TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
三人は思い思いの場所にそれぞれの願い事を彫る。
エッジとアキは樹の下の方に彫ったが、クロウは見られるのを嫌ってかラーヴァンに乗ったまま樹の上の方に彫った。
「じゃあ、王様に会うんだっけ」
ここでやる事が終わり、クロウは確認する様に口に出す。
「その前に聞いておきたい事があるんだ。クロウが何をしたいか」
突然の質問にクロウがやや動揺する。
「な、何?願い事に何書いたかなんて教えないわよ」
「そうじゃなくて、これからの事だよ。既にアクシズ=ワンド王国を敵に回している以上、この先セオニアに留まるにしろ出るにしろ俺達は戦いを避けられない。この国の国王を説得する為にもクロウ自身の望みを知っておきたいんだ」
エッジの問いにクロウは虚空を見つめる。
「私の、望み?」
何も出てこない、考えもしなかったという感じだった。
「そんなの答えられない。私には目的なんて何も無いんだから」
そう口にして途方に暮れるクロウにアキが言った。
「クロウさん、目的と望みは違うものです。クロウさんがしたい事、したくない事。それが望みの形です。本当に何もありませんか?」
「私は……」
アキは優しく続けた。
「どんな事でも良いんですよ。何を選んでも……もう私は裏切りませんから。私も、エッジさんもクロウさんの味方です」
その言葉に、クロウは意を決した様に前を見つめた。
「行こう、王様のところ」
屋敷の入り口へ向きを変えて、続ける。
「私の答えは、私が直接王様に言う」
迷いなく歩く彼女の後ろに続き、二人もクリフの後を追った。
クリフは建物の角を曲がった屋敷の入り口で待っていた。
まだ考え込んでいる様子だったが、三人の姿を確認するとその表情を切り替え屋敷の中へ、奥へと案内する。
先程は入ってすぐに左折したところを直進し、屋敷の中心を真っ直ぐに進む。
どこか隔離された印象だった王女の部屋の周辺の落ち着いた様子と違い、こっちの廊下は窮屈にすら感じられる。
絨毯には金の飾り模様が入り、戦いや英雄、名士であろう人物の絵画が視界の両端を塞ぐ。飾られた自然の花ですら、それが収まる豪奢な花瓶と一体となって見るものを威圧した。
エッジ達は嫌でもこれから会う相手が国王なのを再認識させられた。
「……こういうの趣味じゃねえんだけどな」
絵画を横目に見ながらクリフが呟く。
「クリフこういうの嫌いなのか?」
エッジの質問にクリフはああ、と首を横に振る。
「いや、まあ俺も嫌いだけど王様がだよ。本人は嫌いでも臣下が勝手に城の中をこうしちまうんだよ」
そこへ、控えめな声でアキが口を挟む。
「王城は王の住居であると同時に、時に対外的な交渉の場にもなります。あまりに質素であればそれは、第三者からは国民に支持されていないとも取られかねません……ですから、きっと」
クリフも頷く。
「王様だってそれは分かってる。果たすべき責務には誰よりも真摯に向き合う人だ」
そう言いながらクリフは最奥の扉に手を掛け、エッジ達を振り返る。
「入ったら失礼の無いようにな。この奥に居るのは――我が王だ」
軋みを上げながら扉は開いた。
―――――――――――
「ねえ、ラーク」
「何?」
「……ここ、お城だよね?」
「そうだね」
「交渉はエッジ達に任せて街の外で待ってるんじゃなかった?」
「この城、街の柵の外だよ」
リアトリスとラークは小声で話しながら、警備兵に見つからないように城のすぐ外側まで来ていた。
エッジ達が『
「確かに心配だけど……これじゃ、皆を信用してないのと同じじゃない?」
「信用してるさ、だからこうして万が一の時以外は動かないつもりで居るんだよ」
リアトリスはその返答にため息をついた。
「言っても聞かないもんね、ラーク。それはそうと」
何処か言いづらそうに話題を転換するリアトリスの様子に、ラークは首を傾げる。
「どうかした?」
「ラーク、さっきの戦いでどうして私を庇ったの?」
ああ、と納得しながら笑顔を見せるラーク。
「忘れた?僕は傷を負ってもすぐ治るんだよ」
「それは致命傷以外でしょう!?……死んだら治らないんだよ?」
軽く答えたラークに対してリアトリスは一瞬大声になり、それから気付いてすぐに声のトーンを落とす。ラークはその様子に困った顔をした。
「僕が動かなかったら、君が死んでたよ」
その言葉にリアトリスは申し訳無さそうな顔をする。
「ごめん、それは分かってるんだけど……ラークだったらあの隙に私を助けずに後ろから敵を倒す事もできたでしょう?何か、あれはラークらしくない気がして」
ラークは少し考え込み、それから答えた。
「僕はエルドに君の事を頼まれた。イクスフェントの、同じ「シン」の族長の血を継ぐ者として、君を死なせたら彼に合わせる顔が無い」
リアトリスは納得できない表情で首を横に振る。
「ラークは私が同行する事に反対してたじゃない。私が足を引っ張って、ラークが使命を優先したって……エルドはきっと分かってくれるよ」
それに対して今度はラークが否定する。
「君が死んだら意味が無い。そうなったら僕は本当に……エッジの言う「守るものを持たない人殺し」になる」
驚くリアトリスに、ラークは更に言葉を続けた。
「エッジに言われてようやく気付いた。僕は今まで守るべき世界を第一に考えてきた。その為に他のものを天秤にかけては捨ててきた。でも、そうして守ってきたのが誰なのか……僕には答えられなかった」
言葉にしながら、ラークの表情は嫌悪に歪む。
「僕はきっと、リアトリスまで犠牲にしたら考える事もしないまま、世界の為に天秤の傾かなかった方を殺し続ける。……守るべきものを定められないままに、守るべきだったものまで殺し続ける。僕はまず何を守りたいのか考えなきゃいけないんだ」
そう言って顔を伏せたラークに、しばしリアトリスは目を丸くしていた。それからしばし間を置き、彼を元気付けるように手を握る。
「やっと口にしてくれたね、悩んでる事。ラークだって、そういうのは言っていいんだから」
まあ、と照れ笑いするリアトリス。
「百年も後に生まれた小娘じゃ、力になれないかもしれないけど……」
その言葉にラークはゆっくり首を横に振った。
「そんな事ないよ。ありがとう、リア」
珍しく、ラークは本当の笑顔を見せた。
―――――――――――
扉の中の空間は静謐な空気で満ちていた。
薄青い水晶の天窓から入ってくる光は、元の陽光と同じものとは思えない神聖なものに見える。
四角い空間の両端にはクロウを首都まで連れてきた男たちが白いマントを身にまとって控えている。シントリアの王城でも騎士達が脇を固めていたが、鎧がない分こちらの方が威圧感は薄かった。
クリフは空間の中央まで進み出ると、右膝をついて国王に頭を下げる。
「蓮の水鳥・クリフ・セイシャル、只今戻りました」
「おお、クリフか。よく無事に戻ってきてくれた」
陽気に返した国王は栗色の髪の男性だった。歳はシントリアの国王とそう変わり無いようだったが、その柔らかな態度のせいかずっと若く感じられる。
「その娘が、お前の言っていた子か?」
クロウの方に目を向けて国王は尋ねる、見つめられたクロウはどう反応しようか迷った様だったがとりあえず頭を下げた。
「はい、闇属性の――」
「よい、自分の事を他人の口から語られるのは不快であろう。娘よ、名は何というのだ?余はトレアス・L・セオニア・アリーズ二世。フレアの父であり、不肖ながらこの国を与る王でもある」
クリフの説明を遮り、セオニアの国王――トレアス二世はクロウに対して名乗る。
クロウは一度口を開くがすぐには言葉にならず、大きく息を吸い直してようやくはっきりした声で答えた。
「クロウです。家の名前も分からないので、ただそう呼ばれています」
「では、特別な深術を使えるというのは本当かな?」
「はい」
トレアス二世はふむ、と目を細める。
「想像する事しか出来ないが平坦な人生ではなかっただろう。あの様な連れられ方では信用出来ないだろうが、ここに居る間は余の客人だ」
「あ、ありがとうございます……」
どう答えていいか分からないという表情でクロウはとりあえず頭を下げた。
「さて、その上で一つ尋ねなければならない。君の心が一体どこにあるのかを」
クロウは王のその言葉の真意が掴めず戸惑いを見せる。
「君がアクシズ=ワンドに忠誠を誓う人間であるなら我々は君の敵だ。逆に、君に戦う理由がありアクシズ=ワンドと敵対する道を選ぶなら力を貸してもらいたい。或いはこの国で平和に暮らす事を望むなら、我々は君という国民を守る為に剣を取ろう」
その言葉にクリフや脇に控えていた男達は微かな動揺を見せたが、トレアス二世はそれを片手でなだめる様に制する。
クロウはその王に対して遠慮がちに尋ねる。
「あなたは――陛下はこの国の王様、なのでしょう。私一人の為に戦争になっても良いのですか?」
「王というのはな、己の力に応じて守るものを決めるのではないのだ。守る民の為に王が居るのだよ」
求めるのなら、誰であっても自国の民として受け入れる。王の答えはそう言っていた。
「君も同じだ、何が出来るかで君の役目を決める権利など誰にも無い。大事なのは、君が何をしたいのかだ」
クロウはその言葉に迷いを見せながら、横に居るアキとエッジの顔を見る。二人はそんなクロウを後押しする様に頷いた。
「私は、許されるなら……誰とも戦いたくありません」
ほう、とトレアス二世は目を細める。
「ですが、私の為にこの国が戦争になるのも嫌です。戦いたくないなんて自分のわがままに、他人を巻き込みたくない」
きちんと国王の目を見ながら、クロウは望みの最後の一言を口にする。
「このまま、私たちを国の外へ行かせて下さい」
そこで国王は考える表情を見せる。
「ふむ、それは途中で分かれた残り二人の仲間と共にかな?」
その問いに、クロウ、エッジ、アキ、そして誰よりクリフが驚く。
「な……知ってたのかよ」
クリフの狼狽に無言で控えていた男、マイロが呆れる様に口を開く。
「俺達は諜報部隊だぞ、この街の内部の事すら分からないと思ったのか。いつもいつも、お前は一人で勝手に動きすぎだ」
それと、と付け足す。
「……陛下の前だ、口調が戻ってるぞ」
しまったという顔でクリフは国王に頭を下げる。
トレアス二世はそのやり取りを静観し、終わったのを見て再び口を開く。
「実は今我が国はアクシズ=ワンド王国から警告を受けている。王城を襲撃してきた君達を渡さなければ戦争を開始する、と」
その言葉にクロウは言葉を失い、エッジは小さな声で疑問を口にする。
「騎士団が海上都市から国境を渡って来なかったなら、スプラウツ以外の人間にクロウの居場所は知られていない筈じゃないか?あんな組織の証言が戦争の口実に……?」
アキはそれを否定する。
「いいえ、問題なのはクロウさんがここに居た事です。どんなルートから得た情報であっても、事実である以上後からいくらでも裏付けは出来ます。王城襲撃犯をこの国が庇っているという事になれば……私の摘発でお二人はセオニアの間者とされていますから、それは十分に戦争の口実になってしまう」
最後の方は顔を伏せながら彼女はエッジにそう説明した。
トレアス二世は黙ってしまったクロウに向け、先を続けた。
「君達がこのままセオニアを後にすれば、君の意思に反してこの国は戦争に巻き込まれる。それは余にとっても望む所ではない」
深刻な表情を見せながらトレアス二世は髭をなでる。
「そこで、だ。我々の希望は一致している。ここは一つ、おとなしく捕まっては貰えないだろうか」
その言葉に、エッジ、クロウ、アキは目を丸くした。