TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第六十話 目覚め

「ねえ、良かったの?」

 火の消えた王都シントリアからリアトリスに案内されるまま歩く森の中、クロウが念を押す様に尋ねた。

 エッジは何が不安なのか分からず首を傾げる。

「何がだ?」

「火の宝珠、簡単に渡して良かったの?」

 術士としてルオンが手にしていた宝珠は直接手にする事が出来ず、ルオンの近くにあった赤い布でくるんで運んでいた。が、皆の怪我の治療をしている間にリアトリスの知り合いらしい心の一族が現れた為、彼らに渡していた。

 そのルオンは目こそ開いているものの未だきちんと意識を取り戻していない様子で、クリフに運ばれていた。

 宝珠が使われたとなれば、リアトリスやラーク以外の一族が動くのも当然らしい。リアトリスもそれ程問題には思っていない様子で答える。

「うーん、まあ確かにラークに相談してからでも良かったかもしれないけど、私達はクロウと離れる訳にはいかないから。あまりずっと宝珠を持っている訳にはいかないよ」

 その答えに納得いかなそうなクロウを、興味深そうにリョウカが観察する。怪我は治ったものの意識が戻らないアキを、彼女は以前エッジを運んだのと同じ様に宵の地衣を使って運びながら付いてきていた。

 彼女は『アキが意識を取り戻してから話す』、と自分の事を多く語らなかったがアキの姉だと名乗ったリョウカをエッジ、クロウ、リアトリス、クリフの四人は誰も追い返そうとはしなかった。

「意外ね、貴女はもう少し誰でも疑ってかかる様な性格かと思ってたわ」

 クロウはリョウカの言葉に、は?と声に出して睨みつける。

「だって、そのリアトリスという子もさっきの人達も同じ一族なのでしょう?でも、貴女はその子がさっきの宝珠を持つ事には特に抵抗していない……彼らは駄目でも、その子は信用しているのね」

 リアトリスが少々驚いた様子でクロウの顔を見つめる。

「……そうなの?」

「違う――っていうか、泣きそうな目でこっち見ないでよ!ほら、もう着くんでしょ!」

 リアトリスの目が潤むのを見て戸惑ったクロウは逃げる様に先陣を切って森を抜ける。

「うん、ここがエミス洞穴、あれ?でも待って、この気配――」

 案内していたリアトリスが目的地に着いた事を宣言しようとして、異変に気付いて口をつぐむ。

 

 エッジ達の前には岩肌と、確かにエミス洞穴らしき奥へと続く入り口があった。

 しかし、その前には予想に反して二つの人影がある。

 一人は見知らぬ緑の髪の青年、そしてもう一つは引きずられた様な血の跡の上で倒れ動かない……

「ラーク!!」

 エッジが叫び、クリフが目を見開く。

 その声に青年が気付いて振り向き、エッジ達全員を観察する。その目はこの惨状に似つかわしく無い程ひどく冷静だった。彼が手に持った唯一の武器らしき刀は不自然な位返り血が少ない。

「ああ、君の仲間かディエルアーク」

 ディエルアーク、青年はラークをそう呼んだ。

 ラーク自身誰にも名乗った事の無い名前を何故目の前の青年が知っているのか、誰にも分からない。

 

 ただ、一人クロウだけはその青年を見た瞬間から一つの確信を持っていた。

 彼女は自身の中から溢れ出る衝動を抑える事が出来ず震える。「この相手と戦ってはいけない」、その言葉が彼女の脳裏に浮かび、身の危険に彼女の中のラーヴァンが狂った様に暴れだそうとする。

 殺さなければ、殺される。

 その確信から逃れる為にクロウは憑かれた様に今まで一度もしなかった事をした。

「そんな、だって、この気配……」

 彼女の横で、リアトリスは信じられないという表情で呆然としている。

 動かなかったラークが、息も絶え絶えに警告する。

「駄目だ、逃……げろ、クロウ……」

「ブラッディハウリング!!」

 クロウは、無抵抗の相手に何の加減も無い深術を放った。

 触れれば裂ける程度のものではない、人の体などひとたまりも無い狼の群れがクロウの周囲から現れ青年へと殺到する。

 普段の彼女なら絶対に使わない様な威力の術。

 それを、青年は詠唱を破棄した闇属性の術を片手で放って無造作に弾き飛ばした。

「こいつは……君が持っていない残りの宝珠の欠片を、全て持っている……!」

 

「敵として生かしておくにはやはり危険すぎるか」

 

 青年はクロウの顔もまともに見ないで呟く様に言って、クロウが使うのと同じブラッディランスを彼女目掛けて立て続けに放った。

「ッ、ブラッディランス」

 唐突な反撃にクロウは同じ術で相殺する。

 否、つもりだった。

 彼女の放った槍は空中で相手の術とぶつかったにも関わらず、まるですり抜けるかの様にあっさりと穴を空けられて霧散する。

 そのまま、回避も出来ないまま彼女の右肩を槍が捉える。

「あ――」

 殺される、その未来が明確に確定する程の力の差だった。

 痛みと共に自身の身体から血が吹き出すのを遠く見守るクロウの耳には、彼女の名前を呼ぶ仲間達の声も届かなかった。

 ただただ、ラーヴァンが狂った様に彼女の体を動かそうとし、敵意と闘争本能が彼女の頭を黒く塗りつぶしそして、

 そこでクロウの意識は途絶えた。

 

 空気が渦を巻く。

 冷気が、全員の肌を冷たく刺した。

 その異常なディープスの動きは、ラーヴァンが実体化する時の感覚に近かった。

 しかし、

「何これラーヴァン……?」

 リアトリスが違和感を覚えたのかクロウの姿を探す。

 が、そこには先ほどまで居たクロウの姿も、実体化したラーヴァンの姿も無い。

 直後、激しい闇属性のディープス同士の激突が起きた。

 一度、二度、三度。

 瞬きの内にそれは繰り返されて余波が無差別に地をえぐり、仲間達は思わず後ずさる。

(一体、何が起きてるんだ?)

 エッジは必死に状況を整理しようと、突然クロウに襲い掛かってきた青年を見る。

 ラークに似た緑の髪をした青年は、エッジ達に見向きもせず何かと戦っていた。

 彼もまた相手の姿を捉えられていない様だったが、表情に焦りは無い。自分の周りに球形の黒い障壁を展開して、相手から斬撃らしき攻撃を受ける度視線を動かして冷静に敵の姿を見極めようとしている。

 そこで、クリフが気付き声を出す。

「あれ、クロウなのか……?」

 言われてエッジも必死に、幾度もただ障壁に叩きつけられる見えない襲撃者の軌跡に目を凝らす。

 何か巨鳥の影のようにも見えるが、ラーヴァンより遥かに細身で確かに人間の様にも見えた。が、そのシルエットはあまりに人と違いすぎた。

 少なくとも、目で追えない程の速度で動くそれは「鉤爪」を持っていた。

 と、その影が一度距離を空け、上空で静止する。

 エッジは自分の目が信じられなかった。

 上空から、緑の髪の青年を見下ろすそれは間違いなくクロウだった。

 しかし、その背は人として立つ事を忘れた獣の様に丸まって、獰猛な闘争本能を剥き出しにした瞳は真っ黒に染まっている。

 何より違うのは、その色だった。

 人としての姿を変えてしまう程の闇のディープスが実体化して、彼女に翼と長い鉤爪と鎧の様な物を与えている。

 その姿に停止した仲間達にリアトリスの警告が飛ぶ。

「皆避けて、今のあれはクロウじゃない!」

 言われた直後、黒い槍が降り注いだ。

 今までクロウが使っていたものとは速度が桁違いでほとんど視認すら出来ない。

 青年は眉をしかめながら、彼女の方に障壁を集中してその攻撃を防ぐ。

 間一髪、リアトリスが危険を察して事前に発動準備していた『色の水晶(クロマティッククリスタル)』が展開され、エッジやリョウカ、クリフとそれに倒れているラークを守る。

「こんな無差別に……やめろ、クロウ」

 仲間にまで攻撃をしかける彼女にエッジは懇願する様に言ったが、既に彼女の姿は再び見えなくなっていた。

「ダメだよ、エッジ……クロウの心が感じられない、完全に闇の宝珠に呑み込まれてる」

 リアトリスが必死な表情で杖を振って構え直し、その先端を障壁の中に閉じこもる青年に向ける。

「『敵』が居なくなればきっとクロウも元に戻る……ラークを殺そうとしたこの人を倒せば……っ!」

 その手が明らかな恐怖からガタガタと震える。

 火の宝珠の力を目の当たりにした今、リアトリスは誰よりも宝珠の力を理解していた。

「無茶だ……逃げろ、リア……」

 ラークが顔を上げられないまま、声を振り絞って彼女の行動を制止する。

 が、青年はその彼女の行動に気付き、片手をエッジ達全員に向ける。

「君達も邪魔か。確かに君達は『ジェイン・リュウゲン』にとっても目障りな敵だった、ここで殺しておこうか」

 リョウカがその名前に反応し、アキを下ろして両手を広げ戦闘態勢を取る。

「あなたも、あいつの仲間なの」

「仲間も何も、あの時俺の前に立ち塞がったのは君だっただろう?タリア・リョウカ」

 当然の様に答える青年の言葉に、リョウカの表情が何かに気付いて青ざめる。

「何を……いえ、どうして……どうして貴方がリュウゲンの刀を持っているの」

 答えず、青年は掌を軽く振る。

 闇の障壁は維持して繰り返されるクロウの攻撃を防ぎつつ、彼はその動作だけでクロウと同じ槍を計十本、エッジ達それぞれに向けて放った。

「させない!」

 リアトリスが光の球体をその軌道上に作り出す。

 当然の様に槍はリアトリスの術を破ったが、その際に軌道が変わった槍は一つとしてエッジ達を捉える事は無かった。

「『発』――!」

 その隙に接近したクリフが、青い気の奔流を闇の障壁にぶつける。

 破壊力に乏しいその攻撃は障壁を割る事こそ出来なかったが、激しく揺らす。

「魔神剣!」

 エッジも離れた間合いから斬撃を飛ばす。

 その間にもクロウの見えない攻撃は続き、ずっと展開され続けた障壁に微かな罅が入る。

「……大規模な破壊をするつもりは無かったが、仕方が無い。終わりにしよう」

 青年は罅に目を向けると、目を閉じて詠唱を開始した。

 その瞬間、エッジ達全員の身体が引っ張られたかの様にがくりと揺れる。

「何だ、これ……何で身体の動きが」

 エッジが戸惑いの声を漏らす。

「こんなの有り得ない……これ、ただの集束(コレクト)なのに」

 リアトリスは杖に縋りながら、絶望した。

 術士の力量によって、空気中のディープスを集める力は変わる。しかし、どこまで優秀な術士でもその範囲は空気中で実体化していないディープスしか影響を受けないレベルだ。物質化している人間の体内のディープスにまで影響する程の集束(コレクト)などリアトリスは想像する事さえ出来なかった。

「ぐっ……何だよ」

「トウカ……」

「っ……」

 全員まるで重力に押さえ付けられたかの様に動きがとれなくなる。

 宙を飛んでいたクロウも例外ではない様で、その動きが目に見えるスピードに落ちた。

 誰も、回避など考える事も出来ない。それ以前に、集まっていく闇のディープスの量はラーヴァンの力さえ遥かに超えており、逃げ場など無い事が全員に分かる。

 青年の詠唱の力は、先程ようやく切り抜けた暴走した火の宝珠の力と同等のものだった。

「『ディグルフェイズ』」

 青年の声が死刑宣告の様に響く。

 それと同時に虹色の光がリアトリスに吸い込まれ、再び外に飛び出して全員の前に七色の水晶の壁を作った。

「『結晶化(ジェネレイト)!!』」

 青年の術で何が起きたのかは誰にも分からなかった。

 ただ、『色の水晶(クロマティッククリスタル)』が今まで聞いた事もない、耳障りな金属音の様な悲鳴を上げていた。

 普通なら上級深術を受けても微動だにしない虹色の壁が、勢いに押される様に後退する。

 カチカチと、全員の歯がなった。

 冷気が容赦なく熱の高低にも強いはずの『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の壁を超えて、エッジ達の体温を奪う。

 虹色の壁は既に輝きを失っていた。

 当然といえば当然かもしれない、壁の外側には何の光も無かったのだから。

 何も見えず、術は終わらない。

 ただ、障壁と術の衝突する悲鳴の様な音が続く。

 その中に、小さな音が混じる。

 鈴の鳴る様な、ガラスが砕け散る様な、

「ダ……メ……止められない……」

 リアトリスの弱り切った震え声と共に、エッジは決して砕ける事のない『色の水晶(クロマティッククリスタル)』が砕ける音を確かに聞いた。


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