TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
海からの追い風を背に受けながら、二人は走った。
最初はとにかく先程のシビルという男に見つからない様必死で。
村の出口が見えてからはとにかく村から離れる事だけを考えて。
(俺は、何をしてるんだ?)
少女の手を引いて走りながら、エッジは自問を繰り返す。
彼自身何故だかよく分からなかった。
体が勝手に動き、気が付いたら少女に味方していたのだ。
エッジが混乱しながら走っていると、突然手を振り払われる。
彼が振り向くと、少女が怒った表情をしていた。
「何であんなことをしたの?」
「俺はただ……放っておけなかったから」
「そんな理由でいちいち人に干渉しないでくれる?逃げられたことには感謝するけど、これ以上私についてこないで」
拒絶の意を示すと、少女はエッジを置いて一人で歩き出した。
彼は引き止めかけたが突然明確な意志で否定された事に言葉が出て来ず、少女が去るのを見ている事しか出来なかった。
村の外にエッジは一人取り残される。
彼女自身求めていないのはエッジも分かっていた。
ただ何故かエッジは、銀髪の男と対峙した時の少女の瞳の中に共感するものを、胸が締め付けられるような痛みを感じ、動かなければいけないという切迫した感情を払いのける事が出来なかった。
エッジは少女が見えなくなると村を振り返った。
見慣れた風景が彼の目には、急に何か物足りないように見える。
けれど、同時にここを後にするには一つだけ気になる事もあった。
この村にはエッジの家族は誰も居ない。
父親は物心ついたときには既に居らず、母親は彼が幼い時に病でこの世を去っていた。
しかし、ここには彼の家族同然だったボブがいる。
出来ればエッジは挨拶をきちんとしたかった。
しかし、エッジが今村に戻ればあの男と遭遇する。クロウの様な少女相手に剣を抜こうとする危険な男と。
戻れば戦闘になり、村の人にも危険が及ぶかもしれなかった。が、エッジがこのまま去れば、男はクロウを追うにしろ、エッジを追うにしろ村を出るしかなくなる。
先延ばしする時間は無かった。
(俺はお人好しなんだか、それとも大馬鹿なのかもしれないな)
自分でもあまりに思い切りが良すぎるとは思いながら、それでもエッジはここでずっと立ち止まっていようとは思えなかった。
「ごめん、母さん、おじさん」
自分の家と詰め所の方を向いてそれだけ言葉にすると、エッジは村に背を向ける。
そして、もう振り返らずクロウの跡を追って走り始めた。
――――――――――
「……こっちだと思ったんだけどな」
背の高い草が視界を塞ぐ。
勢いよく飛び出したのも束の間、エッジは森で迷っていた。
少女はあの男から逃げているようで、二人の会話を聞くかぎり少女を探している人間は他にもいる様子だった。だとすれば街道をそのまま逃げるようなことはしないだろう――と、考えて人の痕跡をみつけ、森に踏み入ったまでは良かったがこの始末だった。
「参ったな、もう少しで日も暮れ始めるし」
ため息混じりにエッジはつい独り言を言う。
と、彼が途方に暮れていると、何かが前方を走り抜ける音がした。
否、それは走り抜けるというより飛んでいく様に思えた。
(何だ?)
咄嗟にエッジは背中の長剣に手を掛ける。
今のスピードはこの辺りに住む生き物では有り得なかった。
というより、どんなモンスターでも今の様なスピードが出せるとはエッジには思えなかった。
恐怖はあったが、今のが何なのかも彼は確かめておきたかった。
「よし」
エッジは拳を握り締めると、音を追って慎重に走った。
しかし、いくら走っても生き物の影すら見つけられない。
あきらめて立ち止まると、彼自身の荒い呼吸に変わって周囲の音が戻ってくる。
すると、前方から何かの声が聞こえた。
――グルルル……
(この低い唸り声、ウルフか!?)
もっと危険な未知のものを追跡していたことも忘れ、エッジは素早く背中の長剣を抜き茂みの向こうに目を凝らす。
五匹のウルフらしき赤々とした影が見えた。
シルエットこそ大型の狼だが、ウルフの人間に対する凶暴性はそれよりずっと上だった。そして、残念ながらこの辺りに普通の狼は生息していない。
ウルフ達は警戒態勢をとりながらも、いずれもエッジの方を見ていない。他の何かに気をとられているようだ。
と彼が思った直後、いきなり五つ見える影の内一つが倒れた。
(誰か戦ってる?)
よく見えるようにエッジが移動すると、戦っているのはクロウと名乗ったあの少女だった。
(……!)
エッジは急いで茂みを飛び出し、少女とウルフの間に割り込んだ。
「大丈夫か?」
突然の動きがウルフ達を刺激しないか警戒しながら、彼は背後にいる少女に声をかける。
少女は一瞬驚いた様だったが、すぐに戦闘態勢に戻って返事をした。
「ええ、大丈夫」
「とりあえず、こいつらを倒さないと!君は戦えるか?」
エッジが顔だけを僅かに背後へ向けると、少女が黙って頷いたのが見えた。
一匹は倒したとはいえ、五匹を相手に戦っていたというのに割って入ったエッジより余程落ち着いている。
「よし、じゃあいくぞ!」
エッジは少女に、というより自分自身に気合いを入れる為に言った。
少女がどの位戦えるのかは分からなかったエッジは、彼女に代わり一歩前に出る。
彼は身体を左に捻った体勢から元に戻す勢いを乗せて剣を振り、空を斬った。
「
その剣から放たれた「斬撃」は彼の気によって攻撃力をある程度保ったまま、手元を離れて飛ぶ。
左端のウルフの前足を直撃したそれは怯ませるが、倒すには至らない。エッジもそれは分かっていた。あくまで一度に四匹に攻撃されない為の牽制。
彼が技を放つのと同時に、右から別のウルフが技の隙を突いて彼に飛び掛かってきた。
エッジは辛うじて引き戻した剣の腹を左手で押さえてそれを受け止める。
四足で駆けていながら少年の胸の高さまで迫るモンスターの重みが、エッジの身体を後退させた。
さらに別の一匹が横をすり抜けて、クロウの方へ行こうとする。
(まずい!)
エッジは押し合いになっていた正面の敵を力任せに蹴って怯ませ、横を振り向きながら剣を振り下ろす。
クロウの方を狙っていたウルフは無防備な胴にエッジの剣の直撃を受け、斬り伏せられた。
休むことなく更に前方から迫ってきた別の個体にエッジは続けて横薙ぎに斬りつけたが、そちらは掠って一瞬足止めする程度に留まる。
敵は残り三匹、大して強くはなくとも一人で相手するには距離が近すぎた。
狩りで日頃モンスターを相手にする事に慣れているエッジも本来なら避ける様な状況だ。
獲物を発見し孤立させ、より倒しやすい状態に持っていった上で最後の段階で行うのが狩りにおける戦闘であり、この様な自衛の為の乱戦の経験は彼には殆ど無かった。
(このままじゃまずい、押しきられる)
エッジは再び剣を振るが、また避けられる。
野生動物の反射は決して油断できるものではなかった。
そこへ、彼の背後から少女の力強い声が響く。
「アクアエッジ!」
見えない微かな水飛沫が、エッジの頬を打った。
彼の視界の端を円盤のような水の塊が三つ、走り抜ける。
それは次々とウルフ達を弾き飛ばし、その全身をエッジの力では不可能な力強さで木に打ちつける。
(
深術というのは大気や水に含まれている『ディープス』を集めて、術者がそれを自在に操る術。
ディープスを集めるくらいならほとんどの人間に出来るが、それを自在に操るにはある程度の訓練と適性が必要で誰でも簡単に使える物ではない。エッジの知る限り普通は今のような初級に分類される術を使うだけでも、一年は練習し続けないと使えるようにはならない筈だった。
今の一撃で三匹とも倒したのか、どのウルフも全く動かななくなる。
二人はようやく警戒を解く。
「終わった……」
こういった状況に慣れていないのか、大きく息をついた少女は力が抜けた様にエッジには見えた。
――――――――――
戦闘が終わって落ち着いてみると、クロウの頭にさっき現れた少年の事で疑問が湧く。
(何でこの人はここに居るの?)
ウルフに追い詰められた時に突然現れ、クロウに加勢してきたエッジと名乗った少年。
それ自体は確かに彼女にとっても有り難かったが追い掛けてくる事等彼女は全く頼んでおらず、それどころか街道ではっきりついてくるなと言った筈だった。
「何でついてきたの?」
クロウ自身実際に聞くつもりは無かったのだが、つい興味本位で口から疑問が漏れ出る。
「前から村を出たいと思ってたし……それに、何と無く心配だったから」
何だそれは、とはっきりした答えが返ってこないことにクロウは微かに苛立ちを覚えた。
彼女の表情の変化に気付いたのかエッジは慌てて付け足す。
「ほら!現に今みたいに群れに出くわす事もあるし」
少年の弁明にも、クロウの表情は険しいまま変わらない。
(何?この人は、何となくでこんな危険を犯すの?)
「じゃあこれからどこに行くつもり?」
なるべく感情を表に出さないように心がけながらクロウは尋ねる。
彼女の中で相手の答えは概ね予想がついていたが、案の定少年は少々困った顔になる。
「……決めてない」
「どこに行くかも考えないで村を出たの?」
クロウにはその行動が全く理解できなかった。
何の理由もなくそこまで見ず知らずの人間を助けようとする人間などいる筈が無いのだから。
(こいつ、本当に馬鹿なの?)
彼女は怒りを通り越して呆れてしまった。
いきなり自分の家を捨て、行く宛もないまま危険な世界に飛び出してきた事になるのだから「それなら普通もう少し焦った方が良いんじゃないだろうか」、と。
「ところで、君はどこに行くんだ?」
彼女の気持ちをよそに、エッジは話題を変えるように尋ねた。
「私は海を渡ってシントリアを目指すつもりだけど」
面倒臭かった為か即答したクロウとは反対に、言いにくそうにエッジが口を開く。
「あの、俺も連れていってくれないかな?さっきみたいな事があるなら二人の方が安全だろ?」
クロウはあまりにエッジの態度に怒りを覚えていた為、即座に断ろうかとも思った。
が、実際に助けられたのは事実であり、クロウはそんな人間に借りをそのままにするのはもっと癪だった。
それに少し冷静になった彼女は「旅をするのにも人手があった方が便利かもしれない」、と思い直す。
目的地であるこの国の王都シントリアまでは未だかなりの距離があった。
「どうせ他に行く宛もないんでしょう?放っておいたら死にそうだし、私もあなたに借りがあるから仕方ない、いいよ」
心の中で自分の決定にため息をつきながら、クロウはイエスの返答をする。
「じゃあ、ついて行って良いんだな?」
クロウは半ば諦めて軽く頷きながら、釘を刺す。
「その代わり、王都に着いたらそこでお別れだから。その先どうするかは自分で考えて」
その後のことは彼女の知ったことでは無かった。
「ああ、ありがとう!」
途端に子供っぽい笑顔に変わった少年を見て、クロウはもう一度心の中でだけため息をついた。
二人が話している間にも、日は確実に沈んでいく。
「そろそろ、野営の準備をするか?君も今の戦いで疲れてるだろうし……」
クロウも同意見だったが、一点だけ加減嫌気が差してきていた。
「旅についてくるのは構わないけど、『君』って呼ぶのとかやめてくれない?ずっと堅苦しい言葉を使ってくる人と一緒だと疲れるから」
「あ、ああ……分かった!じゃあ、俺のことも呼び捨てで良いから」
エッジの言葉を聞いてクロウは少しだけ微笑んだ。
「面倒なのは嫌いなの、当然そのつもりだから」
エッジが喜ぶべきか笑うべきか、反応を決めかねている間にクロウは薪を探して森の中に分け入った。
間を置いて、エッジも探し始めたのをクロウは気配で感じた。
(少なくとも、二人なら薪探しは多少楽が出来そう、か)
とりあえず一つは良いことを見つけてクロウは多少表情を和らげた。
――――――――――
しばらくして、焚き火を間に挟んだ二人はこれからの旅について相談していた。
既に日は沈み、森は闇に覆われている。
凶暴な事を除けばモンスターは普通の動物とさほど変わらないので、十分食用になる。
夕食はウルフの肉を焼く事で何とか足りた(クロウが盛大に焦がしたが)。
が、食べ物があまり無い。
当然、村からいきなり飛び出してきたエッジが旅の用意をしている筈が無い。
クロウもその点に関しては、顔を曇らせた。
「一応、私が村で分けて貰った分はあるけど。二人で食べるには多分足りない」
「このまま補給無しで旅を続けるのも大変だし、どこかの町で食料を調達したほうが良いんじゃないか?」
エッジの提案に、クロウも頷く。
「ここから王都への道で次に着く町はシリアン。確か山門を越えて、そこから道なりに進んだ所にあるはず」
「山を越えてから……それまでは今ある分とモンスターの肉か」
「――で、さっきから気になってたんだけど何してるの?」
エッジは肉を剥いだウルフの皮を膝に乗せ、ナイフで少しずつ削っていた。
「ああ、腐り始める前に脂とか肉をなるべく取り除いておくんだ。油を塗ってちゃんと乾かせば簡易だけど多少のお金になるかもしれない」
(何でお金は持ってないのに、そんな油は持ってるのよ)
クロウはそう言おうかと思ったが、役に立つ事に変わりは無かったので飲み込んだ。
お金だっていつ足りなくなるか分からない。
稼げるなら少しでも稼いでおくべきだ。
「山門の辺りに商人でも居れば良いけど」
クロウがため息をついてからは会話が途切れた。
エッジの方は聞きたいことが山の様にあった。
しかし、クロウは話す気が無いらしく、話は済んだと言わんばかりに直ぐに焚き火の傍で眠り始めた。
森の中で二人とも同時に眠るのは危険すぎるので、仕方なくエッジは先に見張りにつくことになった。
翌朝
「エッジ……」
(眠い……誰だ?)
目を閉じたままエッジが横になっていると声が聞こえてきたが、彼にはそれが誰だか判別できなかった。
とりあえずエッジは、薄く目を開け辺りの様子を確認する。
まだ、辺りは薄暗くやっと夜が明けたところだろうか、ぼんやりと木々の葉の輪郭が見える。
「……まだいいか」
エッジは再び目を閉じて、覚めかけた意識を休め再び深い眠りに――
「ふっ!」
グサッ
(何かが刺さったような音が)
嫌な予感を感じてエッジ目を開けると、彼の目の前の地面に鳥の羽のような飾りの付いたダガーが刺さっていた。
(!?)
エッジは無意識に上半身を跳ね起こした。
「おはよう」
凶器を投げつけてきた張本人がエッジに挨拶してくる。
「お、おはよう」
激しく混乱した頭でエッジは何とか言葉を返した。
クロウが彼の傍にきてダガーを抜くと、何事も無かったように元の位置に戻る。
「ぼーっとしてないで行くよ。早く山門を越えないと」
怒るでもなく、当たり前の様にそう急かす。
数秒前に人にダガーを投げ付けてきた人間の言葉とは思えない。
(クロウってこういう子だったのか?)
エッジはこの先の旅が少しだけ不安になってきた。
(明日から起きられなかったら)
それ以上のことをエッジは考えないことにした。
――――――――――
それから特に話もせず二人は森の中を歩き続けた。
既に二時間は歩いただろうか。
周りの景色ではどれだけ進んだか判断しにくかったが、そろそろ森が終わることは二人にも分かった。
「……」
「……」
無言の時間が続く。
「何か話さないの?」
ただでさえ静かな森の中である上、エッジが一切言葉を発しないのでクロウはイライラしていた。
これが一人で旅をしているのなら我慢できただろうが、エッジが隣に無言でいることが彼女には気まずかった。
「えっと、何か話すことあったか?」
「そういう事じゃないけど……何か、あるでしょう?今後の事……とか?」
クロウ自身明確に具体例を示す事が出来ず、口にして正直八つ当たりな事に気付いた。
エッジは頭の上に疑問符を浮かべ、それならと質問する。
「じゃあ、村に来たあの男の事とか聞いても良いか?」
「駄目」
彼女は即座に拒否する。
クロウはあまり自分の事は尋ねられたくなかった。夜の交替の見張りや、肉の調理等をやってくれる人間が居るのは彼女にとって楽ではあったが、仲良くするのは願い下げだった。
「じゃあ、何でトレンツに来たのか――」
「それも嫌」
余計な詮索しか飛んでこない事を悟ったクロウは結局黙って歩くのが一番、と割り切って少し疲れを感じながらも足を早める。
エッジは困惑している様子でも、彼女は大して気にしなかった。
(別に私を嫌いになるなら、嫌いになるで構わない)
――――――――――
「無事に抜けられた」
先に森を抜けたクロウが、目の前に続く街道を確認して安堵の声を漏らす。
早く森を抜けようとどんどん先に行ってしまうクロウに、エッジはついて行くのがやっとだった。
「疲れたな」
同意を求めたエッジをクロウが睨む。
エッジは理由が分からず、またも首を傾げる羽目になった。
「とにかく山門まではあと少し――」
「はーはっはっはっは!」
クロウが言い終える前に、誰かの笑い声が響く。
追っ手に見つかったかと、二人は声のした方に向き直る。
立っていたのは上から下まで真っ黒な格好の、どこか芝居がかった格好の三人組だった。
「ふっ、驚いて声も出ないか。行くぞ、お前達!」
中央のリーダーらしき男が叫ぶ。
右側の斧を持った太めの男が、地面を踏み付ける。
「俺を敵に回したものはオノが不運を嘆く、バッド!」
左側の短剣を持った女が、一回転してポーズをとる。
「私の後に残るのは敵の嘆きだけ、サッド!」
中央の男も剣を高々と掲げ、叫ぶ。
「勝利の栄光、グローリー!」
(……そこは雰囲気揃えなさいよ)
無言のまま心の中で突っ込むクロウ。
さらにそのポーズのまま三人が声を合わせて叫ぶ。
「我ら無敵の、漆黒の翼!!」