「何があったんだい、兄弟喧嘩?」

「違う、廉潔なる決闘だ」

「大体合ってたか、その答え相変わらず固いというか何というか」

 真顔で否定するブレイドにラークは苦笑する。

 それとは反対に、リアトリスは二人の状態から少し慌てた様子を見せる。

「決闘って、二人戦ったの?怪我は?」

「心配無い、相変わらず心配性だなリアトリス」

「当たり前でしょう?普段は落ち着いてるのに、エッジが絡むとブレイドもすぐ無茶するんだから」

「強いて言うならエッジの消耗が激しい、しばらく休ませてやってくれ」

 リアトリスは頷く。

 会話を聞いていたリョウカは一時的に共闘関係にあった彼の意外な一面を面白がる様子を見せる。

「あら、弟の事となると熱いのね騎士団長」

「君こそ、口を開けば妹の話ばかりだった気がするが?タリア・リョウカ」

 仲間達と、特にその当の妹からも意外そうな顔をされリョウカはその頬を朱に染める。

「そうだったんですか?姉さ――」

「そんな事は良いからここへ現れた目的を話しなさい!」

 アキの口を無理矢理塞ぎながらリョウカは話をそらす。

(馬鹿!私とあなたに血縁関係があることがばれたらジェイン家の遺産相続が面倒になるかもしれないから黙ってなさい!)

(姉さんそんな事考えてたんですか!?確かに養子とはいえジェイン家は今や私一人ですけど、それって良いんでしょうか……)

(私達の国は今王都も、王も失って崩壊寸前なのよ?立て直すのにお金はいくらあっても足りないのに跡取り不在で接収されたらどうするのよ!)

 ブレイドは質問に答えた。

「心配するな、敵意はない。弟が何をしようとしているのか、それを見定めたかっただけだ。それが叶った今俺には俺でやらなければならない事がある。ラーク、リアトリス、タリア・リョウカ、お前達が何をしようとしているのかはあえて聞かないでおく」

 ほんの少し気まずい沈黙が流れた。

(……今の絶対姉さんが騎士団の船奪ったり、エッジさん逃がしたりした事の話ですよ)

(いえ、もしかしたらその後こっそり騎士を騙してセオニア領内で捜索に使おうとしたのがばれたのかもしれないわ)

(ラークも騎士団と戦ったり船盗んだりしたこと謝っておいた方が良いんじゃ)

(大丈夫だよ、リア。ブレイド言ったことは絶対守るから)

 ブレイドは座ったままのエッジと、その傍らに寄り添いずっと警戒の目を彼に向けてきていたクロウを振り返った。

「エッジ、全てを守る事など人には出来ない。だから、俺は自分の部下を精一杯守る。見失うなよ、お前の守りたいもの」

「ああ。全部終わったらまた会いに行くよ、ブレイドも元気で」

 兄は頷いて、最後にもう一度仲間達全員を振り返って言った。

「皆、すまないが弟をよろしく頼む」

 

 ―――――――――――

 

「……行っちゃったね、ブレイド。もう少し休んでいけば良かったのに」

 あっという間に去っていった彼の後姿を見送ったリアトリスが歩きながら名残惜しそうに呟く。

 ルオンがそれを聞いて不思議に思ったのか、自分から声をかける事を躊躇いながらも彼女に尋ねる。

「どうして?あの人、レーシアでリア達と戦ってたの見た。今もエッジと戦った……敵じゃないの?」

「敵、か。そうだね実際私達とブレイドの進む道は違うから、そういう解釈もあると思う。でも、人と人ってそんなに単純じゃないんじゃないかって私は思うんだ」

 リアトリスの言葉にルオンはきょとんと首を傾げる。

「一度敵対しからって分かり合えないとは限らない、人の数だけ色んな関係の在り方があって良いと思う。ブレイドは確かに敵だったかもしれないけど、同時に私やエッジの幼馴染みで、アクシズ=ワンドの皆の事を考えてる立派な騎士。でも、ただ『敵』って認識で捉えたらそういうものは全部消えちゃう。それって勿体無いことじゃない?……だって私も、ルオンもみんな世界にたった一人なんだから」

 最後まで聞いてもまだルオンはよく分からないという様に考え込んでいた。

 それを見たリアトリスは謝る。

「あ、ごめんね。長々喋って。何言いたいのかよく分からなかったかな」

「ううん、少しだけど分かった気がする。ありがとう……リア」

 無表情ながら微かに表情を緩めたルオンのやり取りを見ていたクリフも彼に声をかけた。

「ルオンは、あんまりそういうのピンと来ないか?その、兄弟とかそういう話」

「分からない、居た事ないから」

 えっ、と反射的にクロウが反応する。

「てっきりレインの事――」

 口に出してすぐ彼女は口を滑らせたと思ったのか言葉を途中で切る。

 しかし、ルオンは落ち着いた様子で首を横に振る。

「大丈夫、クロウ……レインはもう居ないって分かってる。レインと僕が本当の姉弟じゃないって事も」

 そう言いながらも彼は少し震えていた。

 自分に言い聞かせる事で何とか平静を保っている様だった。

「僕は……一人だから」

「違う!」

「そんな事ねぇだろ」

 諦める様に言ったルオンの言葉をクロウが感情的に、クリフが励ます様に同時に否定した。

 二人とも相手と同時に同じ事を言うとは思っていなかった様で、しばしお互いの発言に困惑する様に視線を交わしたが今はルオンの事を優先して二人とも先を続けた。

「ルオンは一人じゃないよ、私も、リアも……クリフも、アキも、エッジも居る」

「今こうして居る間なら俺達はいつでも話聞いたり、料理したり一緒に出来るんだそんな寂しい事言うなよ。どんな話でも聞いてやるからさ……冒険譚でも、怖かった事でも、恋の話でも何でも来いだ!」

 それを聞いたルオンは真剣な表情で悩む。

「何でも?」

「おう!」

 クリフの軽快な返事を聞いて、ルオンは真顔で聞いた。

「じゃあエッジは女の子皆と仲が良いけど、クロウとも仲良いの?」

「あ、何だそんな事かよ。そんなの決まってんじゃねぇか、というかむしろクロウの方が惚れ――」

 笑って答えようとしたクリフの顔にクロウの拳がめりこむ。

「何本人が目の前に居るのにあんたが答えようとしてんのよ!殺すわよ!」

「普通そう言うのは更なる追撃の宣言じゃなくて殴る前に言うもんだろうが!」

「うるさい!というか何で恋人居るのにあんたそんなにデリカシー無いのよ!王女様が苦労するわよ」

「フレアとはそんなんじゃねえよ――というかそんな関係だったら親馬鹿の国王に殺されてるっつーの」

 

 ルオンは二人の喧嘩を呆然と眺めて、それからリアトリスの袖を引いた。

「二人が話聞いてくれない」

 リアトリスはすっかりヒートアップしてしまっている二人の様子を見て頭を抱えて溜息を吐いた。

「二人とも……さっきまでの言葉はどこいっちゃったの」

 クロウが深術を使い始めた辺りでリアトリスは止めに入ろうとしたが、それよりも早くラークが全員に届く声で先頭から叫んだ。

「みんな、マーミンに着くよ」

 その宣言にクロウとクリフ以外の仲間達は活気がありながらもどこか牧歌的な「馬の町」が道の先に広がっているのを目にした。

 しかし、ほとんど戦闘に突入している二人も次に頭上から響いてきた声には流石に動きを止めざるを得なかった。

「はーはっはっは!」

「待って、何かすごい既視感がある……」

「奇遇だな俺もだ……つーか何か忘れるなって言われた事があった様な気がするけど思い出せねえ」

 クロウもクリフも、声のした方を見上げない様にしながら嫌な顔をする。

「俺を敵に回したものはオノが不運を嘆く、バッド!」

「私の後に残るのは敵の嘆きだけ、サッド!」

「勝利の栄光、グローリー!」

 クロウは頭を抱える。

「……頭痛してきた」

 そんな彼女を無視して、明らかに樹の上から叫ばれているその口上はクライマックスを迎える。

「我ら無敵の、漆黒の翼!!」


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