TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第七十一話 白ト、クロ

 ルオンは気が付くと一人で走っていた。

 直前まで横にクロウ達の姿を確認しながら走っていた事にルオンは首を傾げる。

(おかしい……)

 周りの環境に違和感を覚えた彼は、弓に矢を番えながら詠唱を開始する。

扇氷閃(せんひょうせん)

 三本の矢を放射状に飛ばして、ルオンは三か所の落下地点に氷塊を発生させる。

豪華噴出(ごうかふんしゅつ)、イラプション」

 そのまま氷塊の下の大地を加熱し、ルオンは全ての氷塊を蒸気へと変えた。

 同時に右手でなぞる様にして、右目の前面に氷のレンズを形成し空間を観察する。

(空気の流れが変、『障害物』があるみたいに蒸気が逸れてく所がある)

 ルオンの手の中で「フレキシブルスナイプ」の温度が急速に下がっていく。

 冷気で最大限まで威力を上げた弓で、ルオンはその『障害物』目がけて渾身の一撃を放つ。

「――氷屑の破者(ブレイクシュート)

 ガラスの割れる様な音を立てて、矢は空間を切り裂き青い軌道を描いた。

 

「っぐ!」

 痛みから来る声を押し殺しながら、ラークはそれでも足を止めない様に動き続けていた。

 周囲から彼に向かって絶え間なく光の槍が飛来する。

 しかもその内のいくつかは実体が無く、またいくつかは明らかに直前まで槍が見えなかった所から飛んできた。

(「幻影」を全部消す振りだった、か……確かに全部消す道理は無い)

 極度に反射神経と瞬発力をすり減らす状況下で、ラークはあちこちに傷を負っていた。

 何より最初に受けた脇腹への直撃が治りきっておらず、彼の動きを鈍らせる。

 そんな今にも倒される寸前の彼を、ルオンの矢が救った。

 横から突如現れた矢は、攻撃による衝撃を想定していなかったネイディールの光の槍を蹴散らす。

「平気?」

 いつも通りの会話をする様な軽さで、助けに来たルオンはラークに尋ねる。

「ああ、助かったよ。それより……」

 ラークの方も荒い息で、素直に礼を言う。

 しかし、彼は休む様子は少しも見せなかった。

「クロウ達の方が心配だね」

「ああ」

 二人は互いを案ずる言葉も、余計な会話も挟まずすぐに他の仲間達の方へと向かった。

 

 ―――――――――――

 

「ふざけないでよ、ネイディール……こんなもの見せても私は、騙されないわよ」

 口にしながらクロウは目の前のハクは幻影ではないと薄々分かっていた。

 景色や人間の幻を光で作り出すのがネイディールの深術ならば、像を作るのはあくまで彼女。

 知らないものは作れない。

 ネイディールがハク本人でないなら、姿を知っている筈がなかった。

 しかし『ハク』はそれを怒る様子もなく、優しく言った。

「私を偽物だと思ってるんだね、でも私は正真正銘本物だよ。ちゃんと覚えてる、あの日の事」

 クロウの思考が停止する。

 ハクは楽しい思い出を語るように話した。

「一緒に裏山に行ったんだよね、転びそうになった私をクロウが助けてくれて……でもその後、私達は熊に襲われた。それで、クロウが」

 それは紛れもなく「あの日」の事だった。

 クロウの脳裏にその時の光景が甦る。

 ハクとその両親に襲い掛かったモンスター。それを彼女が殺したこと。

 そして、ハクに、村の人間全てに「化け物」と拒絶され――。

「やめて、やめて!」

 クロウは反射的にその日の記憶を遠ざけようと叫び、目を閉じる。

 とても平静にそれを聞く事が出来ない位、その経験はクロウの中でトラウマになっていた。

 クロウは次にハクが口にする言葉が恐ろしかった。

 自分を嫌っている彼女が口にする恨みの言葉が。

 そんな震えるクロウの目から滲んだ涙を、ハクの手がそっと拭う。

「大丈夫だよ、全部分かってるから」

「え……」

 クロウと最後に分かれた時、ハクがその目に映していた彼女への恐怖や拒絶は欠片も無かった。

 小さな少女の目の中に黒い瞳の中にあるのは同情と、理解の色。

「あの時クロウは私をモンスターから助けてくれたんだよね、ありがとう。ごめんね」

 クロウの手から力が抜けた。

 安堵が彼女を包みそれ以外の事を忘れさせる。クロウは考える前にハクを抱きしめていた。

「良かった……ハクが、生きててくれて本当に良かった」

 ハクも嬉しそうに微笑んで、彼女を抱き返す。

 そして、言った。

「――そう、なのに酷いよね。私の親も、村のみんなも誰もクロウに感謝しなかった」

 クロウは何か、違和感を感じてハクから離れる。

 彼女の表情は先程までと何も変わっていなかった。

 優しく、優しく微笑んだままハクは続ける。

「酷いよね、許せないよね。自分達と違う力があるからってクロウを殺そうとしたんだよ」

「ハク……?」

 クロウが恐る恐る彼女の名前を確かめる様に呼ぶ。

 目の前の少女は間違いなくあの日の優しい少女だった。

 そして、

 同時に間違いなく『純白』のネイディールだった。

「だから、クロウは殺したんだよね?深術士(わたしたち)を迫害する人達を、大丈夫全部分かってるから」

 言いながらハクはいたずらっぽく笑って、地面に刺さっていた杖を引きぬく。

「だから、今度は私がクロウを助けてあげる。待っててね、クロウの周りにいる『深術士じゃない人達()』を、クロウを騙して迷わせる人達をみんな殺してあげる。そしたら帰れるよ?水の宝珠を探してからになっちゃうけど、一緒に帰ろうスプラウツ(私達の家)に」

「待って……」

 制止しようとして震えたクロウの言葉は届かない、ハクは傍で血を流して倒れているエッジの事を思い出したらしく息を飲んで顔を曇らせる。

「あ、つい話に夢中になってこの人の事忘れちゃってた。ごめんね、この人は良い人なのに苦しませちゃった。待ってて今楽にしてあげるから」

 笑ってハクは詠唱を開始する。

 クロウは動けなかった。

(止めなきゃ、戦わなきゃ、エッジが死ぬ……なのに、)

 指の一本まで、クロウの身体は反応を示してくれなかった。

「やめ、て……」

 クロウの身体に危険が迫っていない為、ラーヴァンも反応しない。

(てん)へと(いざな)()ちる(かがや)き、」

「やめて!」

 終わる寸前の「ホーリーランス」の詠唱が、クロウの脳裏にエッジの死の光景を映し、彼女の身体の硬直を解いた。

 それでも手を伸ばすのが精一杯でとても術を放つ事など出来ず、クロウの伸ばした手のその先でハクの放った光の槍がエッジ目掛けて落下する。

 しかし、彼女の代わりにそこへ割り込んでくるものがあった。

「――リョウカさん、目の前の岩の周り、全部偽物です」

「分かったわ――詠技、闇蜘蛛(やみぐも)!」

 八本の黒い布が鋭利な蜘蛛の脚の様に次々に景色を突き破ってきた。

 エッジへと堕ちる所だった光の槍もそれによって蹴散らされる。

 乱入者の存在にハクは微かに苛立った表情を浮かべ、元の「ネイディール」の姿に戻っていた。

「まだ生きてるわよね?二人とも」

「エッジ……待ってて、すぐに助けるから」

 穴の空いた「幻影」の景色の間からリアトリスとリョウカが現れて敵と対峙し、ネイディールも彼女達に杖を向けた。

 

 両者は少しの間睨み合ったが、ネイディールは彼女たち二人だけでなく更にいくつも足音が近づいてくるのを察して後ろへステップしながらその姿を消そうとする。

 リョウカが反射的にそれを逃すまいと追撃をかけようとするが、横から深術の気配を察知したリアトリスに突き飛ばされる。

「――バニッシュメント」

「ッ!」

 ネイディールの声が響き、リアトリスが振り向きざまに張った障壁が後ろからリョウカを串刺しにしようとしていた光の槍をすんでの所で防ぐ。

「大丈夫か、お前ら!?」

 クリフも仲間達を助けに現れる。

 リアトリスとリョウカは慌てて周囲を見回したが、ネイディールの気配はどこにも無かった。

 彼女が展開していた光のスクリーンと幻影は消えていき、後には倒れたままのエッジと呆然と崩れ落ちたクロウが残された。

「エッジ!返事して、エッジ!」

「クソっ、骨までやられてる、このままだと左腕動かなくなるぞ」

「止血するわ、治癒術は悪いけどお願い」

「血が止まらない。もう一回走査かけて、動脈の傷ついてる部位を優先して治癒術をかけます!」

 仲間達が必死にエッジの傷を治すのを、初歩的な治癒術しか使えないクロウはただ見ている事しか出来なかった。

 

 ―――――――――――

 

「……あ、れ?」

「気が付いた?」

 エッジが目を覚ましたのは半日後、夜中の事だった。

 ベッドの傍にじっと座っていたクロウ以外の仲間は皆眠っており、起きているのは二人だけだった。

 彼女の姿を見てエッジは慌てて身を起こそうとし、痛みに顔をひきつらせる。

「無理しない方が良い、左腕が取れかけたんだよ」

 暗い部屋の中で、宿の窓ガラスにランプの明かりが反射して二重に映る。

 額に冷や汗を浮かべながら、エッジはクロウの顔をもう一度見た。

「それよりクロウは大丈夫なのか……?」

「私は大丈夫、怪我はしてない」

 彼女の返事を聞いてエッジは安心した表情を見せる。

「良かった……」

「そんな大怪我の時に何で私の心配するのよ」

 力が抜けたようにゆっくりとベッドに倒れこんで、エッジが答える。

「やられる直前かな、クロウが血を流して倒れてるのを見せられた……それで隙を作ってこの様だよ、情けない」

 クロウはその答えを聞いて、その時まるで力が入らなかった拳を強く握り締める。

「ごめん」

「何で謝るんだよ」

 エッジは笑ったが、クロウは笑わなかった。

「昨日話した私が殺した子の話覚えてる?……あの子、生きてた。スプラウツにずっと保護されてたの、それで……それでクローバーズになってた。全部私のせい」

 突然の話にエッジも流石に驚く。

 聞きたい事もあったが、クロウの空気を察してエッジも質問は止める。

「次あいつが出てきたら、私が一人で相手をする……もう誰も、怪我させない」

 脳裏をかすめたかつてのハクの笑顔を、クロウは振り払った。

「あいつは、ネイディールは私が倒す」

「クロウ……」

 思いつめた彼女の表情にエッジは何も言えなかった。

 それと、と良い知らせもある事をクロウは付け足す。

「次の目的地決まったわよ、私と会った時ネイディールが言ったの『水の宝珠を探してる』って。リアトリスとラークからその場所聞いてちょっと驚いたけどね」

 何に驚いたのかよく分からずにエッジは首を傾げる。

「最後の宝珠の場所はカースメリア大陸、貿易拠点マーミンのそばの洞窟」

 クロウは懐かしむ様に、少しだけ嬉しそうに言った。

「私達がクリフと一緒に初めて戦った場所だよ」


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