TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第五十六話 焼失する街

 王都シントリアの貴族街、タリア邸。

 当主のタリア・キサラギは娘のリョウカに数ヶ月ぶりの安堵の笑みを見せていた。

「先日の脱走騒ぎの時、よくやってくれた……と、言わざるを得ないな。正直あの時の行動には反対だったが」

「お父様は心配性が過ぎるのよ、私だってもう子供じゃないんだから……でも、まだ油断できないわ。この状況でレーシア大陸に自ら出向くなんて、何も企んでないとは思えない」

 娘の言葉に、キサラギは笑った。

「心配性なのはお前もだろう、あの一件でジェイン家の支持者も減り世論も厳しくなった。そうそう簡単には動けない筈。いずれにしろ、全ては彼が戻ってきてからだ……お前は安心して買い物にでも行ってくると良い」

「じゃあ、そうさせて貰うわ」

 恭しく父にお辞儀してリョウカは外へ出て行こうとして、ふと思い出したように立ち止まった。

「……大分変わったわね、お父様。私達にお見合をさせようとしていたあの頃とは大違い」

 リョウカの表情は穏やかだったが、キサラギは申し訳無さそうだった。

「いや、あんな事が無ければ気付きもしなかった、駄目な父親だよ私は……トウカにも、もっと自由にさせてやるべきだった」

「大丈夫その気持ちはきっと伝わるわ、あの子にも」

 励ますように明るく言って、リョウカは父に手を振って家を出た。

 

 ―――――――――――

 

 アクシズ=ワンド王国、王都シントリア北東のファマグス港近郊の平地。

 そこに黒い巨鳥が風を巻き起こしながらも静かに着地し、空気に溶ける様に消える。

「急ごう、あの船馬鹿みたいに速くてこの港までは追えたけどあいつらもう王都に向かってる。ここからは徒歩で行くしかないから――って、何でみんな寝てるのよ」

 クロウが早口に言いながら仲間達を振り返り、へたり込んでいる彼らを見て眉をしかめる。

「……振り落とされてこっちはマジで死ぬかと思ったぞ」

「それは、空中からいきなり自由落下させられたりしたら誰だって酔うだろ……クロウ」

 尾に掴まったままラーヴァンが飛び立って落ちかけたクリフと共に、エッジも抗議した。

 が、クロウは事も無げに答える。

「一回空中でラーヴァン分解して、クリフの下に実体化させただけじゃない。アレやってなかったらそいつ死んでるわよ」

「……せめて、やる前に一度言ってください」

 アキが青い顔で俯いたまま言い、リアトリスも同意する。

「私夢に出そう……いきなり支えが無くなって、下が全部海になって……落ちて」

 ダウンした仲間達の中で一番早く立ち直ったラークが、青い顔のまま状況を整理する。

「あの船は人口の擬珠を積んだ最新型の船だった、普及してる数が少ないから乗れる人間は限られる」

 エッジは話を聞きながら海上都市で自分とリョウカが乗った船の事を思い出した。

「恐らく乗っていたのはジェイン・リュウゲン本人だ。宝珠も一緒だとすれば安全を考えてすぐには動けない筈」

 クロウはラークの言葉によく分からないという顔をする。

「指示出す奴と、実働部隊のスプラウツが一緒なんだからいつ動き出してもおかしくないんじゃないの?」

 その疑問には、リアトリスが答えた。

「宝珠は人間が扱える様なものじゃないよ、クロウが持ってるのは欠片だけど……そのものなんて普通の術士が使おうとしたら制御できずに暴走する」

「じゃあもし、あいつらがそれを知らずに使おうとしたら……」

 エッジの言葉の後をラークが引き取る。

「ああ、後を追ってる僕ら共々みんな終わりだね――ここから先は命がけだ、カンデラス火山の宝珠の事を知ってたのと同様に、ジェイン・リュウゲンがその危険性も理解している事を祈るしかない」

「それはそれで、もっと悪いけど」

 クロウの言葉と共に、全員何とか身を起こす。

 どうなるとしても、エッジ達には既に後を追う以外の選択肢は無かった。

 

 ―――――――――――

 

 シントリア中心部、王城付近の物陰に『厳岩』のバルロと、火鼠の衣に包まれた火の宝珠シーブレイムスを持つ子供、そして『弧氷』のルオンと、スプラウツの活動を補助する銀髪の青年シビルが居た。

 ジェイン・リュウゲンや他の護衛をしていた子供達の姿は無く、その場に残ろうとしているのはルオンとシビルだけだった。

 バルロがルオンに命令を出す。

「時間までそれに触らずシビルの指示を待て、術を始めたら可能な限り範囲をコントロールしろ」

 表情の無いルオンは無言で頷き、それから老人はシビルの方に向き直り尋ねる。

「ルオンを使うのは痛手だが仕方ない。リュウゲン様の直の命令だ、失敗は許されない。見届けるお前にも命を賭けてもらうことになるが、それでも良いのか?」

 シビルは、ただ赤い布に包まれた宝珠を食い入るように見つめていた。

「構わない、俺は貴族に復讐さえできればそれで良い」

 彼の従うリュウゲンもまた貴族であり、バルロはその発言をした青年を睨んだが彼は気付かなかった。バルロは宝珠を運んできた子供を下がらせる。

「まあ、貴様が納得するのならそれで良い。もう会うことも無いかもしれんがな」

 青年は答えなかった。無言の二人を置いてバルロ達はその薄暗い路地を後にする。

(こんな街、記憶ごと消えてしまえば良い)

 シビルはそう願いながら、憑かれた様に時間になるのを待ち続けた。

 

 ―――――――――――

 

 ≪王都 シントリア≫

 

 エッジ達一行は、門が見える所まで来て足を止める。

「見張りの兵をどうする?無理矢理突破するにしても、ある程度宝珠の位置が特定出来てからでないと宝珠を取り返す前に捕まる」

 エッジの懸念に、クロウが応える。

「私が霧で探す、どの道ラーヴァンで無理矢理突破するなら同じ事でしょ」

 しかし、飛び出しかけるクロウをリアトリスが止める。

「待って、宝珠そのものならそれほど移動しなくても私が感知できる。ラークと私が先に行くから、みんなはここで――」

 不意にリアトリスが口を噤む。

 彼女で無くとも全員が気付いた。

 王都の壁の向こうから発せられたにもかかわらず、間近に熱波を感じる様なその異常なディープスの波を。

 

 買い物の途中で、リョウカはふと一軒の菓子屋の前で足を止めた。

 シントリア特有の文化を色濃く残した「和菓子」と呼ばれる店の前で、古くからある老舗だ。

 彼女の父親はここの菓子を好んでいたが、彼女自身はあまり好きになれなかった。

(ああ、でも……そういえばあの子も好きだったわね)

 何となく、彼女はその店に足を向ける。

 二人が好きなものなら、或いはいつか自分もその良さに気付く日が来るのではないかと、そんな小さな希望を抱いて。

 

 

 薄暗い路地の壁に、火山の時と同じ赤い光が反射する。

 宝珠を手にした白髪の少年の、感情を失った筈の目が大きく見開かれる。

 その目は何も映しておらず、その口は声にならない叫びをあげた。

 

 

 小さな赤い筋がシントリアの中心から空へと伸び、ゆっくりゆっくり下へと落ちた。

 まるで花火の燃えかすの様なそれは、ゆらゆらと漂いながら小さな欠片へと変わり、王城へと落下した一つはその屋根を音も無くバターの様に溶かした。

 無数の炎の欠片が、同じ様に街中に落ち、そして、

 落下地点は、消滅した。

 

 

「これ、宝珠の……」

 エッジが呟く。

 見上げるほど高い城壁の外からでも、エッジ達には炎が蛇の様に荒れ狂うのが見えた。

 その一つが尖塔と接触し、塔は雪のようにあっけなく熔けて見えなくなる。

 壁に居た見張りの騎士達も次々に街の中へ走るか、外へ逃げるかして持ち場を離れ始める。

 それを見たクロウがラーヴァンを実体化させ、城壁の上へ向けて上昇する。

「待て、クロウ!君が下手に突っ込んで万が一の事があったら――」

「宝珠を止めればこれは止まるんでしょ?今なら中心もすぐに分かる筈」

 ラークが叫ぶも、クロウは止まらない。仕方なく仲間達も門へと走る。

 既に逃げる人々の為に門は開け放たれていた。

 

 内部は、想像を絶する光景だった。

 クロウも思わず下に降り、その光景を呆然と眺めている。

 火の宝珠の力が振るわれて間もないにも関わらず、目の前はひどく開けていた。

 整然としていた町並みは失われ炎の蛇が一つうねる度、拭き取ったようにそこにあった全てが無くなっていき、響き渡る悲鳴が目に見えて数を減らしていく。

 あちこちから火の手が上がり、一瞬では何処が中心かも分からない。

 壁の内部は炎の赤一色で彩られ、まるで地獄を覗き込んでいる様な錯覚を覚える世界だった。

「何で……?ここ、自分の国だよ?戦争の勝利の為ですらない、こんなの……こんなの、ただの」

 リアトリスが自分の杖を強く握りしめる。

「どういう事だよ、こんな事何の意味が」

 セオニア王国の味方であるクリフも信じられない様子で街を見つめる。

 全員がショックで一瞬立ち尽くす中、アキが一番最初に我に返り街の北部へ目を向けた。

「貴族街は……父上!」

 そっちにまだ残っている家があるのを見ると、アキは突然走り出す。

「父上って、今あんな奴放っておきなよ!これ引き起こしたのだってその父上でしょ?」

 クロウの言葉にアキは首を横に振る。

「違う、そうじゃないんです!私……私は」

「アキ!」

 仲間の制止を振り切って、炎の蛇が残した余波の燻る貴族街へアキは走り去った。

 クロウは舌打ちして、街中を必死に観察する。

「あそこの火の手が一番多い……これを発動させてる術士を殺せば被害は止められる!」

「待て、いくらクロウでもそんなの無茶だ!」

 飛び出していくラーヴァンに辛うじてエッジが飛び乗り、二人は炎の中心に向かって飛んで行く。

 止めようとするラーク達を置いて。

 

 

 アキは一人走った、よく知る道がどれだけ形を変えていても。

 そこにあったものが何も無くなっていても、無意識に何度も何度も辿っていた道は忘れる筈が無かった。

 ただただ、間に合わないのではないかという考えが彼女の頭を埋め尽くし、時折足をなめる炎の熱さも忘れていた。

 ジェイン邸の家屋が半壊しているのを横目に、アキは更に走った。

 目的地の周辺は比較的無事な家が多かった、形が残っているという意味では。

 嫌な想像を振り払いながらアキは目的の場所に辿り着き、既にその家が火に包まれているのを見て熱に浮かされた様にその中へと足を進めた。

 

 タリア邸、本来なら多くの手伝いの人間と当主キサラギ、娘のリョウカが居た筈の空間には誰も居なかった。

 玄関ホール、そこから続く広い階段、長く端まで見通せる廊下、ただ爆ぜる木の音と舞い散る灰が充満しているだけだ。

 その光景に、逆にアキは軽い安心感を覚える。

 誰も居ないなら、犠牲者も居ない。

 口元を服で押さえながら、行動の無意味さを恥じてアキは入り口へと踵を返した。

 

 冷静になってみれば何と愚かな行動だったのだろうとアキは思った。

 誰も居ない空き家に危険を冒してまで飛び込んで――

(誰も……いない?)

 ぞわりとアキの背に悪寒が走る。

 もし、逃げたのではなく初めから誰も居なかったのだとしたら?

 タリア・キサラギは稀にそうした行動を取る。何か重要な仕事を終え、娘と家族水入らずで休日を過ごす時などに使用人全てに暇を出す。

(エッジさんとクロウさんの脱走の件で、ジェイン・リュウゲンの企みを阻止したと思って……)

 嫌な想像は止まらなかった。

 アキは全速力で階段を登り、奥のキサラギの書斎へ向かった。

 熱くなった金属のノブを無理矢理回し、中を覗き込む。

「父上!!」

 中には落ちてきた梁の下敷きになり、うつ伏せに倒れる男性の姿があった。

 アキはその側に駆け寄り、意識を確かめようとして彼の身体に触り、

 自分が間に合わなかった事を悟った。

「……リョウカ?逃げなさい、お前は」

 唇を噛んで、アキは謝った。

「父上……私は、」

 その声に、キサラギは伏せていた顔を上げる。

 辛うじてアキの顔を映したその瞳が驚きに見開かれる。

「トウカ?お前……そうか、お前は無事だったか」

 そして、キサラギは苦しそうだった表情を和らげて微笑む。

「ああ、良かった……お前たちが無事で居てくれれば、私はそれで……」

「違う、違うんです……私は、父上に、謝らなければならない事が」

 アキが握った父の手から急速に力が抜けていく。

「私は、ただ、あなたに――!」

「大丈夫だよ、トウカ。お前達姉妹ならきっと……」

 驚くほど安らかな表情で、タリア・キサラギはその瞳を閉じた。

「待って、待って下さい!ごめんなさい、私は」

 必死に、直前までキサラギだったものにしがみ付きながら泣くアキの背後で、扉が軋んだ。

 アキは悲しみに顔を歪めたまま、背後を振り向きそこに一人の女性が立っている事に気付いた。

 自分と同じ黒髪の、自分の『明の天傘』と対になる『宵の地衣』を纏い、自分と同じ様にいま父親を亡くした、実の姉が。

「お父様……何で」

 リョウカは信じられないという様子で叫んだ。滅多に表に出さない感情を全てさらけ出して、ただの子供のように。

「何であんたがっ、『ジェイン・アキ』なのよ!トウカ!!」

 自分が呼ぶ事をずっと封印してきた、妹の名前を。


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