TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第四十二話 どんなに離れても君に手を伸ばす

 リアトリスとラークを残して来たエッジ達三人は、ウォーギルントの街の中に入っていた。

 クリフが居なかったらまだ門の所で止められていただろう。門番は彼の姿を見るなり、あっさり道を空けた。

 既に太陽はかなり傾き、夕日が沈みかけている。

「とりあえず、俺は孤児院を見に行く。何もなければそこに居るはずなんだ」

「分かったそっちはクリフに任せる。俺は一人でも街の中を探してみるよ」

 エッジの言葉にクリフは顔を曇らせる。

「大丈夫か?効率は上がるけど、敵に遭遇したら助けられねえぞ」

 クリフの心配はもっともだった。

 合図を深術で打ち上げる事は可能だったが、視界の開けていない街の中では見逃す可能性も高かった。

 初めての街の中で一度別れたら合流が困難になる事を理解した上で、エッジはクロウを見つける事を優先した判断を下す。

「敵を見つけたらすぐ逃げるよ。クロウが戦ってたら、一緒に戦えば何とかなる」

「私も、エッジさんと一緒に行きます」

 クリフは反対の様だったが、二人の目をじっと見た末、言葉を飲み込んだ。

「……気をつけろよ、本当に敵に見つかったら逃げるんだぞ」

「分かってる。死んだら、クロウを助けられない」

 クリフが突き出した拳に、エッジは同じもので応えた。

 それを合図にクリフは身を翻すと、最後の夕日が赤く染める街の中へ消えていった。

「俺達も行こう、こっちだ」

「エッジさん、何か宛てがあるんですか?」

 驚いた様子でアキが質問する。

「東の門へ向かおう、街の外縁部を通って」

「どうしてですか?」

 急がなければならない状況なのを感じていた二人は走りながら話す。

「スプラウツが目立ちたくないなら、まず街の中心部は避けると思うんだ。それにクロウを無事に確保できたなら、なるべく早くアクシズ=ワンド領内へ連れ帰りたい筈。単純に最短ルートで考えたら――」

「街道が整備され、いま私たちが通って来た南門。次いで反時計周りに南東、東の門ですね」

 後を引き継いでくれたアキの言葉に、エッジは頷く。

「もちろん確実じゃない。でも、確率としては一番マシだと思う」

「分かりました、そうしましょう」

 走りながら喋るのは結構きつく、そこからはどちらも無言で走った。

 

 ―――――――――――

 

 意識を失っていたのはそれほど長い時間では無かったのか、私はまだ道の真ん中で自分の血の中に横たわっていた。

 背中が、肩が、およそ全ての骨が痛い。

 太股の外側から熱く血が流れ、それを服が吸って気持ちが悪い。頭がぼうっとして、出血と共に感じる自分の鼓動に意識が集中する。

 向こうの攻撃は止んでいた。

 恐らく、私が動かなくなったのを見て反撃がないか様子を見ていた……そんなところだろう。

 もちろん、私が僅かにでも反撃の意思を見せれば容赦なくまた意識を飛ばされるだろうが。

 視界が霞む今の状態ではただ的にされるだけだ。

 もう普段通りの詠唱をしても術を使えるか怪しい。ラーヴァンを実体化させずに詠唱破棄して力を使う事も出来ないだろう。

 私は、負けた。

「振り、ではなく本当に気絶していた様だな。さてどうするか」

 私は痛みで動かせない身体の代わりに、口だけでも歪める。

「……好きに、したら。私はあんたになんて従わないけど」

 言ったそばから背中に鋭い痛みが走り、視界が半回転して、私は地面に叩きつけられた。

 痛みで思わず声が漏れる。

 こんなのを続けられたら、体も心ももたない。

「お前は道具だ。理解できないなら、思い出すまで体に刻むとしよう」

 正直、負けて私は何もかもどうでも良くなっていた。

 とはいえ私は剣士とかじゃないから、痛みにそこまで強い訳じゃない。

 こんな拷問まがいの事を延々続けられれば心が先に折れて、服従するしかないだろう。

 でも、誰かの道具にされるのはもう嫌だった。

 もう、戦う事にも殺すことにも疲れた。

 適当に逆らい続けて、限界になったら、

 

 

 最後の力を振り絞ってこの命を終わらせよう。

 後は、どうするのが一番痛くないか考えるだけで良い。

(ああ……つまんない人生だったな)

 対象が自分なら、深術を外すことはない。

 外の世界から得なければいけない情報が何も無くなったので、私は目を閉じた。

 バルロにまた岩を叩きつけられるかもしれないが。

 もう、どうでもいい。

 

 

 

 

 

 

「クロウ!」

 

 

 

 

 

 

 そんな私の閉じた世界を、聞こえるはずの無い声が引き裂いた。

 同時に、耳障りな岩と鉄のぶつかる様な音が聞こえ、一度に色んな事が起きた。

 私の横たわっている地面が隆起して襲い掛かってくるのを感じ、動かない私の体を誰かが持ち上げその攻撃から遠ざける。

 岩に足を取られて転びそうになったその誰かはそれでも足を動かし続け、落とさない様に私を強く抱き寄せた。

 

 ぼんやりしたまま目を開けて最初に目に入ってきたのは、私を飛んでくる術から守って傘で戦うジェイン・アキの後ろ姿。

 それから、すぐ間近にある真剣なエッジの顔。

 絶対二度と目にする事が無いと思っていた顔。

 山ほどの文句と、きちんとしたお別れと、他愛もない普通の話と……。

 もし会えたら言いたい事があった筈なのに、何も出てこなかった。

 代わりに反射的に出た言葉は、

「な……んで、馬鹿。何で、来た!」

 ここに居たらエッジも巻き込まれる。

 私がここで一人で死ねばそれで全部終わりだったのに、これではもう私が死んでもエッジは殺されてしまう。

 だというのに、こいつは焦りもしない。

「クロウ、ラーヴァンを出してくれ」

 こんな状況なのに、こいつは勝つつもりだ。

 しかし、今の自分の状態では――

「ごめん、今……普段の詠唱じゃ出せない。……普段は三節からだけど、一節からだから倍はかかる」

 その間私は防御も、攻撃も、移動すらできない。

 私が万全の状態でもできなかった事をエッジとアキだけで、お荷物の私を守りながらなんて……。

「時間を稼ぐ、俺を信じて唱えてくれ。他の事は何も考えなくて良い」

 私は驚いて目を大きく開く。

 そうしている間にも目の前でアキが、防ぎきれなかった術を回避する為に横に跳び、目標を捕らえ損ねた氷の刃は石畳に刺さって消える。

 エッジは両手に私を抱えて武器も構えられないまま、新たな術が飛んでこないか警戒する。

 猶予はなかった。

 出来るなんて信じてなかったけど、どうせ死ぬならやれるところまでやってやろう。

「分かった」

 私は頷き、体をエッジに預けて目を閉じた。

混沌(こんとん)より生まれし(ひな)(あか)き世界に()辺無(べな)し……」

 

「セルフィーを倒した訳では無いだろう。味方を捨ててここまで来たか」

 落ち着いて目の前に増えた敵を確認した老人は、自ら間合いを詰め手甲で攻撃してくる。

 その打撃をアキが傘で受け止め、鈍い金属音が響く。

 エッジとアキは相手をにらみ返した。

「……貴方を見てよく分かりました。クロウさんが私を恨むのも当然ですね」

「俺達は捨てない、誰一人」

 老人はつまらなそうに笑って、再び拳を打ち込みアキの防御を崩す。

 その一瞬の隙を突いて老人は更に間合いを詰め、傘による防御よりさらに内側へ『拳』を打ち込んだ。

「うっ!」

 頭を殴られ、アキが倒れこむ。

「判断に感情論を持ち込むな。貴様らはここで死ぬ」

 そう言って、老人はエッジを真っ直ぐに指差す。

「ジェイン・アキは無視して、その男を殺せ。死なない程度にクロウも巻き込んで詠唱を潰せ」

 言うなり、デルタレイの光線が飛んできてエッジの足を掠める。

 とっさの反応で直撃には至らなかったものの、それだけでもエッジはバランスを崩す。

落炎散華(らくえんさんか)!」

 そこへバルロの追撃をさせまいと炎を纏った傘による突きが襲い掛かり、老人は手甲を交差させて受け止める。

「まだ、私は倒れていませんよ!」

「裏切り者の相手は私一人で十分だ」

 老人はアキの攻撃を冷静に捌く。

 アキもそれに対して、普段滅多に人に対しては使わない炎を纏った状態で応戦する。

「されど瞳閉(ひとみと)ざし(うち)なる影に落ちるなら、生出(せいしゅつ)せし姿は一つ ……」

 どれだけ揺れが伝わろうが、クロウは詠唱を止めない。

 しかし、術を避けられたのはそのデルタレイが最後だった。

 立て続けに飛んでくる炎の弾に、避ける場所などどこにもない。

 エッジはクロウを地面に降ろし、心の中で謝った。

 

(ごめん、使わないつもりだったけど……借りるぞ、リョウカ!)

 本来自分のものではない武器でも、今は躊躇など出来る場面ではなかった。

 エッジはここまでに完了させていた初級術一回分の詠唱を、無理矢理中級クラスまで引き上げる。

 懐から取り出した『(よい)地衣(ちごろも)』を握りしめ、彼は襲い来る炎に向かって叫んだ。

「ガスティー、ネイル!」

 火球が次々に裂け、その跡が空中に長く、見えない爪痕を描く。

 極限まで圧縮した風の刃は単発だが吹き飛ばす力も、切り裂く破壊力も圧倒的だ。

(本当にすごい、完全に別な術も出せるのか)

 自分で詠唱していたウィンドカッターの何倍もの範囲に及ぶ攻撃に、エッジは改めてリョウカの武器の強力さを実感する。これなら、何とか凌ぎきれると彼が確信した瞬間。

 ――今までと異なる、突き上げる様な手振りでバルロが子供達に指示を出した。

 

 アキがはっ、と気付いた様に傘を後方に向け風のディープスに乗って上へ飛ぶ。

 エッジも背後に下ろしたクロウの真下に集まるディープスの気配に血の気が引く。

「……足元への警戒がなっていないな、本当に」

「ロックブレイク」

 深術士(セキュアラー)でないが故の反応の遅れか、アキは空中で隆起してくる岩に足を捉えられ転がる様に着地する。

 そして、身動きがとれず無防備な状態のクロウにも同じ術が発動する。

「詠唱が間に合わなくて残念だったな」

「ロックブレ――」

「はああああっ!」

 術の発動直前。

 限り無く実体に近いディープスの高まり、クロウを中心とするその渦の中にエッジは飛び込んだ。

 雷のディープスが開放された光が走り、岩は次々にエッジとクロウを避ける様に隆起する。

「何!?」

 ここで、初めてバルロは驚愕の表情を浮かべた。

 全ての深術は必ずディープスを指定の位置へ集める「集束」と、集めたディープスを実体に変換する「発動」のプロセスを経ている。

 理論上、その間の一瞬にディープスへの干渉が起これば「集束」された位置と「発動」する位置には、ずれが起こる。

 だが、それは狙って起こす様なものではない。

 早すぎればディープス開放程度の影響は集束に負けて意味を成さず、遅すぎても術が直撃する。

 何の躊躇いもなく瞬時にその選択肢に辿り着き、術の効果範囲の真っ只中に飛び込んだとしたらそれは正気の沙汰では無い。

 しかし、偶然ではなかった。

 深術の構成を理解していないなら、そもそもその行動があり得ない。

『この少年は、一瞬でもタイミングが前後すれば自殺になる事を承知で飛び込んだ』

 その事実がバルロに戦慄を抱かせた。

 

暗澹(あんたん)たる闇よ、我を導く翼となれ……」

 かすれ掛けた声に、ありったけの力を込めてクロウが叫ぶ。

「――ラーヴァン!!」

 夕日の赤い町並みを塗りつぶして、視界を埋め尽くすような闇が降りる。

 立ち尽くす老人と子供達の間から、安堵の顔を浮かべるアキの周囲から、空から、道から、影から、闇が一箇所を目掛けて流れ込む。

 その中心に居たエッジとクロウは見る間に包まれ、姿が見えなくなる。

 その間にも妨害の術が飛ぶが、二人を包む黒い繭に全て弾き返される。

 周囲の闇が晴れた時、それは一羽の巨鳥の姿を成していた。

 今戦場になっていた範囲全てに影を落とし、人の拳ほどの大きさの眼が鋭くバルロ達を睨む。

 クロウはそれを成し遂げられた事が信じられなくて、口許を皮肉げに歪めて荒い呼吸で微笑んだ。

「……本当に、どこまで馬鹿なのよ。私が勝てると疑いもしないなんて」

 その背の上、広がる黒い翼に切り取られた二人だけの夕日の中に、エッジとクロウは並んでいた。


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