TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第六十一話 担い手なき深海の剣

 エッジは目を開けて、自分が夢を見ているのかと思った。

 視界に飛び込んできたのは自分達を覆いつくす闇でもなければ、倒れた仲間達でも無く、どこか懐かしい天幕だったからだ。

 この景色をどこで見たのだったか思い出そうとしている彼の元へ、年配の女性の声がかけられた。

「エッジ君も目を覚ましたのね、良かった」

 寝かせられたベッドの上でゆっくり首を動かしたエッジは、声のしたほうを確認する。

 そこに立っていた女性もまた見覚えがあり、エッジの記憶の糸が繋がる。

「リアのサーカスの……」

 ここで生活していた時よく彼に挨拶してくれた女性は柔らかく微笑んだ。

「そう!頭もちゃんと働いているみたいだし、これで後二人ね」

 そこでエッジは、自分が置かれている状況を理解して慌てて跳ね起きた。

 何も夢ではなかった。王都で火の宝珠の暴走を止めた事も、クロウの姿が変わった事も、青年に全員が殺されかけた事も。

 エッジはすぐに、まだ目を覚まさないという仲間の所へ案内してもらった。

 

 眠っているのはクロウとルオンだった。

 二人は以前クロウが生活していたテントにベッドを増設して、並んで寝ていた。

 エッジの記憶の中のルオンは虚ろな目を開いたままだったが、今はその目は閉じられ蒸された布がかけられている。長期間開いたままの状態で眼球を傷つけない為らしい。

 それより、おかしいのはクロウの様子だった。

 体のあちこちに当て木と包帯が巻かれ、クッションで手や脚が高く上げられている。

 何より、右腕を中心とした凍傷の様な怪我が酷かった。

「これ……どうしてこんな、他の皆は無事だったのに?」

 エッジが困惑して、連れて来てくれた女性に尋ねる。

「この子あちこちに打撲を負ってるのよ、何かで無理矢理引っ張って動かされたみたいに。その上で闇の宝珠の力とあなた達の間に割り込んで、それで……」

 語りながらサーカスの時クロウの事も面倒を見てくれていた彼女は目を伏せ、エッジの表情も暗くなる。

 それに気付いたのか、女性は元気付けるように少し声の調子を上げて彼に言った。

「大丈夫よ、私も、(シン)の皆も、治癒術の得意なリアトリスも居る。傷は残ったりしないわ、もう一人の子も身体自体は健康だから、二人とも必ず目を覚ますわよ」

「はい……お願いします」

 エッジは頭を深く下げた。

 

 ―――――――――――

 

「トウカ……私の事、どうして敵だって言わなかったの?ここなら貴女の仲間が大勢居る。追い出すのは簡単な筈よ」

 早々に目を覚ましていたリョウカは、妹のアキと二人でサーカスのテント群から離れて話をしていた。

 二人はそれぞれに置かれていた木箱に腰掛け、視線を合わせない様に互いに少し目を逸らしていた。

 交わす言葉はぎこちなく、会話の合間に沈黙が度々混ざる。

「そんな事、する理由がありません……助けてもらった側で」

 リョウカは首を横に振る。

「それは違うわ。最初に助けてもらったのは私……私が他人に借りを作るの嫌いなの知ってるでしょう。借りを作るのが嫌だから助けただけ」

 どこか自分でそれを嘘だと感じながらも、リョウカはそれしか言えなかった。

 アキも姉に返す言葉が見つからずに俯く。

 沈黙が続く内に、リョウカは思い出した事を口にする。

「それに、私の力じゃないのよ。貴女を助けたのは知らない男だった」

 え、とアキが顔を上げ、リョウカは続ける。

「誰だか知らないけど、いきなり現れて私達を助けてくれたのよ。自分だって逃げ場無かった癖に……貴女の名前を呼んで、私に説教して――って」

 リョウカはそれに気付いて言葉を止める。

 アキが呆然としたまま涙をこぼしていた。

「シビルさんです……それは、多分。家出した私を助けてくれた人です……私、何も返せていなかったのに」

 リョウカは実の妹が目の前で初めて見せる弱さに困惑して、どうして良いか分からずに立ち上がった。

「ちょ……ちょっと」

 アキはリョウカの事が目に入っていない様だった。虚ろな目で宙を見つめ、泣き続ける。

 何も出来ないリョウカの脳裏を、その『シビル』という青年に言われた言葉がよぎった。

 

『年長者なら年下の姉妹(きょうだい)を守れ。どれだけ憎んでも、まだ生きているのだから』

 

 リョウカは意を決したように息を大きく吸って、緊張した面持ちで言った。

「い、いつまでも泣いてんじゃないわよ!」

 姉の突然の大声に、アキは驚いて顔を上げる。

「ほら!これ、食べなさい!……ちょっと形は崩れちゃったけど、味はそんなに変わらないわよ」

 リョウカが突き出したのは和菓子――その中の饅頭と呼ばれる菓子だった。

「昔はよく泣いたらこれで泣きやんでたでしょう?気まぐれで買ったけどやっぱり好きになれないからあんたにあげる。シントリアがあんな事になって、これの店も燃えちゃったから多分最後の一つよ、大事に食べなさい」

 リョウカはなるべく柔らかい言い方にしようとするも、ついついその語尾はきつくなる。

 半ば握りしめる様に差し出されたそれに、アキは泣く事も忘れて戸惑っていたがやがてその表情が苦笑いに変わる。

「……もうそんなに子供じゃないですよ」

 菓子を受け取って、アキは潰れかけたそれを口に運んだ。

 そこで再び会話が途切れ、リョウカは一度入れた気合が揺らぐ。

「ごめんなさい、こんな時にそんなものを渡す事しか出来ないダメな姉で」

 リョウカの謝罪に、アキは菓子を頬張ったまま首を激しく横に振った。

「私がエッジさん達を騙そうとしていた時から、姉さんはずっとこの国の為に頑張っていたのに。私が何も考えていない子供だったから、こんな事に……!」

 リョウカはそれを強く否定した。

「それは違うわ、トウカは途中からきちんとジェインのやろうとした事を止めようとしてたのに、私がつまらない恨みを捨てられずにあなたの足を引っ張ったのよ」

 二人は抱えていた思いをぶつけ合って、互いの言葉を反芻する様に黙った。

 何度目かの沈黙の中でリョウカが先に口を開く。

「……謝って済むなんて思ってない、だからせめてこの先は私があなたを守る。私の命に代えてでも」

 アキは何か返そうとして、言葉が出てこなかった。

 甘味を噛みしめながら、彼女はふと父に言われた最後の言葉を思い出す。

 

『大丈夫だよ、トウカ。お前達姉妹ならきっと……』

 

 アキは父の安らかな顔を思い出し、再び涙を流した。

 

 ―――――――――――

 

「エッジ」

 他の仲間を探していたエッジは、ラークの声に呼びとめられてキョロキョロと彼の姿を探す。

「こっちだよ」

 ラークは座りこんで、サーカスの公演に使うらしき鉄柱によりかかっていた。

 いつもの彼らしくない大人しい様子にエッジが疑問を持っていると、ラークは自分から説明する。

「意識は戻ったんだけどね、まだそんなに動けないんだ」

 当然と言えば当然だった。

 エッジが最後に見た時一番怪我がひどいのはラークで、(シン)の一族としての治癒能力が無ければ一番回復が遅くて然るべき身体の筈だった。

「あの時、あいつは完全に俺達を殺すつもりだった……どうして俺達は助かったんだ?」

 謎の深術『ディグルフェイズ』からクロウが仲間達を庇った話をエッジは聞いていたが、そこから意識を失った自分達が何の追撃も受けなかった理由に疑問を持っていた。

「君の事だから、サーカスに居る時点で『誰に』助けられたかは分かっているんだろう?疑問は『どうやって』か。そう、僕達は心の一族の仲間に助けられた。あの時直前に君達が彼らに託した火の宝珠シーブレイムスの力を使ってね」

 エッジは驚く。

「あんな危険なものを使ったのか……!?」

 ラークもそれを否定せず、笑う。

「普通なら心の一族でも使うなんてことはまず無い、でも彼らは危険を承知で五人がかりで限定的に力を解放する事で辛うじて宝珠の力を制御したんだよ――で、エルドに盛大にお説教を食らったっていう訳さ。彼らの行動が無かったら僕達は全滅だった」

 エッジは助けてくれた心の一族の人達に頭が上がらないと思いながらも、同時に別な疑問を持った。

「でも、その話なら助けてくれた皆も制御するので精一杯だったはずだ。それで、倒せたのか?」

 ラークは真剣な表情で首を横に振る。

「彼は火の宝珠を相手にするとなった途端あっさり逃げたそうだ。僕らの事は始末できれば始末しておく、ついで位にしか考えていなかったらしい」

 エッジは信じられなかった。

 燃え盛る王都の炎、クロウの力を以てしても凌ぐので精一杯だったあの力を前にしてそれだけの余裕があった男の事が。

「……知り合いなんだろう、ラーク。あれは誰なんだ」

 ラークはしばし答えに窮する。それはとても珍しい反応だった。

 彼自身、本当に『何か分からない』かの様だった。

「彼の名前なら分かるよ、多分。彼は身の一族を裏切って闇の宝珠を持ち出し、イクスフェントからこのアエスラングに落とし……その時、僕に殺された男ジード・カルシート」

 エッジの思考が停止する。

 殺された。

 だったら、あれは何だというのか。

「待ってくれ、何かの間違いじゃないのか?瀕死の状態で、こっちの世界に来て……身の一族なら傷の治りだって」

「エッジ、彼はこの世界に来ていない」

 ラークはエッジの言葉を切り捨てた。

「彼の死体を置いて僕は闇の宝珠を追ってこの世界へ来たんだ、僕より後に向こうの世界からこっちへ来た者は居ない」

 エッジは絶句する。

 ラークは、淡々と続けた。

「正直あれが誰なのか僕には分からない、あえて名前を付けるなら『ジード』だというだけでね。分かるのは彼の圧倒的な力と、彼がまだ残りの宝珠に何らかの関心があるという事だけだ……誰であろうと止めるしかない」

 ラークは鋭い眼差しで言い切る。

「止める、って……」

 エッジにはそれが信じられなかった。

 というより、倒す方法が思いつかなかった。

 エッジの知る中で最も強力な深術を扱うクロウの全力が通じず、最も強固な守りを誇るリアトリスの『色の水晶』が破壊された。

 それでも、恐らくあの『ジード』は本気を出してすらいない。

 今まで絶えず考え、状況を冷静に見極める事で答えを出し戦いを切り抜けてきたエッジの思考そのものが「戦ってはいけない」という答えを出していた。

「一つだけ望みがある、僕らシンの一族には宝珠が悪用された最悪の事態に備えて、託されてきた切り札がある……それを使う為に今、何とかここの長のエルドを説得しようとしてる所だ」

 ラークはそう言って、重そうに身体を起こした。

「切り札って」

 エッジが尋ねようとすると、ラークはいつもの微笑みを浮かべて誤魔化した。

「剣だよ……名前は、アエス・ディ・エウルバ。でもそれはまた今度だ、その内話すよ」

(アエス・ディ・エウルバ……?)

 それだけ言うと、ラークはエッジの傍をゆっくりと去っていってしまった。

 エッジはまだ聞きたい事があったが、諦めてクリフとリアトリスを探す事にした。

 

 ―――――――――――

 

「二人とも居ないな……」

 エッジはそれからあちこちを探しサーカスで知り合った人に聞いて回り、知り合いが多いリアトリスの居場所を聞く事が出来て今居るテントの中に足を運んだのだが、彼女の姿は無かった。

 元々サーカスの一員として生活していた時間が長い彼女は元気になるなり、あちこち手伝って回っているらしい。

(それにしても本当にあちこち移動してるんだな……まあ、元気なのは間違いないみたいだから良かった)

 このテントは見た所物置の様だった。サーカスの一団は移動する関係で、定期的に物を動かす為そこまで乱雑な物の置かれ方はされていない。

 特に用事もなかったのでエッジは外に出ようとするが、ふとその中に気になるものを見つけて足を止める。

(あれ?何だろ、これ。他の物は全部出しやすい様にきちんと積んであるのに)

 整理整頓された中にあって一つだけ、まるでわざと取りにくい奥に置いたかのような箱がある。

 閉じ忘れたのか、微かに開いたその隙間からは鎖が見えている。

 そして、それに拘束される様に入れられたそれは、剣の柄の様にエッジには見えた。

 直前に聞いたばかりの話を思い出して、エッジは興味を引かれてそれに近付く。

 箱を手に取って引っ張り出し、何とか他の荷物の上に乗せて開くとその剣の全容がはっきりと見て取れた。

 それは随分大型の剣だった。

 まず目を引くのは中心に埋め込まれた大きな青い水晶の様な鉱物、そして魚類のヒレを思わせる様な奇妙な形の鍔。

 その周囲を棘の様な奇妙な飾りが覆い、薄青いオーラがその剣を包んでいる。

 そして刀身には見慣れない文字が彫られていた。

 

『fe lus fqa'd melo』

 

 見れば見る程、エッジはこの剣が「それ」なのだと思わずには居られなかった。

 エッジはエミス洞穴の前で対峙した、『ジード』の事を思い出す。クロウと彼の戦いを成す術なく、見ている事しか出来なかった自分自身を。

 その力の差を埋める事が、この剣なら出来るとラークは言った。

(もし本当にそんな事が可能なら、俺があいつを倒す……力を貸してくれ、アエス・ディ・エウルバ)

 剣にそれが伝わる様にと、エッジは半ば願かけのつもりでそう願いながら目を閉じて右手で剣を握った。

 

 ほんの一瞬、冷たい感触がエッジの手に伝わるがすぐにそれは消えた。

 それは奇妙な感触だった。

 剣だというのに、重さを微塵も感じず。

 持っているのか、持っていないのか分からない位だった。

 エッジは目を開けて改めて剣を観察した。

 特に変化は無い。

 剣は変わらずそこにあり、同じ様にオーラをたたえていた。

 けれどエッジはそこに、何か違和感を感じた。

 何か――

 

「エッジ!!」

 リアトリスの悲鳴がエッジの耳を突き刺し、彼女の手がアエス・ディ・エウルバを掴んでエッジの手から無理矢理引き離す。

 否、そこでエッジはようやく先程の違和感を感じた原因に気付いた。

 

 そこに、エッジが突き出していた筈の右手は無かった。

 痛みも何もない、ただ手首から先が空気に溶ける様に形を失い、実体を無くしていた。

「――――」

 リアトリスが何かを早口で呟き、エッジの手があった場所を必死で握る。

 そこには、時間が巻き戻ったかのようにきちんと元の右手があった。

「物音がしたからまさかと思って来たんだけど、あと少し遅かったら本当に間に合わなかった……エッジ、これに二度と触ろうとしないで」

 荒い息でリアトリスは懇願する様にエッジに言った。

「この剣は深海の剣アエス・ディ・エウルバ……別名を、全てを飲み込む深海の蒼。絶対に使っちゃいけない、禁忌の剣だよ」


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