TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第三十一話 共『逃』

「ラークさん……遅いですね」

 宿の一室、アキとリアトリスの二人はいつもの様に情報収集に出掛けたラークの帰りを待っていた。

 国境を越えセオニアに来てからというものラークは二人に極力外に出ることを禁じていた。

 そして彼自身は一人で出ていき、夕方に帰ってきてその日得た情報を二人に話して自分の部屋に戻るという行動をしている。

 アキとリアトリスの仲は悪くは無かったが、ヴィツアナでエッジが抜けてから会話は減り、ずっと部屋の中に缶詰め状態でいた事で会話は更に減っていた。

 食事も部屋に運んでもらうか買いだめした食料で済ませ、部屋の外に出るときはフードで顔を隠す――そこまでさせて、一人で行動し続けるラークにアキは疑念を抱かずにはいられなかった。

「何故、ラークさんは何でも一人でやろうとするんでしょうか」

 ずっと聞こうか迷っていた事ではあったが、沈黙に耐えきれずついアキの口からは疑問が出る。

 ラーク自身ではなくリアトリスに言うのは筋違いかもしれないが、リアトリスには何処かラークを信頼している様に感じられる節があり、アキにはそれも疑問だった。

 エッジを見捨てた事に本気で怒るような彼女が、平然と敵の命も味方も切り捨てる様なラークを何故信じるのかが。

「何でも自分がやらなきゃ、って思ってるんだよ。ラークには責任があるから」

 重い口を開いて、リアトリスはそう答えた。

 ヴィツアナから逃げてから、ラークが話に出るとリアトリスの表情は暗くなる。

「責任?」

「そう。でも、私はラークが背負う必要のないものまで背負おうとしてる気がする」

 同情しているような、諦めているような声でリアトリスはそう答えた。

「……今のラークは、何かに憑かれてるみたいだよ」

 ぽつりと漏らしたその呟きが、アキにはリアトリスの本心に思えた。

 

 

 ラークは熱を間近に感じた。

 全身が燃えているのだから当たり前だ。

 痛みへの防衛本能から意識が遠くなりかけて、彼は耳元で聞こえるゴウという音がどこか違うところで鳴っているかのように感じる。

 

 夕方の静かな通りでの突然の出来事に、ラークの近くにいた人々から悲鳴があがる。

 騒ぎが起きる事自体は彼にとって好ましく無かったが、運はラークに味方した。

 駆け付けた年配の女性が桶に汲んであった水を打ちまけたのだ。

 ラークの体を包んでいた炎は収まり、井戸から水を汲んできた当人らしき少女は周りとは別な意味で悲鳴をあげた。

 

 周りが見えるようになってすぐに、ラークは術を放った張本人を目で探したが既に去った後だった。

 彼女は振る舞いこそ子供の様だったが、仕掛けた『いたずら』の結果を見届けたりせず、迅速に姿を眩ます冷静さにラークは『慣れ』を感じずにはいられなかった。

 炎が消えると慌てていた人々も徐々に落ち着き、代わりにラークに視線が集まりだす。

 仕方なくラークはよろけた様に装って近くの路地に逃げ込み、そこからすばやく更に角を曲がった。

 間を置かず身体の火傷が治っていくのを感じて、ラークは壁にもたれる様にしてうずくまりマントで顔や腕の隠せる範囲を隠した。

 怪我がすぐに治るのは戦いでは大きく役に立つが、良いことばかりでは無い。

 特異な身体は人の興味を引き、同時に恐怖を感じさせるからだ。

 目立ちたくないラークやリアトリス達にとっては一番困る事だった。

 傷が治ると、ラークはすぐにマントを翻して足早に歩き出す。

 ラークにとって怪我はただの痛みでしかなく、今はもっと大事な事があった。

 クロウへの追っ手が間近に迫っている可能性があった。

 

 ―――――――――

 

 リョウカが何気ない様子でエッジの前の大通りを歩いていく。

 降り続く雨のせいか、街全体が厳戒態勢なのか、大都市の通りにしては不気味な位静まり返っていた。

 リョウカは向かい側の路地のひとつに着くと、左右を確認してエッジの方に目配せする。

 彼は急いで、しかしなるべく足音を立てない様に心がけながら路地を出た。

 大通りに出た途端壁が無くなり視界が開けて、エッジは自分がサーカスの中心に立ったかの様に感じる。

 右からも、左からも、後ろからも、彼は自分が見えていない全ての方向からありもしない視線を感じた。

 足元の水が跳ねる音を少しでも減らしたくて、エッジは大きい水溜まりをなるべく避ける様蛇行しながら進む。

 が、路地から見つめるリョウカの目が険しくなるのを見て彼は仕方なくまっすぐ走る。

 靴にも服にも水が跳ねて大きな音を立てたが、服の方は元々ずぶ濡れだったのでさほど変わらなかった。

 何とかリョウカの所までたどり着き、エッジはほっと胸をなでおろす。

 

 と、近付いてくる足音――それも鎧の音に気付いてエッジの背筋が凍った。

 リョウカが彼を背中に隠すように動き、エッジは急いで物陰にしゃがみこんだ。

 何に使うかよく分からない網が、エッジの隣で異臭を放っていたがそれを気にする余裕は無かった。

「おい待て!止まれ、動くなそこにいるのは分かっている……ん?」

 リョウカの側まで来たのがエッジの位置からでも微かに見え、彼は相手がこちらに気付かない事を祈った。

 先程出くわした騎士と同様、相手がリョウカである事に気付いた様だが今度の男は高圧的な態度を変えなかった。

「お前は無理矢理に着いてきたタリア家の。なぜこんな所にいる、さっさと宿に戻れ」

 その言い方はリョウカの癇に障った様で、彼女の返事にはトゲがあった。

「私が何処に行くかをあなたに決められる覚えは無いわ、それより今はそれどころじゃないのでしょう?この街から逃げられる前に逃走犯を捕まえたら?」

 沈黙が流れ、殺気――そう呼んで差し支えがない位その騎士の怒りを二人は感じる。

「貴族ってやつはどいつもこいつも本当に自分が中心だとしか思っていないな!せいぜい脱走犯に出くわさない様祈ってな」

 そう言い捨てると、騎士はリョウカを押し退けるようにして何とエッジの方に向かってきた。

 あと、ほんの数歩で見つかってしまう。

 エッジは雷のディープスを集束(コレクト)しようとするが、それでは不自然な音を立ててしまうことに気付き慌てて風のディープスを集めるのに変える。

(間に合え……!)

 これで風を起こしても、相手が音に気付かなければ終わりだった。

 小石でも何でも転がってくれる事を祈って、エッジは自分達とは反対の方向から大通りに向けて風を起こした。

 

 カンッ、カンカン――

 

 予想したより、勢いよく石が転がってエッジは縮み上がる。

 しかし、頭に血が上った男にはちょうど良かったようだ。はっ、とリョウカの方を振り返り今にもエッジを見付けそうな所で足を止める。

 リョウカが怯えた顔で、自分と同じ様に驚いているのを見て騎士はすぐに来た道を引き返していく。

 そのあまりの勢いにリョウカも反射的に道をあけ、直後に男の怒声が響いた。

 その剣幕からエッジは、もし見付かったらどうなっていたか考えずにはいられなかった。

 リョウカが路地の奥へと手を引いてくれなければ、もうしばらくはその場に立ち尽くしていたに違いなかった。

「何をぼーっとしているの。折角稼いだ時間が無駄になるじゃない」

 再び鳴り響く呼び笛の音は先程より近かった。

 今は一瞬の遅れも命取りになる。

「でも、ありがとう。気を逸らしてくれて助かったわ」

 エッジはその言葉に驚いた。

「そんなの……追われてるのは俺なんだし、それに、その、あんただってわざと驚いた振りしてくれただろ?」

「でも私一人じゃ出来なかった、でしょう?」

 走りながらリョウカは事も無げに答える。

「それは、そうだけど」

 エッジはどうも、この相手と話すのは苦手だった。

 すぐに返せる言葉が無くなってしまう。

 苦し紛れに、彼はさっき気になった事を聞いてみた。

「そういえば変な臭いのする網があったけど、あれ一体何なんだろう」

 言った途端、リョウカの手がピクリと動いたのを感じた。

「あれは、水を綺麗にする為のものよ。水からゴミを掬う、ゴミ網……まさか触ってないわよね?」

 思い切り睨まれ、エッジは慌てて首を横に振る。

 そして、リョウカに適当に話を振るのはやめようと思った。

「それよりこの街から出る方法なんだけど、海路しか無いのに港は全て封鎖されてるのよね」

 突然左に曲がり、進む方向を変えながらも速度は落とさずリョウカは言葉を続ける。

「多少荒っぽい方法になるのは避けられないし、どのみち船も無い。だったら、いっそ船もあいつらのを奪っちゃった方が良いと思うんだけど、どうかしら?」

 しばらく彼女の言葉の意味を考え、エッジはどれだけ勝算があるのか考える。

「出来るかな、そんなこと」

 今のエッジには武器もなく、動きづらい服に、体力もなく万全の状態には程遠い。

 軽い調子で言ったもののリョウカもそれはよく分かっていた様だ。

「正直、分からないわ。でも、こうなった以上出来なければ私達二人とも終わり。どうなろうと最後まで付き合ってもらうわよ」

 既に助けてもらった身で、エッジは今更運命を共にすることに是非も無かった。

「ああ、分かってる」

 話に集中し過ぎて、十字路で誰かと鉢合わせしない様に細心の注意を払いつつ手短に二人で作戦を練る。

 

 一度、袋小路に入ってしまった以外は何事もなく港にたどり着く。

 しかし、港の船のほとんどは警備されていなかった。

 唯一、見張りが付いているのは周りの船とは異質な船の一団が停泊している周りだけ。

 それを見て、エッジはやはり気持ちが揺らぐ。

「やっぱり普通の船を奪った方が確実じゃないか?俺も全く船の経験ない訳じゃないし」

 彼自身、少し弱気になってきているのが分かる。

 今や寝間着は服としての意味をなさない位に濡れ、昼間にも関わらず寒さで凍える程だった。

「ダメよ、騎士団が乗ってきた船じゃないと逃げ切れない」

 それはエッジもさっきから聞いていた。

 とはいえ、相手は武装した騎士。

 それが七人いる。

 エッジの深術なら武器が無くとも、三人くらいは倒せるかもしれないが二度も術を発動する暇を相手が与えてくれるとは思えなかった。

 それに三人というのも万全の状態で、十分な隙があっての話。

 隙はともかく、今の自分の状態ではエッジは一人でも倒す自信はなかった。

「でも無理だよ……俺の術じゃ全員は倒しきれない」

 リョウカは少し考えて、自分がいつも身に纏って武器にしている外衣をエッジに羽織らせた。

 先程まで鉛のようだったのに、実際に彼が着る側になるとほとんど重みを感じない。

 なぜこんな事をするのか真意を測りかねてエッジはリョウカの方を見る。

(よい)地衣(ちごろも)、これが集束を補助してくれるわ。いつもより簡単に強力な術が使えるはず。大切なものよ、慎重に扱いなさい」

 思わず『そんなものは借りられない』エッジはそう言いかけたが呑み込む。

 それしかないのだ。

「分かった」

 黙ってリョウカも頷き、二人で改めて船を守っている騎士達を見る。

 重い沈黙があり、そしてどちらからとも無く声を掛け合った。

「行こう」

「幸運をね」

 

 ―――――――――

 

 船を守る騎士達にとってそれは歯がゆい状況だった。

 王城襲撃犯の素性も目的も不明。全く手がかりがない中で、黒い鳥の少女の噂を聞いてはるばる海を渡ってきて偶然にも捕まえる事の出来た共犯者、その少年が逃げ出したというのだから。

 船の守りの重要性が分かっていても、最小限の人数でしかヴィツアナに入れなかった騎士達は無意識に逃げている少年の事を考えてしまっていた。

 だから、突然響いた女性の悲鳴に全員が一斉に動いてしまったのも仕方のない事だった。

「誰か、助けて!武器を持ってるわ!」

 建物の影で襲われたのか、騎士達から女性の姿は見えなかったが声ははっきり聞こえた。

 すぐに全員が声の方へ走る。慎重な数人は船の守りの事も忘れず声の主まで半分程の距離の所で足を止めたが、その短い間七人の注意は完全に前方に向いていた。

 そして、それはずっと物陰でタイミングを見計らっていた少年には十分な隙でもあった。

 自分達が何にどうやって襲われたのか知る間も無く、騎士達の記憶はそこで途切れた。


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