TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
炎が、幼い日の思い出が詰まった屋敷を包んでいく。
リョウカは目の前の妹に、躊躇う事無く地のディープスを
「くっ!?」
アキの『
両者の激突はアキの武器が制した。リョウカは舌打ちしながら一度距離を取り、四つだった布の先端を蜘蛛の脚の様に八つに分けて再びアキとの距離を詰める。対人形態『
「リョウカは『涼しい夏』、トウカは『冬の華』と書くんだ」
「どうして?」
「交互に来るものだから。二つで対になる様に、姉妹が一緒に居られる様にお前達の母さんが付けてくれた名前だよ」
リョウカの視界の端で、名前の由来を父に聞いた暖炉が崩れていく。
(私は、この名前が好きだった)
「トウカは、どう思う?この名前」
「私も好き」
辛い時、二人がうずくまって一緒に話した階段が焼け落ちる。
(あれは嘘だったの?何で名前まで捨てたの?)
「
「
リョウカが叩きつけた回転する風車の様な連撃が、アキの炎を纏ったスイングと正面からぶつかり金属音を立てながらリョウカの武器が弾かれる。
(私だって嫌いだった。私達の話なんか聞かないお父様が……だから、あなたもそれが嫌になって出ていっただけなんだって思い込もうとした)
しかし、トウカが選んだ家はよりにもよってタリア家の宿敵のジェイン家だった。守るべき国民を道具の様に扱い、利益の為に全てを利用する男ジェイン・リュウゲン。
まるで最初からその家の人間だったかの様に、アキはエッジやクロウの様な罪の無い人間まで巻き込んでジェイン・リュウゲンに忠実であり続けた。
彼の策で王都に放たれた炎が、家の全てを飲み込んでいく。
「
「
リョウカが突き出した右手から勢いよく飛び出した布が、アキの突進に打ち負けて逸れる。炎を操る『明の天傘』と氷を操る『宵の地衣』炎の中ではその力の差は一方的だった。
それでも、
「まだよ!詠技……」
リョウカは武器に氷のディープスを
アキもそれを見て同じように武器に火のディープスを
(この家だけじゃない、このシントリアには私達と同じ様にたくさんの家庭があって……数えきれない人がいて、それを、それをジェインは焼き払った!)
リョウカは止めなければならなかった。妹がこれ以上罪を犯す前に。
エッジの様な、明日の希望を信じて疑わない人間を巻き込む前に。
「貴方は私が止める……私と共にここで死になさい、ジェイン・アキ!」
―――――――――――
アキは思い出していた、自分がこの家を飛び出した時の事を。
(私達の話を何一つ聞いてくれない父が嫌だった、勝手に姉さんと自分の結婚相手まで決めようとして、全部全部縛ろうとして……私が居なくなれば、少しは思い知るんじゃないかって)
そんな子供じみた思いで家を飛び出したアキは、一人の青年に連れられて別な貴族の家に連れて行かれた。
「今までお前が生きてきた名など不要だ、タリア・トウカの名は捨てろ」
家出したアキが、娘として拾われて最初にジェイン・リュウゲンに言われたのはそれだった。
アキは「冬華」という名前は捨てられても、姉と繋がる季節の字だけは捨てられなかった。
「夏と冬、二人で一つ。お母様はロマンチストだったのね」
「同じ間隔で街に来るからなんて、素敵だと思うけど……」
対にはならなくなってもその絆を残したくて、彼女は自分に「秋」という名前を付けた。
「――
「――
火事の中ですら氷柱を発生させる程の冷気が平時を遥かに上回るアキの炎によって霧散し、詠技同士の勝負もまたアキの武器が制する。
「あなたのファミリーネームは何?」
「ジェイン、です」
クロウと初めて会った時、アキは名前を聞かれて誤魔化す事が出来なかった。
自分ではどうしようもない生まれつきの名前では無く、『ジェイン』は自分の意思で選んだ名前だったから。
(この名前を選んだのは自分、だからその責任から逃げちゃいけないんだと思って……私は、自分の責任を果たしてるつもりで……取り返しのつかない事をした)
火の宝珠から放たれた炎は大気中の火のディープスの濃度を引き上げ、それに加え『宵』と『明』、対になる武器が揃った事で力を増した『明の天傘』の力は既にアキが制御しきれない域に達しつつあった。
(武器同士の共鳴が始まった、もう抑えきれない……!)
使い手の意思とは無関係に『明の天傘』は火を吹き上げリョウカの攻撃を尽く退けた。しかし、この環境下では力の差は明らかにも関わらず、リョウカは諦める事なく何度も向かってくる。
その間にも刻一刻と屋敷は確実に崩壊していく。
父親の本棚が盛大な音を立てて倒れた。
「もうやめて下さい、リョウカさん!このままじゃ、貴女も助かりません!」
「構わない、それであなたを止められるなら。それだけがこの悲劇を止められなかった私のせめてもの罪滅ぼしよ!」
リョウカは再び距離を詰めて、手数の差でアキへと攻撃を仕掛ける。
アキはそれを吹き飛ばす様にしてまとめて払いのけた。
「話を聞いて下さい、私は貴女と戦うつもりは無いんです!」
「それは生きて帰せって事でしょう?聞けない相談ね」
無理矢理しがみ付く様にして距離を詰め、八本に分かれた『宵の地衣』全てでアキと物理的な力で押し合うリョウカ。
アキは顔を歪めた。決着が遅れれば遅れる程、互いの命のかけ橋が秒単位で落ちていく。
何処かから響いてくる振動が階段の崩れたもので無いのを祈りながら、アキは決断を迫られていた。
(これ以上は引き延ばせない、私は……私はこの人まで踏み越えなきゃいけないの?)
すぐ間近にある姉の存在を感じながらアキは歯を食いしばり、初めて自分の意思で『明の天傘』の力を解放した。
推進力を得た彼女の武器は、その反撃を予想していなかったリョウカの身体を容易く後ろへ吹き飛ばす。
「くっ……!」
そこで、リョウカは気付いた。
空間に舞う火の粉が火事によるものだけでなく、『明の天傘』から花びらの様に舞っているものである事を。
「別れは
花びらが渦を巻き、傘を中心に咲く。
アキは声を震わせながら左手を武器に添え、右足を引いて武器を構えた。
「
アキが突きを繰り出し、傘から噴出した火はまるで巨大な炎の槍の様に一直線にリョウカを直撃する。
リョウカは通常地のディープスで操る『宵の地衣』を氷のディープスで硬質化させ、自身の前面に重ねて必死に防御する。
「ぁ、あああああああっ!!」
炎の向こうから聞こえる姉の悲鳴にアキは固く目を瞑る。
『明の天傘』から放たれ続ける炎の奔流は一瞬のものでも、とてつもなく長くリョウカを攻撃している様にアキは感じた。
炎が止むとその余波は延長線上にあった壁に穴を空けていた。
リョウカはその場に崩れ落ちる。
まだ彼女は生きていた。
アキはどうしても、実の姉に全力を出す事は出来なかった。
(お願いです、もう立たないで下さい)
しかし、アキの願いとは裏腹に火傷を負いながらもリョウカは、呪詛の様に呟きながら震える手で立ち上がろうとする。
「ま、だよ……まだ……」
その頭上で、梁が裂けた。
アキの脳裏にその下敷きになって息絶えた父の姿が蘇る。
梁の落下が始まるより前に、アキは反射的に飛び出していた。
「姉さん――!!」
「ぐっ!この……」
リョウカは後ろへ大きく突き飛ばされ悪態を吐きながら立ち上がり、武器を構えて左右へ視線を走らせた。しかし、アキが攻撃を仕掛けてくる気配は無い。
リョウカは困惑した。
(今、何が?『明の天傘』の秘奥義を受けて私は、意識が遠くなりかけて……それから)
何か叫びと、頭上から樹の裂ける様な音が聞こえたのを思い出し、冷静になってようやく状況を理解する。
アキは自分の足元に居た。
上から降ってきた梁に脚を挟まれて無理な角度で倒れ、頭を打ったのだろう。気絶し完全に動けなくなっていた。
「……何でよ、私はあんたを今殺そうとしてたのよ?」
家を出てからアキは一度もリョウカの事を姉とは呼ばなかった。
「結局、姉妹揃って詰まらない意地張ってただけだったっていうの……?ねえ、トウカ」
アキは答えなかった。
黙って彼女を見下ろすリョウカの周りで、タリア邸は最後の悲鳴をあげ始めていた。
―――――――――――
「このっ、開きなさいよ!」
『宵の地衣』で妹を包み、『明の天傘』で力任せに塞がった扉を吹き飛ばしてリョウカは外に出た。しかし、その身は既に満身創痍であり、ふらふらとした足取りは二人分の体重を支えて歩くのでやっとだった。
リョウカは辺りを見回し、逃げ道を確認して自嘲気味に笑う。
「……まあ、当然よね。あれだけ無駄に時間を浪費したんだから」
南への道は通れる、しかしここは街の北部。そっちは逃げ場のない中心部だ。
一番近い出口、北門への道は炎の壁で塞がっていた。
「ここさえ越えられれば或いは脱出できたかもしれないのにね」
が、リョウカはそこまで諦めの良い性格では無かった。
意識を失ったままの妹を揺さぶって、起こそうとする。
彼女なら飛んでこの位の炎は超えて行けるからだ。
「起きなさい、トウカ!」
しかし、アキは目を覚まさない。リョウカは目を細めてため息をつくと、炎の壁に近付いた。
(……なるべく早く目を覚ましなさいよ?この布で守れる時間なんてそんなに長く無いんだから)
無防備な妹の顔を見て軽い微笑みを浮かべると、リョウカは彼女を自分の『宵の地衣』ごと炎の壁の向こう側に投げようと力を込める。
と、そのリョウカの腰を抱える様にして、誰かが炎の向こうへと放り投げた。リョウカは慌ててアキを保護していた布のいくつかを解いて、手を地面に付く様に布を操作して何とか着地する。
リョウカは何が起きたのかと、今自分が居た炎の壁の向こうに目を凝らす。
そこにはひどくボロボロな状態の、みすぼらしい恰好の銀髪の男が立っていた。
元々着ていた服がそうだったのか、それとも火事の中でそうなったのかは判別がつかない。
「誰?何でこんな事を――」
「お前がアキを嫌っていた事は知っている。だがそれでも実の姉だろう、年長者なら年下の
リョウカは値踏みする様に彼を睨み、同時に困惑の表情を浮かべた。
彼の周りにはもう、逃げ道が無かったからだ。
「走れ!そうしてる間にも道が塞がらない保証など何処にもない!」
不服そうな顔をしながらも、リョウカはその見ず知らずの男の言葉に従う。
「最後に聞かせなさい!どうしてこんな事を?」
走りながら、リョウカは大声で尋ね、銀髪の男――シビルは呟いた。
「兄として、だ」
炎に包まれていく彼の、最期の言葉の意味は誰にも分からなかった。