TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
エッジとクロウが火の宝珠へと向かい、アキが走り去った後。
残されたラーク、リアトリス、クリフの三人は仕方なく火から逃れ一旦安全な王都の外へ逃げようとしていた。
大分数の減った市民達と彼らを守る騎士達も何人かが三人と同じ街の外縁部へ辿り着き、共に門へと急ぐ。
「あと少しです、落ち着いて!」
「何なんですかこれは……セオニアが攻めて来たの?」
「お母さん……お兄ちゃん……」
「今は生き残る事だけを考えて下さい!速度を落さないで!」
と、脱出しようとする彼らの右側から視界を埋め尽くすほどの炎が、焼け野原となった大地の上をすべる様に迫ってきた。
「そんな事、させない!」
全員が飲み込まれると判断したリアトリスが、クリフとラークを守る様に飛び出し光の壁を三人と逃げる市民達全員の前に展開する。
上級深術ですら簡単には破れない強固な守りがそこに居るもの全てを包み、
宝珠の炎はそれを存在しないかのように容易く溶かした。
「え……」
「リア!!」
ラークが叫ぶと同時に彼女を抱えて跳び、クリフも『瞬』で追随して迫る一面の炎から辛うじて逃れた。
「このまま脱出しよう」
振り返らずに言ったラークに、クリフも暗い表情で頷く。
「……ああ」
「待って、まだ逃げる人が……」
リアトリスがラークの手を離して後ろを振り返る。
そこには、人は居なかった。
「そん、な……私」
呆然と立ち尽くすリアトリスの手をラークが引く。
リアトリスも逆らう事無く足を動かし、クリフと三人で門をくぐる。
しかし、彼女は諦めたというより自分が今何をしているのかも分かっていない様子だった。
「最初から『
自分を強く責める様にリアトリスが言った言葉をラークが否定する。
「あの範囲を全部カバーしようとしたら一瞬しか持たなかった、リアは正しい判断をしたよ」
「でも、誰か助けられたかもしれない……私がちゃんと宝珠の力を理解してれば、間違えなければ、私が代わりになってでも皆を助けられたかもしれないのに」
たくさんの人が一瞬で死んだ。
それを防ぐ手段を持っていた。
その二つの思いがリアトリスの心をナイフの様に抉った。
「私が死ねば良かった。誰かを守る為に力を与えられたのに、何で私こんな……自分だけ助かって」
走りながら顔を伏せる彼女を、見ていられなくなったクリフが横から口を出す。
「そんな事ねえよ!俺達だって何も出来なかった……」
ラークもそれに同意した。
「君のせいじゃないし罪を感じる必要なんて無いよ。火の宝珠の暴走は僕が止める」
街の外にでて足を止めた二人は驚く。
「止めるって……そんな事出来るのかよ」
ラークは頷いて、二人の方を振り返った。
「クロウだけに任せておくのは危険すぎる。宝珠の力に対抗できるのは、宝珠だけだ」
ラークの言葉に、リアトリスは目を丸くした。
「まさか……」
「ああ、光の宝珠サンクォーリストの力を借りる」
時間が無い、とラークはそう答えて二人をその場に置いて走った。
街の東の森へ。
―――――――――――
「しっかり掴まって!エッジ!」
荒れ狂う炎の中を、巨鳥の背に乗ったエッジとクロウがその中心を目指して飛んでいた。
炎の蛇の一つが迫ってくるのを見て、クロウがラーヴァンを大きく傾けて急降下する。
「前からもう一つ来る」
「分かってる!」
辛うじて鞭の様に迫ってきた炎を躱した直後、今度は正面から二人に向かって狙いすました様に別の炎の蛇が迫る。
ラーヴァンが脚の鉤爪に闇のディープスを
勢い良く黒と赤が空中で激突し、ラーヴァンの勢いが受け止められ、炎の蛇も鉤爪に裂かれて出鱈目に熱を放射する。
「こ、のっ!」
ラーヴァンから更に黒い槍が次々に放たれ、ラーヴァン本体とせめぎ合っていた炎の蛇に穴を空けて散らす。ラーヴァンは辛うじて炎の妨害を破って前へ進んだ。
「……どんどんきつくなるわね」
額に汗を浮かべながら、クロウが呟く。
中心に近付くにつれ炎は避けきれない程に勢いを増し、ラーヴァンの力を以てしても街中を荒らす炎の蛇の一つを相殺するのが精一杯だった。
「もう少しだ、中心部に多少空間がある。術士が死なない様にそこだけはきっと無事なはず」
エッジが励ます様に言った言葉に、クロウは皮肉の笑みを浮かべた。
「その手前が、一番きつそうな炎の壁だけどね」
火の宝珠の中心は植物の種子の様になっていた。
中心の空間を覆う様に炎が球形になり、そこから無数に伸びていく炎が蛇の様に街中を焼き払っている。
「こんな中で術を使い続けるなんて、術士はどんな精神してるんだか……」
中心部の上空に着いて、エッジは炎の球の内部にいるはずの術士を探して目を凝らした。
「壁は完全じゃないみたいだな、所々不安定で隙間がある」
「そうだね、これならそこを狙って集中攻撃すれば。術を使ってるやつだけ殺せる」
殺す、という単語にエッジは微かに目を伏せるが何も言わなかった。
クロウは人を殺すことに良心の呵責を感じていない訳ではなく、ここで躊躇えばそれ以上に多くの人が死ぬことを分かっているから迷わないだけだと、エッジも分かっていた。
クロウが右手を振り上げてラーヴァンに命じる。
「ブラッディランス!」
黒い槍が五本、十本、立て続けに中心部に向けて降り注ぐ。
炎は揺らぎ隙間を捉えるのは簡単ではなかったが、槍を相殺する度少しずつ穴は広がり中心部への突破口が見え始める。
「あと少しだな……」
エッジの言葉にクロウも力を込めて右手を降り下ろす。
「ペネトレイトッ!」
黒い槍が勢いを増して炎の壁を貫通し、内部に居た術士の姿がクロウ達の目にも映る。
「――!!」
貫通した数本の槍が中心に居る術士を避ける様に軌道を変えて地面に突き刺さる。クロウがそこで攻撃を止めた事で一時的に穴の開いた炎の壁が再び元に戻る。
エッジにも術士の姿は見えていた。以前交戦した白髪の少年『孤氷』のルオン。様子を見ていて不審に思ったエッジがクロウに声をかける。
「クロウ?」
「ごめん、知り合いだから殺せないなんてそんなの我が儘だって分かってるけど、私あいつは殺せない……何か他の方法を考えてもいい?」
ラーヴァンを操る為に前に乗っていたクロウは、恐る恐るエッジを振り返る。
「分かった、何とかしてルオンも助けられる方法を考えよう」
「良いの?ここからなら簡単に術士を倒せるのに、中心部に行こうとしたら意味もなく命がけになるんだよ?」
エッジは少し間を置いて、それからにこやかに言った。
「クロウ、誰かを助けようとするのが我が儘だなんて言わなくて良いよ、俺はそもそも足手まといにしかならないのに付いてきたんだ。ここで俺が反対して止めるなんて……それこそ我が儘だ」
ふっ、とクロウもそれにつられて笑う。
「いつもいつも、あんたは命賭けるのに躊躇なさ過ぎ」
「先に危険な方選ぼうとしたクロウには言われたくない」
刻一刻、街は崩壊している。
ラーヴァンの力でも、無事に済む保障は無い。
それでも、そんな状況だからこそ、
二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、見せてやろ――馬鹿二人分の意地を」
クロウの言葉と共に、ラーヴァンは炎の中へと急降下した。
「
防御だけでは炎を防ぎきれないと判断したクロウは、ラーヴァンの前面に黒い槍を束ね「攻撃」として炎の壁に穴を空けようとする。
炎の壁と接触した瞬間、それは槍とぶつかって激しく拡散し視界を光で塗りつぶした。
ラーヴァンもその強力な流れに阻まれ速度が著しく落ち、進んでいるのか完全に停止しているのかさえ分からない。
「あッ!」
「く、これ……」
その熱も尋常では無かった。
防いでいるはずなのに、二人にも痛みがあり炎の中に既に飲み込まれてしまったかのような錯覚に陥る。
そうして何の成果も得られない間に、目に見えてラーヴァンの前面の槍が数を減らしていく。
クロウは慌てて代わりの槍を生み出し続ける。
しかし、それでも槍の数は次々減っていく。
(駄目だ、力が違いすぎる……穴を空けるとか防ぐとか、そんな考え通用しない)
クロウは覚悟を決め、炎の向こうのルオンにまで攻撃が届く勢いで自身の扱える全ての闇のディープスを前面に向ける。
拮抗が崩れ、ラーヴァンが前進した。
少しずつ、少しずつ。
しかし、その間にも槍は見る見るうちにその形を保てなくなって減り、また生成され槍ではなく壁となる、均衡は一瞬でも気を抜けば崩れてしまいそうだった。
その刹那、微かに崩れたバランスからほんの僅かな炎が零れ、クロウの腕に触れた。
「ぁ――ッ!」
気の遠くなる様な熱さがクロウの視界を揺らし、鮮烈な痛みで一瞬クロウの意識が遠くなる。
彼女はそれでも即座に立て直し、ラーヴァンの前面に槍を生成し続けるのはやめなかった。
が、それはラーヴァンが前に進み続けるのには十分でも、
二人の命を散らすのには十分過ぎる程の炎が壁を破る時間を作ってしまっていた。
―――――――――――
(なぜ、こんな所に騎士が居る?)
ラークは不審に思いながら、森の中を駆け抜けていた。
シントリアから逃げ、行き場をなくした者と出くわす位の事は予想していた。だからこそ、身軽に動けるように彼は一人でここまで走っていた。
しかし、シントリアの騎士達の何人かは明らかにここで「待機」しており、一度などラークの事を捕えようとしてきた。
ラークは疑問に思いながらも、あえてそれを深く考える事はせず光の宝珠サンクォーリストのある祠を目指した。クロウが死ねば、闇の宝珠は世界から失われ例え火の宝珠を取り戻しても世界のバランスは元に戻らず崩壊する。
それの阻止が最優先として、ラークはひたすら前へと進んだ。
祠、と言ってもそこに空間がある事は「シン」であるもの以外には分からなかった。
あるのはただ一面に広がる岩肌の壁。
その一点に手をついてラークは呟く。
「神の残しし宝珠の御座へ、シンに連なる我に扉を開け、我が名はディエルアーク=ハルディ・へルトガード」
岩の壁全体が白く発光し、その光に溶ける様に壁は初めから無かったかの様に姿を消してラークの前に道を開く。
ラークは早足で進みながらも一度足を止めて同じ行動をし、入口を隠してから奥へと進んだ。
≪エミス洞穴≫
入口を閉じ、外と切り離されても洞窟内は明るかった。
光の宝珠から流れる光のディープスが壁面を走り、幾何学的な直線となって内部を照らす。
ラークはその光景に目を奪われる事もなく前へ進もうとするが、ふと違和感を覚えて足を止める。
洞窟内が明るくなっていた。
そして、外界と遮断され無音の空間に、森の生き生きとした音と、一人分の足音が入ってきた。
ラークは剣を抜き、背後から近づいてくる者と対峙する。
「宝珠を渡せ、ディエルアーク」
刀を手に持ったその眼帯の貴族は、ジェイン・リュウゲンだった。