TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
『厳岩』のバルロは待ち続けていた。
王都を火の宝珠で壊滅させてから姿を現さないジェイン・リュウゲン――彼が唯一忠誠を誓う相手を。
彼に関しては混乱に乗じて逃げたのだという噂も、火事で命を落としたのだという噂も流れていたが、バルロはどちらも真実ではないことを知っている。
だから、予定の日を過ぎてもバルロは彼を待ち続けていた。
彼が居るスプラウツの中心拠点には残るクローバーズが全員待機していた。
『爪雷』のフレット。
『紅蓮』のセルフィー。
『流連』のレパート。
『純白』のネイディール。
そして、彼『厳岩』のバルロ。
無断で同じ名有りのクロウに戦いを挑み早々に武器を片方壊したレパートはバルロによる「制裁」を受け、当分は独断行動を起こす事など無いと彼は見ていた。
しかし、スプラウツという組織が出来てからこれほど目的が無い期間が続く事は初めてであり、それ以外のメンバーはその空白が長引くほど士気を乱し待機状態には限界が近付きつつあった。
クロウ達を完膚なきまでに叩きのめした闇の宝珠を持つ青年『ジード』が彼の元を訪れたのはそんな時だった。
「待たせたなバルロ」
突如何食わぬ顔で現れた、刀を持つ見慣れぬ青年に老人は怒りを露にする。
「何者だ、ここはジェイン・リュウゲン様の研究施設。用が無いものの訪れて良い場所ではない、去れ」
静かな口調にも有無を言わせぬ意思が感じられたが、『ジード』は意に介する様子も無く落ち着いて刀を差し出す。
「ジェイン・リュウゲンは死んだ、だから俺がここに居る」
「何を言っている、貴様の様な若造が――」
言いかけて、バルロは差し出された刀に気付いた。
そこに刻まれたジェイン家の紋章に。
ジードは気分を害する様子も無く、冷静に堂々と話した。
まるで、バルロの前でそうしていた「ジェイン・リュウゲン」本人の様に。
「この刀を覚えている筈だ、これはお前が忠誠を誓う相手の証。体面の為に騎士団に代わって解体されたアクシズ=ワンド軍、そこで行き場を無くしたお前に居場所を与えた「
『ジード』が語る自分の過去に、バルロは目を丸くする。
それはスプラウツ創設時の出来事、それを知っている人間は彼自身とリュウゲン本人しか居なかった。
「何故、お前がそれを」
「俺の話をどう取るかはバルロ、お前の自由だ。しかし、リュウゲンが死んだ事実は変わらない、確かめたいというなら亡骸の場所も教えよう。だが、主人が死にその意思を継ぐ者がここに居るこの状況でまず何をするべきか……お前はそれが判断できる人間の筈だ『厳岩』のバルロ」
しばしの間バルロは微動だにしなかった。
彼は『ジード』の瞳を子供達が一瞬ですくむ勢いで睨み続け、青年もそこから一歩も引かず澄んだ瞳でその視線を受け止める。
あまりににらみ合いが続き、埒が明かないと判断したのか先に折れたのは『ジード』の方だった。
「この刀、お前に預ける」
渡された刀を老人は黙って受け取り、そこに付いている微かな血痕に気付いて呟いた。
「……本当に、亡くなったのですね」
目を閉じ、その刀を硝子細工のように慎重に捧げ持ちバルロは青年に膝を折った。
「この身はリュウゲン様の為に、たとえ主の命尽きようとも」
『ジード』は柔らかく微笑む。
「計画通り、火の宝珠と光の宝珠の力は解放された状態になった。残る水の宝珠を探して欲しい、今までと違い手がかりはほとんど無い、頼めるか?」
「宝珠というものが今までと同じ様に高濃度のディープス結晶体ならば、レーシアの時同様大気中のディープス濃度を計測していけばいずれ見つけられるでしょう。時間はかかるでしょうが、クローバーズを中心として探索させます」
一度相手を認めると、バルロの動きは迅速で、『ジード』はそんな彼を信頼していた。
「頼む」
バルロは早速子供達の招集にかかった。
―――――――――――
頼みがある――クロウはそう言って、リアトリスを呼び出した。
エッジ達はクロウの身体の事について情報を得たものの、『ジード』の次の動きが分からず一度落ち着いて王都から南の離れた街で休息を取る事にしていた。幸いラーヴァンで飛行すれば落ち着いている地域まで移動する事はそれ程難しいことではなく、(クロウの飛ばし方は相変わらず容赦が無かったものの)一行は束の間落ち着いた時間を過ごす事が出来ていた。
ラークは次の方針がある様だったが目的地へ急いでいる様子は見せず、クリフと二人で修行と称して宿から姿を消していた。
エッジもエッジで一人で剣の修行をしている様子で、アキとリョウカは姉妹二人で何処かへ出かけており、ルオンは一人部屋で武器の手入れをしている。
クロウとリアトリスが二人だけになるのはそれ程難しいことではなかった。
人気の無い川辺でリアトリスは相変わらず何処かぎこちない様子でクロウに笑いかける。
「どうしたの?クロウが私に頼みなんて珍しいね」
その違いはクロウの方も気付いており、その表情は浮かなかった。
「まあね、『ジード』とかいうあいつに私は手も足も出なかった。あいつと戦うのに私は今のままじゃ駄目だから……ただその前に」
クロウはリアトリスの心に直に問いかけるように、彼女と目を合わせて言った。
リアトリスは彼女の真剣な表情に押されて半歩下がる。
「まだ私を殺すかどうかって悩んでるの?」
リアトリスは一瞬息を飲むが、すぐに動揺を押し殺してクロウの顔を睨んだ。
「知ってたの?」
厳しい声で言いながら、リアトリスは手を震わせた。
クロウはそれを無視して答える。
「ついこの間から、だけどね。正直驚いたよ。あんなに私に世話焼いてくるあんたがずっと私を死なせること考えてたなんて」
それを聞いてリアトリスは笑った。その笑みはクロウが今まで一度も見たことが無い程、嘲りに歪んでいた。
「そうだよ?私は初めて会った時から宝珠を身体に埋め込まれてるって事がどういう意味なのか知っててクロウに近付いたの。一緒にご飯を食べてたのも、朝起こしに行ったりしてたのも、全部きちんとあなたを監視下に置いておく為。その方が都合が良かったからだよ?『ジード』が持ってた残りの宝珠の欠片を取り返すのにも、全てが終わった後であなたの体内の欠片を回収するのにも」
堰を切った様にリアトリスは喋り続けた。
今まで気付かなかったクロウを嘲笑う様にか、
或いは自分自身を嘲笑う様に。
クロウはそれを笑わなかった。
怒りもしなかった。
「側に居れば死なせるのにも簡単だ、って私本気でそう思ってたんだよ?酷い女でしょ?エッジみたいに最後まで守るつもりなんて微塵も無いのに、仲間の振りして騙してたんだよ?あははは……いつからクロウを殺そうと思ったら、手がこんなに重く感じる様になっちゃったのかな、簡単だった筈なのに」
隠そうとしていた震えが全身に出て、リアトリスは声まで震わせた。
とてもまともにクロウの顔を見ることが出来ず彼女は顔を伏せる。
「ごめん……ごめん、クロウ。私なんて謝ったら良いか分からない。守る振りして、仲間の振りして、ずっとクロウを騙してた。いつか見捨てる癖に……ずっと」
その感情のまま自身の顔を傷つける様に爪を立てかけたリアトリスの手を、クロウがそっと止めた。
「馬鹿だね、リアは」
どこか可笑しそうに言ったクロウの反応が予想と違い、リアトリスは顔を上げる。
クロウは朗らかに笑っていた。
「そんなに辛いんだったら、最初から私の事なんて見捨てればよかったのに」
リアトリスは目から涙を零しながら首を横に振る。
「そんな事できないよ!だって私は……私はクロウの事……」
「それでもリアは悩み続けてくれた、あの日記を探す為に必死になってくれた。それだけで私には十分だよ。例え最後にリアに殺される事になっても私は恨んだりしないよ」
信じられない様子でリアトリスは目の前の少女を見つめた。
自分を殺すと言った相手を許して微笑む十六歳の少女を。
「あ、でもだからって簡単に殺されたりはしないからね。私は私で生きる為にあんたと戦うし、どっちが勝ってもその時は恨みっこなしだよ。それより本題の頼みなんだけど――」
「クロウ!」
リアトリスは自分より小さな彼女を強く、強く抱きしめた。
「それでも仲間だからね、私。クロウの為なら何だって力になるから」
「待って、今私そのせいで死に掛けてる」
呼吸困難になりかけてクロウがリアトリスの腕を叩く。
それでも彼女が離してくれなかったので、クロウは改めてもう一度頼んだ。
「ねえ、あの……頼みがあるんだけど……」
その言葉にリアトリスはようやく彼女を解放して、笑顔で応えた。
「いいよ、何でも言って!」
薄っすらと涙の残るその笑顔はいつも通りの、本物のリアトリスの笑顔だった。
―――――――――――
「せやあっ!」
「遅いよ!」
敵との間合いを瞬時に詰めるクリフの体技『
そのまま着地した右足を軸にくるりと回転して方向転換し追撃に入ろうとするラークに対して、クリフは慌てて技を切り替える。
「『
気の奔流がクリフの周囲で爆発を起こし、彼の周囲のものを全て退けた。
しかし手ごたえが無く、間合いを詰めてきていた筈のラークの姿が無い事にクリフは気付く。
クリフが顔を上げると、ラークは先程の位置から動いていなかった。
そのまま無防備な状態を晒したクリフに対し、ラークが振るった剣から斬撃が飛ぶ。
「うわ、ッ!」
自分の頭に向かってきたそれを避けようとしてクリフは尻餅を着く様に倒れた。
それと同時に、クリフから放たれ続けていた青い気の急流が霧散する。
「今のは『
クリフは頭を掻きながら頷く。
「それは分かってるけどよ」
ラークはその態度に何か違和感を覚えて目を細める。
「何か余計な事考えて無いかい?」
指摘されるとクリフは眉間にしわを寄せ、土埃を払って立ち上がる。
「……考えてねえ、やっぱもっと先まで予め考えとかねえと動きが間に合わねえな」
その返事には少しの間があったが、ラークはそこは敢えて突っ込まずにアドバイスを続けた。
「君の高速移動は普段の速度との差が激しい、次の動きを考えるのは大事だけどそれだけじゃ絶対間に合わない。感覚だけで瞬時に制御できる様に今は使用の回数を重ねよう」
「ああ、じゃあもう一回頼む」
再びクリフの周囲を青い気の急流が包み、ラークも回避に移りやすい様重心に合わせてやや低めに剣を構える。
二人は同時に動き、その余波で周囲の木々から葉が散った。
―――――――――――
残ったクローバーズ五人は一か所に集まっていた。
普段あまり全員揃った場に姿を見せない『純白』のネイディールもバルロの指示で来ており、皆の輪から少し外れた所で壁を背に落ち着いた表情で立っていた。
『爪雷』のフレットは唐突に表れた青年『ジード』の事を疑う様に睨んでは居たが、それほど問題にもしていない様子で興味無さそうな顔をしている。
『紅蓮』のセルフィーは、そんなフレットが未だに負ったままの右腕の怪我をちらりと横目に見て顔を逸らす。
『流連』のレパートは酷い痣の残る顔のまま、怯えたようにただただ無言で俯いていた。
全員が揃ったのを確認して、『厳岩』のバルロは主と認めた『ジード』に頷いて見せる。
『ジード』は一人一人の顔を見ながらゆっくりと話した。
「君達がセブンクローバーズ、識別名を持った子供達か。君達に頼みがある、水の宝珠フラッディルージュを見つけて欲しい」
「ああ?」
宝珠の名前を知らないフレットが威嚇する様に頼み事をしてきた青年を睨む。
バルロはそんな彼の様子を咎めようとしたが、『ジード』は気にする様子も見せず続けた。
「火山の時に運んでもらったのと同じものだ、探し方もあの時と同じ。……捜索範囲は比較にならないが頑張ってほしい。これが最後だから」
その言葉にクローバーズ全員が微かに戸惑った表情を見せた。
バルロさえそれは聞いていなかった様で困惑する。
「それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味、今言えるのはそれだけだ。後の細かい捜索の指示はバルロお前に任せる」
『ジード』はそう言って一方的に会話を切り上げ、彼らの前を去っていった。
バルロは彼に頭を下げ、それぞれの適性を考慮して名有り以外の子供達も混ぜながらそれぞれの捜索範囲を彼らに指示し始める。
自ずと他の子供を従えるのに不向きなフレットは単独行動にされ、セルフィーやネイディールの担当する子供達と範囲は増える。
指示を聞きながらも、セルフィーは先程の言葉の意味を考えたいた。
(最後……もし、本当に最後なら私は)
リアトリスと戦ってから彼女の中では小さな疑問が渦を巻き始めていた。
「それから、ネイディールお前の担当はこの中央大陸の南部だ、それで中央大陸は全てになる。それが済めばデータを参考に他の大陸に移る」
『純白』のネイディールは自分の担当を聞き、最後に『黒翼』のクロウが目撃された地域である事を思い出して口元に笑みを浮かべた。
(どこをどう探すかは私の自由よね……ねえ、クロウ?)
その笑みはとても、とても無邪気だった。