TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
エッジは呆然と確かめる様に自分の右手を握った。彼は今しがたそれが消えてしまった事が未だ信じられなかった。
「エッジ、今ここであった事誰にも言わないで。私がした事も全部。……この次この剣に触ったら助けられるとは限らないから、本当に絶対触らないで」
リアトリスの強い言葉に押されるままエッジは頷き、ふと気付く。
「……リアはその剣に触っても平気なのか」
エッジに指摘されたリアトリスは、全く平気では無さそうな表情で自分の手の中の蒼い剣を見下ろす。
「子供の時たまたま触れたの、その時は何だか知らなくて……でも、出来れば触りたくないよ」
リアトリスは深海の剣を箱に戻すと、蓋を閉めてテントの奥へと押しやった。
そのままリアトリスはその記憶を振り払う様に剣に背を向ける。
「もうこれを使おうなんて考えないで。行こう、ラークがこの剣の事エルドと話してる」
エッジを引き摺る様にして、リアトリスは強引に物置のテントの外に出た。
―――――――――――
エッジはリアトリスに連れられるままに族長のテントへと連れて行かれる。
アキとリョウカも来たばかりの様で、ラークから説明を受けていた。
心の一族のサーカスを率いるエルドは円形に並べられた椅子の一つに座り、黙ってなり行きを見守っている。
「剣?たった一振りで何が出来るっていうの?」
リョウカの疑わしげな声に対して、ラークは微笑む。
「君もシントリア出身なら、話位は聞いたことがある筈だよ。最上級深術――国を食らった大蛇の話と、それを下した剣の話は」
リョウカの目が丸くなる
「『水影術師団』の事を……まさか、クサナギノツルギ?」
その単語に、エルドも軽く反応を示す。
ラークは微笑みは崩さないままそれを肯定する。
「君達がクサナギノツルギと呼ぶそれは『天空の剣』。僕らが使おうとしているのはそれと同等の力を持つ『深海の剣』だよ」
何気無い様子でリョウカに説明した事を警告する様に、エルドが厳しい声を出す。
「ラーク」
注意されたラークは、エルドを睨み返す。
「決まりは分かっているつもりだ。それでも……あれを相手するならどうしても禁忌の剣の力が居る」
エルドも引かない。リアトリスと同じ橙の瞳が険しくなる。
「それは否定しない。が、一族以外の者に剣の事を話すのは別だろう。これは我々シンの一族が対処すべき問題だ」
話の内容が分からないアキとリョウカはエルドの言葉に少々萎縮するが、ラークは冷静に反論した。
「深海の剣に担い手は居ない。力を引き出せないあの剣だけでいま奴と戦おうとしたら、戦士でないこのサーカスの皆やイノアザートの者達まで駆り出す事になる」
エルドは顔を伏せた。そうなれば、大勢の犠牲は避けられないからだ。
ラークは、隣に立つアキやリョウカを指しながら続ける。
「僕達と同じ血を引くエッジは勿論、ここまで協力してくれた彼らは皆戦闘に秀でている。彼等の協力と深海の剣があれば、無用な犠牲は防げる筈だ」
エルドは髭の生えた顎に手を当てて考え込んだ。皆表情を固くして彼の返答を待つ。
長考の末、エルドは頷いた。
「良いだろう、ただし分かっているだろうが禁忌の剣の事までは保証できんぞ。使えるかどうかはお前達次第だ」
そこで唐突にエルドはラークに向かって微笑んだ。
「『無用な犠牲は防げる』か、ラーク。族長の血を引くものとして欠けていたものを一つ見つけられた様だな」
ラークは不意を突かれ、戸惑った顔を見せる。
ここまで黙っていたリアトリスは、彼のその珍しい反応を見て吹き出した。
「ふふ」
「……その笑いはどういう意味だい、リア?」
横目で彼女を睨むラークに対してリアトリスは「何でもない」と軽く笑った。まだ先ほどのショックを引きずっているのか、その表情の変化は小さなものだったが幾分元気を取り戻したようにエッジには見えた。
彼女の笑顔を見たエルドは微かに緩めた表情を今一度引き締め、リアトリスに――孫娘に尋ねた。
「エミス洞穴に現れた男が真に宝珠の力を持っているなら、この先は命がけの旅になる……それでもお前はこの旅を最後まで続けられるか?」
リアトリスは祖父と目を合わせると、微かな迷いを見せた。
「『
エルドはその言葉に、彼女を観察する様に目を細める。
「『
リアトリスは祖父の言葉に困惑の表情を見せる。
エルドはそのまま続けた。
「七色の光が壊れる事は無い、破られるのはお前だ。お前に「守る意思」がある限りまだやれる事は残っている」
リアトリスはしばしその言葉の意味を考えていたが、やがて強く頷いた。
「……ここまで来て私だけ逃げるなんて出来ない。私は最後まで旅を続けます」
その返答を聞いた心の一族の族長は今度はエッジやアキ、リョウカに目を向ける。
「君達も同じか?知らずに育った使命や、何者かも知れぬ強大な敵との戦いに命を賭けられるか?」
「はい」
「ええ」
「勿論」
三人も同様に頷きバラバラの言葉で、しかし等しく同じ返事をする。
それを見てエルドは今度こそ納得したのか、いつかクロウを追ってエッジ達を送り出した時と同じ言葉を口にした。
「君達にアエスラングとイクスフェントの加護があらんことを」
そして、一言付け加える。
「――それはそうと、君達が待ち望んでいた者が目を覚ました様だぞ。彼女本来の意識の方がな」
エッジは目を丸くして、安堵する。
「……クロウ」
皆が彼女の見舞いに行こうと動き出す中で、テントの外で話を聞いていたクリフはそっとその場を立ち去った。
―――――――――――
スプラウツの本拠地。
クロウに続いてルオンが居なくなり五人になったクローバーズのうちの一人《流連》のレパートに、《厳岩》のバルロはある物を託していた。
老人の手から受け取ったそれをレパートは興奮を抑えきれない様子で、食い入るように見つめていた。
「――深素銃「始」、お前に先代の様に武器無しで戦う技術は無いが、これを使えばお前でも多少は《流連》の名に相応しい戦いが出来るだろう」
バルロの説明も半ば耳に入っていない様子で、レパートは手の中の二丁の武器を大切そうに撫でた。
「ああ……感謝するぜ、バルロ」
そう言って上機嫌で去る少年を、普段ならため息を漏らすであろう老人は静かに見送る。
スキップで静寂の支配する無機質な廊下を進み、自室へと戻ろうとするレパートを女性の声が呼び止めた。
「馬鹿な事を考えているならやめておきなさい」
黄緑の髪の少年は舌打ちして、背後を振り向く。
「ネイディール……」
そこには純白の女性が彼に背を向けて立っていた。
まるで、すれ違いざまに声をかけていたかの様に。
レパートは水を差された事に機嫌を損ねながら噛み付く。
「何だよ、俺が最新式の装備を貰ったからってひがんでんのかよ」
ネイディールは振り向かない。
ただ、その不思議な声で素っ気無く言った。
「クロウはあなたが考えている程甘い相手じゃない、自分の命を大事にしなさい」
警告された事を侮りと取ったのか、レパートは怒りを露にする。
「煩い、俺はもうお前達ともクロウとも同格のクローバーズなんだ。この武器でそれを証明してやるよ」
憤慨しながら武器の手入れに向かったレパートの背中を、小さな呟きだけが追う。
「……痛みが無いと人は学習しないのかしら」
無人の廊下に、再び静寂が戻った。
―――――――――――
「クロウ!」エッジが帆布を捲り、
「クロウさん!」アキがそれに続き、
「怪我大丈夫?まだ動いちゃダメだよ!」リアトリスが駆け寄る。
クロウはベッドで固定された身体で天井を見たまま呟く。
「うるさい」
それから彼女はのろのろと、自分の腕を確認し、男にやられた傷を確認し、それから隣のベッドにルオンが寝ているのを見て安心したように息を吐いた。
「何だ……私もまだ生きてるんだ」
飛び込んできた三人は嬉しそうな顔を見せ、遅れてきたリョウカとラークは皮肉を言う。
「仲が良いわね、安静に出来そうに無いくらい」
「良い所に気付くね、僕もそう思ってたよ」
リョウカは興奮する妹をクロウから引き離し、クロウはラークと視線を交わして目を細めた。
「心配はしてなかったけど、一番大怪我だった割に元気そうね。あんたが無事ならクリフも含めて全員無事なんでしょ」
ラークは柔らかく微笑みながら、クロウに言い返す。
「覚えて無いだろうけど、君の方が大怪我だったからね」
そこで、クロウは表情を引き締めると尋ねた。
「……それでどうなったの、あいつ」
一瞬の沈黙が降り、全員の表情が暗くなる。
リアトリスが遠慮がちにそれを破り、説明を買って出た。
「それは私が話すね、クロウのことも含めて全部」
それから少しずつリアトリスは全てを語った。
闇の宝珠を持った男の事、クロウに起こった変化の事、シンの一族に助けてもらった事、ルオンの状態の事……そして、対抗策の深海の剣の事を。
―――――――――――
全てを聞いたクロウはしばし考え込む。
他の皆も同じで、得た情報を改めて各々の中で整理していた。
最初にエッジが口を開く。
「それで、どうする?これから」
皆も顔を上げてその意味に気付く。
クロウを助ける為、戦争を阻止する為、アクシズ=ワンド王国から逃げる為、宝珠を追う為、ここまで次々襲いかかる困難に対処する為エッジ達は手を結んできていたが、ここに来てその指針は途絶えかけていた。
「あの男の居場所も目的も、現状だとまだ分からない。それに、今のままじゃ出会っても返り討ちにあう……」
全員を再び沈黙が支配しかける中、ラークが一つ提案をした。
「『ジード』の事はどうにも出来ないけど、もう一つの方なら……手掛かりがあるかもしれない」
リアトリスが首を傾げる。
「もう一つ……?」
「クロウのあの状態の事だよ」
全員が驚いてラークを見た。
エッジは何処にそんなものがあるのかと質問する。
「分かるのか?あれの事」
ラークは首を横に振る。
「宝珠の力の事や、それを使った場合何が起こるかは正直僕には分からない。けど、分かるかもしれない人間なら心当たりがある。『刻印術式』という体内に埋め込むタイプの深術の研究をしている研究者が居るんだ」
そう言うとラークは、エッジの顔を見つめた。
「名前はハーディロン。ハーディロン・アズライト、君とブレイドの父親だよ」