TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「はあ……はぁっ――『発』」
決め手を欠いたクリフは、二回目の擬似詠唱を完了させ体から純粋な力の奔流を放つ。
それは爆発に近かった。前回ラークを吹き飛ばし戦いを終わらせた技だ。
至近距離からのそれをかわす方法など存在しない。
「がはっ!?」
しかし、真横に向かって吹き飛んだのはクリフの方だった。
ラークはクリフが技を出そうとしたのを見るなり、背後の地面に自分の武器を突き立て、それを支えにして『発』の勢いを推進力に変えた強烈なカウンターの回し蹴りを放ってきたのだ。
まるで、初めから分かっていた様なその対応に反応することなど出来なかった。
「心外だね、他にも技はあるだろうに前回と同じ技でかかって来られるなんて」
「う……ぐ、あ」
自身のありったけの力を込めた一撃の力を側頭部に受け、クリフはまともに立ち上がることすら出来なかった。
「気の扱いに関しては君の方が上手だね、僕じゃ威力を緩和するので精一杯だ」
淡々と語りながら、ラークは地面から武器を引き抜き、倒れたクリフの元へと歩みを進める。
その動きに、ここまで黙ってみていたリアトリスが短い悲鳴を漏らす。
「君は戦うことには慣れてるけど、殺し合いはしたことが無いんだね。残念だよ、君ならきっと経験を積めば強くなれた」
剣を持ってクリフの足元までたどり着く。
「冗談じゃねえ……お前と同じ、人殺しになっていくなんてごめんだ」
「そう、でも殺意はあったね。君は生かしておくには危険すぎる」
ゆっくりと構えられた剣が、クリフの顔の上で停止する。
「最後に何か言い残すことは?」
「ねえよ……殺人鬼になんて」
侮蔑を込められた言葉にもラークは反応を示さない。
「分かった。じゃあ、お別れだ」
「ま、待って、待ってよラーク!」
突然かけられた声にラークは、首だけをリアトリスの方に向け尋ねる。
「何?」
静かだが、あまり長く待つつもりは無いとその瞳は告げていた。
「その人は仲間の仇を討とうとしてただけで……ラークの事は殺せない、って自分でも言ってたじゃない」
「慣れていないだけだよ、初めの一人が僕になってもおかしくはない。間違いで人を殺す可能性は誰にだってある」
リアトリスは首を横に振る。
「そんなの、誰でもじゃない。キリがないよ、殺す必要ない」
リアトリスの言葉に、ラークは残酷な問いで返す。
「ここで、殺さなかったせいでクロウを取り戻せなかったら?そうなったらどうなるか僕より、リアの方が想像できるんじゃないかな」
「それは……それは」
目の前で人が死にかけていたらそれを助ける。
遠くで人が死ぬ可能性があるなら、それを阻止しようとする。
しかし、命を天秤にかけどちらかを助けるとしたら選べない。
それがリアトリスだという事をラークは理解していた。
答えが返ってこない事で終わりだと判断したらしく、ラークは剣を振りかぶった。
「待て、ラーク!」
二度目の制止がかかり、ラークは再び剣を止める。
今度の声の主には流石の彼も少し驚いた様だった。
「エッジ?」
息を切らしながら、迫ってくるその姿はもう会う事は無いだろうと思っていた弟子そのものだったからだ。
傍らにはクリフの姿を見て真青な顔で去っていたジェイン・アキと何故かタリア・リョウカの姿まである。剣を止めるには十分だった。
「エッジ……無事で……?」
リアトリスは目の前で起きていることを忘れた位の驚きを表していた。アキはまだ油断できない状況にラークの剣から目を離すことが出来ず、リョウカはこの場にいる全員を観察し、傍観に徹している様だった。
「ラーク、殺すのを待ってくれ。クリフなら、俺達と協力できるかもしれない」
「事情はジェイン・アキから聞いたみたいだね。でも、どうしてそう思うのかな」
驚いたのは一瞬だけ、ラークはすぐにさっきまでの無表情な笑顔に戻る。
「クリフはクロウを道具にする様な扱いを黙って見過ごす人間じゃない。クロウを助ける目的はきっと同じはずだ」
しばし、沈黙。
エッジが本気か品定めする様に、ラークはエッジの瞳を見つめたまま黙る。
が、ラークが次に口を開く前にクリフがその考えを否定した。
「……悪い、エッジ。俺を助けようとしてくれるのはありがてえけど、それは無理だ」
エッジは驚いて一歩前に出、音を立てて剣を構えなおすことでラークがその動きを制した。
「俺もクロウを助けてやりたい、それは事実だ。けどな、それはあいつを戦いの道具なんかにさせない為だ。こんな命すら道具みたいに扱う様な人間には渡せねえ。こいつにクロウの居場所を知らせる位ならここで死んだ方がましだ」
「どうあっても協力するつもりはないか、やっぱりダメみたいだね」
エッジは、首を振って大声で二人を否定する。
「何でそうなるんだよ!二人とも同じ様にクロウを助ける為にここまでやってきたのに、何でそんな簡単に命を諦められるんだよ!」
「同じじゃないよ。僕が動くのは強大な力を人間に渡さない為、彼が動くのはクロウ個人の為だ。そもそもの目的が反するんだよ僕達は」
ラークの瞳は揺らがない。
ただ柔らかく細められたままだ。
エッジは、その目は何も映していない様な気がして背筋が凍った。
「誰のためなんだよ、それは」
「皆の為だよ、この世界の皆だ」
とても真っ当な理由だった。
実際、多分正しいのだろう。でも、エッジには何かが引っかかった。
「それは……『ラークの思い描く誰のためでも無い』って事だろ?」
初めて、ラークの表情が変わった。
ようやく大事な事だと気付いたかの様に真剣に。
「それはおかしいと思う。そんな理由で人を殺すなら、それは誰のためでもない。ただ、人を殺すために殺してるのと変わらない!」
「僕が、ただの人殺しだと……そう言いたいんだね」
ラークにしては珍しく、感情がにじんだ言い方だった。
そのまま怒りに任せて剣を振り下ろしてしまうのではないかと思うくらい。
構えられた剣は動かない。振りかぶられる事もなく、クリフの首に迫る事もない。
そして、ラークは剣を収めた。
リアトリスが信じられない様子で声をかける。
「ラーク、良いの?」
「……そこまで言うのなら、見てみるよ。このままの行く末を。本当にここで彼を殺す必要がないかどうかをね」
ゆっくりと、クリフのもとから後ずさりして離れるラーク。
全員が動くのをしばしためらい、それからリアトリスとエッジが駆け寄った。
「大丈夫ですか?見える範囲の傷は治しますけど、目まいはすぐには引きませんからじっとして下さい」
「……」
自分を治そうとするリアトリスと目も合わせようとせず、クリフは口を開かない。
「ごめん、俺がもう少し早く来ていればあるいは」
その言葉をクリフは遮る。
「エッジが謝る事じゃねえよ。そもそも俺が……くそっ」
言いかけた言葉は誰も追及しなかった。
代わりに、今までずっと状況を静観していたリョウカが口を開く。
「いきなり出てきて邪魔をするようで悪いんだけど、それで結局誰と誰が一緒に行くことになったのかしら?」
穏やかな言い方をしていたが、長く一緒にいたエッジには苛立っている事が分かった。
その質問に対して、ラークが厳しい目を向ける。
「その通りだね、確かに今後の事ははっきりさせないといけない。けれどタリア・リョウカ、それはそもそも君が何故こんなところにいるか分かってからだ。シントリアの貴族の娘はみんな放浪癖持ちなのかな」
「あら、名乗ってもいないのによくご存知ね。一目で分かるってことは中央大陸出身かしら。それともシントリアの騎士のお友達?」
ラークの笑顔の皮肉に対して、リョウカも試すように問いで返す。
「自覚の無い有名人は困るね、今挙げた人間以外にも君の事を知っている人間は大勢いるよ。散歩にしては遠出が過ぎるって事もね」
ラークとリョウカ、お互い歩みよる様子は微塵も感じられない。
が、次に来る展開を予期してかアキは安堵していた表情を固くした。
「勿論用事が無ければ来ないわよ。ねえ、ジェイン・アキ?」
リョウカの事を知らないリアトリスは、彼女の言葉に困惑した表情を浮かべる。
明らかにその声が、アキに対する敵意を含んでいたからだ。
「……言っている意味がわかりませんが」
つぶやく様に言うアキもまた、珍しく怒りをにじませていた。
「分からない?ジェインの人間が何の企みもなく敵国に来るわけが無いって言ったのよ」
声高に言いながら、リョウカはアキの顔を指差す。
「あなた達の目的はクロウという子を助ける事だと言ったわね。その子を陥れて国中から追われる様な身分にしたのは誰だったかしら?仲間の振りをしながらそういう準備を平然と進めていたのは誰だったかしら?あなた達、本当にこの子がクロウを助けようとしているなんて信じている訳じゃないわよね」
リョウカは確かめるように、一人一人の顔を見回しながら喋る。
少なくともラークはリョウカの言葉を否定する気は無いようだ。
アキは顔を真っ赤にしながら、しかし誰の顔も見ないで俯く。
「私は、信じてるよ」
その空気を破る様に発せられたリアトリスの一言にリョウカはキッ、と振り返る。
リアトリスはクリフに術をかけながらも、いつになく厳しい視線でリョウカを睨み返す。
「ばかだって思うかも知れないけど、私アキの事好きだから。アキが自分の口から否定しない限り、私は誰が何を言ってもアキの言葉を信じる」
驚いた様子でアキはリアトリスの方を見た。
「俺は、ずっと信じてるなんて言えないけど、それでもアキは仲間だから。アキが出した答えならそれを受け入れる。例え敵になるとしてもそれは敵になってから考えればいい事だ。仲間の時から考える事じゃない」
エッジもそう続ける。
万全では無いはずのクリフも、上半身を起こしてリョウカの方を見る。
「……俺もエッジも、アキちゃんとずっと一緒に旅してきたんだ。ここでいきなり出てきたお前に何を言われたところで今更変わる気なんてねえよ」
アキの目から、涙がすっと落ちた。
リョウカは唇を噛んで、忌々しそうに言う。
「エッジ、あなたのお人好しも相当だと思っていたけど、あなたの仲間もみんな大概ね……ここまで甘いと思わなかったわ」
ふう、とラークがため息を漏らす。
「それは僕も同感だね」
リョウカはアキの顔をにらみ、今にも飛び掛りそうな殺気を放つがそれ以上の事はしなかった。
「意地でもあなたを連れ戻すつもりだったけど、ここで全員を敵にしても勝ち目はないわね。馬鹿馬鹿しい、これだけ苦労してここまでたどり着いて無駄足だったなんて」
自分の行動を自嘲するように呟き、リョウカはアキを威圧する様に目の前に立った。
アキは身じろぎしながらも、見上げる形でリョウカの顔を睨む。
「けど、あなたと父親の思う通りになんてさせない、絶対に。忘れない事ね」
そう捨て台詞を残すと、リョウカはそのままアキの横を通り過ぎてバンガルの方へと引き返し始めた。
その背中は決然としていたが、エッジには寂しそうに見えてわずかに良心が痛んだ。
リョウカはきっとそういう同情を望まないだろうが。けれど、エッジをここまで連れて来てくれたのは間違いなく彼女だったのだから。