TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第五十二話 少女と射手

「置いてかれたわね」

「そうだな……」

 ぎゅうぎゅう詰めだった家の中が二人だけになり、クロウはため息まじりに隣に座ったエッジに声をかける。

 またもどこか上の空の返事が返ってきて、クロウは訝しげな視線を彼に向けた。

「ずっとそのペンダント握ってるわね」

 クロウに気付かれた事にエッジは軽く笑った。

「また少しだけ思い出したんだ、このペンダントを母さんに貰った時、言われた事」

 自分も両親の記憶が無いクロウは黙って続きを待つ。

「いつか意味が分かる日が来るまで持って居ろって。ただ、大切にしても、これに縛られるなって」

「それで、そんな大事に持ってたんだ」

 クロウの言葉にエッジは首を横に振った。

「いや、それが母さんの最期で、俺ほとんど聞いてなかったんだ。一人になるのだけが嫌で怖くて、現実から逃げて、海に落ちて……村の皆が助けてくれたけど、その時には俺の記憶はもう」

 そこで一度言葉につまり、それからエッジは謝る。

「お互い両親の記憶が無かったからかな、俺初めてクロウに会った時自分に似てるって思った。それで無意識に思い出しかけた記憶に蓋をしようとしたんだ。孤独なんてものは無いんだってクロウに言って、自分に信じ込ませようとした……ごめん、俺はクロウを助けようとなんてしてなかった」

 クロウは驚きも怒りもしなかった。

 慎重に言葉を選び、返事をする。

「……ウォーギルントで、もう助けてくれたでしょ。謝る様な事じゃない」

「それでも、俺は、俺はそんな大切なものに蓋をして忘れようとしたんだ」

「忘れてないよ、今思い出したじゃない。今日までちゃんとそのペンダントを持って……エッジはちゃんと覚えてたんだよ、お母さんの事」

 それから、拳で軽く落ち込んだエッジの顔を小突く。

「嘘ついて騙してたみたいな顔してんじゃないわよ、全然変わってないから。初めて会った時も今も、あんたはそうやって他人の事で真剣に悩んでばっかり」

 クロウにぐりぐりと顔を拳で撫でられ、エッジは顔を上げた。

「確かに、そうだな」

 エッジが元気を取り戻したのを見て、クロウも声のトーンを上げる。

「それより、どうすんの。どうせまたここで大人しくしてるつもりは無いんでしょ?」

 呆れたように言われてエッジは笑った。

「決め付けるなよ、一応は様子を見てからにしようと思ってた」

 それなら、とクロウが立ち上がり胸を張る。

「任せて」

 

 二人はフローライト家を後にすると、とりあえず人目を避ける為に火山への道よりやや西、村の北へ歩いた。

 村の端の密林の寸前まで来てクロウは静かに唱える。

「――ラーヴァン」

 黒い巨鳥がエッジとクロウの隣に降り、クロウはそのまま目を閉じる。

「薄い霧で周りを探る。クローバーズには私が居るのばれるかもしれないけど、すぐに位置までは特定出来ない筈」

 エッジは頷き、クロウの集中を乱さない様無言で待つ。

 村の中は静かだった、低い地鳴りのような火山の音だけが不気味に聞こえる。

 クロウは微動だにしなかった、その代わりの様にラーヴァンはその眼を木々の向こうを見透かす様に絶え間なく動かす。

 以前「ラーヴァンと自分は感覚が繋がっている」と彼女に説明されたのをエッジは思い出した。

「……向こうで先行してるのはリュウゲンだね、それと護衛の子供達とフレット、セルフィー、バルロ。このままならラーク達が先に間に合いそうだけど、そっちには騎士団が向かってる」

「なら騎士団の気を逸らそう、俺達が囮になればラーク達がその間に火山に向かえる」

 そこに居るであろう兄の事をエッジは嫌でも考えさせられたが、それは口に出さなかった。

 クロウも目を閉じたまま頷くが、ふと気になる事があったのか眉をしかめる。

「待って、でもこの地形……まさか、」

 そこで、クロウは目を開いた。明らかに焦った様子で。

「まずい、ルオンが一人でいる!」

 以前交戦した氷属性の深術を操る弓の少年。

 エッジは彼に一度敗北していたが、首を傾げる。

 彼の実力は脅威でも、単独でラーク達を脅かす程のものだとは思えなかったからだ。

 しかしクロウはそう口にするなり、ラーヴァンに自身を掬い上げさせる様にして黒い巨鳥の背に飛び乗った。

「ルオンを止めないと皆死ぬ、エッジは火山への道からラークと合流して。一人で囮役なんかしないでよ」

「大丈夫なのか!?」

 強風を起こしながら飛び立つ彼女に、エッジが大声で叫ぶ。

「こっちは任せて、ルオンは私が止める!」

 黒い矢の様に飛び出していったクロウを確認して、エッジも走り出した。

 静かに聳えるカンデラス火山へと。

 

 ―――――――――――

 

 先行したラーク達はリアトリスと合流して、先を急いでいた。

 先頭に立つラークが後ろに続く仲間たちに告げる。

「あと少しで火山の内部への道が見えるよ、そこまで行けば入り口の様子も確認できる――ただ案内役はリアと交替、かな」

 突然ラークは剣を抜き、くるくると遠心力を乗せて右後方の数十m離れた木々の間へ斬撃を飛ばした。直後に赤銅色の騎士の甲冑がそれに合わせた様に現れる。

 金属音が響いた。

「隊長は普通先頭を進まないよ、ブレイド」

「部下を守るのが俺の役目だ」

 ラークの先制攻撃は割り込んできたエッジの兄、ブレイドによって受け止められていた。

 ブレイドはそのまま、背後の騎士達と共に距離を詰めてくる。その右肩はなぜか鎧を付けず剥き出しになっており、禍々しいデザインの赤い印が肌に刻まれていた。

 次々木々の間から現れる騎士の数は少なくとも二十は超えていた。

 クリフとアキも武器を構える。

 しかし、

「リア、二人を宝珠の座へ連れて急ぐんだ。ここは僕一人で良い」

 三人は目を丸くする。

「何言ってるの!?いくらラークでも、一人なんて無茶だよ。それにブレイドの肩にある、あれ……」

 信じられない様子で声を震わせるリアトリスの指摘に、ラークも頷き早口で答える。

「ああ、『命令刻印術式』だね。もうブレイドは絶対にあれをかけた人間の命令を破らない。というか破ったら死ぬね、あれは体内に爆弾を埋め込んでる様なものだ」

 クリフもそれを聞いて横からラークに反対する。

「馬鹿言うなよ、そんなのお前一人で止められるわけ――」

 距離を詰めてくる騎士達が目前に迫り、ラークはクリフの言葉を遮って怒鳴った。

「だから、走れって言ってるんだ!……僕一人では全員を完全には止められない、今少しでも君達が距離を稼がないと全員足止めされて宝珠を黙って渡す事になる」

 気圧されて三人は言葉を失う。

「リア、前に僕がエッジを海上都市で見捨てた時責めたね、僕もあれが正しい行いだなんて思ってない。でも、最善手だった、そして今度は僕の番が回って来た――それだけだよ」

 その言葉を最後に、ラークは騎士達に向かって突進した。それを迎撃しようと、ブレイドが前に出る。

 が、ラークはブレイドと斬り合うのを避け、真っ直ぐその背後の左翼側の騎士へと向かった。

 赤銅色の鎧を着た騎士の一人も反応し、剣でラークの首を狙う。

「こっちだよ」

 しかし、ラークはもうその騎士の横を走り抜けていた。

 ステップによる方向転換を繰り返し、その度ラークはその速度を増していく。力無く、彼を斬ろうとした騎士は崩れ落ちる。

 騎士達は反撃しようとするが、その姿さえ目で追うのがやっとの騎士達は一太刀も浴びせる事が出来ない。

 それは、まるで彼らの間を吹き抜ける風の斬撃だった。

崩龍残光剣(ほうりゅうざんこうけん)!」

 かかった時間が短すぎた為、倒された騎士達は折り重なるように倒れる。

 それでも、全員を足止めするには至らない。

 二人の騎士がリアトリス達の所へ到達する。

「クリフ!」

 ラークが叫ぶ前に、クリフはもう青い光を纏っていた。

「分かってるよ――『発』!」

 アキとリアトリスを庇う様に前に出たクリフから放たれた気の奔流が、二人の騎士を大の字で地面へと吹き飛ばす。

 その隙を突いてクリフ、アキ、リアトリスの三人は火山へと走った。

 

 

 遠く離れた岩陰の上から、走って行くその三人の後姿を見守る少年の影があった。

 イノアザートから火山への道は分かりやすい一本道で、遠くからでもはっきり端から端までが見える位開けた場所だった。

 白髪の少年はただ無言で矢を番え、届く筈がない――まして相手が気付く筈も無い距離からその矢を、最後尾の黒髪の少女に向けた。

 アキの無防備な背中は、一定の速度でまっすぐ動いていく。

 心を氷に、ただ孤立して的を射る――狙撃手たる『孤氷(こひょう)』の名を冠する彼にとってそれを狙うのはとても容易い事だった。

「ルオン!!!」

 その矢の軌道上に、『黒い翼』が空中に線を残して割り込む。

 かつての仲間であるクロウと、彼女が駆る巨鳥ラーヴァンの威圧を間近にしてもルオンは表情を変えず狙いのままに矢を放つ。

「くっ!」

 クロウは自分に矢が当たるのを避ける為にローリングを行いながら、アキに向けて飛ぶ矢に黒い槍の深術を連射し辛うじてルオンの矢を打ち落とす。

「……」

 狙撃が失敗してもルオンは表情を変えず、二本目の矢を番える。

 自分が死んでもおかしくない様な状況でも、彼は狙撃を止めようとしなかった。

「……やめてよ、ルオン」

 クロウが懇願する。

 しかし、ルオンは反応を示さず弓を引く。

「もうやめてよ、あんなに人を殺すの嫌がってたじゃない……レインが死んだときも、一番悲しんだのはルオンだったじゃない!」

 それでも、ルオンはありったけの冷気を籠めて矢を放った。

 

『クロウは……自分の為なら他人がどうなってもいいの?』

 

「――私に、初めて人を殺しちゃいけないんだって教えてくれたのは、あんただったじゃない!!」

 クロウは断ち切る様に、右手を勢いよく振り上げた。

 ラーヴァンの羽根一つ一つが、獣の牙の様に鋭く伸びていきその姿が異形へと変わる。

「超えられない、絶対の差を見せてあげる――アンタイダリー・グリードバイト(食い散らす強欲な牙)!」

 大樹すら飲み込むサイズの両翼が、無数の牙で埋め尽くされた両顎となって噛み合わさりルオンの放った氷の矢を粉々に噛み砕く。

 勢い良く身を起こした巨鳥の背から落ちない様、クロウは牙に変質していない首にしがみ付く。

 牙の勢いは矢を砕いただけで止まる筈も無く、目標を砕いて尚も伸びる黒い牙は攻撃を躱そうとしたルオンの弓の弦を両断し、弦を離したルオンの馬手、太ももからも出血が起きる。

 それに伴って、ルオンのポケットから細い紐が切れて地面に散らばった。

「……これでもう代えの弦も無くなったわよ、これならどうする?」

 クロウは冷たく、傷を負ったルオンを睨みつける。

 ルオンもしばし宙を見つめて考え込む。

 が、やがて素直に武器を下ろしてクロウに背を向けた。

 

 クロウは元の姿に戻ったラーヴァンの背の上からその様子に複雑な表情を見せる。

 ルオンは非道なわけではない、判断してそれが最善となれば素直に撤退する。しかし、彼にはもうそこに差し挟むべき感情が、無くなってしまっていた。

(レイン、ごめん……またルオンを傷付けた。あんたにとっては弟も同然だったのに)

 心の中で謝りながら、何も出来ないままクロウは去り行く少年の背中を見つめた。


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