TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十四話 色の水晶

「海の上っていうのも結構悪くねぇだろ?」

 甲板の上。

 水の上で潮風しか無くても久しぶりの新鮮な空気は、少なくとも狭い部屋に閉じ込められている時よりはマシなものだった。

 もっとも、船酔いしているのは変わらない為、クリフに連れ出された私の気分は最悪なままだった。

「何で私をここに連れ出したの?」

 クリフを殺しかけてから、私はあの部屋にずっと閉じ込められていた。

 目的地に着くまでそのままだろうと思っていたが、クリフは予想に反してまたも私を連れ出しに来た。

「理由?あんまりずっと吐き続けられても困るからだよ、外の景色見れば少しは気も紛れるだろ」

 それには答えない。

 確かに彼の言うことはあながち間違っておらず、多少は吐き気もマシになっていた。

 しかし、無くなったわけではなく、こんな事で自分をさらった相手に礼など言いたくは無かった。

 が、何気なくクリフの腕に目をやるとそこにはまだ自分が付けた傷があり、何故だか少し胸が痛んだ。

 クリフは沈黙を気分が悪いせいだと取ったのか、海の向こうを顎で示して話を続けた。

「あれ、何だか見えるか?」

 私は示された方を見た。

 この変化の無い景色以外に気分転換になるものがあるなら何だって大歓迎だった。

 

 初めは普通の水平線と空にしか見えない。

 が、目を凝らすといくつかの小さな点が海上で光っているのが見えた。

「何か、光ってるヤツのこと?」

 私の答えに頷き、クリフは言った。

「あれは塔に太陽の光が反射してんだよ。ヴィツアナはこの辺りの水晶を利用して街を飾ってるからな」

 確かに無数の点をよく見つめると、ぼんやりと尖塔が見える。

 空と海の色に溶け込む様な青い塔だった為、言われるまで気付かなかった。

「ああいう綺麗なの作れるんだから凄いよな、人って」

 しみじみと遠くに見える海上都市に思いを馳せるようにクリフは言った。

 私もしばらくヴィツアナの光を見つめる。

 確かに綺麗だとは思った。けれど、私にはどうしてもそれが街に住む人の自己顕示欲の表れの様に思えて心に響くほど美しくは感じられなかった。

「……綺麗な建造物なんて、見た目だけだよ。人がいっぱい居る街は嫌い」

 吐き出すように私は自分の心をそう言葉にした。

 クリフはしばらく黙ってこちらを見ていた。

 居心地の悪い沈黙が続き、私はそれに耐えかねてまた部屋に戻って自主的に閉じ込もろうと彼に背を向ける。

 そこへ、クリフが言葉をぶつけた。

「確かに誰だって心は水晶みたいに綺麗じゃ無いかもしれねぇ……けどな、どんな奴だってそうやって生きてんだ」

 そこでクリフは一呼吸置き、言った。

「他人が嫌いだからって美しいものまで否定するのは勿体無えんじゃねえか?お前だってそういう人間の内の一人なんだよ」

 クリフは最後の方は元気付ける様に言うと、私にこれ以上会話するつもりが無いのを感じたのか離れていった。

 が私はそれに対する答えが見つからなくて、足を止める。

(そうだ、私なんて生きる為に何人殺してきた?自分が生きる為だけに大切にしていたものも、大切にしてくれた人の思い出も。全部踏みにじる様な、そんな私の心が一番汚い。でも、そんなこと――)

「分かってる」

 本当は自分が全部分かっていた。だから、わざと目を逸らしていた。

 ちゃんと見つめたら、狂ってしまうくらい辛いから。

 しかし、クリフの言葉で私はまた目を逸らせなくなった。

 彼の言ってることは間違ってない。それで余計腹が立った。

 私はやっぱりクリフが大嫌いだった。

 

 

 どの位そうして立っていたのか分からない。

「――アクシズ=ワンドの船だ!」

 不意に誰が叫ぶ声が私の意識を現実に引き戻した。

 船の周囲の海を見渡すと進行方向、ヴィツアナの方角に王国騎士団のものらしい船が見えた。

 甲板が騒がしくなり、あちこち人が忙しく駆け回り始める。

 何人かは私に気付いて驚いた顔をしたが、私が逃げようとしないことを確認するとすぐにどこかへ走っていく。

 海の上で逃げ場が無い自分より、目前に迫る敵の船の方が緊急だと判断した様だった。

 恐らくそれはいつでも私が飛んで逃げられる事に気付いていないからだろうが。

 ふと、走り回る人間の中にクリフがいるのが目に入る。

 まだ私がずっと甲板にいる事に気付いていない訳ではない筈だが、こちらには目も暮れない。

 自分を完全に蚊帳の外に置いている。それがまた妙に私を腹立たせた。

 私はクリフに近付き、肩を引いて無理矢理こっちを向かせた。

「何だよ、悪い、今お前に構ってる暇は――」

「この船の進路、このまま進めれば良いの?」

 余計なことは挟まず、聞きたい情報だけを聞く。

 飽きれた様な、苛立った様な顔でクリフはこちらを見た。

「確かにそうだけどお前、前方の船が見えねぇのかよ、あれにセオニアの船だって気付かれたら……」

 最低限の確認が済み、私は右手を振り上げた。

暗澹(あんたん)たる闇よ、我を導く翼となれ――ラーヴァン、ディープミスト!」

 私の手から登って行った黒い一筋の靄が黒い巨鳥になる。

 ラーヴァンが漆黒の翼を広げ、すぐにそれは周囲の海を覆い尽くす闇になった。

 調整でこちら側の船の周囲はある程度の距離まで見通しが利く様になっていたが、前方に見えていたアクシズ=ワンドの船の船員は自分の手も見えていない状況の筈だった。

 向こうの船上でパニックに陥る船員一人一人の動きが、私にはラーヴァンを通して手に取るように分かった。

 

 こちら側の船でも、突如出現した真っ黒な霧に船は騒ついていた。

 何人かは捕まえていたはずの私がやった事に気付き迫ってきたが、クリフがそれを制する。

「これで、あいつらに見つからずに進めるでしょ?」

 ひどく驚きながらクリフは、自分の方を見た。

「これ、お前がやったのか?……いや、だけどこれだと俺達もどう進めば良いか分からねぇし」

 さっきとは打って変わって慌てるクリフに、私はなるべく感情的にならない様に冷静に言った。

「私にはこの霧の中がどうなっているか全部分かる、方角なら私が指示する」

 そこでようやくクリフは落ち着きを取り戻し、代わりに困惑した様子で聞いた。

「俺達に手を貸してくれんのか?」

 すぐには答えられず、私は少し考えてから言った。

「今は他に行けるところが無いからあんた達に手を貸す。でも私はいつでも裏切れる、私は仲間じゃない……それを忘れないで」

 最後の方は半ば自分自身への言い訳だった。

 協力していいのか、否か。まだ頭の中でも整理がつかないままだった。

「あぁ、分かった。それで?どっちに行けば良いんだ」

 まだ心が定まらないまま迷いを隠して私はクリフにアクシズ=ワンドの船の位置を伝え、それをクリフが指示として船員に伝達する。

(私は……私に行く場所なんてあるのかな)

 その問いを言葉にすらできないまま、私は海の上の黒い霧の中にひとり置き去りにされた様な気がした。

 

 ―――――――――――

 

 海上でモンスター達と戦った翌日。

 リアトリスは船室のベッドの一つに寝かされていた。

 隣のベッドには付きっきりで様子を見ていたアキとエッジが腰掛けている。

 二人はリアトリスが微かに動きを見せる度に駆け寄ろうとしては、目を覚まさない事に気付いて何度も座り直していた。

「……ん」

 時間が経ちリアトリスがようやく目を開けると、二人はすぐに駆け寄って心配そうにリアトリスの顔を覗き込んだ。

「大丈夫か?リア」

 エッジが尋ね、まだ少しぼんやりとしているリアトリスは二人の顔を確認して困ったように笑った。

「あれ?私、どうして寝てるのかな」

 無事なのを確認して二人は安堵し、すぐにアキが答えた。

「リアさんは船の上に障壁を張って守ってくれて、その直後に倒れたんです」

 それを聞いてリアトリスは申し訳なさそうに言った。

「そっか……私、力使いすぎて倒れちゃったんだ。ごめんね」

 謝るリアトリスに、アキは少し怒って言った。

「私達に任せて下さいって言ったのに、どうしてこんな無茶をしたんですか」

 リアトリスはエッジの顔を見て、アキの顔を見て、それから可笑しそうに言った。

「だって、二人とも危なっかしいんだもん、二人に任せて私だけ黙って見てるなんて出来ないよ。それに、私の方がお姉さんだしね」

 そう言って微笑むリアトリスはいつものリアトリスだった。

「だからって、私達の為にそこまで無茶しないで下さい……私達だって心配しますから」

 リアトリスが無事なことに安心したのか、アキは言い終えると彼女のベッドに顔を伏せて泣きだしてしまった。

「そんなに泣かないで、私なら大丈夫だから」

 困った顔をして、リアトリスは助けを求めるようにエッジの顔を見た。

「俺だって心配した、アキにもそれだけ心配させたって事だよ。少し反省して、これからは無理しないでくれ」

 リアトリスは観念したようにため息を吐き、アキの頬を伝う涙をそっと拭った。

 さらに、何か声を掛けようとしてリアトリスはそこで気付いた。

 彼女がベッドに突っ伏したまま、微かな寝息を立てている事に。

「アキって時々すっごく大人びてる時があるけど、こういう所はまだ子供なんだね」

 リアトリスはアキの寝顔に微笑んだ。

「昨日リアが倒れてから一睡もしないで側に居たんだ。きっと、安心したんだよ」

 そう言いつつ彼も欠伸をする。

「もしかして、エッジも?」

 図星を指され、エッジは苦笑する。

「ああ、何か眠れなくて」

 リアトリスは隣のベッドを指差した。

「ちゃんと寝ないと体壊すよ、エッジも少し寝たら?」

「そうだな、少しだけ寝るよ」

 言って、ベッドに潜り込むとエッジもあっという間に規則正しい寝息を立て始めた。

 リアトリスはその様子を見、自分のベッドに突っ伏したアキに毛布をかけてやると、笑った。

「……やっぱり二人とも私がいないとすぐ無理するんだから」

 そう言ってリアトリスは傍で眠るアキの頭を撫でた。

 

 

 リアトリスが目覚めた事で旅はいつも通りの調子に戻った。

 アキとリアトリスは船の端から海を眺めたりしながら、二人でいつも楽しそうに話している。

 エッジはラークとの剣の訓練を続けながら、それ以外の時は一人でいる事が多かった。

 ラークは、と言えばエッジは彼の姿をあまり姿を見かけなかったが、それはいつもの事なので特に詮索する気にはならなかった。

 

 エッジは気になることがあってリアトリスを探していた。

 着実に剣の腕が上がっているとラークに言われながらも、彼はまだ何かが足りないと感じていた。

 少しずつ自分が強くなっているのはエッジにも分かる。

 しかし、まだまだ足りなかった。ラークにも弧氷のルオンにも敵わない。

(このままじゃまたクロウを助けられない)

 そんな焦燥に捕われている時、エッジの心に浮かんだのはリアトリスが使う不思議な深術だった。

 自分もリアトリスと同じ『シン』だというのなら、使える可能性があるかもしれない、と。

 

 リアトリスはすぐに見つかる。

 いつもの様に船の縁から海を見ていた。

「リア、聞きたいことがあるんだけど」

 彼女はエッジの声に気付くと、海に向けていた目をそちらに向けた。

「何?エッジが私に何かを聞きたいなんて珍しいね」

 エッジは頭の中にあるいくつかの疑問を整理してから尋ねる。

「この前、船を守る為にリアはいくつもの属性のディープスを同時に集束して使ってたよな?あれって俺にもできるのかな?」

 リアトリスの目が覚めてから見せる事が増えた、困った表情を浮かべながら答えた。

「『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の事、だよね」

「クロマティック、クリスタル?」

 エッジが初めて聞く単語だった。

 おうむ返しに言った彼にリアトリスは頷く。

「私達、アエスラングのシンはそう呼ぶの。全ての色、全てのディープスを束ねた一番強い形だから」

 一旦そこで口を閉ざすと、リアトリスは真剣な顔でエッジの目を見た。

「『色の水晶(クロマティッククリスタル)』は扱うのが大変なの、体力と集中力がすごく多く必要で……エッジも私が倒れたの見たでしょ?」

 エッジはリアトリスが大粒の汗を流しながら、『色の水晶(クロマティッククリスタル)』を使っていたことを思い出す。

「ああ、見た。それでも教えてほしいんだ」

 一瞬の間があり、リアトリスは自分を真剣な目で見るエッジの顔をじっと見た。

「今のエッジには、『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の使い方は教えられない」

 エッジは驚く、まさかリアトリスにそんな風に断られるとは思っていなかった。

「今のエッジは気持ちが先走りすぎて、自分が出来る事と出来ない事の区別も考えられなくなってる。エッジ、力っていうのはね、それ相応の心が無い人間が持つと危険なの。ラークはエッジに簡単に剣を教えることにしちゃったけど、私は今のエッジに深術は教えられない」

 エッジはしばし呆然とした後、必死で食い下がった。

「何で……俺はどんな辛い訓練でも耐えてみせる!倒れても構わない、だから――」

「だからだよ」

「え?」

 エッジは不意を突かれて、言葉が出なかった。

「今のエッジに『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の使い方なんか教えたらエッジは本当に倒れてでも使うでしょ?そうなったら私達は、戦いの最中に倒れている人まで庇わなきゃいけない」

「それは……」

 そこで、リアトリスは恐いくらい真直ぐだった瞳を僅かに揺らした。

「私が目を覚ました時、エッジは私に無理をするなって言ったよね?それはエッジだって同じだよ。エッジがもし死んだりしたら誰がクロウを助けるの?」

 エッジには返す言葉が無かった。

 自分がどれだけ焦って、周りが見えなくなっているか彼は気付かなかった。

 クロウのことばかりを心配するあまり、自分の周りの人間にどんな迷惑がかかるかも考えていなかった。

「そうだな、ごめん……俺もう少し今、自分が出来ることを考えてみる。出来ないことも。だから」

 エッジは右手の小指をリアトリスに差し出した。

 リアトリスは不思議そうな顔で首を傾げる。

「約束だ、俺は自分の出来ることをする。で、リアは俺たちの為に無茶をしない」

 差し出された小指を見て、リアトリスは苦笑いした。

「約束って、私もするの?」

 エッジは笑って言った。

「当たり前だろ、人に倒れるような無茶するなって説教する人が、無茶して倒れてるんだから。このぐらいしなきゃ信用できない」

 リアトリスも渋々、右手の小指を差し出して彼の指と絡ませた。

 二人はそのままぎゅっと指を結び、それから解いた。

「困ったな、これじゃ本当に倒れたり出来ないね」

「約束しなかったら、またあんなことするつもりだったのか?」

 茶化すようにエッジが言うと、リアトリスは誤魔化すように笑った。

 リアトリスはいつもこうして笑っていたが、出会ってからの短い期間気が付かないうちにどれだけ彼女に助けられていたのか。

 エッジはそれ以上言葉には出さなかったが心の中で彼女に感謝した。


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