TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第四十五話 『願いの樹』

 ベッドに横になったまま、紅緋(べにひ)の髪の王女は無邪気にクリフと話す。

 それに応えるクリフの声もどこかいつもより優しかった。

「最後に会ったのは……一週間くらい前?」

「二ヶ月前だ」

「もうそんなに経っちゃったんだね、早いなあ」

「待たせて悪かった、どうしてもやらなきゃいけない事があってな」

 分かっている、と王女は頷く。

「今度はどこに行ってたの、また外国?」

「ああ、カースメリア大陸とラーデシア大陸だ」

「アクシズ=ワンド王国だね、またお父様に頼まれた仕事?」

「ああ」

 そこで初めて王女は微かに顔を曇らせた。

「……じゃあ、全然自由に旅できなかったんだね」

 クリフもその言葉には申し訳無さそうに答える。

「悪い、ろくな土産も用意できなくて」

「あ、違うわよクリフ、そういう意味じゃない。ただ、クリフが楽しくなかったんじゃないかと思って」

「そうだな……旅の話はあんまり面白いのは出来そうにねえよ」

「それは少し残念だな、クリフの話はいつも楽しみにしてるから」

「じゃあ、せめて出来る分だけでも面白おかしく話してやるよ」

「脚色はしなくて良いからね、クリフの旅の話は面白いけど創作が入ると途端に滅茶苦茶になるんだから」

 

 和やかに話し続ける二人の邪魔をしない様に、エッジはそっと扉を閉じた。

 廊下に残ったエッジ、クロウ、アキの間に何とも言えない空気が流れる。

「……起きていられないって、どういう事なの?あんなに元気そうなのに」

 クロウがアキに尋ねる。

「セオニアの王家は元々、この地を治める祈祷師の一族だったそうです。その末裔である現王族の中にも時折その資質を持った者が現れ、夢の中でセオニアの大地と一つになりながら国全体を守るのだと……そう、言われています」

「どのくらい、眠ってるんだ?」

「分かりません。ですが、さっきの日付も分からなかった様子からすると」

 沈黙が流れた。

 エッジとアキが悲しそうな顔をする中で、クロウは一人拳を握り締めた。

「馬鹿、あいつ……仲間の為だなんて言って、何で置いていけるのよ」

「クロウさん?」

「何でもない、後で本人に言ってやるから」

 エッジは、クロウとアキが普通に会話するようになっている事に気付いたが流石に追及はしなかった。

 とても、何かを喜んだり出来る空気ではなかった。

 

「ねえ、クリフ」

「ん?」

「一緒に来た人達は新しい仲間の人?」

 王女は扉を閉じてしまったエッジ達の事を尋ねる。

 クリフはそれに対して返答に詰まった。

「仲間、って言い切れるなら良かったんだけどな」

「いい子達に見えたけど」

「それはな、けど……」

「この国の人じゃない、から?」

 言い切る事が出来ないクリフに、王女は気まずそうに目を伏せる。

「クリフ、無理にこの国にこだわらなくても良いんだよ」

 その言葉にクリフは首を横に振って笑顔を作る。

「何言ってんだよ、嫌なら俺が一箇所をずっと拠点にするわけ無いだろ」

「うん……でも、」

 王女は手を伸ばし、ベッドの側に立つクリフの背を押した。

「フレア?」

「あんまり放っておいたら可哀相だから……『願いの樹』に、案内してあげて」

 そう言う彼女の手からは力が抜け、少しずつ落ちていく。

「大丈夫……クリフが戻ってくる時には起きるから」

 その手をそっと受け止め、クリフは冷えない様にそれを毛布の下へと帰す。

「分かった。じゃあ、また戻ってくるからな」

 開いていた窓を閉め、カーテンを閉じて、扉へ向かうクリフ。

 その背に向け、王女は少し怯えているような声で言う。

「……必ず起こしてね、無理にでもいいから」

「ああ」

 強く答えて、クリフは扉を開いた。

 

 クリフが廊下に出た瞬間、クロウがその胸ぐらを掴む。

「土下座してきなさい、今すぐ」

「……この短い時間でどういう話してたんだよ」

 自分を掴む手を振りほどいたりもせずクリフは呆れた。クロウは構わず食って掛かる。

「どうもこうもない。あんたがあの王女様残してラークに戦い挑んだりするから、こっちは頭に来てるのよ」

「バズを、仲間を殺されたんだ。フレアとだって仲が良かったのに、何もしなかったら合わせる顔がねえよ」

 クロウの頬に赤みが差す。

「違う、そういう事じゃない!この――」

 殴りかかろうとするクロウを見て、エッジとアキが止める。

「落ち着けよ」

「クロウさん、流石に殴るのは」

 クロウは二人にまでは抵抗しなかった。諦めたように腕から力を抜き、クリフを放す。

「それより、お前らに見せておきたいもんがあるんだ。ついて来いよ」

 すっかりいつもの調子で明るく言いながら歩いていくクリフの背中に、クロウははき捨てる様に言った。

「何で、分からないのよ……」

「ひとまずクリフさんの後を追いましょう」

 アキの言葉で三人は彼に続いて元来た屋敷の入り口へと向かう。

 

 クリフが三人を案内した先は屋敷の裏手、ちょうど王女の部屋の窓の外だった。

 目指してきたものは明らかだった。

 大きな樹がある。

 地にしっかりと根を下ろした樹には、無数の傷があった。

 一見エッジやクロウの背の届く高さより下に傷は集中していたが、エッジがよく見ると間を空けた遥か上の方にも多い。

「これは?」

 アキの質問にクリフは樹を見上げながら言った。

「『願いの樹(ウィッシュツリー)』、この国の人間はそう呼んでる。人の祈りを形にしたものだ」

「願いの樹?」

 不思議に思ったエッジは傷をよく観察する。……それは確かに願いだった。

 樹には人のイニシャルと、願い事が彫られていた。

「この国の人間は昔から人間と、自然との繋がりを大事にする。大地から生まれる樹を生命の循環の象徴とし、そこに彫られた願いはまた大地に還って人の元に返ってくると信じてるんだ」

 その言い方にエッジが疑問をぶつける。

「何だか、クリフは信じてないみたいな言い方だな」

「俺は……まあ、元々この国の人間じゃないしな。生命の循環とか心の底から信じてるとは言えねえかな」

 迷いながら答え、けれど、とクリフは付け足す。

「叶おうと叶うまいと、その願う気持ちが尊いものだと思う」

 それだけは、はっきり言い切った。

 今までは黙っていたクロウが口を開く。

「これ、王女様の願い事も書いてあるわけ?」

「ああ。あの上の方の枝の、こっから見た反対側だ」

「何書いてあるか知ってるの?」

 クリフは首を横に振った。

「見たことはねえけど、大体は分かってる。あいつはいつも言ってるからな……平和な世界が見たい、子供達が安心して生活できる国であって欲しいとかって。いつも他人の事ばっかで、願いも多いから困るけどな」

 そう言いながら苦笑するクリフは、何処か楽しそうだった。

 答えを聞いたクロウは今までのクリフの行動を振り返る。

(それで、こいつは敵国の武器になりそうな私を誘拐して、孤児院にも足を運び続けてるって事。何て馬鹿……)

 クロウはエッジに声をかける。

「エッジ、木登りとか得意?」

「え?まあ、手をかける枝があれば登れるけどあの高さまで行くのはあんまり自信ないな」

 それを聞いてクロウは二言、三言呟き、ラーヴァンを出現させる。

 巨鳥から冷たい風が吹き、樹の枝を大きく揺らす。

 突然の彼女の行動にアキとクリフは戸惑う。

「ちょっと見てきて、王女様の願い」

「……ラーヴァンに一人で乗れって言うのかよ、そんなの初めてだから自信無いぞ」

 それならと、クロウは先にラーヴァンに乗りエッジに手を伸ばす。

「なら私も一緒に乗って近くまで行くから、エッジは枝に乗り移って」

 エッジはクロウの行動に何か理由があるのを察して頷く。

「分かった」

 手を取ったエッジも乗せ、ラーヴァンはゆっくりとその翼を動かして高度を枝に合わせた。

 エッジは慎重になるべく枝の根元付近を選んで、軽くジャンプする。

 二人の行動にクリフは首を傾げる。

「何か意味あるのかよ」

 同じく地上に残ったアキにもそれは答えられず、ただ頭上のエッジを見守るだけだった。

 

 エッジは幹に手を添えて身体を安定させながら、樹に彫られた文字をなぞって王女の名前を探す。

F .L .S .A (フレア・エル・セオニア・アリーズ)……これだな」

 特に長いイニシャルを見つけてエッジは確認し、そこで止まる。

「クリフ、これ違うよ。クリフが言ったような事は書いてない」

「違う?」

 では何が書いてあるのかと、クリフは戸惑いを見せる。

「『クリフが自由であります様に』……確かに、他人のことではあるけど、でも」

 あまりにクリフが口にしたものとはニュアンスが違っていた。

 クリフは何も言えずに信じられない、という表情で樹を見つめ続ける。

 その間にクロウが再びエッジの手を引いてラーヴァンに乗せ、地上へと戻った。

 二人が降りるのと同時に黒い鳥は溶ける様に宙に消える。

「何で俺の事なんて……」

 呆然とするクリフにクロウが改めて怒りを滲ませた声で言う。

「こんなに大切に想ってくれる人が居るのに、何であんたはそれに気付かないの。国の平和なんかより、死んだ人間の為に戦うより、あんたにはやらなきゃいけない事があるでしょうが」

 クリフはしばらく言い返さず、考え込んでいた。自分の立っている位置から直接は見えない、王女の願いが刻まれた場所を睨み続ける。

 が、やがて懐からナイフを取り出すと、それをエッジに預けて言った。

「……願い事あるなら彫っとくと良いぜ、それが終わったら王に会いに行く。俺は先に行ってるから」

 それだけ言うとクリフは三人に背を向け歩き出す。

「ちょっと!」

「クロウさん、クリフさんにも考える時間は必要です……今は、そっとしてあげましょう」

 アキにそう言われてもまだクロウは納得できない様子だったが、一人で追いかけていく様な事はしなかった。

 エッジは話題を変える為に二人を誘う。

「折角だから願い事、彫ってみないか?俺も彫るから」

 クロウはあまり乗り気ではないようだった。

「私はいいよ。気分じゃないし、願い事とか別に」

 少し遠慮しながらアキもクロウを誘い、同時に彫れる様に道具を探す。

「私はやります。折角だしクロウさんもやってみませんか?クロウさんを待たせる事になってしまいますし……エッジさん、何かもう一つ刃物を持っていません?」

 その様子を見て、クロウが二人に制止をかける。

「私の分なら探さなくていいよ、これ持ってるから」

 そう言いながら、羽根の付いた投擲用のダガーを取り出す。

「じゃあ、やりましょう?クロウさん」

「え……あ、ああ」

 クロウはまだ、やるやらない半々位の気持ちで居た様だったが、アキにそう言われて断れなくなる。

 エッジはその様子を見て微笑んだ。


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