TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十五話 狂う心

 海上都市――ヴィツアナ。

 遠くから見るのと、実際に歩くのではやはり印象はまるで別物だった。

 小さく見えていた尖塔はその根元から見上げると天に届くほど高かったし、無数の煌めきでしか無かった水晶も手で触るとその滑らかさと冷たさが私にも伝わってきた。

 水路が街中に走っていて、ここが海の上にある街なんだと改めて実感させる。

 建物も濃淡の違いはあるものの青く、まるで海そのものからこの街が浮上した様な不思議な感覚に陥る。

 船の上ではただひたすらに気分が悪いだけだった潮風さえも、ここでなら新鮮に感じられる気がした。

 それでも――私はほとんど感動を感じなかった。

(……歪だ)

 水路の上に架かる橋、その欄干の端に付いた装飾の水晶。

 そこに映る自分の歪んだ顔を見て、ぼんやりとそんなことを思う。

 

 いくらか後方をクリフとその仲間がつけてきている。

 苦労して捕まえた獲物を逃がすようなことはしたくないのだろう。

 にも関わらず自分が街を自由に歩かされているのは、どうせクリフが自分の仲間達に何か言ったのだろうと私は一人結論を出していた。

 あれでもクリフは仲間達に一目置かれている様で、それを利用して私をやたらと外に出そうとする。

 

 この街には一時的に立ち寄っただけらしかった。

 目的地はセオニア本土の様で、この散歩が終わったらまた吐き気との戦いに戻るのだろうと思うと心は晴れなかった。

 

 ため息を吐いて水晶の飾りから手を離し、私は宛もなく歩き始めた。

 彼女はこれから何処へ行くかも、自分がどうなるのかも刺して興味が無かった。

 どうせ私が居なくたって誰も悲しまないんだからと考えて、ふと思う。

(……エッジも悲しまないかな)

 考えても意味が無い事が浮かぶ。

 私はまた溜め息を吐き、周囲の事を気にも止めず歩き続けた。

「よお、元気か?クロウ」

 不意に聞き覚えのある声がすぐ横から聞こえた。

 私は咄嗟に身構え、そっちを向く。

 そこに立っていたのは、街の通行人の中に溶け込んでしまうような普通の少年だった。

 赤みがかった紫の髪になんともやる気の無さそうな顔、服は案外きっちりしているのにぐちゃぐちゃに着崩しているせいで見るものにルーズな印象を与える。何より丈が長すぎて彼の細身の体に合っていなかった。

 しかし、クロウはそのやる気の無い瞳の奥に底知れぬ狂気が宿っていることを知っている。

「フレット、何でセブンクローバーズのあんたがこんな所にいるの?」

 その質問に、フレットは笑った。

「まさか海上であれだけ派手に深術を使っといて、俺たちが気付かないとでも思ったか?」

 私は唇を噛む。

 気付かれないと思っていたわけでは無かったが、ここまで早くスプラウツに見つかるとは思っていなかった。

「シビルから聞いたぜ、この間まで弱そうなヤツと一緒にいたんだって?」

 エッジのことだろうかと、私はフレットから目を離さないまま推測する。

 会話から一転していきなり斬りかかってくるなんて事も、こいつに関してはあり得ない話では無かった。

 後方のクリフ達が騒ぎださないかを確認しながら答える。

「そんなこと聞いて何になるの?」

 にやにやと口元に笑みを浮かべながらフレットは続けた。

「そいつどうした?何で一緒に居ないんだよ。どうせ、またお前が殺したんだろ?」

 一瞬、思考が停止した。

 そして、それが安い挑発だと分かっていても反射的に言い返していた。

「違う!私は殺したりなんかしてない!」

 益々にやにや笑いを大きくしながらフレットは言った。

「じゃあ、また捨てられたんだろ?『気持ち悪い』って『化け物だ』って。だからお前また一人なんだろ?」

 頭の中に過去の光景が蘇った。

 ハクが彼女を拒絶した時のこと。

 クロウを村中が拒絶した時のこと。

 そして、彼女が――自らの手でハク達村のみんなを殺した時のこと。

「違う――違う違う!!エッジは……エッジは違う!!」

 フレットは大声で笑った。

 既に顔中が歪むくらい笑って、その身を揺らしていた。

「まあ、どうでも良いんだけどな。どんな理由であれ、お前は一人、ずっとずっと独りぼっちなんだからよ!」

 

(違う。

 違う違う違う!)

 

「っ、ぁぁああああ!!」

 周りの道に亀裂が入った。

 次いで、私を中心に制御も出来ない量の闇のディープスが飛び出した。

 槍、刄、刺……それらはでたらめな形になりながら飛んでいく。

 近くにあった小さな建物に線が走り、そこから綺麗に切れて倒れた。私がきちんと認識できたのはそこまで。

 建物の崩れる鈍い音、水晶や硝子が割れる鋭い音、そして何かが落下した水音があちこちから聞こえた。

 悲鳴が聞こえる。走り回る靴音も。

 それら全ての音は、私にはひどく遠かった。

 

「お前が抜けてから張り合い無かったんだぜ?どいつもこいつも弱くてさ……けどお前が抜けて良いこともあった」

 パニックになった街の中で、当たり前の様に喋っているフレットの姿は奇妙だった。

 走って逃げていく人々を背に、彼はゆっくり歩を進める。

 フレットが両腕を振ると、両方の服の袖から長い金属性の『爪』――『爪雷(そうらい)』の二つ名の由縁でもある爪の様な刄が飛び出した。

「こうしてお前と戦えるからな」

 私は激情に任せて自分の前方に槍を作り出し、フレットに向かって飛ばした。

 フレットは体を捻りながらそれを躱し、同時に捻る力使って刄を振るった。

雷旋牙(らいせんが)ァ!」

 エッジの魔神剣とは比較にならない三本の電気を帯びた衝撃破が、真直ぐ向かってきた。

 足元から三つの闇の刄を上昇させ、私はその攻撃を防ぐ。

 迎撃が済むと私はすぐさまフレットの立っている足元の歩道にディープスを集束(コレクト)した。

「ブラッディハウリング!!」

 黒い狼の群れが這い出し、フレットの立っていた所を中心に歩道の石が弾け飛ぶ。

 足元に集まるディープスに反応していたフレットは、横に転がる程の勢いで跳ぶことで発動を避けていた。

「認めろよ、どうせ俺もお前も人間扱いなんかされない」

 地を蹴り、フレットはこちらに接近してくる。

 距離が詰まるのは自分に不利だった。

(だけど、その分だけ回避が難しくなるのはお互い同じ)

「イレイズブリリアンス!!」

 無数の闇が私の前で『点』になった。

 空間の中に、絵に落ちた染みの様なものが散らばる。

 その一つ一つから細い線が走った。

 数百、数千の線がフレットに向けて一直線に伸び、貫こうとする。

 フレットは慣性を殺そうともせず、その最中へ突っ込んできた。

「お前が生まれながらの『化け物』なら、俺はスプラウツが『兵器』として育てた最高の戦士だからな」

 フレットは電気を帯びた刄を振るい、自分の正面の術を相殺する。

 残りの線がフレットを貫くと確信した瞬間、フレットの周囲の空間が揺れ七色の光が発生した。

(コレクトバースト!?)

 周囲のディープスを無差別に集束するコレクトバーストは、例えそれが術に変換された状態のものでもある程度分解できる。

 フレットはそれを利用して、彼の周囲の線を元のディープスに分解した。

 相殺しきれなかった線がフレットの肩や足を貫く。

 それでも表情を変えず、平然と私に肉薄する。

 背筋を寒気が走った。

「どうせ変えられないなら、楽しんだ方が得だぜ?クロウ」

 目の前でフレットが、スパークの見える鉤爪を振りかぶる。

 私は咄嗟にコレクトバーストの補助まで使って、可能な限りの闇属性のディープスを集束し強引に圧縮した。

「デュアル・インディグネイション」

「っ、ビッグバン・デトネイション!!」

 フレットが振り下ろした一撃と、私の強引な圧縮が引き起こした術の爆発がぶつかった。

 閃光が走り、私の体が軽々と吹き飛ぶ。

 瞬く間に目に映る景色が飛んで青い線になり、今度は急停止。

 その後になってようやく全身の痛みと、爆音が届いた。

 あまりの激痛に体を動かすことが出来ず、私は叩き付けられた仰向けの体勢のまま歩道に横たわっている事しか出来なかった。

 

 しばらくすると、見る影もなく荒れ果てたこの区画の騒めきが聞こえてきた。

 あちこちで誰かが誰かを呼ぶ声がした。

 見つかって安堵する声、見つからず探し続ける声。

 どの声も心から心配して探していた。

 しかし、その中に自分を探す声は無い。

 私が探したい声もない。

 あるわけがなかった。

(私……は、私には……)

 フレットの言う通りだった。

 私は一人なんだ。

 ずっと、ずっと。

 死ぬまで。

 だったら、いっそこのまま死んだ方が楽なのに……。

 そんな考えを何度も頭の中で反芻しながら、私は意識を手放した。


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