TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十八話 目を覚ました現実

 世界が揺れている。

 もう何度目かも分からないその感覚で私は意識を取り戻した。

「……」

 どうやらまた船の中のいつもの部屋に寝かされているらしい。

 爆発でボロボロになった体には、クリフの仲間がしたのか最低限の治療が施されていた。

 服の方はひどい有り様だったが。

 こうしてまた無事に船に乗っているという事は、フレットも爆発で動けなくなったのだろうかと疑問に思う。

(違う……あの時、咄嗟の反応が遅れた私の方がダメージが大きかった。きっとあいつはこれ以上私と戦えないから何もしないで帰ったんだ)

 仲間よりも、相手の生死よりも、自分が楽しいことが大事。

 フレットはそういう奴だった。

 試しに体を起こそうとすると背筋を貫くような痛みが走り、私はベッドから起き上がるのを諦めた。

 改めてベッドに体を預けると船酔いと体の痛みの両方が彼女を襲ってきた。

 だがその現実の痛みより、私の心は他の痛みでいっぱいだった。

 

「お前は一人、ずっとずっと独りぼっちなんだからよ」

 

 意識を失う前、フレットがいった言葉。

(私は……、一人なんだ)

 何だかずっと見ていた温かい夢から覚めたようだった。

 

 私はたくさんの人達を殺した。

 初めは、私に手を出そうとする相手をラーヴァンが止める間もなく殺してしまっただけだった。

 けれど、それは初めだけ。

 スプラウツで過ごす内に、私はラーヴァンを制御することを知り、自分の一部であることを自覚するようになり、それからは自分の手でラーヴァンの力を使ってきたんだ。

 今の私はもうスプラウツの道具としてしか生きられない。

 私は、みんなとは違いすぎるんだ。

 

 ハク、ルオン、レイン。

 自分を人として認めてくれる人達は皆いなくなる。

 

 見ず知らずでありながら妹の様に懐いていたハクは、私の正体を知って拒絶し、ラーヴァンが殺した。

 無口でも優しかったルオンは、レインの死に直面して心を失った。

 スプラウツで共に育ったレインは、私の一番優しかった友達は、彼女の力を利用したフレットの術で殺された。

 

 きっと、自分に何の力も無かったらハクも、レインも死なずに済んだ筈だった。

 

 私は他の人と一緒にいてはいけない。

 私はみんなと同じじゃない獣なんだから。

 今度だって今までと同じ。

 エッジと私は元々一緒に居られなかった。

 私はずっと一人だったんだから、元に戻るだけ。

 それだけのこと。

 ただそれだけ。

 

(でも……どうせなら、もう一回サーカスを二人で見たかったな)

 最後にエッジと居た時の事を思い出す。

 

 私がサーカスを見ようと誘ったのに、エッジは急いで何処かへ行ってしまったんだった。

 実はあれでお別れだったのに、私の誘いを無視するなんて最後まで本当に――

 何かが頬を流れていった。

 

(涙……?)

 一度、気付いてしまうともう止めようも無いくらいそれは後から後から溢れてきた。

(悲しいわけない、今までだって平気だった。今度だって同じはず。だって私は……人間じゃない、人間じゃないんだから)

 しかし、いくら否定しても流れる涙は止まらなかった。

 

 こんなことなら、エッジとなんて会わなければよかった。

 最初から出会わなければこんな気持ちになんてならなかった。

 最初から出会わなければ……また会いたくなることも無かった

 

「……エッジ」

 小さく呟いた名前は誰にも届くこと無く、ただ私の胸を強く締め付けた。

 

 ―――――――――

 

 

「エッジ、それじゃあ。母さんをよろしく頼むぞ」

 

 どこか聞き覚えのある声がエッジに聞こえた。

 

 目の前に彼と同じオレンジ色の髪の少年と、くすんだ茶色の髪の男が大きな荷物を背負って立っていた。

 少年の方はまだ幼さが残る顔で今のエッジより三、四歳下に見えた。

 隣の男は三十代程だろうか。

 何故かひどく疲れた顔をしていて、これから旅に出るにも関わらず既に心配事があるかの様だった。

 

 おそらく親子であろう目の前の二人はトレンツの村の外れ――村から出ていく者皆が通る場所――に立っていた。

 今まさにここを離れようとしているのに、彼らの目は村の光景を焼き付けるように見つめ続けていた。

 

 それが誰か分からないのに何故だかエッジはその光景に見覚えがある気がした。

 二人はとても長い間そうしていたがやがて諦めたように父親らしき男の方が向きを変え、慰めるように少年の肩を抱いて村を去って行った。

 エッジはいつまでもその後ろ姿を見ていた。

 

(あれは……誰だ?

 思い出せない……いや、違う。少年の方は分かる……あれは、さっきの――)

 

「――!」

 

 混乱して意味をなさない声をあげそうになるのを何とか飲み込んで、エッジは飛び起きた。

 どうやら彼は宿の一室に寝かされていたらしかった。

 雨の中を戦いながら走り続け、ずぶ濡れになっていた体を更に石畳に叩き付けられたせいか、エッジの体は重くあちこち痛んだ。

 しかし、武器こそ取り上げられているものの彼は拘束もされておらず部屋の中にも誰もいない。

 まだ、エッジは体の芯からずぶ濡れの様な寒気はしたものの雨は拭き取られており、濡れた服も着替えさせられていた。

 部屋の隅で暖炉の火が暖かく揺れており、さっきまで彼が着ていたジャケットやズボンもそこに干されていた。

(俺は犯罪者として捕まったんじゃないのか?)

 普通、騎士団に捕まった人間というのはこんなに扱いが良いものなのだろうかとエッジは首を傾げる。

 彼がそんな事を思っていると、部屋の外から声が聞こえてきた。

 誰かが話しながらこの部屋に近付いてきている様だった。

「――どういう事?さっき捕まえた奴と一緒にシントリアに帰るって!」

 一人は女性で何か興奮している様子だった。

 エッジはどこか聞き覚えのある声のような気もしたが、早口でよく分からない。

 そして、それに答えたもう一人は、先程エッジの兄を名乗った騎士だった。

「そうだ、エッジ・アラゴニートはシントリアに移送する。どの道セオニアまですぐに追うことは出来ない……貴女だって分かっているはずだ、条件を破りここから国境を越えれば国際問題になる」

「でも、ジェイン・アキはその国境を越えてセオニアに逃げたのよ!あなた逹の追っている王城の襲撃犯逹と一緒に!」

 騎士のため息が聞こえ、短い間があった。

「ジェイン・アキが彼らと一緒だった確証は無い。貴女がジェイン家の人間を快く思っていないのは知っているが、それだけでは我々も動くことは出来ない……ともかく話はこれで終わりです」

 揉めている様だったが会話はそこで終わり、扉が開いた。

 部屋に入ってくるブレイドの後ろに一瞬この部屋の見張りの騎士がエッジには見えたが、ブレイドと入れ替わるように彼は部屋の前から去っていった。

 

 ブレイドは鎧こそまだ着けていたが、今度は兜を初めから被っておらずエッジと同じ色の長髪も顔もはっきり見える。

 改めて近くで見ると、エッジは確かに自分が数年たったらこんな顔になるのだろうかという気もする。

 しかし彼よりブレイドは鼻が高く、ずっと端正な顔立ちをしていた。

 雨の中で対峙した時と表情にさしたる変化は無かったが、エッジは今しがたの夢のせいか険しい表情の中にもどこか暖かいものが感じられる様な気がした。

「ブレイド……」

 呼び掛けると言うより、気を失う前までの記憶を確かめる様に、エッジは相手の名前を口にする。

「思い出したか?俺の事を」

 自分の名前を呼んだ事から弟が落ち着いたと判断したのか、ブレイドも幾分穏やかに答える。

「思い出した、のかな」

 『ブレイド』という響きにエッジは懐かしさは感じるが、さっき見た夢の姿以外彼に兄がいたという記憶は無かった。

 正直な話、突然現れたとしか思えないのが本音だった。

(そういえばリアトリスと初めて会った時も、彼女は俺を知ってたのに俺は覚えてなかった。あの時はてっきり、小さい頃に会ったせいだと思ってたけど)

 

 ――もしかして、自分には何か忘れている事があるのだろうか。

 エッジはその可能性に思い当たる。

 

 彼が床に視線を落として答えないでいると、温かい湯気が漂ってきた。

 エッジが顔を上げて見てみるとブレイドが温熱筒(中にディープスを引き付けやすい鉱物が入っており、深術が苦手な者でもお湯を沸かせる。保温には向かない)を使ってお茶を淹れていた。

「落ち着けば、何か変わるかもしれない」

 それだけ言ってエッジの前にあるテーブルに紅い液体の入ったカップを置くと、ブレイドは黙ってその反対側の椅子に座ってしまった。

 弟にお茶をすすめるでも無く自分の分のカップに手をつけようともしない。

 エッジにも気遣ってくれているのは分かるが、何処かぎこちなかった。

 

 恐らく、ブレイドも自分に対してどう接して良いのか分からないのだろうとエッジは思う。

(再会していきなり弟に『兄なんていない』って、言われれば無理もないか)

 まだ納得はいっていなかったものの、仮に目の前の男が兄だとして考えるとエッジは少し申し訳なく思う。

「エッジ、母さんの事は覚えているか?」

 突然の質問に少々面食らったが、エッジは答える。

「え?まあ、少しだけ。一緒に暮らしてる時には幸せだった気がするけど、俺がはっきり覚えている頃にはもう……」

 テーブルを挟んだ相手の顔が少し険しくなる。

「では、母さんが死んだときの事は?」

 エッジはますます戸惑った。

 覚えてもいない事をなぜ根掘り葉掘り聞こうとするのだろうかと。

「覚えてないよ、だってそれは俺がずっと小さかった時の事だろう?」

 沈黙が流れた。

 そして、ブレイドは最後にもうひとつだけ尋ねた。

「じゃあ、そのペンダントはどうしたんだ?」

 エッジは息が止まりそうになった。

 何故かそれは聞かれたくない事――思い出したくない事だった。

 無意識にエッジは首から下げているペンダントを強く握りしめる。

「これは……」

 弟の様子が変わったのを見て、ブレイドは何かを納得した様だった。

「エッジ、母さんが死んだのは確かにお前が小さかった時だ。けれど、お前が小さかったから忘れたんじゃない」

 その続きは聞きたくなかったのに、今のエッジには耳を塞ぐ気力も無かった。

「お前の目の前で母さんは死んだ。そのショックでお前は塞ぎ込んで記憶を閉ざしてしまったんだ。あの時は一時的なものかとも思っていたが……未だに記憶が戻っていなかった様だな」

 自分にも責任があると思っているかの様に、ブレイドの声には辛そうな響きがあった。

 突然の話に呆然としながら、エッジはどこか他人事の様に時折あった違和感の理由に納得していた。

「俺達がシントリアに越していった後で無ければ、お前にあそこまで辛い思いをさせる事は無かっただろう。母さんが死んだ後ですぐにトレンツに行ったが、お前は荒れて部屋からも出てこなくて会えなかった。それからは、ボブさん逹から時折手紙で様子を聞いてはいたが俺が騎士になってから今まで会うことも出来ていなかったからな……俺のことが分からなくても無理はない」

 再び沈黙が流れた。

 エッジはまだ実感が湧かず、それがつまらない義務か何かの様に今聞いた事を無感情に整理していた。

 ブレイドは弟が怒るのを恐れているのか、あるいはまだ何か思い悩んでいるのか押し黙っている。

 エッジにはブレイドを責めるつもりなど全く無かったが、今すぐそれを言葉にするには考えなければならない事が多すぎた。

 気が付くと遠くの雨音が聞こえるようになっていた。

 さっきからずっと鳴っていた筈なのに、今になって初めてそれはエッジの耳に届いた。

 目の前で冷めた紅茶の湯気がゆっくりと消えていくのを、エッジはただ黙って見つめた。


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