TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
私はあれからも当たり前の様に、孤児院の一員として暮らしていた。大した変化もなく、誰とも会話しない様になるべく一人で。
変化といえばチリアに話しかけられるのを段々煩わしく感じる自分が居た。
前はそんな事を感じなかったのに、今は一人で居たかった。一人が良かった。
だから、周りの事なんて全部無視してるつもりだったのだが 、気が付くと私はその異変に立ち止まっていた。
「まだ二人が帰ってきてない?本当に、どこにもいないのかい?」
たまたま、部屋から出た時チリアの珍しい焦った声が聞こえた。
もうすぐ夕飯になる時間。一番年長の子供達が用事で遠出でもしていなければ、まず全員揃う時間だ。
それでもまだ帰らない子供がいるらしく、チリアが外から帰ってきた子供を集めていた。
夕飯の準備中だったらしく、彼女は片手におたまを持ったままだ。
「ラムが知らない子供と一緒に居るの見たって言ってた」
知らない子供。
その言葉は私の中で嫌な予感を膨らませた。
「これ以上遅くなったら暗くなる。私が探しに行くよ」
チリアは今にも飛び出しそうな勢いだ。
「待って」
私は周りが見えていない彼女を呼び止めた。
「クロウ?」
私が出てくるとは誰も思っていなかったのだろう。彼女は目を丸くし、他の子供は怖がって一歩下がる。
「これ以上帰ってこないなら、私が探しにいく。チリアは夕飯の支度があるでしょう」
「あんたはこの街に詳しくないだろう?それに、あんたも女の子だ。暗い時間に外を歩かせる訳にはいかないよ」
引き下がったって良い場面なのに、私は引かなかった。
「私の心配なら要らない、大丈夫だから」
それでも、チリアは納得しない。
そこへ、だれかが玄関の方を振り返って声をあげた。
全員がそっちを振り返る。
子供が一人帰ってきていた。
私には名前が分からないが、朝食の席で見た事があるような気がする。
元気のある男の子だった気がするが、今はその顔が恐怖で青ざめている。
「何があったんだい?」
異常を察したチリアは慎重に、優しく少年の前にしゃがんで尋ねる。
「……『クロウを街の東に連れて来い』」
まるでその言葉だけ刻み付けられて再生するように、感情の無い声で少年は言った。
その言葉で、私は何があったか理解し、そして孤児院を飛び出した。
背中からチリアの叫びが聞こえたが、立ち止まらなかった。
外に出るのはクリフに連れてこられた日以来だ。当然、街の様子なんてほとんど分からない。
それでも、沈みかけた夕日の方向で方角は分かる。
夕日を背にして、私はまっすぐ走った。
自分でも驚いている、何でこんな事をするのか。
でも、そんな疑問をきちんと考える気にもならない程、私の頭の中は怒りに染まっていた。
「う……ハァ……ハァ」
ろくに運動もしていない体はあっさり音を上げる。息が上がって、とても全力では走り続けられない。
ラーヴァンを実体化させる事も頭に浮かんだが、その考えをすぐに振り払う。
街中であんな術を使うわけにはいかない。
歩いては走ってを繰り返し、何とか走りながら街の東門にたどり着いた。
そこには本来居るはずの門番はおらず、十数人以上のスプラウツの子供を従え、《厳岩のバルロ》が立っていた。
「人質なんて、随分汚い手を使う様になったわね、バルロ!」
バルロは怒るでもなく、理解できないという表情で私を見る。
「……何故来た?」
ここに至ってそんな発言をする相手に、私は拳を強く握り締める。
「はあ?自分で呼び出しておいて今更何言ってるわけ」
目の前の老人は憐れむように静かに私を見た。
「ああ、伝言はした。だがあくまで揺さぶりをかけるのが目的だ。お前なら当然、『東を避けて逃げる』だろうと見張りをつけていた……不要になったがな 」
老人の言葉には明らかに失望が伺える。
自分の中の何かが醒めていくのを感じた。
私は今、以前の自分なら絶対しなかったようなミスをしてしまっている。
「人質は、放しなさいよ」
知らず、声が震えた。
老人はため息をつく。
「元よりそのつもりだ、誘拐事件として騒ぎになっては困る。無事に離せば子供の戯言、証拠も無く耳を貸すものなど居ない」
何の興味もなく、バルロはあっさり孤児院の子を解放する。
解放された少年は道に崩れる様に転んだ。
何かにつまずいた訳ではなく、明らかに恐怖からだった。
その様子だけで何をされたかは大体想像がつく。
「相変わらず子供を何とも思っていないのね」
「静かにしてもらっていただけだ、そう言うお前は随分腑抜けた。まあいい、それでもお前の力には十分利用価値がある」
当然の様に私を連れ戻せるつもりで居る事に私は腹が立った。
確かに私は前より弱くなったかもしれない、けれどそれでも術士としてのプライドがある。
単純な術の威力や速度でなら、スプラウツの誰にも負けない。
それは同じセブンクローバーズが相手でもだ。
孤児院の子が去ったのを確認して、バルロを改めて睨む。
「二十対一ってとこか……そういえば、直接戦った事は無かったわね。あんたが欲しがった力がどれだけのものか確かめてみなよ!」
最初から全開でいかなければ勝てない相手だ。
私は後ろに一歩跳び、ラーヴァンを呼び出す詠唱を開始する。
「
お互いの手の内は分かっていた。
バルロは離れた位置を直接殴る特殊な手甲を使っている。
拳を握った瞬間に決まった間合いにごく少量の地のディープスを集束させ、腕の動きに連動して打撃を繰り出す。
たった一つの機能のみに限定する事で完全に詠唱を無くした深術武器だ。
が、その為本来詠唱によってその都度調整する間合いも効果範囲も完全に固定されている。
今の私の位置には届かない。
バルロの周囲を守る子供達も私を妨害しようと次々に詠唱を開始するが、間に合うはずも無い。
「ストーンザッパー」
「くっ!」
それを、老人は焦る事もなく詠唱を破棄した初級術で妨害してきた。
礫岩が放物線を描いて上空から迫り、私は回避せざるを得なくなる。
恐ろしい反応と、判断の早さだ。
向こうも私の詠唱時間と、選択肢を完全に理解している。
一瞬の攻防で出来た隙を突き、子供の一人が詠唱を完了させ術を撃ってきた。
「ストーンザッパー」
バルロと同じ術だが、同じ威力を出すのに倍以上時間がかかっている。
私はラーヴァンを実体化させるのを止め、自分の内側に意識を集中する。実体化させなくても力は使えるのだ。
「ブラッディランス」
私の背丈と同等の黒い槍を打ち出し、上から迫る岩を破砕する。
「ふん……」
そのまま放物線を描き、自らの頭上へと迫る一撃を煩わしそうにバルロは殴った。
当然ラーヴァンの力を借りた私の術と、下級以下の深術武器では威力が全く違う。
ほとんど軌道を変えずに槍は落下したが、その僅かな衝撃で生まれたズレと反動を利用して老人は槍を躱す。
「術が当たったか確認するのは大切だが、その間動きを止めてはならんと教えた筈だ」
これは一対一の戦いではない。
槍の行方に無意識に気が向いて足を止めた私に、バルロの取り巻きの子供達の集中砲火が飛んでくる。
「アクアエッジ」
「ファイアボール」
「ストーンザッパー」
「デルタレイ」
水の刃に、火球に、
術としての威力なら最低クラスだが、これだけ集まればバラバラな分下手な中級深術より厄介だ。
「イレイズブリリアンス!」
一つ一つなら目に見えない程小さな黒い点、それを無数に自分の前面に生み出す。
数千にも上る数のそれらは肉眼でも見るのがやっとだったが、攻撃として放たれた瞬間景色を切り裂く線へと変わる。
術の威力としては中級程度、いや建物などの物体を壊そうとすればそれ以下の威力しか出ない術だ。
しかし、人間はそんなに丈夫ではない。
その細い線が一本でも急所を貫けば致命傷になる。 威力の弱い術は無数の穴が開けば霧散する。
これは対術士用の深術だ。
向こうが撃ってきた下級の術は全て私の術に貫かれて消える。
こちらの『線』も大分数が減ったが、敵の子供を三人倒すには十分だった。
残りはバルロが岩の壁で守った為倒せない。
間に合わないと判断した子供の前には、バルロは初めから壁を張らなかった。
(本当に、人の命を何とも……)
怒りがこみ上げる。
同時に胸が苦しくなる。
そう思いながら平然と子供達の命を奪う自分は何だ。
今まで私が当たり前みたいにやってきた事は……。
「これで、今度は邪魔できないでしょう 」
バルロが岩の壁を解除する前に、私も右手を振って頭上に闇のディープスを放つ。
一分一秒を争う状態だったので靄とも壁とも言えない中途半端な密度の物になったが、下級術一回位は防げるはずだ。
「
私は再びラーヴァンを呼び出す詠唱をする。
今度はもう邪魔できない。
岩の壁で視界を塞がれている分、向こうは対応が遅れる。
詠唱に入ってからまだ術を撃ってこない子供達も、私の詠唱時間内にこのタイミングで二発以上術を撃って妨害できる可能性は低い。
仮に撃ってきたとしても、そもそも術が私の元に届く前にラーヴァンを出してしまえば関係ない。
今度こそ詰めを確信した瞬間、私は自分の足元に集まるディープスを感じた。
(足元……!?)
私は急いで詠唱を中断して横に跳ぶ。
「ロックブレイク」
直後に子供の声がして、私が今居た場所から人の背丈ほどの岩が立て続けに隆起する。
まともに食らえばそれで勝負がついていたに違いない。
普通、術士同士の戦いで相手の足元を狙うなど下策も良い所だ。
詠唱の段階でディープスを発動場所に集めるが、 ディープスの変化に敏感な術士は自分の間近に集まるそれにすぐ気付く。
当然の様に発動前に移動されて、簡単に回避される。
つまり詠唱時間を要するにも拘らず、まず当たらないのだ。
だから、基本的に
その思い込みが、私の思考から「足元を直接狙ってくる」という可能性を消していた。
しかし、そんなのはあくまで一対一のセオリーだ。
向こうは一人の詠唱時間を無駄にしたところで、数の利でいくらでもカバーが利く。
足元からの攻撃に対して壁は張れず、こちらは避けるしかない。
初めから術で詠唱を潰すのが目的なら、この方法は理に適っている。
「ロックブレイク」
別な子供の声と共に再び足元に集まるディープスを感じ、私はまた走って避ける。
避けた側から第二、第三の術が飛んでくるので私は方向転換しながら走り続ける事を余儀なくされる。
とてもラーヴァンを呼び出す詠唱など出来ない。
ロックブレイクは詠唱に時間のかかる中級深術だ。
バルロは初級深術を使わせる子供を前列に、中級クラスは後方に配置してずっと準備させていたらしい。
「ロックブレイク」
「くっ!」
遂にはバルロまでもが同じ術で攻撃してきた。
時間差で次々に私を攻撃し、詠唱時間の隙を数の差で埋める事で延々と同じ術による攻撃をループさせる。
私の行く先が、直前まで立っていた地面が、次々振動と共に牙剥く岩塊に変わる。
初めからこれが狙いだったようだ。
瞬く間に石畳の街路は、戦争後の荒地の様な状態に変わる。
このままではまずい。
「ブラッディランス!」
先程と同じ大型の槍を、今度は最短距離で一直線に飛ばす。
風を切る音が、打ち出した側の私の耳まで届く。
こんな単純な攻撃はいくら速くてもバルロには簡単に避けられるだろう。
だが、詠唱を続ける子供達は別だ。
絶叫が響き渡る。
胸を貫かれた子供達が次々に倒れ、 同時にまるで私の右腕がその子供達を貫いた様な嫌な感覚が唐突に走る。
倒れ行く子供の絶望した顔と目が合い、私は、
私は……
バルロが大きくため息を吐くの聞いた。
(しまっ――)
足元から迫るディープスの高まりに総毛立ち、私は両手で身体をかばった。
どうしようもない衝撃が私を跳ね飛ばす。
厳しき岩の慈悲など何も無い一撃。
術の守りを持たない私の軽い体重など、羽根も同然だった。
意識だけは妙にはっきりしたまま、ただ客観的に宙から地面を見つめ、
再び岩が私を受け止めようとしているのを見たところで私の意識は飛んだ。