TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「ようやく着いたね。海上都市ヴィツアナ」
何とか船旅を終え、エッジ達はセオニアへの入り口――海上都市ヴィツアナに到着した。
この大都市が初めてだというリアトリスは欄干から身を乗り出している。
「すごい!街全体が一つの彫刻みたい!」
確かにリアトリスの言う通りで港に始まり、街路、橋、水路、民家の一つ一つに至るまで全てがデザインに組み込まれているかのようで、陽光に煌めく街は海からせり上がった一つの氷山の様だった。
水晶自体が希少であまり目にする機会はなく、こうして街のあらゆる場所にそれが使われているのを見ると正しく別世界のようだった。
その光景に一度は来たことがあるというアキも――ラークでさえも見入っていた。
船を降りる時、船長は感謝と称賛のことばを並べながら約束どおりガルドを返してくれ、ラークが笑顔でそれを受け取る。
セオニアへの航路の中継地であるこの街にクリフ達が立ち寄った可能性は高かった。
そこまでは良い、がここで手がかりを得られなければこの先もう追い付けるチャンスはほとんど無い。
「よし、じゃあ別れて探そう。どんな形でも良いから何か手がかりになるものを」
エッジはリアトリス達にそう言うと、すぐに間近の道へと駆け出す。
「あ、エッジ!――大丈夫かな?クロウが心配なのも分かるけど、自分が追われてる身だって事忘れないと良いけど……」
残されたリアトリスは不安な顔でエッジの去った道に目を凝らす。
それとは対照的に落ち着き払ってラークは笑った。
「エッジのことなら心配いらないよ、彼はちゃんと役目を果たしてくれるさ。僕らは僕らのやるべき事をやろう」
「うん」
そう言われても、リアトリスはまだ少し不安そうだった。
――――――――――
(何処にいけばいいんだ?)
次第に苦しくなる息に抗って走りながら、エッジはそう自問していた。
きょろきょろと左右を見渡しながら彼は路地から路地へと駆け回り、クロウの影が見当たらないかと探す。
しかし、それで見つかるわけもなく途方に暮れそうになったエッジは近くにいた女性を呼び止めた。
「この辺りで紫色の髪の、俺と同じくらいの歳の女の子を見ませんでしたか?」
買い物帰りだろうか竹で編んだ籠を提げたその相手はエッジの勢いに驚き、それから不審げに尋ねてきた少年を見た。
「あんたもあいつらの仲間なのかい?」
「あいつら……心当たりがあるんですか?」
エッジは手がかりが見つかったかもしれないと
「つい何日か前に街の真ん中で深術を爆発させた奴らがいたんだよ。それをやったのがあんたの言ってるような子供達だった気がするよ、最近はあんな子供まで深術なんてものが使える世の中になっちまったのかねぇ」
エッジは急いでその場所を聞き出し、まだ何かぶつぶつと小言を言っている女性を後目に走りだした。
走りながら彼の頭の中では嫌な想像が次々とよぎっていた。
(“子供達が深術を街中で爆発させた。”その一人がクロウだとしたら、クロウはスプラウツと戦闘になったんだ!それもそんな大きな被害が出る程強い相手か、複数の相手と)
今更ながら人数などをもっと正確に聞いておくべきだったとエッジは思ったが、もう遅かった。
いずれにしろ、現場の近くならもっと多くのことが分かるだろうと思いなおして彼はその事件の現場へ急ぐ。
更に数回道を聞き、走り続けると不意にエッジは開けた場所へ辿り着いた。
左右にあった壁が無くなり、視界が一気に広くなる。
エッジは一瞬、言葉を無くして立ち止まった。
「何だ……これ」
爆発があったというのは聞いて、エッジはある程度の周囲の被害は想像していた。
だが、その光景は想像の上をいっていた。
視界が開けたのはそこが広場だったからではなく、周囲の建物が礎だけを残して無くなっていたからだった。
建物があったところには瓦礫が散乱し、中にはバターをナイフで切ったかの様な奇妙な断面を晒しているものもある。
そして、何より歩道を中心に大きな窪みがあった。
刳り貫いたかの様なそれは滑らかで瓦礫一つない。
その異様さからエッジは爆発の中心はここで、周囲の建物はその煽りを受けて破壊されたに過ぎない事を悟った。
これが戦闘の跡なら、クロウは本当に無事なのだろうかとエッジは不安になる。
(いや、そもそもこれが人間同士の戦いの跡なのか……?)
彼はしばし呆然としていたが、背後からの騒がしい甲冑の音で我に返った。
「そこのお前、少し話があるのだが」
エッジが振り返ると、目の前に青銅色の鎧に身を包んだアクシズワンドの騎士二人の姿があった。
彼の顔を確認するなり二人の騎士の表情が変わり、剣に手を伸ばす。
咄嗟にエッジは雷のディープスを手の中で集束し、二人の顔の前で解放した。
バチッという放電音と共に光が炸裂し、騎士達はよろめく。
エッジはその隙を突いて二人を突き飛ばし、さっき来た道を逆に駆けた。
どこかで悲鳴があがり、そこから連鎖するように周囲が騒がしくなる。
(騎士に見つかった。このままラーク達と合流したらみんなまで危ない)
しかし、だからといってエッジは隠れてやり過ごせるとも思えなかった。
そもそもここは海上都市、船さえ用意できていない現状ではこの街から出ることすら出来ない。
(どうすれば……)
エッジが決め兼ねていると、目の前の路地から騎士が数人現れて道を遮った。
(迷っている暇は無い、か)
彼は背負った鞘から剣を抜いた。と、同時に頬に冷たい何かが触れる。
雨が降ってきた様だった。
――――――――――
同じ頃、ヴィツアナの宿の一室で部下からの報告を聞き、宿を出ようとするアクシズ=ワンド王国の騎士アズライト団長とリョウカの姿があった。
「見つかったのは一人だけと言ったわね、他に仲間は居ないのかしら」
問い掛けたリョウカに、アズライトは微かに首を横に振る。
「分からない、合流したならまとめて捕まえれば良い。そうでないならエッジを捕まえて聞き出す。君は本当にエッジがジェイン・アキの行方を知っていると思うのか?」
聞き返され、今度はリョウカが首を横に振る。
「さあ、何となくよ。それに、気になる事が少しあってね」
アズライトは訝る様な眼差しをリョウカに向けたが、相手がそれ以上自ら口を開く気配が無かったので諦めて兜を着け、外に向かう。
宿の外に出ると水滴がアズライトの鎧を打つ音が通りに加わった。
リョウカがそれに続くと普段身に纏っている衣がひとりでに動き、リョウカを雨から守った。
どこからどう見ても普通の布であるにも関わらず、不思議とそれが水を吸う事は無かった。
「……便利なものだな」
「形が定まらない布は、斬ったり突いたりしか出来ない剣よりずっと色々な場面で役に立つものよ」
リョウカの皮肉に軽く溜め息をついてから、アズライトは改めて気を引き締め歩きだした。
――――――――――
エッジは少しずつ疲れていた。
途中で遭遇した騎士達と何度か戦闘になり、それをあしらっている内に彼は道が分からなくなっていた。
既に剣を鞘に納める余裕もなく、血の付いた剣を持って走る彼を見ると街の住民達は慌てて逃げた。
雨足も少しずつ強くなっており、濡れた体はどんどんエッジから体力を奪っていった。
一歩一歩が重くなる、それでも彼は移動し続けなければならなかった。
一ヶ所に留まっていたらすぐに捕まってしまう。
エッジはまた追い付かれないように速度を上げて走り始めた。
しかし、雨で人通りも減り離れていく人間ばかりだったせいで、彼は目の前の人影に気付かずにぶつかってしまう。
エッジはすぐに悲鳴が上がるだろうと覚悟した。
が、ぶつかった相手が発した言葉は、悲鳴でも怒号でも無かった。
「エッジ?」
彼はその声で初めて相手の顔を確認した。
「リア……?」
エッジがぶつかった相手はリアトリスだった。
彼女は突然現れた仲間の様子に呆然としている。
エッジがその隣を見ると、アキとラークも一緒だった。
「ごめん、騎士団に見つかった」
意図せずとはいえ、ラーク達と一緒になってしまったものはしょうがなかった。
エッジは素直に今の状況を告白した。
「そうみたいだね」
彼の言葉を聞いて気付いたのか、さっきから気付いていたのかは分からないが、ラークは剣を抜いて近くの路地に向かって斬撃を飛ばした。
直後、その路地からタイミングを合わせたかの様に騎士が飛び出し、突然の攻撃に反応することも出来ないうちに倒れた。
「音で大体位置は分かる。けど、これはちょっとまずいかな」
一人は倒したものの、今度は別の道から大勢の騎士が迫ってくるのが四人の目に見えた。
更に、周囲の路地からも騎士が合流してこっちを目指している。
「囲まれてるからね」
そう言いながらもラークは表情を崩さない。
しかし、それを聞いたリアとアキは焦りを隠せなかった。
「そんな、このままじゃみんな捕まっちゃう!」
「一か八か戦いますか?」
アキの問いにラークは首を横に振った。
「いや、リア達は手を出さなくていい。ここは僕とエッジで何とかするから、リア達はフードで顔を隠していてね」
元はと言えば自分のせいであるエッジは反対しなかったが、その提案にアキは反対した。
「でも、この人数を相手に二人だけで戦うなんて危険すぎます!」
それに対して、ラークは微笑んで言った。
「君こそ、ここで騎士達を相手に戦ったりしたら帰る家が無くなるよ」
「でも……」
まだ、納得できない様子のアキを無視して、ラークはエッジに言った。
「エッジ、僕が二人を守るからそっち側で暴れてくれるかな?」
頷き、エッジは迫ってくる騎士達の方へ向き直った。
「駆け抜けろ
風のディープスを今出来る限界の量まで集束すると、エッジはそれを真直ぐに放った。
「エアブレイド!」
通りの中心を風の弾が走り先頭を走っていた騎士達を吹き飛ばすが、後続の者達はわずかに後退するだけで終わった。
「
術で一時的に相手が怯んでいる間に、エッジは剣に雷のディープスを纏わせて敵の群れの中に飛び込んだ。
「
前方に居た騎士の一人に彼は突きを放つ。
その騎士は受けとめるが、剣と剣が触れると同時に雷の追撃が落ち相手はふらつく。
エッジは即座に間合いを詰め、『気』を込めて思い切り剣を叩きつけた。
「
青い獅子の『気』が噴出し剣を叩き付けた勢いそのままに騎士が後ろに吹き飛び、他の騎士を巻き込んで倒れる。
ラークとの修行で身に着けた技だった。
それで前方の騎士は一時的に足止めできた。
だが、更に周囲から騎士がエッジに向けて殺到する。
(もう一回……)
エッジは『気』と雷のディープスを剣に集めると、地面を蹴って飛び上がった。
エッジの剣が紫に輝く。
―
「
落下の重さを乗せてエッジは石畳に剣を叩きつけた。
その一点から『気』と雷のディープスが膨れ上がり、彼の周囲に向けて噴出する。
あと一歩の所まで近付いてきていた者達は空中に舞い上げられ、落下地点にいた騎士も巻き込んで通りに伸びて動かなくなった。
エッジは荒くなった息を整え、次に向かってくるものを確認する。
だが、今の一撃で警戒したのか彼の剣の届く範囲に近付いてくるものは無かった。
反対側のラークの方をちらりと見ると、そちらでも同じ様に騎士達は手を出せずにいる様だった。
静寂と緊張感が辺りを包み、騎士達の甲冑に当たる雨音と無数の息遣いが妙に近く感じられた。
「下がれ」
不意に若い男の声が静寂を破り、騎士達の人垣が割れて一人の騎士が進み出た。
その騎士は一人だけ意匠の異なる鎧と兜を身につけており、雰囲気からも格の違いが伺えた。
だが、それだけではなくエッジは何か嫌な感覚が背筋を走るのを感じた。
「誰だ?」
現れた騎士は兜に手を掛け、それを外した。
兜の間から、エッジと同じ色の暗いオレンジの長髪が零れる。
隠れていた端正な青年の顔が顕わになった。
「兄の顔を忘れたか、エッジ?」