TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第七十話 七人目のクローバーズ

「ひっどい目にあった……」

 八人で借りている部屋に戻ってくるなり、ぐったりした様子でベッドに倒れこんだクロウの姿にエッジとアキが顔を見合わせる。

 ルオンもその大きな音に、手入れしていた耐冷弓「フレキシブルスナイプ」から顔を上げた。

 アキが首を傾げて疲れた様子の彼女に尋ねる。

「私達が買い物に行っていた間何してたんですか?」

「あー……いや、大したことじゃないんだけど。ただ、リアが」

 詳細を言おうとせず、歯切れの悪いクロウの言葉が引っ掛かったのかルオンが呟く。

「リア?」

 そこで、エッジとアキも気付いてエッジが尋ねる。

「あれクロウ、リアトリスの事『リア』って呼んでたっけ?」

 あ、という表情で顔を上げるクロウ。

 その勢いでエッジと目が合ってしまい、目を泳がせる。

「え、いや……前からみんな呼んでるじゃない。私も合わせる様にしようと思っただけで」

 エッジとアキはその反応ではあまり納得できない様子だったが、ルオンは自分が倒れていた間ずっと側に居た彼女の呼び名を初めて聞いて反復する。

「リア……」

 何度も繰り返され、クロウの耳が若干赤くなる。

 彼女は照れを隠す様にルオンに怒った。

「ちょっとルオン、繰り返さないでよ!」

「何で?」

 小首を傾げるルオンにクロウが念を押す。

「何でもよ!」

 そのやり取りを見ていたアキがふふっ、と笑う。

「仲が良いんですね、まるで姉弟(きょうだい)みたいです」

 ルオンはその言葉に無関心だったが、クロウの表情はほんの少し暗くなる。

姉弟(きょうだい)、か。確かに一緒に育ったけど私はルオンの姉にはふさわしくないよ……ああ、でも私を姉みたいに扱ってくれた子は一人だけ居たっけ」

 ふと思い出してクロウは穏やかな表情になる。

 その変化を見てエッジが尋ねた。

「どんな子だったんだ?」

 クロウは思い出に浸る様に宙を眺めながら答えた。

「そうだね、アキみたいな黒髪で明るい子だったよ。絵を描くのが好きで、元気で、見ず知らずの私を家族みたいに慕ってくれた……」

 そう言って彼女は目を閉じ、言葉を切る。

 アキは続きを尋ねた。

「それで、その人はどうされたんですか」

「死んだよ、私が殺した」

 クロウが何気ない事の様にあっさり言う。

 エッジとアキは目を丸くして、それから謝った。

「ごめん……」

「すみません、そんな聞かれたくない様な事を」

 二人の反応を見て、クロウは気にしていない様子で付け足す。

「ううん、むしろもう受け止められる様になったから、こうやってようやく口に出せる様になったんだよ……私のした事は変えられないけど、二度と忘れない様に」

 そこまで言って、今度は彼女の方が謝った。

「こっちこそ、ごめん。暗くさせたね」

 エッジは首を横に振った。

「そんな事無い、いつでも聞くよ」

 アキも頷いてエッジと同意見である事を示した。

 そこへ、クロウと先程まで一緒だったリアトリスも部屋に戻ってくる。

 普段のローブでは無くもっとラフな生地の部屋着を着ており、上気した肌や下ろされた濡れた髪を見るに湯浴みをしてきた所らしかった。

「あ、クロウ。疲れたって言ってたけどこっちに戻ってたんだ。汗大丈夫?私先に入ってきちゃったけど、気持ち悪かったらクロウもお風呂入ってきたら良いよー」

「あー後で良い、今は寝る」

 そう言いながら枕に顔を伏せるクロウをアキが叱る。

「駄目ですよクロウさん!そのまま寝たらベッドが汗臭くなってしまいます」

「大丈夫、私のじゃなくてこの宿のベッドだから」

「だからです!」

 顔を上げないまま脱力したクロウの腕をアキが引っ張る。

 

 と、不意に宿の外で異常な物音がした。

 金属とガラスがぶつかる様な音、そして樹の倒れる音。

 長い間スプラウツに身を置いていたクロウとルオンはすぐさま、武器を手にして顔を上げる。

「今の……」

「クロウ」

 ルオンの声がけにクロウが頷き、二人はそのまま音の正体を確かめようと部屋を飛び出した。

「アキ、俺達も行こう。二人だけにはさせられない」

「はい、勿論です」

 止める間もなく四人が次々出ていってしまい、外に出られない格好のリアトリスは部屋に一人取り残された。

「え、あ、みんな!」

 

 ―――――――――――

 

「何だ、今の……」

「練習相手には丁度良い、なんて言ってられる相手でも無さそうだね」

 訓練が一区切り付いて、宿屋へ戻ろうとしていたラークとクリフは深術による突然の攻撃を間一髪で避けていた。

 クリフだけでなく常人を遥かに超える反射神経を持つラークですらその不意打ちを寸前まで避けられず、飛来した光の槍は側にあった樹に大穴を空けて倒してしまった。

 突然、クリフが唐突に木々の中へと飛び込んでいく。

「待て、不用意に飛び出してどこへ――」

 ラークの制止も聞こえない様子で彼は入り組んだ木々の中へと入っていってしまう。

 宿の裏手には小さな森があり、そこから先は街の外になっていて方向を誤ればどこまでも視界の悪い場所が続いていた。

 と、不意にラークは目の前に女性が立っていた事に気付く。

(いつの間に……)

 女性はその肌も、髪も、服も上から下まで真っ白だった。

 都会の中心でしか見ない様なレースの多い服に身を包んでおり、ほんの僅かな砂埃でもあっという間に汚れそうな服装をしているにも関わらずその服には一点の汚れも無かった。

 およそ戦いとは無縁、そう見える彼女は多面鏡の様な奇妙な杖を振り上げて口元に笑みを浮かべた。

「ホーリーランス」

 何の警告も口上も無い。

 唐突に三本の光の槍がラークの顔面を狙う。

 ラークはそれをバランスを崩しながらギリギリの所でかわし、剣を抜いた。

 白い女性は笑みを浮かべたままそれを黙って見ている。深術士(セキュアラー)であれば、致命的である筈の至近距離で。

 ラークが袈裟がけに振るった剣を女性は軽く一歩下がる様にして避けた。

 そこから突き、横凪ぎ、逆袈裟と立て続けに振るわれる彼の剣も同様だった。

 武器を手にした剣士であっても対応するのが困難な速度であるのに、女性はまるで風の中の木の葉の様にラークの剣を避け続けた。

「……」

 ラークは一度手を止め、女性は一歩下がる。

「どうかした?」

 白い女性は笑う。

(何かがおかしい、さっきの深術も、今のこっちの攻撃も……なにか感覚がずれた様にこっちの反応が遅れる)

 ラークが攻撃してこないのを見て、女性は背を向けゆっくり歩き出す。

 あまりに無防備なその姿にラークは一瞬攻撃するのを躊躇したが、すぐに間合いを詰めて突きを繰り出す。

 それを女性は後ろを振り向きもしないままにふわりと避けて森の中へと歩き続ける。

 ラークはまたも避けられた事に違和感を感じながらも彼女の後を追った。

 先程走り出したクリフと同じ様に、一人で。

 

 エッジ達四人が宿の裏手に辿り着いた時、既にそこには倒れた樹しかなかった。

 その根元の槍が貫通した焼けた後を見て、クロウとルオンは自分達と同じ「名有り」の相手だと確信する。

「光属性の深術、ロクに見た事すら無いけど、あいつか『純白』の」

「ネイディール」

 スプラウツを束ねるバルロが、絶対の信頼を置く唯一のクローバーズ。

 それを知っている二人に緊張が走る。

「エッジ、アキ。今度のは同じクローバーズでもこの間の引き継いだばっかりの『流連』とは訳が違う、気を引き締めて私達から絶対に離れないで」

 同じ幹部であった二人の険しい表情を見て、注意されたエッジとアキも頷き慎重に四人は森の中へと向かった。

 

 ―――――――――――

 

 ラークはネイディールに追いついていた。

 先程までと同じように、目と鼻の先に迫られているにも関わらず彼女はそれを気にも留めない。

 ただゆっくりと両腕を広げ、隙を作ってラークを挑発する。

「甘く見られたものだね、崩龍残光剣(ほうりゅうざんこうけん)

 ラークは先程までとわざと速度差を付け、一気に最高速まで加速してネイディールに斬りかかる。

 ネイディールはその動きに対して広げた両腕を交差させると、口元を歪めた。

「――バニッシュメント」

 ラークの剣は空を切った。

 白い羽の様に光が舞い、彼女の姿は完全に消失する。

 それと同時に背後から光の槍で刺され、ラークの脇腹が激しく出血する。

「ぐ、っ!」

 すぐさまラークは振り返りながら剣を振るうがそれは空を切った。

 姿の無いネイディールの声が響く。

「あら、消失と攻撃は完全に同時だったから絶対反応出来ないと思ったんだけど。よく致命傷を避けたわね」

 ラークは歯を食いしばって痛みに耐えながら、気付く。

「さっきの光の槍も、僕達の前に表した姿も「音」が無かった。剣が当たった筈でも手応えが無い……君の能力は、幻影か」

 ネイディールの高笑いが聞こえる。

「ええ、そうよ。たとえば固まっている四人組にお互いの映像を見せれば、全員を孤立させる事だって出来るわ。あなた達は確かに揃えばそれなりの驚異だけど、個々の力ならクローバーズ(私達)に及ばない。どこに居るかも分からない朝霧の中で、串刺しになって死になさい」

 普段なら声だけで相手の位置を特定出来るラークだったが、まるで狭い空間で反射している様に音があちこちから聞こえ敵の位置が分からなかった。

 周囲を見回し、ようやく白い女性の姿を再び見つけラークは剣を構えて対峙する。

「種が分かって尚、その手品だけで勝てるつもりかい?」

「いいえ、もう終わっているわ。私が得意なのは何も幻影だけじゃない。何より、」

 ネイディールが目を閉じて、指を鳴らす。

 ラークの周囲に張られていた偽りの平穏な森の景色が消えた、白い女性の姿も無くなる。

「いつから私がそこに『居る』なんて思っていたのかしら?」

 ラークが立っているのは彼を狙って空中で制止する光の槍に取り囲まれた、その中心だった。

 

 ―――――――――――

 

(みんな、いつの間に?どこへ行ったんだ?)

 エッジは一人で森の中を走っていた。

 何度か人の気配を感じて立ち止まり周囲を見回すものの、それは全て気のせいでエッジはいつのまにか孤立していた。

(何かおかしい、あの状況でクロウ達が何も言わずに離れる筈が無い……なのに何で、いつどこで?)

 エッジは今度の敵に、言い様の無い胸騒ぎを感じていた。

 自分の離れている間に仲間が戦っている事が心配でエッジはその足を速める。

 しかし、景色は無気味な程に平穏だった。

 木々、そこから伸びる根と枝、所々にある岩に、木々の間から降ってくる木洩れ日。

 走る間にエッジが避ける障害物はあまりにいつも通りで、味方の気配も敵の気配もない。

 

 と、不意にエッジは目の前の木に寄りかかる少女に気付いた。

 敵と交戦したのか、その近くには見慣れない武器――鏡をいくつも繋げた様な杖が刺さっている。

 そして、眠る様にぐったりして血の中心に居るその少女は、

「クロウ!!」

 エッジはすぐに飛び出し、彼女に駆け寄る。

 生気の失われたクロウの顔を血が伝い、彼女の下に赤い楕円を描いていた。

 明らかに危険な量の血が流れていることにエッジは冷静さを失う。

「クロウ、大丈夫か!?」

 手の触れる距離まで来た瞬間エッジの耳に女性のクスリと笑う声が届き、目の前のクロウの口元が歪んだのを見て転びそうになりながら反射的にエッジは足を止める。

 

 ――ザク。

 

 固いものが裂ける様な嫌な音を遠くで感じて、エッジは仰け反った。

 それが自分が後ろから刺された事による現象だと彼が理解するのに時間がかかる。

「あなた……優しいのね、ごめんなさい痛かったでしょう?」

 嘘の様に大量に溢れる血の熱さと、左肩が無くなる様な痛みでエッジはようやく自分の置かれた状態をきちんと理解する。

 とても、目の前の「クロウ」だった女性が話す言葉を聞く余裕など無かった。

「あ、がああああ、あ!」

「痛み無く死んで貰うつもりだったのだけど、まさかクロウの事をそこまで心配すると思っていなかったから驚いてしまったわ」

 言いながらネイディールは優しくエッジの顔を撫でる。

「目を閉じて、深呼吸して、それで楽にしてあげるから……(てん)へと(いざな)()ちる(かがや)き、ホーリーランス」

 エッジはそんな事はとても出来なかった。

 呼吸するのさえ精一杯で苦痛に喘ぎながら上を向き、彼は白い光が自らの頭上に落とされようとしているのを理解した。

 

「――ネイディールッ!!」

 

 と、周囲の景色に無数の「穴」が空く。

 エッジと周囲とを隔てていた幻影は次々に飛んでくる黒い槍で粉々に粉砕された。

 叫び声と共に本物のクロウが走って現れ、エッジにとどめを刺そうとしていた光の槍にむけて右手から闇の槍を放つ。

「ブラッディランス!」

 黒が白を貫き、エッジの頭上に白い光の粒子が散った。

 そこで彼女はエッジの大怪我を見て息を呑み、その表情を怒りに歪める。

 クロウの様子とは正反対に、ネイディールは嬉しそうに笑った。

「ああ、良かったやっと会えた。久しぶりねクロウ」

 クロウは当然喜ぶはずも無く、吐き捨てる様に言った。

「会った事さえほとんど無いでしょ、あんたなんか知らない。そのふざけた術ごと潰してあげる!」

 彼女の剥き出しの殺気を気にする様子も無く、ネイディールは無邪気に、無邪気に回る。

 その様子は先程までエッジ達に見せていた姿と違い、少女の様だった。

「酷いわね、折角の再会なのに……って、あ。そっかこの姿じゃ分からないか」

 唐突に砕けた話し方で言うと、ネイディールは回りながら自身の周りに展開していた「幻影」を解いた。

 何をしているのかと警戒するクロウの前で白い女性の姿が消えていく。

 本物のネイディールはずっと背が低かった。クロウよりもっと低く、ごく質素な服に身を包んでおり、その髪はアキと同じ様に黒髪で――。

「そんな、何で……何で」

 クロウは目を見開いて、声を震わせた。

 彼女は目の前の光景を受け入れることが出来なかった。

「会いたかったよ、クロウ」

 クロウを化け物と否定した少女。

 自分が殺したと思っていた少女。

 ハクが、クロウの目の前に立っていた。


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