TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第三十九話 日常という異常

 私はチリアに与えられた一人部屋で生活をしながら、静かに毎日を過ごしていた。

 何となくは分かっていたが、ここは孤児院の様な所らしい。

 正真正銘、子供たちを育てるだけの施設らしく、私は当たり前の様に自由を与えられていた。

 無理矢理、誘拐されてきた事も、ひどい扱いも全てが嘘の様だ。

 流石に監視すらされていないと考える程私はお人よしではなかったが、そんな事はどうでも良かった。

 

 クリフが出て行ってもう一週間以上になる。

 何の報せもなく、あいつも戻ってこない。

 ずっとあいつの事ばかり考えていたわけではないが新しく与えられた環境、何もする事が無い環境に戸惑っているとついクリフの事を思い出してしまう。

 

 もっとも、厳密に言えば『する事がない』というのは間違いかもしれない、私の他の小さい住人達は朝から忙しなく動いている。

 まず、朝起きて洗面所を奪い合うようにして顔を洗い、洗濯物をかごに押し込む。終わったものから次々に食卓につき、パンにかぶりつき、牛乳を飲む。

 そして、食事を終えた者から自身の部屋に戻るなり、外に遊びに行くなり思い思いに散っていく。

 そんな戦場の様な朝の中心にいて、仕切っているのはチリア。

 顔を洗う手順を飛ばしたものは容赦なく彼女の手で食卓から弾き出され、洗面所に戻される。

 皿を置きっぱなしにして、どこかへ去ってしまった者にも怒声が飛ぶ。

 彼女の澄んだ鐘の様な大声は、騒がしい子供達の中にあってもよく響く。

 チリアは外に遊びに行く子供たちからは必ず行き先と、帰る時間を聞いていた。

 

 聞きそびれた場合は年長の子に追わせ、帰ってきたときに雷を落とす。

 そういうのを何度も繰り返すうちに子供たちは自分から行く先を告げるようになり、年長になる程他の子供の面倒をみる様になっていく。

 

 ……よく出来た管理体制だと関心しながら、人気の無くなった洗面所からそんな光景を横目で見つつ顔を洗うのが私の日課だ。

 出来れば食事も一人でしたかったが、長々食べている子供がいつも数人居るので食事の時はそいつらと一緒だった。

 閉じ込められている訳でもないのに、自分だけ特別扱いして部屋まで運んできて貰う訳にもいかない。

 幸い、一番混む時間さえ避ければ、離れて座るのは容易い程度には食堂は広かった。

 

 一定の間隔で置かれた円形の木のテーブルの一つに座って、今日も一人で黙って朝食をとる。

 他に残っている子供は二人。

 一人はいつもやたら散らかして食べる少年で、パン一つでも他の子の数倍のカスを散らかしてやたら時間をかけて食べる。

 もう一人は静かな女の子で、こっちはあまり見ないのだが今日は何故かまだ残っている。

 チリアも私が自分の皿を受け取るまでは居たが、散らかしている少年を注意すると洗濯しに去っていった。

 

 誰がいるかだけ軽く確認した後は特に興味もなく、私は自分の皿だけを見た。

 とにかくさっさと部屋に戻りたいので、皿のベーコンサンドイッチと卵と牛乳とほうれん草のソテーを順に片付ける。

 料理自体は美味しいと思う。

 私たち……エッジやアキや自分はあまり料理が上手くなかったので、嬉しかった。

(まあ、クリフが作った時だけはマシだったけど)

 こんな時でも、思い出させるなんて心底イラつく奴だ。

 もっとも、もう死んでしまったかもしれないが。

 

 食べ終えた皿をもって席を立ち、洗い場に向かう。

 と、さっきの女の子がまだ座ったままな事に気付く。

 そこの下品な子供みたいに食べ続けているならまだしも、こっちは座ったまま皿を見つめて立とうとしない。

「何でまだ座ってるの」

 私に話しかけられて、目の前の女の子は身を震わせて怯える。

 そして、目も合わせないまま小声で呟く様に答える。

「……ほうれん草」

 見れば、その野菜だけ皿に残っている。

 その答えの意味がよく分からず、彼女の皿に手を伸ばす。

「食べないなら捨てるから、貸して。それも一緒に洗う」

 私の行動に焦った様にいきなり顔を上げる。

「食べないと怒られる」

 なら、と私は皿を進める。

「じゃあ、食べて」

 そこで再び、その少女は先ほどまでと同じように固まってしまう。

「何、食べられないの?」

「食べられ、なくはない」

「じゃあ、食べて」

 再び進めると、少女は泣きそうな顔でほうれん草をにらみ付けた後、それを口に入れた。

「時間かけても状況は変わらないんだから、次からさっさと食べちゃいなさい」

 少女が涙目で頷いたの確認して私はその皿もすぐに回収し、洗い場を見てため息をついた。

 

「悪いねクロウ、助かるよ」

「何が?」

「そうして皿を洗ってくれる事がさ」

 言われながら、私は汚れを落とした皿をまた一枚笊にあげる。

 洗い場に置いただけで去っていく子供がたくさん居たので、皿が山積みになっていたのだ。

「毎日同じ皿を使ってるでしょう、明日この汚れた皿が自分のところに回ってくるなんて嫌だから……全部人任せなんて、みんな危機意識が無さ過ぎるよ」

 私の返答の何がお気に召したのか、チリアはおかしそうに笑う。

「危機意識、とはまた随分極端な言葉を使うね。皿洗わなかった位で死なないよ」

「食器の洗浄をあまりに疎かにしたら病気になったり命に関わることだってあるよ。旅をしている時だったりすれば尚更」

 チリアは優しく微笑む。

「ここでそこまで汚れを放置しておく事なんて無いから、そこまで心配しなくても大丈夫だよ」

 私は納得いかなくて、ついムキになった。

「それはチリアが洗っているからでしょう?」

「それは、まあ……そうだねえ」

 苦笑しながらも今度は認める。

 子供の仕事を押し付けられて嫌じゃないんだろうか。

「面倒だって思わないの?」

 私が先に洗った皿を布巾で拭きながら、チリアは答えた。

「面倒だよ、皿洗いも、洗濯も、買い物も、掃除も何もかもね。生きていくのに楽な事なんてそうそう無いさ」

 それはそうかもしれないが……子供たちの分までやってやる説明にはなっていない。

「だから、何人分でも変わりないって事?」

 チリアは先生が生徒に教えるときの様にゆっくり首を横に振ってみせる。

「違うよ、いきなり子供が全部やるには面倒すぎるから、出来る様になるまではあたしがやるのさ」

 よく意味が分からない。

「それでも、チリアがやる必要なんてないんじゃないの?親でも無いのに」

「親でなくても、そうやって育ててくれる誰かはどの子にだって必要なんだよ。それが普通は親だっていうだけでね。それに」

 胸を張ってチリアは私に念を押した。

「私はここにいる皆の母親だよ」

「そう……」

 冗談なのか、本気なのか、どんな反応を返していいのか分からなかった。

 ちょうど皿洗いも終わったので、私は逃げた。

 ただ、チリアの言葉一つ一つに胸がざわついた。

 

 ―――――――――――

 

 二階の部屋に戻り、後ろ手にドアを閉めてため息をつくと廊下からどたどた慌てて走る様な音がした。

 別に子供の走る音などここでは珍しくも無いのだが、何か気になって今歩いてきたばかりの廊下を覗く。

 静まりかえって、誰もいない。

 ……いや、静か過ぎる。

 今残っている子供達は大体が部屋で遊んでいる筈だし、走って外に向かったにしては玄関の音もしない。

 それに、何より私が部屋に戻ったことで慌てて逃げた様に感じた。

 怖がられているのは自覚しているし構わないが、部屋や私を調べている何者かがいるなら知っておかなければならない。

 手っ取り早く闇のディープスを建物中に撒いて調べる手もあるが、私は足を使って調べることにした。

 

 一応、不要とは思いつつも曲がり角を警戒しながら辺りを捜索すると、探していた相手はすぐ近くにいた。

 二階の廊下の端に、うずくまって震えている少年がいる。

 何故逃げ場のない二階の行き止まりになど逃げたのだろう、と愚かさに呆れかけ、思い直した。

 ――これは、戦うことしか考えていない人間の感覚だ。そこから外れているからといって、間違いだと否定する権利なんてない。

 エッジが、時間をかけてそれを教えてくれたから。

「どうして逃げたの?」

 厳しい言い方をしないようにしようとは思ったが、優しい言い方も分からず、結局冷たい言い方にしかならない。

 相手はますます震え、両手で必死に頭を抱えて小さく縮こまった。

 そこで、ふと気付いた。

 少年の右腕には傷がある。

 鋭利な刃物で切り裂かれた様な、時間が経ってもはっきり分かる様な傷が。

 それには見覚えがあった。

 

「術を覚えなければ、戦わなくて良いなんて思ってないわよね?覚えないなんて選択肢はないわよ」

 

「素質がある人間しか集められないんだから」

 

「さあ、痛いのが嫌なら。言う事を聞きなさい」

 

 ……思い出す事さえなかった記憶が浮かんできた。

 きっと、それだけ自分はどうでも良いと思っていたに違いない。

 

 その傷を付けたのは私だ。

 

 殺しでないならどうでもいいと思っていた。

 術をきちんと使えない子供ならどの道生きていく事さえ許されないのだから。

 結局のところ痛みで教えなければ、その子が死ぬ。

 

 それが人の死を目の当たりにし続け、生き死にだけを基準にした私の「道徳観」だった。

 

 そんな考え方で、良心の呵責すらなく彼を傷を付けたのは自分。

 怯えられるのは当然だ。

 命からがら、逃げてきた思い出したくも無いであろう悪夢が目の前に現れたのだから。

 

「『黒翼(こくよく)』……か。つまらない名前」

 未練も何もなかったけど、今更ながら管理者としてセブンクローバーズの自分に与えられていた名前を思い出す。

 私が何の興味も無い立場でも、この少年にとっては私は未だにセブンクローバーズの一人なのだ。

 

 少年は私の呟きなど耳に入らないようだった。

 いや、きっと何を言っても耳に入らないだろう。

 離れることしか、私に出来る事はない。

「……次から行き止まりじゃない方へ逃げなさい。でないと私に捕まるわよ」

 反応はない。

 私が居る限り、この子が立ち上がる事はないだろう。

 私はそれ以上その子に干渉せず、来た道を戻って、自分の部屋の戸をそっと扉を閉めた。

 

 気が付くと私は虚空を見つめたまま、ただ立ち尽くしていた。

 

 何が助かるっていうの?チリア

 

 私なんか居ない方が良い

 

 置いておく価値なんてない

 

 最後の最後に私をこんなところに連れてくる為だけに努力してたなんて

 

 やっぱりあんたは馬鹿だよ、クリフ

 

「私、やっぱり化け物だよ……ねえ、ラーヴァン」

 自分の影を見つめて、右肩を抱いて私は一人で笑った。


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