TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第三十話 蜘蛛の糸

 相手が騎士では無いとはいえここで足止めされれば捕まるのは時間の問題だった。

 しかし、抵抗しようにも相手の力が強すぎる。

 エッジが落ち着いて見ると、彼の腕を掴んできたのは人の手では無く薄い色の布だった。

 その冷たく硬い感触はまるで鉄のようなのに、エッジの腕に巻き付いている部分以外はゆったりとリョウカの体に巻き付き、微かに風で動いているのさえ見える。

「う……!」

 拘束されたまま、エッジは冷たい壁に背中を叩きつけられる。

「それで?さっき騎士団に捕まったあなたが、こんな所で何をしているのかしら」

「何でそれを」

「あなたが捕まったとき、私もその場に行ったのよ。まあ、気を失った少し後だったから気付かなかっただろうけど」

 淡々と説明しながら、うんざりした様子でリョウカは軽いため息をつく。

「で、そんな事はどうでも良いわ。あなた、以前ジェイン・アキと一緒に居たわよね?この町であなたが一緒に居たのは気味の悪い剣士の男とフードで顔を隠した二人。その二人の中にもジェイン・アキが居たんじゃない?」

 探るように冷たい目で彼女は、エッジに顔を近付けてくる。

 彼女はとても背が高かった。

 アキやシントリアで時折見かけた黒髪の人特有の不思議な雰囲気がリョウカにもあり、無意識にエッジの鼓動が早くなる。

 心臓が高鳴ると同時に落ち着かない気持ちも増し、彼は真っ直ぐに目を見て嘘をつく事が出来なかった。

「……どうかな」

 リョウカはその答えでは納得しなかった様だ。

 エッジを睨み付ける目が鋭くなり、腕を締め付ける布の「枷」の力が強くなった。

 どうやら自分の指先一つ動かす必要なく、まるで手足の様に布を動かせるらしかった。

 

 と、騎士の足音が再び近付いてきて、エッジは心臓が止まりそうになった。

 リョウカも気づいたらしく、軽く舌打ちをする。

 次の瞬間、エッジは腕を強く引っ張られ宙吊りにされた。

「な――」

 かと思うといきなり視界が塞がり、エッジは全身をぐるぐる巻きにされた。

 あっと言う間に全身をきつく縛られ、手の方は指一本動かせない。

 一応、足の先の方だけは動かせるもののそれだけでは何も出来ない。

 

 エッジは間近まで迫ってきた鎧の音を聞いていることしか出来なかった。

 騎士はリョウカに気づいたらしく、足を止める。

(ここまでか)

 やはり、一人で逃げられる程甘くは無かったらしい。

 どの道、ここで見付からなかったとしても港が封鎖されている。

 初めから、この街を出る事など出来なかったのだとエッジは思い知らされた。

「リョウカ様、こんな所におられたのですか?」

 いくぶん驚いた様子で騎士がリョウカに話しかけてくる。

「ええ、せっかく交易の中心地に来たのだから、シントリアに戻る前に散歩がてら少し買い物をね」

 先ほどまでの冷たい雰囲気が嘘の様に、彼女は明るい声で返す。

 リョウカが話したり、動いたりする度にエッジの体は軽く揺られた。

 視界が遮られている分、彼の意識はより会話や揺れに集中する。

「この雨の中、そんな大荷物を抱えてですか?確かに幾分小雨にはなってきましたが、あまり濡れるとお体に障りますよ」

 リョウカの返事はエッジには聞こえない。

 表情か、身振りで応えたのかもしれなかった。

「それより、王都襲撃の容疑者が逃げ出した様なのです。この辺りは危険ですから私が宿までお送りしましょう」

 布越しに聞こえる声はエッジの耳に幾分くぐもって聞こえたが、体が密着している分リョウカの声は多少聞き取りやすい。

 既に状況を把握している事を考えると、やや大袈裟にも取れる位リョウカは驚いた。

「本当に?もしかして逃げた容疑者っていうのは、この雨のなか不自然な薄着で走っていた少年かしら?」

 エッジはいよいよ、リョウカから騎士に引き渡されるのを覚悟した。

「その少年ならさっきあっちへ走って行くのを見たわよ、もしかしたら北東の港へ向かったのかも」

 彼は耳を疑った。

(何でそんな事を……?)

 

 今のが嘘などと知るよしも無い騎士は驚いたのだろう。

 鎧をがちゃつかせるのが聞こえた。

「それは本当ですか……!ご心配なく、後は我々にお任せ下さい。リョウカ様は早く安全な方へ」

「ええ、あなた達も気を付けて」

 甲高いピィイイという笛の様な音が後ろから、周りへと伝わっていく。

 恐らく何かの合図であろうそれが聞こえると同時に、エッジの体も大きく揺れた。

 どうやらリョウカが早足で歩き出した様だ。

 騎士の鎧の音は反対方向へどんどん離れていく。

 エッジの体は大きく揺れ縛られた布からずり落ちそうになったが、動けないので掴まる事は出来ず、彼は可能な限り動かないようにして道に転げ落ちないように祈るしかなかった。

 時折、騎士達のエッジを探す大声が聞こえ、それは移動しても変わる事が無かった。

 

 エッジを背負ったまましばらくリョウカは早足で歩いていた様だったが、徐々に歩くペースが落ち周りの声が少し静かになったかと思うと、いきなり彼を拘束していた布が生き物の様に離れる。

 エッジは何が起きたか把握する間もなく、固い石畳に投げ出され足首に衝撃が走った。

 辺りは先程より更に狭く曲がりくねって見通しは悪いが、やはり路地の様だ。

「あなた、重いわよ」

 息を切らせながら、リョウカはほとんど独り言の様に愚痴る。

 彼女はエッジを解放はしたものの、いつでも拘束できる位の距離へと壁の側まで彼を追い詰める。

 エッジは痛む足首をさすりながら、壁に寄り掛かる様に座ってリョウカに質問した。

「何で、こんな事を?」

 彼女のおかげで助かったとはいえ目の前の相手が自分の為だけにこんな危険な事をするとは到底思えず、どうしてもエッジの言い方はきつくなる。

 そんな声の調子が勘に触ったのかリョウカもトゲのある声で返す。

「答えは簡単、さっきの質問にこたえてもらう為よ。嫌だと言ったら貴方を拘束してさっきの騎士達に引き渡すわ」

 さっきの質問、アキの事。

 捕まる事だけを考えていて、エッジは半ば忘れていた。

「……」

 そんな事を言われても答えられる筈が無かった。

 答えた所でエッジを見逃したらリョウカにとって不利になるだけだ、わざわざ逃す筈がない。

 黙っている相手の様子を見て、リョウカは薄ら笑いを浮かべる。

「――なんてね、もう聞く必要は無いわ。貴方はアキと一緒だった」

 エッジは唖然として何も言えなかった。

 何故分かったのか焦る。

「もしそうでないなら、すぐに『一緒じゃなかった』とか言って関係のないあの子を庇う筈だもの。前に会った時、私達の戦いに割り込んできてあの子を庇った貴方ならね。返答に迷うっていうのは、隠そうとしてる証拠よ?」

 首を傾げながらリョウカは、エッジの表情を探るように覗き込む。

 焦りが伝われば彼女の読みを肯定しているのと同じだと気付き、エッジは慌てて無表情を装う。

 リョウカはそんな様子を面白そうに観察している。

 こんな相手にエッジは今まで会った事が無かった、一方的にいつの間にかペースを握られている。

「で、提案なんだけど」

 エッジが驚いている事に気をよくしたのか、やや上機嫌でリョウカは提案する。

「この街から逃がしてあげる、と言ったらどうするかしら?」

 

 ―――――――――

 

「――見ませんでしたか、ありがとう」

 そう言ってラークはフードで目元を隠したまま会釈すると、会話を終わらせた。

 相手の男は酒を飲み始めたばかりの所を邪魔され大変不愉快そうだったが、ラークは丁寧に頭を下げてその場を去る。

 酒場の中にはもう、彼が話を聞いていない相手はいなかった。

 

 宝珠の欠片を持つクロウを追ってアキ、リアトリスと三人でセオニアに入ることが出来てからもう五日。

 ラークは人の出入りの多そうな所や馬車の御者などを中心に片っ端から話を聞いて回り、町を一つ移動していたがクロウを見たという情報は無い。

 とはいえ、全く宛も無い旅をしている訳では無かった。

 クロウをさらった内の一人が身に付けていたブローチ、そこに書かれていたセオニアの王家アリーズ家の紋章から、ラーク達は王の住む首都ウォーギルントを一つの目的地としていた。

 

 アキとリアトリスは時折必要な物を買い足しながら話を聞く程度で、それ以外は宿から出ていなかった。

 セオニアの中で海の向こうのサーカス団員に気付くものは居ないかもしれないが、アキが誰だかは知られる訳にはいかなかった。

 アクシズ=ワンドの実質的な主導権を二分し軍備増強を推し進めるジェイン家に敵意を持つものは多く、その娘がこんな所にいると知れたら無事ではすまない。

 ラーク自身も、アキと一緒に旅を続けるのはリスクが高いことを承知していた。

(何故同行を許している?もう役に立つ訳では無いのに)

 アクシズ=ワンドにいた内は戦力としても数えられその立場も役に立つ事があるかもしれないとラークは考えていたが、海上都市ヴィツアナから脱出する時はエッジと一緒に置いてきた方が確実に動きやすかった筈だった。

 それどころかエッジ以上に相手が確実に食い付く囮ですらあった。

 それなのに彼女を連れてきたのは――

(リアに影響され過ぎたか……弟子にも)

 エッジは生きているだろうかとラークはふと思う。

 すぐに死ぬことは無いだろうが、彼が一人で逃げ出せる可能性もまた無いに等しかった。

 一生、彼を見捨てた時の事を忘れる事は無いだろうとラークは苦々しく思う。

 彼は浸りかけた感傷を頭の中から振り払った。

 自分自身の胸の痛みなどラークにとって重要ではなかった。

 今、大事なのはクロウを探し出すことだけだった。

 

 再び自分のやるべき事に神経を集中し、馬車の駅の方へ向かおうとしていると気になる声がラークの耳を捉えた。

 妙に耳に障る無邪気な声。

「――人を探してるんだけど、肩ぐらいの長さの紫の髪で痩せてて目付きが悪い子。知らない?まあ、あの子無口だからねー」

 少女の声のようだった。

 少し遠く、普通なら会話なんて到底聞こえない距離だろうがラークには聞こえた。

 あまり人通りも多くなかったので、彼が聞き込みはしていなかった方向。

 少女も人を探しているようだが、明らかに上手くいっていない様で盛大なため息を吐いている。

 しかし、たまたまなのだうか。その特徴はあまりにクロウと似ていた。

「知らない?なら、良いや……あーあ、何で私がこんな所で人探しなんかしなきゃいけない訳」

 声の主は諦めたのか、あまり舗装されていない乾いた土を踏む音がする。

 ラークはさり気無い様子を装いながら、足音を頼りに声の主を追う。

 いくつめかの建物の角を曲がり、目に飛び込んできたのは燃えるような赤毛だった。

 声の主は少女で建物の影を選ぶように移動している様だったが、その影の中でなおその髪は生き物のような輝きを放っていた。

 

 ふと、赤い髪の少女は足を止め、くるりとラークの方を振り向く。

 二人の目が合いラークは冷たい目を向け、少女の方は跡をつけられている事に気付いて眉をひそめた。

 そして、赤毛の少女の方は何か凶悪な悪戯を思い付いた子供の様に笑みを浮かべると、右手でラークを指差し言葉は発さずに口を動かしてみせた。

「(ばーん)」

 熱に気付いた時には遅く、ラークが反射的に顔を庇うのとそれは同時だった。

 ラークの体は炎に包まれた。


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