TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「さて、僕は少し先にいくよ。また後でね」
「クリフさんから話を聞かないと行く先も定まらないのに、そんなに一人になりたいのかな」
まるでリョウカの事もクリフとの戦いも無かったかの様に、誰の返事も聞かずにラークは消えた。
まだ戸惑いながらもリアトリスは、ラークの居なくなった方向に向かってそう呟く。
「……ありがとうございます、皆さん」
気兼ねする相手がいなくなった事で緊張の糸が切れたのか、小さな声でアキはエッジ達みんなに礼を言った。
「私は聞かれたことに、思った通りの答えを返しただけだから」
リアトリスは笑って言った。
ラークが平時浮かべているものとは違う、暖かい笑みで。
「礼なんて良いって」
敗北したばかりのクリフもアキ同様あまり元気が無かったが、一応そう返した。
それからアキはエッジに向き直って、改めて頭を深く下げた。
「私は、エッジさんに嫌われて当然の人間です。……一度ならず二度まで裏切って、逃げた。その上で助けてくれたエッジさんにはどんな感謝をしてもし足りません、ありがとうございます」
その謝罪を聞いてリアトリスは目を伏せて沈黙を守った。
エッジは言葉が出なかった。
恐らく海上都市での行動はアキの意思など全く無いラークの独断だったのだろうと彼も気付いていた。
けれど、誰よりそれを後ろめたく思って自分を責めていたのはアキだったのかもしれない。
「謝らなくていいよ、俺も今の今まで正直に言えばどこかアキ達を信じられない気持ちがあった。多分怖かったんだな、本当にアキやリアトリスに裏切られるのが。アキはこうして俺を信じて、頼ってくれたのに」
口にだしてみたら、本当に情けない理由。
何て馬鹿だったんだろうとエッジは自分を殴りたくなった。
「だから、アキが謝る事なんてないよ。ありがとう、俺を信じてくれて」
アキは目を丸くして言葉をなくすと、どう反応して良いか分からない様子で後ろを向いてしまった。
「エッジ、私も……謝らないと」
「いいよ、リアの事も俺は信じてるから」
リアトリスはまだ謝りたそうな顔をしていたが、エッジは聞かなかった。
「……ありがとう、エッジ」
正直に言えばエッジは自分でも少し照れ臭かったので、それ以上会話を続けられなかった。
―――――――――――
王国騎士団第三師団長、ブレイド・アズライトは完全に孤立していた。
王都を大混乱に陥れた元凶を一度は捕らえておきながら、それを実の弟だという理由で逃した。
――それが彼に対するシントリア全体の評価であり、ブレイドはそれに言い訳一つしなかった。
そこへブレイドを師団長へと推したジェイン・リュウゲンを快く思わない者達の思惑と、異例の若さで師団長であった事への不審が重なり、彼は牢へ繋がれていた。
本来なら騎士団の人間が外部の人間達に裁かれる等と言う事は無い。
しかし、王城襲撃が行われた日の黒い霧はあまりに広範囲であった為、普段陰謀論など相手にしない市民達も一連の事件に関しては危機感をもっていた。それゆえ世論はブレイド・アズライトが師団長の地位を維持し続ける事を良しとしなかった。
そんな理不尽な扱いの中にあってもブレイドは部下達に「誰が次の師団長になっても従うように」とだけ伝え、黙って全てを甘受していた。
ブレイドはこの扱いを覚悟していた。
そして、理解もしていた。
どれだけの誹謗中傷を受けようが、王を襲撃した犯人の仲間とみなされようが、これは序の口に過ぎないのだと。
エッジ本人が捕まっていたなら、この程度の扱いでは済まなかった。
だから、それを助けようと考えた時点でこの結末は当然覚悟しておくべきものだったのだ。
そんな彼の元に、隻眼の男ジェイン・リュウゲンが現れた。
「失敗したか、お前の私や国への忠誠も所詮価値としては弟以下という事か」
「足りなかったのは私の力です。その様な事は決してありません」
その言葉を、リュウゲンは否定も肯定もしなかった。
ただ、形式的に交わす事を決めていたかの様に。
「誓えるか」
迷いなど無く、ブレイドは答える。
「我が魂に誓って」
その言葉にリュウゲンは胸を打たれる様子も無く、淡々と受け答えを続けた。
「では、出してやる」
その言葉にブレイドは困惑する。
「私にどんな覚悟があろうと、誰も納得しないでしょう。いくら貴方でも私を独断で解放することなど……」
「納得させる。その代わり、お前という人間には死んでもらうぞ」
その意味を理解する事は出来なかったが、揺れる事ないリュウゲンの瞳を信頼と受け取り、ブレイドは疑問をはさむ事無く頷いた。
―――――――――――
「負けたんだな、俺は」
「……うん」
クロウが居るという首都ウォーギルントの場所を教えて貰って道もはっきりし、落ち着いたところでクリフはポツリと呟いた。
確認する様に言われたので、エッジもつい否定する事が出来ず頷いてしまう。
「俺、こう見えても仲間の中じゃ一番強いんだぜ?だから、敵討ちするなら俺しか居なかった。でも……駄目だった」
クリフは自嘲する様に笑う。
「全力なのに通じもしなかった。あげく情けをかけられて、結局こうして敵の案内までしてる。馬鹿だな、クロウに怒られるのも当然だ」
滅多に弱音など口にしなかったクリフだったが、一つこぼすと堰を切ったようにとめどなく言葉があふれてきた。それなのに彼は笑う。
それがエッジは余りにいたたまれなかった。
「違う、勝負の決着が全てだったのに俺がわがままで割って入ったんだ。ラークに協力させたのは俺だから、それにまでクリフが後ろめたさを感じる事なんてない」
「いや、エッジは助けてくれたんだ。結局のところ、エッジが居てくれなかったらそれこそ正真正銘の無駄死にだった」
「それは……」
今度は否定できなかった。
実際、エッジもここでクリフに死んで欲しくなかった。
「ありがとな、助けてくれて。こんな大馬鹿を」
「俺はそんな風に感謝される様な人間じゃない。ただ、皆から離れて、やりたい事に気付いたんだ。その一つがクリフを死なせない事だっただけで……自分の為だよ」
一瞬その答えにクリフは目を丸くしたが、それから心底おかしそうに大笑いした。
「――はははは!それが本当なら、お前すげぇよ、エッジ」
「え……何が?」
エッジには何が何だか分からなかった。
分からないといえば、後ろからぶつかってきた柔らかいものが何かも彼には分からない。
と、思うなりいきなり耳元でリアトリスの声がして、エッジはどきりとした。
「良かった、本当に仲が良いんだね二人とも。クリフさんってもうちょっと怖い人かと思っちゃった」
「リ、リア!いきなりなんでくっついて来るんだよ!」
エッジは慌てて抗議するが、リアトリスは聞こえていないかのように嬉しそうに彼の首に腕を回したまま離れない。
元々彼女は幼馴染であるエッジとの間に距離を作らない方だったが、一度彼の死を覚悟していたせいか再会で一時的に嬉しさが頂点になっている様だった。
「そんなことはねえ……と思うぜ、自分で言うのもあれだけどよ。さっきは悪かった、回復までしてもらったのにろくに礼も言えなくて」
「そんなのいいですよ。ラークがあんな事した状況じゃ信頼してっていう方が難しかったし」
真剣な表情で謝るクリフ。
彼女の方も、クリフがそれ程怖い相手ではないと分かったので気にしていないようだ。
「それにしても仲良いんだな。恋人か?エッジ」
その流れのままに真顔でふとそんな事を言われ、エッジは一瞬頭の中が真っ白になった。
「ち、違うって!どっちかっていうと……ええと」
エッジはとっさに言葉が出て来ずに、自分とリアトリスの様な関係を何と言うんだったかと混乱する。
そんな彼を他所に、くっついたままのリアトリスは慌てる様子もなくうーん、と悩む。
「どっちかっていうと
「へえ、そんな関係だったのか」
リアトリスの口からブレイドの名前が出てエッジは、はっとする。
「覚えてるのか?ブレイドの事も」
え?、と不思議そうな顔でリアトリスは首をかしげる。
「もちろん!三人で毎日森に入って遊んだからね、危ないこともたくさんあったけど。崖から落ちそうになったり、森の深いところを探検して怒られたり」
そう言われてエッジもぼんやりと思い出す。
彼の忘れていた記憶はこういった拍子に少しずつ戻ってきていた。
「ああ……それは覚えてる。何でそんな森深くまで行ったのがばれたのか分からなくて、俺が慌てて謝ったんだよな。そしたら――」
「そうそう、服が破れてることを怒られてただけだったのに、勝手に危ないところに行った事までばらしちゃって余計怒られたんだよね。遊ぶのに夢中で服の事にも気付かないなんて、今思えばなんて間抜けだったんだろうね」
その時の事がよみがえって来てエッジは思わず顔が綻んだ。
それはリアトリスも同じな様で、二人はしばし顔を見合わせて笑った。
「ブレイドだけはエッジが口を滑らせる前に気付いてたから頭を抱えてたっけ。あの頃から一番しっかりしてたよね。まさか、騎士団に入って、あんなに偉くなるとは思ってなかったけど」
そう言われてエッジは兄の立場になって少し考えた。
再会した弟にあんな事を言われる気分はどんなものだろうかと。
(そうだ、 本当ならブレイドとは普通に再会を喜んで、祝いの言葉一つだって言って然るべきだったのに)
「……折角再会できたのに、俺ブレイドにひどいことしかしなかった」
「エッジ?」
彼の言った意味がよく分からなかったリアトリスは困惑した表情になる。
「母さんが死んだ時の事とか、ショックで俺色んな事忘れちゃってたみたいで、混乱して『兄なんかいない』って言っちゃったから」
リアトリスはそれを聞いて目を丸くしたが、エッジを責める様なことは一言も言わなかった。
「そういえばエッジ、私と再会した時も様子おかしかったもんね……そっか、ごめん、私こそ無神経だったよ。今の今まで気付きもしなかった」
うな垂れるリアトリスの様子がいたたまれなくなって、エッジは反射的にリアトリスから離れ彼女に正面から向き合って否定した。
「リアトリスが謝る事なんか何も無いよ。俺が弱かっただけだから」
彼の言葉にリアトリスは、首を横に振った。
「エッジは弱い訳じゃないよ。何でもそうやって抱え込むから限界が来ちゃうだけ。私より、ブレイドの方がそれは分かってるから、大丈夫」
「……そうかな?」
「そうだよ、二人ならきっとまた前みたいに仲の良い兄弟に戻れるよ」
エッジは今はとても、そんな風には思えなかった。
次に顔を合わせたとしても彼は退けない、兄も退かない。きっと、また戦いになるとエッジは確信していた。
それでも、リアトリスの言葉は彼にとってほんのわずかでも希望だった。
いつか、何もかもが無事に終わったならエッジも普通にブレイドと兄弟として居たかった。
ブレイドの事は答えが出なかったが、目指すべき進路は決まった。
(セオニアの首都ウォーギルント、そこにクロウが居る)