TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十七話 ラーク・テンネシア

 雨が強くエッジの顔を叩きつける。

 その冷たい感覚が妙に鮮明で、彼は目の前の現実が逆にぼんやりと遠退いている様な気がした。

(兄……?)

 その兄名乗った騎士は視線をラークの方に移し、驚きながら言った。

「そこにいるのは、ラーク・テンネシアか?」

 ラークの方も気付いたらしく、面白いものを見つけたとでもいう様に相手に微笑む。

「久しぶりだね、ブレイド。それともアズライト団長って呼んだほうが良いかな?」

 何処か楽しそうなラークとは対照的に、団長――ブレイドの表情は険しかった。

 周りの騎士達は二人の関係性が窺えず、手を出せずにいた。

「なぜお前まで……いや、それより本当にお前はラーク・テンネシアなのか」

 二人が何を話しているのエッジには分からなかった。

 分かるのはただ、彼に兄がいた覚えなんか無いということだけだった。

「嘘だ」

 エッジの口から漏れた言葉で、不意に会話が止み周りが緊張するのが分かる。

 目の前のエッジと同じ髪の騎士が、彼の様子を心配する様に声をかけてくる。

「……エッジ?」

 しかし、膨れ上がったエッジのやり場の無い憤りは止まらなかった。

「俺に、俺に兄なんて居ない!!」

 エッジはほとんど考えずに、目の前の『兄』に剣を向けていた。

「嘘を吐くなぁああぁあああ!!」

 彼が思い切り振り下ろした剣は真直ぐにブレイドの兜に向かった。

 目の前で雷のディープスの光が弾け、剣から激しい火花が散った。

 ほんの一瞬、彼の視界が白く染まる。

 その光が消えると、エッジの一撃を受け止めた『兄』の顔が目の前にあった。

 それは憐れみと静かな怒りを宿した瞳で、エッジの心の中に正面から踏み込んできた。

「罪人になっただけではなく、兄弟の絆さえ捨てたのか!エッジ!」

 エッジはその言葉に迷った。

 迷ってしまった自分を見つけてしまった。

(俺は……)

 エッジはこの男を知っている。

 だけど、それを認めるということは――

「っぁあああああああああ!!」

 エッジはほとんど意識もせずに頭を押さえて剣を払った。

 切っ先も定めず放ったそれは簡単に弾かれ、剣はエッジの手を離れて道に落ちた。

 剣が手を離れるとすぐに、背中から強い衝撃が走り剣の持ち主である彼自身も冷たい道に叩きつけられる。

 エッジの膝や顔、あちこちを石畳に打ち付けられ、熱を持って痛みだす。

 しかし、それより彼は頭が痛かった。

 外からの痛みでは無く、エッジの頭は内側から直接痛む。

(それに息が苦しい、息が出来ない)

「ラーク?待って!まだエッジが――」

 リアトリスが叫んでいるのが僅かにエッジに聞こえ、すぐに風の音に掻き消される。

 続いて周りの騎士達が慌ただしく駆けていく音。

 それから、急に静かになった。

 ラーク達の声も、戦いの音もしない。

 そしてエッジは取り残された事を悟った。

 雨の音が、水の音がだんだんと彼の意識に侵食してくる。

 芯までずぶ濡れになったエッジの体はひどく冷たかった。

 相変わらず彼の頭痛は止まらない。

 そして何より息が、まるで水の中にいるかのように、エッジが息を吸っても楽にならない。

 彼の頭の片隅に何か嫌な予感――漠然とした恐怖が芽生える。

 それに抗う間もなくエッジはその嫌な感覚の中に落ちていった。

 

 ――――――――――

 

 エッジが騎士の一人の手によって昏倒させられたのを確認した直後、ラークと戦っていた騎士達が次々に吹き飛ばされた。

 すぐに目の前の弟からそちらに目を向けたブレイドは、残りの三人に逃げられると悟る。

 ラークはフードを被った二人の仲間を両脇に抱えるようにして走りだすと、壁を蹴って屋根の上に上がり、 あっという間に見えなくなってしまった。

(ラーク・テンネシア、相変わらず人間とは思えない動きだな。本当に何も変わっていないのか)

 ブレイドは今、目の前で起きたことが信じられなかった。

 だが彼には立ち尽くしている時間は無く、団長としてやらなければならないことがあった。

 内心の動揺はおくびにも出さず、ポカンと口を空けている兵士達にすぐ指示を出す。

「後を追うな。すぐに全ての港を封鎖するんだ」

 それも間に合わないかもしれないが、彼は今は良しとすることにした。

 一番の目的は果たせたのだから。

 王城襲撃の容疑者で、たった一人の弟を見つけるという目的を。

 ブレイドは石畳に横たわる弟の苦しそうな顔に視線を移すと、心配と後悔が入り交じった表情を微かに浮かべた。

 

 ―――――――――

 

「うっ……ラーク!何する気?」

 ラークは街の建物の上から港に停泊していた小船を見つけると、見張りの男を蹴り倒し、抱えていたアキとリアトリスを船に下ろす。

 ラークの腕から解放されるとすぐにリアトリスは抗議の声をあげた。

 が、それを意に介さずラークは船を出す用意を始める。

「逃げるんだよ、この街から。今を逃したら僕達は完全にこの街の中に閉じ込められるからね」

 そう言いながら素早く係留用の綱を切るラークを、二人は信じられない思いで見つめた。

「でも、エッジさんは?」

 その問いかけに、ラークはいつもの調子で平然と答えた。

「置いていく」

「え」

 その何の躊躇いもない答えにアキは呆然とした。

「置いていくって……本気なの!?ラーク!」

 アキとは反対にリアトリスはラークに食って掛かった。

「騎士団の目的はあくまで王城襲撃犯のエッジとクロウの筈。その一人を捕まえた以上関係もわからない僕らを無理に追って来たりはしない、少なくともあの団長はね。だから今はエッジの心配をするより逃げるべきだよ」

 そう言って微笑むラークに、リアトリスは声を震わせながら言った。

「……最初からそのつもりだったの?クロウを探す時間を稼ぐ為にエッジを囮に使うつもりだったの!?」

 段々と声を荒らげるリアトリスを前にしても、ラークは表情を変えない。

「飽くまで保険のつもりだったけどね。ブレイドが来ていなければここまで上手くもいかなかっただろうし」

 リアトリスは遂にラークの襟元を締め上げ、船の甲板にラークを叩き付けた。

「エッジは、クロウを助ける為だけにここまで必死でやって来たんだよ!それを分かってて、ラークは何でこんなっ……こんなエッジを道具に使うような事ができるの!?」

 自分を押さえ付けている腕を振り払うと、ようやく微笑みを消してラークは言った。

「リア、僕達の役目はこの世界を存続させることだ。僕達はその為に命を与えられた存在なんだよ。役目を全うする為なら、行いの善悪なんて関係ない」

 静かな、しかし断固たる意思を持った声にリアトリスはたじろいだが、納得はできない様子だった。

 そんなリアトリスにラークは更に続ける。

「エッジが例えシンの責務を知らずに育ってきたとしても、これは彼が生まれたときから決まっている使命なんだよ」

 リアトリスは答えなかった。

「君もエッジも感情的すぎる。その感情はいずれ君達自信を押し潰すよ。僕達はアスネイシスを守らなきゃいけない、それを忘れないことだね」

 黙々と船を動かす準備を再開するラークに二人はそれ以上何も言えず、三人の間にしばし奇妙な沈黙が流れる。

 ラークが岸を蹴り、瞬く間に海上都市が離れていく時になってようやくリアトリスが口を開いた。

「感情が邪魔だって言うなら……エッジはクロウに会わなければ良かったっていうの?あの二人は心を通わせなければ良かったって」

 今度だけはラークは答えなかった。


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