TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第五話 『孤氷』のルオン

 アキが見つめる方に、白髪の小柄な少年が大型の弓を構えて立っていた。

 味方では無い事をエッジは本能的に感じ取る。エッジは恐らくアキよりも年下だろうその少年に、何か違和感を感じた。

 弓を構えて自分達の方に向けているというのに全く殺気が感じられない、それどころか、顔から一切の感情を読み取ることが出来ない。

 その姿にエッジは自然と背筋が寒くなった。

 先程の攻撃で倒れていたクロウが、体を起こすと弓を持った少年を見て驚いた表情を浮かべる。

「ルオン……」

 クロウが驚いた様子を見せても白髪の少年は無反応だった。

「エッジ」

 珍しく名前で呼びかけられエッジが振り向くと、彼女は今まで怒っているとき以外見せたことが無い真剣な表情をしていた。

「この子は漆黒の翼の時とは違う、全力でやらないと死ぬよ」

「知り合いなのか?」

 エッジは目を白髪の少年の挙動から離さずに聞く。クロウが無視しているアキの方にも警告を出そうか迷うものの、その余裕は無かった。

「後で話す、それより来るよ」

 エッジたちの会話に興味を示さず弓を引くルオンの姿を見て、クロウが警告する。

 彼女が言った直後に少年は矢を立て続けに三本、アキに向けて放った。

牙連閃(がれんせん)

 一射してから、次の矢を放つまでがとてつもなく早い。

 ほとんど連なるようにして、矢羽根の風を切る音がアキに迫る。

(避けきれない、『傘』を)

 アキは手に持っていた筒状の布を纏った道具に手を掛け蛇腹に折り畳まれていた部分を開いて円形に展開し、自分の前に盾の様にして構えた。

 布で出来たそれは矢に貫かれると思われたが、実際に接触で発生したのは金属音で岩肌にでも接触したかの様に矢は彼女の武器に弾き返され地に落ちた。

「な……」

 助けに入ろうと飛び出していたエッジは驚きながら足を止める。

 そこへ、クロウの警告が飛ぶ。

「余所見してる暇はないよ!」

 エッジの周囲で大気の温度が冬の様な冷たいものに変わった。

 それと共にディープスの流れも変わった事に気付いて、エッジも深術の発動を察知する。

氷塊乱舞(ひょうかいらんぶ)……アイストーネード」

 何時の間に詠唱していたのかルオンの言葉に従って大粒の氷が一瞬にして空気中に大量に出現し、そのまま強風と共に激しく回転する。細かく砕けたその氷片と巻き上げられた砂塵のよって風がどの様な渦を作っているのかが見て取れた。

 クロウとエッジに向けられたそれを、二人は思い切り跳躍してぎりぎりのところでかわした。

(深術のレベルが、全く違う)

 自分とクロウを分断した冷気の渦に目を向けて、エッジは自身の呼吸が運動のせいだけでなく早まるのを感じた。

 宙を舞っている氷一つ一つはエッジの頭くらいの大きさがあり、それが恐ろしい速度で回転している。

 もし渦の内部に二人がいれば避けることも防御することも出来ずに、酷い打撲を負って即座に戦闘不能になっていた筈だった。

(でも、それなら!)

 術が終わったのを確認してエッジは走りだす。

 どれほど深術が強力でも、詠唱できなければ意味が無い。

 武器が弓なら接近戦に持ち込めばエッジ達にも勝機はあった。

 アキもそれに気付いたらしく彼と同時に走りだす。

 クロウも深術の詠唱を開始し、水のディープスが彼女の周囲に集まり始めた。

扇氷閃(せんひょうせん)

 それに対して少年は二本の矢を大きく放物線を描くように放ち、直後に詠唱を始める。

 が、放たれた矢はエッジとアキまで届かずその一歩手前の地面に刺さった。

(牽制のつもりか?)

 エッジは疑問を持ったが構わず刺さった矢を越えようと走る。

 すると直後、矢が刺さった地点に氷柱が出現し二人の行く手を阻んだ。慌てて急停止したエッジはぶつかる寸前で踏みとどまる。

 気泡の少ない水晶染みたその氷柱は彼の背丈程もあり、飛び越えたり折ろうとするには少々頑丈すぎた。

(さっきクロウを止めたのもこれか!)

「エッジさん、危ない!」

 氷柱のせいでエッジが無理矢理止まった瞬間、僅かな隙ができる。

 少年はその一瞬の隙に術を発動させてきた。

業火噴出(ごうかふんしゅつ)……」

 エッジは、自分を中心に周囲の地面が今度は急速に加熱していく事に気付く。

 その範囲は直前で気付いて逃れるには広すぎた。

 

(くっ、詠唱が追い付かない!)

 クロウは焦る。

 先に詠唱を開始したにも拘わらず、向こうの術の発動の方が彼女より早かった。

「イラプション」

 平坦に口にされたその術の名前と共にエッジは自分の体の下で爆発が起きたのを感じ、なすすべもなく空中に吹き飛ばされる。

 その様子を白髪の少年は何の感慨も無くただ見ていた。

「あっ、があ、ああああああ!」

 爆発は何度も続き、エッジの体を焼いた。

 その度、糸の切れた人形の様に彼の肢体は爆風に踊らされる。

 何時の間に術が終わったのか、エッジは自分の体が地面に落ちた音を聞く。

(視界が、霞む……)

 ダメージを受けすぎたせいか、それとも他の要因なのかエッジの視界は白く霞む。

 彼は何とか立とうとするものの、身体は動かない。

 というより、頭が上手く働かないせいで体が動かせない様だった。

(俺だけが倒れたら、アキとクロウは)

 ふと、エッジはクロウに言われた言葉を思い出す。

 

「半端な強さで何かが守れるなら、守ってみてよ」

 

(結局、クロウの言うとおりじゃないか。弱いままでは何も守れない。他人を守るなんていうのは、自分がまず、強く――)

 後悔の中に沈みながら、エッジの意識は少しずつ遠ざかって行った。

 

 ――――――――――

 

「吹き上がれ奔流(ほんりゅう)――スプレッド!」

 少年より少し遅れて詠唱を終え、クロウは術を放つ。

 荒波同士がぶつかる様な音と、それが吹き上がる轟音が辺りに響く。

 が、恐らくこの状況では当たっていない。

 先程の少年が放った炎の深術は直前に作り出した二本の氷柱を蒸発させ、攻撃と同時に小規模な霧を生じさせていた。

 氷を生み出す技での牽制、それによって稼いだ時間で炎の術による攻撃、霧によって視界を奪う事による間合いの維持。

 弓と深術の遠距離攻撃で単独戦闘を行うルオンの基本戦闘スタイルだ。クロウはそれをよく知っていた。

(エッジは無事なの?あいつ馬鹿だから)

 霧の発生とほとんど同時に炎の深術の中で姿が見えなったエッジに、クロウは微かな不安を覚える。

 もう一人のアキという少女もこの霧ではどうなったかクロウには分からない。

(ジェイン……今はあいつのことなんて考えてる場合じゃない)

 目の前の戦いに集中しなければ勝てない、とクロウは気を引き締める。

 彼女が考えている間に霧は急にスーッと透けていき、消えた。

 

 人間が扱えるレベルの深術のほとんどは、そんなに長い時間保つものではない。

 一部の上級深術を除いて、一定の時間が経てば消える。

 霧が消えてまず最初に彼女の目に飛び込んできたのは、炎に焼かれて倒れているエッジの姿だった。

(エッジはもう戦力としては期待できない、死んでないならいいけど。とにかく今は何とか巻き込まないように――)

「雪に覆われ、春へと眠れ……ハイバーネイト」

(しまった)

 一瞬エッジの方に気をとられてしまい、クロウは少年の詠唱に気付かなかった。

 彼女はどこから相手の術が飛んでくるかと警戒する。

「きゃ!?」

 だが、その術はクロウに向けられたものでは無かったらしい。

 今の声からアキの方も無事だった事をクロウは理解する。

 クロウが一瞥すると、アキが氷のドームに閉じ込められていく様子が見えた。

 もとより加勢を期待していなかった彼女は気にも留めない。

 クロウとルオンは一対一で対峙する。

「……」

 相変わらずルオンの表情からは感情は読み取れない。

 クロウの知る少年は以前から何も変わっていなかった。

 できることなら戦いたくなど無い相手でも、彼女はもう後には退けなかった。

「フラップダーツ」

 クロウは三本のダーツを低く投げ、急上昇させ少年を狙う。

 少年は冷静に軌道を見切ると、ダーツが上昇する前に跳躍して飛び越える。

 そして、そのまま空中で今度は彼女に向けて矢を放つ。

「くっ!」

 不安定な態勢から放たれたにも関わらず、その矢は正確にクロウを狙う。

 クロウはそれを体全体を大きく反らしてかわしたものの、少し遅れて動いた髪の毛が何本か矢によって切れる。

(武器での戦いじゃなかなか勝負が着かない、着いたとしても私の勝てる望みは薄い)

無慈悲(むじひ)なる氷槍(ひょうそう)……」

 どうやら相手も長引かせるつもりはないらしかった、凄い勢いで周囲のディープスがルオンの元へと集束されていく。

(同時に同レベルの深術を唱え始めたら向こうの方が早い……)

 その時ディープスの集まり方から、クロウは深術の効果範囲にエッジが含まれてしまっていることに気付く。

(……!)

 当然、今のエッジに回避することはできない。

 死んでいるなら無視しても関係なかったが。しかし、

 どうすれば良いかクロウが迷っている間に、相手の術が発動する。

「フリーズランサー」

 ルオンの前の空中に円形の魔法陣が広がっていくのがクロウの目にスローモーションのように映った。

(くっ、もう、迷ってる場合じゃない。こいつらの前では使わないつもりだったけど)

 クロウは目を閉じると、自分の『内側』に意識を集中させた。

 それと同時に無数の氷の槍が魔法陣から高速で打ち出され、エッジとクロウを貫こうとする。

(応えて!)

 

 その一瞬、クロウは目を開いた。

 普段は紫のその瞳は、闇そのもののように黒く染まっていた。

 

――ごう、と空気が音を立てて動く。

 

「――ブラッディハウリング!!」

 彼女の視界から氷の槍が消え、天を衝く様な黒に塗りつぶされた。

 振動が足元を揺らす。

 地の底から響くような不気味な音をたてて、無数の黒い塊が地面から噴出していた。

 それらは無数の狼の様な形をしており絶えずその顎で獲物を求めて、接触した氷の槍を粉々に噛み砕く。

 相殺。

 そんな言葉では済まされない。

 氷の槍は黒い狼の群れに傷一つ与えられなかった。

 それをクロウは詠唱さえせずに一瞬で発動させる。

「これ以上戦ってもあなたに私は捕まえられない。おとなしく退いてくれない?」

 口調こそいつもどおりだったが、その目は恐ろしいほどの殺気を放っていた。

 その目は怒りや憎しみなどの人間の感情に染まったものというより、獰猛な獣のそれだった。

 ルオンと呼ばれた少年はしばらくクロウの殺気をまるで気にせず黙って彼女を見ていた。

 クロウは威嚇を緩めず、相手を睨む。

 二人はしばし、そのまま睨み合った。

 が、しばらくすると諦めたのかルオンの方から彼女に背を向けて去っていった。

「……ふぅ」

 少年がいなくなって気が抜けたのか、クロウは軽くため息をつく。

 

「――ファーストエイド」

 クロウが唱えると、薄く青い光がエッジの体を包む。

 火傷が少しずつ消えていき、閉じていたエッジの目がゆっくり開く。

 どうやら気が付いたらしかった。

「!?」

 意識を取り戻すと、エッジは飛び上がる様に起き上がった。

 が、すぐに顔をしかめて膝をつく。

「くっ……」

「無理はしない方がいいよ、私の治癒術はまだ初歩的なものしか使えないから」

 その様子を見かねたクロウが忠告する。

「じゃあ、クロウが治してくれたのか?あいつは?」

「とりあえずいなくなった」

 それを聞いて、エッジがよく分からないという顔になる。

「いなくなった?……そうだ、アキは?」

 アキがいないことに気付き、エッジの頭を不安がよぎった。

「……あれ」

 嫌々ながらという感じで、クロウはアキの居場所を指差した。

 エッジが彼女の示した方を見ると、人の背丈くらいの球形の氷の塊があった。

「え、あの中にいるのか!?」

 クロウが目を合わせずに頷くと、エッジは急いで氷の塊に近付き剣の柄で氷を叩く。

 が、彼が思ったより氷は厚く、罅が入るものの割ることができない。

 エッジは仕方なく、詠唱を開始する。

「――ウィンドエッジ」

 風の刄を作り出し、氷の表面だけを切り裂く。そうして出来た割れ目からエッジは少しずつ剣で壊していく。

「エッジさん?無事だったんですか?」

 中のアキは無事だったらしく、氷を壊しているエッジに話し掛ける。

「ああ、大丈夫か?」

「はい、ここまで壊れていればあとは一人で大丈夫ですから、エッジさんは下がってください」

 エッジはアキが無事で安心したものの、アキが一人でここから出られるのかとも思った。

 彼の剣でもまだ壊すのに時間がかかりそうだったからだ。

「良いですか?――裂駆閃(れっくせん)!」

 その瞬間、氷のドームはいくつもの破片になり弾け飛んだ。

「!」

 どう見ても丈夫には見えない傘を――もっともエッジはそんな名前は知らなかったが――突き出しただけでアキは分厚い氷を吹き飛ばしてしまった。

「何……?」

「これは傘というものなんです、雨の日などに差して使うんですよ」

「そう、なのか」

 まるで答えになっていない気がしたが、とりあえずエッジは頷いた。

 そんなやり取りをしていると、エッジの背後から冷たい声が聞こえた。

「じゃあ話はすんだ?」

 二人が振り返ると、再び憎しみに満ちた目でアキを睨み付けているクロウの姿があった。

「少し邪魔が入ったけど、覚悟はいい《ジェイン》?」

 クロウは再び憎しみに満ちた目でダガーを抜いた。

「まだそんなこと言ってるのかよ!」

 エッジにはそこまで人を憎むクロウの気持ちが理解できなかった。

「うるさい!あなたはそいつが――そいつらが今までどんなことをしてきたか知ってるの?」

 そう言ってダガーを構え、クロウはアキに向かって走りだす。

 避けられないように、至近距離から投げるつもりらしい。

「分からないことに、口を出さないで!」

「やめろ!!」

 エッジの叫びも空しく、ダガーは何のためらいもなく放たれた。

 そして、ブスッという音と共に突き刺さる。

 ――直前で横からアキを庇うように飛び出してきたエッジに。

「!」

「え……」

 エッジは飛び出した勢いのまま地面に落下した。

 同時にダガーが刺さった腹部と、まだ火傷のダメージが残る全身に激しい痛みが走る。

「がっ、あ……」

「エッジさん!」

 慌ててアキが助け起こす。

 比較的深手らしく、何とか膝を立てたもののエッジは自分で立ち上がれなかった。

「何で……あんたはこんなことばかりするの」

「俺には……剣で攻撃を叩き落とすような技術なんてないし……こんなことするしかないだろ……」

「何で見ず知らずの他人の為にそこまでするのかって聞いてるの!それにそんなに止めたかったなら私を斬れば良い!」

 クロウの勢いにも負けず、エッジは荒い息で言葉を返す。

「俺はアキにも、クロウにも……いや、誰にも傷付いてほしくない……から」

 そこで一呼吸おき、クロウの目を真正面から見つめる。

 その目を見たクロウは、表情にこそ出さなかったが少し驚く。

 その目は今まで見てきた迷いのある瞳ではなく、必死ささえ見えた。

「強くなくても目の前の人を守るためにできることがあるなら、それをする。当たり前、だ」

 そこでふっ、とエッジの目の鋭さが解けた。

 そして、そのまま地面へと倒れこむ。

 どうやら再び意識を失ったらしい。

「……全然答えになってないよ、馬鹿」

 足元に倒れたエッジを見て呟く。

「ジェイン」

 呆然としているアキに、クロウはまるで温かみのこもっていない声をかけた。

 アキがビクッと反応して彼女を見る。

「薪になりそうな木を探してきて」

「え?……あ、はい!」

 アキは少し驚くが、すぐに近くの林へ走りだした。

 この時のクロウはいつもの様に少し不機嫌そうな顔はしていたものの、先程までのような殺気が消えていた。

 ――少なくとも、アキにはそんな気がした。


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